2019/05/31

次はウィッチンケア書店!(第10号編集後記)

毎年恒例となった《5月はすべての寄稿者/作品紹介》、今年も無事コンプリートすることができました。第3号からほぼいまのスタイルで続けていまして、各エントリーのその時点での反響も(正直)気になるんですが、数号まえから「それぞれが毎号積み重なって当ブログがアーカイヴになること」の意味が大事かな、と気づいて続けています。

「毛布の上に仔猫がいるの?」...これ、小誌第10号表紙についての、私の知人からの言葉。えっ!? 猫いないでしょ、と思わず見直しましたが、そう言われてみれば、そう見えなくもない? 写っているのは毛布と、靴下かな。あと、スウェットなのかTシャツなのか。人肌の気配、というか、抑えたトーンながら不思議な生々しさも感じられて、それで小動物と錯覚されたのかも。撮影者・長田果純さんには尋ねてみたんですよ。いわゆる「蛻けの殻」状態になったベッドをプライベートな作品として写した、とのこと(撮影用にスタイリングしたとかではなく、日常の一コマの写真のようです)。

今号はここに辿り着くまで、なかなか「高い山」でした。寄稿者が決定して誌面づくりを始めてから、いくつか想定外のことが起こって。いや、それが今号の内容に悪く影響した、ってことはないのです。そこは、逆に意地になって「オレの魂」(←w!)に火が付いたから、ベストな第10号になった。

...でも、ひとつふたつ愚痴をこぼすと、昨年ぐらいから「もう後継機種にしても」と感じつつ、古いMacBook Proで編集作業を始めてしまった。レインボーカーソルと付き合いながらなんとか乗り越えられたので、ようやく引退させてあげられそうです。あと、昨年末に停車中のクルマをこすられちゃって、すぐに解決するかと思ったら「自分には100%非がない」ということを証明するのが意外とむずかしく、人生初の弁護士案件に。なんと半年かかって、先週末ようやく修理に出して、いまは慣れぬ代車を使っています。その他にもいろいろ(これらのほうが重要)あるけれど、立て付けからしっかり方策を練って、先に進もうと思います。

第10号発行のタイミングでふたつのエントリーがネット上にあがりました。第10号巻末の便覧と併せて、ぜひご一読くだされば嬉しく存じます。

インディーズ文芸創作誌「ウィッチンケア」創刊10年 町田在住の編集者が発行(「相模原町田経済新聞」2019年3月29日/取材記事)
https://machida.keizai.biz/headline/2813/

私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由(「マガジン航」2019年5月13日/寄稿文)
https://magazine-k.jp/2019/05/13/witchenkare-first-ten-years/

そして、これは未来の話(前々号の「編集後記」でも書きましたが、私は未来に関してはdystopiaではなくutopia志向)。昨年〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉を共同主宰してくださった仲俣暁生さん、木村重樹さんとともに、2019年11月24日 に開催される「第二十九回文学フリマ東京」で、「ウィッチンケア書店」を出店しようと計画中です。ただ現行の本(BN含む)を売るのではなく、いろいろ楽しいアイデアを盛り込んだお店になれば、と。どうぞ御期待ください!

って、またテキストばかりになってしまったので、今年もいまの気分の1曲を。前作「Emily's D+Evolution」で気に入ったEsperanza Spaldingの 新譜から、ダンサブルなこれ。



それではみなさま、ウィッチンケア第10号をよろしくお願いいたします! 近くの書店で見つけられなかったかた、アマゾンでも好評発売中ですよ。

2019/05/30

vol.10寄稿者&作品紹介35 中野純さん

昨年12月、東京都あきる野市にある「少女まんが館」の共同主宰者・大井夏代さんとともに『少女まんがは吸血鬼でできている:古典バンパイア・コミックガイド』を上梓した中野純さん。同書が発行される少しまえには、私が運営協議委員を務めている「町田市民文学館ことばらんど」での「みつはしちかこ展」関連イベント「〈かわいい〉のその先に-70年代・80年代少女漫画序説」に大井さん、トミヤマユキコさんとともに登壇、そのプレイベントともいえる下北沢の本屋B&Bでの「サリーだって語りたい! …男⼦が見た少⼥まんがの歴史と変遷」 にも登壇(こちらは仲俣暁生さん、南陀楼綾繁さんとのトークショー)...と、すっかりお世話になってしまいましたが、忘れられないのは、トミヤマさん等とのイベント当日の打ち合わせで、中野さんがぽつりと呟いた「いま人生最大に忙しい」のひとこと。そんなときに「ぜひ次号にもお願いします」と寄稿依頼した私ってやつは...いや、ほんとうに申し訳ありませんでした。

じつは、上記のような状態なのに「では次号寄稿作の内容についての打ち合わせを」とあらためて日時設定するのも、「人生最大」値をさらにアップさせるようで申し訳ないなぁと逡巡、でっ、テーマ設定など曖昧なまま年改まり、お原稿の締め切りも近づいて(ちょっと過ぎて)、そして届いたのが掲載作〈夢で落ちましょう〉でありました。ご本人も「参加者のプロフィール」欄にて「今号では禁じ手を使ってしまった」と記していますが、受け取った私は、なんだかとてつもなく懐かしい気持ちにもなったのでした。これ、これ、自分も同じようなことやった記憶がある! たとえは小学校の夏休みの宿題で原稿用紙5枚の作文。8月末になって書き始めて「なんでもっと早く手をつけなかったんだろうと思いながら鉛筆を握っている今日は8月○日。もう朝晩には虫の声が聞こえる。この作文を書くためにいろいろなテーマを考えたのに決められないまま夏休みも終わりだ」みたいな書き出し。あるいは、大学での論文試験で山かけに失敗し出題テーマを見て窮地に。腹を決めて「設問は●●について、とあるが、しかし私はそのことについてよりもまず▲▲について述べたいと思う」で正面突破、などにも似ているというか。

野球のたとえ話、というのがどのくらい有効なのか測りかねる昨今ではありますが、中野さんの今作に「エースで20勝投手」「クリーンナップで3割打者」の風格、いや品格を感じました。そして今年創刊10年目を迎えた小誌の来し方行く末、ともシンクロするようで、ぜひ第10号の大トリはこの作品で、と。作中には「書くことがなくなるなんてことはない。でも、歳のせいなのか、歳のせいなのだろう、執筆に思い切りがなくなってしまった」などと、弱音めいた箇所もありますが、これはトラップ。全体からは「これからも書きたいテーマが山ほどがあるので、そこんとこよろしく!」という、もの書きとしての漲る決意が伝わってきます。あっ、それで作中に「大リーグボール三号」なんて言葉があったのでつい思い出してしまったんだけれども、あの「巨人の星」でたびたび登場した坂本龍馬のエピソード(たとえドブのなかでも前のめりに死にたい、ってやつ)。あれは梶原一騎の創作だったのでしょうか? ...とまれかくまれ、みなさま。最終行に「という夢を見た」という一節から遡る中野さんの夢物語の、そこまでの長い前段を、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 芸能界では八重歯アイドルの時代でもあった。一九七八年に「狼なんか怖くない」でデビューした石野真子のチャームポイントは、両の八重歯だった。今、当時の映像を見ても、牙と呼ぶに価する実に立派な八重歯だ。狼の歌がよく似合っている。ほかにも小柳ルミ子、河合奈保子、国広富之等々、八重歯のタレントは少なくなかった。このころ、八重歯は魅力的だという風潮がたしかにあった。
 だが一方で、七〇年代吸血鬼少女まんがの最高傑作、萩尾望都『ポーの一族』のバンパネラたちには、牙が一切ない(『ポーの一族』に先立つ里中満智子『ピアの肖像』や、さらに先立つ石ノ森章太郎『きりと ばらと ほしと』にも、牙が描かれていない)。そこが一筋縄ではいかない日本牙史の奥深さだ。全体として、人ならぬ者から牙を抜き(あるいは牙を退化させ)、人間に牙を生やす傾向があり、そうやって、人ならぬ者と人との境界を曖昧にする目論見が無意識にあったと思う。そしてその流れは、今の少女まんがにしっかりと受け継がれている。でも、これについてももっとちゃんと考えてから書きたい。中途半端に書いてしまうのは嫌だ。だから今回は書かない。

ウィッチンケア第10号〈夢で落ちましょう〉(P206〜P211)より引用

中野純さん小誌バックナンバー掲載作品十五年前のつぶやき(第2号)/美しく暗い未来のために(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/天の蛇腹(部分)(第4号)/自宅ミュージアムのすゝめ(第5号)/つぶやかなかったこと(第6号)/金の骨とナイトスキップ(第7号)/すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門(第8号)/全力闇─闇スポーツの世界(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介34 仲俣暁生さん

