2026/05/18

vol.16寄稿者&作品紹介29 藤森陽子さん

 ウィッチンケア創刊号からの寄稿者・藤森陽子さんの今号(第16号)への寄稿作を読んで、私は少し懐かしい気持ちになりました、同時に一抹の寂しさも。藤森さんは「BRUTUS」「Hanako」等マガジンハウスの雑誌をメインに活躍するフリーランスのライターですが、じつは私(←発行人)も、フリーランスでの最初の仕事は、同社の「Tarzan」での、ヤマハのタイアップ記事。もちろん「先割り」(見開きや各ページのどこに写真を大きく配置するか、タイトルをどこに置くかなどのレイアウトを先に作成)でした。〈動かない文字たちへ〉と題された藤森さんの作品内では「カンパコ」と表現されていますが、カンパコ=先割りと捉えて問題ないはず。...ああ、思い出した。これは他社ですが、「先割り」を渡されて原稿を書いていたらAD的ポジションのデザイナーさまに呼ばれて「ここ、ちょっと5行ネーム入れたくなったんで、追加でなんか書いてくれる?」...ちなみに「ネーム」とはタイアップなどでの文章のこと。「なんか書いてくれる?」って...まあ、そういうのの反動で、私はいま文章優先の雑誌を作っているのかもしれん。


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作品前半には、雑誌業界に対するちょっと悲観的な筆者の雑感が綴られています。〝つくづく、雑誌のライターは絶滅危惧種だと思う〟とか、〝デジタルの世界ではあまたの書き手がいるけれど、雑誌というアナログな印刷物の、「動かない文字」を書きたいと思う後継者が見当たらないんである〟とか。いやいや、天下のマガジンハウスのオシャレな雑誌なら、書きたいと思う若い人、いっぱいいるでしょ、と思うんですが、でも現役バリバリの藤森さんがそう言うのですから、そうなのかもしれん。寄稿作冒頭の〝先日、後輩のライターが転職した〟のくだりは、まさに現状の具体例なのだし。
それでも、〝読む側は誰も気付かないような、吹けば飛ぶよなこだわりだけど、拙筆を「カンパコ」の中で完結させ、思った場所に単語を配置できたら気持ちがいいし、それなりの達成感もある〟と語る藤森さんの気持ち、わかるんです。カンパコ=先割りという制約は、いわば定型詩みたいなものだったり、あるいは歌詞(ライム)みたいなものだったり。つまり、テキスト職人の、腕の見せどころ。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、藤森さんの匠技の神髄に触れてみてください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 
 僭越ながら少し説明すると、そもそもウェブと紙では文章の組み立て方が全く違う。ウェブの原稿はスクロールの動きに合わせて上から下へと書いていくが、紙媒体は右上から左下へと視線の流れに沿って書いていくイメージ、と言いますか。
 そして自分がふだん携わるカルチャー誌や女性誌などではまず、レイアウトありき。アートディレクターが「見開きで見たときにいかに美しいか」を考えて組んだレイアウトに当て込んで文章を書く。
 さらに誌面の美しさに完璧を求めるならば、「カンパコで書く」ことが求められる。カンパコとはすなわち「完全箱組み」のことで、たとえばレイアウトが1行18文字詰め×10行であれば、10行目も18文字きっちりと埋めて「文字による美しい四角形」を作ることを意味する。なんだったら句読点はギリ、行末にくっつけられる〝ぶら下がり〞というルールを駆使し、1行19文字詰めに持ち込むことも多々ある。


~ウィッチンケア第16号掲載〈動かない文字たちへ〉より引用~



藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈茶道楽の日々〉(第1号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)/〈上書きセンチメンタル〉(第11号)/〈おはぎとあんことジェンダーフリー〉(第12号)/〈梅は聞いたか〉(第13号)/〈富士の彼方に〉(第14号)/〈だいたい蒸籠で蒸すといい〉(第15号)

