ウィッチンケア第1号からの寄稿者・我妻俊樹さんは先日、ちょっと気になるつぶやきをポストしていまして、敢えて全文引用しますと《自前の欲望だけでは活動が困難で、他者の欲望に巻き込まれている必要があるタイプの作家であるわたしの最初の小説集、最初の川柳句集、新しい怪談集などが出ていない現状は半ば必然ではあるけれど、なかなか、もったいないことのような気もする。》...私(←発行人)もする、しますとも。とくに「最初の小説集」は、ウィッチンケア掲載作だけで15編もあるし。それにしても、「他者の欲望に巻き込まれている必要があるタイプの作家であるわたし」という自己分析、潔いですね。オレ(←私)は諸般の事情の末に自分で小誌をつくって/売って、その場所で好きな創作をしていますが、煎じ詰めれば「人はそれぞれその人なりに」なのですから、後は野となれ山となれ...それでも、我妻さんの選んだ「もったいないこと」という言葉への含意は、私なりに分かる気がします。それで、そんな我妻さんの最近の活動でよく更新されているのは、Hatena Blogでの〈ニセ宇宙(暮田真名さんとの一首評・自歌自解ブログ)〉とnoteでの〈気絶遍歴(仮)〉でしょうか。後者は80000字に達するとなにがしかのアクションがあるようで、それはいまのペースだと8ヶ月後、とのことです。
我妻さんの今号への寄稿作〈スクールドールズ〉は、主人公である「わたし」が一年生として学校に通うところから始まります。私が読んでいる感じだと小学校、あるいは中学校っぽくも感じますが、特定はされていない...すぐに「廊下に学生たちの描いた絵がずらっと貼り出してあった」という学内の描写がありまして、「学生」ならば高等教育の場? いやいや、中~高等教育でも一般に「学生さん」で通じるし、などと野暮なことを考えていても、この筆者の作品には通じません。なにしろこの学校で「わたし」が配属されたのは「一年九十九組」だし、同級生は「クラスの半分くらいがドール」かもしれないし。。。
「わたし」はあることがきっかけで教室の一番前の席の子と友達になります。その子は「わたしの名前はタナナカ」と自己紹介。タナナカは、髪型がイソギンチャクみたいで可愛いのですと! そして、仲良くなった二人は、校長室から出てきた緑色の風船みたいなものと...以後の展開は、ぜひ小誌を手にしてお楽しみください。
わたしは焦ったけれどその子はうれしそうに両手を握りしめて頭を振ってみせてくれたので、わたしも頭を振りながら「イソギンチャク!」「イソギンチャク!」と言い合った。まわりの子たちはわたしたちからちょっと離れた輪になって、ひそひそ声で話したり意味ありげな視線を送ってきた。それを見てたぶんこの子たちの中にはドールがいないなとわたしは思った。ドールならこういうときがらっと空気を変えようとして気の利いた冗談を言うとか、逆にわざと空気の読めないばかげたことを言うとわたしは思う。それはそういう役目でドールがいるんだとわたしが思っているからだけど、そういう役目でドールがいるんだと誰かに教えてもらったことはなかった。どちらかというと世の中にくわしそうな子、物知りそうな子ほどドールなんて本当はいないよと言いがちだ。ドールの情報をくれるのはわたしとドールの情報を交換したがっている子ばかりだった。わたしとその子の情報が入れ替わるだけで、どっちが正しいかを判定する子がいない。
~ウィッチンケア第15号掲載〈スクールドールズ〉より引用~
我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈雨傘は雨の生徒〉(第1号)/〈腐葉土の底〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈たたずんだり〉(第3号)/〈裸足の愛〉(第4号)/〈インテリ絶体絶命〉(第5号)/〈イルミネ〉(第6号)/〈宇宙人は存在する〉(第7号)/〈お尻の隠れる音楽〉(第8号)/〈光が歩くと思ったんだもの〉(第9号)/〈みんなの話に出てくる姉妹〉(第10号)/〈猿に見込まれて〉(第11号)/〈雲の動物園〉(第12号)/〈北極星〉(第13号):〈ホラーナ〉(第14号)
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