2026/05/23

vol.16寄稿者&作品紹介35 かとうちあきさん

 ウィッチンケア第2号からの寄稿者・かとうちあきさんは、“人生をより低迷させる旅コミ誌「野宿野郎」”の編集長です。「野宿入門」(草思社)などの著書もあり、いわばサバイバル生活の達人。小誌とは短くもないおつきあいとなっていますが...そんなかとうさんの今号(第16号)への寄稿作のタイトルは〈中年になってわかった〉...いやあ、初めてお目にかかってから17年も経っているのですから、そりゃ当時は明らかに若者だったかとうさんが〈中年〉について語ってもおかしくはないのですが(そして当時〈中年〉だった発行人は、めでたく〈高齢者〉へと...)。ところで、今作なんですが、これはノンフィクショナルなエッセイなのか、創作作品なのか? 筆者のキャリアを鑑みるに、どちらにでも取れそうですが、私(←発行人)はその曖昧さも込みで、楽しく拝読致しました。


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酔っ払ってご機嫌そうな「わたし」の日常が描かれていますが、でもユーモアとペーソスが微妙に絡み合っていて、私の頭には「諦念」という言葉が浮かびました。あと、いくつかの回想場面が、妙に生々しかったり。なんか、歳を重ねると、ときどき突然過去のあるできごとをくっきりと思い出すことがあったりするけれども、ああいうのは、なんなんだろう? 〝十代の頃、実家の「食卓」が苦手だった〟〝食卓こそが家族の閉塞の象徴だ、ふぁっきん家父長制、ふぁっきん食卓、などと思う、思春期の真摯さよ〟...人と食事をともにすることに喜びを感じている「わたし」にとって、家父長制に起因する実家での「食卓」は、かなりのトラウマだったのかな。


〝中年になったいまも、固定化した関係が閉塞へ向かうことへの恐怖はあって、一人暮らしが気楽で安心〟という一節も、読み留まってしまいました。仲間とワイワイするのが楽しそうな「わたし」とは違う一面が、行間からふと浮かびんでは消えていく。そしてコカ・コーラにまつわる、友だちとのエピソード。中年ともなると、確かに人間関係も、若い頃の勢いのままでは立ちいかないかもしれないなぁ。...みなさま、ぜひ小誌を手にとって、作品最終行に書かれた〝わかったのだ〟というひとことまでお目通しください。ちょっとしんみりですが、人は誰でも、です。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 そういえば、店を出た時、植え込みで拾ったのだ。マクドナルドの紙コップを。なみなみと入ったそれは、飲んでみると、コカ・コーラで。
「コーラが、コーラがありました!」
 酔っ払いは、同じ言葉を繰り返したい。
 そう言って、いつも素面で呑んだくれたちに付き合ってくれる、店でコーラを注文していた友だちに渡したはずだけど、あれ、どうなったんだっけ。友だちは、困った顔をしていたような気がする。急に思い出し、
「あの人、コーラ、飲んでくれなかったね」
 親しくなった人に言うと、
「いや、一口飲んでくれたじゃないですか」と教えてくれた。
そうか、一口飲んでくれたんだ。
 あんな得体の知れない、雨水で薄まり気が抜けたコカ・コーラの残滓のようなものを。わたしがうれしそうに渡したから。そういえば、「毒見はすませました」って得意げに言って、渡したような気もする。
「とてもいい人だ。すごくやさしい」
 あの時、あの友だちを喜ばせたい気持ちに嘘はなかったはずだけど、それよりじぶんがコーラを拾ったうれしさと、拾ったコーラを共有したいおのれの欲求のほうが強かったことは否めず。いやがらせと捉えられても、おかしくない行為でした。


~ウィッチンケア第16号掲載〈中年になってわかった〉より引用~


かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/〈チキンレース問題〉((第11号)/〈鼻セレブ〉(第12号)/〈おネズミ様や〉(第13号)/〈A Bath of One’s Own〉(第14号)/〈宇宙人に会った話〉(第15号)

 
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2026/05/22

vol.16寄稿者&作品紹介34 仲俣暁生さん

 ウィッチンケア第3号からの寄稿者・仲俣暁生さんは今年1月、ご自身が運営する個人出版(軽出版)レーベル《破船房》より「自由について」というエッセイ集を刊行しました。収録されているのは、おもに仲俣さんがこれまで小誌にご寄稿くださった作品からのセレクション。同書については今号(第16号)への寄稿作〈スローラーナー〉でも触れていらっしゃるので、ここで重複するような紹介はしませんが、私(←発行人)としては「雑」な「誌」の中で離れ離れになっていた「大切な記録(記憶)」をリブートさせ、新たなかたちにまとめ上げてくださったことに大感謝! ですし、嬉しい限りであります。


