2018/05/24

vol.9寄稿者&作品紹介27 藤森陽子さん

SNSを拝見すると、あいかわらず忙しそうに国内外のリゾート施設やカフェを取材で飛びまわっている藤森陽子さん。今号への寄稿作冒頭では<アンドリュー・ニコル監督のSF作品「IN TIME」>(邦題「TIME/タイム」/2011年)にまつわるご自身の<妄想>について書いています。<もし時間が通貨価値として流通するなら、自分が望む年齢を10年分、いや、財力があれば20年分でも、購入できるのはどうだろう>...映画内の設定では25歳で成長が止まった世界が描かれていましたが、藤森さんは、<肉体が25歳なのはいいとして、精神が25歳ではまだ幼すぎる。自分だったら35歳かな>と。たしかに、身体は25歳頃で止まっててほしかった。精神は...私の場合、35歳でもうだいぶくたびれてたんで、こちらもけっこうワイルド(←あはは)だった25歳でいいかな。

なぜそんな<妄想>を!? 理由は<寄る年波を日々感じているからである。とくに顕著なのが「視力」だ>。いやほんと、目は厳しいですよね! 私も最初に自分の目の衰えを自覚したときは「冗談でしょ?」と思ったけど、以後10数年、いまでは眼鏡をかけないと外出できませぬ。...じつは目のことを書いた小誌掲載作はいくつかあって、たとえば第7号(&《ウィッチンケア文庫》)での太田豊さん作品には<少し暗いところでてきめんに字が読めなくなるという事態にでくわしたときにはやはり驚いたし、笑ってしまった。知らないところで自分の認識できる世界はじわじわと狭まっているのだ>という一節があり、いまでも印象に残っています。

作品の中盤では東京都台東区鳥越にある素敵な喫茶店が紹介されています。若くてセンスのよい店主が、ネルドリップで丹念に抽出したコーヒーを出すお店。インテリアは<一輪挿し以外の装飾は何もないストイシズムに満ちた世界>とのこと。ただし、<調光を最小限に抑えた照明が灯り、昼だというのに仄暗い。スリリングに暗い>...この一文での「スリリング」という言葉の選びかた、ヘンな表現ですが、人間の年季が入ってます。

最後まで読み終えると、藤森さん自身、視力の変化について、必ずしも悲観的ではないことがわかり共感できました。若い人もそうでない人も、ぜひ小誌を手にしてこの一篇を読み、「目の見えかた」とのつきあいかたについて考えてみてくださいね!



 それにしても暗いですよね、ここ。と、少し打ち解けたところで聞いてみると、店主はふと視線を上げて「仄暗さは喫茶店に必要だから」と示唆めいたことを言う。
「薄暗いことで目の前の珈琲の味に集中できるし、少し非日常へも行ける。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』ではないですが、暗いところにいると気持ちが落ち着く感覚って、日本人のDNAに刻まれてるんじゃないかと思って」
 ふいに出てきた文芸作品の名に少々驚きながら、ますます茶室のようだと納得する。『陰翳礼賛』は電灯が普及する以前の日本古来の暮らしの美しさを謳い上げ、西洋文明によってもたらされた〝明るさ〟がいかに無粋かをとうとうと語った名編だが、なるほど、この暗さは日本家屋の陰翳だったのか。
 一秒一秒、時を刻むように一滴ずつ湯を注ぎ、ドリップする店主の仕事を眺めながら、つくづくネルドリップは時代のスピードと逆行する抽出法だと思う。そして店主の言う通り、仄暗さの中で味わうと、苦味の奥の甘い香りも、持ち手の華奢な手触りも、いつにも増して際立つように感じるのだ。

ウィッチンケア第9号「フランネルの滴り」(P174〜P177)より引用
goo.gl/QfxPxf

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品
茶道楽の日々」(第Ⅰ号)/「接客芸が見たいんです。」(第2号)/「4つあったら。」(第3号)/「観察者は何を思う」(第4号)/「欲望という名のあれやこれや」(第5号)/「バクが夢みた。」(第6号)/「小僧さんに会いに」(第7号)

http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.9 Coming! 20180401

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