ネット上で長くNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)レビューを続けているフリーライター/ノベライズ作家の木俣冬さん。11年目となった今春からは、掲載媒体もCINEMAS+からDIAMOND onlineにお引っ越しとなりました。なんにしても、第112作目となる「あんぱん」は好評なようでなによりであります。木俣さんの著書「ネットと朝ドラ」(blueprint/2022年)の〈長いあとがき〉は「ちむどんどん」に言及したところで終わっていましたが、後年、いつの日か「続・ネットと朝ドラ」が刊行されたなら、世間一般の評価が激しく分かれた「あんぱん」の前々作「虎に翼」と前作「おむすび」についての分析も拝読したい...といいますか、木俣さんの小誌今号への寄稿作「イケメンという言葉の黄昏に」では、すでにそのあたりについても少し触れられていまして、とても興味深い内容です。しかし、それにしても、なんだか2025年は女性の俳優さんにとって受難の年だなぁ、ここまでだけでも。
↑で「女性の俳優さん」と私(←発行人)は持って回って書きましたが、「イケメンという言葉の黄昏に」は〈あえて女優と書く。〉という一文で始まります。そういえば、少し前に「自称○○○○容疑者」と報道された女性についても、ニュースではほぼ「俳優の〜」という伝え方をしていた記憶があるので、いまや“女優”という言葉もNGではないものの気遣いをして選ぶものとなっているようで、そんな時代の風潮に対する筆者の思いが、作中にはしたためられています。不肖私も“女優”という言葉が喚起する優雅さというか希少(プレミア)感は、なくさなくても良いような気がする...職業分類は俳優だけど、時代を象徴するような名優には男優も女優も可、とか。
本作では「女性の俳優さん」の美貌(見てくれ)に関する、レビュアーならではの細やかな観察眼も存分に発揮されていまして、「えっ!? いままで全然気付かなかった」みたいな、目から鱗な指摘もいくつか。それを女優の業の為せる云々、とか私が書くとまた焦臭くなってきますので控えますが、読者のみなさまに置かれましてはぜひ木俣さんならではの考察をご一読のほど、よろしくお願い致します。