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さて、そんな仲俣さんの今作は、「自由について」をまとめる過程で〝痛感した〟という、〝自分には青春時代の読書の記憶がほとんどない、ということ〟についての回想、そして自分が〝青年後期の読書の時代〟へと至るきっかけになった編集者・植田実の著書『真夜中の家──絵本空間論』という本についての一篇です。作品前半で語られている筆者の二十代...〝生活は音楽漬けで、書物が入り込む余地はほとんどなかった〟〝東京の東から西まで住んだ。すぐに引っ越せるよう家財道具は最小限度に留めるようになった〟。mmm…仲俣さんはいまも音楽に造詣が深いですし、それ以上に若い頃から博覧強記だったのでは、と勝手に想像していましたので、ちょっと意外ではありました。
昨年11月に亡くなった植田実と『真夜中の家──絵本空間論』にまつわる逸話は、個人的な記憶と絡めながら、とても丁寧に記されています。とくに本のタイトルにもなっている「絵本空間」という概念(!?)が、自らの転居生活とシンクロするくだりなどを拝読すると、筆者にとってこの出逢いがいかに大きな転機であったか、ひしひしと伝わってきます。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、現在の破船房房首・仲俣さんの原点ともいえるできごとに立ち会ってみてください、

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
『真夜中の家』は基本的には書評集で、広義のファンタジー作品について論じている。副題のとおり「絵本」が大きな意味をもつが、小説やマンガ、写真集についても幅広く言及がある。カラーの口絵が数葉挟まれていて、その禁欲的ながらも効果を上げる使い方に、当時の私は編集の極意をみた気がした。
 この文章を書くために、久しぶりに読み返してみて驚いたことがある。
『自由について』には早くに亡くなった伯母の思い出を書いた文章を二つ収めた。その片方で、ヒルダ・ルイスの『とぶ船』を取り上げた。私にとってもっとも思い出深い本の一つであり、なおかつ、その中身をすっかり忘れていた本として。植田さんの『真夜中の家』にも、この本への言及がある。二十代の私はそのことにすぐ気づいたはずだ。そして、購入する強い動機のひとつにしたはずである。


~ウィッチンケア第16号掲載〈スローラーナー〉より引用~


仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品:〈父という謎〉(第3号)/〈国破れて〉(第4号)/〈ダイアリーとライブラリーのあいだに〉(第5号)/〈1985年のセンチメンタルジャーニー〉(第6号)/〈夏は「北しなの線」に乗って ~旧牟礼村・初訪問記〉(第7号)/〈忘れてしまっていたこと〉(第8号)/〈大切な本はいつも、家の外にあった〉(第9号& note版《ウィッチンケア文庫》)/〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(第10号)/〈テキストにタイムスタンプを押す〉(第11号)/〈青猫〉(第12号)/〈ホワイト・アルバム〉(第13号)/〈そっちはどうだい?〉(第14号)/〈橋本治の書物観〉(第15号)


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2026/05/21

vol.16寄稿者&作品紹介33 3月クララさん

 3月クララさんからウィッチンケアにご寄稿いただくのは、今号(第15号)で3作目。第14号掲載の〈ゼロ〉、第15号掲載の〈ここから始まる〉。いずれも死者が登場する掌編小説でしたが、今回の〈はりこ〉は一転、生命誕生の物語です。めでたしめでたし...なんですが、でも、なんだかシニカルなハッピー話になってしまっているのは、なぜだ? そして今作も、ここで話の設定をネタバレすると、ちょっともったいないことになりそうですので、以下、淡々と差し障りないような紹介に努めます。


