2022/12/31

ウィッチンケア第13号、2023年4月1日に発行します!

 2022年は「えっ!?」とか「うっ...」とか、言葉に詰まるようなできごとが公私ともに多かった印象があります。

「えっ!?」は...たとえば2月、ウィッチンケア第12号の編集作業が大詰めに近づいたころにロシアがウクライナへの軍事行動を開始。そして、たとえば7月、参議院選挙の終盤に安倍晋三元首相の銃撃事件。この日、私は午前中に銀行へ行く用事があって、その帰りにパンを買おうと思ってクルマを走らせていました。ラジオはTBS「ジェーン・スー 生活は踊る」。たしか、臨時ニュースが挟み込まれて、柴田秀一アナウンサーが「奈良県の立ち会い演説会で政治家が襲われた」みたいなことを伝えていて、その最後に「撃たれたのは安倍晋三元首相、心肺停止との情報が」と。まだ12時をまわっていなかったと記憶していますが、さすがに耳を疑いました。

「うっ...」のほうは、おもに私的な面であまりよくないことが秋から冬にかけて頻発。周囲の人のありがたさをしみじみ感じた1年でした。具体的なことは...愚痴なので控えるべきですが、でも、ちょっと。11月某日、30日間の免停処分となった私は、朝から府中運転免許試験場で免停講習を受けていました。長らくゴールド免許保持者だったのに、なんで今年(それもほぼ夏〜秋)は警察に好かれてしまったんだろう...まあ、とにかく切り替えて、今年分の厄災を倍返ししてやる2023年になるよう頑張ります!

と、漫然とボヤいてますが、でもよいことも少なからずあったんですよ。一番嬉しかったのは、4月に発行したウィッチンケア第12号を、これまでで最多の読者に届けられたこと。お取り扱いくださった書店の皆様に大感謝です! そしてこの機運を大事にしてさらなるチューンナップを施した第13号を、2023年4月1日に世に送り出そうと思います。どうぞご期待ください!!

そろそろ紅白歌合戦が始まりますが、なんだかんだ言いながら今年も見るんだと思います。知らない人がたくさん。でも、とにかく見てみる。2022年は国内外ともに「おっ!!」と感じる音楽と出会うことが少なくて、「どうせもうオレはアウト・オブ・デイトなんだし」と心寂しく古い曲ばかり聴いていたんですよね。しかし、年末になってちょっと素敵なのを(数ヶ月遅れで)発見。それを貼り付けて今年を締めようと思います。Alvvaysの「Belinda Says」。それではみなさま、よい新年をお迎えください。



2022/06/01

ウィッチンケア第12号のまとめ



 ウィッチンケア第12号(Witchenkare VOL.12)


発行日:2022年4月1日

出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー)

A5 判:252ページ/定価(本体1,500円+税)

ISBN::978-4-86538-128-3 C0095 ¥1500E



【寄稿者/掲載作品】~もくじより〜


006……トミヤマユキコわたしはそろそろスピりたい

010……矢野利裕時代遅れの自意識

016……ふくだりょうこ死なない選択をした僕

020……武田徹レベッカに魅せられて

024……長井優希乃牛の背を駆け渡る

030……カツセマサヒコ復路、もしくは、ドライブ・ユア・カー

040……インベカヲリ★希死念慮と健康生活

044……木村重樹2021年「まぼろし博覧会」への旅──鵜野義嗣、青山正明、村崎百郎

050……姫乃たまクランベリージュース

054……ジェレミー・ウールズィーPMCの小史

058……すずめ園人間生活準備中

062……武田砂鉄クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー

068……青柳菜摘ゴーストブックショップ

072……長谷川町蔵Bon Voyage

080……スイスイわたしはその髪を褒めれない

086……仲俣暁生青猫

092……蜂本みさイネ科の地上絵

098……柳瀬博一2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話

104……野村佑香渦中のマザー

108……長谷川裕ふれあいの街 しんまち

114……美馬亜貴子きょうのおしごと

120……多田洋一織田と源

132……はましゃか穴喰い男

140……武藤充日向武藤家の話

144……宇野津暢子秋田さんのドタバタ選挙戦

148……柴那典6G呪術飛蝗

154……山本莉会ゴーバックアゲイン龍之介

160……宮崎智之オーバー・ビューティフル

168……久山めぐみ壁の傍

172……吉田亮人撮ることも書くことも

176……藤森陽子おはぎとあんことジェンダーフリー

180……中野純完全に事切れる前にアリに群がられるのはイヤ

186……かとうちあき鼻セレブ

192……荻原魚雷将棋とわたし

196……東間嶺「わたしのわたしのわたしの、あなた」

202……我妻俊樹雲の動物園

208……久保憲司マスク

216……ナカムラクニオ妄想インタビュー 岡倉天心との対話──「茶の湯」という聖なる儀式について

220……清水伸宏つながりの先には

228……朝井麻由美ある春の日記

232……谷亜ヒロコテレビくんありがとうさようなら

236……小川たまか女優じゃない人生を生きている

246……参加者のVOICE

251……バックナンバー紹介


編集/発行:多田洋一

写真:白山 静 Instagram:https://www.instagram.com/oriondayo_/

Art Direction & Design:太田明日香

取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)

印刷/製本:株式会社シナノパブリッシングプレス


私が言うのもなんですが(第12号編集後記)

https://note.com/yoichijerry/n/nd536de8ae87a


〈2010年4月創刊の文芸創作誌「Witchenkare(ウィッチンケア)」は今号で第12号となります。発行人・多田洋一が「ぜひこの人に!」と寄稿依頼した、42名の書き下ろし作品が掲載されています。書き手にとって、小誌はつねに新しい創作のきっかけとなる「試し」の場。多彩な分野で活躍する人の「いま書いてみたいこと」を1冊の本に纏めました!〉



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※いくさ(ノベライズ・ウィッチンケア第12号)

(下記URLを読むと第12号の全体がざっくり見渡せます)

https://note.com/yoichijerry/n/nb997107db25e


ウィッチンケアを手に取れる書店

https://note.com/yoichijerry/n/n70c9bda7b608

Witchenkare STORE


※BNも含めamazonでも発売中!