今年の1月末、ニュースで橋本治さんの訃報を知ったとき、「ああ、仲俣さんはどんなに悲しいことか」と頭を過ぎりました。というのも、昨年12月に仲俣暁生さんが上梓した『失われた娯楽を求めて 極西マンガ論』では「夢見る頃を過ぎても 少し長いまえがき、あるいは私的マンガ遍歴」(以下「まえがき」)でも「あとがき」でも橋本治に触れられていて...少し引用すると「十代の終わりの頃、私はマンガ評論家になりたい少年だった。〈中略〉きっかけは、橋本治の『熱血シュークリーム』という本だと思う(名高い『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』ではなく)。」【「まえがき」より】、「本書は橋本治が未完のままにしている『熱血シュークリーム』という少年マンガ論への、彼から多大な影響を受けた後継世代からのオマージュでもある。」【「あとがき」より】と。そして、なによりも同書のタイトル。「あとがき」には収録されている安野モヨコ論の題名からとった(「橋本治の『花咲く乙女のキンピラゴボウ』所収の倉多江美論が「失われた水分を求めて」だったことにもあとから気がついた」とも)、と記されていますが、橋本治の文学論「失われた近代を求めて」シリーズとの関連も、自然に想像できてしまう...。

仲俣さんは「週刊読書人ウェブ」に《橋本治がいなかった「平成」》という一文を寄稿、またツイッターでは〝【橋本治さんに捧ぐ】2010年の「ユリイカ」の特集号のために書いた橋本治論を、追悼の意を込めて〟と告知し、《1983年の廃墟とワンダーランド――橋本治という未完の「小説家」について》をnoteで無償公開しました。...なにしろ、膨大な著書のある橋本治。私的には、うちの限りある本棚の一画はもう四半世紀以上分厚い『'89』に占められている/『窯変 源氏物語 』第一巻は海外旅行に携帯してむさぼるように読んだ/映画『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』で派手な柄のセーター着てた喫茶店のマスター役インパクト強すぎ、等々...最近の本は、SNSで仲俣さんが紹介してくれて、触発されて読んでいた。

小誌今号にご寄稿くださったのは、橋本治さんに対する、仲俣さんの個人的な思い出を綴った追悼文。このような一篇を掲載できる場所、として小誌があったこと、発行人として嬉しく思います。作中の、雑誌というものに対する橋本さんの考えかた、とくにインタビューに関する「決定的な一言」のくだりなんて、あまりの臨場感で涙腺がシビれてしまいましたよ! 橋本治を好きな人だけでなく、雑誌に関わる多くのかたに、ぜひ読んでもらいたいと強く願っています。そして、そして、仲俣さん。昨年6月の〈ウィッチンケアM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉では共同主宰、また第10号刊行後には「マガジン航」への私の寄稿のさい、適切なアドバイスをいただきまして(小誌でとは真逆の関係/編集者・仲俣さんと接してその敏腕さに脱帽...)、あらためて感謝致します!



 橋本さんの言葉が刺激になったのだろう。私はその後、この雑誌で自分の責任で書く小さなコラムをはじめた。わずか数百字の小さなスペースを自分ひとりの解放区にした。さらに書評のコーナーを作り、他の編集部員と本を選んで自由に紹介した。
 それでも私は、自分がいつか「物書き」になるなどということは、少しも考えていなかった。ただ、雑誌をつくることの面白さが、自分でもそこに文章を書くことによってやっと実感できるようになった。自分のつくる雑誌の「声」になりたい。当時の私は、ひたすらそう思ったのだった。
 この雑誌をふりだしに、以後、いくつかの雑誌編集部を経験した。企画を立て、外部の書き手に依頼して原稿を集めるだけでなく、どの雑誌でもかならず自分で書くようにした。「書くこと」と「編集すること」は、自分のなかで次第に同じことになっていった。
 インタビュー記事の作成も、仕事として外から求められる場合を除き、あまりしないようになった。人に話を聞くのは、それを通じて書き手が「自分の言葉」をつくるためであって、他人の言葉をそのまま伝えるのは別の仕事だ。そのことがよくわかったからだ。

ウィッチンケア第10号〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(P202〜P205)より引用

仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品
父という謎(第3号)/国破れて(第4号)/ダイアリーとライブラリーのあいだに(第5号)/1985年のセンチメンタルジャーニー(第6号)/夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記(第7号)/忘れてしまっていたこと(第8号)/大切な本はいつも、家の外にあった(第9号)

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2019/05/29

vol.10寄稿者&作品紹介33 藤森陽子さん

今年2月に発売された『STARBUCKS OFFICIAL BOOK』ではライターとして前半部の旅ページや上海店取材、インタビューページなどを担当した藤森陽子さん。同月には『ブルータス』編集部監修による、東京の名作菓子を集めた「スウィーツ」というグリーティング切手(日本郵便)も発売されまして、こちらでは藤森さん、同編集部スタッフ側としてお菓子のセレクトとイラストの元になる写真撮影を担当した、と(日本郵便専属の切手デザイナーと同行で、東京中を駆け回ったらしい)。ええと、藤森さんは長らくマガジンハウスの諸雑誌での仕事を手がけていますが、その藤森さんをして「切手の仕事は(部数が)ケタ違い」と...刷り部数が300万シート/3000万枚って、新聞の主要全国紙全部合わせても勝てない? テレビなら視聴率20%後半(「世界の果てまでイッテQ!」とか/オレが現在唯一毎週観ている「いだてん」の3倍...)クラスのお仕事。わはは、そんな藤森さんのエッセイが読めるのも、刷り部数1000のウィッチンケアならでは。あっ、3000万枚の切手は売り切れ寸前だそうですが、小誌はまだ楽々入手できますよ(...頑張れ!)。

思い返せば藤森さんとは創刊号以来のおつきあいでして、記念すべき第1回の寄稿作タイトルは「茶道楽の日々」。その時点でもうすでに台湾茶やそれにまつわる諸々のことを書いていて...なんと、この10年で「道楽」どころか、もうしっかりその道のエキスパートではないですか! そんな藤森さんが今号で紹介しているのは台湾の伝統的なデザート・豆花(ドゥファ/トウファ)。作中では「いわば豆乳プリンのようなもの。豆花自体に甘みはなく、それを黒糖で作った湯(スープ)や豆漿(豆乳)、冬であれば生姜味の甘いスープに浸して食べる。夏はアイスもいいけど、冬はだんぜん熱々のホットに限る」と説明されています。ネット上でもお洒落な人々が注目し始めていますが、これは、くるな(藤森さんの推しは、これまでもみんな「きた」しw)。

仕事での原稿だったら、きっと「流行の兆しを見せている豆花とは、云々」といった内容になったでしょう。しかし、小誌ではそんなふうに読者を想定する必要がありませんので、どうぞ自由にのびのびと。私はいま台湾にいておいしい豆花を食べているのだ、ということ。そして、そのさいに抱いた雑感などをシンプルにしたためてもらいました。その結果...なんだ、これを読んだら、誰だって1度食べてみなきゃ、と思わずにはいられない、インフルエンシヴ(!?)な名随筆になりました。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、豆花ワールドの門を叩いてみてください!



 思うに、台湾の甜品=甘味はスープもトッピングも甘さが軽いのがいい。自分は日本の「餡」文化を愛しているし、職人の技術と情熱を尊敬してやまないけれど、日本のお汁粉やぜんざいはちょっと甘過ぎる時がある。よそ行きというか、〝リッチ過ぎる〟のだ。台湾の甘味はうっすらとした甘さで最後まで飽きずにザクザク食べられて、このラフさと日常感が、何というか、ちょうどいい。大豆をしぼり、何十種類ものトッピングを仕込むあの仕事量で、どんぶり一杯三十元〜五十元(約百二十円〜二百円)という価格帯も、感動せずにはいられないのだ。

ウィッチンケア第10号〈らせんの彼方へ〉(P198〜P200)より引用

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品
茶道楽の日々(第Ⅰ号)/接客芸が見たいんです。(第2号)/4つあったら。(第3号)/観察者は何を思う(第4号)/欲望という名のあれやこれや(第5号)/バクが夢みた。(第6号)/小僧さんに会いに(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)

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2019/05/27

vol.10寄稿者&作品紹介32 久保憲司さん

久保憲司さんの小誌今号への寄稿作は、スピード感溢れる万華鏡のような読み心地。冒頭ではローリング・ストーンズの「ワイルド・ホース」という曲について語られていて、これは1971年に発表された「スティッキー・フィンガーズ」というアルバムのA面3曲目(ジャケットデザインはアンディ・ウォーホル/アナログ盤にはYKKのジッパーが付いてて、私はチッシュをたたんでビニール袋のうえにセロテープで貼り棚に入れてた、だって他のレコードを傷つけるからw)。切ない曲調のバラードですが、作中の「俺」はこの曲の意味合い(ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフルのうまくいかない恋etc.)に思いを馳せているうちに、ちょっとホワイトアウトみたいな状態になっちゃって(ブラックアウトではないと思う...)、そこからの展開は、「俺」の意識の断片が矢継ぎ早に繰り出されていくという、なんというか、時かけの深町くんから「時の亡者になっちゃいけないよ」と言われそうな...でも、現れては消える逸話それぞれがどれも具体的というか、根拠のないものではなく、明らかに「俺」の実体験が甦ってきているのが、なんか、すごい(←未読のかたにネタバレしたくないので、とりあえず「すごい」にしときます)。

いろいろな有名人、そして実在するのかどうか私には不明な人も登場します。「何で前澤くんにお金を借りに行かなかっただろう」という一文...これはその直前で「ゾゾスーツ」という言葉が使われているので、あのアイドルと宇宙旅行にいくとかいう社長さんのことですね。「クラブ・ヴィーナスで気が狂ったように踊っていた田端くんがかっこ悪かったからだ」...これは、いつもツイッターで炎上してる坊主頭の人(久保さん知り合いなのか)? けっこう重要人物なのか多くの字数がさかれていて、そのくせ最後には「クソ占い」「ドンブリ女」と罵られてる「みーしゃさん」は、実在する? 「ボーイズ・ボーイズの八重歯が可愛いチホさん」...これは私がPASSレコードで1枚持ってたので、久保さんとのお原稿やりとりのさいにいろいろ教えてもらえて楽しかったなぁ(むかし「乙女のロックだんご」を読んだことを言いそびれた、いま同書を検索したらアマゾンで1万2400円!)。あっ、石野卓球も登場してます。 

最後には神様も降臨して、その神様と「俺」のやりとり(「俺はいつも一人が嫌じゃったんじゃ」...)はかなり切ないです。まさに、BGMが「ワイルド・ホース」だというのは、ぴったりだと思いました。そして、本作(とくに、なぜこのタイトルなのか)について久保さんはご自身のWEBマガジン「久保憲司のロック・エンサイクロペディア」で言及していまして...あっ、でもそこには、オチというか、上のほうで隠していることのネタバレも!? 小誌を未読のみなさま、ぜひぜひ、まずはウィッチンケア掲載の小説を読んで、そのあとに久保さんのネット記事を...って、無理か(苦笑)。



 あの時金借りとかなかったのが、失敗か、そうや、そう思って、僕がコラム連載しているスマッシュ・ウエストさんで、占い連載してるみーしゃさんに占いをしてもらったのが間違いだったんだよな。

〝Kさんの場合、2018年の運気で、これからの運勢が変わります。もし、2018年中に金運、体調面が悪かったら、良くなるのが2020年からです。そして、2018年に運気が悪ければ、2021年も悪いと思われます。おそらく2021年から2022年あたりに、それまで続けてきたことを辞めるか、方向転換する可能性があります。それによって状況が改善されて、2022年に金運が良くなってきます〟

 よくもまっ、正確な年まで出して占えたよな、信じてもうたやないか、何の根拠があってこんなこと言うんやろ、責任取れるんやろうか。あのクソ占いを信じて、俺はすべてを捨て、ユーチューバーとして生まれ変わったのに。2021年にユーチューバーになるのは遅すぎたのかな。ドンブリ女に「あんたの言葉を信じてすべて投げ出して、方向転換して、小学生のなりたい職業NO. 1になったのに、俺のチャンネル1000人も行かないんですよ。どうしてくれるや」って言うたら「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昭和のギャグみたいなこと言いよった。

ウィッチンケア第10号〈平成は戦争がなかった〉(P194〜P197)より引用

久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品僕と川崎さん(第3号)/川崎さんとカムジャタン(第4号)/デモごっこ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/スキゾマニア〉(第6号)/80 Eighties(第7号)いいね。(第8号)/〈耳鳴り〉(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介31 開沼博さん

小誌前号から、それまでの〈ゼロ年代に見てきた風景〉を若干リニューアル。ご自身と関わり深い「まち」の変貌を通して時代考察を続けている開沼博さん。開沼さんといえば、震災直後に注目された著書『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』の印象が強いかもしれませんが、しかし2013年にはダイヤモンド・オンラインでの連載「闇の中の社会学 『あってはならぬものが漂白される時代に』」を書籍化した『漂白される社会』(第12回新潮ドキュメント賞候補)を上梓。その後2017年には同書の続編ともいえる『社会が漂白され尽くす前に: 開沼博対談集』も出されていて、小誌への寄稿作は後者のフィールドから派生したもの...私は開沼さんがゼロ年代を通して見てきた“ちょっとヤバい”風景に、お原稿が届くたびにゾクゾクさせられてきています。顧みれば、タイトルが〈ゼロ年代に見てきた〜〉のころの開沼さんは、のちに社会問題化する事象の現場近辺に、けっこう立ち会っていた。その行動力にはずいぶん驚かされてきましたが、今作は新宿という「まち」での実体験にもとづいた一篇で、えっ、開沼さんって、20代をこんなふうに過ごしていたんですか! とさらに驚くことばかり。

寄稿作の冒頭には「2011年3月11日から数週の間、幾度か新宿・歌舞伎町を訪れた時に見た風景を忘れない」と記されています。歌舞伎町を訪れた理由は出版関係者との打ち合わせのためだったり...と、これは平常心で納得できたのですが、続けて“「家賃払えず家を失ったから一時的に頼む」と懇願され自宅に泊めてあげていた歌舞伎町で働く客引きのマナブさん(自分より10歳ぐらい年上で元々原宿の服屋の店員)とだったりした”となると、俄然、開沼さんとマナブさんなる人物との関係に興味が沸いてしまいました。その後、そもそも歌舞伎町には2003年ごろから、“誰でも1000円払えば10 分間殴らせてくれるという「殴られ屋」の本を読んで感動して”会いたくなっていった、と。このあたりの「好奇心旺盛な開沼さん」の様子は、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください!

...もちろん、社会学者・開沼博氏の寄稿作は、「オレも若いころはけっこう無鉄砲だった」みたいな回顧譚だけでは終わりません。2011年3月10日(震災前日)が新宿コマ劇場・新宿東宝会館の解体工事の開始日だったことに、開沼さんはあらためて注目。当時の石原知事が進めた「歌舞伎町浄化作戦」「歌舞伎町ルネサンス」により、自分がゼロ年代に見ていた新宿の風景が、どのように変容したか。その変化は、たとえば同時期の六本木、渋谷、表参道の再開発と同種のものであったのかなどを、時代背景を踏まえて検証。作品の最後には、歌舞伎町のある意味での先端性(“それを先取りしていた”)を指摘する、独自の推論も示されています。



 先輩ライターや編集者とよく行ったのはそこから近い上海小吃(シャンハイシャオツー)だった。路地の奥、出版関係の愛用者も多い店だが、当時から歌舞伎町慣れしている人と、歌舞伎町っぽさを味わいたい人とで混み合っていた。1998年の映画「不夜城」の中でこの店の前の通りが撮影に使われたという話もまだそう古くは感じない時期だったように記憶している。この店だったり、歌舞伎町の他の店だったりでよく見た李小牧さんは2002年に出版した『歌舞伎町案内人』が話題になり継続的に続編を刊行している時期だった。李さんはラブホテルの清掃員、オカマパブのボーイ、お見合いパブのティッシュ配りなどを経て「歌舞伎町案内人」を名乗りだした。要は、歌舞伎町にやってきた外国人客相手の客引きだが、そもそもは中曽根内閣がはじめた「留学生10万人計画」のもとで、日本にファッションを学びにきた留学生の一人だった。この留学生10万人計画とは、他の先進国に遅れをとっている留学生の受け入れによる国際化を達成するために、2000年までに留学生を10万人受け入れることを目指してはじめられた「規制緩和」だった。留学生に限らず、外国人全体に対して固く閉ざされていた日本の規制が緩められる中で、90年代に入ると中国系マフィアが日本国内での犯罪に関わることが社会問題になったり、94年には風林会館近くの北京料理屋で「青龍刀事件」と呼ばれる死傷者がでる中国人内部の抗争が起こったりもしていた。ただ、清濁併せ呑む歌舞伎町の間口の広さは、李さんはじめ野心と開拓者精神にあふれる若者だった少なからぬ外国人にとっての日本でみる夢の受け皿となっていた。

ウィッチンケア第10号〈ゼロ年代からのまちの風景(パート2)〉(P188〜P192)より引用

開沼博さん小誌バックナンバー掲載作品
ゼロ年代に見てきた風景 パート1」(第5号&《ウィッチンケア文庫》)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(第6号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート3」(第7号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート4」(第8号)/〈ゼロ年代からのまちの風景(パート1)〉(第9号)


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vol.10寄稿者&作品紹介30 松井祐輔さん

東京都台東区蔵前にある本屋さんH.A.Bookstoreの店主でもある松井祐輔さん、小誌前号、前々号では本にまつわる創作系作品をご寄稿くださいましたが、今号への一篇は書店経営者として、かなり率直に心中を吐露したエッセイ。世知辛い、世知辛い、とご自身も繰り返していますが、ホント、現場にいるかたならではの、リアリティのある事例が並んでいます。ほんとにねえ、今世紀に入ってからこのかた、システムを組んで中抜きする、みたいなビジネスが隆盛で。コンビニエンスストアのドミナント戦略、なんて話をニュースで聞くと、背筋に冷たいものを感じますよ。ったく、各店舗を定期的に訪れて経営指導を行うスーパーバイザーなんて肩書きの人...いや、それはそれで現場と向き合うんだからキツい仕事かもしれないけれど、けれどもですよ、そもそもその商売のシステム自体が悪魔的なんじゃないっすか、と。...あっ、ちっとも実効性のない世相放談みたいになってしまった。まずは書店主である松井さんの言葉に耳を傾けましょう。

松井さんはこれまでの商売の仕方でいくと「いま以上に手数料を払って商売しなきゃいけない、という未来がすぐそこにみえている」と書いています。私、少しまえにセブンカードってのをつくって、最近はペットボトルのドリンク1本でもそれで買うことに慣れてしまった。カード使うんなら最低でも1万円くらいの買物を、みたいな“小売店に対する良識”、遠くない過去にはたしかにあって、それはわりと共有されていたような記憶もかすかに残っているけれど、いまはもう背に腹は代えられないので身も蓋もなく使ってる(って、あらら、またコンビニエンスストアの話になってしまっていますが)。しかし、小さな書店で1冊売れた文庫本の決済がクレジットとか、ネット販売で注文があって送料実費で発送とか、それは世知辛いなぁ。

印象的だったのは後半に記されている「そもそも、〝マス〟なメディアとしての価値は本にはもうあまり残されていないんだと思う」という一文。...それでも松井さんは活路を見出すべく、取次経験者のノウハウも駆使して、明るい未来図を思索しています。私、少しまえに「マガジン航」に寄稿して、書店の未来について傍観者みたいな雑感を述べてしまいましたが、いやいや、松井さんのような次世代を担うかたには頑張ってもらいたい。みなさま、ぜひ小誌を手にして、松井さんが書店の最前線で考えていることを読んでみてください!



 店頭の売上があまりにも低いので、WEBショップでも開設しようかと思っている。いままでやらなかったのは、ぼくは取次もしているので、卸先と競合するような取り組みをするのはどうなんだ、という道義的な部分もあるのだけれど、そもそも「手数料」という要因が大きい。このご時世、Amazon に倣って送料無料、なんていうものは流石に対抗する気がないので実費で購入者からいただくとしても、新刊本の利益率は20%程度で、仕入代金を支払う際の振込手数料や、クレジットカードの利用手数料3%でもためらうレベルなのに、WEBショップの運営会社に更に月額料金やクレジット決済と合わせて5%強の手数料を取られるなんていうのは耐え難い。こっちは20%の中から家賃をまかなって人件費が出たり出なかったりしているギリギリのラインでやっているのだ。だとしても、利益は雀の涙でも売上が伸びればせめて次の仕入れが楽になる、みたいな、本当に世知辛く切ない理由でそれは検討されている。

ウィッチンケア第10号〈世知辛いから本を売る〉(P184〜P186)より引用

松井祐輔さん小誌バックナンバー掲載作品
出版流通史(編集中)(第8号)/とある平本な人生の話〉(第9号)


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vol.10寄稿者&作品紹介29 木村重樹さん

昨年6月に開催した〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉では総合音楽プロデューサーの大役を果たしてくださった木村重樹さん。小誌には第2号からの寄稿者でして、じつは紙媒体と併行してWeb展開している《note版ウィッチンケア文庫》での掲載作〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち──昭和のレコ屋とロック喫茶をめぐって〉(小誌第2号への寄稿作増補改稿版)は、昨年後半からアクセス数が順調に伸び、現在ページビューNo.1。それも、他の掲載作品に数馬身の差をつけて! 内容のおもしろさもさることながら、タイトルがネット時代にフィットしていることも大きな要因かも。だって、このタイトル作と、たとえば拙作〈幻アルバム〉のふたつがスマホに表示されていて、どっち読むかって訊かれたらオレだって木村さんの作品のほうが「興味あり」ですって...。そうだ、そんな木村さんの小誌バックナンバー掲載作を加筆修正して書籍化、という話もたしか静かに進んでいるはずでして、みなさま、ぜひ御期待ください!

さて、そんな木村さんの今号への寄稿作は、サブカル版「トキワ荘の青春」とでも呼びたくなるエッセイです。昭和の終わりごろ、「当時のわたしは、ペヨトル工房という、甚はなはだ衒学趣味でマニアックな書籍や雑誌や特集ムックを出す零細出版社で編集者をしていたのだった」を過去を顧みる木村さん。そして、その木村さんに「た、大変だ! 昭和が終わっちまったァ〜!」と天皇崩御についての電話をかけてきたのが黒田一郎さん(=あの、村崎百郎)であったという(これまでご自身についてこんなにまとまったかたちで語ったこと、あったかしら?)...このころ木村さんが住んでいたのは板橋区にあった、「鉄筋3階建の細長い住宅の2階部分の窓側」。ここは「もともとそこはわたしの先輩……東京藝大美術学部の卒業生3人組が、アトリエ・仕事場兼住居として借り受けた物件」で、通称〝板橋館(いたばしやかた)〟。作品上では登場人物がアーティストの卵・M氏、批評家の卵・K氏、インド放浪の旅に出たS氏、翻訳家の卵・C氏、役者の卵・D氏などと実名を伏せて語られていますが、きっといまでは卵が孵化して「えっ、あの人のこと!?」なのだろうなぁ、と興味が尽きない青春譚です。

〝板橋館〟にはそうとう“クセのある人”が出入りしていたようで、何気に奈良美智もその一人、みたいな記述があってびっくり! そしてこの「さまざまな若者の人生交差点」には男子だけでなく、誰かの友達であったり彼女であったり、という関係性の女子も、遊びにきたり、住んだり。あっ、木村さんに関する艶っぽいエピソードが書かれていないのは...それは本作における筆者の役割が「目」なので、またいつかなにかの機会にぜひ。後半に登場する箪笥事件などは、ホント、「美大生・芸大生に物件を貸す」さいの、大家さんにとっての大事なアドバイスであります。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、イニシャルで登場する人物を推理したりしてみてください!



 ほんの半年間ほど、館の1階部分に〝謎の美人姉妹〟が住んでいた時期もあった。D君のツテで入居を希望してきたのは、20歳そこそこのN姉妹。聞くと「来年夏にはアメリカに渡って、向こうで生活する」ことを目標に、目下鶯谷のナイトクラブでホステスをして、渡米資金を貯めているのだという。館の女性住人はこれがお初だったが……そして、館の1階部分というのは、表はすぐ中山道や首都高を、昼夜を問わず無数の自動車が爆走し、隣はバイクの修理工場。騒音や排気ガスも半端なく、とても優れた住環境とは言い難かった。しかし彼女たちは目標に向けてアルバイトに精を出し、見事半年で目標額を稼ぎ出し、そそくさと館を出て、アメリカへと飛んでいった。
 ある夜の11時すぎ、彼氏と思しき男性とN妹が、館のすぐ脇の路地でヒソヒソ話をしている姿をチラ見した。たぶんあれは、渡米を目前にした2人の別れ話を目撃したのだろう。気まずい。

ウィッチンケア第10号〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(P176〜P183)より引用

木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品
私が通り過ぎていった〝お店〟たち(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/更新期の〝オルタナ〟(第3号)/マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」(第4号)/ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感(第5号)/40年後の〝家出娘たち〟(第6号)/映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇](第7号)/瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」(第8号)/古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)


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vol.10寄稿者&作品紹介28 久山めぐみさん

小誌第9号での掲載作では神代辰巳と小沼勝という二人の映画監督を介して、ロマンポルノの物語形式を読み解き、そこではなにが描かれているのかを論じた久山めぐみさん。今号への一篇でも、題材はポルノグラフィ。しかしながら、たとえば寄稿作前半で言及されている作品『わたしのSEX白書 絶頂度』について、主演女優・三井マリアがどんな人だったとか、あるいは音楽を担当したコスモスファクトリーがどんなバンドだったとか、そういうことには一切触れられていません。筆者はただひたすら映像に映り込んだ町の風景(とそこでの人間の気配)を観察し、“映画内で繰り広げられる物語”との整合性を探しています。じつは、『わたしの〜』のロケ地は東京都品川区東大井(作品内では「住居表示や駅名などを一切写さず、ある意味で匿名的な場所として映画世界を構築しようとしている」)。西東京在住の私からすると、ええと、オレは競馬もしないし、勤め人時代に運転免許更新で鮫洲の運転免許試験場にいったことあったかなぁ、という(敢えて言いますが)辺鄙なところ。しかししかし、久山さんはそこがかつての宿場町のはずれであり、人工的にできた埋め立て地であるからこそ、隠微で「荒涼とした性の世界」を描くのにふさわしい場所だったのではないか、と推論します。

寄稿作後半では『色情姉妹』『密猟妻』『団地妻を縛る』といった作品を題材に、千葉県浦安市が語られています。浦安といえばいまや、朝井麻由美さんの寄稿作に出てきたファンタジックな鼠のホームグラウンドとして有名ですが、ええと、ちょっとは言及されてますよ。「(第一期埋め立てには、1983年に東京ディズニーランドが開園される舞浜エリアも含まれる。)」と、この地もまた人工的な場所であることを説明するくだりで資料的に。でっ、久山さん的な主題にもどりますと、筆者は1972年制作の『色情姉妹』と、『密猟妻』『団地妻を縛る』(1980年と1981年)では、浦安の描かれ方が異なっていることに注目しています。前者での浦安は「質素な暮らしを営む人々の住む下町であり、リアリズム映画の展開する低地」、それが後者では...このあたりの綿密な考察は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。映画論としてだけでなく、都市論としても読み応えのある内容です!

編集者として忙しい生活を送っている久山さん。本稿執筆のため、休日返上で極寒の浦安取材を敢行してくださったと伺いました(大感謝!)。その成果は寄稿作終盤の、浦安住民が境川沿いを歩くことの意味合い、に触れた箇所あたりに反映されているようにも。また、本作では東西線への語り口が「彼女は東西線に乗り、自分に対して痴漢してきた男を探し回る(もちろん痴漢行為に欲情したため痴漢を次なるターゲットにしたのだ)。東西線は彼女の欲望を乗せて、川を越え、浦安と外部の世界とを往来する」と、印象的(熱い!)ですが、きっと久山さん、取材の往復には東西線を使ったのだろうな〜。



 ところで、立会川が勝島運河に流れ込む東大井二丁目は旧荏原郡大井村の区域にあり、品川宿の南はずれである。立会川が現在の勝島運河に流れ込んでいるすぐ北西には旧東海道がはしる。旧東海道が立会川にさしかかる橋は、かつて涙橋と呼ばれた。大井村は1932年、東京市に遅れて編入された。この一帯は江戸‒東京のちょうど外縁部であり、江戸時代には人・馬・物が行き交っていた場所だった。
 江戸‒東京の外縁部を流れる川を性、死が混淆する異界として表象しうる、という指摘がある。前田愛は鶴屋南北『東海道四谷怪談』で死骸が流れつく深川の隠亡堀に江戸空間の「昏い水のイメージ」を見、為永春水『春色梅児誉美』の隅田川のほとりに「放埒な性の風景」を見ている(「墨東の隠れ家」)。「ノーマルな都市空間」をはずれたところに、そこでしか展開しえない性的放縦がある。立会川の小さな流れと運河の揺蕩いの淫靡びさ。『わたしのSEX白書 絶頂度』は、江戸‒東京の川=異界をめぐる表象の系譜に連なるものではないか。

ウィッチンケア第10号〈川の町のポルノグラフィ〉(P168〜P174)より引用

久山めぐみさん小誌バックナンバー掲載作品
神代辰巳と小沼勝、日活ロマンポルノのふたつの物語形式〉(第9号)

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2019/05/25

vol.10寄稿者&作品紹介27 東間嶺さん

東間嶺さんの小誌今号への寄稿作は、どこか軽やかで風通しがいい...そんな好印象を私は一読目から持っています。いや、べつに心温まる人情秘話とかでは全然ないので、そうだなぁ、そういう感動を期待されると東間さんも当惑してしまいそうですが、しかしこの一篇の主人公・カナは、作者のなにがしかの肯定的な動機に基づいて創作され、世の中に解き放たれたような感じが伝わってくるのです(物語上のカナは酒飲んで、クソみたいな世の中にイミフな持論を撒き散らしてるだけなんだけれども)。たとえば東間さんの前号寄稿作〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉全体に漂っていた鬱々とした空気感や、あの作品に登場した、それこそ『TOKYO COMPRESSION』の被写体のような書き割り的なキャラの重たさは、今作でも描かれてはいるんだけれども、「それが問題」というふうではなく、むしろ「それはたいした問題ではない」というものになっている!? でっ、あの作品で唯一書き割り的ではない、人肌感のある存在だったサイトウマナミ...あの人が転生/アップデートしたのが今作のカナかな、なんてヒグラシの羽音みたいなこと書いたりして(駄洒落が通じなかったら、まさにイミフ...)。

東間さんは5月10日、ご自身が主宰する“言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペース”【エン-ソフ】に、今作〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉についての自己解説、併せて小誌バックナンバーへの寄稿作についてもまとめていらっしゃいます。私は小誌第9号で東間さんを紹介したさいに「いつもリアルタイムな現実に沿った小説作品を寄稿」する人、みたいなことを書きましたが、エン-ソフのエントリーを読んで、あらためて「ホントにそういう人だなぁ」と思いました。初寄稿のエッセイ以外は、昔話なし。少年時代の懐かしい思い出を情感たっぷりに記す、みたいなことを、小説という表現には全然求めていないんだ、と(いや、いつかそれをやるかもしれないが)。最近なにか書くとほとんどが「昔はよかった」的なボヤキになりがちな私としては、東間さんのストイックな姿勢を見習いたいと思います。あっ、それから上記エントリーには「※ 『パーフェクト~』は対として構想されていて、〈乗客〉の側から画面のむこうの〈乞食〉に投げかけられる視線を扱った『ビューティフル・ビューティフル・ビューティフル・マンデイ』を近々書く予定です。」との記述がありまして、これ、とても楽しみ!

カナのような糊口の凌ぎかたを「乞食」と言うこと、今作を読むまで知りませんでした。この言葉は、いまは既存のマスメディアでは不穏当、とされていそうですが、でも作品に倣えば、カナの「乞食」っぷりは、なかなか刺激的。「コアラやパンダは、努力をしない、息をして、食っちゃ寝しているだけで、億円単位の価値を生む。わたしも、同じなのだ」って、啖呵の切れ味鋭いぞ! 人類は資本主義社会以降いちおう経済という「しばり」をルールにしてやってきたけれどもうそろそろそれでは立ち行かなくなって...みたいな、柄でもないでかい世界観にも、思いを馳せられたりして。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、この生意気で刹那な主人公の魅力に触れてください。



 会社をばっくれたとき、わたしは、わたしの「かわいさ」を「使って」生きていこうと決めていた。仕事で色々な『乞食』たちと接していて、こんなやつらより、わたしの方を観たがる人は、もっと、ずっと多いだろうと、確信していた。
 結果として、それは正しかった。はじめてから半月も経たないうちに、わたしは生計というレベルを遥かにしのぐ金額を『支援』されるようになった。
 わたしは、そうした評価や立場を得るための努力を、特になにもしていない。わたしは、他の『乞食』たちが、動画の再生回数や支援を増やすために必死でしているさまざまな奇行や反社会的ふるまい、あるいは露骨な十八禁行為(脱ぎとか、パンツ見せとか、そういうアダルト枠のやつ)をしていない。毎日毎日、部屋で酒を飲みながら独り言をつぶやいたり、朝昼晩の食事をとるありさまや、ベッドで眠りこけているわたしを、延々とさらけ出しているだけだ。

