清水伸宏さんの小誌第14号への寄稿作「業務用エレベーター」を紹介したさい、私(←発行人)は〈クスリと笑わせつつも、一抹の切なさを醸し出す清水さんの作風...この感じは、小誌への初寄稿作〈定年退職のご挨拶(最終稿)〉(第11号に掲載)から一貫している〉と書きましたが、今号への寄稿作「給水塔 もしくは、ヒマジン・オール・ザ・ピープル」もまた同様のテイストが漂っています。今作では“クスリ”度がやや高めなのですが、しかしこの一篇を「笑える」なんて乱暴な言葉で括ってしまったら、young at heartな“それなりな年齢の男性”への冒涜、というか。最近はあまり言及されたりもしない名言ですが、主人公の「僕」って、きっと胸の奥に「強くなければ生きていけない。 優しくなければ生きていく資格がない」的な心性はずっと抱いていて、でも実生活では妻が強くて、だからせめて優しくはあろうとしているんだけれども、でも「僕」には「僕」の事情があって...といった堂々巡りをしているうちに、気がついたらずいぶん月日が経ってしまい、それならどうしたものか、みたいな。
でっ、本作の「僕」は行動するのです。車内のBGMだったジョン・レノンの「イマジン」に反発(!?)するように決心するのです。20年前から気になっていた、団地の給水塔の真下まで行って、見上げてみようと。ここに至るまでの夫婦間のやりとりがなかなかハードボイルドで──いや、これはあくまで「僕」側からの語りですので妻には妻の言い分があるのかもしれませんが──読者の多くは「僕」の側に付くんじゃないかな。そして物語の舞台は40メートルほどの高さと描写される、給水塔のある団地へと移動して。
〈○○○○みたいな展開になってきたのである〉(作品内での○○○○は実名)の一文以降の展開では、現在と過去、記憶と事実が錯綜します。ネタバレになるので深掘りはしませんが、この切なさを「笑える」なんて...あっ、それは↑で、もう書いたか。でも、筆者自らが“笑い”に昇華することで過去と決別しているようで余計に切なかったりも。そして再び流れる「イマジン」、読者のみなさまにはどのように聞こえるのでしょうか。
話しながら、なんでこんなに給水塔に詳しいのだろうと不思議な気持ちになる。しかし後部座席から反応はない。
ルームミラーを見上げると、妻の耳に白いイヤホンがついていた。最近妻は、勉強になると言って音声プラットフォームのVoicyを熱心に聞いている。
ひと回り年下の妻は多忙だ。僕が早寝になったせいもあるが、夜は僕の寝顔しか見てないし、週末も僕を残してせかせかと出かけて行く。
残念でならない。
朝の会議があるから30分早く出ると直前に言われ、慌ててパジャマの上に薄手のパーカーを羽織って運転席に乗り込む。
「早く早く」
後部座席に乗り込んだ妻が背後から急かす。
僕が定年退職して毎朝出勤する妻を駅まで送るようになって2か月になる。最初のうちは助手席に乗っていた。しかし、車庫が狭くてクルマの左側を隙間なく停めなければならないため、助手席に乗り込むにはクルマを車庫から出してからということになる。せわしない朝にそんな時間の無駄はできないと判断した妻は、すぐに右のリアドアから後部座席に乗り込むようになった。
~ウィッチンケア第15号掲載〈給水塔 もしくは、ヒマジン・オール・ザ・ピープル〉より引用~
清水伸宏さん小誌バックナンバー掲載作品:〈定年退職のご挨拶(最終稿)〉(第11号)/〈つながりの先には〉(第12号)/〈アンインストール〉(第13号)〈業務用エレベーター〉(第14号)
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