ウィッチンケア第10号からの寄稿者・トミヤマユキコさんは昨年『「ツレ」がいるから強くなれる!バディ入門』(大和書房)、『ネオ日本食』(リトルモア)という2冊の書籍を上梓されまして、私(←発行人)はどちらも楽しく拝読致しました。『「ツレ」が〜』は「バディ」の関係性をさまざまな角度から考察した1冊で、私は『ルパン三世』の石川 五ェ門のバディがルパンでも次元でもなく斬鉄剣、という見立てにシビれました(9章 人とモノがバディになるとき)。また『ネオ日本食』では取材者・トミヤマさんの視点が冴えていまして、食に関わる方から数々の名言を引き出しています。スパゲッティーについてのコラムでの、古市コータローさんの「3口で飽きてこそナポリタン」とか、正し過ぎる。そんなトミヤマさんの小誌今号への寄稿作は「ひとりっ子という生き物の宿命」...どんな宿命について書かれているのか? それをここで記してしまうと物凄く「ネタバレ」感があるのでなるべく控えますが、筆者のパーソナルなできごとへの対処法が、ある種の普遍性を有して読む人に伝わるような内容だなぁ、と感じました。
小誌って、「想定した読者を楽しませるために」みたいなのよりも「書き手がパーソナルな事柄(や思考)を書き留めて」に向いている媒体だと思っています。そもそも発行人が「自分の関心があることを自由に書きたい」でつくった誌ですので...もちろんそれだと独りよがりで「誰が読むの?」になる危険性は孕んでいるのですが、でも、そこは、「文」に「芸」のある書き手が「創作」に勤しんで、《個人的なこと》☞《不特定多数が代入可能なお話》にしていく、と。トミヤマさんの今作、個人的な状況を綴ってはいますが、これは1960年代前半からの都市化/産業構造の変化(高度経済成長期)に伴う核家族化、に起因する、日本の数多くの「ひとりっ子」にとっての切実なお話なのではないか、と。
作品後半で語られている筆者の、「ここからは苦み走った大人として生きていってやろうじゃないの」という覚悟に共感しました。それでは、私がなにか実効的なアドバイス....などできるわけもありませんが(スイマセン!)、人間って、けっこう「気の持ちよう」かな、とは。みなさま、ぜひ小誌を手に取って、トミヤマさんへのエールを!
そんなわけで、わたしはかなり自由に生きてきた。三十歳までまともな仕事をしたことがなかった。大学院に進んだのに研究もしないでパチンコに精を出したり、かと思えばいきなりマンガの研究をはじめたりした。結婚相手はバンドマン。就職先が見つかったと思ったら所在地がまさかの山形。突如はじまる二拠点生活。アラサーの娘がそんな調子でやりたいことをどんどんやっていく。親としては気が気じゃなかっただろう。
~ウィッチンケア第15号掲載〈ひとりっ子という生き物の宿命〉より引用~
トミヤマユキコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈恋愛に興味がないかもしれない話〉(第10号)/〈俺がお前でお前が俺で──マンガ紹介業の野望〉(第11号& note版ウィッチンケア文庫)/〈わたしはそろそろスピりたい〉/第12号/〈変名で生きてみるのもええじゃないか〉(第13号)〈人体実験み〉(第14号)
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