ウィッチンケア第2号からの寄稿者・かとうちあきさんは、“人生をより低迷させる旅コミ誌「野宿野郎」”の編集長です。「野宿入門」(草思社)などの著書もあり、いわばサバイバル生活の達人。小誌とは短くもないおつきあいとなっていますが...そんなかとうさんの今号(第16号)への寄稿作のタイトルは〈中年になってわかった〉...いやあ、初めてお目にかかってから17年も経っているのですから、そりゃ当時は明らかに若者だったかとうさんが〈中年〉について語ってもおかしくはないのですが(そして当時〈中年〉だった発行人は、めでたく〈高齢者〉へと...)。ところで、今作なんですが、これはノンフィクショナルなエッセイなのか、創作作品なのか? 筆者のキャリアを鑑みるに、どちらにでも取れそうですが、私(←発行人)はその曖昧さも込みで、楽しく拝読致しました。

酔っ払ってご機嫌そうな「わたし」の日常が描かれていますが、でもユーモアとペーソスが微妙に絡み合っていて、私の頭には「諦念」という言葉が浮かびました。あと、いくつかの回想場面が、妙に生々しかったり。なんか、歳を重ねると、ときどき突然過去のあるできごとをくっきりと思い出すことがあったりするけれども、ああいうのは、なんなんだろう? 〝十代の頃、実家の「食卓」が苦手だった〟〝食卓こそが家族の閉塞の象徴だ、ふぁっきん家父長制、ふぁっきん食卓、などと思う、思春期の真摯さよ〟...人と食事をともにすることに喜びを感じている「わたし」にとって、家父長制に起因する実家での「食卓」は、かなりのトラウマだったのかな。
〝中年になったいまも、固定化した関係が閉塞へ向かうことへの恐怖はあって、一人暮らしが気楽で安心〟という一節も、読み留まってしまいました。仲間とワイワイするのが楽しそうな「わたし」とは違う一面が、行間からふと浮かびんでは消えていく。そしてコカ・コーラにまつわる、友だちとのエピソード。中年ともなると、確かに人間関係も、若い頃の勢いのままでは立ちいかないかもしれないなぁ。...みなさま、ぜひ小誌を手にとって、作品最終行に書かれた〝わかったのだ〟というひとことまでお目通しください。ちょっとしんみりですが、人は誰でも、です。

出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税)
「コーラが、コーラがありました!」
酔っ払いは、同じ言葉を繰り返したい。
そう言って、いつも素面で呑んだくれたちに付き合ってくれる、店でコーラを注文していた友だちに渡したはずだけど、あれ、どうなったんだっけ。友だちは、困った顔をしていたような気がする。急に思い出し、
「あの人、コーラ、飲んでくれなかったね」
親しくなった人に言うと、
「いや、一口飲んでくれたじゃないですか」と教えてくれた。
そうか、一口飲んでくれたんだ。
あんな得体の知れない、雨水で薄まり気が抜けたコカ・コーラの残滓のようなものを。わたしがうれしそうに渡したから。そういえば、「毒見はすませました」って得意げに言って、渡したような気もする。
「とてもいい人だ。すごくやさしい」
あの時、あの友だちを喜ばせたい気持ちに嘘はなかったはずだけど、それよりじぶんがコーラを拾ったうれしさと、拾ったコーラを共有したいおのれの欲求のほうが強かったことは否めず。いやがらせと捉えられても、おかしくない行為でした。
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