2012/05/31

寄稿者&作品紹介コンプリート雑感

当ブログを遡ってみたら、昨年の寄稿者紹介文(14名)がコンプリートできたのは5月30日。あっ、でも4月22日からスタートしていましたので、今年の22名紹介は駆け足でございました、ノンストップで。いまはちょっとほっとしていますが、しかしここはあくまでも通過点。

おかげさまでウィッチンケア vol.3を読んでくださったかたからは、嬉しい言葉をたくさんいただきました。そのなかの「次号も楽しみです」...お〜っ、もちろん楽しみにしてくださいと感謝&気が引き締まるが、内心ちょっと「いやいや、まだ今期のペナントレースは始まったばかりで...」みたいな。そういえば最近ちっとも地上波で見かけないプロ野球ではやっぱりジャイアンツが調子を上げているようですが(杉内選手おめでとう!)、ベイスターズの選手はきっとストーブリーグや来期のことなど考えず、1試合1試合を真剣に戦って強くなろうとしていることと。

ということで、6月1日に第3号の最新媒体概要をアップし、3月からの作業に一区切りつけるつもりでいます。でも、あくまでも通過点。6月の私はWitchenkareがさらに先に進めるように(あるいは横に振れたりワープしたり)、いろいろ動いてみるつもりです。みなさん応援してくださいね!

※下記URLがvol.3寄稿者&作品紹介のまとめサイト。ぜひアクセスしてください。
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22934052918/witchenkare-vol-3-2012-4-1-a5-190-980

2012/05/30

vol.3寄稿者紹介22(多田遠志さん)

黒電話の時代...私は玄関脇の電話台(居間ではなかった)にそれが鎮座していた時代を経て現在の通信環境(も刻々変化)に暮らしているわけですが、いやぁ、あいつは融通が利かなかったけれどおもしろかった。少しまえに通常業務で映画「ALWAYS三丁目の夕日’64」の書籍制作に関わりまして、そのさい堀井憲一郎さんにインタビューをしたのですが、ほぼ同世代ということもあって黒電話にまつわる逸話には事欠かず(ほぼ恋愛絡み)、原稿量が3倍あれば盛り込めたのにといまでも残念。あっ、でも電話(や手紙やメールやSNS)による言葉のやりとりのもどかしさは、じつはあんまり変わっていなかったりするのかも、という気持ちもあり。ややっこしいから恋愛なんだよね、ビジネスでも交渉ごとでも戒律でもないんだから。

ロフトプラスワン」のスタッフで「映画秘宝」などのライターとしても活躍している多田遠志さん。ストーリーテラーとしての引き出しの多さ、「恐怖を喚起させること」についての造詣の深さは、ウィッチンケア vol.3掲載作品を読んでいただければわかるはず。ちなみに私と苗字が同じなのは単なる偶然で、個人的には生まれて初めて自分も多田なのに相手を「多田さん」としてお話しすることになり、全国の佐藤さんや鈴木さんの気持ちが少しわかりました...って、佐藤さんや鈴木さんはもう慣れっこか。

「電話のお姉さん」に登場する黒電話は、やさぐれているがみょうに理性的、しかも記憶を人間みたいに都合よく消去/捏造できないところが、宿業というか...いやぁ、この物語を読むとやっぱり「言葉のやりとり」の本質は変わらないような気がしてきて(手段だけが変化し続ける)、昨今ビッグデータなんて専門用語で呼ばれていることの実体がやがて顕在化する世の中がきたら、つまりデジタルストックされた通信やネット上の過去(非構造化/Lostなはず...)データが、いつか“最新の手段”にいたこして語り始めたりしたら...それこそが今作の続編かもしれませんね、多田遠志さん!


 その日も深夜、私はもう今日のコールの峠は越したかな……と気を抜きかけていた。
 その時電話が鳴った。いや、それはこの事務所では当たり前の、日常過ぎる事なのだが、音が違う。通常なら一斉にプッシュホンの音が鳴り響くのだが、そんな軽快な電子音ではない。重々しい、金属を打ち震わせて奏でる、そのコール自体が凶報であるかのような。……間違いない、あれは旧式の黒電話の音だ。
 この事務所では黒電話など見た事も、まして音も聞いた事がない。あまりに唐突な音に私は飛び上がる。所長の机の裏、よく一般家庭の廊下に置かれていたような籐製のヤニった電話置き。その中から音は聞こえてくる。下部の引き出しをあけると、そこには本当に鳴り続ける黒電話があった。
 何故こんな所に黒電話があるのか、何故今まで気付かなかったのか。そもそも回線は繋がっているのか等々、冷静に考えればおかしな事だらけだった。いらだつようにベルは鳴り響き続けている。半ば反射的に受話器を上げた。「もしもし? ……」何の音も声もしない。おそらく回線の接続ミスか、この黒電話自体の故障か、そんな所だったのだろう。半ばほっとして、半ばは少し「なぁんだ」という失望を感じつつ受話器を置こうとした。
「あーあ、待てよ、切るなよ」
 ……程々にしないと、そう頭の中では告げられているのだが。
「まぁいいさ。俺も長い事ニンゲンと会話してなかったからな、話し相手になりそうな奴がいたからまずはご挨拶、ってトコだ。……また連絡するわ」

 ……通話は切れた。何だったのだろう。外からの困った人々からの電話は慣れている。しかしこの通話はそのどれよりも異質だった。もちろんこの電話が話しているとは限らない。外部からの音声変換機を使った、ここの内部事情に詳しい者からの手の込んだイタズラの可能性だってある。それとも私の精神がどうにかなってしまっているのか? ……判らなかった。どうせイタズラだろう、その辺りでタカを括っておく事にした。


Witchenkare vol.3「電話のお姉さん」(P164〜P185)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/29

vol.3寄稿者紹介21(木村重樹さん)

iTunesを短くもなく使っているといろいろな変化に気づくものでたとえばいつのまにかデヴィッド・ボウイがオルタナティヴみたいなジャンルのタグづけになっていた時期があって私は「ボウイはグラムだろう」とか1人ツッコミながらめんどくさいのでほとんど「Rock」「Jazz」みたいにざっくり振り分けています(Bill Brufordはどっち?)。しかし、そもそもロックそのものがオルタナだったんじゃ...いつのまにかロックのなかにオルタナが派生しそのオルタナって冠もあまり意味をなさなくなり...なんか似た響きの連想ゲーム。カウンターカルチャー、サブカル、反体制、インディーズ...あっ、過日とある大手出版社の文芸誌編集者から「そもそもこの世の中では文芸誌自体が全部インディーズです」と言われたことを思い出した。ごもっともですがちょっと寅さん気分。それを言っちゃあおしまいよw。

西荻ブックマークのイベントでは進行役としてお世話になった木村重樹さん。編集者/ライターとしてだけでなく現在は大学の先生としても活躍中です。つい先日もパスタとピザで世相放談会を開いたのですが、腰痛の具合はいかがですか? そういえば寄稿作品には私は最初「オルタナの賞味期限」なんて勝手な煽り仮タイトルをつけていましたっけ。ほんとうは「私が通り過ぎていった“お店”たち ○○編」みたいな構想があったのかもしれず、鶴見済さんと木村さんの対談を拝見して私が思いついたことにぎっちりした考察ありがとうございました。私は最近はある事象に対して所謂オルタナ的なスタンスを探るよりも、いかに丸呑みするかに興味が沸いています。

「更新期の〝オルタナ〟」は自身もレイヴカルチャーに新しい可能性を見出していた(と推察...)木村さんが、あのできごとも含めて振り返った作品。そういえば上記の連想ゲームで列記した言葉はどれも、あまりよい風合いを出せずにくたびれてきたジーンズみたいで(それらに「インディーズ」が入っていることは自覚していてw)、すでに「オルタナ」も仲間入りでしょうか? 木村重樹さん!


 それに近い心境として、こんなことを思います。「311以降のこの国で、わたしたちが再び(何の不安も心配もなく)自然の中で集い・踊れる日は果たして来るのだろうか?」と(〝この国〟と言っても、広いようで狭く、狭いようで広いことは、十分承知の上で……)。
 もうひとつには、その正面突破ではない「オルタナ」独特の柔軟なアプローチ……たとえばそれは、DiYカルチャーにせよ、新しい社会運動や市民運動にせよ、地域通貨から贈与経済まで、それらの今日的な意義や将来的な可能性に最大限のエールを送ってあげたいのと同時に、「果たしてそれら〝だけ〟で必要十分なのかしら?」という心配も(こういうモヤモヤしたご時世だと)なかなか払拭できません。
 とりわけ、先の大震災や原発事故のようなスケールの大きすぎる……ほとんど地球史規模のトラブルに遭遇して以降、「オルタナ」の〝しなやかさ〟は時として〝生ぬるさ〟や〝心許なさ〟に通じないのか、といった懸念をつい抱いてしまいがちなのです。


Witchenkare vol.3「更新期の〝オルタナ〟」(P154〜P163)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/28

vol.3寄稿者紹介20(高橋宏文さん)

ウィッチンケア vol.3にはPrefab SproutThe Blue Nileという英国のバンドをテーマにした作品が掲載されています。ブルー・ナイルは、私は2作目の「Hats」を六本木WAVEで見つけて買ったと記憶。すぐ気に入って1作目の「Walk Across the Rooftops」も入手して、最初はファーストのほうが輪郭のはっきりした感じで好きだったかもしれない。当初はトニー・マンスフィールドやルパート・ハイン絡みのエレポップ(遅れてきたエレポップ...)、あるいはIt's Immaterialの「Song」あたりと一括りでひそかに愛聴していたのですが、いやぁ、こんなに長く、しかも聞けば聞くほど好きになるとは。それで、個人的にこのバンドが好きな理由でもっとも重要なのは「エレポップのくせに...」ってことです。やおやのくせにこれかよ! というニセモノの凄さ。同じ感覚はスライ・ストーンやプリンスにも持ちまして、その場合は「ソウルのくせにこれかよ!」...うまく説明できないのでやめとこうかな、ブルー・アイド・ソウルならではのグルーヴとか...やめとく。

高橋宏文さんのことをよく知らないころ、私はFacebookで「お〜、私もブルー・ナイルが好きなんですが、なんか、詳しいっすね」みたいな会話をしていました。まさか4作目「High」の日本盤ライナーノーツ執筆者とも知らず。あはは、詳しいはずだ。バンドのメンバーや関係者にも取材している人なのですから。J-WAVEの番組レポーターとして世界28ヶ国を放浪したり、ラジオの構成作家としても活躍する高橋さんは、最近は自身が撮影する写真熱が高まっている、との噂も。今年はリーダーのポール・ブキャナン名義アルバムも発売されたことだし、飛躍の1年になることを祈念致します!

掲載作品「ブルー・ナイルと出逢った人生」のなかで高橋さんは、〝We Could Be High〟という歌詞の一節について「この〝High〟という言葉には何か希望のようなものがこめられていると感じられる」と書いています。この感覚、わかるな。好きな歌が自分のものになって新たな意味を帯び始める...作り手と聴き手という関係が、よりハッピーなものに変化する瞬間の描写ですよね、高橋宏文さん!



 あれから15年が過ぎた。その間に旅もした。恋もした。紆余曲折を経て、ブルー・ナイルと会える機会がありそうだからという理由だけでFMラジオ業界にも飛びこみ、同時に雑誌のライターとしての仕事も始めた。そして念願叶って、ポール・ブキャナンと実際に会ってインタビューもできた。その後もマイペースで活動を続ける彼らのことだから、2004年の〝High〟リリース以来、例によって現在までほとんど音沙汰なく沈黙していることは一向に気にならない。それでも僕の人生のどこかにはいつも彼らの存在があった。
 ときどき、なぜこれほどまでに僕の人生を変えてしまう存在になったのだろうか、と考えることがある。単純にサウンドの雰囲気やメロディが好きということであれば、他にも好きな音楽は山ほどあるのに、自らの生き方にまで影響を及ぼしているのは、ブルー・ナイルを除いて他には存在しない。あらためて考えてみるとそれは結局のところ、彼らの「うた」がもたらす何かによって、人生の本質を見つめることが刺激されてしまうからなのかもしれない。このことが最近少しずつ理解できるようになってきた。


Witchenkare vol.3「ブルー・ナイルと出逢った人生」(P148〜P153)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/27

vol.3寄稿者紹介19(やまきひろみさん)

こんなにおしゃべりな私ですがそれでも長ずるにつれて心というか感情というかそういうものはどんどん閉ざす方向に進んでいまして、もうね、最近は余生全部天気の話だけしていようかとも...ってなにが言いたいのかというとたとえば「オレは心を閉ざしているんだ」とリアルタイムの言葉で表明することの虚しさでして「それってつまり言いたいことがあるならいま言えばいいじゃん」みたいな斬り返し一撃でOK!? じつは個々の個性ってそれほど個性的ではなかったりしてだから言葉にするそばから「それってつまり〜じゃん」ってな既存の言説に還元されちゃったりしてそれもなんだかなぁ、個にとってはとても大事で唯一の個の問題でしかありえないのに。小説という言葉の表現は、そのへんの虚しさに対しては比較的耐久性が強いのではないかと信じています、きちんと読んでもらえればだけれども...。

ライターとして着実なキャリアをこなしてきたやまきひろみさんは、個人的な小説を書くことで、心に秘めているなにがしかの感情を注意深く解いているのかもしれません。それはウィッチンケア vol.2掲載作「ふたがあくまで」でも感じたことで、煎じ詰めれば「人になにかを伝えたい」ということなのだと推察しますが、しかし自分の思っていることを言葉にすることと、それが人に伝わることはまったくの別問題でして。感情にまかせて思いの丈をぶちまけてさらに「なんでオレのことわかってくれないんだ!?」とか、そういうのはぶっちゃけじゃなくてただの馬鹿。

福島県出身のやまきさんにとって、あのできごとは私なんぞの想像を遥かに超えて自分の一部です。それでも寄稿作品「小さな亡骸」はあのできごとについて書かれたものではなく、たぶん、「伝えられなかった」ことに区切りをつけるための物語。「それってつまり三角関係の縺れじゃん」ってな言説にびくともしない、静謐で強い作品ですね、やまきひろみさん!



 あれから三十年以上たった今、そんなことであそこまで頑なになった自分の小ささを私は恥じている。しかし当時の私はあいつに対しても百合子に対しても心を閉ざした。あいつがどんなに話そうとしてきても徹底的に無視した。さらにこれは意図せぬことだったが高校三年になる春に家の事情で私は東京に引っ越すことになり、あいつとも百合子とも二度と顔を合わせることはなくなった。
 恵子は東京の私に時々手紙を送ってくれた。高校卒業後、あいつは地元の原子力発電所の関連会社に就職し、その四年後に百合子と結婚した。そういうこともすべて恵子が手紙で教えてくれた。
 よかったな、とあいつのことを思った。東京で新しい生活を始めた自分には、生まれ育った町のこともあいつのことも初恋のこともすでに遠い記憶の中にあり、そこに懐かしさや置いてきた何かに対する感傷めいたものを見いだすことはもはやなくなっていた。
 なにもかも忘れたつもりでいた。しかし忘れたわけではなかった。

Witchenkare vol.3「小さな亡骸」(P140〜P147)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/26

vol.3寄稿者紹介18(友田聡さん)

味噌...できたてのあさりの味噌汁っていうのはなんとおいしいのでしょう! じゃがいもとタマネギの味噌汁も甲乙付けがたいが、こちらは具のうまさがかなりポイント稼いでいる感じで、ちょっとお料理っぽいところが嫌。あさりのほうはなんといっても汁が美味でして、とくにひと啜りめの、あの悶絶しそうな味噌と貝のハーモニー♪ あれは味ではなく音楽。殻が鼻先にあたっても福音。味噌...おにぎりにも合います。炊きたてごはんを握って両手の平に味噌塗り広げてさらに数回握るだけ。冷えるととたんにまずい。でも焼かなくていいです、アンチ焼きおにぎり。味噌...味噌ラーメンにコーン以外のトッピングはいらない。そもそもトッピングじゃないでしょ、味噌ラーメン! 北京鍋で具入りスープつくってほしい。味噌...手の込んだ使われかたしてると、それがどの国のどんな料理であっても「なんか炸醤麺みたい」と思ってしまう。味噌...味噌...とり乱してスイマセン。

そんな味噌を自分で仕込んだ友田聡さんがじつは16ビートを小気味よく刻むドラマーでもあることを、私は知っている...。友田さんが主宰する【暮らしのリズム】は「先人の知恵、和の文化を通じて暮らしを楽しもう」を合言葉に落語会開催などの活動をしていますが、「リズム」っていう単語が入っているあたりに、音楽人間であることの気配がちらりと!? 近年は食まわりに関する催しも増えてきているようですが、いずれ醤油や塩や日本酒なんかもつくるのでしょうか(法律の壁がありそうだから無理か...)? でも、たとえば上記の味噌おにぎりだって最近の風潮だと「安全基準をクリアした指定の手袋はめて握れ」ってなことになりそうで、そんな世の中の方向性をなんだかな〜、と思っている私は、友田さんの試みを応援したいです。

友田さんの寄稿作品「手前味噌にてございます」は、自身が味噌仕込みをすることになった経緯だけでなく、チャレンジしてみようと思う人にとって役立つ、実用的なノウハウも書かれています。私の実母も以前は手前味噌派だったのですが、できた味噌は家族で食べるだけでなく、友人にお裾分けして喜んでもらうのも大きな楽しみですよね、友田聡さん!



 手前味噌を仕込んでみようと思い立ち、初めて取り組んだのは、八年前(平成十六年)のことでした。きっかけは、いいリズムで暮らしているとある知人からお裾分けで戴いた手前味噌をひと舐めしたこと。瞬時に蘇ったのは子供の頃の記憶で「こういう風味の味噌、苦手だったなぁ」という懐かしい想いでした。が、齢四十も半ばになるまでには、子供の頃に嫌いだった個性の強い食べ物を次々と克服し、知らぬ間にそれが大好物になっていたりするもので、次の瞬間には「この味噌、美味い!」ということになったのです。朝、その味噌で味噌汁を仕立てると、雪平鍋から立ち広がる芳香にくすぐられ、遠く懐かしい記憶はより鮮明なものとなり、実家の光景が脳裏に広がったかと思えば、その頃の感情の起伏までもが思い出される、ちょっと不思議な体験をしたのでした。それからしばらくして、その知人から「実家で一年分の味噌を仕込むのでご一緒に」というお誘い
を受けたので積極的に乗り、手前味噌仕込み初体験が実現します。「えっ? これでおしまい?」というほど作業はシンプル。これなら自分でもできるだろうと決意したのでした。


Witchenkare vol.3「手前味噌にてございます」(P134〜P139)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/25

vol.3寄稿者紹介17(澤水月さん)

私にもなんかひとつくらいコワい系の持ちネタなかったっけ、とさっきから思いを繞らせてみたのですが、うぬぬっ、何度か正夢を見たってくらいかな...逆夢は1種類だけくり返し見るのがあって、そのつど魘されますが(大学の仏語1の単位が取れてなくて卒業できなかったって夢。最近でもまだ見るYO!)。でっ、正夢のほうは、予知的なものより既視感的なもののほうが圧倒的に多くて、前者では数ヶ月行方不明だったあるものが夢の中に突然現れて、目が覚めてすぐ母親に「今日見つかる」と話したら夕方まったく知らない人から連絡があって、あれはまさに正夢。後者のほうでは夢を見たことさえ忘れていた状況が、日常生活で「あれ〜!? このシーンに以前立ち会ってるよ、オレ」になっちゃうことで、こういうのってなんだろ。既視を察知した途端、たとえ楽しい時間でも血管が軋むような悪寒を覚えるのだけれど、記憶より身体のほうが敏感ですね。

澤水月さんは私なんかよりはるかに世の中の恐いものと交流(交霊!?)を重ねてきたようで、今号のウィッチンケアには、そんな澤さんがこれまでに見聞きした奇譚が時系列で紹介されています...っていうか、そもそも、澤水月っていう筆名がさりげに恐いし(ついでに申しますと、Twitterやtumblrのアイコンも!)...いえいえ、薔薇栽培の好きな心優しい女性でして、筆名は泉鏡花と澁澤龍彥に由来するそう。以前「解放治療」という同人誌で村崎百郎氏にロングインタビューしたことがあり、一昨年出版された「村崎百郎の本」でも編集協力/執筆。新聞やホラー誌「TRASH-UP」、フリー誌「Rooftop」などでも活躍中です。

澤さんの寄稿作品「怪談問わず語り」を読んで私が思い出したのは、昔のAMラジオの深夜放送に混ざっていたノイズ。あの電波音をBGMに語られたから、読者投稿やパーソナリティの話が、よけいに恐かったような気がするのですけれどもね、澤水月さん!




