ウィッチンケア第2号からの寄稿者・中野純さんの今号への寄稿作は「男性の乳首には隠す価値がある」。本作もまた他の何名かの寄稿作と同じように、時代の移り変わりを鋭く捉えた一篇のように思えます。作品内に登場するキーマン・江頭2:50さんは、そういえば今号の正式発行(2025年4月1日)直前に某テレビ番組(←オールドメディア)でお騒がせ案件を起こしてネットが噴火していましたが、しかしその後、GW前の文春砲案件のおかげでヘンなふううに鎮火(名誉回復!?)、みたいなことになったりして(...この話、わからない人には「なんのこっちゃ!?」だろうなと思いますが、まあ、いいか)...書き手の中野さん、もしこんな展開を先読みしていたのだとしたら、恐るべき予知能力。...それで、世の移り変わりついでにもうひとつ私(←発行人)が感じたのは、この作品タイトル、そうだなぁ、コロナ禍前くらいだったら、「男の乳首には隠す価値がある」だったのではないか、とも。令和七年、「男」「女」という言葉それぞれが歴史的に堆積させてきちゃった“意味合い”が重くなってしまって迂闊には使いづらい。筆者も、ちょっと気配りして「男性」にしたのかもしれない、と思いました(個人の感想です)。
さて、作品の中味ですが、エガちゃんはあくまでも「男性の乳首」を考察するうえでのツカミです。「男性の乳首は徐々に、でも確実に隠すべきものになっているのだ」「男性の乳首自粛は人知れず進んできた」、たしかに。近年の裸系芸人さん、たとえば小島よしおさんとかとにかく明るい安村さんとか...出てきたときに感じたのは、とにかくツルツルで往年のフレディ・マーキュリーやプリンスみたいなパフォーマンスはもう無理な時代なんだろうなと思いましたが、そうか、彼らの乳首も、この風潮だとほどなく隠されるのか。
「そもそもなぜ乳首をそんなに隠さなくてはいけないのか」という、日頃私たちがあまり考えたことのない「そもそも」について、中野さんはかなり多角的に考察しております。奪衣婆、デズモンド・モリス、ビキニトップを着けて胸を隠す人魚のイラストetc.、引き合いに出される多彩な例もユニークで、読み応えあり。みなさまぜひ小誌を手に取って、乳首に関する認識を新たにしてください。
この話はいったいどこへ向かっているのだろう……そうか、エガちゃんが乳首を隠したことで、男性の乳首がエロくなったという話だった。以前はエガちゃんの乳首は別にエロくなかったが、隠した途端にエロくなった。男性の乳首はいったんエロくなったら、最強にエロい。授乳の機能がない男性の乳首のほうが、純粋にエロい。隠すことは想像力を育む。エロいかもしれないものを隠すと確実にエロくなる。