「媒介的な役割り、それができたらいいんじゃないか。」
「Hanako」「BRUTUS」等の雑誌でライターとして活躍中の藤森陽子さんは、寄稿作「観察者は何を思う」でそう記しています。自身がここ数年夢中になっている、台湾茶のケータリング。お茶の世界に魅せられ、惹き込まれていくにつれて、自然に知識や経験が蓄積され“目利き”になっていく...しかし藤森さんは、そんな自分をどこか突き放した視線で眺めています。そして、お茶に関する自分の立ち位置はあくまでも「スキルとしての拠り所であるライター的なもの」と、言っているような。
個人的嗜好ですが、私は「○○○○専門家/ソムリエ/研究者/アドバイザー/愛好家...他にもコンサルとか達人とかetc.」と自称できちゃう人の言説が、ときにものすごく窮屈だったりします。だから、藤森さんの「媒介的な役割り」というスタンス、風通しのよさを感じました。その自覚が持てる人にこそ透視できるものが、きっとあるはずだと。
「見る」という行為は、台湾茶の場合、その多くは茶葉に関して向けられる。
まずは製茶された茶葉の色つやをしげしげと観察し、湯を注ぎ、湯の中で大きく開いた茶葉を取り出してはさらに観察する。
開いた葉の肉厚さや茎の瑞々しさ、発酵具合や焙煎師の技量までも、茶葉の姿は雄弁に物語る。
味と香りのほかに、この見極めるという行為も、よい茶葉とめぐり会うための重要なステップの一つ。
現地に足を運び、はるばる訪れた店や茶園で決断に追い込まれる。
どれを買うべきか、買わざるべきか。
すでに朝から試飲のし通しでおなかはガボガボ。帰りのバスの時間も迫って来た。最終的な切り札はいよいよ見た目の情報になってくる。
どうせ今後つき合うなら、いい土と水、日光を吸収してすくすくと育った茶葉を、信頼できる茶師が手塩にかけた〝性格のいい〟茶葉がいい。
第一印象ばかり調子のいいヤツじゃなく、最初はちょっとシャイだけど、打ち解けてきた2煎目、3煎目から味わいを増してくる方が、だんぜん信用できるし、魅力的じゃないか。
そんな茶葉との出会いを見逃さないよう、もっと見て、もっと識り、もっと目利きにならなくては。道のりは長い。
ウィッチンケア第4号「観察者は何を思う」(P004〜P011)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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