2025/05/31

「ブツのLOOKS」はいまのままで(第15号編集後記)

 前号より寄稿者が5名、ページ数も28ほど増えて厚くなった「ウィッチンケア第15号」。制作費、諸経費(送料etc.)、そして販売価格も高くなってしまい...そりゃコロナ禍明け頃からのインフレ傾向でいまや「ワンコインランチ」なんて言葉もほぼ“死語”なんだから、とは思うものの、あいかわらず紙の雑誌にとってはなかなかたいへんな世の中です。


今号が初参加となった6名のみなさま(作品掲載順:綿野恵太さん、渡辺祐真さん、関野らんさん、山本アマネさん、早乙女ぐりこさん、佐々木敦さん)、ご寄稿ありがとうございました。そして引き続きご寄稿いただいたみなさまにも、改めて御礼申し上げます! みなさまのおかげで、今号も無事世の中に送り出すことができました。さらに、ヴィジュアルをがっしり支えてくださった写真家・圓井誓太さんとデザイナー・太田明日香さんにも感謝致します。




個別の寄稿作については、29日までに全作の〈寄稿者&寄稿作品紹介〉を公式サイトにアップ致しました。元来は創刊とほぼ同時に始めたBLOGGERが《純・公式》なんですけれども、いまでは見映え/インターフェイスともnoteの方がベターでありまして、ですので今号からのSNS告知はnoteのURLだけを貼っています(BLOGGERも更新しているんです、が)。みなさま、ぜひ、https://note.com/yoichijerry にて、各作品の引用箇所などお楽しみください! あちこち、いろいろ、ガチャ的に!! 明日(2025.6.1)には〈まとめ〉ページもアップ致しますので、ぜひそちらからも、あちいろガチャで。


前号の《編集後記》でも書きましたが、第15号でも誌面は発行人が必要だと考える要素だけで構成しました。「どういう本なの?」「見た目で内容が分かりにくい」「無愛想で読者を向いていない」等々、...ずっと言われ続けていまして、でもいまの時代、それらを「フィジカルな本」単体で備えなきゃいけないものなのか。(この場を含めた)ネットとの総合力で諸々補完し合って、「ブツのLOOKS」はいまのままでいいのではないか、と。このこだわりは、発行人/編集者を交代させないと変わらないかもしれない。。。


今号をつくりながらみっつのことが何度か発行人の頭を過ぎりました。


ひとつめは仲俣暁生さんの〈寄稿者&寄稿作品紹介〉でも触れた、「ダイナソー性(!?)」について。小誌は2010年の創刊以来、PDF入稿〜校了〜製本〜拙宅と取次会社に納品〜書店にて販売という行程で発行し続けていますが、この15年余で新しい「ものづくりの仕方」「流通のさせ方」が次々と始まっているわけでして。


ふたつめは「SNSの変容」...ウィッチンケア(および発行人)のアカウントは現在FacebooknoteInstagramtumblr、つい最近始めたThreadsにありまして、Xについては《寄稿者アカウントのリスト》をつくってなるべく見るようにしています。Xは...Twitter時代から長く眺めていますが、現時点で今号寄稿者のうち恒常的にポストしている方が十数名、各種告知とリポストがメイン、がやはり十数名、あとの方は元々アカウントなし/アカウント削除/あっても更新せず/メインが他のSNSに、といった感じでしょうか。


...みなさま、いつもはどこにいらっしゃる!? せっかく小誌の告知をしていただいたのに、発行人が見落としているSNSも少なくなさそうで、申し訳ありません。


そしてみっつめ。発行人の体質はどうしようもなくライター/編集者で、ここの改善が、ずっと小誌の課題であると。綿野恵太さんの寄稿作で言及されている「ポスト・フォーディズム」のスキルを...頑張ります。



それでは、今日明日をひと区切りとして、今後は第15号の販売促進活動と併行しつつ、よりヴァージョン・アップした次号に向けて動き始めようと思います。そして、こういうときの1曲……今日の(発行人まわりの)SNSでは、来年2月に来日公演するmy bloody valentineのチケットがとれねーっ、という話題が多くて(寄稿者の内山結愛さんは無事GET3月クララさんは残念無念...)。





私はマイブラの『Loveless』、1991年にとあるレコード屋のBGMで聞いて買いました。なんかいいのないかな、とガサゴソやってるときにかかっていて、良いなぁと思いつつも誰の曲か分からなくて、3曲目の「Touched」のねじれプログレ感でぐっと持っていかれて、それで、続く4曲めの「To Here Knows When」がキラキラ洪水みたいに始まって「これしかない!」と。ちなみにそのとき手に持ってたのがニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」の12インチ...結局両方とも買ったけれど、どっちが、と問われれば圧倒的にマイブラです。なので、↓。




2025/05/27

VOL.15寄稿者&作品紹介47 東間嶺さん

小誌前号(第14号)での寄稿者&寄稿作品紹介では、寄稿者・東間嶺さんが主宰してアート系活動の拠点としていた東京都町田市三輪町にあるオルタナティブ掘っ立て小屋『ナミイタ Nami Ita』が、火事で使用不能になってしまったことをお伝えしました。...あれから1年余、『ナミイタ Nami Ita』は復活! 町田市から神奈川県横浜市青葉区寺家町へと移転して、先月から本格的な活動を再開。現在は現代美術家・山本麻世さんの展示会『だいだらぼっちの毛づくろい』を開催中です。さて、そんな東間さんの今号(第15号)への寄稿作は「(概略)アプデしない生き方のせいで殺されてしまった先生とわたしに関するおおよそ4000字のテキスト。」。戯曲形式の本作は、ある殺人事件の関係者(被害者含む)をZoomで繋ぎ、コトの真相について語り合うが、その最中に、という座組の...世に言うハラスメントを題材とした一篇です。




作中の、あの世からZoomしているBの言い分が、なかなか味わい深いです。〈生前、わたしが大学を出て、現代美術作家として主に活動していた時期は日本が空前のバブル景気に湧いていました。訳がわからないほど大量の金が日本中を飛び交っていて、わたしの作る、既製品と樹脂を使った抽象的な立体作品はホテルに飾るオブジェなどの用途でよく売れましたが、「売れてるからってお前、これ以上地球に産廃増やしてどうすんだ?」とか「あなたの作品って、言うならば資本主義の排泄物ですよね。もう少し頭使ったら?」とか、妬んだ作家仲間や批評家、学芸員からは冷笑、罵倒されていました。制作が億劫になったのも、そんな言われ方をされる自分の状況にいじけて、模倣でしかできない才能にもうんざりしてしまったからでした〉...なるほど、同情はしませんが、そんな体験の成れの果てがパワハラな先生とは。


本作では前半部で物語のタネ明かしがされています。〈これからわたしAとわたしたちがお見せする、とても短い「パフォーマンス」……と便宜上そう呼びますが、そのパフォーマンスは「(説明書)教えていた学生にセクハラとアカハラして刺し殺された先生とあの世からのzoomで話したけど全然反省してなくて驚愕してたら自分も同じ様な理由で妻に刺されることになる、そんな男を中心にするおおよそ4000字のテキスト。」っていうものなんですけど〉、と。...じつは筆者からの初稿段階では、↑の「(説明書)教えていた〜(中略)〜4000字のテキスト。」そのものが作品タイトルとなっていました。少し後に〈このパフォーマンスは、「多義的な解釈に開かれて」いません。メッセージは明快です。〉ともあるので...ぜひ小誌を手にして、このようなスタイルにした東間さんの意図を推察してみてください。



ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E



 (名乗って)わたしはA、Cさんが卒業し、B先生が教えてらした大学を卒業したばかりの美術作家です。在学中はわたしもB先生によくハラスメント……というか「才能ねえよブス」「お前みたいなのが、卒業したらすぐ結婚して子供産んでハイ一丁あがり、みたいになるんだろうねえ」とか人格否定されていて、ぶっちゃけですが、わたしも、殺してやろうかと思ったことが、一度や二度以上あります。Eさんじゃなく、わたしが殺してやればよかったかも。もっと巧妙な方法で、分からないように。こんなクズのためにEさんも死んでしまって。気の毒。
 わたしは、先生がそういうアップデートできないハラスメント老害だと学生の頃からもちろん知っていましたが、自分には被害がないし、無関心でした。でも、まさかこの時代になってまで続けているとは。その危機管理意識に驚愕しました。
 もちろん、わたしの接し方がもはや社会的に許容されないものであるのは分かっていましたが、いったん身についてしまった態度はなかなか変えられないものですし、むしろ変えたくないという幼稚な反発心もあったのです。何も分かってないバカ学生がゴチャゴチャうるせえんだよ、黙って聞いとけ! みたいなね。


~ウィッチンケア第15号掲載〈(概略)アプデしない生き方のせいで殺されてしまった先生とわたしに関するおおよそ4000字のテキスト。〉より引用~


東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品:〈《辺境》の記憶〉(第5号)/〈ウィー・アー・ピーピング〉(第6号)/〈死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)/〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(第10号)/〈パーフェクト・インファクション──咳をしたら一人〉(第11号)/〈わたしのわたしのわたしの、あなた〉(第12号)/〈口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない〉(第13号)/〈嗤いとジェノサイド〉(第14号)


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VOL.15寄稿者&作品紹介46 柳瀬博一さん

 ウィッチンケア第5号への寄稿作「16号線は日本人である。序論」以来、つねに都市やメディアなどに対する多角的な視点での作品をご寄稿くださっている柳瀬博一さん。3月に上梓された「アンパンマンと日本人」(新潮社)も好評のようでして、週刊新潮に掲載された文芸評論家・三宅香帆さんのレビューでは〈アンパンマンはきわめてAI的、という興味深い指摘もなされる。たしかに彼は、常にデータ(顔)をアップデートしながら、そのデータから生み出した結果を、人間たちに与える存在なのだ。アンパンマンは普遍的でありながら、実は時代を先取りした存在でもある〉と、いかにも柳瀬さんらしい考察法方についても触れています。さて、そんな柳瀬さんの小誌今号への寄稿作は「日本は東京以外でできている」。...また予言しておきますが、本作はいずれ書籍になって世に出るであろう筆者の新たな都市論の「核になるアイデア」が詰まった一篇に違いありません(と、思う)。冒頭近くには〈日本は、「東京的都市」と「東京以外」でできている〉という、タイトルをもう少し噛み砕いた一文があり、以後、この見立ての根拠を示しつつ、現在の我が国の構造が紐解かれていきます。




本作の前半では「東京」=「鉄道社会」、「東京以外」=「自動車社会」と定義されています。わかる! 私(←発行人)は1990年〜2013年までターミナル駅寄りの世田谷区で暮らしました。どの方向に歩いても、15分もすれば電車の駅が近づいてくる。ホームに立って、10分以上待たされることはほぼない。でっ、2013年の春から東京都町田市で暮らしていますが、小田急「町田」駅から拙宅まではバス(過疎った時間帯は電車の「新宿⇔町田」くらいの時間待たされる!)、食材の買い物は、けっきょくニトリや西松屋やダイソーが入ったショッピングモールが便利...2016年の冬に母親に頼まれて自転車で買い物にいき、ハンドルバーに白菜4玉ぶら下げて帰宅したときにキレて、しばらくしてクルマ購入しました。町田は明らかに「東京以外」です。


後半ではメディアへの言及も増え、そのどれもが肯首することばかり。〈テレビ局の人と新聞社の人は、揃いも揃っておんなじ景色、おんなじ通勤路しか見ていない。報道の複眼性や多様性など望めるわけがない〉...厳しい指摘ですが、そんな人たちの企業体質が世間の感覚とズレているとみなされてスポンサー(こちらはもう少し世の中を見ている)離れが起こったり、が現実。そして、作中にはもうひとつのキーワードとして「郊外」が出てくるのですが、それについてはぜひ、小誌を手に取ってお確かめください!


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E



 ところで、この「東京的都市」とは、どの程度の規模で、その住人とは何人くらいだろうか? Wikipediaなどに出てくる、首都圏はじめとする5 大都市圏の人口は、日本の6割程度で、首都圏には3800万人が暮らしており、札幌、京阪神、名古屋、福岡に合計4000万人程度、合わせて7000万人が都市住民なのだ、と規定している。マスメディアやコンサルまでこの数字を結構使う。
 日本は、東京的な大都市住民ばかりなのか? そんなわけはない。この定義、人々の暮らし方、生き方、意識のあり方を探る際に、東京的都市と東京以外の街とを見分ける上では、はっきりいって全く使い物にならない。
 この定義で都市を規定するととんでもなく勘違いする。勘違いするので、多くのコンサルがトンチキな地方開発をして大失敗する。
 東京的都市は、実はものすごく狭い。7000万人? 人口の6割? 冗談じゃない。東京23区と多摩地区の中央線の一部。東京横浜間の私鉄沿線および横浜の中心。以上である。せいぜい2000万人弱。実際はもっと少ない。日本の15%強である。


~ウィッチンケア第15号掲載〈日本は東京以外でできている〉より引用~


柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品:〈16号線は日本人である。序論 〉(第5号)/〈ぼくの「がっこう」小網代の谷〉(第6号)/〈国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と〉(第7号)/〈国道16号線をつくったのは、太田道灌である。〉(第8号)/〈南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)/〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(第10号)/〈富士山と古墳と国道16号線〉(第11号)/〈2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話〉(第12号)/〈カワセミ都市トーキョー 序論〉(第13号)/〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤~〉(第14号)


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VOL.15寄稿者&作品紹介45 谷亜ヒロコさん

 昨年4月1日発行のウィッチンケア第14号では寄稿作「フィジカルなき今」が巻頭を飾り、その内容(とくにおカネの話!)もかなりリアルだった谷亜ヒロコさん。谷亜さんはリアル推し! ...って、スイマセン...小誌今号への寄稿作「折田さんは自分推し!」に擬えて筆者の作風を言い表してみましたが、どちらかというと“お花畑系ライター”だと自認する私(←発行人)からすると、谷亜さんテキストはいつも現実をビシッと捉えていて小気味よいのです。そんな谷亜さんが今作で斬り込んだのは、兵庫県知事の案件で話題になった実業家・折田楓さん...などを事例に、いわゆる自己承認欲求が強い人、についての考察であります。折田さんについては、メディアで伝えられた諸々について言及していますが、私が一番そうだな〜、と思ったのは〈折田さんの会社は彼女しか推すものがない。だからしょうがないのだ〉という一文。ばっさり、なんですけれども、でもどこか「情けを掛けている」というか...しょうがないのだ、という、多少の理解を示す言葉で結んでいるところに、ある種の矜持を感じたりして。





