木村重樹さんの小誌今号への寄稿作は、第10号に掲載した『昭和の板橋の「シェアハウス」では』との関連性が強い一篇。タイトルには鵜野義嗣、青山正明、村崎百郎という人名が並んでいまして...さて、読者のうちどのくらいの方が、3人(各々)の名前にビビビッ、と反応してくださったのか。木村さんとは約四半世紀前にパソコン通信(草の根BBS)で知り合ったと記憶していますが、作中で木村さんは「何を隠そう、その『危ない1号』の編集制作を、ひょんなことからお手伝いしていたのが、今から四半世紀前の自分だった」と書いていまして、そういえばBBSで“お話し”していたころはピーター・ガブリエルとか、音楽トークばかりに夢中で気がつかなかったけれども、おたがい同じ出版業のどこかに所属してはいながらずいぶん違う場所にいたのだなぁ、と今作を読んであらためて思うのでありました。えっ!? 私の周囲? のちにそれなりに名を成していた顔を思い浮かべると、バイブスとしてはつい先日吉野家がらみでやらかしてしまった敏腕マーケッターと紙一重のような感じが、しなくもなく。
それにしても、90年代に入るやいなや某評論家が「スカだった」と喝破した80年代が(シティ・ポップも含めて)再評価されたように、いずれ90年代ブームなんてものがくるのでしょうか。「死体」「電波系」「鬼畜」なんて文字がお洒落にデザインされたTシャツをユニクロが売り出したり(...なさそう)。作中のセーラちゃんの「あ〜〜〜……みんな居なくなっちゃいましたね!」という言葉、そして《ことの〝善し悪し〟を云々するつもりは更々ないが、そんな「90年代」が途方もなく〝遠く〟に行ってしまったことには、感慨を禁じ得ない》という一文が、同世代として胸に響きます。
あっ、そうだ。木村さんの作品が掲載されているからだと思いますが、つい先日、セーラちゃんさんが小誌のTwitterアカウントをフォローしてくださり、めでたく相互フォロー関係になりました。移動時間中などにボケッとタイムラインを眺めていると、唐突にご尊顔のお写真などが現れ、別世界に連れて行かれそうになります。これもなにかのご縁なので、ぜひ私も一度「まぼろし博覧会」を訪ねてみなければと思う今日このごろであります。
それから十数年の歳月を経た2010年7月、読者を名乗って自宅を訪れた暴漢に、村崎氏は突然刺殺されてしまう。衝撃的な事件の後、彼が所有していた膨大な蔵書や資料の一部は、出身校である明治大学図書館に寄贈されたが、そこから漏れた〝お宝(ゴミ/原文ではルビ)〟の行き先が、まさにこの「まぼろし博覧会」だったのだ。
回想ついでに言えば、青山氏もまた薬物乱用の後遺症や鬱状態をこじらせて出版界からフェードアウトし、2001年6月、自宅のドアノブに首を吊って自死を遂げた。