書店関係のみなさまへ
小誌は下記サイトよりどの取次会社経由でも、直取引でも注文可能です。


https://www.jrc-book.com/list/yoichijerry.html

https://www.bookcellar.jp/publishertop/list/740



2022/05/31

私が言うのもなんですが(第12号編集後記)

ウィッチンケア第12号、予定どおり毎年恒例の《すべての寄稿者/作品紹介》〜編集後記へと辿り着きました。...ここまで長かった、というのが率直な感想。今号はかなり早めに制作準備を始めまして、まずデザイナーの太田明日香さんと最初の打ち合わせをしたのが昨年9月20日。その後、約1ヶ月かけて写真家が白山静さんに決まり、初打ち合わせが11月6日。併行して寄稿者とのやりとりがあり、前号の32名から10名増の42名と決定したのが、大晦日の紅白歌合戦の最中だった記憶あり。あっ、10月〜年末にかけては全国の(おもに独立系)書店様にも、見本誌持参(or送付)でお声がけさせていただきました。

全体の作業量は増えたはずなのに、終始楽しかったんですよね。私はルーティンワークが苦手で落ち着きのない性格だと自認していますが、今号に関してはそれが良い方向に出たのかもしれない。結果、これまでで一番「売れている号」にもなっていそうです、おそらく(今年10月に取次と精算をしてみないと正確にはわかりませんが)。

前号の編集後記をいま読み返すと、けっこう愚痴っぽい。まあ、今号でもほぼ同じ状況での作業だったものの、それでも開き直れたというか、やれることをやってみるしかないと思えたというか...ちなみに昨年“(その女性とは〜中略〜いまは「怪しいヤツ」とは思われていない、と思う)”と記したかたの作品は、今号にしっかり掲載されています。一喜一憂せず「時間をかける」ことも大事だな、とあらためて思いました。

明日(6月1日)には《ウィッチンケア第12号のまとめ》をブログ(&note)にアップします。ぜひ、アクセスしやすいかたちにした《寄稿者/作品紹介》をあちこち読んでみてください。私が言うのもなんですが、小誌は個人主宰誌なので「私がおもしろいと思った作品」しか掲載されていません。ですので、もし42名(42作品)のうちの誰か(あるいはどれかの作品タイトルetc.)に気持ちが動いて小誌を手にしたかたでしたら、それは私と同種のリアクションなので、ぜひ他の(できれば「全然知らない」)寄稿者の作品を読んでみてください! きっと、かなりの確率で「新たな良い出会い」になるはず。そしてまだ小誌を手にしていないかたには...ぜひぜひ、下記URLのリアル店舗Amazon等のネット書店で入手してくださいね。

引き続き今号の読者を増やすための活動を続けます。同時に、どんな次号がつくれるのかを考え始めます。次号を出せるとしたらVOL.13...「13」という数字をおもしろがるようなことができないかな、なんて、元来編集者気質の私は校了後すぐに思いを馳せていたもののそれをぐっと封印して「第12号を知ってもらうこと」「第12号を売ること」に注力してきましたが、ここからは二刀流で先に進みたく存じます。...なにはともあれ、みなさまウィッチンケア第12号をどうぞよろしくお願い申し上げます!

でっ、テキストだけの後記ではなんとも味気ないので今回もなにか1曲...最近は新しい曲に疎くなっていまして、もう初心忘れるべからず、みたいなのにしまーす。小誌創刊の動機でもある、これ。 



2022/05/18

VOL.12寄稿者&作品紹介42 小川たまかさん

今年2月に『告発と呼ばれるものの周辺で』を上梓した小川たまかさん。同書は性犯罪(...というか、性被害)にまつわる本で、2010年代半ば以降に小川さんが見聞きしたさまざまな立場の人の“声”を、過去の文献やご自身の体験も交え、現在の視線で考察した1冊です。タイトルには「告発」というゴツい言葉が選ばれていますが、私にはむしろ筆者が「周辺」のほうに重きを置いているように読めました。〈あとがき〉にある「本当はもっと近くで聞いてほしい声だった」というニュアンスを漏らさず伝えるために、粘り強く丁寧に執筆作業を続けたのだろうな、と。第4章の「構造への指摘はいつも意図的に無視される」(P151)という指摘、第1章最後の「こんなことがもうずっと繰り返されてきているのだと思った」には、小川さんが抱えているやるせなさが詰まっていると感じたなぁ。...それで、そんな小川さんが小誌今号に寄稿してくださった「女優じゃない人生を生きている」は、「女優」という言葉を軸に「自分をフェミニストだと思っている」という主人公・優里の、職場での日常のできごとを綴った一篇です。


『告発と〜』に通じる問題も扱われていますが、より多面体というかきめ細かいというか、優里と他者との関係性や心の揺れを描くだけに留めることで、「Yes or No」的な“結論”から自由になっていると感じました。たとえばあるインタビュー中に劇作家が使った「女優」という言葉。これを先輩のチコさんは原稿化するさいに「俳優」に修正する。そのことに優里は同意している。「緩衝材のプチプチを一個ずつ潰していくように、表現に染み付いた社会的性差を指摘していったらいいのだ」と。しかし他の場面では「女優って言葉には、「女医」とか「女流作家」とは違うリスペクトがある気がする。男優より俳優より、女優の方がメイン、みたいな」とも。でっ、なぜそう思うのかについては「うまく説明できないけど」で、止め。うまく説明することでこぼれちゃうものをすくっていると感じました。救っている/掬っている。

以前インタビューしたことのある19歳の俳優...彼女が平塚らいてうを演じた舞台を観て、優里は心をかき乱されます。この終盤でのたたみかけるような展開が圧巻でして、時空を越えた感情と理性の乱高下を、読者のみなさまはどう解釈するのでしょうか。とにもかくにも小誌今号のクローザーにふさわしい小川さんの書き下ろし小説を、ぜひぜひ、ご一読のほどよろしくお願い申し上げます。


「私、小さい頃、演技をする人になりたかったんですよね。変かもしれないんですけど、レッスンとかオーディションを受けるとか鍛えられることに憧れがあって」
 チコさんが聞いてくれているのを確認して、続ける。
「だから劇団に入りたいとか、オーディションを受けたいって思ってたんですけど、うちはそういう家じゃないって親に反対されて諦めちゃって」
 そう、だからこそ「女優」に憧れる。劇団に入れなくても、もっと外見が優れていればスカウトされて、その道を歩めるかもしれなかった。昔読んだ雑誌で、コラムニストが「美少女はどんなに嫌がってもとっ捕まって芸能界に入れられる、そういう運命なんだ」と書いていて、本当にその通りだと思った。「女優」への特急券を持っている同年代の美少女たちが羨ましかった。

〜ウィッチンケア第12号〈女優じゃない人生を生きている〉(P236〜P243)より引用〜

小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作品:〈シモキタウサギ〉(第4号)/〈三軒茶屋 10 years after〉(第5号)/〈南の島のカップル〉(第6号)/〈夜明けに見る星、その行方〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈強姦用クローンの話〉(第8号)/〈寡黙な二人〉(第9号)/〈心をふさぐ〉(第10号)/トナカイと森の話〉(第11号)

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2022/05/17

VOL.12寄稿者&作品紹介41 谷亜ヒロコさん

谷亜ヒロコさんの今号への寄稿作は「テレビくんありがとうさようなら」。 朝井麻由美さんに続きまたもやテレビ絡みの話になりますが、もう引導渡しちゃってるところが、谷亜さんらしいサバサバしさ(!?)。NHK放送文化研究所が実施した「2020年 国民生活時間調査」によると16~19歳の約半分が「ほぼテレビを見ない」らしく、私の乏しい人生経験に照らし合わせても、たとえば携帯電話が普及し始めた時期、当時の人はなんとなく「家庭(世帯)の固定電話との併用なんじゃないの」と思っていたと思うし、CD(というか、デジタル音源)が出始めたころだって、「フィジカルなメディアはいらない」までには思いが至らなかったと思うのです。いまテレビを見ている人って、おそらく電話とレコード(CDを含む記録媒体)の末路をリアルタイムに知っているはずなんだけれども、でも長年の視聴習慣に引き摺られているだけで、じつはもう、既存の放送局のタイムスケジュールにこちらのほうから生活を合わせてあげるの、かなりキツくなっているはずで、あとは電話→iPhone/音楽再生手段→iPod〜ストリーミング、みたいなイノベーションが...もう私には起こっちゃった、というのが今号の谷亜さんの一篇なんですよね。スイマセン、長々とつまらん講釈垂れまして。


かつてのテレビっ子(谷亜さん)がいまやすっかりYouTube視聴者へ。少しまえまでテレビとは「友達との会話の糸口」だった、と谷亜さんは書いています。でも最近は“「8時だヨ!全員集合」での細かい話、山口百恵は良かったなど、知らんがな、もう芸能界いないわよ、そんな語り尽くされた話には、興味がない。”とも。心当たりがありまして、あのぅ、むかしいた会社の同期会とかって、相互に現時点の情報がないから、その話をすれば有意義だったりもするのでしょうが、ついつい共通の昔話になって「なんか、いっつも同じ話してるな」みたいな。あと、私は20代後半で気づきましたが「懐かしい」は、飽きる。新たな「懐かしい」を頑張って掘り起こす、あるいは自分が発見していない「懐かしい」を知ってる人と交流しないと、テレビの「懐かしアニメベスト」みたいなのの餌食になってCM刷り込まれるだけ。

ほぼテレビ話の本作に少し挟まれている、谷亜さんの御父様のこと。お原稿を受け取ったときにはちょっと心が震えましたが、しかしこれも筆者の「書き手としてのスタンス」なのだと理解しました。表題の「ありがとう」はテレビだけに係っているんじゃないのかもなぁ、なんて思ったりも...でした。


 昔からテレビが大好きだった。最初の記憶は、五歳の頃、朝八時十五分から始まる朝ドラが見たくて、幼稚園に行きたくないと泣いた。学生最後という大事な高校卒業式の日も「笑っていいとも!」のゲスト本田恭章が気になりすぎて、友達の誘いを断って速攻帰ってきた。しかし私は特に本田恭章が特に好きなわけではない。「いいとも」という超マスなメジャーの場で、本田恭章がどれだけアウェイ感を醸し出すのかが見たかっただけ。テレビドラマの第一回目は全て録画して見て、そのうちの半分ぐらいは見て最後まで視聴した。朝だけじゃなく、帰宅してもまずはテレビを見ていた。

