2015/05/13

vol.6寄稿者&作品紹介17 藤森陽子さん

前号掲載作では実兄の人生を通じてポジティヴな指針を示した藤森陽子さんですが、今号掲載作では自身の「エッジな部分」を見つめ直すような、自省っぽい作品を寄稿してくださいました。いつも忙しく国内外を飛び回り、誰もが素敵! と思える媒体に記事を書きまくっている藤森さんがこんな悪夢に苛まされていたとは...いや、作品冒頭に描かれる「ピアノの日」のことなのですが。<もともと気が小さいせいか、子どもの頃から心配ごとがすぐさま夢に現れる性分だった>...たしかに、夢は現実(と自分が認識している事象)そのものを精緻に反復はしませんが、○○は●●の前兆、みたいなイレギュラーな因果関係はあるよなあ、と。そしてこれは「夢」という語彙の乱用かもですが、夢見たこともないことはほんとに夢では見られない!?

社会人になるまで見たという「ピアノの日」の夢。3歳から通ったピアノ教室が好きになれず、でもそのことを親に言えず中学3年まで続けていたので、コンディションが悪いと「あれ、今日はピアノ教室だっけ?」と夢に出る。それが社会人になると新ヴァージョンに...じつはこれ、私もいまだに、とても似た夢を数年に一度は見て嫌な朝を迎えています。ものすごく具体的で笑っちゃうんですが、決まって「あれ、俺、仏Ⅰの単位取れたんだっけ?」。細かい事情を説明したっておもしろくもなんともありませぬが、基本、これが原因で自分が学歴詐称に悩んだり、大学に通い直してそれも続かずへこんだり、みたいな夢。いや私、さすがにいまは「仏Ⅰの単位」よりもっと大きな苦悩も抱えていますが、しかし、夢の設定としては、いまだにこれ。あっ、藤森さんの話でした(失礼!)。

成長しない私と違い、藤森さんの夢はきちんとヴァージョンアップされているようでして、ピアノから▲▲、そして△△へと...。しかし、この悪夢に纏わる話はぬきにしても、今作には藤森さんの素顔がちらりと覗くような箇所が多く、読んでいて他人事ではありません。とくにライターとしてのスキルについて触れたくだりなど。<雑誌の記事を書いていて最も手間がかかるのは、実は短い文章だったりする。/ある意味200字の文章より、2000字のコラムを1本書く方がずっとたやすい>...200字での起承転結のつけかたや〝書き分け〟スキルで悩む様子は、また悪夢を見ませんように、とお声がけしたくなります。

たぶん同じような媒体でかつて同種の記事(しかも私の場合はタイアップ広告)を書いた経験があり、あれは超絶キツかったな、と。某酒造メーカーが新製品を納入するためのツールとしてその媒体に「■■が飲めるおいしいお店70」みたいな買い取り枠を...その70店をページに均等配分すると1枠のいわゆる「見出しと本文」が1L&150W程度で、まさかシェフおすすめの〜/旬の素材を〜/●●直送〜ばっかりで70枠埋めるわけにはいかず...すいません、また自分話でしたが、藤森さんの苦悩は私よりはるかにハイレベル&晦冥から光明への転換も含蓄に富んだもの、ですので、ぜひ本編でお楽しみください!



 以前、知り合いの編集者が、こんな秀逸なことを言っていた。
「短い文章は極上の〝ツメ〟を作るようなもの。煮詰めて煮詰めて、ツヤととろみのある濃厚なタレに仕上げるのです」
 なるほど。短い文章、それは穴子のツメなのか。
 丁寧に丁寧に火を入れ、純度を上げ、磨いて行く作業は確かに似ている。文章をただザツに削っただけでは焦げ付くばかりで、文全体にツヤも一体感も生まれない。
 しかし、深夜、キーボードを叩きながらふと思う。
 これだけ紙媒体が斜陽の一途をたどり、字詰めがあって無いようなウェブサイトの緩やかさを見ていると、一文字削るのに何時間も費やすような作業に、今やどれほどの価値があるのだろうと。
 うなされるほどのしんどい思いに、何の意味があるのかと。


ウィッチンケア第6号「バクが夢みた。」(P106〜P111)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/115274087373/6-2015-4-1

cf.
茶道楽の日々」/「接客芸が見たいんです。」/「4つあったら。」/「観察者は何を思う」/「欲望という名のあれやこれや

Vol.14 Coming! 20240401

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