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夫婦話です。夫の名前は「ラン」で、「ラン」は妻を「ヨピちゃん」と呼んでいます。「ヨピちゃん」は売れっ子のアクセサリー作家で、「ラン」は妻のアシスタント。この家庭の生計は「ヨピちゃん」によって成り立っており、「ラン」曰く〝口の悪い友だちは、僕のことをプロのヒモと呼んでいる〟と。まあ、ヒモといっても、その語り口からしていにしえの「女衒型ヒモ」ではなく、「主夫型・癒やし型ヒモ」のようですが。それで、この2人は〝はほとんど口論なんてしたことがなかった〟のですが、「ヨピちゃん」の妊娠がわかってからは、毎日が喧嘩なのだそう。...と、ここまでの展開だと、たとえば「産まれた子供はどっちが育てる」とか「ヨピちゃんの仕事は続けられるのか」とか「ランも働きに出るのか」とかみたいな話? 全然、違います。3月さんという作家は、そういう方面から軽やかに超越(逸脱!?)しちゃうんで、そこが素晴らしい。
場面が医師との面談に移ると、唐突に登場する、作品タイトルにも連なる「マッシ」。これがなんなのか、ここで書いてしまうとネタバレ。素材や形状の説明とかはあるんですよ。〝「マッシはジュゴンの陰嚢を加工して作られています」〟とか〝触ると表面は和紙のようにかさかさしていた〟とか。でもまあ、描写を頼りに脳内で想像してみても、なんともよくわからない。ということでして、いったい「マッシ」がなにで、この夫婦は「マッシ」でなにをしようとしているのかは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 担当医が、僕とヨピちゃんの、触れるか触れないかくらい空いた肩と肩の隙間から窓の外を伺うように目を細めながら、うやうやしく尋ねた。
 ヨピちゃんの尖った鼻がこちらを向く。ヨピちゃんのそれは、目よりも雄弁に僕に話しかける。
 さあ、あなたの意思と愛を、はっきりと宣言して。
「マッシでお願いします」
 ヨピちゃんの鼻先に促されるまま、僕は今朝練習した通りに答えた。
 医師は「よくご決断されましたね」と、やっと僕に目の焦点を合わせて微笑みかけてきた。

~ウィッチンケア第16号掲載〈はりこ〉より引用~


3月クララさん小誌バックナンバー掲載作品:ゼロ〉(第14号)/〈ここから始まる〉(第15号)

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vol.16寄稿者&作品紹介32 荻原魚雷さん

 ウィッチンケア第8号からの寄稿者・荻原魚雷さんはSNSを一切やっていません。ネット上での唯一の拠点はもう20年も続いている「文壇高円寺」とい名称のブログ。今号(第16号)への寄稿作〈ブログの話〉では、その「文壇高円寺」という名前の由来や、なぜブログだけを続けているのかについての雑感などが語られています。私(←発行人)は1999年12月にhtmlで個人ホームページを開設したんですが、運営元の「teacup.」がサ終になり、2022年に消滅してしまいました(テキストデータだけはある場所に保存済み)。萩原さんのブログは天下のGoogleが運営しているBloggerなのでそんな悲劇には見舞われにくいのでしょうが、でも作中には〝そう遠くない将来、消えてしまいそうな予感がある。デジタルの世界も諸行無常あり〟なんて一文もあって...デジタルの諸行無常、言いえて妙だなぁ。


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荻原さん自身も〝ブログは衰退した。もはや「オワコン」とすらいわれなくなった〟という認識のようなのですが、それでも筆者にとっては生活の一部になっている様子が伝わってきます。備忘録としての役割が大きそうですが、それだけではない、もの書きとしてのモチベーションに関わっているような。〝四、五年前に友人のすすめでツイッター(その後、X)のアカウントを作った。すぐやめてしまった〟との記述もあって...私ももしウィッチンケアを発行していなかったら、Xはときどき覗いてみるだけのものでよかったかもしれない(いや、一切見ないほうが精神衛生上よろしいかもしれない)。
作中には、筆者初の単行本「古本暮らし」(晶文社)の誕生にまつわる話なども語られています。編集者・中川六平さん(故人)との酒場でのやりとり、思わず笑ってしまいますよ。また、ブログを介したかつての交友関係についても触れられていまして、近年はネットの昔話をすると「インターネット老人会」とかって揶揄されちゃいますが、確かにブログ全盛期くらいまでは、ネットの世界って、もうちょっとほのぼのとしていたかも。月日は流れましたが、巷のノイズなど我関せず荻原さんの今作の冒頭は、〝年をとると過去が長くなり、未来が短くなる。昔をふりかえってばかりいる。時代についていけない。そのことすらどうでもよくなっている〟と、ある意味では清々しい。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、荻原さんとブログとの関係をご一読ください。


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 最初の単行本『古本暮らし』(晶文社)が刊行されたのは二〇〇七年五月。ライター生活十八年、一冊目の本である。三十七歳。本は出すことはできた。雑誌の連載の声がかかった。でも収入は増えなかった。ライターの仕事は無署名で数をこなしたほうが儲かるのである。
 ブログの話に戻そう。
「文壇高円寺」というタイトルは二十代後半、友人が開設したホームページに間借りする形で書いていたエッセイの題名からとった。身辺雑記+評論という形式の文章を書くきっかけになった。
 そのあと一箱古本市をはじめ、古本関係のイベントに参加するときは「文壇高円寺古書部」という店名で古本を売った。
 ブログのタイトルに「文壇高円寺」とつけたとき、意地でもこの町に住み続けようとおもった。そんなふうに自分の人生を縛った。同じ町に住み続ける人生、いろいろな町に住む人生──両方は選べない。


~ウィッチンケア第16号掲載〈ブログの話〉より引用~


荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品:〈わたしがアナキストだったころ〉(第8号)/〈終の住処の話〉(第9号)/〈上京三十年〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈古書半生記〉((第11号)/〈将棋とわたし〉(第12号)/〈社会恐怖症〉(第13号)/〈妙正寺川〉(第14号)/〈先行不透明〉(第15号)

 
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2026/05/20

vol.16寄稿者&作品紹介31 木俣冬さん

 ウィッチンケア第13号からの寄稿者・木俣冬さんは2015年から毎日朝ドラをレビューし続けていまして、現在はDIAMOND onlineにて「風、薫る」について...私(←発行人)も長年の習慣で見続けております。直美とバーンズ先生は好きなんだけれども、りんのキャラがイマイチ掴みきれておらず、今後の展開に期待。あと、個人的には「湾岸署の雪乃さん」がりんの母親役なのも...そりゃ私も歳をとったよなぁ、と。あ、スイマセン、話が逸れてる。ええと、それで、木俣さんには「小誌ではとくにご自身の専門分野にはこだわらず、自由な題材で」と寄稿依頼して(いるつもりで)おりまして、だからでしょうか、第16号に届いたのは〈猫が消えた。〉と題された、筆者のお住まい近くの地域猫(町ネコ)と、近隣の再開発についてたっぷりと語りもする一篇でありました。私は2013年まで下北沢に住んでいましたので、作中に描かれているような住民と地域猫が共存する風景、覚えているのですが、でもあれから十数年。〝猫たちは不思議なことに、ひたひたと行われていた再整備が住人の認知するところになる前からぷっつり消えていた。さすが人間よりも機を見るに敏、路地裏集会で話し合って、みんなである晩、ドロンしたのだろうか〟という記述もあり...そうか、2026年の東京都心部の風景は、そんななのか、と。


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それで、私は少し↑のほうで「地域猫(町ネコ)と、近隣の再開発についてたっぷりと語りもする一篇」と書きましたが、じつは本作、中盤から大きく舵が切られて、それまでの猫話を踏まえたうえでの朝ドラの話となります。〝ここでなぜ唐突に朝ドラ? いや、この原稿は実は朝ドラが題材で猫は長いアヴァンだったのである〟...圧巻の切り返し。そして、この先は筆者の真骨頂。さすが、私のような素人目線で「今作は面白い/つまらない」みたいな凡庸なことは仰りません。朝ドラのヒロインの変遷に対する細かい観察眼は、まさに前半部に登場した「茶トラ」「美猫」「タビ一族」へのそれと同じ。
1961年に始まった朝ドラでは〝長きにわたり、女性のロールモデルになりやすいキャラクターが造形されてきた〟が、ここ数作では〝時代が変わるにつれ、そこからはみ出したヒロイン像も求められるようになって〟いるのではとの分析、頷いてしまいます。そして本作の終盤では〝長いアヴァン〟があったからこその、木俣さんならではの、未来の朝ドラへの提案が。これが実現したら面白いだろうな、と思うのですが...それがどんな提案なのかは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!


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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 せめて、かつてこの素朴ななんの変哲もない緑道に、タビ一族がいたことを記録しておきたい。最初に私が出会った白足袋猫を私がそのまま「タビ」と勝手に呼んでいた。タビは大きく堂々として風格があり人間に媚びない猫であった。旅人という意味あいも込めて「タビ」だった。
 やがて緑道界隈には白足袋猫が増えていった。おそらくタビの子孫に違いない、そう思った。やつは堂々とした風格で子孫を増やしていたのだろう。季節が過ぎていくなかで、片方だけ白足袋だったり、黒猫だったり、微妙に違うが白足袋の黒猫が緑道を闊歩した。ある数年間は双子のきょうだいのように、いつも一緒で決して離れない白足袋猫の時代があった。昭和感満載の二階建てアパートの一階に猫好きらしい女性が住んでいて、主にその人に面倒を見てもらっていたようだ。その一階のコンクリートの地面によく寝そべっていた。
 猫の寿命は15年〜30年くらいだが、野良猫は3〜5年と短いそうだ。やっぱり野生で暮らすのは大変なのだなあ。猫たちはどんどん代替わりしていき、やがてサビ猫が現れた。これはタビ一族かどうかわからなくなり、その頃から周辺の古い家(緑道の歴史より長いくらいの)が建て替わっていった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈猫が消えた。〉より引用~



木俣冬さん小誌バックナンバー掲載作品:まぼろしの、〉(第13号)/〈アナタノコエ〉(第14号)/〈イケメンという言葉の黄昏に〉(第15号)

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Vol.16 Coming! 20260401

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