ウィッチンケア第14号に掌篇小説「二番目の口約束」をご寄稿くださった絶対に終電を逃さない女さん(以後「終女」さん)は、今年2月に刊行された自炊にまつわるエッセイアンソロジー「つくって食べる日々の話」(Pヴァイン)に〈それでも料理を好きになれない〉という一篇で参加しています。同書には小誌寄稿者の宮崎智之さんも〈「料理は大事」と人は言う〉を寄稿していまして、刊行記念として下北沢の本屋B&Bでおこなわれたイベント「自炊のよろこび、しんどさ、あるいはそのあわいのあれこれ」には、終女さん、宮崎さんとも登壇。同イベントのアーカイブは6月5日まで視聴できます。また昨年11月、現代ビジネスに終女さんの〈21歳で身体にガタ、10時間睡眠は必須…「若いのに体力がない」29歳女子が「体力ありき」の社会に思うこと〉という記事が掲載され、ネット上でかなり話題に...小誌今号への寄稿作は、その虚弱体質についてのエッセイで語られたことを小説化した作品、とも言えそうな内容です。
主人公の美月と同棲相手・裕生の擦れ違いは、美月の体力のなさを裕生が実感できていないことに起因しているみたいでして...これはなかなか難しそうな問題でして、それを象徴するような前半部分での裕生のひと言が「いや、普通でしょ。まだ俺ら二十三歳じゃん。美月みたいな人、他に見たことないよ?」という。。。私(←発行人)は短くもなく月日を重ねるなかで“普通”というのをかなり危険な禁句だと認識して生きてきたつもりですが、それでもなにか理解しがたい事案に直面すると、いまだに“普通”が脳裡をかすめることもあり...その“普通”っていったい誰のものさしがデフォルトになっているのか、これが難しい。
「体力がないとは、時間がないことなのだ」「性欲は、体力だったのだ」等、美月の視座で記された実感を、はたして裕生は、たとえば愛情とか優しさとかいたわりとか寄り添いとかで受容できるのか? そして、そんな裕生であることをも実感してしまった美月は、二人のそういう関係性を受容できるのか? みなさま、ぜひ小誌を手に取って、この難しい問題を抱えた二人の行く末を見届けてください。
「なんか前より積極的だね」コンドームを捨てて私を抱きしめながら彼は言った。思えば大人になってからこんなに長期間休んでいるのは初めてだった。体力が温存されているおかげなのか性欲が増し、感度も上がり、セックスが楽しくなった結果だろう。
「うん、疲れてないからね」
「……そっか」
「裕生はほんと、体力あるね」
一週間働いた金曜日の夜にセックスしてすぐ寝ずにピロートークまでしてくれるなんて、体力がある証拠、と私は続けた。
「優しいって言ってほしいな」
そう言った彼の無邪気な笑顔を見て、違う、と思って、そう思った自分に少し驚いて私は黙ってしまった。
~ウィッチンケア第15号掲載〈ちょっと疲れただけ〉より引用~
絶対に終電を逃さない女さん小誌バックナンバー掲載作品:〈二番目の口約束〉(第14号)
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