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2026/05/17

vol.16寄稿者&作品紹介28 長谷川町蔵さん

 ウィッチンケアの巻末近くには毎号《参加者のVOICE》という、寄稿者のプロフィール/近況などを掲載する欄があるのですが、長谷川町蔵さんは今号(第16号)のその欄に〝今回は初めて私小説めいたものに挑戦してみました〟と記しています。ということは、〈四谷の地下コインロッカーにて〉と題された長谷川さんの今号への掲載作は、まるまる実話ではないものの、ご自身の体験したできごとがベースになっている...私(←発行人)も一昨年、実母が永眠しましたが、そのとき経験したことは、まさに作品冒頭に書かれた〝誰かが死ぬと、人が最初にやらなければいけないのは悲しむことではなく、事務作業である〟という一節に重なるものでした。誰か(←私)がやらなければいけない作業が多すぎで、ほんと、悲しんでいるヒマもないくらいバタバタバタバタ...近年、近親者だけで故人を送りのちにお別れの会を、といったスタイルが一般的になってきていますが、でも「近親者だけで〜」のところも、もう少し改善の余地があるような気はするなぁ。


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作品の主人公である「ぼく」は運命の巡り合わせで叔父の死に立ち会い、その後の〝事務作業〟も引き受けることになってしまいます。〝もはや回復の見込みゼロの患者を、少しでも生かそうと尽力してくれるナースたちには、感謝しかない〟という文章の少しあとに〝病院は患者が生きている間は全力で対応してくれるが、亡くなった瞬間から、できるだけ早く運び出されるべき物体として扱う。やんわりと、しかしはっきりと、葬儀社をすぐ手配してほしいと言われる〟と続いているのが、とてもリアル。そして、叔父が亡くなったことによって、それまで蓋をされていた親族間の問題などが顕在化し、それを仕切るのも「ぼく」という...。
本作には叔父一家内の宗教(キリスト教)も絡んでいまして、そうしたデリケートな事柄にも配慮しつつ、粛々と対処しなければならなかった「ぼく」の大変さが、丁寧に描写されています。二つの教会とのやりとり、葬儀社との打ち合わせ...ほんと、やらなければいけない作業をつつがなくこなしていく「ぼく」の仕切りは、ある意味ではお見事。しかし、この物語の背景にあるのが東京一極集中、核家族化、少子化、晩婚化(未婚化)、高齢化といった社会課題のツケ、と考えると、なんとも複雑な気分になるのでした。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、「ぼく」にねぎらいの言葉をかけてあげてください。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 次男である叔父には墓がない。かつて彼には、妻(ぼくにとっては叔母)と子(従兄弟)と孫(従兄弟の息子)がいた。しかし従兄弟は40歳を迎える前に呆気なく過労死してしまった。彼の死後、叔母と従兄弟の妻は、その死の原因をめぐって酷い口論になったらしく、従兄弟の妻は息子を連れて実家へと戻り、叔父夫妻との関係を絶ってしまった。この出来事がきっかけで叔母は精神を病み、それが夫婦で都内から逗子のケアマンションに移るきっかけとなったのだった。その数年後、叔母は息子のあとを追うようにこの世を去った。熱心なカトリック信者の家に生まれた叔母は、息子にも洗礼を受けさせていたため、ふたりは教会の敷地内に葬られている。一方、叔父は信仰心とは無縁の人だった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈四谷の地下コインロッカーにて〉より引用~


長谷川町蔵さん小誌バックナンバー掲載作品:ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド〉(第4号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈プリンス・アンド・ノイズ〉(第5号)/〈サードウェイブ〉(第6号)/〈New You〉(第7号)/〈三月の水〉(第8号)/〈30年〉(第9号)/〈昏睡状態のガールフレンド〉(第10号)/〈川を渡る〉(第11号)/〈Bon Voyage〉(第12号)/〈ルーフトップ バー〉(第13号)〈チーズバーガー・イン・パラダイス〉(第14号)〈ミックステープを聴いた朝〉(第15号)

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2026/05/16

vol.16寄稿者&作品紹介27 小川たまかさん

ウィッチンケア第4号からの寄稿者・小川たまかさんは、これまでも寄稿作の内容により、フィクション/ノンフィクションと巧みにスタイルを使い分けていまして、振り返ってみますと第13号〜第15号ではノンフィクション作法での、世の中の動向に鋭く反応した作品を。たしかにコロナ禍以降のここ数年って、世情を一旦シャットアウトしてフィクションの世界観を構築、みたいなことをしたりするには、喧し過ぎる時代だったかも。ということ(かな、と推察...)で、小川さんの第16号への寄稿作は、第12号に掲載した〈女優じゃない人生を生きている〉以来の創作系の一篇です。あっ、小川さんの創作系(掌編小説)について、私(←発行人)はもうひとこと言っときたい。前述の〈女優じゃない人生を生きている〉、そして第10号に掲載した〈心をふさぐ〉は、“世情を一旦シャットアウトしてフィクションの世界観を構築”した作品であるがゆえの魅力があり、ぜひいま読み返してほしい/新たに読んでみてほしい、と思えるのであります。両作品とも、ある種の普遍性を内包した、読み応えのある物語です。