作品中盤からは、男性の承認欲求についても語られています。昨年末になくなった中山美穂さんにまつわる、親しかった男性2人(る井上ヨシマサさんと渋谷慶一郎さん)のXへの書き込みを引用して、これって「お別れのメッセージ」の体をした自己承認欲求ではないのか、と。たしかに、私も過去、知人の訃報を受けた後、SNSでのその方についての様々なコメントを読んだ経験、何回かありますが、おいおい、みたいなのも散見され。。。あっ、↑の男性2人への筆者の具体的なご意見は、ここに引用などはしませんので、ぜひ小誌を手に取ってご確認ください。


作中には谷亜さんご自身の承認欲求についても書いておられまして、その率直さにもはっとさせられましたし、なにが言いたいのかよくわからないことしか書けない自分を反省し、谷亜さんを見習いたい(たしか前作の紹介文でも「見習いたい」みたいなことを書いている...)とも思いました。


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E



 世間では折田さんのことを「自己承認のかたまり」とか「承認欲求の鬼」とか言われ放題。Instagramの投稿に至っては「キラキラ女子」なんて言われるが、これ家族写真を除けばキャバ嬢じゃん。確かにエルメスのバーキンだけは180万円ぐらいするけど、斎藤知事と映っているイッセイミヤケのセットアップもヴァレンティノの布バッグも10万円ぐらい。よくキャバ嬢の方が、ブランド品を持って笑顔、旅行先の絶景やグルメを前に笑顔、そんな映え写真を投稿しているのと同じ。キャバ嬢の場合、お店に来てお金を落として欲しいから優しい笑顔で誘っているだけなのだけれど、折田さんの場合は仕事が欲しいから。企画。企画書について彼女は「0→1の鬼になって、資料作るの大変」ってYouTubeで言ってるけど、代理店にいたらそんなの普通だし、noteから削除された案の内容もよくあるものだった。


~ウィッチンケア第15号掲載〈折田さんは自分推し。〉より引用~


谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈今どきのオトコノコ〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由〉(第6号)/〈夢は、OL~カリスマドットコムに憧れて~〉(第7号)/〈捨てられない女〉(第8号)/〈冬でもフラペチーノ〉(第9号)/〈ウラジオストクと養命酒〉(第10号)/〈鷺沼と宮前平へブギー・バック〉(第11号)/〈テレビくんありがとうさようなら〉(第12号)/〈ホス狂いと育児がほぼ同じだった件〉(第13号)/〈フィジカルなき今〉(第14号)


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2025/05/26

VOL.15寄稿者&作品紹介44 久保憲司さん

ウィッチンケア第3号からの寄稿者・久保憲司さん。今年3月には、音楽評論家・サッカリンさんとの3時間越えの音楽談義がYouTubeで配信されまして、2:42あたりからのデヴィッド・ボウイにまつわる逸話は、たしか久保さんが小誌第7号にご寄稿くださった「80 Eighties」(←同作は後に小説集「スキゾマニア」に収録)でも触れられていましたが、語りで聞いてもやっぱり面白いロックの昔話...あっ、でも久保さんはいつも、昔のことだけじゃなくリアルタイムの世の中にも関心を持ち続けている方でして、小誌今号への寄稿作「アーティフィシャル・インテリジェンス」の主人公・「俺」も、Kindle愛用者という設定です。ちなみに私(←発行人)は、電子書籍、いまだに馴染めず。読んでる(読もうと思っている)本は常に目に入る(手の届く)場所にないと落ち着きません。そのせいでか、拙宅の狭い拙部屋の「モノを置くスペース」は、いつも極小...たとえば本棚って、すでにある本をギッシリ詰め詰めに収める場所ではなく、新しい本を新たに置く場所でもあるべきなんですよね、そうあるべきなんだが。。。






主人公の「俺」は〈今まで書いた自分の小説をAIに読み込ませて、AIに小説を 書かせようとしてい〉る、とのこと。でっ、実行してみると新たな小説はできたものの、それが「俺」にとってはまったく面白いとは思えない作品で、そこからの「俺」の試行錯誤に、本作の面白さがギッシリ詰まっています。唐突に安堂ホセさんや鈴木結生さんも登場して(いや、登場させられちゃって、と言ったほうが良さそうな展開)、でも「俺」はなかなか満足できるものをAIから引き出せなくて...このあたりの心理錯綜の描写が、いかにも筆者らしい。


AIと日々悪戦苦闘を続ける「俺」は、作品終盤で坂口安吾の「堕落論」を持ち出しています。〈堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない〉...これはいわゆる、米国の未来学者レイ・カーツワイルが予言する「シンギュラリティの到来(2045年)」への対処法として、安吾の言葉が有効、ということなのでしょうか? みなさま、ぜひ小誌を手に取って、そのへんのことについて「俺」とともにお考えください。


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E


 

 でも、AIから読み込んだものを「これは小説ではありません」と突き返されなかったのはうれしかった。いろんな奴に俺の小説を読ませてもみんなが声を揃えて、これって小説かと言う。お前らクズや、AI様の方が俺の小説をオモロいと読み込んでくれたぞ。そうや、AIに俺の小説はオモロいか聞いてみよ。

「はい、面白いですよ」返ってきた返事はこれだった。えーそれだけですか、味気ないな。そうか、どこが面白いか、訊かなあかんのやなとキーボードで打ち込んでみた。

「そうですね。久保様の小説は本当の話か本当の話でないのかよく分からないところが、変な日本語で書かれているのが、面白いですね」


~ウィッチンケア第15号掲載〈アーティフィシャル・インテリジェンス〉より引用~


久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品:〈僕と川崎さん〉(第3号)/〈川崎さんとカムジャタン〉(第4号)/〈デモごっこ〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈スキゾマニア〉(第6号)/〈80 Eighties〉(第7号)/〈いいね。〉(第8号)/〈耳鳴り〉(第9号)/〈平成は戦争がなかった〉(第10号)/〈電報〉(第11号)/〈マスク〉(第12号)/吾輩の名前はチャットGTPである〉(第14号)


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2025/05/25

VOL.15寄稿者&作品紹介43 美馬亜貴子さん

 ウィッチンケア第5号からの寄稿者・美馬亜貴子さんには、今号ではご寄稿だけでなく、新たな寄稿者との縁を繋いでくださったことにも大感謝です。昨年の夏、美馬さんがSNSをチェックして私(←発行人)にメールをくださらなければ、今号への佐々木敦さんからのご寄稿はなかったはずなので(より詳しくは佐々木さんの紹介文で書きました)...あらためて、どうもありがとうございました。さて、そんな美馬さんの小誌での作風を、私は前号(第14号)での紹介文で「憑依型」なんて言い方をしまして、では、今号では、いかなる人間に乗り移るのかとわくわくしながらお原稿が届くのを待っていましたら、警察官キタ――(゚∀゚)――!!(←古くてスイマセン)。それも、敏腕刑事とか犯罪捜査官とかではなく、いわゆる「交番のおまわりさん」が登場する掌篇小説。主人公は沙村町の交番に赴任してきて2日目の桜井巡査長。新任地を知るために、と命じられて「巡回連絡カード」を手に町内をまわるのですが、この町、そして住人、桜井の印象では「クセの強い地域ですね。面食らってばかりです。気の荒い人が多いんですかね」...でも、それには特別な理由があったのです。




交番に戻った桜井は自分の目撃したできごとを上司の土屋警部補に報告しますが、特段驚くでもなく...真面目な桜井は不安と苛立ちを覚えます。沙村町って、住民も警察もちょっとおかしいんじゃないのか、と。そこで、土屋の口から桜井に伝えられたのが、『近所付き合い特区』というユートピアともディストピアとも言えそうな、ある制度。以後は物語の座組が大きく転換し、前半で桜井が抱いた“違和感”の謎が解き明かされます。


『近所付き合い特区』については、ここでは「ネタバレ」的な説明を控えさせていただきたく存じます。ぜひ小誌を手に取って、そこでの細やかなルールなどをご確認ください。いやぁ、しかし、美馬さんの本作もまた、小誌今号に少なくもなくある「時代の移り変わり」をテーマとした一篇です。それも、かなりブラックだけど笑いごとでは済まされない、度が高めの。令和7年、平成もだいぶ遠くなりにけり、ですね。昭和なんて、もう(以下略)。



ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E



 交番に戻る道を再び歩き出すと、今度は下校中の小学男児がネットに入れたサッカーボールを蹴りながら歩いているのが見えた。桜井はその姿を微笑ましく眺めていたが、次の瞬間、力加減を間違えたのか、少年の蹴ったボールがネットごと大きく飛んで近くの家の壁を直撃した。その家の玄関先を掃除していた女性が「バカっ! タカシ! 危ないでしょ!」と少年を叱りつける。この家の子のようだ。少年は最初こそ「ごめんなさい!」と謝っていたが、女性が次いで説教を始めたの
で、次第に憮然とした顔になり、小さく「ちっ」と舌打ちした。
 女性はそれを聞き逃さず「こらっ、舌打ちしない!」とさらに少年を諌めた。
 桜井は助け舟を出そうと二人に近づいていき、女性に「お母さん」と呼びかけた。するとその女性は「あら、おまわりさん」と微笑んで、「私、お母さんじゃないです。タカシ君は隣のアパートの子で」と言ったので桜井は心底仰天した。 
 自分の子供でさえバカ呼ばわりは御法度の昨今である。この子の親に知れたら訴えられるレベルではないのか。


~ウィッチンケア第15号掲載〈 生存学未来論〉より引用~


美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈ワカコさんの窓〉(第5号)/〈二十一世紀鋼鉄の女〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈MとNの間〉(第7号)/〈ダーティー・ハリー・シンドローム〉(第8号)/〈パッション・マニアックス〉(第9号)/〈表顕のプリズナー〉(第10号)/〈コレクティヴ・メランコリー〉((第11号)/〈きょうのおしごと〉(第12号)/〈スウィート・ビター・キャンディ〉(第13号)/拈華微笑 ~Nengemisho~〉(第14号)


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2025/05/24

VOL.15寄稿者&作品紹介42 我妻俊樹さん



 ウィッチンケア第1号からの寄稿者・我妻俊樹さんは先日、ちょっと気になるつぶやきをポストしていまして、敢えて全文引用しますと《自前の欲望だけでは活動が困難で、他者の欲望に巻き込まれている必要があるタイプの作家であるわたしの最初の小説集、最初の川柳句集、新しい怪談集などが出ていない現状は半ば必然ではあるけれど、なかなか、もったいないことのような気もする。》...私(←発行人)もする、しますとも。とくに「最初の小説集」は、ウィッチンケア掲載作だけで15編もあるし。それにしても、「他者の欲望に巻き込まれている必要があるタイプの作家であるわたし」という自己分析、潔いですね。オレ(←私)は諸般の事情の末に自分で小誌をつくって/売って、その場所で好きな創作をしていますが、煎じ詰めれば「人はそれぞれその人なりに」なのですから、後は野となれ山となれ...それでも、我妻さんの選んだ「もったいないこと」という言葉への含意は、私なりに分かる気がします。それで、そんな我妻さんの最近の活動でよく更新されているのは、Hatena Blogでの〈ニセ宇宙(暮田真名さんとの一首評・自歌自解ブログ)〉とnoteでの〈気絶遍歴(仮)〉でしょうか。後者は80000字に達するとなにがしかのアクションがあるようで、それはいまのペースだと8ヶ月後、とのことです。




我妻さんの今号への寄稿作〈スクールドールズ〉は、主人公である「わたし」が一年生として学校に通うところから始まります。私が読んでいる感じだと小学校、あるいは中学校っぽくも感じますが、特定はされていない...すぐに「廊下に学生たちの描いた絵がずらっと貼り出してあった」という学内の描写がありまして、「学生」ならば高等教育の場? いやいや、中~高等教育でも一般に「学生さん」で通じるし、などと野暮なことを考えていても、この筆者の作品には通じません。なにしろこの学校で「わたし」が配属されたのは「一年九十九組」だし、同級生は「クラスの半分くらいがドール」かもしれないし。。。


「わたし」はあることがきっかけで教室の一番前の席の子と友達になります。その子は「わたしの名前はタナナカ」と自己紹介。タナナカは、髪型がイソギンチャクみたいで可愛いのですと! そして、仲良くなった二人は、校長室から出てきた緑色の風船みたいなものと...以後の展開は、ぜひ小誌を手にしてお楽しみください。


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E


 脳の中に直接チャイムが鳴って先生が出ていったあと急いでその子のところへ駆けつけた。とはいえ話題はべつにないからその子の髪型を見て「イソギンチャクみたいでかわいいね!」と言った。するとまわりの子たちがぷっと噴き出した。イソギンチャクってかわいいものじゃないの?
 わたしは焦ったけれどその子はうれしそうに両手を握りしめて頭を振ってみせてくれたので、わたしも頭を振りながら「イソギンチャク!」「イソギンチャク!」と言い合った。まわりの子たちはわたしたちからちょっと離れた輪になって、ひそひそ声で話したり意味ありげな視線を送ってきた。それを見てたぶんこの子たちの中にはドールがいないなとわたしは思った。ドールならこういうときがらっと空気を変えようとして気の利いた冗談を言うとか、逆にわざと空気の読めないばかげたことを言うとわたしは思う。それはそういう役目でドールがいるんだとわたしが思っているからだけど、そういう役目でドールがいるんだと誰かに教えてもらったことはなかった。どちらかというと世の中にくわしそうな子、物知りそうな子ほどドールなんて本当はいないよと言いがちだ。ドールの情報をくれるのはわたしとドールの情報を交換したがっている子ばかりだった。わたしとその子の情報が入れ替わるだけで、どっちが正しいかを判定する子がいない。


~ウィッチンケア第15号掲載〈スクールドールズ〉より引用~


 我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈雨傘は雨の生徒〉(第1号)/〈腐葉土の底〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈たたずんだり〉(第3号)/〈裸足の愛〉(第4号)/〈インテリ絶体絶命〉(第5号)/〈イルミネ〉(第6号)/〈宇宙人は存在する〉(第7号)/〈お尻の隠れる音楽〉(第8号)/〈光が歩くと思ったんだもの〉(第9号)/〈みんなの話に出てくる姉妹〉(第10号)/〈猿に見込まれて〉(第11号)/〈雲の動物園〉(第12号)/〈北極星〉(第13号):〈ホラーナ〉(第14号)


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2025/05/23

VOL.15寄稿者&作品紹介41 ふくだりょうこさん

 ウィッチンケア第13号には「この後はお好きにどうぞ」、第14号には「にんげん図鑑」、そして今号(第15号)には「お薬をお出ししておきますね」と、改めてふくだりょうこさんの寄稿作のタイトルだけ並べてみると、おっとりしているというかほのぼのしているというか...なんですけれども! じつは、号を重ねるにつれて作品内の毒素は強まっているように思えまして、敢えてパワーワードなしで冠されるタイトルが、読後にはステルスに効いてくる...読者さまにおかれましては、多少身構えて“服用”なさることをお薦めします。それで、今作の内容なのですが、巷で言われる2025年問題(「団塊の世代」が全員75歳以上となる)のフィクション内での現実化というか、登場人物の誰に自分の気持ちを寄り添わせるかによって、かなり感想も違ってくる一篇だと思われます。ブラック・コメディ!? いや、考えたくはないけれど、作中の〈荒井実〉さん(76歳)のような方、いま約800万人といわれる団塊さんたちのなかに、少なからずいらっしゃるはずだし。




本作、未読の方にはなんとも事前にお伝えしにくい(したくない)ストーリー構成でして、まず、お話の舞台はとある病院(!?)の診察室。〈荒井実〉さんは娘に付き添われて来院して医師が問診中、なんですれども...なんとも話が噛み合わず。私(←発行人)は娘さんより〈荒井実〉さんに近い年齢のため、ああ、いずれ自分も彼のように、とか考えるとやるせなくなりました。


作中で一番ドライな存在として描かれているのは、〈アシスタントの速水さん〉。もしスピンオフの物語があったら、ぜひ〈速水さん〉が主人公で、作中の医師について多いに語ってもらいたいと思いました。...いや、なんであなたこんな病院(!?)でしれっと勤務してられんの!? みたいなことも、かな。ということでなんとも奥歯になにか挟まった紹介でしたが、衝撃の詳細はぜひ、小誌を手にしてお確かめください!


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E



「私の口から発せられる言葉は全て価値があるんです。つい先日も……」
 男は声を潜め、自分が何気なく発した言葉が大変な事態を引き起こすことになってしまったのだと言った。このことはニュースになっているから、
知っているはずだ、と。
「すみません、ここ数日、まともにニュースをチェックする時間がなくて、存じ上げませんでした」
「いけない、いけない! そうやって世間にアンテナが向かなくなると、人間は衰えていくんですから。外からの刺激を受けて、人間は成長するん
です。いけません、いけませんよ、こんな部屋にずっと籠ってばかりいたら」
「そうですね、気をつけます」
「すみません、先生。鼻をかんでも?」
「ええ、どうぞ」
 箱ティッシュを差し出すと、男は鼻をかみ、しばらくして動かなくなった。
「疲れてしまったみたいですね」
 男が座る車椅子の後ろに立っていた女性がポソリと言った。


~ウィッチンケア第15号掲載〈お薬をお出ししておきますね〉より引用~


ふくだりょうこさん小誌バックナンバー掲載作品:〈舌を溶かす〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈知りたがりの恋人〉(第11号)/〈死なない選択をした僕〉(第12号)/〈この後はお好きにどうぞ〉(第13号)にんげん図鑑〉(第14号)


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2025/05/22

VOL.15寄稿者&作品紹介40 武藤充さん

 ウィッチンケア第12号からの寄稿者・武藤充さんは毎回、既存の「町田ガイドブック」などには決して載っていないような、生き証人的な東京都町田市の話を書いてくださっています。武藤さんに私(←発行人)がお原稿を依頼することになった経緯については、初回の寄稿作〈日向武藤家の話〉での紹介文をぜひご参照ください。さて、そんな武藤さんから今回届いた一篇は、極めて個人的なできごとながら、とても数奇、としか言い表せないノンフィクション・エッセイ。武藤さんがあるご縁で知り合った、足立幸子さんとの交流を回想したものでした。なお作品タイトルには「チャネラー・足立幸子さん」とありますが、じつは、武藤さんの初稿では「チャネラー? 足立幸子さん」だったのです。...私も迷いましたが、「?」が付いていることで読む方が余計に混乱しないかと思い、ご相談のうえで現行のタイトルに(...足立様、失礼致しました)。




足立さんの著書「あるがままに生きる」(ナチュラルスピリット/2009年)、Amazonの紹介文には〈「波動」「直観」という生き方を人々に浸透させた必読書! 新しい時代の生き方のお手本になる1冊です。直観に従い、宇宙と調和して生きること、波動を上げる大切さの本質をとてもシンプルに教えてくれます。あらゆる「スピリチュアル本」を読みつくしたかたでも最後に手元に残しておきたい1冊です。!〉とあり、〈累計25万部超えの大ロングセラー!〉だと。...武藤さんは本作において、足立さんとの初対面の印象を「面食らった」「怪しいなあ」などとも記しています。それでも、「懸命に話し続ける足立さんに対し、シャープな感覚と不思議な温かさを感じ」、その後、家族ぐるみの付き合いを足立さんご兄妹と始めるのです。そしてご縁が深まった武藤さんは、足立さんの制作するアート作品を扱うギャラリーを、町田の商店街の一角にオープンさせることになりました。


「ギャラリースペースSachi」と店の名前も決まり...この先の展開は、ぜひ小誌を手に取ってお確かめください。時を経て、筆者はかなり冷静な筆致で記されていますが、一連のできごとがあった1993年頃は、どんなお気持ちで過ごされていたのか。ご心中、察し余るものがあります。


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E


 あっという間にオープン前日となりました。昼過ぎには彼女も到着し、額装を終えた新しい作品たちが待ってました、と言わんばかりに荷を解かれ、作家と対話を始めました。彼女は一つ一つの作品を見ながら、商店街通り側の入口から順に絵を掛けていきます。すると上品な墨の線や金銀の点と線が会場に吸い込まれるように馴染んでいきます。しばらくして、小上がりの畳のところで細長い箱を開けて作品を観ている幸子さんに近寄ると、「あー私、こんな作品を描いちゃったのね」とつぶやく姿を目にしました。自分で描いたものを見て深く感心しているのです。不思議でした。僕が「『クリエイション』っていう領域はそんなものだろう」と思えるようになったのは、それから遥か後のことでしたが、今では、あのときのその場にいられたことが宝物のように思えます。


~ウィッチンケア第15号掲載〈チャネラー・足立幸子さんとの出会い〉より引用~


武藤充さん小誌バックナンバー掲載作品:〈日向武藤家の話〉(第12号)/〈氷武藤家の足跡〉(第13号)街の行く末〉(第14号)


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VOL.15寄稿者&作品紹介39 うのつのぶこさん

 ウィッチンンケア第10号からの寄稿者・うのつのぶこ(宇野津暢子)さんはエッセイ/小説(不倫小説!)と、毎号、その年の気分で自由な作品を届けてくださいます。前号では〈休刊の理由~「港町かもめ通信」編集長インタビュー〉という、武田砂鉄さんの〈クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー〉をさらに捻挫(!?)させたかのような作品を...でも、うのつさんをご存知の方なら、同作のベースには彼女が発行している「玉川つばめ通信」があるのだな、とわかったはずで、虚々実々ながらフリーペーパー発行人の本音が垣間見えてくる一篇でした。さて、そんなうのつさんの小誌今号への寄稿作は〈生きててくれればそれでいい〉。中1のときに不登校になった長男のこと、そしてご自身の高校時代のこと、このふたつを交錯させることで現在の自分の立ち位置を確認しようとしているような、個人クロニクルとも呼べそうなエッセイ...なにか、人生の転機となるような決意でも秘めているのかな、なんて感じさせる。そして、私には子どもがおりませんので、親と子の心の綾は「オレが10代だった頃はどうだったろうかな〜」と、その方向から推察するばかりですが、それでも母親が子を思う気持ちはとてもリアルに伝わってきました。




作中で強く印象に残ったのは自身の大学受験にまつわるピソード。それは“18歳から33歳くらいまで、毎年3月になると「早稲田の一文の発表を見に行ったら掲示板に自分の番号がなくて悲嘆にくれる」という夢を見た”というもので、詳細はぜひ本作を読んでお確かめいただきたいのですが、じつは私(←発行人)もこれに似た夢にしばらく悩まされていたことがあったなぁ、と。大学時代、諸般の事情でフランス語1を再履修しまして、卒業後も「じつはその単位が取れてない」という夢を何度も。なんでだろう? 卒業証書もどっかにあるはずだし、フランス語は単位にかかわらずいまだにちんぷんかんぷんだけど、その夢は定期的に繰り返し見たなぁ。うのつさん(も私も)、なにかトラウマのトリガーに、「早稲田一文」(私は「フランス語」)がなっていたのかも。


作品の終盤では、高校時代の恩師と再会した話が記されています。〈当時は私、I先生のことを下に見ていて、「こんな頼りない担任で大丈夫なの?」って思っていたのだけれど〉と、学生時代の率直な心情を思い出しながらの、33年ぶりとなる、文化祭での再会。その様子も、ぜひぜひ、小誌を手に取ってご確認ください!


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E


当時の桐蔭システムは非常によくできており、課題をガンガン出して生徒に考える隙を与えなかった。そうはいっても中高校生はあれこれ考えるのだけれど、そんな10代の、勉強はまずまず得意な若者に先生は「あのさ、大学受験まではとにかくガッツリ勉強して、ひとまず東大か早慶に入ろうよ。考えるのはそのあとでいいじゃん」というのだった(と私は理解している)。合理的だ。私だってそうしたかった。しかし残念ながら私はその全部に落ちた。私は大学を出ていない母のために、中3のときに亡くなった父のために、自分の見栄のために、東大か早慶に入りたかった。でも落ちた。生活指導の先生に「男子としゃべったら早慶落ちる」と言われ、そうだそうだと納得し、せっかく高3になって共学になったのに、男子とひと言もしゃべらなかった。


~ウィッチンケア第15号掲載〈生きててくれればそれでいい〉より引用~


 宇野津暢子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈昭和の終わりに死んだ父と平成の終わりに取り壊された父の会社〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈水野さんとの15分〉(第11号)/〈秋田さんのドタバタ選挙戦〉(第12号)/〈好きにすればよい〉(第13号)/〈休刊の理由~「港町かもめ通信」編集長インタビュー〉(第14号)


※ウィッチンケア第15号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!


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Vol.15 Coming! 20250401

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