2026/04/27

vol.16寄稿者&作品紹介07 武田徹さん

 前号(ウィッチンケア第15号)には詩人・茨木のり子のあまり知られていない一面にスポットを当てた一篇をご寄稿くださった武田徹さん。今号への寄稿作は茨木よりもう少し前の世代の詩人・草野心平(1903〜1988年)についての論考です。草野といえばカエルをモチーフにした擬音語やユーモアあふれる詩が多く、一般的には戦後民主主義を体現した昭和の代表的な詩人、というイメージで語られてきた人物。武田さんは、そんな〝草野心平という詩人が気になっている〟と冒頭で書き、続いて、その理由を以下のように──〝それは草野が実は極めて熱心な戦争詩の書き手でもあったからだ〟と。


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作中に引用されている「大東亜戦争第二年の賦」という詩には、たとえば「われら微塵も平和を思ふな。戦ひはつづく。戦ひはつづけ。」といった、かなりきな臭い言葉が連なっています。武田さんは瀬尾育生の『戦争詩論1910–1945』、井筒俊彦の『神秘哲学』などを参照しつつ、「詩」という文芸ジャンルに特有な「言葉」の力について考察しています。たんに草野を糾弾、というよりも、創作者(=詩人)が無責任に陥るやもしれない「詩」の超越性/神秘性について...このあたりは、ぜひ小誌を手にしてご一読ください。
作品終盤では、現在のネット空間に飛び交う言葉の危うさについても言及されています。〝ワンフレーズの賛美と断罪、バズるスローガンなど、短い言葉が周囲の余白の中で飛び道具のように使われる〟という筆者の一節から私(←発行人)が思い浮かべたのは、"Make America Great Again"とかいう、赤い野球帽...Anybody home?。…これまでの武田さんの寄稿作の中でも、今作にはかなり厳しい批評性を感じました。昨今の時代の風向きを鑑みれば、今後、令和の(戦時下の)草野心平が現れて、無責任に詩の言葉を拡散するかもしれない──そんな危機感ゆえ、なのかな。〝戦争協力した文学者は草野以外にもたくさんいた。しかし戦時中の活動をなかったもののようにして戦後に平和を謳う白々しさにおいて草野に勝る詩人は見当たらないのではと思う〟...厳しいです。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E



 しかし、そもそも詩はなぜ超越性を身に纏うことができたのか。たとえば井筒俊彦は『神秘哲学』で「言詮不及! それが神秘家の我々にたいする最後の言葉である」と書いている。言辞を弄して経典の類の言葉を解説する作業はむしろ真理から遠ざかる。言葉がそこにあること自体が神秘なのであり、ただそれに向き合い、受け入れるべきなのだ、と。こうした神秘に対するのと同じ姿勢をモダニズムの詩も求める。それは情緒や事実を叙する言葉ではない。その言葉がそこにあること自体が詩の奇跡なのだ。
 だが、そこには逆説があった。説明的言辞を伴わずに裸のまま示された詩の言葉は、前後の文脈によって縛られる散文の言葉以上に、多くの解釈を許す。散文でも前後の文脈に縛られた一連の言葉の連鎖からなる「行」と「行」の間に言語化しない思いが込められるが、詩文では行間だけでなく、語と語のつながりも自在であり、いたるところに解釈が入り込む余白が用意されている。
 特に草野は余白を積極利用した詩人だった。たとえば「冬眠」は●だけが印されたシュールな作品でもはや余白しかない。だからいかようにも解釈できる。
 もちろん、どの解釈も詩そのものからは遠ざかってゆくので、詩の超越性を真摯に極めようとする詩人であれば一切の解釈を拒み、徹底して孤高の存在であるべきだろう。しかし多くの解釈を誘う詩が多くの愛好者を得るのもまた現実であり、それに応えようとする詩人もいる。中には詩には多様な解釈がありえるので言葉の責任を取らされることはないはずだと甘えて、時代や政治が求める言い回しをだらしなく使う詩人もいよう。

