2016/05/19

vol.7寄稿者&作品紹介19 我妻俊樹さん

テン年代(というのか...2011年以降)の我妻さんは、竹書房関連で継続的に作品を発表しています。アマゾンで我妻俊樹さんを検索すると、呪奇祟冥霊幽獄怪毒忌恐といった文字の入った、黒っぽい表紙の本がずらりで壮観。来月も「猫怪談 」(竹書房文庫)という新刊が出るようで...でっ、たまにちゃらけた色合いの本があるなと思うと、なんだ小誌ではないですか。

小誌発表の我妻さん作品もそろそろ書籍1冊分に満ちそうなテキスト量。第39回新潮新人賞(2007年) 【小説部門】で最終候補作「雨傘は雨の生徒」をはじめとする、竹書房さんでの諸作とは風合いの異なる作品群の単行本化を、私は広く世の中に訴えかけたく存じます。そして我妻さんの小誌第2号掲載作「腐葉土の底」は、いますぐウィッチンケア文庫(無料)で全文読めますので、みなさまぜひアクセスを...いやいや、そのまえに小誌第7号を買って、最新作「宇宙人は存在する」をご堪能ください!

今号掲載作の中に、私がこれまでの我妻さん作品に共通して抱いていたのに近い感覚を表した一文がありました。<今まで見ていた夢が積み木のようにくずれ落ちる感覚を味わった>...という部分。我妻さん作品の読中感(not 読後感)は、私にはこれでして、つまりドアを開けて部屋に入ったが、決して振り返ったらそこにドアがあると思ってはいけない。進むしかない。そして必ずどこかへは出られるんだけど、そのときに「私はたしかにドアを開けてここに入った」と思わないほうがいい、みたいな。これ、居心地の悪い人にはすごく悪くて「ストーリー的にデタラメ」と感じるかも。しかし、その「デタラメ」という言葉を引き受けて言うならば、なんと綿密に構築された「デタラメ」であることか。再読すると、作品内のディテールはより見えますが、でもやっぱり「同じドアから入り、同じどこかへ出る」になるはず。

ネット上の我妻さんの活動は、私にはつかみどころがありません。あっちこっちに専用サイトやアカウントがあるがどこがアクティブなのか? なかには鍵付やBOTもあり追い切れません。Facebookでも「友達」ですが、ここ数年影を見かけたこともないし。いまときどき気配があるのは、Twitter(マイ非公開リスト)にあるここ、かな。でもこれもいつどうなることやら〜。



 父の遺した本棚から、ばさばさと音をたてて本が落ちた。床から拾い上げると、どれも読まれた形跡のないきれいな新品の本ばかりで、父の見栄っ張りな性格が偲ばれた。他人に実力者や知識人だと思われるよう努力を怠らない人だった。じっさいには二十五文字以上の言葉を口にしたことがなかった。広くなった額の中央に×印の傷があり、そこから時々血が流れて「宇宙人は存在する」と父は小声でうめいていた。たしかに宇宙人は存在する。東京で一番高い建物は今はどこにあるのかと、深夜のコンビニで居合わせた人々に質問したが誰も知らなかった。今では知識とはそのような浅く干上がりかけた水たまりに成り下がっていた。若者の顔色の悪さは深刻だ。東京で一番高い建物はもちろん東京ビルだ。その屋上に立って目を光らせている警備員の目は小さい。父の形見のボールペンから勝手に液が漏れて机にオナガドリの絵を書いた。わたしにはあまり父親と会話した記憶がないが、大事な点は手帳に書きとめてあるので印象としては深まっている。死んでからずっと父と話し続けている気さえする。警備員の目がますます小さくなって闇の奥に針のように刺さった。手を前に出して、もし誰かにぶつかればそのまま抱きしめることができる格好で歩いていた。難しい本を読んでいると夢が景色ではなく言葉になってしまうことがある。父の眠る墓石には「宇宙人は存在する」と中国語で彫ってあった。

ウィッチンケア第7号「宇宙人は存在する」(P116〜P120)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7

我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作
雨傘は雨の生徒」(第1号)/「腐葉土の底」(第2号&《ウィッチンケア文庫》)/「たたずんだり」(第3号)/「裸足の愛」(第4号)/「インテリ絶体絶命」(第5号)/「イルミネ」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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