2026/05/08

vol.16寄稿者&作品紹介19 星野文月さん

 昨年11月に「Personal matters -結婚のこと-」をZINE形式で発表した星野文月さん。ウィッチンケアの前号(第15号)には〈野良犬に月〉という旅行エッセイをご寄稿くださいましたが、第16号には〈裂け目〉と題された掌編小説を。小誌巻末の【参加者のVOICE】には“今年のはじめに入院したときに見た夢の話を創作にしてみました”とあり、たしかに過去の記憶らしき断片がカットアップで連なるような展開は、ご自身を日常生活に留めておけなくなった(入院)状態だからこそ、なのだろうな、と。じつは私(←発行人)も数年前に野暮な案件でICUに放り込まれまして、その時の「なんでこんな夢を見てるのか?」みたいな制御不能状態、眠って起きたら数分しか経っていない時間の歪んだ感覚、などを思い出してしまいました。


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冒頭近くにある〝首をつたう汗で目を覚まし、それが夢だと認識してから、もう一度目を瞑った。瞼の裏でおぼろげに揺れる残像のかたちを追いかける〟という箇所がとてもリアルに感じられました。いまのは夢、と現(うつつ)に戻って、そしてまた(連続性があるのかないのかわからない)夢に入っていく、の繰り返し。作中の「わたし」はどうやら「家」と「家族」の記憶に引き摺られているようで、夢のある部分だけが妙に具体的だったり...夢の中にいる「わたし」の心の揺れが、細やかに描写されています。
〝「あーあ」と言いながらけらけら笑って〟いる、不思議な存在感の「父」。かつて〝いちばんつながっていた〟と思っていた「妹」。そして物語の終盤では「母」との関係性が、幻想的な逸話に仮託して語られているように感じられたりして。そして、これは個人的な推察なのですが、本作には「本作内では明らかにはしていない、ある設定」がなされているのではないかな、とも思えたりして。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、星野さんの小説世界に彷徨い込んでみてください。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 ある冬の日、屋根の端っこに、見たことのないほど巨大なつららができて、その重みで古い屋根がばきっと音をたてて割れた。そこからめりめりと木が裂けて、巨大な穴が広がった。木の屑がいっせいに風で舞い上がり、吸い込まないよう息を止めた。突出した木の先端は脆く崩れ落ちて、干からびた人間の細胞みたいだった。
 そうして裂けた屋根の隙間から、空が見えたのだった。冬のくっきりと晴れた空が、家の中から。
 妹は口を「あ」の形にまあるくひらいた。父は「あーあ」と言いながらけらけら笑って、母はそんな父をたしなめるようにその肩をびしっと叩いた。それから4人で、いっせいに笑った。びっくりして、おそろしくて、それからおかしくて、とにかく笑うしかなかった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈裂け目〉より引用~


星野文月さん小誌バックナンバー掲載作品:友だちの尻尾〉(第14号)/〈野良犬に月〉(第15号)

 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!
 

 

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  https://yoichijerry.tumblr.com/post/810515107182460928/
 


vol.16寄稿者&作品紹介18 綿野恵太さん

 今年1月に増補改訂版『「差別はいけない」とみんないうけれど。』(朝日文庫)が発売になった綿野恵太さん。今週月曜日(5月4日)に開催された文学フリマ東京42にも出店なさっていて、私(←発行人)はコピー本『自炊とメシと酒の話』をゲット。当日の綿野さんはネットショップ(BASE)「わたの商店」でも販売している〈おなか吹田市〉Tシャツを纏っていまして...この〈おなか吹田市〉というのは綿野さんのXでよく放たれるフレーズでして、もうひとつ〈銀だこは許さない〉というのもあって、私はなぜ許さないのか不明なのですが、Gemini曰く“大阪生まれの綿野氏はたこ焼きへの愛が深く、銀だこの揚げ焼きを「たこ焼きの歴史の歪曲」と批判。外が柔らかく中がトロトロな伝統的スタイルを理想とし、自ら焼く配信等でその美学をユーモア交じりに発信しています”と。...御本人に直接尋ねてみればよかったな、文フリで。


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さて、綿野さんが今号にご寄稿くださったのは〈会津、天空橋、丸の内〉と題された日記形式の一篇。「革命ってなんだったのかを考える本」という出版企画の下取材で訪れた場所での見聞が、時系列でまとめられています。【二〇二五年二月一〇日】には天空橋で1967年10月8日の第1次羽田事件(佐藤栄作首相の南ベトナム訪問阻止運動)の痕跡を発見するなど。【二〇二五年二月一二日】には丸の内で、さらに2つの大きな事件にまつわる場所を...それについては、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。

3つの事件に関して、本作においては筆者の感情や意見が、ほぼ封印されているように読めます。下取材の日のできごとを淡々と綴り、それらの場所の、いまでは何事もなかったかのような様子を丁寧に描写。それでも、綿野さんの視点というか、この下取材の角度、みたいなものは、それとなく伝わってくるような気がしました。そう遠くない未来、世に出される「革命ってなんだったのかを考える本」がどんなものになるのか? とくに3つ目に扱われている事件、私はリアルタイムでニュースに接し「なぜこんなことをする人がいるのか?」と当時は理解できなかった案件なので、どのような論考になるのか、大いに興味があります。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 弁天橋のすぐ近くに、護岸からかんたんな桟橋が伸びていて、コンクリートで固められた浮島のようなところに、水難者を供養するお堂がある。そのわきに、ちょうど弁天橋の方向を拝むようにしてお地蔵さんが立っている。毛糸で編まれた赤い帽子をかぶり、ベージュのマフラーを巻いている。台座の正面には「平和地蔵」とあり、しゃがみ込んで側面をのぞくと、「山崎博昭没後五十年二〇一七年十月八日建立」とあった。
 もう一つの記念碑は、橋から離れたお寺にあった。墓地のあいだを歩き回り、ちょうど一周したところで、入り口近くにあったお墓が記念碑だと気付いた。石碑には山崎博昭とだけ刻まれ、墓誌には「反戦の碑」とあるが、白い文字はかすれて読み取ることが難しい。
 弁天橋あたりを見終わって、記録用の写真を撮ろうとしたところ、Nさんが「あっ」と声を上げた。橋の欄干にある「辨天橋」というプレートに、ペットボトルが針金で巻きつけられている。それを花瓶替わりにして、二輪の花が供えられている。すでに茶色く枯れて、中の水も濁っていた。その横には、養生テープで貼り付けられた紙片があり、マジックで書かれた「10」という数字が見えた。

~ウィッチンケア第16号掲載〈会津、天空橋、丸の内〉より引用~

綿野恵太さん小誌バックナンバー掲載作品:ロジスティクス・ディストピア〉(第15号)

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2026/05/07

vol.16寄稿者&作品紹介17 矢野利裕さん

 ウィッチンケアには第13号以来の登場となった矢野利裕さん。矢野さんは、小誌では第7号から教育/学校に関するご寄稿を続けてくださり、それらの寄稿作は矢野さんが2022年に上梓した『学校するからだ』(晶文社)の一部として収録されまして、ちょっと一段落という感じではあったのですが...昨年の秋、私(←発行人)は矢野さんの最新刊『「国語」と出会いなおす』(フィルムアート社)や文学フリマ東京で入手した「矢野利裕のLOST TAPES」(1&2)を読んでいまして、ああ、やはり小誌には矢野さんの寄稿作が掲載されているべき(「べき」って、何様!?...「掲載できたら嬉しいなあ」に訂正。スイマセン)と強く思いまして、それであらためて寄稿依頼をしまして、今回のご寄稿に繋がったのでした。


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寄稿作〈ブルーな音楽の地平──ダニエル・シーザー、カサンドラ・ウィルソン、ジョニ・ミッチェル、ときどきネオソウル〉は筆者が好んで聞いてきた音楽の共通点を「ブルー」という感覚(成分!?)で括り直したエッセイ、とでも説明すれば良いのかな? ここで矢野さんが「ブルー」だと感じている音楽とは、もう少し具体的には〝ソウルシンガーによるアコースティックな音楽〟とも言い換えられていますが、でも、それでも、ご自身基点でその地平を眺めてみると食み出すものや零れるものがあるわけで...結局、〝だから極端に言えば、国や人種にかぎらず誰かがパーソナルな心情を歌のかたちにするにあたってフォークソングという形式が選ばれている、という気がする〟という一文が、筆者に「ブルー」を感じさせる音楽の勘所なのではないか、と。
ちなみに矢野さんが名付けたところの「ブルーな音楽」ですが、私もかなり好きな分野でありまして、本作に名前の挙がらなかった、たとえばフィービー・スノウやシェリー・ブラウン、もう少し的を広げると、たとえばプリンスの「Sometimes It Snows In April」なんかもだいぶ青いのではないか、なんて思いながら拝読しましたが...既存の音楽ジャンルに囚われずに自分の好きな音楽の共通項を探してみるのは、とっても楽しい。みなさま、ぜひ小誌を手に取って、矢野さんが「ブルー」だと感じるミュージシャンとの、素敵な出会いを!

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 1990年代後半、モータウンのキダー・マッセンバーグによって仕掛けられたネオソウルというムーヴメントは〝ヒップホップ世代によるソウルミュージック〞と喧伝されていたが、それとはまた別に、同時期、R&Bをフォーク風に表現する潮流があった。それらの音楽は、ルーツであるブルースに敬意を払いながらも、デルタ・ブルースの粘っこさからは距離を取り、むしろ白人的とも言われそうなフォークソングのフィーリングを大事にしていた。さらに言うと、同時期、そのような感覚からテリー・キャリアーやリンダ・ルイス、あるいは、ブッカー・T「Jamaica Song」など70年代の音楽が再評価されていた。
 1990年代後半に音楽に興味をもち始めた自分の音楽の好みは、少なからずこの潮流によって形成されているような気がする。僕の見ていた1990年代後半の風景は、インディア・アリー、デズリー、エンダンビなどのアコースティックで爽やかなR&Bアーティストがいて、そのわきにエリカ・バドゥやローリン・ヒルがいて、さらにそのわきにディアンジェロやミシェル・ンデゲオチェロがいた、という感じである。


~ウィッチンケア第16号掲載〈ブルーな音楽の地平──ダニエル・シーザー、カサンドラ・ウィルソン、ジョニ・ミッチェル、ときどきネオソウル〉より引用~


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2026/05/06

vol.16寄稿者&作品紹介16 早乙女ぐりこさん

 前号には〈蜘蛛と鬼ババ〉という掌編小説をご寄稿くださった早乙女ぐりこさん。ウィッチンケア第16号への寄稿作は、今年2月に上梓した小説「珍獣に合鍵」(KADOKAWA)に関連した、スピンオフ・エッセイとでも呼べそうな一篇です。今は亡き父方の祖父とご自身の関係を正直に語っておられるのですが、でもそれは同時に「作家・早乙女ぐりこ誕生秘話」でもあるような。...なんと言いますか、血は争えない、とか、メンタルな隔世遺伝、とか、蛙の孫は蛙(!?)、とか、いろいろな言い回しが頭に浮かんでくるような逸話が披露されています。もちろん早乙女さんも、その因果めいた関係性を認識しているので、文体は苦くすぐったいテイストを帯びていて、でも私(←発行人)が思うに、本作はあるできごとをきっかけに〝完全に心を閉ざした〟ままお別れになってしまった祖父に対する、少し遅れてしまった餞なのではないか、と。


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子どもの頃の筆者は国語が得意で、祖父になついていたようです。なぜなら〝堅実で、文学に縁遠い、自己表現の切実さなんてまったく理解し得ないうちの家族〟の中で、筆者と祖父だけが「もの書き」の素養を身に付けていたから。作中では、祖父の自伝にまつわる家族/親族間でのあれやこれや、また自伝の内容についての筆者の思いなどが語られていまして、これらのこと、第三者的に拝読すると微笑ましいと言いますか、クスリとしながら楽しんじゃうのですが...でも、当事者はけっこうたいへんだったかもしれない。とくに早乙女さんの自伝に対する評は、的を射ているだけに辛口でありまして、そこがまたおもしろい。
作品後半、筆者が「祖父よ」と率直に語りかけるくだりが3連続で登場します。〝祖父よ。私はあなたの助言を聞かずに〜〟〝祖父よ。あのときあなたの助言を聞いていたら〜〟〝祖父よ。あなたが「○○なんか」と侮った〜〟…。なかなかのパンチラインですが、もし祖父がご存命だったりしたら、果たして早乙女さんは同じことを? などとも考えてしまうのでした。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、早乙女さんの祖父に対する、愛憎相半ばする心情をお確かめください。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 このZINEの裏表紙には、祖父直筆の文字が踊っている。