ウィッチンケア第10号〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(P162〜P166)より引用

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品
《辺境》の記憶〉(第5号)/ウィー・アー・ピーピング〉(第6号
)/死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&note版ウィッチンケア文庫生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介26 吉田亮人さん

今年1月に写真集『The Absence of Two』を出した吉田亮人さん。同作については小誌第9号で吉田さんを紹介したさいにも触れましたが、個展、てづくり写真集、という変遷を経て、最終形態として出版社からの発売となりました。吉田さんの公式ブログを拝見すると、発売に合わせて全国の独立系書店を中心にブックサイニング&トークイベントツアーも組まれ、大盛況。すごいな〜。この時点で吉田さんが小誌に初めて寄稿くださった〈始まりの旅〉(←この作品はいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)を再読すると、ホント、写真家・吉田亮人さんは10年前の“インドの首都デリーからムンバイまでを自転車旅行”から始まって、そしてものすごくところまでやってきたんだなぁ(さらに遠いところへといっちゃいそう)と、感慨深いです。

そんな吉田さん。小誌ではずっと写真にまつわるエッセイを寄稿してくださっていますが、今号への一篇はハードウェア、つまりカメラという機械について考察したものです。...じつは私、つい最近ウィッチンケア名義でインスタグラムにエントリーしたのですが(しただけでまだ使い方がよくわかってない)、令和元年から振り返ると、平成最後の10年の写真の進化(というか私たちの日常生活への溶け込み具合の変化)は、すごいものでした。そうだ、私が最初にデジカメを買ったのは、1996年ごろだったかな。仕事のメモ代わりにも使えて便利、それが数年後には、カメラマン同行なしで撮影も任されるようにもなったり。そうなんです、それ以前はどんな小さな記事でもカメラマンと一緒。そして歴史的な石碑なんかは、ノートに文面を書き写してた...と私のことはさておき、吉田さんの寄稿作を読むと、ニコンのD90というデジカメでキャリアをスタートさせていて、「僕自身の気持ちとしては完全にデジタル世代だなと思う」との一文も! そうか、吉田さんは撮影前日までに出版社や新聞社にフィルムを申請して受け取るとか、撮影翌日にラボからあがったフィルムを切り出して、編集者やライターと一緒にああだこうだとダーマト(赤色鉛筆)でポジ袋にチェック入れたりする、みたいな体験、ないんだろうなぁ。なんだかオレも遠くまできてしまったなあ、と感慨深い...。

作品後半では、今年1月に装丁家・矢萩多聞さんとともにインドへ撮影にいったさいのエピソードが語られています。アラビア海にほど近い町・マンガロールでアクシデント発生! そのとき吉田さんは「どんな機材であろうと結局はそれを使って何をどう写し、対象をどう見つめたいのかという写真家自身の思考が最も大事なことであって、カメラはそのための道具でしかないのだ」と実感したと記しています。なにが起こって、吉田さんがその境地に思い至ったのか、ぜひ小誌を手にしてご一読ください。



 今ではD90はとっくに役目を終えて僕は新しいカメラを相棒にして写真を撮っているわけだが、この10年という歳月でD90が兼ね備えていたスペックはあっという間に刷新され、今やミラーレス機やスマホカメラなどの軽量小型簡易化されたカメラが市場を席巻し、一眼レフカメラの地位も危ういものになっている。
 たった10年で「素人カメラマンとプロカメラマン」の差はカメラ技術の猛烈な進歩によってグンと狭まったし、誰もがそれなりの写真を手軽に撮れる。多少のセンスがあればプロ顔負けの写真を撮れることなんて最早みんな知っている。そうやって撮影へのハードルがどんどん低くなっていったことで、カメラは完全に民主化され、そのおかげで恐らく人類史上最も写真が撮られる時代になったと言っていいだろう。
 街に出ればスマホ片手に写真を撮っている人間に出会わない方が難しいし、世界中どこに行ってもみんな本当によく写真を撮っている。僕自身も仕事で使うカメラ以外で最も多く使用しているのはスマホだ。

ウィッチンケア第10号〈カメラと眼〉(P158〜P161)より引用

吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品始まりの旅(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/写真で食っていくということ(第6号)/写真家の存在(第7号)/写真集を作ること(第8号)/荒木さんのこと〉(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介25 矢野利裕さん

つい先月、新刊『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』を上梓した矢野利裕さん。版元の【著者略歴】には“批評家、ライター、DJ”と紹介されていまして、そうですそうです、昨年6月に小誌が主宰した〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉でも大トリDJとして圧倒的なパフォーマンスを披露してくださりました。矢野さんには昨年、トミヤマユキコさんとのご縁をつないでもらったり、とたいへんお世話になっておりまして...そうだ、明日(5/26)の夕方4時から紀伊國屋書店新宿本店で「文化系トークラジオLife トークイベント 武蔵野レアグルーヴ ~いま、〝武蔵野〟を再発見する~」というイベントがあり、民俗学者の赤坂憲雄さん、TBSラジオ番組プロデューサーの長谷川裕さん、小誌寄稿者でもあるライターの宮崎智之さんとともに矢野さんも登壇するので、参加して直接お礼を言ってこよう!

さて、多方面で活躍する矢野さんですが、じつは学校の先生(都内私立の中高一貫校に勤務)でもあります。小誌今号への寄稿作には「本稿は、勤務校紀要に書いた文章を一部改変したもの」との付記が添えられていて、発達障害の生徒に対する国語教育について、さらに新学習指導要領や大学入学共通テストについても、現場発の実感のこもった提言がなされています。読んでいて思うとこ多々あり。そうか、落ち着きがなくてダメな子、と言われ続けた昭和の小中学生だった私は、いまの物差しだと“「合理的配慮」がなされてもいい存在”だったのかも...みたいな自分に都合のいい発見もあれば、文部科学省の方針についての「多様性の擁護それ自体がグローバル資本主義の一要素になっているよう」という指摘にはっとして、この国の未来に思いを馳せたり。作品タイトルにも関連している「ASDの症状においては、デノテーション(外示)を読み取れてもコノテーション(共示)は読み取れない」という一文も、そうなのか! とetc.。とにかく多様な視点/論点を喚起する一篇で、教職関係の知人から「とても興味深く読んだ」とSNSでDMをもらったり...小誌は小さなメディアですが、矢野さんお勤めの学校(勤務校紀要)、という回路以外のかたにも、ヴァージョンアップした作品として届けられたこと、嬉しく思います!

...それで、個人的に今作を読んでいまも胸中に沸き上がっている素朴な(しょうもないっぽい)疑問を、最後に。新しい「論理国語」では公共文書や契約書の読解能力を高めることが求められているようですが、いやね、つい最近携帯キャリアの変更を家電店でしたけれど、社会的にスムーズに手続きを済ませるには、店員さんに求められるまま【同意します】の項にチェックを入れていく、が「正しい」んじゃないか、と。あの場面であのような契約書テキストをしっかり読み込んで長々と内容確認してたりしたら、そっちのほうが社会的に「コミ障」...っていうか、世の中にはこういうことが満ち溢れているような気がして。あの【同意します】の真意...「とりあえずあなたのこと信用しとくから...」と読解するべきなんじゃないかな、なんて。...失礼しました。みなさま私の戯言は放っておいて、ぜひ矢野さんの寄稿作をご一読ください!



 では、コミュニケーション偏重を拒否し、従来的な読解作業を硬派に突き詰めればいいのか。教室空間それ自体が抱える問題は見直しつつ、しかし、授業内容については、どんな条件の生徒であっても負担にならないように、堅実かつ広がりのある読解作業を進めればいいのか。個人的には、それもありうる選択のひとつだとは思う。しかし、だとしても、「合理的配慮」の問題は残る。
 というのも、教員免許更新の講習によれば、現代文における「作中人物の心情を読み取りなさい」式の問いは、自閉症スペクトラム症(ASD)の生徒に対する「合理的配慮」に欠ける可能性がある、というのだ! この発想はまったくなかったので、とても驚いた。自閉症の典型例として、言外の意味を読み取ることができない、行間を読むことができない、というものがある。言葉を言葉どおりに受け取るため、言葉を発した者の皮肉や照れ隠しなどに気づくことができない。そうして人間関係にトラブルが生じることが、ASDの人には多い。

ウィッチンケア第10号〈本当に分からなかったです。──発達障害と国語教育をめぐって〉(P148〜P156)より引用

矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)(第7号)/先生するからだ論(第8号)/〈学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち〉(第9号)

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2019/05/23

vol.10寄稿者&作品紹介24 かとうちあきさん

 昨年6月の〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉では座談会のゲストとしてご登壇くださったかとうちあきさん。昨年の冬に活動拠点だった「お店のようなもの」が閉店、と伺い、それは残念と最後のセールで掘り出し物チェック&打ち合わせをして、そのときはお宝LP(アンジェラ・ボフィルetc)をゲットできたのですが、それから4ヶ月。なんと、「お店のようなもの 2号店」を同じ横浜でオープンとは! 銭湯の向かい側の、元居酒屋さん。今度のお店はつまみも充実している、とのことで、これはまたぜひ伺わなければ。なお、同店へのかとうさんご自身の思いは、小誌第6号寄稿作〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉にてしたためています。

さて、小誌第2号からの寄稿者であるかとうさん。ここ数号ではかなり奔放な筆致で男女の綾を描いておられまして、今回のタイトル〈わたしのほうが好きだった〉からすると、なんか、男子の優柔不断さをびしばし叩いてきたしっぺ返しでも「わたし」がくらったのか、なんて、これまでの続編のようなことを想像して読み始めたのですが、これが、ちがった。重要な登場人物「中里さん」は、どうやら同性の友達のようです。ここで思い出されるのが谷亜ヒロコさんも友達にまつわるくだりのある寄稿作を書いていたことでして、ほんと、その方面には私には窺い知れない世界があるのだなぁ、と。あと、サベックスとプチトマトの取り合わせがなんとも色彩的にキュートだと思いました。

物語の最後に登場するクレジットカードのエピソードは、ものすごく他人事じゃなく共感しました。私も同じような経験があり、しかも善人(←気弱ともいうw)だった私は断り切れなかったせいで散々な目に遭い、しかもたぶん相手はそのことを覚えてなくて四半世紀後に某SNSで「友達」申請してきやがって...ここぞとばかりに“仕返し”しようかとも思ったんですが、けっきょく「友達」になって。って、なにをよくわからないことを、と感じたみなさま、ぜひ小誌を手にとってかとうさんの作品を読んでみてください!



「就活してないって、これからどうするつもりなの」
「ずっと遊んでいられるわけ、ないんだからね」
「まったく、あんたは」
 クラス単位の必修があるのは1年だけだったし、中里さんにもそのうちごはんを食べるともだちが数人できたから頻度は減ったのだけれど、それでも週一くらい、会えばいちおう一緒にごはんを食べていたとおもう。4年になってからは、文系のわたしたちはそこまで大学に行く必要もなかったし、わたしはここぞとバイトや旅行ばかりしていたから、中里さんと会うのは久しぶりだ。
 就活を機に雰囲気ががらりとかわるひとたちの多い中で、中里さんは最初に会ったときから、ほとんどそのまま。ショートボブの髪型も黒髪も、地味な服装も。いつリクルートスーツに着替えても違和感なさそうなんだけど、面接にはてこずっているようだった。

ウィッチンケア第10号〈わたしのほうが好きだった〉(P144〜P147)より引用

かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品台所まわりのこと(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/コンロ(第4号)/カエル爆弾」(第5号)/のようなものの実践所「お店のようなもの」(第6号)/似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは(第7号)/間男ですから(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介23 西牟田靖さん

小誌前号への寄稿作〈連続放火犯はいた〉はシリアスな社会背景を感じさせる内容でしたが、西牟田靖さんの第10号への一篇はプライベートな題材。これは、恋愛小説──いやいや、のっけから「孤独死したアル中男の部屋を掃除するという便利屋潜入記」「老け専ホテトル体験記」といった前作に通じる語句も登場しますが──なのです。「風呂もないボロアパートで孤独感に打ちひしがれながらなんとか生きてきた」ライターとバイト掛け持ちのオレ(タダスケさん)が、突然舞い込んだ女性ファンからのメールで心ときめいてしまう、という。それも、「仲間由紀恵をお姉さんにしたような感じ」だけどそれよりもべっぴんさんだという...『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』といった著作のある現実の西牟田さんとタダスケさん、読んでいるとキャラ設定的にけっこうかぶるような気もしますが、真偽のほどは不明。創作上の夢物語として楽しんだほうがいいのかな!?

タダスケさんはなかなか情熱的(いや、直情的)なお人柄でして、しかしながら女性との駆け引きは苦手気味。作中のヒロイン・こんぶちゃん...この女性のことはタダスケさんのモノローグから想像するしかないのですが、読者として一歩引いて言動をチェックすると、なんか、一枚上手というか、下心を見抜いている? 自らアプローチしたのに、一度会ってからはタダスケさんをのらりくらりと躱しているようで、これ“本を読んで興味持ったけどリアルではいまいち”とダメ出し済み!? あるいは“寂しかったからちょっとからかってみただけ”とか。

個人的にはけっこう刺激的な作品でして、というのも、メールのやりとりでだんだん「お互い心を開いていっ」て、さあ会うぞ、ということになったタダスケさんが「気が合って当日、意気投合してエッチできたらいいなあ」と考えているくだり。相手への期待にもう「エッチ」が組み込まれているのは、なんかすごい! これは、たんに性欲が昂ぶっているだけではないのか? いや、相手は誰でもいい、ってわけではなくて、自分の本を好きだといってくれたこんぶちゃんと特定されているのだから、やっぱりこれは恋愛感情なのだろう...でも、いきなりそれと直結してるのか。なんだか今世紀の初めごろ、所用で渋谷に出かけたら109のシリンダーに半裸の古谷仁美さんが立っていて昼間からよこしまな気分になったことがあったけれど(渡辺善太郎が音づくりをしてたころ...と記憶)、ああいう感情に近いのだろうか、と。そして物語の後半、情熱的なタダスケさんはこんぶちゃんを追いかけてドイツまで行くのですが、果たしてこの恋の行方は? ぜひ小誌を手にとってお楽しみください。



 年が変わってからオレはこんぶちゃんの住むドイツまでのこのこ会いに行った。彼女への思いが最高潮だった。会わずにはおられなかったのだ。会ってもすぐに帰国日が来るのはわかっていた。だがこうしてまで会うことで心の絆をより強いものにしておきたかった。
 彼女は毎日夕方まで工房で過ごす。なのでそれまでの間、オレはひとり街をあてどもなくだらだらと歩いた。お城を見たり、カテドラルに入ってみたり。マイセン焼の皿が売られている店に入り、良さを全然わからないのにも関わらず手にとってみて、さも訳知りの客のように振る舞ったりした。そうして彼女が仕事が終わるのを待ちわびた。

ウィッチンケア第10号〈こんぶちゃん、フラッシュバック〉(P140〜P143)より引用

西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作品「報い」(第6号)/30年後の謝罪(第7号)/北風男(第8号)/連続放火犯はいた〉(第9号)

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2019/05/21

vol.10寄稿者&作品紹介22 若杉実さん

来月には新刊「ダンスの時代」が発行予定の若杉実さん。私は2014年に出た若杉さんの「渋谷系」に衝撃を受け(だってほんとうに渦中にいた人にしか書けないようなことがたくさん!)、その後小誌第6号に〈マイ・ブラザー・アンド・シンガー〉(←この作品はいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)をご寄稿いただきいまに至るわけですが...いや、最初、私は“渋谷系”という本のタイトルに引っ張られて、若杉さんのルーツってネオアコ系の音楽、そこから派生してフリーソウルみたいなダンサブルなものも、みたいな先入観を抱いたまま打ち合わせなどしたのですが、いや、いや、むしろ若杉さんの根っこは広い意味でのダンス・ミュージックのほう(ご自身も踊るのが好き/そしてファッションにも詳しい!)。ですので、もうすぐ出る「ダンスの時代」、とっても楽しみです! あっ、それでファッションのことで言えば、〈マイ・ブラザー・アンド・シンガー〉って字面を見ると、ふつうR&Bとかを想像するかと思いますが、それは「×(ブブーッ)」。正解は...リンク先でぜひお確かめください!

〈マイ・ブラザー〜〉、そして前号への寄稿作〈机のうえのボタン〉でも、物語の主人公はシゲル(業界内では「渋谷系ならシゲ」で通ってる)でした。しかし今号への寄稿作〈想像したくもない絵〉の語り手...あの、少し斜に構えているけど好きなことには寝食を忘れるシゲルさん、なのかなぁ。音楽もファッションも世相も出てこない、父親と息子の話を若杉さんは届けてくださいました。かなり厳しい現実が描かれていますが、しかし、語り手の父親や家族に対する思いが、まっすぐに伝わってくる一篇です。

親元を離れて生活拠点を東京に移した人なら、いつかは体験する状況なのだろうな。今号では長田果純さんもご家族にまつわる寄稿作を届けてくださいましたが、そうだよなぁ...私はたまたま親と同居していますが、首都圏のベッドタウンだって、実家には年のいった親だけが住み、こどもは都心のマンション暮らし、なんて家族形態がふつうになっているのだから。たとえ今作の主人公がシゲルであったとしても、まったく不思議ではない物語。みなさまぜひ、小誌を手にとってご一読のほど、よろしくお願い申し上げます!





 つまらない買い物ぐせがあることは知っていた。ティッシュやトイレットペーパー、洗剤、シャンプー、歯磨き粉、歯ブラシ……外出するたびに生活用品をまとめ買いしてくる。頑迷なくせしてヘンなところに細かく、そういうところがおなじ男としてあまり好きになれなかった。
 しかし同情の余地がないわけではない。孤独なのだ。父がそうやって気を紛らわしているのはわかっている。仕事をしていたときからそうだが、まわりに仲間といえるような人間がいなかった。家には養子で入り、中学に上がると同時に望んでもいない職人の世界に入れられた。以来、朝から晩まで仕事づくし。深夜の機械作業はさすがに控えていたが、日付が変わっても仕事場の照明がついていることもあったため、若いときは近所から「いつ寝ているのか?」と嫌味をいわれていたらしい。

ウィッチンケア第10号〈想像したくもない絵〉(P136〜P139)より引用



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vol.10寄稿者&作品紹介21 荻原魚雷さん

今年3月に新刊「古書古書話」を上梓した荻原魚雷さん。この本は「小説すばる」での長期連載をベースに未収録エッセイ等もまとめた、464ページもある大著。ご自身のブログ(文壇高円寺 3/21日付)には“横井庄一、竹中労、辻潤、平野威馬雄、トキワ荘、野球、実用書……。そのときどきの雑誌の特集に合わせた回もあるので、けっこう幅広い内容の本になっているのではないかと……。/恋愛小説とミステリー特集に合わせた回が苦戦した記憶がある。”と記されています。ブログ(2/22日付)では小誌への寄稿、そして今号に掲載した〈上京三十年〉にも登場する下赤塚についても触れられていまして...少しまえに宮崎智之さんの今号掲載作〈CONTINUE〉紹介で“新御茶ノ水過ぎたら「お江戸」で、その先は●●(伏せ字/陳謝!)”なんて書いていた私からするとすご〜く遠い場所のような気もするのですが、でもエッセイの前半に出てくる「ピンクの共同電話」や居酒屋の「庄や」、そして肉屋の惣菜の話は目に浮かぶほどよくわかります。空間的には少し遠いけど、時間的には同じ軸を生きている人の逸話だ、と。最近は西東京(とも言えない辺境の町田)でも、町のお肉屋さんは絶滅危惧店。まず魚屋が消えて、次に豆腐屋、そして八百屋と肉屋のどちらがサバイヴするのか。コロッケや唐揚げはコンビニエンスストアかHotto Mottoかオリジンで買うもの...やな世の中だなぁ。

平成元年は荻原さんにとって「はじめて」づくしの年だったようです。荻原さんと「元号という区切り」についての話をしたことはありませんが、改元を境に生活も一新したことの感慨が、そこはかとなく漂っている筆致だと思いました。そうだったよな、昭和天皇崩御のころは世の中がイケイケで、だからあの“自粛”がことさら重苦しく感じられたのだった。それで、あの小渕官房長官のずっこけそうな新元号発表のせいかどうかわからないけれど、バブルがはじけて...(自分自身のことも顧みてしまいました。私は先の改元がほぼ独身/既婚の境)。

「このままではいかんとおもったのは二十世紀最後の年──三十歳のときだ」以降の暮らしぶりの語りは誠実で謙虚、でも、ある意味では強い意志に貫かれた、スタイリッシュな生きかたを感じさせるものでした。私も宮仕えせずに令和元年まで生きてきましたが、もうちょっと波が荒く(天狗になったりへこんだり)、ムラッ気を隠さない(無責任で他人のせいにする)やりかたできちゃったな。みなさま、ぜひ小誌を手にして、荻原さんにとっての平成という時代を追体験してみてください!



 お互い、プータローで貯金なし。ただし、いっしょに暮らしてわかったのは同居すると生活が楽になるということだ。
 家賃は半分。光熱費や食費はひとり暮らしのときとそんなに変わらない(水道代はちょっと高くなった)。
 人生の岐路──なんていうと大ゲサだけど、そのときどきは先のことが見えていない。わからないまま選び、後はなんとか帳尻を合わせるしかない。
 特別な才能はないが、食っていくしかない。だったら、どうすればいいのか。
 たぶんプロ野球の解説者がよくいう「わるいなりにまとめる」とか「最低限の仕事をする」とかそういう力が必要なのだとおもう。

ウィッチンケア第10号〈上京三十年〉(P132〜P135)より引用

荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品
わたしがアナキストだったころ(第8号)/〈
終の住処の話〉(第9号)

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2019/05/20

vol.10寄稿者&作品紹介20 谷亜ヒロコさん

作詞家、ライターとして活躍する谷亜ヒロコさん。今年になってからは妖艶なコスプレイヤー・LeChatさんのニューアルバム「Nouvelle lune」の1曲目(朔)&ラスト曲(アイリス)、また拙宅からクルマで20分のところにもある日帰り温泉「万葉の湯」のCM曲にもに詞を提供していたりして、びっくり! 同施設のストーリー仕立てCMは映画館でも流れているようなので、みなさまぜひぜひ、ご注目ください! そんな谷亜さんの小誌今号への寄稿作は、前号寄稿作に引き続き私小説チックではあるものの、どこまでがほんとうかどうかわからない、ウソかマコトか的な魅力のある一篇です。

主人公の「私」は一人旅でウラジオストクへと。帰路、空港カウンターに並んでいると「25年ぐらい前の友達マキちゃん」に似た人を見かけて...このマキちゃんに対する「私」の関心の持ち方が、なんかちょっと意地悪な書きっぷりで笑ってしまいます。そういえば、谷亜さんの小説には恋愛話よりも友達話がよく出てくる、という印象があったので遡ってみたら、前作に登場したミノリとのやりとりも壮絶でした。そうだ、前作の紹介文で私は〈(そこに参加して他の「友達」に)友達だと思われたくない〉という心理に戦慄して書き残していたのであった。。このへんの、女子同士の友達関係って、なかなか摩訶不思議なものがあるなぁ。谷亜さんは巧みな表現でちょっと露悪的に茶化しているけど、単細胞男子には窺い知れない諸々があるのでしょうか? 私は縁がないが、いわゆるリア充とかパリピとかインスタ映えとかLINEグループとか、そういうところって楽しそうだけど強いメンタルも必要なのかもしれない...って、作品冒頭でのエピソードに考え込んでしまって、どうする!?

今作〈ウラジオストクと養命酒〉での「私」は、ちょっとアブナイのです。機内で出会った年下の男に「ナンパされてもいいかな〜」なんて思っている。マキちゃんには「良かったよ、特に会いたいわけでもなかった人と話さずに済んで」だったのに。あっ、でも、この作品が「浮ついた妙齢女子のバカンス話」ではないことは、「私」が旅に出ると決めた動機が明らかになることでわかります...物語の半ばで、母の死について、あるエピソードとともに簡潔に記される。なるほど、だからマキちゃんにいろいろ詮索されたくなくて...なるほど。さて、それでは年下男と「私」との恋の行方は!? ぜひ小誌を手にとってお楽しみください!



「成田から東京行きのバスが1000円という安さで楽チンですよ」と教えたのを彼はスマホで調べていた。私はそれだけでなく「ウラジオストクのこの博物館は元々日本の銀行だった建物だったんですよ」とも教えてあげた。彼は素直に「えーそうだったんだ、知らなかった」と言うので、なんだかとても嬉しかった。
 あぁ私は恋に落ちるだろう。かなり年下だが、それぐらいの子と付き合ったこともあるから大丈夫。私はきっと連絡先を聞かれる。そして色々なことが始まる。飛行機が飛んでいる空に鼻歌を撒き散らしたい気分になった。予定より早く2時間ちょうどで成田に到着。
 さぁくるぞくるぞ。飛行機が止まる。扉が空いてないが、誰より早く外へ飛び出そうとする人たちで通路は埋まる。まずロシア人美女が立った。

ウィッチンケア第10号〈ウラジオストクと養命酒〉(P126〜P130)より引用

谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品今どきのオトコノコ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由(第6号)/夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜(第7号)/捨てられない女(第8号)/〈冬でもフラペチーノ〉(第9号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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