 毎晩のように性霊に襲われていた先輩がいた。金縛りに遭い、髪の長い美女のようなものが先輩の下半身を弄ぶのだという。「霊感があるから幽霊には慣れっこ」と普段から自称していた先輩のため、割と恐怖より好奇心と快感に身を委ねていた。ついには霊の唇によって達させられるまでに至った(物理的に射出物がどうなっているのかは聞きそびれた)。
 あるときまた美女が現れ、金縛り、めくるめく時を過ごし……霊がいつもと違う動きをして先輩の胸元よりさらに這い上がってきた。
「ワタシニモ同ジコトシテ」の意と汲んだ先輩は、日頃の御礼に(?)口だけ何とか動かし、ずり上がってくる霊のそこを待ち受けていたが。
 眼前に現れたのは見慣れすぎた光景だった。よく見るものがそそり立っている。美女ではなく、そいつは男だった……。
「幽霊は怖くないけどアレばかりはな」と先輩は頭をかいた。その時、どう対処したのかはついに教えてもらえなかった。


Witchenkare vol.3「怪談問わず語り」(P128〜P133)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/24

vol.3寄稿者紹介16(稲葉なおとさん)

何度も繰り返して申し訳ないのですが(と書きながらまた繰り返すのですが)、ウィッチンケアは寄稿者にとって「いつもとはちがう場所」でありたいと思うのです。試作/実験の場、それも、ここで撒いてみた種がいずれどこかで花を咲かせるような...小誌が何号まで続くのかわかりませんし、この先どんなことが起こるのかも予測不能ですが、私の目が黒いうちは(髪の毛には白いものが混じってきましたが)、この路線だけは堅持したい、と。

まだ見ぬホテルへ」「0マイル」などの著者・稲葉なおとさん。現在は「週刊現代」に世界の名建築ホテルを訪ね、写真と掌編小説を載せる「あの日、あのホテルで — In That Day, at That Hotel」を連載中です。そんな稲葉さんが小誌に寄稿してくれたのは、名建築もホテルも出てこない、とってもインドア系の物語。原稿を受け取った後、校正段階での稲葉さんとのやりとりを思い出します。このような作品はいったい○○小説と呼べばいいのだろうか、とか。私のほうからはインテリアホラーノヴェル、とか、その場の思いつきでずいぶん勝手なことを申しましてどうもスイマセンでした! でも、その後のFacebookでの読者のかたとのやりとりなどを拝見していると、いまはゾゾゾ小説...って、なんか、ゲゲゲの鬼太郎みたいで重ねて陳謝!

稲葉さんの新境地が楽しめる「段ボール」は、あっと驚く...とくに夜中にひとりの部屋で読むのがオススメ! 作者の既刊が好きで予備知識なしに読むと、びっくり箱のようかも知れませぬ。まさか稲葉さんがこの路線に目覚めて今後ひた走る、とは思いませんが、俳優がさまざまな役をこなして芸風を広げていくように、いつの日か今作が新たな物語に大きく還元されることを祈念します、稲葉なおとさん!


 自分の父親が、世間一般の常識からすると、かなり異質だと自覚したのは、中学二年のときだ。その頃、ひそかに好意を寄せていたテニス部の先輩が、うちに遊びに来てくれたところへ、父親が帰ってきた。玄関にきちんと揃えた先輩の大きなスニーカーを見たのだろう。お客さんか、という声とともに、部屋にずかずか入ってきた父親は、先輩の眼も気にせず、いつもするように、こっちの上半身をぎゅっと抱きしめながら、ただいま、といった。子どもからの、お帰り、という返事を聞くと、父親は満面に笑みを浮かべながらようやく両腕の力を抜いてくれて、先輩に向かって、いつもマサミがお世話になっています、ごゆっくり、といって部屋から出ていった。視線を先輩にもどすと、その口の端が、溶け始めたソフトクリームみたいにみるみる垂れ下がっていった。
「いつも、あぁなのか、おまえの親父さん」先輩はようやく口にした。
「そう、ですけど……」
 先輩の表情に圧されて、父親からは、いつもはハグだけではなくキスも求められるんです、とはさすがにいえなかった。こっちが出かけるときも、帰ってきたときも、父親が出かけるときも、帰ってきたときも、そして、寝るとき……。

 翌日も、まるで定期巡回中の警備員みたいに、父親は夜九時にやって来た。解凍した枝豆を肴に、ビールを呑み、仕事の愚痴をいう。そろそろ帰ってほしいと思い、空のグラスと缶を片づけたところで、白く光るタイルの上を動く物が眼に入った。焦げ茶色──。


Witchenkare vol.3「段ボール」(P120〜P127)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/23

vol.3寄稿者紹介15(木村カナさん)

どんな動物が好きですかと問われたら、いまの私はヒトとしか答えようがないかもな〜。いやヒトもちっとも好きではないんですがw、でも...比較的寿命が長いから...まあ、いいや。私、実家に住んでいたころには犬がいまして、もちろんもう生きていません。それが嫌で、いわゆるペットは飼わない。それでも10年まえくらいまでは町猫というか、このへんをうろついているニャンコにかまってもらえて、ひとりで仕事しているときもそいつが部屋の隅で寝てたりしたものです。mabinaって名前を付けたり、ミルク用の皿を用意したり、煮干しがなくなると駅前の乾物屋で買ってきたり、姿を見せないと心配したり。ああオレは支配され出したな、と思ったものでしたが、そんなmabinaはある日ぷいっと失踪。消息!? わからない〜(わかりたくない...)。

ジャイアントパンダの寿命は飼育されると約30年だそう。木村カナさんはウィッチンケア vol.3への寄稿作品で自身のGP愛を爆発させていまして、その対象への愛の目覚め、距離のとりかたがおもしろかったです...ってやっぱり私はヒトへの関心!? いやいや、いままで知らなかったあれこれがわかり、GPを見る目が変わりましたとも(熱にやられた〜)。木村さんの文章は「ユリイカ」2005年11月号(特集*文科系女子カタログ)に掲載された「二十一世紀文学少女・覚書」という作品でファンになりまして、そういえば同作の書き出しは「私は、いまに気が狂うかも知れません。」という太宰治の「千代女」からの引用だったっけ。

今回の木村さんの寄稿作品「パンダはおそろしい」は、「What immortal hand or eye. Dare frame thy fearful symmetry ?」というWilliam Blakeの引用から始まっています。どんな不死の手または目がおまえのおそろしい均整をあえてつくったのか...そして、そのおそろしさになんと深く魅了されてしまったことか、木村カナさん!


 パンダがもてはやされるのは、独特の見た目の魅力ももちろんあるけれど、生息地がきわめて限定されていて、個体数が少ないせいもあるだろう。それゆえに、自然環境保護のシンボルにもなるし、外交やらビジネスやらにも利用される。
 放っておけば絶滅するから、と、ヒトが必死で大切にしているのに、パンダの方には、やる気があるのか、ないのか。パンダの繁殖は非常に難しいとされる。パンダの発情期は、一年のうちで、春先の三日から一週間だけ。しかも、相性が悪いと交尾が成立しない。その上、パンダは双子を産むことが多いのに、ちゃんと育て上げるのはたいてい一頭だけ。そういう習性だから、パンダ任せにしておいたら、その数はちっとも増えない。
 だから、パンダの殖える気のなさにやきもきするのはもっぱらヒトの方である。発情期に備えて交尾シーンのビデオを見せて性教育。ぬいぐるみを与えて育児の練習。交尾に備えてのダイエットとスクワット。そして、パンダの巨体を拘束し、麻酔を打っての人工授精。いずれもパンダのつがいがいる動物園で実際に行われた・行われている試みだ。ヒトも大変、パンダも大変、とんだ一大事である。
 近年には、双子で産まれたパンダを、飼育員がすばやく確保し、双子のパンダを、親元と人手の間で、定期的に入れ替えながら哺育していく、というメソッドが中国の保護研究センターで開発され、成功を収めている。ここ数年、インターネットでよく目にするようになった、赤ちゃんパンダの集団の画像や動画は、その成果なのである。生まれたてのうちから、半ばヒトが育てることによって、パンダの増産が可能になった、というわけ。


Witchenkare vol.3「パンダはおそろしい」(P114〜P119)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/22

vol.3寄稿者紹介14(我妻俊樹さん)

3月末からTwitterをウィッチンケアの媒体名義アカウントで始めてみまして、それで、より多くのかたにお知らせしたいことならいろいろ思いつくのですが、しかし所謂「つぶやき」ってやつをなかなか思いつかず...はっきり言っておもしろくない使いかたしかできていません。...テレビの生バラエティ眺めてても、映画のプロモーションで出演した映画俳優なんかの「お知らせしたいこと」(何月何日からどこで上映etc.)はちっともおもしろくなくて、MCにいじられたときの表情や何気ないひとことがおもしろいもんなぁ。Twitterってくらいですから肉声、もとい肉言葉を公開しちゃうのがキモなのかも。

そんな私ですが、我妻俊樹さんのTwitterはいつもカッコいいな〜、と思って読んでいます。tumblrなら「リブログ」、Facebookなら「いいね!」、笑点なら「山田くん、座布団1枚!」、みたいな感じで我妻さんの「つぶやき」が「お気に入り」にどんどん増えていく。つい最近も「理解する」ということについて、こんな感じでピシッ。「喜劇 眼の前旅館」というブログを主宰している我妻さんは小説を書くだけでなく歌人でもありまして、Twitterの140字という縛りがよい方向に作用しているように思えます。

昨年の打ち合わせで、私は我妻さんに「名刺代わりのポップな1作をぜひ!」とお願いしてみました。vol.3掲載作品「たたずんだり」はそんな私のオファーに対する解答なのか、それとも!? ぜひみなさんが読んで、判断してください&語ってください。たとえ理解できたか理解不能だったかについてだとしてもいろんな肉声や肉言葉が飛び交ったほうが送り手としてはなにかとおもしろいですよね、我妻俊樹さん!






 そしてあなたはといえば、べたべたの小麦粉と卵を溶いた服だけで、飛び出していった先はからっと揚げてあなたの天ぷらにしてくれる油の池ではないんだ。すべてを流してしまうにきまっているどしゃぶりの雨だ。
 そのあらわになった乳房や尻に、なんの関心を示すこともない男のところへ、自然と足が向かう。
 道は一本で鏡の奥のように前後の区別がなく、遠くから見れば光の輪の中を歩いてるだけかもしれない。
 東京が点になるほど遥か遠くの町から見れば。
 家賃が払えなくなっちゃったの、とあなたは冴えない顔で恋人に明かすけれど、恋人は聞こえないふりをする。だって彼にはもうひとり恋人がいて、その人はとてもお金がかかるのだ。
 あなたは、あなたの取り柄であるお金のかからなさを、恋人に証明することを忘れるくらい、切羽詰まってたのでしょう。いつもの鼻の光が消えている。なのに視線が射抜いてるのは、地球からは見えない天頂にかさなる下から百番目の星。
 クビになったバイトのことを、まるで破り捨てられた洋服のように語るのだ。あなたは実際、灰皿の灰のように歴代の店長から捨てられてきた。なのに恋人はうしろからバスタオル一枚肩にかけてくれない。恋人は察しが悪く、慢心家で、右耳のほうがひとまわり小さくて、扉の裏に「漁師小屋の写真」が貼ってあり、意外なほど病弱だった。三回に一回は帰ってほしいという顔をしていた。その顔のうしろで、時計の針がかちっと重なる。それが私には未完成の高速鉄道の陸橋のように見える。
 ねえ何かつくってくれない? 恋人は退屈のあまり空腹をおぼえ、あなたにそう依頼する。あなたがうなずくと、料理をする人が裸ではまずいとでも思ったのか、彼は模様のついた大きな布をかかえてもどってきた。それが古いカーテンであることにあなたは気づかない。今では寝室が宇宙から丸見えになっていた。二人は無表情で、あなたの両手だけがまな板の上で踊っている。


Witchenkare vol.3「たたずんだり」(P108〜P113)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/21

vol.3寄稿者紹介13(大西寿男さん)

昭和四年生まれの私の父親はもう10年以上まえに亡くなりましたが、生前にあまりちゃんとした話をしたことはなかった。自分のことをちっとも喋らない人でした。...なんか、私の父方の祖母は祖父の3人目の妻、私の父親は2番目の妻の子...とか、いろいろ複雑で。私が生まれたころにはふつうのサラリーマンだったらしいんですが、でも大学を卒業してから勤め人になるまでのことも、よくわからない。仲俣暁生さんの作品タイトルみたいですが、思い出してみると謎だらけ。日常的には社交的でフランクな人間だったのですが、黙することはずっと黙していた。

小誌の校正も手がける大西寿男さんは、ウィッチンケア vol.3への寄稿を機に昭和五年生まれの父親とじっくり話をして、掲載作品を完成させました。「校正のこころ」「校正のレッスン」などの著者である大西さんは、インタビュアーとしても自身のスタンスを変えていないように思えます。大工の棟梁である父親を“作品”に見立てて、聞こえてくる言葉を正確に捉えようとしている。ちょっと、羨ましいです。作品を読んで、私も一度は自分から父親に「話を聞かせてほしい」と持ちかけるべきだったかもしれないなぁ、と。私のなかにある「私の父親像」は私が勝手につくりあげて自己完結しているもの...「自分のことをちっとも喋らない人」というのも、私の印象でしかないものですし。じつは黙していたのではなく、誰からも聞かれなかっただけかもしれない。

「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」の語り手:大西與五郎さんのお話には、住宅に関心のある人にとっても興味深いエピソードが数多く含まれています。建築技術について語っていても、やはり職人の気質が伝わってくる。大工さんにはならかったけれど、父親の気質はしっかり継承したんですね、大西寿男さん!



棟梁●昭和三〇年代後半(一九六〇年〜)に、木工事の工具が変わった。カンナ、ノコギリ、ドリルが電動になって、材木を切ったり削ったりするだけやなく、穴あけ、釘打ちも電動の木工機械を使うようになった。工具専門メーカーのマキタ電機とかが開発してな。
 電動化で工期が大幅に短縮された。建築の費用は、材料代よりも工賃の占める割合が大きい。そやから、工期が短くなるということは、コストも安くあがることにつながるわけ。
 昭和四〇年代(一九六五年〜)になると、輸入材が安く入るようになった。アメリカ、カナダ、ソ連から。ただし、外材は、湿気の多い日本の気候に合わない。弱いんよ。日本材より三倍くらい早く腐ってしまう。それでも、外材は節のない木目の通ったきれいな木が安く手に入るんで、みんな飛びついたんや。それまで内地材の、節のいっぱいある木(スギ、ヒノキ)を美観的に使ってたからね。
 そのためにね、日本の林業が衰退していくわけや。値段的にたちうちできない。山が荒れて、植林しても間伐せえへん。その間伐材も、以前は住宅建設の現場では丸太を足場に組んで使ってたのが、平成(一九八九年〜)になってから、鋼管足場いうて、鉄パイプを足場に組むのに変わったんや、安全上の問題もあって。むかしは足場からよう落ちてケガしとったけど、いまでは間伐材の足場で事故が起きても労災に認められなくなってきたんよ。ケガはね、電動工具が発達してケガの程度も深く大きくなったな。
 ──よしあしやなぁ。
棟梁●ほかにもな、木材の接着剤がよくなったんやな。これは大きいよ。端たんざい材を接着剤で貼り合わせて、柱や壁なんかの構造木材が作れる。一本の木から切り出すよりも貼り合わせたほうが、じょうぶで狂いがすくないからね。


Witchenkare vol.3「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(P098〜P107)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/20

vol.3寄稿者紹介12(吉永嘉明さん)

The バブル。私は20代後半に体験しました。ワンレンボディコンもたくさん見かけましたよ。夜の中央区港区あたりにうようよいた...扇子なんか持ってなかったし、じゅりあなと〜きょ〜もまだなかったんじゃないかな。「トゥーリア」「ゴールド」なんて名前は聞きましたけれども(どちらもいったことない)。そのころの私はわけあって親から多額の借金をしていましたので、ただただ馬車馬のように働いていました。

バブル崩壊後の風景でいまだに印象に残っているのは、みんなが日本の将来について激論していた渋谷のカフェバー(午前0時過ぎ)。湾岸戦争が始まって、おしゃれなお店の客席がどこも「朝まで生テレビ」みたいで。

吉永嘉明さんの寄稿作品は、そんなバブルの末期が舞台。この物語の登場人物たちってたぶん私と同年代なんだけれども、ずいぶん違う生活を送っていたんだな〜、と。なんて言えばいいんだろう...トンガッてた人々!? あっ、でもレコ屋めぐりのエピソードはとってもよくわかって、なんであのころは音楽にあれほどカネつぎ込んでいたのだろう、と。当時、私の仕事のストレス解消法はCDのどか買いと深夜のどか食いでして、六本木のWAVEで4000円くらいする見知らぬCDを買い漁ったり、「プロ野球ニュース」が流れる中華屋でひとり五目かたやきそばと餃子を食って事務所にもどり、朝までかかってバブリーな原稿書いたり。

自殺されちゃった僕」「麻薬とは何かー『禁断の果実』五千年史」などの著者・吉永さんの小説は、現時点ではウィッチンケアでしか読めません。小誌では頁数の都合もあって短編をお願いしていますが、しかしvol.2掲載作「ジオイド」、そしてvol.3掲載の「ブルー・ヘヴン」とも、もっと大きな物語へと拡がりそうな予感に溢れています。この分量じゃまだまだ書き足りていませんよね、吉永嘉明さん!






 その後も、五感の「曲がり感」はいっそう強くなり、とびきり派手な無限の幻覚の世界を彷徨う。でも、時々ハッと正気に戻る。そういうときはブっ飛んでいる自分を見ているもう一人の自分がいるかのようだ。そのもう一人の自分が「これはちょっとヤバいぞ」と言うもので、幻覚と正気に挟まれて僕は混乱した。
「小川はずいぶんキテるみたいだな」
 僕の様子を見て、コージ以外の連中がおかしそうにクスクス笑っているのが、幻覚の合間にちらちらと目に映る。コージは静脈に注射針を差し込んでいる最中だった。みんな僕ほどサイケにはキマっていないようだ。「ロウソク奇麗だよね」なんて、ノンキなことを抜かしている。微塵の余裕もなくなって固まっている僕を心配する気持ちなど毛頭ないようだった。
(こいつらは友達じゃない。[ヤリ仲間]なんだ。)
 それまで漠然としたフレンドシップを感じていたっていうのに、突き詰めれば「アカの他人」だってことが分かってしまったのだ。でも、そんなことは別段ショックじゃなかった。世の会社員だってアカの他人とよろしくやっているだろう。
 問題は、すっかりインナートリップして[自分の世界]にはまり込んでしまった僕が、自分の心の中に孤立してしまったということだ。こうなったら誰も助けられない。自分でなんとかするしかない。
[太平洋ひとりぼっち]
 ふと、昔観た映画のタイトルが脳裏をかすめる。
 アップアップの状態でまた時計を見る。1時間は経ったつもりでいたのに、3分しか経っていない。インフィニティという言葉が身に染みる。僕は考えるのを止めて、努めて幻覚の世界に身を任せるようにした。