 成せば成る成さねば成らぬ何事も成さぬは人の成さぬなりけり

 成せば成る、と言われてもなあ。同意反復しているだけで、そりゃそうだとしか言いようがない。正しくは「為せば成る」だ。そしてこれは勝手な推測だが、「為せば成る」と「面白きこともなき世を面白く」は、世の老人たちの自伝に頻出する言葉ランキングの上位に入るのではないだろうか。
 完成した祖父のZINEを、私は母から受け取って読んだ。読んでいて一番興味深かったのは、祖父が興した会社の経営が立ちゆかなくなった後のくだりだ。祖父に会社の倒産を告げられた祖母と父は、夜逃げ同然に家を出ることになる。祖父はひとり死を考えながら愛車のクラウンで当てもなく旅をする。このあたりのエピソードだけで丸一冊書けそうなのに、祖父はさらっと二ページくらいで書き流している。なんでだよもったいない。そこを掘り下げなくてどうするんだ。しかし、祖父にとっては向き合いたくない苦い思い出だったのだろう。
 代わりにこのZINEに詳しく書かれていたのは、会社がうまくいっていた頃のバブリーな自慢話や、旅行や同窓会の思い出、そして自分の親族や友人たちの生い立ちや人柄などだ。ありとあらゆる人物が実名で登場する上、かなりセンシティブな内容も書き込まれており、プライバシーもへったくれもない。母によれば、祖父の記憶違いによる、事実と異なる記述などもあれこれあったのだという。

~ウィッチンケア第16号掲載〈祖父の陣〉より引用~


早乙女ぐりこさん小誌バックナンバー掲載作品:蜘蛛と鬼ババ〉(第15号)

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2026/05/05

vol.16寄稿者&作品紹介15 鶴見済さん

 ウィッチンケア第14号からの寄稿者・鶴見済さんは、今年1月に「死ぬまで落ち着かない 六十年生きてみてわかった人生のこと」(太田出版)を上梓。好評で増刷もかかるなか、同書に関連した「死ぬまで落ち着かなくてもいい生き方(文筆家・鶴見済)【雨宮処凛のせんべろ酒場】」、「しぬのは怖い?『完全自○マニュアル』から30年、しを恐れる漫画家と語る人生後半の生き方【鶴見済×しりあがり寿】」といった対談動画がYouTubeにアップされています。そんな鶴見さんが小誌第16号にご寄稿くださったのは〈アメリカのフィメールラップにはまる〉。ラップ・ミュージックを題材としているが、いわゆる音楽エッセイではなく、ミュージシャンの生き様、というか“アティテュード”に筆者が共鳴して綴られた一篇なのです。


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作中で取り上げているのは一時期アメリカで隆盛だった「バッドビッチ系フィメールラップ」。おもしろい(...と言ったら失礼でしょうか、スイマセン)のは、話のマクラ的に〝好きなのに好きだとはなかなか言えない音楽〟としてニューミュージック、とくに、という日本のデュオを具体例として出して言及していること...じつは私(←発行人)も「風が好きだった」とは〝なかなか言えない〟...「海岸通り」をコピーして歌ってたくせに。ともあれ、カーディ・B、ミーガン・ザ・スタリオンと風を同じ距離で括って話を進めていく鶴見さんの音楽観に、シャープな独自性を感じたのです。
本作内では筆者の近著「死ぬまで落ち着かない〜」とフィメールラップの関係についても語られています。また鶴見さんのnoteでは、なぜ今回の小誌第16号への寄稿作を書いたのか、その真意も語られていて...双方の文面から私が感じ取ったのは、筆者のフィメールラップに対するセンシティヴでデリケートな対峙の作法でした。たしかに、このジャンルを興味本位とか面白半分とかだと思われないように語ることって、昨今の世の中では難しいかも。それでもなぜ、鶴見さんは敢えて書いたのか? ぜひ小誌を手に取って、お確かめいただければ嬉しく存じます。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 このジャンルの代表曲とも言える『WAP』という曲がある。歌っているのは、カーディ・Bとミーガン・ザ・スタリオンという、このジャンルの最大級の人気ラッパーだ。WAPとはウェット・アス・プッシーの略。どういう意味のスラングかは調べてほしい。
 歌詞は女性性器、男性性器、男女の性交を直接的間接的に示す言葉のオンパレードで、性行為の主導権は私にあると強調されている。この曲は2020年に初登場で全米1位の大ヒット曲になった。とてつもなくメジャーであることも、このジャンルに注目する大きな要因だ。
 この曲を男の自分がいいと言うのは、ますます危ういだろう。もちろん性欲からの興味で見ていることも決してないと言っておきたい。ムーブメントとして、疑いようもなく注目に値するだろうと思うのだ。

~ウィッチンケア第16号掲載〈アメリカのフィメールラップにはまる〉より引用~


鶴見済さん小誌バックナンバー掲載作品:植物実験をしていた頃〉(第14号)〈推す気持ちがわかっていない〉(第15号)


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Vol.16 Coming! 20260401

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