2026/05/30

vol.16寄稿者&作品紹介46 東間嶺さん

 ウィッチンケア第4号からの寄稿者・東間嶺さんは長らく、インターネットのネガティヴな側面を描いた寄稿作を書き続けていますが、今号(第16号)に掲載された〈生成された憎悪と悪意と敵意について、自分自身とサイゼリヤから配信するためのダイアローグ・メモ〉は、これまでの総括とでもいいますか、ご自身の過去作にも言及した一篇となっています。主要な登場人物は「東間A」さんと「東間B」さん...Aさんは〝男性、四十代前半、日雇いカメラマン、美術ライター、スペース運営他。ウィッチンケア寄稿歴12 年〟で、Bさんは〝ネット上に分裂したAによるメタ人格。東間嶺AによってテキストとAI音声で生み出された存在〟とのこと。おもにこの2人の対談により、物語は構成されています。


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Aさんが問題にしているのは〝ここ数年、色々なSNSや動画共有サイトへAIの機能が実装されてから、悪意や憎悪の煽動がいわゆるインプレッションの換金、アテンション・エコノミーと結びついたことで、それまでとは比較にならない大きさで社会に負の影響を与えているという状況が生じてい〟るということらしく、(発行人が思うに参考資料として、かな?)これまでウィッチンケア誌上に掲載された作品を列挙するのですが、これに対するBさんの感想がけっこう醒めていて...〝オンラインとオフラインを循環する悪意と憎悪と暴力って、お前が書いてるのライバーとか配信者界隈のクズが起こしたしょうもないトラブルが元ネタの話ばっかりじゃん(笑)。あとはネットに狂ったこと書いてる奴の観察日記みたいなの。普通に偏りすぎだろ〟と。
作中にはAさんBさん以外にも、物語の舞台であるサイゼリヤ・多摩丘の上パティオ店の店員と客もいまして、YouTubeライブで配信中のAとBの対話をリアルな空間で見ているという設定になっています。終盤になって大きな動きがあるのは、むしろリアルなサイゼリアの方でして、さて、AさんとBさんのパフォーマンスによってなにが起こったのか? ぜひ小誌を手にとってお確かめください。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

東間A そこだけだと、まあ、確かにそう言いたくなるかもしれませんし、実際、わたしもいま、そう思いました。 だからもっと解像度を上げて細かく表現すると、SNSがmixiくらいしかなく、ネットのコミュニケーションがブログやテキストサイト、そして2ちゃんねるが主流だった2000年代前半から、わたしはオンラインの……インターネット上に溢れる表現のうち、とりわけオフラインでは堰き止められていたものが溢れ出て、さらに膨れ上がって様々な場所に飛び散り、またオフラインに戻っていく悪意や憎悪と、それを増幅する装置として機能するWEB上の様々なコミュニケーションに特別な関心があって、ウィッチンケアでは毎年、タイムスタンプを押すような気持ちでその時々に目についたそれらに関わる事象を作品化してきたんですよね。
東間B へーえ、そうだったっけなあー。まあそれはそうかもしれないけどもさ、なんだってわざわざ今まで書いてきたものの振り返りなんてしようと思ったわけ? 忘れちゃったよ、正直、何書いたかとかさ。


~ウィッチンケア第16号掲載〈生成された憎悪と悪意と敵意について、自分自身とサイゼリヤから配信するためのダイアローグ・メモ〉より引用~



東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品:〈《辺境》の記憶〉(第5号)/〈ウィー・アー・ピーピング〉(第6号)/〈死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)/〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(第10号)/〈パーフェクト・インファクション──咳をしたら一人〉(第11号)/〈わたしのわたしのわたしの、あなた〉(第12号)/〈口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない〉(第13号)/〈嗤いとジェノサイド〉(第14号)/〈(概略)アプデしない生き方のせいで殺されてしまった先生とわたしに関するおおよそ4000字のテキスト。〉(第15号)

