2026/04/25

vol.16寄稿者&作品紹介05 稲葉将樹さん

 ふと気づけば、私は今月もディスクユニオンで至福の散財をしてしまっているわけですが(吉祥寺店でJon Brionの「Meaningless」のアナログ盤を適価で発見!)、そのユニオンさんの出版部門であるDU BOOKSの編集長・稲葉将樹さんのウィッチンケア第16号への寄稿作は、ご自身の身体にまつわる不具合を題材に、視覚についての考察を巡らせたエッセイ。初夏に斜視の手術が控えていることもあって冒頭から「気が重い」と...序盤はかなり痛そうなトピックが続きまして、心中、お察し致します。しかしながら、本作がいわゆる「闘病記」的な苦労話ではないのは、筆者の卓越した教養と洞察力の賜物ではないでしょうか。

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眼科医のアドバイスで手術を受ける決心をした稲葉さんは〝今回はじめて斜視について調べてみると、「立体視ができない」「物が二重に見える(ピントが合わない)」が主な症状〟だとあらためて知ります。そういえば、と過去の自分に思い当たるフシがいくつも。たとえばキャッチボールが苦手だったとか、6年間やっていたサッカーでも、タイミングよくボールを蹴れなかったとか。それだけでなく、東京ディズニーランドの「超遠近法」による書き割り的風景に癒されていた二十代頃の自分のことも思い出し...このあたりからの視覚に関する考察の展開が、とても興味深いのです。


映画「グランド・ブダペスト・ホテル」等のウェス・アンダーソン監督、小津安二郎。写真家のエリン・オキーフ、アンドレアス・グルスキー、安藤瑠美。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ。ご自身の視覚体験に引き寄せて、錚々たるアーティストの作品や技法の特徴を語っていくくだり、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください。そしてなによりも、手術が無事終わることを祈念致します。夏以降、筆者の〝奥行把握が困難ななかでのグラフィカルで平らな喜び〟にもなにがしかの変化があるのか? いつの日か、後日談もぜひぜひ、どこかで。
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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 五十年近く生きてきて、ようやく気づいたのだが、絵画やグラフィカルな映画が好きなのは、斜視の見え方と無関係ではないのかもしれない。映画だと、ウェス・アンダーソンが好きだ。一般的には「お洒落な箱庭的演出」と評されるあのド正面の視点と人工的なシンメトリーは、私にとっては単なる美学を超えた、脳が余計な奥行きを計算しなくて済む親切設計なのかも。内容はともかく心安らかに鑑賞できる。日本映画だと、もちろん小津。手前に人物を前後に置き、奥には障子を配し、さらにその奥に別の居間や庭が続く。小津も空間を「連続的な奥行き/深さ」としてではなく、何枚ものレイヤーが重なり合った「層」として構成してくれている。立体視がしづらい私の目にとっては、小津映画は世界を自動的に切り絵のようなレイヤーへと分解し、それぞれの層が持つグラフィックの美しさを抽出するフラットな断片の集積としての映画体験なのであった。

~ウィッチンケア第16号掲載〈斜視と平面世界〉より引用~

稲葉将樹さん小誌バックナンバー掲載作品:人工楽園としての音楽アルバム 〜ドナルド・フェイゲンとケニー・ヴァンス〜〉(第14号)〈下妻〝書店〞物語 1980年代〉(第15号)

 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

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2026/04/24

vol.16寄稿者&作品紹介04 絶対に終電を逃さない女さん

 昨年11月に発売されたご自身にとって2冊目の著書「虚弱に生きる」が増刷を繰り返している、絶対に終電を逃さない女さん(以後「終女」さん)。私はこれまで「ヒットした本」にスタッフとして関わったことはある(ふりかけの裏面に表示されている〈原材料:海苔〉みたいなクレジットで...)ものの、自ら「ヒットした本」を書いたことなどないので、ただただ「素晴らしい! おめでとうございます」と感服してしまいます。そんな終女さんがウィッチンケア第16号にご寄稿くださったのは、〈今「売れている」私の現状〉と題された、まさに今だからこそ書いておきたかったのであろう、おカネと人間関係、そして信念にまつわるエッセイ。(こういうこと、小誌は大歓迎です!)


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作品冒頭から、かなり具体的な印税収入額などが書かれています。ここで筆者が(たぶん、敢えて)文字にして列挙した「百万円」「五百万円」「一千万円」「五千万円」という金額(の価値?)をどう捉えるのか。筆者は後段で「物差し」という言葉を使っていますが、ここに並べている金額を、終女さんはあくまでも「自分の物差し」で計って値踏みしているのです。一見、挑発的な物言いでありながら、じつはかなり冷静で、しかも用心深い。「虚弱に生きる」が多くの読者の共感を得たのは、この「自分の物差し」で自らと率直に向き合い、丹念に対処法を探り、世の中との折り合いをつけてきた姿勢があってこそ、だと思えるのです。


「売れた」ことによる人間関係の変化についての記述も、私には「攻めてるようで謙虚」に読めました。「先生」という言葉をリトマス試験紙に自分が人として見られているのか商品として見られているのかを測りつつ、では「商品としての自分」は誰がどうやって生み出したのかについても思いは至っているし。あっ、終女さん特有のユーモアも、本作全般に含まれていて思わずくすりと笑ってしまいます。〝この一ヶ月の間で私は、うっかり依頼と違う内容を書いた原稿を送り、イベントの告知文案で名前を「終電を絶対に逃さない女」と間違えられているのに気づかずOKを出し〟...これって、いわゆるキャパオーバーの典型例ではないですか! とにかく、「虚弱に生きる」読者にはぜひ読んでもらいたく、筆者を終女先生と呼ぶ方には、ちょっと隠しておきたい一篇です。そして終女さん、じつは小誌前号に虚弱をテーマにした小説を寄稿しています。ご興味のある方は、ぜひぜひ!!

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 若い頃から続く原因不明の身体の不調や体力不足を「虚弱」という切り口で語ったことが画期的だと言われているが、そのアイデアは私のものではない。そのアイデアへの賞賛は、虚弱体質についての対談を提案してくれたライターのヒオカさんや、虚弱体質についてのエッセイを企画してくれた担当編集さんなどにまず向けられるべきものではないか。虚弱の原因を探るでもなく、虚弱を治す方法でもなく、ただ虚弱であることについて語ることの、潜在的な需要を見抜いた人たちに。私はまったくもって、見抜けなかった。
 確かにその上で、内容は私にしか書けない本である自負はあるし、そこをちゃんとわかって褒めてくれるのは嬉しい。だが、「売れている」というだけですごくて偉いみたいな扱いをされると、途端に私の心はさ──っと遠くに逃げていく。私が持っていない、持たないようにしてきた物差しで測られることから、咄嗟に距離を置こうとする。

~ウィッチンケア第16号掲載〈今「売れている」私の現状〉より引用~

絶対に終電を逃さない女さん小誌バックナンバー掲載作品:〈二番目の口約束〉(第14号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈ちょっと疲れただけ〉(第15号)

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2026/04/23

vol.16寄稿者&作品紹介03 佐々木敦さん

 前号にはとって〜も長いタイトルの一篇をご寄稿くださった佐々木敦さん。同じ路線を継承するのかな、と思っていましたら、ウィッチンケア第16号ではまったく違う作風のエッセイ...ごくごく個人的な、ある友人との思い出を綴った作品を(こういうこと、小誌は大歓迎です!)。...ちょっと変な言い方になるかもしれませんが、私にとって佐々木さんの本やネット上のテキストは、つねになにかを「学ぶ」ための原典だったように思われ(それは前号掲載作でも)、それが今回〝素のままの佐々木敦さん〟と言いますか、お人柄が伝わってくるテキストと接して、とても新鮮な気持ちになりました──心優しい兄貴、みたいな佐々木さん像。




「A君のこと」と題されたエッセイ。A君とは筆者が小学五年生のときの同級生で、ある事情があり、年齢は1歳上だった、とのこと。当時の担任の先生から頼まれて、クラス委員か何かだった筆者はA君の面倒を見る役割を担うことに。そのA君との交流の様子やクラスメイトのこと、A君の弟から聞いた過去のあるできごとについてなどが、淡々とした筆致で語られています。そして、ある日、A君と筆者、そしてクラスメイトとの関係性が大きく変わるできごとがあって、それはA君が「ササキの誕生日、何年何月何日?」と唐突に訊ねたのが発端。作中では「サヴァン」という言葉が使われていますが、A君はサヴァン症候群(Savant Syndrome)に見られる特殊な才能を、まずは筆者、その後は他のクラスメイトなどにも開陳し始めるのです。


本作を拝読して、私も中学1年生だったときの、ある同級生のことを思い出しました。私はクラス委員ではなかったし、担任から何かを頼まれたわけでもなかったので、同級生としてごく普通に接していた...いや、正直に言うと、どう接していいのかよくわからず、ちょっと敬遠気味に1年間をやり過ごしたかもしれないな。佐々木さんは終盤で〝だが、どうしてか私はA君のことを何度も思い出す。それは彼の声だ。「ササキの誕生日、昭和39年7月8日水曜日!」〟と記していますが、こういう「繰り返される記憶の断片」って、とてもリアルに感じられました。...A君がどんな人だったのかは、ぜひ小誌を手にしてお確かめください。


ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E



 ある日のこと、A君が私に「ササキの誕生日、何年何月何日?」と訊ねた。「昭和39年7月8日」と答えると彼は間髪入れず「水曜日!」と言った。何それ? おそらくその時は確かめようがなく、ただ変な空気になっただけだったのではないか。だが、よく覚えていないが何かしらの方法で私は自分の誕生日が何曜日だったのかを調べて(親に聞いたのかもしれない)、水曜日で合っていることが判明した。何だこれは?
 翌日の学校はこのことで持ちきりだった。クラスメイトは次々とA君に自分が生まれた日の曜日を問い、彼は即座に正答した。考えているらしき時間は全くなかった。答える時のA君はどこか誇らしげで、なんだか大人っぽくさえ見えた。誰かがカレンダー(?)を持ってきて、何年何月何日は何曜日? をデタラメに質問していったが、A君は難なく答えを口にした。彼は一躍クラスの、いや学校の話題を独占することとなった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈A君のこと〉より引用~


佐々木敦さん小誌バックナンバー掲載作品:おそらく実現されることはないであろうわたくしの夢のひとり出版社の、もしも実現したとしてもおそらく実現できることはないであろう、夢の刊行予定リスト〉(第15号)



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2026/04/22

vol.16寄稿者&作品紹介02 山本アマネさん

 前号からの寄稿者・山本アマネさんはイラストレーター/グラフィックデザイナーとして活躍中。昨年秋、そして先月はエミリ・ディキンスンの詩集「Envelope Poems」から着想を得た作品展「Unknown Letters」を、東京・高円寺のAmleteronと神戸の書店1003で開催。この展示会での作品は1003のオンラインストアで、今月いっぱい販売されています。


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山本さんのウィッチンケア第16号への寄稿作は「時間と自由」。前半ではご自身が最近観た映画に重ねて、年齢とともに時間に対する感覚が変わってきたことなどが語られています。「私が故郷で過ごしてきた十五年間と、上京し大学を卒業したあと、働きながら過ごしてきた十五年間とでは、日々の濃度が全く異なるように感じる」という一文など、多くの方が共感するのではないかな。ジャネーの法則ではないですけれども、私の最近の1年なんて、子供の頃の、あの長かった夏休みの10分の1くらいに感じられちゃって、もうあっという間に死んじゃうんじゃないかな、とか、思いながら生活しています。


作品後半では、やはり映画(『ワン・バトル・アフター・アナザー』『ニーナ・シモン〜魂の歌』)を引き合いに、自由についての考察がなされていますが、そこには2026年初頭〜2月あたりの世情が色濃く反映されてもいて...4月になって読み返してみると、筆者の執筆時の焦燥感が、より現実味を帯びて伝わってきます。作中に引用されている、ニーナ・シモンの言葉とされる「自由」の意味を、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。常軌を逸しているとしか思えないどこぞの国のトップたちが、どれだけの人の時間と自由を脅かしているのか。その「どこぞの国」にも、まともな人がたくさんいることを信じたい昨今です。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 それとは対照的に、現実生活での私の動作はどんどん減速し、スローモーションになっていく。インターネットを5分見ようと思えば、気がつくと30分経過している。この文章を書いている現在、急な衆議院解散総選挙の真只中であり、加えて旧統一教会のTM特別報告文書の公開、政治家の裏金問題、海外ではアメリカの移民を取り締まるICEによる暴力の激化、エプスタイン文書の公開、終わることのない侵略……。一日中インターネットの前に齧り付いていても足りないくらいの情報が発信され、消費されていく。この受動的な依存状態こそソーシャルメディアの陰謀かもしれないと感じつつ、またSNSを開いてしまう。そして、その日にしなければならない業務をこなすうち、あっという間に一日が終わり、毎日のように今日は何も出来なかったと感じる。それは単に齢を重ねた故であり、自分の怠惰のせいかもしれないけれど。

~ウィッチンケア第16号掲載〈時間と自由〉より引用~

山本アマネさん小誌バックナンバー掲載作品:〈いつも読書の途中〉(第15号)

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2026/04/21

vol.16寄稿者&作品紹介01 柳瀬博一さん

 ウィッチンケア第5号からの寄稿者・柳瀬博一さんは今号の巻末にある《参加者のVOICE》欄で「これからは土木っす!」と記していますが、これは勤務先の大学(柳瀬さんは東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授〈メディア論〉なのです)で2024年から推進している、横浜キャンパスに「ホタルが暮らせる谷」を再生・創造するプロジェクトについてのコメント。柳瀬さんのnoteには進行具合が克明に記録されていて、小誌への原稿執筆頃の写真には、土木作業に勤しむ柳瀬教授の勇姿も。今年の夏には、すずかけ池の棚田にホタルが戻ってくることを祈ります。みなさま、ぜひアクセスしてみてください!




そんな柳瀬さんの今号への寄稿作が扱っているテーマは、ほんと、誰にとっても他人事ではない問題です。ダブルケア、とは二つの世代(親と子)をケアする、の意、平たく言い換えれば、子育てと親の介護が同時進行の人。柳瀬さんは、該当するのは「現在40台半ばから60代前半」の過半数、という見立てで持論を展開しています。政府が2016年に見積もったダブルケア当事者人口は25万人。しかし、この調査におけるダブルケアの定義は①要介護の親を持ち ②未就学児の子供を持っている当事者、だと。「ダブルケアの当事者として言わせてもらうが、この政府の試算ではダブルケアの実態から大きく乖離する」との柳瀬さんの意見に、私も肌感で同意です。だって、小誌寄稿者のなかにも、この問題と向き合いつつ生活を成り立たせている方が、少なくもなくいらっしゃるし。


「①まだ社会に出ていない高校もしくは大学までの子供 ②65歳以上の老人、の親であり子である世代」という条件で、柳瀬さんがAIに算出させたダブルケアの当事者および予備軍の数! ぜひ小誌を手にしてお確かめください、びっくりですよ。ただでさえ少子高齢化が進む我が国の、「なぜか政府もメディアもはっきり可視化させない問題。あまりに巨大であるがゆえに。日本の未来の行く末を左右する問題」。さらに寄稿作後半では「ダブルケア・クライシス」とともに「介護帰省クライシス」にも触れられていて...自分の場合(東京と千葉の夫婦/子供なし)、いかに軽負担なのかと思い知らされました。それでも、実父母義父母をおくるまでは諸々たいへんだったのですけれども。


ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E



 というのも、「子育て」と「親の介護」はもっともっと幅の広い「仕事」だからである。
 政府の算出したダブルケアの当事者は、要介護の親と、乳幼児(赤ちゃんから未就学児)を両方持った世代、という見立てである。この条件でダブルケアの当事者をカウントすると確かに25万人程度かもしれない。
 しかし、この定義は、子育てというケアと、親の介護というケアを、非常に小さく見積もっている。実際に子育てをしている人は全員頷くはずだが、子育ては生まれた瞬間から、子供が学校を卒業して就業するまで続く。
 ケアというのは、赤ちゃんを抱っこするような行為だけではない。学校の選定、PTA活動、サッカークラブ、塾の送り迎え、受験対策、そして何より学校費用の負担。いじめ問題もあるかもしれない、不登校だってあるかもしれない。
 物理的、金銭的、時間的、心理的コストがかかり続ける限り、子育ては終わらない。万が一子供が引きこもりになった場合は、学校を出てからも「ケア」が継続する。一般的に考えても、子供が高校もしくは大学を卒業する18歳から22歳まで、金銭的、肉体的、心理的ケアは、ずーっと続く。
 一方、親のケア。かたときも目を離せない「要介護」の段階で初めて生じるわけではない。むしろ一見軽くみえるけど、実は「命に関わる問題」が見逃されている。それは、子供が親と離れて暮らす場合の、年老いた親の買い物難民、とりわけ「食品が買えない問題」である。
 農水省がシビアな数字を出している。
 全国の食品アクセスが困難な老人がどれくらいいるのか。2020年に算出したのだ。結果は、──2020年における食料品アクセス困難人口は、全国で904万人と推計され、全65歳以上人口の25.6%であった。このうち75歳以上では566万人、全75歳以上人口の31.0%であり、食料品アクセス困難人口のうち75歳以上の占める割合は63%であった。

~ウィッチンケア第16号掲載〈ダブルケア・クライシス問題〉より引用~


柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品:〈16号線は日本人である。序論〉(第5号)/〈ぼくの「がっこう」小網代の谷〉(第6号)/〈国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と〉(第7号)/〈国道16号線をつくったのは、太田道灌である。〉(第8号)/〈南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)/〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(第10号)/〈富士山と古墳と国道16号線〉(第11号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話〉(第12号)/〈カワセミ都市トーキョー 序論〉(第13号)/〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤~〉(第14号)/〈日本は東京以外でできている〉(第15号)

 

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Vol.16 Coming! 20260401

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