小誌今号が発行された4月1日、柳瀬博一さんは長年勤務した日経BP社から東京工業大学教授へと、キャリアチェンジ。私は事前に伺っていませんでしたので、2月〜3月上旬にかけて「お原稿よろしくお願いします!」「校正が出たので確認お願いします!」などと事務的なメールを何度も何度も(恐縮至極!)。人生の一大転機でさぞかしお忙しかったはずなのに、きちんと対応してくださって...ほんとうにありがとうございました。そして、大学の公式サイトを拝見すると、今後はおもに「メディア論」での教鞭をとられるようで、いやぁ、学生さんが羨ましい(私も聴講しにいきたいです)。
柳瀬さんは今年の1月14日よりnoteにて、「メディアの話」というタイトルでコラムを開始していました。現時点でそろそろ80回に到達しようという連載(作中では<2月末時点で、40本以上>との記載あり)。...いま思えば、新しいキャリアに向けてのウォーミングアップも兼ねていたのかな。小誌今号への寄稿作は、その記念すべき第1回目のヴァージョン・アップ版、コラム連載に至る背景も率直に語ってくださった貴重な一篇です。きっと、いずれさらに拡大ver.として本にまとまるはず、と確信しますが、区切りの日である2018年4月1日付けで、そのプロトタイプを誌面化できたこと、発行人として嬉しく存じます。
まず、30年ぶりにマーシャル・マクルーハンの『メディア論』を読んだことがきっかけで<今日から、「メディア」について、いろいろなことをメモ代わりに書いてい>くことにした、と語られています。そして、同書を知ったのは高校姓の頃で、竹村健一さんがテレビか雑誌で話していたので興味を持った、と。竹村さん! 私もテレビで毎日のように見かけた時代のこと、よく覚えています。日本テレビの朝の番組で時事解説みたいなことを月〜金でやってて、女性アシスタントがけっこうやり込められて、何人か替わったような記憶が。一番あしらいが上手だったのが、いまの都知事・小池百合子さんだったんじゃないかな。
そしてもう一人、柳瀬さんをマクルーハンの本に導いた重要な人物として、南伸坊さんの名前が挙がっています。南さんとの逸話には竹村健一さんも登場するというメタ構造なのが、柳瀬さんらしい一筋縄ではない語り口で...みなさま、小誌を手にしてぜひその後の展開をお楽しみください(もちろんnoteでも読めるんですけれど、第1回目は、ぜひぜひ小誌で)! そして、note連載は第2回以降もじつに示唆に富んだ内容でして、私は<その2>でのユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞解釈(とくに<あなたの目の前のすべてはあなたの味方なのだ>という箇所)で、脳がぶっとびそうなくらい納得してしまいました。
もちろん、マクルーハンの本を直接読んだわけではない。たしか、評論家の竹村健一さんが、テレビか雑誌でマクルーハンの話をしていたのを、ちらっと見た。マクルーハンというヘンテコな名前だけが、脳みそにひっかかった。
当時、竹村健一さんは、91分けの実に実に個性的な髪型で、テレビをはじめとするマスメディアに朝から晩まで登場していた。たいがいの対談相手の話は「だいたいやねえ」と持論に引き込んで、まったく聞いていない。そしてパイプを片手にやおら手帳を1冊取り出し、「私なんかこれだけですよ、これだけ」とまくしたてるのだ。
あれだけテレビに出ていろんな偉い人と渡り合って、でも、手帳1つで情報管理をしている。なんたるかっこよさだ!
……とは、ちっとも思わず、高校生だった私たちは、生徒手帳を学ランの内ポケットから出して「私なんかこれだけですよ、これだけ!」と真似をするのであった。男子高校生はいつの時代もバカである。
竹村さんの「これだけですよ、これだけ」は、たしかコマーシャルになっていた。YouTube で検索したら、出てきた。MSシュレッダーである。
ウィッチンケア第9号「南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。」(P090〜P095)より引用
goo.gl/QfxPxf
柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品
「16号線は日本人である。序論 」(第5号)/<ぼくの「がっこう」小網代の谷>(第6号)/「国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と」(第7号)/「国道16号線をつくったのは、太田道灌である。」(第8号)
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Vol.14 Coming! 20240401
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