Witchenkare vol.3「ブルー・ヘヴン」(P084〜P097)より引用/写真:徳吉久
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2012/05/19

vol.3寄稿者紹介11(藤森陽子さん)

食欲も体力の一部だったんだなぁ、とつくづく実感する昨今。高校生のころはなんであんなにいつも腹が減ってたんだろう。朝飯しっかり食べても2時限目が終わると空腹で早弁、昼休みにはパンなんか買い食いして、下校途中にラーメン、帰宅してカールや歌舞伎揚を食べながら夕飯を待って完食、自分の部屋に入ってしばらくすると腹減ってきて台所まわりをがさごそ、ついでに寝酒も失敬して...次の朝、胃もたれも二日酔いも決してなかった。体力っていうか、代謝が高かったんだろうな。近年の私は、あの嵐のような空腹感が懐かしい...。

スレンダーな藤森陽子さんにもかつては凶暴な食欲...いや、常々グルメなレディだなぁとは思っていましたが、まさか量にこだわっていた時代があっただなんて、今回の作品を読むまで想像だにしませんでした。最近はFacebookやTwitterで「BRUTUS」「Hanako」etc.の食がらみの取材に飛び回っている様子も伺っておりまして、また体調など崩さなければよいのだが、と密かに心配していましたが...なんだ、地金は食いしん坊体質だったのか! そして「藤花茶居」の屋号で続けているケータリングも楽しそうで...今度、小誌名を冠した茶話会でもぜひ開催してください。ウィッチンケア茶話会。香り高い中国茶や台湾茶をいただきながら、小誌掲載作品を朗読する、とか。

「4つあったら。」はテレビっ子で食いしん坊だった藤森さんが、兄への殺意(...そんな、大袈裟な!)を抱いた思い出を綴った作品。私はいままで藤森さんの書いた数多くの文章を読んできましたが、身内ネタ/自分語りっていうのは、たぶん、SNS以外では初めてなのでは? ぜひこの方面でも健筆を振るい、制御不能な新境地を開拓してください、藤森陽子さん!






 今日は冷蔵庫にプッチンプリンがある。帰ったらおやつに食べるんだ。宿敵である5歳離れた兄に奪われぬよう、マッキーの極太でプラスチックの容器に「ようこ」と大書する。ふふ、これで兄も手が出せまい。小4に対し敵は中3。体力、知力の差は歴然だが、きゃつはまったく大人げなく全力で挑んでくる。毎日がガチの戦いだ。
 授業中、愛しいプッチンプリンが何度も脳裏にフラッシュバックする。4時間目にはとうとう、皿の上でふるふると揺れる姿をノートに落書きし始めた。〝プッチン〟して食べる至福の瞬間をまる1日、一心不乱に考え続ける小4の春。この狂おしいほどの想い、ちょっとした恋のよう。
 そしていよいよ家に辿り着くと、あろうことか、先に帰っていた兄が我がプリンをモリモリと食べている。「ようこ」の文字など何の効力もない。衝撃、屈辱
……!!
「うわははは、兄ちゃんは身体が大きいから、陽子より沢山食べないとな」


Witchenkare vol.3「4つあったら。」(P080〜P083)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/18

vol.3寄稿者紹介10(多田洋一)

どうも自作について語るのは...なんてつまらんエクスキューズなしにざくざくいきます。今作もまたストックしていたものではなく、リアルタイムに締め切りを睨んで書き上げました。ただ、予定した期日には全然間に合わなかった。vol.1寄稿者は私以外5名、vol.2では13名、そして今号では21名。正直言って、締め切り前後は「自作を書くどころじゃない作業量」になってしまい...ADの有北眞也さんに「原稿落としたら、あなたはただのウィッチンケアの編集者」と言われ、それは嫌! 小誌での私の軸足は寄稿者だ、と。編集/発行作業のおまけでもの書いてるわけじゃないんです、私。

完成が難航した原因はもうひとつあって、それはおもな語り手(男みたいだが断定はしてない...人間じゃなくてもいいかも、壊れたAIBOとかw)が、途中で豹変したから。作者は当初、ちがう結末を頭に描いていたのです(そのための調べものも膨大にこなしてたり)。でも、それは嫌、と猛然と私に反旗を翻しやがって、それで、数日間書き進めることができなくなった。あんたほんとうにそれでいいの? と、語り手と話し合うこと数日...。結果、佐伯にはさらにむかつく思いをさせてしまいましたが...あっ、作者はものすごく佐伯にシンパシーを感じてこれを着想しましたので、ついしゃしゃり出たくなってね。佐伯LOVE。

「きれいごとで語るのは」ではある特定の1日を念頭に置きました。数日前、栗原裕一郎さんの紹介文内で「自分の意見を文章で表明してこなかった」と書きましたが、そんな私にも言いたいことが無ではなく、でっ、もし自分がなにかを語るなら、このようなスタイルをとってやっていきたい、と。でも今回読んでくださったかたの何人かにはこれが「ある特定の1日」について書いたものだということすら伝えられなかったことが最近わかり、ショッ〜ク(あなたにそんなこと言われるとは...w)! それでもへたれずに続ける。いま熱烈に読者募集中です、寄稿者・多田洋一は! みなさまどうぞよろしくお願い致します。


  電線に雀が鳴いていて、それはこの国ではありふれているし、だけど電線の雀に気が向くような生活はもうずいぶんしていないからおっとっとっと、とでも口ずさみたかったけれど、コートの裾を揺らし硬い靴音を刻む佐伯の背中に気圧されて無言のまま手のひらを旗にするにとどめる。キャンディーズでは、断然ラン派。低層住宅が残った歩道は私鉄駅へと連なり、高架橋の向こうに副都心のビルが散けて並ぶ。戸塚某はもはや顔すら思い浮かばないが三波伸介とジョン・レノンは命日が一緒。もう春なのにそんな気配はまだ感じられない。
 最初は殺しちゃおうかと、と佐伯。でも思い直して生け捕りにすることにしたんだそう。それって飼い殺しじゃないのと問い返すと、佐伯はしばらく考えて「生殺しだね」と訂正した。
 昨晩の長い話はあらかた佐伯自身の「殺すから生かす」へと至る心の物語。じつのところ、なぜA氏がそんなにまで佐伯に憎まれることになってしまったのか、正直いまもぴんとこない。でもA氏の佐伯への仕打ちを具体的に知らなくても、自分には佐伯の言い分を丸呑みすることができる。A氏は見知らぬやつ、佐伯は大事な人。見知らぬ輩を軸に事象を判断したりして、あなた、今までになにか「いいこと」のひとつでもありました?


Witchenkare vol.3「きれいごとで語るのは」(P074〜P079)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/17

vol.3寄稿者紹介09(浅生ハルミンさん)

会社員だった父親の都合でこどものころに転校を繰り返した私には、いわゆる故郷とか原風景とかいった、瞼の裏に貼りついているようなデフォルトの“絵”が希薄です。敢えて探せばいま実家のある町田市なんだけれど、でも中学卒業までに仙台3年、福岡4年とか住んじゃったから、なんか、歪んでる。東京の新興住宅地なのに軒先のつららと庭のかまくら、土曜の午後は吉本新喜劇でラーメンはとんこつ...。あっ、高校まで三重県津市で過ごした浅生ハルミンさんが文章で描くこどものころの景色はいつもピントが合っています。しかし、堤防がよく出てくるなぁ。

ウィッチンケアvol.2に掲載した浅生さんの「ひそかなリボン」は、都会でひとり暮らしする大人の女性の物語。ファンならぜひ「三時のわたし」と謎解き(いや謎増し?)的に併せ読んでほしい力作小説でしたが、今回の寄稿作品でもまたそこかしこに「えっ!?」みたいな箇所が...。きっと通常の仕事から離れて自由で新しい創作を楽しんでくれた結果だと思います。そうであれば発行人として本望でありますし、さらに望むのは、小誌vol.1〜3掲載作品が放つ魅力に新たな発見者が現れること。

エッセイなのか小説なのかよくわからないスタイルで綴られた浅生さんの新作「あの子」。だがこの作品もまた昨年(2011年)「すばる」5月号掲載の「記憶をなくす」と併読してみれば浅生文学の原風景が鮮やかに浮かび上がってくる重要作品...しかし、少女の友情が描かれているのにじわりとムズムズした気分に惑わされるのは、私の読みかたになにか問題があるのか? 今度教えてください、浅生ハルミンさん!


  家の外で遊ぶときには、「自動販売機遊び」を考えてきた。江藤さんの家の前は自転車とひとがやっとすれ違えるくらいの細い路地で、おとなになってから歩いてみると、本当に狭いので驚いてしまったという、まあありふれた路地だ。
 長屋はその頃からして軒並み古びている。杉板の塀には節穴がたくさん開いていて、ある日、江藤さんはその穴に注目した。
「あのな、ここに十円入れると、五十円になって下から出てくるよ。入れてみ」。いいことを教えてあげるというふうに自信満々である。「ちょっと待って」と、わたしは駆けて家までもどって、おばあさんにねだった十円を、すごいな、そんな仕組みになってんだと感動しながら節穴の中に落とした。「チャリン」とコンクリの上に落ちた音がして、そのあと「シーン」となった。江藤さんは「ちゃんと入れた? あれ?出てこない。ちょっと聞いてくるわ」といいながら、塀の向こうへ隠れて、それきり帰ってこなかった。勉強になった。

 その頃、わたしは初めて新幹線に乗り、初めてカラーテレビを観た。こんな田舎町の街路にも、缶ジュースの自動販売機があらわれたりした。いつも町内のどこかでアスファルトの舗装工事をしていて、家の前のどぶは覆われて、きれいになった。傘だって自分で開かなくても、ボタンを押すだけでパッと開けばよくなった。身の回りのことが、またたくまに便利になってゆくのが子どもにも感じられた。こんなふうに、これからわたしたちの未来は、どんなことだって便利になってゆくしかないように輝いていたのだから、十円が五十円になるのだって信じてしまいますよ。

 杉板の路地では、通りがかりのカメラマンとの接し方も勉強した、もちろん江藤さんから。そこは石垣の上にコールタールを塗りたくった漆黒の板塀が張り巡らされて、風情がなくはない路地だった。石垣の途中の、階段になっているところでふたり腰掛けて、いっぽんのアイスキャンディーを交互に舐めていると、首からカメラをぶらさげた元気のない男のひとが「写真撮ってもいい?」と近寄ってきた。江藤さんは「いやや」と言った。男は「そうか」と残念そうに言って、遠ざかっていった。江藤さんが言うには、「いいよって言ったら、えらい目に遭う。連れていかれて、エックスされる」のだそうだ。エックスというのは、男と女が裸んぼうでアルファベットのXの形になることだそうだ。


Witchenkare vol.3「あの子」(P064〜P073)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508



2012/05/16

vol.3寄稿者紹介08(栗原裕一郎さん)

短くもなくものを書くことを職として生きてきましたが、私は自分の意見をいま進行させているようなスタイルの文章で表明したことってほとんどなく、その一番の理由はそのようなニーズが全然なかったからですが、でっ、そのことはいつかきちんと文章にしたい、とも思いますが、それはまた別の機会にでも。でっ、そんな私ですが「世の中にはオレがもやもや考えていることを、オレよりはるかにきちんと書く人がいるなぁ」と感じていまして、栗原裕一郎さんもそんな書き手のひとりです。

雑誌で栗原さんの署名記事が気になり出し、「腐っても『文学』!?」「禁煙ファシズムと戦う」「<盗作>の文学史」などを買って読みました。自分の意見を文章で表明してこなかった私がなに言うか、って感じですが、受ける印象はつねに「きちんとしているなぁ」。批評対象の資料(文献/音源etc.)に可能な限りあたり、自身の評価を決定し、文章化していく。...栗原さん的にはあたりまえのことをあたりまえにやっているのでしょうが、その姿勢が一貫していて“不純物”が紛れ込まないところが清々しい。

こんな書きかたすると「じゃ、おまえの言ってる“不純物”ってなによ?」ってことになるわけですが、だから、それは「また別の機会にでも」...いや、ちょっとね...批評対象である作品やその背景にあるものと純粋に対峙せず“おらが村”っぽい言説ばかり垂れ流している輩を見かけると、私は「黙っているほうがまし」と強く憤る。いやいや、とにかく栗原さんと出会うことになっちゃった作品は、幸せだと思います。たとえその評価がけちょんけちょんだろうと、眉ひとつ動かさずスルーだろうと。

ウィッチンケア vol.3に掲載された「あるイベントに引っ張り出されたがためにだいたい三日間で付け焼き刃した成果としての『BGMの歴史』」は、辻本力さんが発行する「生活考察vol.03」掲載の「わたしの『Music For Dishwashing』/円堂都司昭×栗原裕一郎×蓮沼執太」と対をなす作品。今後は「webちくま」に連載した経済学や書き下ろしの歌謡曲に関する書籍が刊行予定とのことで読むのが楽しみです、栗原裕一郎さん!


 後者に関しては、「イーノ以降」を前提とした三田格監修・編『アンビエント・ミュージック 1969-2009』(INFASパブリケーションズ、二〇〇九年)がある。「アンビエント・ミュージックをポップ・ミュージックとして成り立たせる条件」を意識した、時代性を強調したディスク・カタログという体裁を採っており、ザ・KLFの「チル・アウト」(一九九〇年)がいわばヘソに置かれている。『波の記譜法』で扱われている文脈も事実上吸収されていると言っていいだろう。なぜこれがアンビエント? というものも少なからず含まれているけれど、この本の編集方針自体が、地図あるいは歴史をつくることを目的にしている以上「なぜ?」と問うのは野暮だ。気に食わなければ別の歴史をつくればいいわけだから。
 注目するべきはむしろ、アンビエント・ミュージックの前史が、ミューザックの登場したずっとあと、一九六九年から書き起こされていることだ。つまりサティからミューザックを経たイージーリスニング的なものはオミットされているということであり、実際、監修者は「ヒーリング・ミュージックやニュー・エイジをカルチャーとしては扱いたくない」と宣言しているし、「ミューザック」という言葉も見落としがなければただ一カ所を除いて登場しない。
 続編として同じく三田格監修による『裏アンビエント・ミュージック』が翌年に編まれていて、コンセプトは「ブライアン・イーノを除外したアンビエント・ミュージックの歴史」というもので「1960-2010」という区切りになっている。こちらでは、ニューエイジ系や、その源流となったと考えられるエキゾチカやスペース・エイジ・バチェラー・パッド、スペース・ミュージックなど、ミューザック的イージーリスニングの延長線上に位置するようなものも取り扱われている。
 

Witchenkare vol.3「あるイベントに引っ張り出されたがためにだいたい三日間で付け焼き刃した成果としての『BGMの歴史』」(P054〜P063)より引用/写真:徳吉久
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2012/05/15

vol.3寄稿者紹介07(武田徹さん)

人と話したりある人の文章を読んだりしてふと心が晴れる瞬間があるものでそれは語られた(綴られた)文脈の「意味(意図/主張/仕掛/目的?)」のようなものではなく、そこで何気なく使われた言葉のニュアンスが自分に近しい、共感できるというか...ってまたよくわからない書き出しですが。ちょっとまえに武田徹さんがFacebookに「まとも」という言葉を使った文章をアップして、それは自身のヘアスタイルについての“つぶやき”のような内容でしたが、私はそこでの「まとも」の使われかたに、不意打でぐっときたのでした。

昨年の武田さんは忙しそうで、前半には「私たちはこうして『原発大国』を選んだ - 増補版『核』論」「原発報道とメディア」と、世の中とまともに対峙する著書を上梓。その後もメデイア上でお見かけすることが多く...しかしあるテレビ番組でカレーを食べてコメントしていたのはちょっとびっくり。「いまの世の中でテレビ出演するのは、そういうことも込みなのか」みたいな、妙な感慨を持ったりして(失礼!)。

あっ、そして(少し長くなっても)書き記しておきたいことがひとつ。武田さんは小誌vol.2にも寄稿、しかし発行時期のタイミングで私は忸怩たる思いを抱えていました(昨年の紹介文参照)。ですが「原発報道とメディア」には、その掲載作品が草稿的役割を果たした「あと書きにかえて」という章があり、文中には小誌への謝辞も! 溜飲が下がるとともに、武田さんがWitchenkareを「試作の場」にしてくれたことに感謝したのでした。ありがとうございました。

ウィッチンケアvol.3への武田さんの寄稿作品は「お茶ノ水と前衛」。なんと自身の若かりし日の前衛音楽遍歴が語られていて。同一文章内で3度目の使用ですが、私にはとっても「まとも」に思えました。まとも(4度目)な10代の探求心は、とっつきにくいものが有する「なにか」を解明したくなるし、結果としてはみ出した実戦をすることだって...とにかくそのテープを私はいまでも買いたいです、武田徹さん!





 こうした音楽三昧だった浪人生活の結果、もちろん第一志望大学は不合格、第二志望の私大に入る。浪人時代が明ければ、演奏活動も再開である。しかしAO1年目にして自分の音楽の志向はすっかり頭でっかちになっており、もはや高校時代のように牧歌的にギターなど弾く気にもなれず、散々ウィンドーショッピングしたお茶ノ水の楽器店まで出かけて買ったのはチェロだった。それをまともに演奏するわけではなく、弓で同じ音程を弾き続け、エコーマシン経由で宅録する。エコーマシンは、デジタル信号処理でディレイが掛けられなかった時代に最もディレイタイムが長く取れたエンドレステープを使う巨大なものを、貯めた小遣いを投入してチェロと一緒に買った。同じ音程で弾いているのだが、下手クソなので予期せぬ音程のぶれがあり、ディレイをかけて時間差で多重録音すると共振して発生する倍音が刻々と変化する。それを聴いてもらう趣向の46分の作品を作って、テープをダビングして大学で売った。買わされた方は間違いなくいい迷惑だった。

Witchenkare vol.3「お茶ノ水と前衛」(P050〜P053)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/14

vol.3寄稿者紹介06(小田島久恵さん)

ロックが好きだからロックから遠ざかってしまったのかなぁ、なんて思っていました(あるいは、これは私個人のことですが「歌が好きだからカラオケには近づかない」みたいなスタンスも世の中にはあるわけだし)...いきなり意味不明ですいません。これは小田島久恵さんに実際にお会いするまえに、私が勝手に抱いていた疑問。その答えは、今年2月に観た「湯山玲子 presents 爆クラ <第9夜> 美男クラシック」で少しわかったような気もしていますが、ここには書かない。

私は年齢のわりに遅めの「rockin'on」読者でして、田辺弘美さんや一條和彦さんの投稿が好きでした。そして、「私はカート・コバーンを産みたい」(!)なんてタイトルの原稿や「おだじまんリターン」という4コマ漫画を発表していた小田島さんも、名前を見つければ必ず読んでいた書き手。現在の小田島さんは「名曲案内 クラ女のショパン」「オペラティック! 女子的オペラ鑑賞のススメ 」等の著者で、音楽的にはクラシックのフィールドで活躍していますが、しかし、対象への視点やものを書くさいのスタンスは、変わっていないように思えます。

ウィッチンケアvol.3掲載作品「スピリチュアル元年」を受け取ってしばらくすると、芸能ニュースでは女性お笑いコンビの片割れが激太りしたとか引き籠もったとか、大騒ぎ。コトの真相はわかりませんが、報道の視線はあいもかわらずオトコ脳的だなぁ、と。...ってね、私も典型的なオトコ脳の持ち主ですが、それでも「見えないもの」「わからないもの」を拙速に私的判断せず保留にする胆力は...って書いていても、なんだか降参です、小田島久恵さん!


 性差でいうなら、女性のほうがスピリチュアルに入っていきやすい。それは未知の世界と出会うことではなく、太古に帰っていく感覚に近いからだ。「思い出して」「つながる」感覚だ。多くの男性がスピリチュアルに恐怖や嫌悪を抱くのは「性欲」が原因、と私は考えている。男性自身が、性欲を即物的でダーティでアンチ・スピリチュアルなものだと認識している。お金と性を結びつけて考える人も多い。昔から男性がスピリチュアルになるためには、出家など極端で不自然な方法を取るしかなかったのは、彼らが生来、「目に見えない神秘」と結びつくのに、「飛躍」が必要だったからだ。しかし、スピリチュアルな性の交流、というのもあると思う。それは、ダーティなところの全くない、まぶしいばかりにビューティフルな性の交歓である。

Witchenkare vol.3「スピリチュアル元年」(P044〜P049)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/13

vol.3寄稿者紹介05(池本良介さん)

私がひっそりと自身のホームページを開設したのは、1999年12月01日。すでに化石状態でコンテンツのブログ移行も遅々として進まず、プロバイダ変更を検討しているいまでは存続も危くなっていますが、それはともかく、池本良介さん(いや、ハンドルネームの「B(中略)66」さんのほうがいまだにしっくりくる)とは、そこに書いたPrefab Sproutについての雑文で知り合いました。個人的にはネットが普及して人との縁が劇的に変わったことを象徴するような出会いでありまして、そんなことを書いてみたくて小誌vol.1掲載の拙作「チャイムは誰が」...って、それもともかく。

いったい日本語を読み書きに使う人のうち何名がプリファブ・スプラウトを知っているのかわかりませんが、B66さんは私にとって数少ない、「あ〜、オレと同じように好きなんだなぁ」と思える人物。もちろん「好きになりかた」は全然違っていて、その差違がまた話をすると楽しさでもあるわけですが、それはともかく、私は小誌刊行時から「いつかB66さんにプリファブについて書いてもらいたい」と思っていましたので、今回それが実現できてとっても嬉しい。極私的であまり一般的でないアルファベットの固有名詞が縦横無尽なのも、痛快でした!

世の中にはもっと平易に「プリファブ・スプラウトの魅力」を伝える文章がありそうだな。でも小誌掲載作品「B e a r p a r k 〜Prefab Sprout と私」は、このバンドを本気で好きになってしまった個人の、他の人には書けない物語。もちろん作者は間口を広めにとって、より多くの読者をプリファブ・ワールドに導こうとしてくれたのですが、それでもまだ、敷居が高く感じる人もいる!? そんな人には、不肖私がB66さんになりかわって毒吐きましょう。「世の中には“多少の研鑽”を積まねばわからぬ美しさがあるんだ!」...あっ、私、間違ってますか? 池本良介さん!


デモでも絶品という例の一つに、シングル〝Nightingales〟(88)に収録された〝Bearpark(4track)〟がある。Paddy 自身の解説によると、4tr カセットMTRでリズムマシーンDr. Rhythm を使って録った初めての録音で、とてもラフなもの……とある。確かに隙間だらけのごく簡素なアレンジだが、シンセサイザーの音色、ごく小音量のギター、それらの残響、そしてPaddy の声が極上の調和を見せる。どこか密室的な響きは、作者の中だけにある極めてプライベートな記憶を思わせもする。当初は〝Bearpark,you're mine〟という冒頭の歌詞を「熊牧場、お前は俺のもの」と解釈して一人困惑していたが、Bearparkとは北海道のそれの様な施設名ではなく、パディの故郷イギリス・ダラム州の一地区名だと知った。Georgia On My Mind よろしくBearpark's on my mind な訳だ。故郷を歌う点は共通でも、Prefab のそれは何と抑えの効いた詩情か。幼年・少年期の薄明の中の記憶を、ノスタルジーに溺れることなく慈しむような、静かな詩情が揺らぐ。YouTube の同曲のコメント欄には、「長年のファンなのに初めて聴いた」という旨の複数の書き込みに加え、この曲こそがフェイバリットだとの言も。

Witchenkare vol.3「B e a r p a r k 〜Prefab Sprout と私」(P036〜P043)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/12

vol.3寄稿者紹介04(かとうちあきさん)

ウィッチンケアvol.2寄稿者・野上郁哉さんと最後に会ったのは昨年4月、代々木公園での花見。寒くて風の強い夜でしたが、その宴には愛用の寝袋に半分くるまった「野宿野郎」編集長・かとうちあきさんもいて、私は電車のあるうちに退散しましたが...きっと野宿したんだろうな。タフだなぁ。若さと生命力の強さが、羨ましい(遠い目)。

第3号をつくるにあたり、「みんな元気だよ」という報告も兼ねて、かとうさんに寄稿依頼しようと思いました。「野宿入門」「野宿もん」という著書のあるかとうさんですが、できれば小誌では別のテーマで、と。キッチンウェアな本なら、では台所まわりについてでも、という感じで打ち合わせがまとまり、原稿が届くのを待っていました。「プランターでハーブ育ててま〜す♡」とか「雑穀米のオリジナルレシピ紹介♪」とか、そうゆうのがくると想像したオレが甘かった! かとうさんはインドアでも、やはりかとうさん。

掲載作品「台所まわりのこと」は頻出する生物名の反復効果がファンキーな、魔界的エッセイ。「虫愛づる姫君」やナウシカを連想したら、筆者の術中にまんまとはまってる!? 語り口は独自のスタイリッシュさで貫かれていて、なにより、こんな生活(失礼!)の描写なのに、女の子らしさが爆発しているのは、何故、ゆゑ...。とにかく、お願いですからこの夏はカレー鍋を早めに洗ってくださいね、かとうちあきさん!


 やはり食料を狙ってか、一番多く現れるのは台所まわりみたいだ。そのうちなぜだか、必ずコンロのまわりで糞をするようになってしまった。不衛生だし、って、家にネズミがいること自体もう不衛生っぽいんだけれど、台所まわりではとくに不衛生な気がするから、できればやめてほしい。糞はコンロの上ではなく、トイレか外でしてきてほしい。
 ってな願いもむなしく、「ネズミによるコンロまわりのトイレ化」は粛々とつづく。
 掃除も面倒になり、見なかったことにしてコンロを使っていると、火口のそばにある糞は炎にやられてしまう。やられた糞は一瞬、ぼおっと小さな炎を出現させ、すぐに炭化するのだった。儚く消えるその姿はまるで線香花火のようで、わたしをうっとりさせる。
 糞よ。儚い糞よ。炭化してほろほろと崩れられると、掃除がさらに面倒だ。


Witchenkare vol.3「台所まわりのこと」(P030〜P035)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508


2012/05/11

vol.3寄稿者紹介03(久保憲司さん)

歌舞伎町にはじめて遊びにいったのはいつだったろう? たぶん中学生のころ、映画を観たのが最初。近年はすっかり足が遠のきましたが...。その歌舞伎町にリキッドルームがあったころ(CLUB SNOOZERで生レイ ハラカミの演奏を見たなぁ)、カメラマンの久保憲司さんと一緒に仕事をしたことがありました。

時が流れ、まさかウィッチンケアで小説家・久保さんの編集担当者をする日がくるとは思いもしませんでした。「ロックの神様」や電子書籍「ロックの闘争」のクボケンさん。著書を読んで心地好いのは、「音楽としてのロック」じゃなく「自身の体験としてのロック」を語っていく、他の人には醸し出せない軽妙さと力強さ。ずっとファンでしたから、あの語り口の小説が生まれたらどんなに楽しいだろう、と思って寄稿依頼したのです。

掲載作品「僕と川崎さん」は作者の自伝的な要素も窺える、過去と現在が錯綜する小説。“僕”と“川崎さん”の関係は「オン・ザ・ロード」(J・ケルアック)をベースに構築されているようで...しかし、川崎さんは不思議な人物。なにか大きなことをやり遂げる人に共通する、規格外な雰囲気で描かれていて。そして2011年の反原発デモの熱気も伝わってきます。まだまだ、先が読みたくなる物語なので、ぜひよろしくお願い致します、久保憲司さん!


 たぶんバブルだったのだろう。ウイリアム・バロウズの作品などもどんどん新訳で発売されていた。僕は何とかバロウズは買っていたのだが、トマス・ピンチョンまでは手が回らなく、これは短編だからと毎日本屋に行って、一編ずつ読んでいた。そんな苦労をしているのに、川崎さんは待ち合わせの場所で、いつも最新の小説を読みながら、能天気にアイスコーヒーなんかを飲んでいたりするのだ。
「お金もないはずなのに、何で買えるの?」と聞くと、「借りたんだよ」と言う。
「えっ、でもバロウズとかピンチョンの本は図書館にないでしょう。それにその本ビニールに被われてないじゃん。どこからだよ」
「うるさいな。本屋からだよ」
「えっー、それって、万引きじゃん。あの、前に『電池を買った事ない』って言っていたのも万引き? 30歳にもなって、何やってんだよ」
「万引きなんかしてないよ。借りてるだけだよ。読んだらちゃんと返しているよ。お礼にわざわざ押し花のしおりを入れて返しているんだぞ」
「押し花のしおりって、何だよ。新刊の本に押し花が入っていたら、気味悪がるよ」
「何言ってんだよ。喜ぶよ。こっちは苦労して、四葉のクローバーを見つけて、押し花にして入れてんだぞ。幸福を呼ぶ本だぞ」
「幸福なんか呼ばねぇよ。本は返せるとして、電池はどうしてるんですか。空の電池返してもらっても仕方がないでしょう」
「バカ野郎、単3を借りたら、単2にして返しているよ。倍返しだよ」
「そんな事されても、棚卸しの時に迷惑なだけだよ」
 本や電池以外にもそういうバカなことをしているんじゃないかと不安になったので、「他に何も盗ってないだろうな」と訊くと、カップラーメンも借りたりしていると言う。
 カップラーメンは当時流行りだした1・5倍増量とかにして返しているらしい。わざわざふたつ買って来て、封を開け、乾燥ナルトなどの薬味を足したり、麺を半分増やしたりして、返しているそうだ。


Witchenkare vol.3「僕と川崎さん」(P020〜P029)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/10

vol.3寄稿者紹介02(仲俣暁生さん)

昨年のいまごろ、忌野清志郎が死んじゃったのが悲しくて何冊かの雑誌や追悼本を買いました。私は熱心なファンではなかったけれど「僕の好きな先生」「帰れない二人」はリアルタイムだし。「君が僕を知っている 」がいまは一番好きな曲かもしれない、とくに歌詞が。でっ、数々の追悼文のなかで一番印象に残ったのが、仲俣暁生さんが「ミュージックマガジン」に書いたものでした。

マガジン航」編集人であり「再起動せよと雑誌はいう」 他著書多数の仲俣さん。その活動フィールドはむちゃくちゃ広い。私は勝手に「同時代の触媒」のような存在だと感じていまして、いつもなにかを考える きっかけをもらっているような...。でも寄稿依頼では、なにしろ小誌が「台所まわり」を冠した媒体なので、ごくごく身近な作品を(もっとはっきり言えば 「おセンチな作品」を)とお願いしてみたのです。

「父という謎」と題された寄稿作品が印刷工程を終える寸前に、テキスト内で重要な位置を占める吉本隆明氏の訃報が。「昨年はじめて取材でお目にかかり、このあいだ出たウィッチンケアに寄せた文章でも言及したばかりだった。」とのつぶやき(@solar1964)が忘れられません。キヨシロー、吉本氏、そしてお父上...。「おセンチ」なんて軽い言葉では納まらない重量級作品でしたね、仲俣暁生さん!


 父はそれなりに文学青年でもあったようだが、文芸方面での趣味は謎だった。アラゴンやエリュアールの詩、ベートーヴェンやチャイコフスキーの音楽といった分かりやすい趣味をもった母と違い、父の蔵書は専門分野の文献を除くと、松本清張と柴田錬三郎、山岡荘八あたりにとどまり、少なくとも家には純文学の本は一冊もなかった。一度だけ、若いころにペンネームがあったと白状したことがある。活動家としてのコードネームを兼ねていたのかもしれないが、父のなかに文芸方面への野心あるいは憧れがあったことは間違いない。

 専従の仕事を退いた後、元気だった頃に父が進めていたプロジェクトは、独り身で死んだ女の文学者の墓を訪ねてまわり、写真と寸感を記した文章をまとめることだった。すでに職業編集者になっていた私に草稿を見せ、印刷する予算はないから電子書籍にでもできないか、と相談をもちかけてきたこともある。
 その後、父は癌の手術で長期入院を余儀なくされ、父の退院後は母が脳出血で倒れた。母が車椅子生活になったため、父は自身も要介護者でありながら母の介護役となった。老夫婦二人による在宅介護に、頼りにならない息子三人があたふたする慌ただしさのなかで、いつしかこの話はたち消えになった。

Witchenkare vol.3「父という謎」(P014〜P019)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/09

vol.3寄稿者紹介01(中野純さん)

ウィッチンケア第3号が完成して書店etc.に配本されたのは、2012年3月中旬。その約1年前のあのできごとについては当ブログでも何度か書いたので、もう繰り返さない。しかし、あのできごと、ものを書く人にも大きな影響を与えないわけがなく...。小誌第3号ではあのできごとに直接関わる作品を寄稿してくれたかたが複数います。

闇を歩く」「逢魔が時」など、闇や暗さの魅力について何冊もの本を書いてきた中野純さんには、あのできごと以降の世の中がどう見えているのだろう? 私は「責任者出てこい!」みたいな社会派の言説を望んだわけではなく、闇を見据え続けてきた中野さんの目に映る3.11以降の景色が知りたかったのです。

意外、と言っておきましょうか。中野さんは「美しく暗い未来のために」と題した作品内で、独自の観点から“ハンニン捜し”をおこなっています。...いやしかし、やっかいなことで。もしそいつが真のハンニンだとしたら、いったい私たちはどうしたらいいのでしょうか、中野純さん!


 ドジョウがなんと言おうとまだなにも終わってはいないけれど、人々が呑み込んだ放射性物質は喉元を過ぎ、多くの人が早くも熱さを忘れ始めている。あれほど暗かった東京の街にはもうだいぶ光がもどってきたし、大人災以降に開発・再開発された土地では、大人災以前より明るくなってしまったところもある。
 闇は気持ちを下げる。暗い夜なんてもうたくさんだ。多くの人がそう思っている。美しく暗い未来の実現は一瞬近づいたように見えて、むしろ遠くなってしまった。
 涼しい顔で「これは天災ですから」と言いながら、天になど存在しなかった人工放射性物質を撒き散らして天を侮辱する。そんな恐るべき敵を知るために原発について勉強していたら、『危険な話』に感化された当時には思い至らなかった原発の意志に気づいた。


Witchenkare vol.3「美しく暗い未来のために」(P006〜P013)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508

2012/05/08

明日(午前0:02より)寄稿者紹介スタート

GWも終わりふつうの日々が戻ってきましたが、みなさまお変わりありませんか? なんだか次の週末が遠いです、が。

西荻ブックマークでのイベント、そして文学フリマも終わりましたが、小誌vol.1〜3は引き続き絶賛発売中。そして日付が変わる明日からは、ウィッチンケア第3号の寄稿者紹介&各作品の「立ち読み」をスタートします。今月中にコンプリートしようと、すでに数人分は書き上げたのですが、果たして、有言実行なるか...掲載作品順にアップしていく所存です!

ということで、もう一度コンテンツと最新の取り扱い書店等のまとめを。みなさまどうぞよろしくお願い致します!

Witchenkare vol.3
(2012年4月1日発行/A5判:190ページ/定価 980円)

■CONTENTS
006……中野 純/美しく暗い未来のために
014……仲俣暁生/父という謎
020……久保憲司/僕と川崎さん
030……かとうちあき/台所まわりのこと
036……池本良介/Bearpark 〜Prefab Sprout と私
044……小田島久恵/スピリチュアル元年
050……武田 徹/お茶ノ水と前衛
054……栗原裕一郎あるイベントに引っ張り出されたがためにだいたい三日間で付け焼き刃した成果としての「BGMの歴史」
064……浅生ハルミン/あの子
074……多田洋一/きれいごとで語るのは
080……藤森陽子/4つあったら。
084……吉永嘉明/ブルー・ヘヴン
098……大西寿男/棟梁のこころ ─日本で木造住宅を建てる、ということ
108……我妻俊樹/たたずんだり
114……木村カナ/パンダはおそろしい
120……稲葉なおと/段ボール
128……澤 水月/怪談問わず語り
134……友田 聡/手前味噌にてございます
140……やまきひろみ/小さな亡骸
148……高橋宏文/ブルー・ナイルと出逢った人生
154……木村重樹/更新期の〝オルタナ〟
164……多田遠志/電話のお姉さん
186……参加者のプロフィール

Art Direction & Design:有北眞也(PAZAPA inc.)
Photos:徳吉久(Jeu de Paume)
印刷:(株)啓文社
出版社: yoichijerry (よいちじぇりー)
ISBN-10: 4903295656
ISBN-13: 978-4903295657




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【千代田区】東京堂書店三省堂書店神保町本店
【豊島区】リブロ池袋本店ひぐらし文庫セントポールプラザ(丸善立教)
【中野区】タコシェ
【杉並区】にわとり文庫茶房高円寺書林音羽館
【目黒区】ギャラリー・ドゥ−・ディマンシュ(自由が丘)
【世田谷区】古書ビビビ古本 ほん吉いーはとーぼ
【文京区】あゆみブックス小石川店往来堂書店
【あきる野市】少女まんが館
【立川市】オリオン書房ノルテ店
【川崎市】文教堂溝ノ口本店
【さいたま市】ブックデポ書楽

<愛知県/大阪府/京都府/兵庫県/富山県>
【名古屋市】ちくさ正文館書店 ヴィレッジ ヴァンガード本店
【大阪市】ブックス・ダンタリオン
【京都市】ガケ書房恵文社一乗寺店
【神戸市】海文堂書店
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2012/05/03

ウィッチンケアも「第十四回文学フリマ」に参加!

昨年秋は小誌の単独ブースで参加した文学フリマ。今年は申し込み締め切りがvol.3の校了あたりと重なっていて、あれまぁ、と不参加のつもりだったのですが...。

漫画批評」渡瀬基樹さんのご厚意により、同誌ブース(オ-18)の端っこに出品できることになりました。当日は渡瀬さんのアシストをしっかりこなしながら、vol.1〜3を並べるつもりです。

サンプル誌も用意しますので、どうぞ立ち読みしてください! そして、客商売に向いていない私ですが、できるかぎりのスマイルで対応致しますので、気軽に声をかけてくださいね〜。いろいろなかたとお会いできるのが、とても楽しみです。

第十四回文学フリマ」概要

【開催日】2012年5月6日(日)
【開催時間】11:00〜16:00
【会場】東京流通センター 第二展示場(E・Fホール)
【アクセス】東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分 ※詳細は会場アクセスをご覧下さい
【一般参加方法】入場無料・どなたでもご来場いただけます
【参加サークル】約650ブース

主催 文学フリマ事務局
https://www.facebook.com/bunfree
https://twitter.com/#!/Bunfreeofficial


★そしてGW明け以降、しばらくまったりしていた当ブログも少しアクティヴになる予定。毎号恒例の、私によるWitchenkare vol.3掲載作品の紹介を始めようと思います。今年はスピードアップしてやらないと、あっというまに夏!? なお、過去2号の紹介文は、下記URLにとんで、各号の寄稿者名をクリックすると読めます〜。

http://witchenkare.blogspot.jp/2012/02/witchenkare-vol2-1.html

【付記(5/8)】
あまり売り上げは芳しくなかったですが、楽しく無事終了しました。「漫画批評」の渡瀬さんは小誌用のPOPやツールまで用意してくださって、すっかりおんぶにだっこ(感謝!)。漫画好きのみなさん、漫画批評をぜひ買いましょうぞ!! そして会場や打ち上げでお会いしたみなさま、今後ともどうぞよろしくお願い致します〜。




Vol.14 Coming! 20240401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare