2026/05/26

vol.16寄稿者&作品紹介38 吉田亮人さん

 写真家としての個人の活動だけでなく、2023年からは鈴木萌さんと「Three Books」というインディペンデント出版レーベルも運営している、ウィッチンケア第5号からの寄稿者・吉田亮人さん。「Three」を冠した名前なのは「物語」「表現者」「読者」──〝写真集にはそこに、個人的、社会的な「物語」があり、それを真摯に語る「表現者」がいて、それと様々な視点を持って向き合う「読者」の3つの存在があって初めて動き出すもの〟──との思いを込めて、とのこと。そんな吉田さんの今号(第16号)への寄稿作は、同レーベルの最新刊として発行された韓国人写真・キム・ウンジュさんの写真集「癒えない光」の制作にまつわる一篇です。


画像


吉田さんとウンジュさんの作品との出会いは、SNSに流れてきた1枚の写真。〝曇り空の海岸に立つ白髪の老婆。杖をつき、カメラをじっと見つめているが、表情はない。特別な演出など一切ないのに、その写真は圧倒的な存在感を放ち、僕は目が離せなくなった〟とその印象を記しています。ほどなくして、吉田さんはこの写真の老婆が済州島4・3事件の生き残りの方、そして、ウンジュさんが15年もの長期にわたり「5・18光州民主化運動」(光州事件/1980年)を取材してきたことも知り、その記録を「Three Books」から写真集として出版しなければ、と思い至ります。そう思った背景には近年の、たとえばはウクライナとロシア、ガザとイスラエルの紛争などの影響もあった、とも。
作品後半では、ウンジュさんに連れられて訪ねた光州事件の現場や、事件を実際に経験した人々との交流の様子も書かれています。〝彼らを前に、僕はどう言葉にしていいのか分からず、複雑な感情がぐるぐると渦巻いた。ただ黙って話を聞くことしかできなかった〟...筆者の誠実さが伝わってくる態度だと私(←発行人)も感じ入りました。そして、そんな人々と15年も向き合い続けてきた、ウンジュさんの人間性にも思いを馳せながら、写真集「Light Unhealed(癒えない光)」は完成。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、吉田さんがどんな思いでこの写真集を世の中に出したのか、お確かめください。

画像
ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 そんな彼女が15年もの長期にわたり取材してきたのが「5・18光州民主化運動」(光州事件)である。日本ではソン・ガンホ主演の映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」で知ったという人も多いだろう。1980年5月18日に光州市で発生した軍事政権による民主化運動への弾圧・虐殺事件である。
 約200名弱の市民が軍の暴力によって虐殺されたと言われるこの事件は、民主主義国家となった現在の韓国を語る上で避けては通れない、韓国現代史のトラウマ的出来事として記憶されている(2024年12月、尹大統領が戒厳令を発令した際に、多くの人がこの事件を思い出したという)。事件から45年が経過した今も、当事者たちは深い傷を抱えながら生きている。
 ウンジュさんは15年という時間をかけて、被害者や遺族に一人ずつコンタクトを取り、インタビューを重ね、事件に遭遇した実際の場所に立ってもらい、写真を撮るということを続けてきた。
 その数は87名にのぼる。15年の間に高齢化が進み、残念ながら亡くなった方も複数いるようだ。しかし彼女の地道な活動により、彼らの声は貴重な証言として残された。


~ウィッチンケア第16号掲載〈「癒えない光」を訪ねて〉より引用~


吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品:〈始まりの旅〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈写真で食っていくということ〉(第6号)/〈写真家の存在〉(第7号)/〈写真集を作ること〉(第8号)/〈荒木さんのこと〉(第9号)/〈カメラと眼〉(第10号)/〈対象〉(第11号)/〈撮ることも書くことも〉(第12号)/〈写真集をつくる〉(第13号)〈そこに立つ〉(第14号)/〈小さくて、美しい〉(第15号)


 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 
 
【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/
 

2026/05/25

vol.16寄稿者&作品紹介37 加藤一陽さん

 今月1日に発行された『祐真朋樹のSHOP-A-HOLIC MEMORIES』は、ウィッチンケア第13号からの寄稿者・加藤一陽さんが経営するカルチャー系コンテンツカンパニー「株式会社ソウ・スウィート・パブリッシング」の新刊書籍。同社は渋谷区道玄坂の複合施設内にあり、私(←発行人)もお邪魔したことがあるのですが、加藤さんの小誌今号への寄稿作は、その複合施設での日常生活を垣間見させてくれるエッセイです。より具体的には、PRONTOとアイスコーヒーにまつわる話。しかし「アイスコーヒーを注文する」という行為を題材に、こんなにも諸々の考察を拡げてしまう筆者って...ご自身は作中で自分のことを〝パラッパラッパー〟などと称していますが、それは、ご謙遜。


画像
〝事務所が入っているビルは、テナント施設の営業開始が11時だ。そのため、自分は8時頃から働いているが、11時にならなければ事務所以外のフロアには入れない〟とのことでして、「自分」さんは毎朝〝同ビル内で唯一朝から働いていて、かつ喫煙を許容してくれるPRONTOの世話になっている〟のだそうです。喫煙...渋谷はかつて(2010年頃?)、ハチ公前が喫煙場所に指定されていまして、その頃私は禁煙パッチのタイアップ広告の取材で某禁煙団体の代表を取材したことがありまして、そのとき「渋谷はもうハチ公前くらいしか煙草吸えないんですよ」と言ったら「それはハチ公が可哀想だ」と言い返されて...まあ、それはともかく、喫煙者にはいよいよ肩身が狭い昨今ですなぁ。
作中で描かれているのは、毎日アイスコーヒーを注文する「自分」さんと、対応してくれる店員さんとの当意即妙な心理分析(+妄想も)、とでも表現すれば良いのかな。ここで説明をするよりも、↓の引用箇所を読んでいただければ、「自分」さんの繊細さが伝わってくると思いますよ。ぜひ小誌を手にとって、作品全文もお楽しみください。


画像
ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 それで一つ、困ったことになっていて、毎日「アイスコーヒー、レギュラー、コーツーケーアイシー」と喋っていたものだからか、少なくともここ3年ほど、注文カウンターに着いた瞬間にアイスコーヒーがレジ打ちされる、「アイスコーヒーですね」と食い気味に確認される、注文する前から奥のスタッフがアイスコーヒー作り始める、といった有様で、スタッフ連中には何の悪気もないのは分かっているのではあるが、ほかのドリンクを求めるのが憚られる状況になっているのだ。なので自分は、「はい」だか「ありがとうございます」だかなんかを言うのみなのである。無論、消費者として、心をパンクにして「ウィンナーコーヒーが良いと思っていた。今すぐに直してくれたまへ」などと命じることが道理なのはなんとなく解しながらも、自分は肝の据わらないパラッパなので、だらしない笑みを浮かべてアイスコーヒーを受け入れる。氷点下の雨氷の朝でも、だ。しかし、スタッフ連中は〝先回りして客の要求に応えるデキる若者たち(しかも、とても気の良い)〞であることは間違いなく、となれば、真逆な性質のおっさんのことなど理解し得ないに違いないので、ブルブル震えてアイスコーヒーを取る自分を見て、「こんな寒いのにアイスコーヒーばかり飲んで馬鹿なんじゃないか知らん」「ほかのメニューの文字が読めないのだろうか」「冷えて死ぬんじゃないか」などと心配されているようでまた恥ずかしい。


~ウィッチンケア第16号掲載〈俺の生活の柄〉より引用~


加藤一陽さん小誌バックナンバー掲載作品:リトルトリップ〉(第13号)/〈俺ライヴズマター、ちょっとしたパレーシア〉(第14号)/〈俺のヰタ・セクスアリス〉(第15号)

 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 
 
【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/
 

2026/05/24

vol.16寄稿者&作品紹介36 コメカさん

 ウィッチンケア第13号からの寄稿者・コメカさん...初寄稿作〈さようなら、「2010年代」〉は批評的エッセイだったものの、その後は小誌を小説発表の場にしておられまして、今号への寄稿作〈ゲームセンター〉でも独自の作風が際立っています。私(←発行人)はコメカさんのことを、TVOD(バンスさんと共同名義のテキストユニット)での評論活動で知りましたが、最近は、とくにXを拝見しているとニューウェーブ/テクノポップバンド「MicroLlama(マイクロラマ)」のメンバーとしてのポストが多く...コメカさんって、もしかすると、本質的にはクリティック<クリエイティヴ志向なのではないかな、なんて思ったりもしているのですが...いや、これは勝手な憶測ですね(スイマセン)。


画像

〈ゲームセンター〉の主人公・「おれ」は、仕事後の終電での帰宅途中、〝普段は気にも留めていなかった雑居ビルの一階シャッターが、半分ほど開いてい〟ることに気付きます。覗き込んでみると、真っ直ぐな通路が伸びていて、かすかに〝ピコピコとした20世紀っぽいレトロな電子音〟が漏れ聞こえてくる。このあたりからもうしばらくは現代の話かな、と思って読んでいると、あっ、違うんだ。筆者がどの時代に設定して物語を構築したかは、ぜひ小誌を手にしてお確かめください(ネタバレ自粛/ヒント:このゲームセンターは現金のみで喫煙可能です/これ、ヒントになってるのか?)。
「おれ」以外の登場人物としては、まず本作での狂言回しとも言えそうな、ゲームセンターの店主と思しきツナギ姿の小柄な中年男。他には「おれ」よりあとに店に入ってきて、先にシューティングゲームを始めた〝全身黒ずくめの小柄な女〟とか〝チンピラ風の若い男〟とか〝どう見ても小学生にしか見えない少女〟とか〝おれとおなじようなスーツ姿の恐らくサラリーマン〟とか〝やけに派手な格好をした老婆〟とか、どういう脈絡で集まってきたのかわからない人々が出てきますが...いや、脈絡(共通点)はあるのです、たぶん。そこでゲームに興じている人はみんな、ツナギの男が言うところの「そういう人」。そういう人、って!? 本作を読み終えると、きっとあなたの脳裏でもピコピコ音が鳴り始めますよ。


画像
ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 またいつの間にか近づいてきていたツナギの男が、おれの筐体を覗き込みながら言う。
「そういう人が、口コミ伝いでも無しに偶然ここに辿り着いたのは、運が良いですよ」
 ニヤニヤしながらそう言って、画面の数字をメモ帳に書き留めている。
「そういう人って?」
「まあ、これから通ううちにわかりますよ」
 男はメモ帳を片手に店の中央にある柱に向かって歩いていき、かけられていたいくつかのホワイトボードのひとつに、なにか数字を書き入れ始めた。男が言う。
「なんでもいいから、名前を言ってください」
「は?」
「あんたが出したスコア記録ですよ。なんでもいいから、プレイヤー名を決めてください。そのゲームだと、この店で歴代第九位の記録。あんたそのゲーム、たぶんはじめてプレイしたんでしょ? すごいことですよ」


~ウィッチンケア第16号掲載〈ゲームセンター〉より引用~


コメカさん小誌バックナンバー掲載作品:さようなら、「2010年代」〉 (第13号)/〈工場〉(第14号)/〈カニ人間〉(第15号)

 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 
 
【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/



 

2026/05/23

vol.16寄稿者&作品紹介35 かとうちあきさん

 ウィッチンケア第2号からの寄稿者・かとうちあきさんは、“人生をより低迷させる旅コミ誌「野宿野郎」”の編集長です。「野宿入門」(草思社)などの著書もあり、いわばサバイバル生活の達人。小誌とは短くもないおつきあいとなっていますが...そんなかとうさんの今号(第16号)への寄稿作のタイトルは〈中年になってわかった〉...いやあ、初めてお目にかかってから17年も経っているのですから、そりゃ当時は明らかに若者だったかとうさんが〈中年〉について語ってもおかしくはないのですが(そして当時〈中年〉だった発行人は、めでたく〈高齢者〉へと...)。ところで、今作なんですが、これはノンフィクショナルなエッセイなのか、創作作品なのか? 筆者のキャリアを鑑みるに、どちらにでも取れそうですが、私(←発行人)はその曖昧さも込みで、楽しく拝読致しました。


画像



酔っ払ってご機嫌そうな「わたし」の日常が描かれていますが、でもユーモアとペーソスが微妙に絡み合っていて、私の頭には「諦念」という言葉が浮かびました。あと、いくつかの回想場面が、妙に生々しかったり。なんか、歳を重ねると、ときどき突然過去のあるできごとをくっきりと思い出すことがあったりするけれども、ああいうのは、なんなんだろう? 〝十代の頃、実家の「食卓」が苦手だった〟〝食卓こそが家族の閉塞の象徴だ、ふぁっきん家父長制、ふぁっきん食卓、などと思う、思春期の真摯さよ〟...人と食事をともにすることに喜びを感じている「わたし」にとって、家父長制に起因する実家での「食卓」は、かなりのトラウマだったのかな。


〝中年になったいまも、固定化した関係が閉塞へ向かうことへの恐怖はあって、一人暮らしが気楽で安心〟という一節も、読み留まってしまいました。仲間とワイワイするのが楽しそうな「わたし」とは違う一面が、行間からふと浮かびんでは消えていく。そしてコカ・コーラにまつわる、友だちとのエピソード。中年ともなると、確かに人間関係も、若い頃の勢いのままでは立ちいかないかもしれないなぁ。...みなさま、ぜひ小誌を手にとって、作品最終行に書かれた〝わかったのだ〟というひとことまでお目通しください。ちょっとしんみりですが、人は誰でも、です。

画像
ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 そういえば、店を出た時、植え込みで拾ったのだ。マクドナルドの紙コップを。なみなみと入ったそれは、飲んでみると、コカ・コーラで。
「コーラが、コーラがありました!」
 酔っ払いは、同じ言葉を繰り返したい。
 そう言って、いつも素面で呑んだくれたちに付き合ってくれる、店でコーラを注文していた友だちに渡したはずだけど、あれ、どうなったんだっけ。友だちは、困った顔をしていたような気がする。急に思い出し、
「あの人、コーラ、飲んでくれなかったね」
 親しくなった人に言うと、
「いや、一口飲んでくれたじゃないですか」と教えてくれた。
そうか、一口飲んでくれたんだ。
 あんな得体の知れない、雨水で薄まり気が抜けたコカ・コーラの残滓のようなものを。わたしがうれしそうに渡したから。そういえば、「毒見はすませました」って得意げに言って、渡したような気もする。
「とてもいい人だ。すごくやさしい」
 あの時、あの友だちを喜ばせたい気持ちに嘘はなかったはずだけど、それよりじぶんがコーラを拾ったうれしさと、拾ったコーラを共有したいおのれの欲求のほうが強かったことは否めず。いやがらせと捉えられても、おかしくない行為でした。


~ウィッチンケア第16号掲載〈中年になってわかった〉より引用~


かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/〈チキンレース問題〉((第11号)/〈鼻セレブ〉(第12号)/〈おネズミ様や〉(第13号)/〈A Bath of One’s Own〉(第14号)/〈宇宙人に会った話〉(第15号)

 
※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 
 
【最新の媒体概要が下記で確認できます】


 
 https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/




2026/05/22

vol.16寄稿者&作品紹介34 仲俣暁生さん

 ウィッチンケア第3号からの寄稿者・仲俣暁生さんは今年1月、ご自身が運営する個人出版(軽出版)レーベル《破船房》より「自由について」というエッセイ集を刊行しました。収録されているのは、おもに仲俣さんがこれまで小誌にご寄稿くださった作品からのセレクション。同書については今号(第16号)への寄稿作〈スローラーナー〉でも触れていらっしゃるので、ここで重複するような紹介はしませんが、私(←発行人)としては「雑」な「誌」の中で離れ離れになっていた「大切な記録(記憶)」をリブートさせ、新たなかたちにまとめ上げてくださったことに大感謝! ですし、嬉しい限りであります。


画像
さて、そんな仲俣さんの今作は、「自由について」をまとめる過程で〝痛感した〟という、〝自分には青春時代の読書の記憶がほとんどない、ということ〟についての回想、そして自分が〝青年後期の読書の時代〟へと至るきっかけになった編集者・植田実の著書『真夜中の家──絵本空間論』という本についての一篇です。作品前半で語られている筆者の二十代...〝生活は音楽漬けで、書物が入り込む余地はほとんどなかった〟〝東京の東から西まで住んだ。すぐに引っ越せるよう家財道具は最小限度に留めるようになった〟。mmm…仲俣さんはいまも音楽に造詣が深いですし、それ以上に若い頃から博覧強記だったのでは、と勝手に想像していましたので、ちょっと意外ではありました。
昨年11月に亡くなった植田実と『真夜中の家──絵本空間論』にまつわる逸話は、個人的な記憶と絡めながら、とても丁寧に記されています。とくに本のタイトルにもなっている「絵本空間」という概念(!?)が、自らの転居生活とシンクロするくだりなどを拝読すると、筆者にとってこの出逢いがいかに大きな転機であったか、ひしひしと伝わってきます。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、現在の破船房房首・仲俣さんの原点ともいえるできごとに立ち会ってみてください、

画像
ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
『真夜中の家』は基本的には書評集で、広義のファンタジー作品について論じている。副題のとおり「絵本」が大きな意味をもつが、小説やマンガ、写真集についても幅広く言及がある。カラーの口絵が数葉挟まれていて、その禁欲的ながらも効果を上げる使い方に、当時の私は編集の極意をみた気がした。
 この文章を書くために、久しぶりに読み返してみて驚いたことがある。
『自由について』には早くに亡くなった伯母の思い出を書いた文章を二つ収めた。その片方で、ヒルダ・ルイスの『とぶ船』を取り上げた。私にとってもっとも思い出深い本の一つであり、なおかつ、その中身をすっかり忘れていた本として。植田さんの『真夜中の家』にも、この本への言及がある。二十代の私はそのことにすぐ気づいたはずだ。そして、購入する強い動機のひとつにしたはずである。


~ウィッチンケア第16号掲載〈スローラーナー〉より引用~


仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品:〈父という謎〉(第3号)/〈国破れて〉(第4号)/〈ダイアリーとライブラリーのあいだに〉(第5号)/〈1985年のセンチメンタルジャーニー〉(第6号)/〈夏は「北しなの線」に乗って ~旧牟礼村・初訪問記〉(第7号)/〈忘れてしまっていたこと〉(第8号)/〈大切な本はいつも、家の外にあった〉(第9号& note版《ウィッチンケア文庫》)/〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(第10号)/〈テキストにタイムスタンプを押す〉(第11号)/〈青猫〉(第12号)/〈ホワイト・アルバム〉(第13号)/〈そっちはどうだい?〉(第14号)/〈橋本治の書物観〉(第15号)


 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 
 
【最新の媒体概要が下記で確認できます】

 https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/

Vol.16 Coming! 20260401

自分の写真
yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare