ウィッチンケア第5号への寄稿作「16号線は日本人である。序論」以来、つねに都市やメディアなどに対する多角的な視点での作品をご寄稿くださっている柳瀬博一さん。3月に上梓された「アンパンマンと日本人」(新潮社)も好評のようでして、週刊新潮に掲載された文芸評論家・三宅香帆さんのレビューでは〈アンパンマンはきわめてAI的、という興味深い指摘もなされる。たしかに彼は、常にデータ(顔)をアップデートしながら、そのデータから生み出した結果を、人間たちに与える存在なのだ。アンパンマンは普遍的でありながら、実は時代を先取りした存在でもある〉と、いかにも柳瀬さんらしい考察法方についても触れています。さて、そんな柳瀬さんの小誌今号への寄稿作は「日本は東京以外でできている」。...また予言しておきますが、本作はいずれ書籍になって世に出るであろう筆者の新たな都市論の「核になるアイデア」が詰まった一篇に違いありません(と、思う)。冒頭近くには〈日本は、「東京的都市」と「東京以外」でできている〉という、タイトルをもう少し噛み砕いた一文があり、以後、この見立ての根拠を示しつつ、現在の我が国の構造が紐解かれていきます。
本作の前半では「東京」=「鉄道社会」、「東京以外」=「自動車社会」と定義されています。わかる! 私(←発行人)は1990年〜2013年までターミナル駅寄りの世田谷区で暮らしました。どの方向に歩いても、15分もすれば電車の駅が近づいてくる。ホームに立って、10分以上待たされることはほぼない。でっ、2013年の春から東京都町田市で暮らしていますが、小田急「町田」駅から拙宅まではバス(過疎った時間帯は電車の「新宿⇔町田」くらいの時間待たされる!)、食材の買い物は、けっきょくニトリや西松屋やダイソーが入ったショッピングモールが便利...2016年の冬に母親に頼まれて自転車で買い物にいき、ハンドルバーに白菜4玉ぶら下げて帰宅したときにキレて、しばらくしてクルマ購入しました。町田は明らかに「東京以外」です。
後半ではメディアへの言及も増え、そのどれもが肯首することばかり。〈テレビ局の人と新聞社の人は、揃いも揃っておんなじ景色、おんなじ通勤路しか見ていない。報道の複眼性や多様性など望めるわけがない〉...厳しい指摘ですが、そんな人たちの企業体質が世間の感覚とズレているとみなされてスポンサー(こちらはもう少し世の中を見ている)離れが起こったり、が現実。そして、作中にはもうひとつのキーワードとして「郊外」が出てくるのですが、それについてはぜひ、小誌を手に取ってお確かめください!
日本は、東京的な大都市住民ばかりなのか? そんなわけはない。この定義、人々の暮らし方、生き方、意識のあり方を探る際に、東京的都市と東京以外の街とを見分ける上では、はっきりいって全く使い物にならない。
この定義で都市を規定するととんでもなく勘違いする。勘違いするので、多くのコンサルがトンチキな地方開発をして大失敗する。
東京的都市は、実はものすごく狭い。7000万人? 人口の6割? 冗談じゃない。東京23区と多摩地区の中央線の一部。東京横浜間の私鉄沿線および横浜の中心。以上である。せいぜい2000万人弱。実際はもっと少ない。日本の15%強である。
~ウィッチンケア第15号掲載〈日本は東京以外でできている〉より引用~
柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品:〈16号線は日本人である。序論 〉(第5号)/〈ぼくの「がっこう」小網代の谷〉(第6号)/〈国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と〉(第7号)/〈国道16号線をつくったのは、太田道灌である。〉(第8号)/〈南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)/〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(第10号)/〈富士山と古墳と国道16号線〉(第11号)/〈2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話〉(第12号)/〈カワセミ都市トーキョー 序論〉(第13号)/〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤~〉(第14号)
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