2018/05/29

vol.9寄稿者&作品紹介34 我妻俊樹さん

コンスタントに新作を発表し続けている我妻俊樹さん。今年1月には「忌印恐怖譚 くちけむり 」(竹書房文庫)が刊行、またWeb光文社文庫のSSスタジアムでも順調に掌編を連載しています。小誌でも創刊号からずっと、書き下ろし作品を寄稿くださっていて...これらを本のかたちにまとめて世の中に出したい、と私は常々願っているのです。作者自身がメディアに登場することはあまりないが、作品は確実に積み重なっている。とくに小誌での掲載作品は実験的な要素も多くて、「ホラー作品」「怪奇小説」といったジャンルでは括りきれない、まさに我妻ワールド。これが小誌各号でばらばらにしか読めないのは、ちょっともったいない状況だと思います。

我妻さんの今号への寄稿作には、なぜか寿司が頻出します。いや、べつに寿司職人が主人公とか、あるいは江戸前寿司の歴史が語られているとか、そういうことではないのですが、作品を読んでいて引っかかってくるのは、なぜか寿司。たとえば、冒頭からして<夜は最初から頭の中で考えていたことだった。電車を降りたら寿司屋に寄ること。どんな寿司屋でもかまわない。きっと回転寿司の、それも一皿百八円だとわかっている店に入ることは、容易に想像できる。だからというわけではないが、あえてどんな寿司屋でもいいことにした>...。

他にも、<電車を降りたら、まっすぐどこかの通りを行けばあるだろう、寿司屋。日本はもうすぐ、寿司屋のコンベアがつながって一周する国になろうとしている><寿司屋は無数の点として、線でつながれるのを待っている><夢の中でわたしたちは寿司は川を渡るのだと知った。橋の欄干がベルトコンベアで、そこにうっかり手を置くと寿司をつかんでしまう。つかんだ寿司をレーンにもどしてはいけない。マナーを子供たちにしっかりと伝えたい。心から心へ>...。

そして極めつけの寿司シーンは、終盤に差し掛かるところでの...<わたしの子供時代は、回転寿司のない時代である。今ではコンビニへ行くのにコンベアをくぐっていく。地面に這いつくばって。コンビニで、握り寿司を買って帰ってくる。コンベアのうに軍艦をとびこえる。寿司が寿司をよぎる>。なんだか寿司に惑わされて、作品の本質を私は見誤っているかもしれませぬ。みなさま、ぜひ小誌を入手して、この一篇の本質を究明してみてください!



十一月の終わりだったと思う。夜にはおにぎりが余り、冷え切っていった。凍ったわけでもないのに、硬くて歯が立たなかった。つめたさをそう感じたのかもしれない。近所のスーパーは二十二時閉店だから二十時頃に出かけ、パック寿司を漁ろうとしている。太巻きや鉄火巻き、かっぱ巻きなどは、空腹や頭痛は見過ごされて、冷蔵ケースに余っており、いなり寿司は最後の一個で、迷っているうちに女が持ち去り、それらは全部二十パーセント引きだった。握り寿司は何のシールも貼られていない。そんな! あの夜中のおにぎりの石のような拒絶、みたいな人が時々そばに立っている。友達でも家族でもない、そういう人ににらまれて手を伸ばすと、また空腹は見過ごされ、ペットボトルのコーラは大きすぎるものを買った。残して気の抜けたそれを風呂場に流すのが好きだ。

ウィッチンケア第9号「光が歩くと思ったんだもの」(P212〜P216)より引用
goo.gl/QfxPxf

我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品
雨傘は雨の生徒」(第1号)/「腐葉土の底」(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「たたずんだり」(第3号)/「裸足の愛」(第4号)/「インテリ絶体絶命」(第5号)/「イルミネ」(第6号)/「宇宙人は存在する」(第7号)/「お尻の隠れる音楽」(第8号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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