〜ウィッチンケア第12号〈テレビくんありがとうさようなら〉(P232〜P234)より引用〜

谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品:〈今どきのオトコノコ〉(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由〉(第6号)/〈夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜〉(第7号)/〈捨てられない女〉(第8号)/〈冬でもフラペチーノ〉(第9号)/〈ウラジオストクと養命酒〉(第10号)/鷺沼と宮前平へブギー・バック〉(第11号)

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VOL.12寄稿者&作品紹介40 朝井麻由美さん

現在テレビ東京【水ドラ25】で絶賛放映中の「ソロ活女子のススメ2」。朝井麻由美さんが大和書房刊の「ソロ活女子のススメ」を上梓したのは2019年3月、同名タイトルのドラマが放映されたのが2021年4月〜6月。その後配信オリジナルのスピンオフドラマ「ソロ活女子のススメのススメ」が制作されたりもして、現在の「2」へという流れですね。江口のりこは「半沢直樹」の白井亜希子国土交通大臣もすごかったけれど「鎌倉殿の13人」での亀の『後妻打ち』もすごくて、今後どれだけ大化けするのか? そんな彼女の民放連続ドラマ初主演番組の原作者が朝井さん...これは、すごいことだ! そして、そんな朝井さんから今号に届いた寄稿作「ある春の日記」には〈今度の新作ドラマの原作者〉という人物が登場しているのですが、これは、きっと偶然だと思います。ええと、本作は〈性別女、制作会社勤務〉(テレビ関係)のかたの素っ気ない雑感メモみたいな体裁の一篇でして、サラリと読めるもののけっこう毒素も含まれているように感じられまして、まあ一番の問題は今作で筆者に毒を吐かれているその当事者が「それって毒を吐かれるようなことなの?」という認識のまま存在していることだと思いました。“会議で「価値観のアップデート」とよく言うくせに、〝アップデートしてるクリエイターな俺〟が好きなだけで、根っこの部分はただの昭和のおっさんなんだよな”...ガツーン!


「恋愛はドラマの基本じゃないですかァ?」と語るプロデューサー。私(←発行人)は2003年1月~2022年04月までの民放ドラマ高視聴率ランキングを調べてみました。あきらかにラブストーリーだと思えるものは「ラストクリスマス」(2004年/18位)と「電車男」(2005年/25位)くらいしかないぞ。ちなみに彼が想定していそうな「基本」のやつを拾ってみると「Beautiful Life」(2000年)、「ロングバケーション」(1996年)、「東京ラブストーリー」(1991年)、「男女7人秋物語」(1987年)...やはり困った存在です。

あと、作中の〈三月十七日〉のフッくんの件が心に残りました。私は十数年前、下北沢のたこ焼き屋のテイクアウトに1人で並んでいて、そのとき店内にいた女がなにかの拍子に振り返って目が合って、しばししてその女がもう一度確認するように振り返って、その後隣にいた男に「ダチョウ倶楽部かと思った」と言った声が聞こえて、この話のポイントは女は「ダチョウ倶楽部」としか言っていないのに私にはそれが「肥後でも寺門でもない」とわかったことで、やっぱりこんな時間にたこ焼き食べようとするからこんなこと言われるんだと落ち込んだことがある程度には親しみを感じていた人がつい先日なくなってしまって、いまや黄昏てるテレビ業界であのポジションを続けていくのはさぞかしつらかったんだろうな、とちょっと同情したことをここに記しておきます。



三月九日
 プロデューサーが怒っていた。今度の新作ドラマの原作者と揉めているらしい。プロデューサーはドラマの中で主人公に恋愛をさせたいらしいけど、原作者はそれを嫌がっている。原作に一切ない展開なのだから、当たり前だろう。
「恋愛はドラマの基本じゃないですかァ?」と気持ちの悪い顔して電話している。いかにもな昭和のプロデューサーで吐き気がする。しかも、カーディガンを肩で巻いてる。初めて見たとき、プロデューサー巻きする人って本当に存在するんだ、と驚いた。電話を切ったプロデューサーが「恋愛にしないと数字が取れない」とブツブツ言っている。

〜ウィッチンケア第12号〈ある春の日記〉(P228〜P230)より引用〜

朝井麻由美さん小誌バックナンバー掲載作品:〈無駄。〉(第7号)/〈消えない儀式の向こう側〉(第8号)/〈恋人、というわけでもない〉(第9号)/〈みんなミッキーマウス〉(第10号)/ユカちゃんの独白〉(第11号)

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2022/05/16

VOL.12寄稿者&作品紹介39 清水伸宏さん

 清水伸宏さんの小誌前号への寄稿作「定年退職のご挨拶(最終稿)」は昭和の時代を思い起こさせる、アイドルにまつわる一篇でした。今号への書き下ろし新作「つながりの先には」は、バリバリの令和ストーリー。ことの始まりは今作の主人公・ケンジがFacebookで“1990年代後半に人気が出たイギリスのロックギタリストC”について語り合うグループをつくったことなんですが...音楽好きが多いと思われる小誌読者、ここでもう惹き込まれません? 誰? Cって(ザワザワザワ)!  この後の説明では“Cが所属していたバンドは、イギリス本国では当時日本で大人気だったロックバンド、オアシス以上に評価が高かったが、いかんせん曲がポップではなかったため日本ではブレイクしなかった”と。私(←発行人)はクーラ・シェイカーのCrispian Mills! 一択なんですが、果たして正解は? それはともかく、このグループのメンバーである山口康夫、水上みなみとケンジとの関係性を軸に話は進んでいきまして、ええと、ネタバレなしてその後の展開を説明するのがなかなかむずかしいので、スイマセン、Cで胸がざわついたみなさま、ぜひ小誌を手に取って衝撃の結末をお楽しみください!


前作の主人公・「僕」は週刊誌の記者でした。今作のケンジさん、素性がはっきりしませんが、「僕」に負けず劣らずな取材力を身につけています。酒が好きで、多少の物事には動じない。東京五輪に熱狂するわけでもなく、新型コロナウイルスに過剰な反応を示すわけでもなく。作中で一箇所だけケンジの感情がバーストする描写があり(スマホを放り投げる)、おおっ! と波乱を期待したのですが、でもすぐクールダウンしちゃったので、これはやはり「沸点の低い人生慣れ」とでも言いますか、いにしえの刑事ドラマ「太陽にほえろ!」にたとえれば露口茂が演じた「落としの山さん」と、イメージがかぶる。

ケンジさん目線で語られる物語なので「ケンジさんの言動」はすべてケンジさん的に整合性がとれているのだと思います。ただ、客観的に見ると語られてないなぁと感じられることが一点あるんですよね。もし私がこの作品に割り込むことが可能なのだとしたら、ひとつだけ(できれば物語前半で)ツッコミたい。「ケンジさん、水上みなみのこと、まんざらでもないんでしょ?」と。...いや、筆者は「そんなこと言わずもがな」で、書いたのかも知れないけれど。


 翌日、メッセージが着信したマークがついていたので、すぐに開いてみたら水上みなみではなく山口からだった。昨日の今日のことなので、思わず身構えたが、時候のあいさつのような内容だった。
 その翌々日になってようやく水上からメッセージが来た。ケンジのアドバイスに従って山口をブロックしたこと、これからも頼りにしていいかといったことが書かれていた。ケンジはあとでじっくり返信の文章を考えようと思い、取り急ぎ「ハート」マークをつけた。
 山口はその後もケンジのグループはもちろん、水上みなみが所属しているすべてのフェイスブックグループで、彼女が投稿した記事にコメントをつけていた。相手からブロックされても、グループへの投稿は見られるらしい。

〜ウィッチンケア第12号〈つながりの先には〉(P230〜P237)より引用〜

清水伸宏さん小誌バックナンバー掲載作品:〈定年退職のご挨拶(最終稿)〉(第11号)

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VOL.12寄稿者&作品紹介38 ナカムラクニオさん

ナカムラクニオさんの主宰する6次元(東京都杉並区荻窪)の公式ブログを拝見すると、最近はアート系の催しが目立ちます。《1日美術講座》、《金継ぎENGLISH》講座、《呼び継ぎワークショップ》etc.。またオンライン画像で販売されている絵画には以下の一文が添えられています。“作品の売り上げはすべてウクライナの隣国スロバキア、イギリス、アメリカでの美術活動費として使わせて頂きます”。そんなナカムラさんの小誌今号への寄稿作は〈妄想インタビュー 岡倉天心との対話──「茶の湯」という聖なる儀式について〉。やはり美術と所縁の深い人物を取り上げていて、最近のナカムラさんの、関心事の方向が伝わってきました。ちなみにこのタイトルは今号で一番長くて、これは小誌歴代の「タイトルが長い選手権」でも第1位かな、とふと思えたので遡って調べてみたら、第4位でした。3位が木村重樹さんの〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉、2位が須川善行さんの〈死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき〉、そして第1位は栗原裕一郎さんの〈あるイベントに引っ張り出されたがためにだいたい三日間で付け焼き刃した成果としての「BGMの歴史」〉...せっかく調べたので記録しておきます。 


妄想の世界に降臨した天心が説く、茶道の真髄。髭を蓄えた肖像写真を思い浮かべながら“茶道は、日常生活の俗なものの中に存する美しきものを崇拝することに重点を置いた一種の儀式であり、純粋と調和の神秘を教える思想となったのだ”なんて語りっぷりに接すると、よくわからなくても「御意!」と言っちゃいそうな迫力です。この後、茶は「衛生学」であり「経済学」であり「精神の幾何学」でもある、と持論はさらに展開。理詰めの人かな、と思うと“茶には、酒のような傲慢なところがない。コーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気さもない”なんて、うまくアレンジすればJポップの歌詞にでも引用できそうな、お洒落な言い回しも...硬軟併せ持った、一筋縄ではいかない人物像として描かれています。

作中の、茶器に関する天心翁のお言葉が、浅学な私(←発行人)にはとくに勉強になりました。茶と器の色的な相性については「茶道」に足を踏み入れたことのない私でも、なんとなく日常的に感じてはいたけれども...なるほどなぁ、“南部の青磁と北部の白磁”。茶道楽は身を滅ぼす、なんて言葉もありますが、淹れるお茶の色に合わせて家ん中にある陶器やら磁器やら、カップやらコップやらを選んでみるだけでも、けっこう心豊かな気分転換になるような気がしてきました。


──茶は、人にどんな影響を与えますか?

天心 象牙色の磁器に注がれた琥珀色の液体の中に人は「孔子の心よき沈黙」「老子の奇警(奇抜な発想)」「釈迦牟尼の天上の香」にさえ触れることができる。そして、自分の「ちいささ」を感ずることができれば、他人の中にあるささやかなものの偉大さにも気がつくことができるのだ。

〜ウィッチンケア第12号〈妄想インタビュー 岡倉天心との対話──「茶の湯」という聖なる儀式について〉(P216〜P219)より引用〜

ナカムラクニオさん小誌バックナンバー掲載作品:〈断片小説 La littérature fragmentaire〉(第7号/大六野礼子さんとの共作)/〈断片小説〉(第8号&note版ウィッチンケア文庫》)/〈断片小説〉(第9号))/〈断片小説 未来の本屋さん〉(第10号)/妄想インタビュー フロイト「夢と愛の効能」〉(第11号)

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VOL.12寄稿者&作品紹介37 久保憲司さん

この小説の主人公・クボケンって何者? なんでアンディ・ウォーホルやデヴィッド・ボウイとタメ口で話してるの!? なんでニューヨークの伝説のディスコ「スタジオ54」にいるの!?!? 読んだかたは誰でもそう思うでしょうね、久保憲司さんの今号への寄稿作「マスク」。つい先日、アンディ・ウォーホルのマリリン・モンロー肖像画『ショト・セージ・ブルー・マリリン(Shot Sage Blue Marilyn)』が約250億円で落札されてニュースになりましたが、このクボケンなる人物、作中ではウォーホルさんのことを“アホちゃうと思っていた”、デヴィッドさんに対しては“俺はファンと思われたくなかったから、ゆっくりと近づいていって、「あんたボウイか」と訊いたら、ボウイは「はい」と言った。俺はボウイと一緒にノーコメンツを観た”ですと。こんな話し方...先日FMを聞いていたら藤原ヒロシが「それでエリックが〜」みたいなこと語っていたのでどこのエリックやねんと思いながら続けて聞いてたらどうやらクラプトンのエリックのことでびっくりしましたが、まあ、それに近い感覚。こんな話をさらっと書ける人は、めったにいるものではありません!


 作中のクボケンさんの現在の悩みは、YouTuberになったものの登録者/再生回数が思うように伸びないこと。自らディラン・トマスの好きな詩を和訳して朗読しても、100回前後しか聞いてもらえない、と。それでクボケンさんは“俺の小説に何回も登場する川崎さん”に電話をして相談するんですが、川崎さんはつれなく“「誰がおまえの詩の朗読なんか、聴くかよ」”と。これで火が点いちゃったクボケンさん、以後は日ごろの鬱憤を爆発させて喋り倒します。特別定額給付金のこと、日銀の金融政策について、さらに“アベノミクスは失敗ちゃうわ、足らんかっただけじゃ、もっともっとみんなの給料が増えるまで、お金を刷り続けるべきと言うべきやったんや”等々、etc.、等々。

“アンディ・ウォーホルは「人は誰でもその生涯で15分だけは有名になれる」と言ってたんや”...感情の乱高下を経てある啓示を受け、クボケンさんは決心します。どんな決心かはぜひ小誌を手に取ってお確かめください。しかし、ホントに人間は気の持ちようかもしれませんね。あと、本作には飯島愛も登場するんですが、ここで開陳されているエピソードの真偽のほどは...今度筆者にお目にかかったら、聞いてみようと思います〜。


 誰とも喋ってないから、ちょっと喋るとすごい喋りたくなるのだなと思った。レストランに行ってもこんな話を喋ってたら、気が狂ったおっさんと思われる。昔は俺の気の狂った話もみんな聴いてくれていた。でも今は「黙食でお願いします」と言われる。ワクチンを二回も打ったのに、静かに食事をしないといけない。こんな世の中だから、俺は動画を始めたのに、誰も俺の話を聴いてくれない、見てくれない、アンディ・ウォーホルは誰もが15分で有名になれると言ったけど、俺は有名になれない、いやいやさっき書いたやん、アンディ・ウォーホルは「人は誰でもその生涯で15分だけは有名になれる」と言ってたんや、あかん、あかん、あかん、あかん、だからあの電車で突然火をつけたりするような奴が生まれたりするんや。あかんぞ、あかんぞ、俺は有名になりたいからとそんな悪いことはしないぞ、いいことだけするぞ、重そうに荷物を運んでいるおばあちゃんの荷物を持ってあげたり。

〜ウィッチンケア第12号〈マスク〉(P208〜P214)より引用〜

久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品:僕と川崎さん(第3号)/川崎さんとカムジャタン(第4号)/デモごっこ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/スキゾマニア〉(第6号)/80 Eighties(第7号)いいね。(第8号)/〈耳鳴り〉(第9号)/〈平成は戦争がなかった〉(第10号)/電報〉(第11号)


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2022/05/15

VOL.12寄稿者&作品紹介36 我妻俊樹さん

 今年3月に竹書房から発売された『怪談四十九夜 病蛍』で「親子」などの作品を発表している我妻俊樹さん。小誌では創刊以来、私(←発行人)とともにコンプリート寄稿を続けていまして、これは以前にも書いたんだけれども新たな寄稿者や読者様も増えましたのでもう一度繰り返しますが、いまや書店(古書店含む)では幻のような存在になった「ウィッチンケア第1号」──今春某書店から「ほぼ新品」状態のものを数冊サルベージしたので月が改まったらWitchenkare Storeに出品しようかな──には我妻さんの第39回新潮新人賞最終候補作「雨傘は雨の生徒」が掲載されていまして...小誌創刊の動機には「この作品を紙で刷って世の中に出そう」も含まれていました。でっ、最近ひたひたと感じるんですが、我妻さんの作品が読みたくて小誌を買ってくださるかた、けっこういるなぁ、と。私(←多田洋一)の書いたものを読みたくて小誌を買う、という人にはいまだかつて一度たりとも遭遇したことありませんが(泣)、つい最近ではロマン優光さんがTwitterで“我妻さん読むのに読んだことある”とつぶやいてくださっていたし、昨年秋の営業旅のさいにも東京都某市の書店で「あっ、我妻さんが書いてる本ですね!」と。


さて、我妻さんの小誌今号への寄稿作は「雲の動物園」。なんか、可愛らしい響きのタイトルだし、冒頭書き出しも「わかりやすくいうと、雲の動物園にはわたししか行ったことがない。そこにいる動物をわたししか見た人がいない、という意味ではないよ。」とわかりやすく滑り出していて、これはとっつきやすい。ちなみに、前号寄稿作「猿に見込まれて」の冒頭書き出しは「まさかと思って部屋の窓を覗くと、ソファに座っている父親の肩の上に猿が座っている。ああ、そういうことかと一瞬でわかったような気になり、この場合父親がソファに腰かけていると同時に、父親が猿のソファなんだな、と声に出して云ってみると、自分の声が家の外壁に書いてある文字のように耳に聞こえてきた。」です。……どう?

一度うまく入り込めたなら、あとは安心して読み進めましょう。おそらくほどなく「あれっ?」という箇所に引っ掛かるとは思いますが、そういうときはおのれの「あれっ?」を上手になだめて、とにかく落ち着いて先へ、先へ。「わたし」とともに四つん這いになって「トンネルのむこう」を目指しましょう。そこには動物たちが待っています。「黒くて左右不揃いな耳を持ち、背中が麦畑のように渦巻いている」やつとか、あと、アラカルナ・ヴトロンジーナ! こやつが何者なのかを知らずして「ウィッチンケア第12号を読みました」と言うなかれ、かな。


困ったな、という顔で立ち尽くしていたら、すごくあわてた感じの走り方で女の人が視界に飛び込んできた。作業着姿のその人は、ぺこぺこしながらわたしの肩からプロっぽい手つきで生き物の手をはずし、新しいお客さんなんて初めてのことで! と云った。初めてのことでびっくりしちゃって、助けに来るの遅れちゃいました! おねえさんの前髪が息でぱたぱたして、それが気になってわたしは「はあ」みたいな返事しかできなくて、おねえさんはわたしが怒っていると思ったようだ。もちろんわたしはおねえさんに感謝してたし、訊きたいことはいろいろあるし、トイレにも行きたかった。

〜ウィッチンケア第12号〈雲の動物園〉(P202〜P207)より引用〜

我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈雨傘は雨の生徒〉(第1号)/〈腐葉土の底〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈たたずんだり〉(第3号)/〈裸足の愛〉(第4号)/〈インテリ絶体絶命〉(第5号)/〈イルミネ〉(第6号)/〈宇宙人は存在する〉(第7号)/〈お尻の隠れる音楽〉(第8号)/〈光が歩くと思ったんだもの〉(第9号)/〈みんなの話に出てくる姉妹〉(第10号)/〈猿に見込まれて〉(第11号)

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2022/05/14

VOL.12寄稿者&作品紹介35 東間嶺さん

 東間嶺さんの小誌今号への寄稿作は、これは、戯曲に分類されるのかな? 今号では東間さんからデザイナー・太田明日香さんをご紹介いただきまして、その太田さんとも相談して、3段組のレイアウトでの掲載。発行人としては作品の緊張感がうまく読者に伝わること、願うばかりです。...でっ、私はネット動画ってほぼ座談会形式のアーカイヴ系のものしか見なくて、というのもいまは「ライヴに拘束される」ことが〈テレビ世代的な後遺症〉でキツくてキツくて。でも本作はライヴだからこそエスカレートするさまを戯曲として作品化しているんですよね。そうか〜、いまはこんなことが起こりうるんだ、と陰々滅々。これも美馬亜貴子さんが作品で取り上げていた“推し”の、なんらかの変異種の果てなんでしょうか? すいません、よくわからない。とにもかくにも、今号ではふくだりょうこさん、長谷川町蔵さん、柴那典さんの寄稿作も合わせ読んで、来たるべき(もう一部はすでに来てる)メタバース時代の様相が朧気ながら呑み込めてきて、老人(←私/発行人)には良い勉強になってます。とりあえず喫緊の問題は「生身の身体どうする?」ってことで、いいのかしら? これも医学分野の進歩でどうにかなっていきそうな話も聞いたような気がするけれども、正直、わからん。


作中の「カナ」と「男」の食い違い。私はこの設定ではカナを強者と捉えて読みました。↑でライヴ動画は見ないと書きましたが、このような力関係はTwitterでのバトルみたいなものでも観戦した記憶があって(吉本芸人某が活字畑の評論家をコテンパンにやっつけてた)、結局椅子取りゲームなんじゃないの、みたいな感想。YouTubeでもなんでもいいけれど、プラットフォームを「ホーム」にできた側が強者で、お客さんは(本人は対等に渡り合おうとしていても)雑魚。なんか、「ウンコもしないアイドル」と「ファン」が暗黙の了解を共有して楽しんでいた時代のほうが“安全”だった気もするんですけれども...あっ、作者は「そういう時代じゃないこと」を書こうとしているんですね。

作品内の「喋り言葉」。仮名が多用されていて、これは音をなるべく正確にテキスト化するとこうなるのでしょう。でも読んでいて、たとえば私が座談会形式ではないのについつい見ちゃう酒村ゆっけ、とか、やはりついつい(コノヤロウと思いながら)見ちゃうひろゆきの切り抜きとかの語感とは、違うもののように感じられました。縦書きの印刷されたテキストだから!? ネット上の横書きで流れたり点滅したりさせる(テレビの最新のテロップのように)と、より近づく? このへんは作者である東間さんに、オフラインで聞いてみたいと思いました(Zoomでやろうぜ、老人w)。



カナ 
 ああいう勘違いしたガチ恋のやつらの認知というか、世界観? が根本的におかしいのはさ、さっきの犯人にしても「他の男のものになるなら殺す」っていう行動の、「なら殺す」ってところが勿論もっともおかしいわけだけどさ、でもそれ以前に「ものになるなら」って、なんなんだよ? ってのがあるじゃん。「ものになるなら」って、なんなんだよテメー、「もの」って。あのライバーに犯人以外のほんとの彼氏がいたのかどうか知らんし、まあ、いたんだろうけど、多分、興味ないけど、でも、いようがいまいがあの子は誰かの所有物じゃない、つまり「もの」じゃないし、おんなじようにわたしも彼氏がいようがいまいが誰かに所有されてる「もの」じゃないわけ。

〜ウィッチンケア第12号〈「わたしのわたしのわたしの、あなた」〉(P196〜P200)より引用〜


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VOL.12寄稿者&作品紹介34 荻原魚雷さん

 SNSとは縁のなさそうな生活を送っている荻原魚雷さんですが、それでも新しい掲載号が出るたびに公式ブログ「文壇高円寺」になにか書いてくださっていて、今号では「化物」と題した4月3日の一文を拝読しました。今回の寄稿作「将棋とわたし」について“「創作」と「実話」の部分が半々の構成”とタネ明かしをしたうえでの、「実話」と「創作」に関する考察が非常におもしろいので、ぜひアクセスしてみてください。なるほどなぁ...テレビなんかで「この人いつも同じことばかり言ってる」と感じながらもそれがおもしろくてつい見ちゃう人ってときどきいるんですが、荻原さんの言葉を拝借すると「あくが抜ける」ということもあるのか! そうするとそこで語られていることは鰘とくさやのように(こっちはあくも臭みも増すけどw)別物になる、と。逆に考えると「実話」というあくが抜けていない「創作のふりしたもの」ってのもありそうで、両者の境界線は、じつは曖昧なのだと気づきました。あっ、それから今回の荻原さんの作品を意外なかたが読んでいたこと、ここで紹介したいです。〈車谷長吉「忌中」は葉書で交互に一手、送りながら将棋を指す男が主人公の物語だが、荻原魚雷は20代の頃、バイトで羽生vs森内の対局の会場から大盤解説の会場にFAXで一手一手送る。それを機に将棋を再開し、ニンテンドー64と「最強羽生将棋」を買い…「将棋とわたし」(witchenkare vol.12)がいい〉と書いてくださったのは、urbanseaさん。じつは今号、「えっ、読んでくださってたんですか!」なこと、少なくないんです。


将棋...私は非常に弱いです。駒の動かしかたを知ってるだけ、としか言えないくらい弱い。相手の王将をとろうと思ってぐんぐん前に出るとすぐに防戦一方になってコロッとやられちゃうので、悔しいので今世紀になって一度もやってないと思う。麻雀のほうがもうちょっと勝負になるけれども、こちらも「自分の上がりたい役」めがけてズンズン切っていくだけなので、東南のどこかで致命的な振り込みをして勝てない。荻原さん、作中でアマチュア四級と仰っていますが、少なくともそれがどのくらいのレベルなのかくらいわからないと私、藤井聡太さんのニュースは永遠に「なにを食べた」しかわからんよな〜、恥。

作品の後半では羽生善治さんのすごさについて触れていますが、それがご自身の生活に反映されていく展開が...おっと、これ以上はぜひ小誌を手に取ってお確かめください! って、この紹介文をFacebookやインスタグラムやnoteにアップしても、荻原さんファンの目に触れるものなのかはなはだ不確定ですが、みなさま、どうぞ何卒よろしくお願い申し上げます。



 バイト先の新聞社は将棋のタイトル戦を主催していて、ひまそうなわたしは大盤解説会の会場(たしか三ヶ所)に棋譜をFAXで送る係を任命された(夜七時以降)。対局が終わるまでは帰れないが、どちらかが一手指すまで何もすることがない。バイト代は一対局(二日制)あたり八千円だったか。
 このときの対局は羽生善治さんと森内俊之さん、二人が二十五歳のときの名人戦である。一九九五年から九六年にかけて、羽生さんは史上初の七冠をかけて戦っていた。いわゆる〝羽生フィーバー〟のころである。棋譜をFAXで送るだけの仕事とはいえ、そんな時期の棋界の雰囲気を味わうことができたのは幸運だった。

〜ウィッチンケア第12号〈将棋とわたし〉(P192〜P195)より引用〜

荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品:〈わたしがアナキストだったころ〉(第8号)/〈終の住処の話〉(第9号)/〈上京三十年〉(第10号)/〈古書半生記〉((第11号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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