小誌前号(第14号)での寄稿者&寄稿作品紹介では、寄稿者・東間嶺さんが主宰してアート系活動の拠点としていた東京都町田市三輪町にあるオルタナティブ掘っ立て小屋『ナミイタ Nami Ita』が、火事で使用不能になってしまったことをお伝えしました。...あれから1年余、『ナミイタ Nami Ita』は復活! 町田市から神奈川県横浜市青葉区寺家町へと移転して、先月から本格的な活動を再開。現在は現代美術家・山本麻世さんの展示会『だいだらぼっちの毛づくろい』を開催中です。さて、そんな東間さんの今号(第15号)への寄稿作は「(概略)アプデしない生き方のせいで殺されてしまった先生とわたしに関するおおよそ4000字のテキスト。」。戯曲形式の本作は、ある殺人事件の関係者(被害者含む)をZoomで繋ぎ、コトの真相について語り合うが、その最中に、という座組の...世に言うハラスメントを題材とした一篇です。
作中の、あの世からZoomしているBの言い分が、なかなか味わい深いです。〈生前、わたしが大学を出て、現代美術作家として主に活動していた時期は日本が空前のバブル景気に湧いていました。訳がわからないほど大量の金が日本中を飛び交っていて、わたしの作る、既製品と樹脂を使った抽象的な立体作品はホテルに飾るオブジェなどの用途でよく売れましたが、「売れてるからってお前、これ以上地球に産廃増やしてどうすんだ?」とか「あなたの作品って、言うならば資本主義の排泄物ですよね。もう少し頭使ったら?」とか、妬んだ作家仲間や批評家、学芸員からは冷笑、罵倒されていました。制作が億劫になったのも、そんな言われ方をされる自分の状況にいじけて、模倣でしかできない才能にもうんざりしてしまったからでした〉...なるほど、同情はしませんが、そんな体験の成れの果てがパワハラな先生とは。
本作では前半部で物語のタネ明かしがされています。〈これからわたしAとわたしたちがお見せする、とても短い「パフォーマンス」……と便宜上そう呼びますが、そのパフォーマンスは「(説明書)教えていた学生にセクハラとアカハラして刺し殺された先生とあの世からのzoomで話したけど全然反省してなくて驚愕してたら自分も同じ様な理由で妻に刺されることになる、そんな男を中心にするおおよそ4000字のテキスト。」っていうものなんですけど〉、と。...じつは筆者からの初稿段階では、↑の「(説明書)教えていた〜(中略)〜4000字のテキスト。」そのものが作品タイトルとなっていました。少し後に〈このパフォーマンスは、「多義的な解釈に開かれて」いません。メッセージは明快です。〉ともあるので...ぜひ小誌を手にして、このようなスタイルにした東間さんの意図を推察してみてください。
A わたしは、先生がそういうアップデートできないハラスメント老害だと学生の頃からもちろん知っていましたが、自分には被害がないし、無関心でした。でも、まさかこの時代になってまで続けているとは。その危機管理意識に驚愕しました。
B もちろん、わたしの接し方がもはや社会的に許容されないものであるのは分かっていましたが、いったん身についてしまった態度はなかなか変えられないものですし、むしろ変えたくないという幼稚な反発心もあったのです。何も分かってないバカ学生がゴチャゴチャうるせえんだよ、黙って聞いとけ! みたいなね。
~ウィッチンケア第15号掲載〈(概略)アプデしない生き方のせいで殺されてしまった先生とわたしに関するおおよそ4000字のテキスト。〉より引用~
東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品:〈《辺境》の記憶〉(第5号)/〈ウィー・アー・ピーピング〉(第6号)/〈死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)/〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(第10号)/〈パーフェクト・インファクション──咳をしたら一人〉(第11号)/〈わたしのわたしのわたしの、あなた〉(第12号)/〈口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない〉(第13号)/〈嗤いとジェノサイド〉(第14号)
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