2025/05/02

VOL.15寄稿者&作品紹介02 藤森陽子さん



小誌創刊号からの寄稿者・藤森陽子さんは、「BRUTUS」「Hanako」等マガジンハウスの雑誌をメインに活躍するフリーランスのライターです。同社の仕事以外でも、先月からは『銀座百点』での連載コラム「銀座ぶらぶらコーヒーさんぽ」がスタート。また(理由は前号での紹介ご参照)家具デザイン・プロダクトデザイン・インテリアデザインを手がける「藤森泰司アトリエ」の代表取締役も務めています。そんな藤森さんの今号への寄稿作は、取材活動中でのふとしたエピソードを端に、昨今のジェンダーにまつわる“言葉”についての私感を綴ることから始まりまして...じつは令和七年のウィッチンケア第15号、少なくない書き手がこのあたりのことに触れていまして、なんというか、時代の変化を各自が感じつつ、“言葉”を扱う仕事柄だからか、みなさんデリケートになっている、といいますか。そんな折に "As official policy of the U.S. government, starting today, sex is defined as male or female"とか宣うブルシットな米国大統領って...。 



寄稿作の導入部分にある、「#Me Too運動を皮切りにジェンダーレス、ジェンダーフリーが広く語られるようになって以降、 〝女性らしさ〞を画一化する表現に校正チームから逐一赤字が入るようになった」という、気になる一文。たしかに、ずいぶん前から看護婦は看護師になり、スチュワーデスは(その俗語「スッチー」もろとも)死語となり、最近は「女子アナ」という言葉も憚られるように。↑の大統領の国では三人称代名詞(she/he)すら使わない方がベター、みたいな風潮もある、とか。


さて、ジェンダーにまつわる話とタイトルに使われた「蒸籠」は、どんな関係性にあるのか? じつは本作ではもういくつか、大きなテーマが語られていまして、それらをあまり根詰めて考えていると二進も三進もいかなくなっちゃうので、そんなときは「だいたい蒸籠で蒸すと〜」ということなのかな、と私(←発行人)は受け止めたのですけれども、読者の皆様はいかがでしょうか。


ウィッチンケア第15号(Witchenkare VOL.15)
発行日:2025年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:276ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-86538-173-3  C0095 ¥2000E






だからフェミニンという単語を書くのはおそらく4年ぶりか、それ以上だったかもしれない。「もしかしたら、一周回って今、いいかも」と、根拠のない確信がふいに湧いてきて、ダメ元でそのまま彼女の言葉を原稿にしてみたところ、案の定、きっちりと修正されたのだった。……まだ、早過ぎたか。
 きっとガチガチの男社会であったろう食の世界で研鑽を積み、シェフパティシエにまで上り詰めた彼女が、力みも気負いもなくのびのびと女性であることを楽しんでいる空気感に、「今」というか淡い希望が感じられて嬉しかったのだが、それを伝えるにはいかんせん文字数が足りな過ぎたようだ。
「奥様」「家内」の表現は軒並みNGになり、「妻」や「パートナー」に変わったのに、世の女性たちは未だに伴侶のことを「主人」と呼んで違和感を抱かないのはなぜに? などと考えながら、フェミニンを〝エレガント〞と書き換えてなんとなくお茶を濁したのだった。

~ウィッチンケア第15号掲載〈だいたい蒸籠で蒸すといい〉より引用~


藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:茶道楽の日々〉(第1号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)/〈上書きセンチメンタル〉(第11号)/〈おはぎとあんことジェンダーフリー〉(第12号)/〈梅は聞いたか〉(第13号)/〈富士の彼方に〉(第14号)





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Vol.15 Coming! 20250401

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