……またまた、きちゃった、ふふ。
嘘のようなほんとうの話の続きの続き。このまえ彼女が僕の部屋にきたのは
2016年3月20日...しかし、このクソ忙しい年度末になにごと? 窓から微笑んだ彼女は部屋に入り、真新しいウィッチンケア第8号を差し出した。
「今年も出るんだ...」
「そう。毎年エイプリルフールにってのが、なんかちょっとバカっぽくていいでしょ」
「なんか、飽きもせずこの時期になると愚直に咲く、ソメイヨシノみたいでもあるね」
「それ、褒めてんだか貶してんだか...。とにかく、早く読んで。言うこと聞かないと殺す」
「...あいかわらず荒っぽいなぁ」
「じゃ、言い換える。私の気持ちを
忖度して!」
「
時事ネタですか!?」
「なんかね、あいかわらず
無名で情報発信力のない発行人がぼやいてた。ラジオでピエール瀧が言ってたんだって」
「なになに? 全然わかんないんだけど」
「あの理事長さん、学校をつくるのに事業計画とか資金調達がメチャクチャって責められてるでしょ」
「...みたいな話は、ニュースで聞いたけど」
「でもそんなこと考えてたら、吉田松陰は絶対に松下村塾つくれなかったよなぁって」
「それっ、瀧さんはカゴイケさんを擁護してるの?」
「じゃないと思うけど、とにかく発行人はピエール瀧がそう言ってたってぼやいてた。だから、早く読んでね!」
意味不明で佇む僕を残して彼女は去った。そんたく、そんたく、と二度呟いてから、僕はウィッチンケア第8号を読み始める。
表紙は犬の散歩。写真家の
徳吉久がベルギーのアントワープで撮影した。一瞬、本が小さくなったように見えたのはロゴの位置が少し下がったせいらしい。そんなことすると書店の棚に入れられたときに誌名が見えないんじゃないかと心配になったがそれも含めて発行人の決断なのだろう、たぶん。
そして、表紙写真には「そろそろ未来はめるくまーる」もとい、「めくるめく」と。
ページをめくるとwords@worksとの文字。作品の言葉、との意味か。その下には脈絡のない文章の断片...そして対向面の写真はパリ。
<目次>には、32の人名が同じ大きさで並び、各名前の下に掲載作品のタイトル。知ってる人もいる、知らない人もいる。
過労死が社会問題になった高橋まつりさんについて、
開沼博が「ゼロ年代〜」シリーズの4回目で個人的な思い出を書いている。
朝井麻由美の小説の主人公・かなちゃんは、自身にかけられた〝呪い〟から逃れようともがいている。M-1グランプリ決勝進出経験のあるエルシャラカーニ・
清和太一は、相方との人間関係について、初のエッセイで考察してみた。
荻原魚雷はこれまで書いたことのなかった、アナキストだった頃の自分について。
木村綾子の掌編では、iPhoneを使った祖母との交流が描かれている。異国から来た新しい母親が登場する
古川美穂の小説は、昨今の世相を反映しているようにも。
矢野利裕の教員への考察は、RCサクセション、「湘南純愛組!」、ミシェル・フーコーにも言及した実践的なもの。
中野純のハテ句入門には、高度な笑いのセンスが含まれている。前号に続いて漆原CEOにインタビューした
武田砂鉄の作品には、トランプ大統領の影が。
かとうちあきの小説ではセックスが描かれ、ヤワな男は悶絶するのかも。
円堂都司昭は「ノートルダムの鐘」を「オペラ座の怪人」「美女と野獣」と比較しながら論考を深める。仮谷せいらの歌声に惹かれた
水谷慎吾は、自身の仕事観を率直に語っている。
武田徹は近著「日本語とジャーナリズム」で語りきれなかった荒木亨先生の日本語のリズム論について、宇多田ヒカルを絡めて検証。サブカルチャーの生き証人的な研究者・
木村重樹は自らの経験を元に最近のサブカル議論に一石を投じる。書店経営者でもある
松井祐輔は、SF的風味も感じさせる出版業界の物語を。アップルとアマゾンに生活を託した
多田洋一の小説の主人公...加藤さんって誰? ウィッチンケアの校正/組版も務める
大西寿男は去年暮れ文芸誌『革』26号で発表した「太一のマダン」の続編。
小川たまかはライターとして追っている社会課題をフィクション形式で物語化。「わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち」を上梓したばかりの
西牟田靖は、同じテーマのスピンオフ的な寓話を創作した。毎号国道16号線にまつわる作品を発表している
柳瀬博一は、太田道灌こそ同線の中興の祖である、と。
長谷川町蔵は初小説集「あたしたちの未来はきっと」に連なる、町田市が舞台の書き下ろし新作を。
美馬亜貴子の小説では、SNS時代の歪んだ社会正義が描かれている。長谷川と同時にウィッチンケア文庫シリーズとして「スキゾマニア」を上梓した
久保憲司の作品には、沖縄にいる「僕」が登場。昨年母親になった
野村佑香は、自らの出産体験をさまざまな逸話とともに記録した。
谷亜ヒロコの小説には自身と等身大、とも読める「捨てられない女」が登場。
須川善行は今年CDリリース(「とりふね+須川善行」名義)することになった顛末を、音楽論的な視点で説明。
ナカムラクニオは田丸雅智さんの講座がきっかけで書き始めた断片小説を新たに6篇。
我妻俊樹は異界を彷徨っているような奇譚をややユーモラスな筆致で描いている。「美術批評」などで活躍する
中島水緒は崇高でミステリアスな体験についてのエッセイを。
吉田亮人は自身で出版した写真集、そしていまの時代の写真家のあり方について直球で語っている。
東間嶺は上野千鶴子が現代思想に寄稿したエッセイにもインスパイアされた小説。
仲俣暁生は若くして亡くなった父方の伯母について、ヒルダ・ルイスの「とぶ船」の思い出とともに書いた。
32篇の書き下ろし後に寄稿者やAD
吉永昌生など制作関係者のプロフィールを掲載。奥付には前号までの表紙素材になった写真が配されている。
さらに、またwords@works。その下には脈絡のない文章の断片(←これらはすべて作品内の一節/もし帯が付いていればそこに掲載されていたかもしれない)。
裏表紙には水鳥……こんなに読み応えのある本が1,000円なのには驚いたし、
ISBNで取次会社や注文方法も判明した。さらに聞いたところによると、どうやら
いますぐアマゾンで購入可能らしい。
しかし、あらためて「ウィッチンケア」とはなんともややこしい名前の本だ。とくに「ィ」と「ッ」が小文字なのは、書き間違いやすく検索などでも一苦労だろう。<ウッチンケア><ウイッチンケア><ウッチン・ケア>...まあ、漫才のサンドウィッチマンも<サンドイッチマン>ってよく書かれていそうだし、そもそも発刊時に「いままでなかった言葉の誌名にしよう」と思い立った発行人のせいなのだから...
初志貫徹しかないだろう。「名前変えたら?」というアドバイスは、ありがたく「聞くだけ」にしておけばよい。
そしてそもそも「ウィッチンケア」とは「Kitchenware」の「k」と「W」を入れ替えたものなのだが、そのキッチンウェアはプリファブ・スプラウトが初めてアルバムを出した「Kitchenware Record」に由来することなど...まあ、つい最近「プリファブ・スプラウトの音楽」という本も出たし、TBSラジオ「荻上チキ・Session-22」でも4日に渡って特集されたんだから、新たに気づく人がこの世界にきっといるはずだと...あらら、なんちゅう与太話になってしまったことか。
というわけで、2017年も彼女はやってきた。もうすぐ正式発行となるウィッチンケア第8号PRのために。
またくるのか? それは、この本がどれだけ多くの読者に届くのか、にかかっているんだと思う。みなさま、どうぞよろしくお願い致します!