久保さんの今号寄稿作タイトル「80」は、1980年のこと。この年の1月にポール・マッカートニーが来日して逮捕され、12月にはジョン・レノンが射殺されました。<オタクはまだ「お宅」とも呼ばれず、その頃一番もてていたのはサーファーだった>と久保さんは書いていますが、たしかに、いわゆる「80年代的」なものごとが始まりはじめてはいたけれど、世の中の表側はまだまだ70年代の延長線上...Y.M.O.の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が年間LP順位1位(オリコンチャート)なんだけど、レコード大賞は八代亜紀の「雨の慕情」。
今作の前半は、おそらく自伝的な内容なのだろうと思います。私は久保さんの「ロックの神様」という本が大好きなのですが、同書の<はじめに>を小説版で展開したようなストーリーで。京都・クラブ・モダーンのEP-4のデビュー・ライブに高校生バンドで出演って、まさにリビングレジェンド!! その後、久保さんはリザードやゼルダの前座もやって、関学の野外ライブで町田町蔵を見て感化されて、81年には単身渡英。その頃の私は...79年にはクリスタルなキャンパスでサーファーな先輩のバックで「オリビアを聴きながら」弾いてたけど、P-MODELやピーター・ガブリエルの「Ⅲ」を聞いて、さすがに志向が変わっていったかなぁ...80年。
作中にはデヴィッド・ボウイがたびたび登場します。<さっきEP‒4の佐藤薫さんとバンさんに会ってな、ボウイな俺のDJで朝まで踊っていったぞ>...なんて一節、鳥肌モノ。当時のボウイは京都に滞在して焼酎のCMに出たり...平沢進さんの追悼コメントで「どうも」と楽屋に現れた逸話など知った後だったので、久保さんの作品がとってもリアルに感じられました。そして作品の後半では、80年と現在を比較した、2016年の世の中についての鋭い意見も...<デフレはお前らをぬるま湯でゆっくりと殺して行くぞ〜〜〜>。
最近は「久保憲司のロック・エンサイクロペディア」が頻繁に更新されていて、久保さんもボウイへの追悼コラムを書いています。この連載、いずれ1冊の本になるのでしょうが、久保さんが小誌第3号以降発表続けてきた小説も、そろそろまとめて読みたい文量になってきました!
「なんか、東寺に住んでいるらしいやん」とキーボードの吉崎ことヨッちゃんが付け足す。「ちゃう、ちゃう、嵐山のほうに、ボウイが出たコマーシャルの社長が別荘持っていて、そこにボウイ住んでいるらしいで、表札に木戸って書いてあったから間違いないと、万歳倶楽部のバンさんが言ったはったわ」
京都のやつらはいつのまにかすごい情報を仕入れていて、このままでは僕のバンドでの立場が悪くなると思ったので、「アホ、ボウイは少年やからキッド、木戸やって、そんなことあるかい、ボウイのボウイはボウイ・ナイフから来てるんやで。ミック・ジャガーのジャガーが古い英語ではナイフという意味で、それに対抗して、ボウイという名前に変えたんや、刃牙さんやないとおかしいですよね」と医大生の藤村さんに助けを求めようとした。ウンチクをさえぎるようにおっとりしたベースのヤマジが「ボウイを見つけて、プロデュース頼んだら、いいんちゃう」と言った。僕らの目は点になった。でも、全員が笑っている。僕はこんなお子ちゃまバンド、ボウイがプロデュースしてくれるわけないと思ったが、でもつい最近出た『スケアリー・モンスターズ』の一曲目「イッツ・ノー・ゲーム(パート1)」みたいに日本語の朗読で僕を使ってくれるかも知れないぞと思った。「よっしゃ、今度の東寺の朝市の時、ボウイ探しに行こう、外人が来る京都のイベント言うたら東寺の朝市やろ、東寺に朝六時集合な」
ウィッチンケア第7号「80 Eighties」(P194〜P199)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作
「僕と川崎さん」(第3号)/「川崎さんとカムジャタン」(第4号)/「デモごっこ」(第5号)/「スキゾマニア」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y
Vol.14 Coming! 20240401
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