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vol.16寄稿者&作品紹介45 久禮亮太さん

品川区の東急目黒線「不動前」駅近くにあるフラヌール書店の店主・久禮亮太さん。ウィッチンケア第13号には同店がオープンするまでのことを〈フラヌール書店ができるまで〉という一篇にまとめてご寄稿くださり、以後も店でのお客様とのやりとりなどを、日記形式のエッセイで書き続けています。そんな久禮さんの今号(第16号)への寄稿作は〈ブックカルテはじめました〉。ブックカルテとは利用者の性格や読書傾向、ニーズに合わせて、プロの書店員が選書するサービスのこと。久禮さんのやりかたは作品冒頭で〝ご要望に合わせて、私が一万円分の本を選びます。毎月7人、これまでに40人ほどの方に、本に手紙を添えてお送りしました〟と説明されています。久禮さんは音楽にも精通していますが、なんだか「本のDJ」みたいだ、と私(←発行人)は思いました。

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毎月7名のお客様からカルテが届き、その内容に合わせて選書。いつも迷いながら手探りでやっている、とのことですが、〝新しい依頼者との出会いと、手紙と本のやり取りが楽しく、この充実感は本屋という仕事の核心に触れているような気もして〟という一文に感銘を受けました。本屋という仕事の核心...昨今はニュースなどで「町から書店が消えていく」といった話が取り上げられることも多く、もちろん経済的なことも大事なのだと思いますが、しかし書店の現場では、客と本をいかにマッチングさせるかが「仕事の核心」なのか、と。私は↑で「本のDJ」と書きましたが、「本のコーディネーター」と言ったほうが、より核心に近いかも。
本作の中盤以降では、具体的に2人のブックカルテ⇔選書の事例が紹介されています。これは、私が要約するより、以下の引用箇所を読んでもらったほうが伝わりやすいかな(ですので、ちょっと長めに引用します)。カルテ内のコメントを、依頼主の〝人物像をイメージできるまで何度も読み〟同時に依頼主に対する〝解釈は浅すぎではないか、踏み込み過ぎではないか。その人の輪郭を早く決めつけてしまっていないか〟と悩みながら、選書。でも、後日お客様から「良い本と出会えました」なんてお礼を言われたら、仕事冥利に尽きそうですね。小誌で興味を持ったみなさま、ぜひフラヌール書店のブックカルテに申し込んでみてください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 教育系の仕事に従事していて、ゲーム、本、映画、料理と食べ歩きが好きで、二次創作の同人活動をしている、昼夜逆転気味、潔癖症で「ゴミ捨て場の傍などは極力近寄りたくない」という女性は、20冊ほどの愛読書リストに添えて、こんなふうにカルテに書いてくれました。
 家族の絆を無条件に賞揚する物語や「とんでもない悪人が謝っただけで許されるような話」は苦手。「血縁はただ血が繋がっただけの他人」、「自分に厳しく他人に甘く」、「期待しなければ落胆もしない」。ぼんやりものを考えるための時間を大切にしていて、「セルフネグレクトしている方が居心地がいい」と自嘲気味に綴ります。「美味しいもの食べてよく寝れば大概のことはなんとでもなる」と楽観的な一面もあって、「知識は人を裏切らない」と、学ぶことに積極的なのも印象に残りました。
 一読して、ユーモアのある方だと感じました。家族愛を信じない、他人に期待しないとは言うけれど、友人の世話を焼くのが好きらしい。セルフネグレクトとは言うけれど、美味しい食事でセルフケアもしている。そんな矛盾したご自身の心情をカリカチュアライズしているように読めたからです。
 しかし自嘲的な語り口とはいえ、その根っこにある思いを知ってほしいという気持ちは真剣なもののように感じました。セルフネグレクトは誰かをケアする、してきたことの反動かもしれません。それは家族への思いと関係があるのかもしれません。いや、ないのかもしれません。そもそも、そこまで読み取るべきなのか。読み取り方が私自身の経験に引き寄せすぎているのではないか。そんなふうに、相手との距離感に迷いながら数日間うっすらと考え続けます。
 結局、私はこんなふうに手紙を書きました(一部省略しつつ引用。選んだ本のタイトルは伏せておきます)。

 表層的な感動や世間の「お約束」に懐疑的で、ご自身の思考が熟成することを大切にしていらっしゃるのですね。「ぼんやりものを考えるための時間」が大切で、「セルフネグレクトしている方が居心地がいい」のは、私もまさにそうです。きっとほとんどの時間、意識的にも無意識的にもたくさんのことを考えてしまう分、そういう余白が必要なのかもしれませんね。
 家族愛に潜むある種の欺瞞や脆さを描きつつ、人とAIの間に心のつながりが生まれる奇跡とその儚さを描いた作品として『◯◯◯◯◯◯◯◯』をお薦めします。AI(作中では「人工親友:AF」)のクララは純真で感情豊かな眼差しで人間社会の機微を観察します。その透徹した視線は、読む私たちに哲学的な思考の糸口を与えてくれるようにも思います。


~ウィッチンケア第16号掲載〈ブックカルテはじめました〉より引用~


久禮亮太さん小誌バックナンバー掲載作品:〈鈴木さんのこと〉(第6号)/〈フラヌール書店ができるまで〉(第13号)/〈フラヌール書店一年目の日々〉(第14号)/〈フラヌール書店二年目の日々〉(第15号)

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2026/05/29

vol.16寄稿者&作品紹介44 すずめ園さん

 ウィッチンケア第12号からの寄稿者・すずめ園さんは、エッセイ(12)〜小説(13)〜紀行文(14)〜小説(15)と、各号で違ったタイプの作品を発表してきています。今号(第16号)に掲載された〈旅するわたしの広場恐怖症〉は、ごくごくプライベートな、広場恐怖症というご自身が抱える不安障害についての一篇。作品冒頭には〝みんながなに食わぬ顔をして乗っているあらゆる交通機関が、わたしにはちょっと怖い〟と記されていまして...これは当事者でなければなかなか実感できない、コントロールの難しそうな症状だなぁ、と。一般的には閉所恐怖症のほうが人々の認知率が高そうに感じるし、似ているのかなとも思いますが、筆者によると〝少し違っているのは、物理的な閉所だけではなく、自分の意思で逃げ出せないような場所や状況も苦手だということ〟。車内の混み具合や駅間の所要時間にも影響されるようなのです。


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趣味は国内一人旅、というすずめさんにとって、2023年の冬、症状が顕著になったこと...それは、さぞ辛かったでしょう(作中では盛岡に向かう新幹線の中で「あ、もう無理だ」と、大宮駅で途中下車してしまった逸話も語られています)。〝基本的に広場恐怖症と旅との相性は最悪である〟...それでは、もう旅はしない!? いえいえ、↑の途中下車案件以降も、すずめさんは旅を続け、楽しんでいるのです。
つらい症状の告白でありながら、でも闘病記のようなダウナーな読後感がないのは、筆者が広場恐怖症をうまく受容して、きめ細かな対処を施しているからだと思いました。その工夫や気の持ちようがポジティヴな印象さえ与えるので、「かわいそう」みたいな同情とは無縁のエッセイになっているのだ、と。終盤には〝わたしは自分で自分のことを運が良いと思っている〟との一文もありまして...さて、筆者はなぜ運が良いと思えているのか? ぜひ小誌を手にとってお確かめください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 新幹線と飛行機は、心療内科に出してもらった頓服(抗不安薬)に頼っている。薬を飲むと、それまで大きく波立っていた心の水面が、すんと凪いだように落ち着く。百パーセント不安が無くなるわけではないが、「薬を飲んだ」という事実に心が補強され、乗り物に乗る勇気が湧いてくる。
 また、座席の位置もかなり重要で、飛行機なら非常ドアの近くなど前方が広く開いている席か、もしくは通路側の席にする。窓際の席は、景色が見られて気が紛れるから良さそうだと思われがちだが、隣に人が座ると通路への逃げ道に蓋をされてしまい、閉塞感に苦しむことになるので、広場恐怖症的にはあまり座りたくない席だ。予約の時点で通路側か前が広い座席が空いてない場合は、他の便に変更するか、「じゃあ今度にするか」と、旅自体をあきらめることもある。恐怖症なんかのせいで自分の好きな旅を諦めたくないという思いは一番にあるが、一方で「本当に無理だったら行かなくていいし、疲れたらすぐに帰ろう」という消極的な気持ちも持ち合わせている。意外と、無理ならやめればいい、また今度行けばいい、とあきらめの形で心の中に余裕を作ることも自分には効果的だった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈旅するわたしの広場恐怖症〉より引用~


すずめ園さん小誌バックナンバー掲載作品:人間生活準備中〉(第12号)/〈惑星野屋敷〉(第13号)/〈まぼろし吟行〉(第14号)/〈幸せにしてあげる〉(第15号)

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2026/05/28

vol.16寄稿者&作品紹介43 木村重樹さん

 ウィッチンケア第2号からの寄稿者・木村重樹さんには5月4日に出店した文学フリマ東京42でもたいへんお世話になりまして、どうもありがとうございました。そして木村さんの今号(第16号)への寄稿作〈あくまでもデビル──〝悪魔〞表象/いま、むかし〉...あっ、タイトルが「あくま」でも「デビル」「〝悪魔〞」、と高度な言葉遊びになっていることに今頃になって気づき、スイマセン。さらにもうひとつお詫びするとすれば、私(←発行人)は世間に疎いので、最初にお原稿をいただいたさい、作品冒頭から登場する「チェンソーマン」を知らず、そればかりかあろうことか「コンフィデンスマン」と混同して、あれ? 長澤まさみが出てるのはそんな内容だったっけ!? としばし困惑したという、スイマセン。ですけれども、木村さんがそれほどハマっということなので、テレビアニメ「チェンソーマン」第1期(全12話)は観ましてマキマさんのファンになりました。


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作品前半ではくだんの「チェンソーマン」などを題材に、人間と悪魔の関係性についての考察がなされています。とくに、“悪魔との契約”ということについては、有名なクロスロード伝説にも触れられていたりして...たしか、ジミー・ペイジも契約を交わしていたのではなかったっけ? また「チェンソーマン」のデビルハンター(悪魔退治が生業)と契約する悪魔について〝「同胞を退治するデビルハンターと〝契約〞を交わす悪魔」って、いいんだろうか?〟〝だって長期的展望で言えば、自分たちの種族を殲滅する側に与しているわけだし〟という真っ当(常識人的?)な疑問から、そもそもなぜ悪魔が...このあたりで筆者が導き出したひとつの結論は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください(ネタバレ禁止)。
作品後半では、まず1970年代のホラーブーム、とくに「悪魔」が冠された洋画がタイプ別に紹介されています。名前が挙がった作品の中で、私が観たのは「エクソシスト」と「ヘルハウス」だけでして...スイマセン(3度目の謝罪...)。この寄稿者&寄稿作品紹介がコンプリートしたら、恐る恐る観てみようと思っています。そして終盤では21世紀の作品、2016年の『哭声/コクソン』(곡성、哭聲)や2021年の『女神の継承』などについても。みなさま、本作をガイドとして、この夏の夜に肝を冷やす準備、進めてくださいませ。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 そういえば重要な〝悪魔〞映画が抜けていた。昨年、日本初公開から50周年を迎えた『悪魔のいけにえ』(The Texas Chain Saw Massacre, 1974)もまた、『エクソシスト』(The Exorcist,1973)や『ヘルハウス』(The Legend of Hell House, 1973)といったオカルト映画の本流とは異なり、いわゆる宗教的な悪魔は一切出てこない。その代わりに登場するのは、テキサスの片田舎で精肉業に従事する(見るからにマトモじゃない)奇天烈ファミリー。実は彼らは家に招いた旅行者を屠殺してはその人肉を加工して売り捌いていた……という悪魔的な所業が明かされる(つまり【タイプ②】に相当する)。メイン・キャラは電動ノコギリを振り回して大暴れする(ヒトの顔の皮を剥いだマスクを被った)殺人鬼レザーフェイスであり、そんな彼は(約半世紀後の日本に降臨した)チェンソーマンの原型(プロトタイプ)でもある。また作者の藤本タツキは、古今東西のホラー映画の熱烈なファンであることもつけ加えておこう。


~ウィッチンケア第16号掲載〈あくまでもデビル──〝悪魔〞表象/いま、むかし〉より引用~
※原文では「原型」にルビで「プロトタイプ」


木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品:私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈更新期の〝オルタナ〟〉(第3号)/〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉(第4号)/〈ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感〉(第5号)/〈40年後の〝家出娘たち〟〉(第6号)/〈映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]〉(第7号)/〈瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」〉(第8号)/〈古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)/〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(第10号)/〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉(第11号)/〈2021年「まぼろし博覧会」への旅──鵜野義嗣、青山正明、村崎百郎〉(第12号)/〈アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話〉(第13号)/〈〝ほどほど〟のススメ/あるいは/続「本当は優しい鬼畜系」の話〉(第14号)〈『いなくなっていない親友』のこと〉(第15号)

 

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vol.16寄稿者&作品紹介42 谷亜ヒロコさん

 ウィッチンケア第5号からの寄稿者・作詞家の谷亜ヒロコさんの今号(第16号)への寄稿作〈大人の友達の作り方〉には、不肖私(←発行人)もちょろっと登場しています。〝この本を主宰する多田さんだって、パソコン通信時代からのお付き合いだ〟...ですねえ、ダイヤルアップモデムで草の根パソコン通信に繋いで...おっと、そういう話じゃなかった。とにかく本作、友達づくりに関してとても実践的な提案が、ご自身の体験とともに紹介されています。そういえば、少し前に見たアベプラでも、田村淳やパックンが友達は必要かどうかについて議論していたけれども「友達がいる/いない」「友達ができる/できない」って、時代のホットなトピックなのかな? たしかに、谷亜さんも〝私の親の世代は良かった。会社員の父親は、会社内の人とだけ付き合っていれば人間関係は完結。定年した後も定期的に集まっていた〟と書いていますが、時代とともに個々の帰属意識みたいなものは、希薄になってきているような。


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作品序盤には〝うちの旦那のように、ひたすら友達がいないと嘆き続けられたら〟なんて一節がありまして、そうなんですよね、男子は歳を重ねるとなかなか、友達ができにくいかも。たとえば同じ音楽のグループを好きだったとしても「俺の好きになり方とあいつの好きになり方は違う」みたいに、こだわったり対抗心を持ったり、と面倒くさい生き物。かつて“濡れ落ち葉族”(専門家によると「主人在宅ストレス症候群」)なんて言われ方をされていた類の兆候が夫様にあるのでしたら、ほんと、早めにたくさん友達をつくってもらったほうが良さそうですね。
それで、筆者によると、いまの時代に〝誰でもができる友達を作る方法〟がある、と。それはズバリ、適度な「推し活」である、と。...このご提案、じつは誰も推したことのない私は、一瞬たじろいだりしましたが、谷亜さんはそれも織り込み済みだったのか、〝でも推し活をして友達を作ろう! と言っても誰も応援したくない、という人もいるだろう〟と前置きして、グッズを買ったり写真を撮ったりしなくても参加できる「推し活」的な楽しみ方をいくつか挙げています。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、「友達100人できるかな」を目指してみてください!

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 以前あるアーティストのライブ手伝いで名古屋へ行った時のこと。ファンの方々にライブが終わった遅い時間でも、会場近くに開いてるお店があるか聞いたところ「これから私たちが行くお店がありますよ」と言うんで、てっきり居酒屋さんかと思ったら、高級イタリアンだった。ファンの方はもう立派な大人の女性ばかりなのだから、高級な店に行くことは普通だろうが、私が「ライブの打ち上げ=居酒屋」という古い考え方だったから、ちょっとびっくりした。事務所の社長が「こんなにいい店で集まってるなら、ファンクラブの会費を値上げしよう」と美味しい牛肉を食べながら呟いていた。
 そう、年を取ってからの友達は金銭感覚が近くないとお話にならない。推し活は日本だけにとどまらず、世界各地へ行くことも多く、ご飯からタクシー代、ホテルまで平等に割り勘で払わないと、お仲間になれない。同じ推しに同じ金額を払える人たち。それは価値観が近いということだ。


~ウィッチンケア第16号掲載〈大人の友達の作り方〉より引用~


谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈今どきのオトコノコ〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由〉(第6号)/〈夢は、OL~カリスマドットコムに憧れて~〉(第7号)/〈捨てられない女〉(第8号)/〈冬でもフラペチーノ〉(第9号)/〈ウラジオストクと養命酒〉(第10号)/〈鷺沼と宮前平へブギー・バック〉(第11号)/〈テレビくんありがとうさようなら〉(第12号)/〈ホス狂いと育児がほぼ同じだった件〉(第13号)/〈フィジカルなき今〉(第14号)/〈折田さんは自分推し。〉(第15号)

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Vol.16 Coming! 20260401

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