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さて、今作、〈性格が悪い〉。主人公の「私」は、テキストをさらっと読む限りでは、そこまで性格が悪い人間には思えません。しいて「あなた、性格悪いね!」と指摘できるエピソードといえば、「Sちゃん」への仕打ちとなるでしょうが(その詳細はぜひ小誌を手にとってお確かめください!)、いやいや、問題はそこではないなぁ。私なりに「私」の性格の悪さを指摘するならば、ひとつは令和8年にもなって、「メグミちゃん」や「ワカコちゃん」の過去を嬉々としてウィッチンケア誌上で暴露していること。〝私が「セックスって何?」と聞いたら、耳元に手を当てて「男の人と女の人が裸で一緒に寝ること」と教えてくれたのはメグミちゃん〟とか〝ワカコちゃんで思い出すのは、学芸会で行う劇の役決めのとき、演技がめちゃくちゃ下手だったこと〟とか...もしも誰かが、たとえばSNSで「多田は小学生のころ内股で足が遅くて女子にからかわれていた」とか書いていたら、私はそいつのこと「性格悪いな」と思うと思う。
もうひとつは、令和8年にもなって、「私」は〝私はやっぱり「性格が悪い」のだけど、本当の性格の悪さはあまりバレていないように思う〟なんてシレっとしているところ。自己分析よりまず反省しなさい...などと書きながら、今作では筆者が茶目っ気で楽しんでいる様子が伝わってきてしまうのでした。...それにしても、いくつかの〈性格が悪い〉話の中で、「私」と「ハヤシ」の関係性についてのところだけ、妙に深堀りされているし、子ども対子どもというにはセンシティヴな描写で。憶測ですが、「私」は当時、いまここではもう語りたくないなにかを抱えていたのではなかったのか? たとえば……(以下略)。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 いや、こんなことだけではないだろう。ハヤシは結局、私の中の欺瞞に気づいていたのだと思う。公務員を親に持ち、裕福ではないけれど家庭内での教育水準が良いという都合の良い中間ポジションにいる庶民。いっぱしの倫理観をチラ見せしてくるくせに、いざというときは困っている子がいても平気で知らんぷりをする偽善者。本当は自分と同じくらい陰湿なのに、そこそこ上手く隠すことに成功してる雑魚。
 ハヤシの細い目が上目遣いで私を睨んでいたのを思い出す。
 高校受験の頃、学区域の関係で私とは別の公立中学へ行ったハヤシが、行きたい高校へあと一歩学力が足らず深刻に悩んでいるという話を噂で聞いた。ハヤシは裕福な家庭の子ではなかった。今ならハヤシが何に鬱憤を抱えていたのかわかる。当時は「ざまあ」と思った。


~ウィッチンケア第16号掲載〈性格が悪い〉より引用~


小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作品:シモキタウサギ〉(第4号)/〈三軒茶屋 10 years after〉(第5号)/〈南の島のカップル〉(第6号)/〈夜明けに見る星、その行方〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈強姦用クローンの話〉(第8号)/〈寡黙な二人〉(第9号)/〈心をふさぐ〉(第10号)/〈トナカイと森の話〉(第11号)/〈女優じゃない人生を生きている〉(第12号)/〈別の理由〉(第13号)/〈桐島聡のPERFECT DAYS〉(第14号)〈記録と記憶と証言〉(第15号)

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2026/05/15

vol.16寄稿者&作品紹介26 我妻俊樹さん

 前号(第15号)には〈スクールドールズ〉と題された、学園もの(と言っても、一筋縄ではいかない...)の小説をご寄稿くださった我妻俊樹さん。今号への寄稿作は、さあたいへんだ。私(←発行人)は本作をどのように読み解けばいいのでしょうか? あっ、その手がかりになりそうな、我妻さんご自身のXでのポストがあったんだ。〝文芸誌『ウィッチンケア』16号に「インゲッピシ・ドトオフロップシェ」という小説を書きました。インゲッピシ・ドトオフロップシェが色んなものと戦ったり、花のような匂いがしたりします。インゲッピシ・ドトオフロップシェ、私も覚えられませんが一体何者でしょう?〟...「一体何者でしょう?」って、筆者から謎かけられても、なんともうまく説明できないのですが、とりあえず格闘技ものの主人公、と捉えて、以下では本文の中から「何者なのか?」のヒントになりそうなところをピックアップし、紹介してみたく存じます。それにしても、小誌内で本作の最後(P157)に配置した草野庸子さんの写真。これは作品のイメージカットとして、とても良く似合っていると思っています。


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インゲッピシ・ドトオフロップシェのコンディションについて、作品前半では何箇所かで言及されています。〝たしかに前評判は上々だった。今年のインゲッピシ・ドトオフロップシェは仕上がってるぞ! と言われつつ期待倒れに落ち着いていくのがいつものパターンなのに、その兆しが見えない〟〝色分けを信じることでインゲッピシ・ドトオフロップシェの集中力はナイフのように研ぎ澄まされる。あるいはもしかしたら、去年までのていたらくはこの集中力が妨げられていたことが理由かも、という説もあって〟等々。とにかく、作中のインゲッピシ・ドトオフロップシェは昨年と違い、好調なようです。
作品中盤にはインゲッピシ・ドトオフロップシェの性格につて触れられた記述もあります。〝もともとインゲッピシ・ドトオフロップシェはパーティー好きな陽気な性格だったけれど、あの一撃で背中側の記憶胞が半分近くつぶれて中身を床にぶちまけてからはパーティーを一度も開いていない。以後は別人格と言っていいほどで、かわりにペットを飼いはじめたと聞いているが、恥ずかしがって見せようとしないからそのことは噂の域を出なかった〟元パーティ好きで、いまはペット好き。...ということで、インゲッピシ・ドトオフロップシェのコンディションと性格については多少解き明かせたような気もしますが、まだまだ謎だらけ。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、さらなるインゲッピシ・ドトオフロップシェの全貌に迫ってみてください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 とても暑い日に、ささやくように蝉が鳴いているようだとインゲッピシ・ドトオフロップシェは思った。それに「思う」という動詞をあてがうことが妥当なのかは措くとして、インゲッピシ・ドトオフロップシェには物思いにふけっているとしか思えない時間がしばしばあった。勝ち負けの世界のむこうにひろがる荒涼とした地形に視線を向けたまま、すごいスピードで扇状の名もなき部分を震わせているところを見ると、やはりインゲッピシ・ドトオフロップシェも今日は暑いのだなと思ってしまう。しかしそのことと物思いの深さのようなものは両立し、その幅の中に少なくとも今年のインゲッピシ・ドトオフロップシェは存在している。王者の風格などという俗な表現は避けたいし、勝ち負けの話に意味を持たせすぎるのもその逆もどうかと思うが、勝つことの味がひとつではないと理解したのが現在のインゲッピシ・ドトオフロップシェなのだとしたら、王者とはそういうものだと理解したくもなる。空には虹が出ていた。雨上がりに鳴く蝉は中身が真新しく洗われてきた時計みたいだ、ずっと最新の時間を知らせて鳴っている、とインゲッピシ・ドトオフロップシェは思う。虹は薄れて空から出ていった、今まで見えなくなったもの、聞こえなくなったものはみんな自分の中に入ってしまったのだという気がした。それくらい自分というものが大きくて、死角だらけだと感じていたからだ。この場所にはいつも花の匂いが立ち込めているが、それが消えないのは花なんてどこにもないからで、というのも同じことの裏表の話だった。インゲッピシ・ドトオフロップシェは花のような匂いがする。どんな花の匂いをかいでもインゲッピシ・ドトオフロップシェを思い出すことはない。


~ウィッチンケア第16号掲載〈インゲッピシ・ドトオフロップシェ〉より引用~


我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈雨傘は雨の生徒〉(第1号)/〈腐葉土の底〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈たたずんだり〉(第3号)/〈裸足の愛〉(第4号)/〈インテリ絶体絶命〉(第5号)/〈イルミネ〉(第6号)/〈宇宙人は存在する〉(第7号)/〈お尻の隠れる音楽〉(第8号)/〈光が歩くと思ったんだもの〉(第9号)/〈みんなの話に出てくる姉妹〉(第10号)/〈猿に見込まれて〉(第11号)/〈雲の動物園〉(第12号)/〈北極星〉(第13号):〈ホラーナ〉(第14号)〈スクールドールズ〉(第15号)

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2026/05/14

vol.16寄稿者&作品紹介25 トミヤマユキコさん

 前号(第15号)には〈ひとりっ子という生き物の宿命〉という、家族関係にまつわるエッセイをご寄稿くださったトミヤマユキコさん。あれから約1年経ちまして、ウィッチンケア第16号への寄稿作は前回の話の続き...なのですが、なんと、想定外の展開が! 〝父親の病気をきっかけに、六年におよんだ山形での教員生活に終止符を打ち、東京に戻ってきた〟〝なんかあったらすぐ実家に駆けつけられる環境を整えた自分、なかなかやるじゃん。いい娘じゃん。とはいえ、己の人生も大切だ。無理せずマイペースにやっていこう。そんなことを思っていた矢先に、自分がぶっ倒れて救急搬送されてしまった。なんてこった〟...いやほんとうに、なんということでしょう。私(←発行人)は昨年9月、あるイベントで筆者とお目にかかり直接話を伺いまして、その時は多少回復なさっていたようですが、でも症状が完全に消えたわけではない、と。


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作中では病名を「PPPD(Persistent Postural-Perceptual Dizziness/持続性知覚性姿勢誘発めまい)という名の慢性めまい症」と明記。。この病気の症状、以前から確認できてはいたものの、医学界では2017年に初めて国際診断基準が提唱された、比較的新しい病名とのことです。対処法のデータや知識も医者によって個人差があり、〝ドクターショッピングのようなことはできればしたくない〟と考えていたトミヤマさんですが、結果的に何人もの医師のもとを訪ねたようで、その際の逸話も書かれています(ネタバレしませんが、ひどいこと言うお医者さんだ!)。
...と、ここまで読んだ多くの方、もしかしたら今作が深刻な闘病記なのでは? と思ったりするかもしれませんが、いいえ、ご心配なく。こんなシリアスな題材なのに、作品としての本エッセイ、どこをどう読んでもおもしろ過ぎて、なんという筆力なのかと驚嘆するしかないです。とくに、医学と併行してスピの世界にも心が動かされていく過程とか、病気になってあらためて政治に怒っているところとか。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、トミヤマさんの回復を祈念しつつ、思わずくすくすしちゃってください。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 わたしの辛さ、苦しさがわかるやつはいないのか。誰でも、何でもいいから助けてくれ。ぶっ倒れて間もない病気の素人にとって、この不安、この寄る辺なさが一番ヤバい。なぜならかなり自然な流れでスピってしまうからだ。医学の領域でやれることをやったら、もうスピるしかないじゃないの。きちんと調べたのに何も出てこないなら、それはもう呪いとか生き霊とか大殺界とか、そういうところに原因を求めるしかないじゃないの。元気なひとは変な理屈だと思うかもしれないが、心身の弱った人間というのは、変でもなんでもいいから、治りたいのである。そんなわけで、わたしのスピへの警戒心は、どんどん薄れていき、医学を否定せぬまま、そこにスピをトッピングする生活に突入したのだった。
 最初は、霊視ができる占い師のところに行った。なんにも言ってないのに「首から上に気をつけろ」と言われて「先生すごい!」と感動したまではよかったが「クリスマスは誰と過ごすのか」「外国でのロマンスに期待せよ」と言われたのには笑ってしまった。結婚して10年経っているので、ロマンスは正直どうでもいい。あと、恋人のいない独身中年女性、という先生の見立てに関しては、占いぜんぜん関係ないと思う。

~ウィッチンケア第16号掲載〈めまい──ふつうの中に苦しみがある〉より引用~

トミヤマユキコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈恋愛に興味がないかもしれない話〉(第10号)/〈俺がお前でお前が俺で──マンガ紹介業の野望〉(第11号& note版ウィッチンケア文庫)/〈わたしはそろそろスピりたい〉/第12号/〈変名で生きてみるのもええじゃないか〉(第13号)〈人体実験み〉(第14号)〈ひとりっ子という生き物の宿命〉(第15号)


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Vol.16 Coming! 20260401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare