藤森さんの小誌今号寄稿作は、12年前、ご自身がまだ「新米フードライター」だった頃に訪れた六本木の割烹料理店を、ふと思い立って再訪してみたさいの雑感をまとめたもの。「自分が今、あの店に行ったらどう感じるだろう。そんな純粋な興味もあっ」て、と綴られていますが、味わい深くてシブいなぁ。知己を得て短くもないのですが、藤森さんの「こんな時に、年をとって良かったとしみじみ思う」なんて一節にグッとくる日がくるとは...。
食についてのさくっとしたエッセイ(...というより随筆という呼び方が似合いそう)なのですが、↑の言葉に習えば、これはフードライターによる作品ではなく、「フードライターである私」による作品。たぶん藤森さんが「新米」から12年の経験を積んだフードライターとして同じ店を記事にしていたら、全然違う文章になっていただろうな。
世の中にはなんでも「私は」で乗り切っていける文章力(ここでの「力」はスキルというより腕力とか体力の意/運動神経ならぬ文章神経みたいなパワーのこと)の持ち主もいらっしゃって、それは素晴らしいと思います。オレは、うん、小説/評論/エッセイなどだと「この人の『私は』に耽溺したい」と思って手にすること多いし。しかし藤森さんは(これは勝手な推察ですが)、たぶんライターとしてテキストをものすときにはまず「私は」を抑制して、ものさねばならぬことをものすことに尽力するタイプかと。そんな藤森さんの「私」が慎ましく顔を覗かせた今作...他誌では読めませんYO!
毎年、原稿締め切り時は「Hanako」の吉祥寺特集と重なってしまって...今回も超多忙のなかほんとうにありがとうございました。ときたまSNSで藤森さん撮影の<仕事明けの街の風景>写真を拝見しますが...老爺心ながら、「年をとっ」たんですからどうか御自愛を、と祈念するのでありました。
久方ぶりに訪れた店は、驚くほど変わっていなかった。もちろんいい意味で。メニューは週替わりの「おまかせコース」1本のみ。拭き込まれた天然木のカウンターが手のひらに温かい。ご主人の仕事は相変わらず実直で端正だ。
琥珀のように深く透き通ったフグの煮こごり、鰤と寒セリの粕汁の、絹のように白くなめらかな舌触り。飛竜頭をとじた銀あんは、あの時と変わらず、ふくふくツヤツヤと光輝いている。
もしかしたらその実直な盛り付けも、青磁の平皿や唐津の小鉢の使い方も、今や「古式ゆかしい」などと評されてしまうかもしれない。でも、それが何だというのだろう。格式と気さくさの間をいく良い塩梅の客との距離感、不用意にこちらの会話を断ち切ることなく器を上げ下げする、女将さんの抜群の間合い。それは長い時間をかけて磨かれてきたものだ。
ウィッチンケア第7号「小僧さんに会いに」(P172〜P175)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作
「茶道楽の日々」(第Ⅰ号)/「接客芸が見たいんです。」(第2号)/「4つあったら。」(第3号)/「観察者は何を思う」(第4号)/「欲望という名のあれやこれや」(第5号)/「バクが夢みた。」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y
Vol.14 Coming! 20240401
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