~ウィッチンケア第16号掲載〈蛙たちの戦争 〜草野心平と詩的無責任をめぐって〜〉より引用~

武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品:終わりから始まりまで。〉(第2号)/〈お茶ノ水と前衛〉(第3号)/〈木蓮の花〉(第4号)/〈カメラ人類の誕生〉(第5号)/〈『末期の眼』から生まれる言葉〉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》〉/〈「寄る辺なさ」の確認〉(第7号)/〈宇多田ヒカルと日本語リズム〉(第8号)/〈『共同幻想論』がdisったもの〉(第9号)〈詩の言葉──「在ること」〉(第10号)/〈日本語の曖昧さと「無私」の言葉〉(第11号)/〈レベッカに魅せられて〉(第12号)/〈鶴見俊輔の詩 ~リカルシトランスに抗うもの~〉(第13号)/〈立花隆の詩〉(第14号)〈いくじなしのむうちゃん!〉(第15号)

 ※ウィッチンケア第16号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

 
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2026/04/26

vol.16寄稿者&作品紹介06 姫乃たまさん

 今年2月に「なぜかどこかに帰りたい」を上梓した姫乃たまさん。ウィッチンケアには掌編小説〈クランベリージュース〉を掲載した第12号以来の登場でして、おかえりなさい。じつは姫乃さん、小誌第6号と第7号にも小説をご寄稿くださっていまして(下記《姫乃たまさん小誌バックナンバー掲載作品》欄ご参照)、いまではめったに書店に出回らないその2冊、発行人直営のBASESTORESでなら残部少ですが入手可能。もちろん、某マーケットプレイスみたいなことはなく、定価/新品でございます。両作品とも時流に左右されない名作なので、ご存知なかった方はぜひぜひ!

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さて、姫乃さんのウィッチンケア第16号への寄稿作は〈負けないで 〜閉鎖病棟入院日記〜〉。あの、東京2020オリンピックが1年延期となった、コロナ禍の真っ只中の夏のできごとを、日記形式で綴った一篇です。冒頭に〝地下アイドル卒業後、双極性障害をこじらせていた私は度重なる自傷や救急搬送などを経て、2020年の夏を精神科病院の閉鎖病棟で過ごしました〟との説明があり...ええと、私はたしか、姫乃さんの活動10周年記念公演「パノラマ街道まっしぐら」(2019年4月30日)の少し前に、LOFT9 Shibuyaでのイベントでお目にかかって写真集「私小説」を買った記憶があるのだが...とにかく、記念公演が大盛況だったことはネットで知っていたものの、その後の経緯は、本作で初めて詳しく知りました。


それにしても、ご自身の尋常ではない体験、とくに7月30日と31日の「ご自身そのものが尋常ではない」状況を、ここまで冷静(冷徹!?)にテキスト化できてしまう、筆者の「表現者としての業」に感銘を覚えています。しかも、本作中の「私」はこんなにエキセントリックなのに、怖ろしい...もとい、素晴らしいことに、とってもチャーミングでポジティヴな生命力さえも感じさせるのですから。7月30日の日記にさり気なく挟み込まれた〝ギャグとホラーが紙一重であるように、シリアスな状況もまた笑いと紙一重だ〟という一文に、私(←発行人)は姫乃さんが無事帰還できた理由の一端を垣間見たような気がしています。
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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E

 8月4日

 夜が怖い。厳密には消灯時間が怖い。
 デイルームのほうから患者さんたちの賑やかな声や、テレビの音が遠くに聞こえてくる時は、病室のベッドでうとうとしているのだけど、消灯時間が近づいて21時に廊下の電気が消え、22時にデイルームの電気が消え、さあ寝ましょう! となると緊張してしまって、同じベッドの上で完璧に目が覚めてしまう。
 病室には時間を知る道具が無いのでわからないけど、毎晩電車の音がしなくなった後まで、だいたい二時間くらいは猫のぬいぐるみを抱いて、暗闇で目を閉じたまま寝返りを打っている。時折泣いてしまう。
 こんな弱虫でよくいままで働いてこれたなと思う。同時に、こんなに弱虫だから働いてきたのだとも思う。
 子どもの頃、時折訪れる眠れない夜の恐怖は今でも鮮明に覚えている。
 いつもは起きている家族たちが眠っていて、窓明かりに照らされたシーツの影が皺だらけの老婆に見えて恐ろしかった。夜は私が眠らなければ、永遠に続くように感じられた。
 あの夜の恐怖を踏みつけるように、たくさんの夜を遊び、働いて、生きてきた。
 そしていま、またあの夜の中にいる。

~ウィッチンケア第16号掲載〈負けないで 〜閉鎖病棟入院日記〜〉より引用~

姫乃たまさん小誌バックナンバー掲載作:21才」(第6号)/「そば屋の平吉」(第7号)〈クランベリージュース〉(第12号)


 
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2026/04/25

vol.16寄稿者&作品紹介05 稲葉将樹さん

 ふと気づけば、私は今月もディスクユニオンで至福の散財をしてしまっているわけですが(吉祥寺店でJon Brionの「Meaningless」のアナログ盤を適価で発見!)、そのユニオンさんの出版部門であるDU BOOKSの編集長・稲葉将樹さんのウィッチンケア第16号への寄稿作は、ご自身の身体にまつわる不具合を題材に、視覚についての考察を巡らせたエッセイ。初夏に斜視の手術が控えていることもあって冒頭から「気が重い」と...序盤はかなり痛そうなトピックが続きまして、心中、お察し致します。しかしながら、本作がいわゆる「闘病記」的な苦労話ではないのは、筆者の卓越した教養と洞察力の賜物ではないでしょうか。

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眼科医のアドバイスで手術を受ける決心をした稲葉さんは〝今回はじめて斜視について調べてみると、「立体視ができない」「物が二重に見える(ピントが合わない)」が主な症状〟だとあらためて知ります。そういえば、と過去の自分に思い当たるフシがいくつも。たとえばキャッチボールが苦手だったとか、6年間やっていたサッカーでも、タイミングよくボールを蹴れなかったとか。それだけでなく、東京ディズニーランドの「超遠近法」による書き割り的風景に癒されていた二十代頃の自分のことも思い出し...このあたりからの視覚に関する考察の展開が、とても興味深いのです。


映画「グランド・ブダペスト・ホテル」等のウェス・アンダーソン監督、小津安二郎。写真家のエリン・オキーフ、アンドレアス・グルスキー、安藤瑠美。そして、レオナルド・ダ・ヴィンチ。ご自身の視覚体験に引き寄せて、錚々たるアーティストの作品や技法の特徴を語っていくくだり、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください。そしてなによりも、手術が無事終わることを祈念致します。夏以降、筆者の〝奥行把握が困難ななかでのグラフィカルで平らな喜び〟にもなにがしかの変化があるのか? いつの日か、後日談もぜひぜひ、どこかで。
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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E


 五十年近く生きてきて、ようやく気づいたのだが、絵画やグラフィカルな映画が好きなのは、斜視の見え方と無関係ではないのかもしれない。映画だと、ウェス・アンダーソンが好きだ。一般的には「お洒落な箱庭的演出」と評されるあのド正面の視点と人工的なシンメトリーは、私にとっては単なる美学を超えた、脳が余計な奥行きを計算しなくて済む親切設計なのかも。内容はともかく心安らかに鑑賞できる。日本映画だと、もちろん小津。手前に人物を前後に置き、奥には障子を配し、さらにその奥に別の居間や庭が続く。小津も空間を「連続的な奥行き/深さ」としてではなく、何枚ものレイヤーが重なり合った「層」として構成してくれている。立体視がしづらい私の目にとっては、小津映画は世界を自動的に切り絵のようなレイヤーへと分解し、それぞれの層が持つグラフィックの美しさを抽出するフラットな断片の集積としての映画体験なのであった。

~ウィッチンケア第16号掲載〈斜視と平面世界〉より引用~

稲葉将樹さん小誌バックナンバー掲載作品:人工楽園としての音楽アルバム 〜ドナルド・フェイゲンとケニー・ヴァンス〜〉(第14号)〈下妻〝書店〞物語 1980年代〉(第15号)

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2026/04/24

vol.16寄稿者&作品紹介04 絶対に終電を逃さない女さん

 昨年11月に発売されたご自身にとって2冊目の著書「虚弱に生きる」が増刷を繰り返している、絶対に終電を逃さない女さん(以後「終女」さん)。私はこれまで「ヒットした本」にスタッフとして関わったことはある(ふりかけの裏面に表示されている〈原材料:海苔〉みたいなクレジットで...)ものの、自ら「ヒットした本」を書いたことなどないので、ただただ「素晴らしい! おめでとうございます」と感服してしまいます。そんな終女さんがウィッチンケア第16号にご寄稿くださったのは、〈今「売れている」私の現状〉と題された、まさに今だからこそ書いておきたかったのであろう、おカネと人間関係、そして信念にまつわるエッセイ。(こういうこと、小誌は大歓迎です!)


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作品冒頭から、かなり具体的な印税収入額などが書かれています。ここで筆者が(たぶん、敢えて)文字にして列挙した「百万円」「五百万円」「一千万円」「五千万円」という金額(の価値?)をどう捉えるのか。筆者は後段で「物差し」という言葉を使っていますが、ここに並べている金額を、終女さんはあくまでも「自分の物差し」で計って値踏みしているのです。一見、挑発的な物言いでありながら、じつはかなり冷静で、しかも用心深い。「虚弱に生きる」が多くの読者の共感を得たのは、この「自分の物差し」で自らと率直に向き合い、丹念に対処法を探り、世の中との折り合いをつけてきた姿勢があってこそ、だと思えるのです。


「売れた」ことによる人間関係の変化についての記述も、私には「攻めてるようで謙虚」に読めました。「先生」という言葉をリトマス試験紙に自分が人として見られているのか商品として見られているのかを測りつつ、では「商品としての自分」は誰がどうやって生み出したのかについても思いは至っているし。あっ、終女さん特有のユーモアも、本作全般に含まれていて思わずくすりと笑ってしまいます。〝この一ヶ月の間で私は、うっかり依頼と違う内容を書いた原稿を送り、イベントの告知文案で名前を「終電を絶対に逃さない女」と間違えられているのに気づかずOKを出し〟...これって、いわゆるキャパオーバーの典型例ではないですか! とにかく、「虚弱に生きる」読者にはぜひ読んでもらいたく、筆者を終女先生と呼ぶ方には、ちょっと隠しておきたい一篇です。そして終女さん、じつは小誌前号に虚弱をテーマにした小説を寄稿しています。ご興味のある方は、ぜひぜひ!!

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 若い頃から続く原因不明の身体の不調や体力不足を「虚弱」という切り口で語ったことが画期的だと言われているが、そのアイデアは私のものではない。そのアイデアへの賞賛は、虚弱体質についての対談を提案してくれたライターのヒオカさんや、虚弱体質についてのエッセイを企画してくれた担当編集さんなどにまず向けられるべきものではないか。虚弱の原因を探るでもなく、虚弱を治す方法でもなく、ただ虚弱であることについて語ることの、潜在的な需要を見抜いた人たちに。私はまったくもって、見抜けなかった。
 確かにその上で、内容は私にしか書けない本である自負はあるし、そこをちゃんとわかって褒めてくれるのは嬉しい。だが、「売れている」というだけですごくて偉いみたいな扱いをされると、途端に私の心はさ──っと遠くに逃げていく。私が持っていない、持たないようにしてきた物差しで測られることから、咄嗟に距離を置こうとする。

~ウィッチンケア第16号掲載〈今「売れている」私の現状〉より引用~

絶対に終電を逃さない女さん小誌バックナンバー掲載作品:〈二番目の口約束〉(第14号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈ちょっと疲れただけ〉(第15号)

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2026/04/23

vol.16寄稿者&作品紹介03 佐々木敦さん

 前号にはとって〜も長いタイトルの一篇をご寄稿くださった佐々木敦さん。同じ路線を継承するのかな、と思っていましたら、ウィッチンケア第16号ではまったく違う作風のエッセイ...ごくごく個人的な、ある友人との思い出を綴った作品を(こういうこと、小誌は大歓迎です!)。...ちょっと変な言い方になるかもしれませんが、私にとって佐々木さんの本やネット上のテキストは、つねになにかを「学ぶ」ための原典だったように思われ(それは前号掲載作でも)、それが今回〝素のままの佐々木敦さん〟と言いますか、お人柄が伝わってくるテキストと接して、とても新鮮な気持ちになりました──心優しい兄貴、みたいな佐々木さん像。




「A君のこと」と題されたエッセイ。A君とは筆者が小学五年生のときの同級生で、ある事情があり、年齢は1歳上だった、とのこと。当時の担任の先生から頼まれて、クラス委員か何かだった筆者はA君の面倒を見る役割を担うことに。そのA君との交流の様子やクラスメイトのこと、A君の弟から聞いた過去のあるできごとについてなどが、淡々とした筆致で語られています。そして、ある日、A君と筆者、そしてクラスメイトとの関係性が大きく変わるできごとがあって、それはA君が「ササキの誕生日、何年何月何日?」と唐突に訊ねたのが発端。作中では「サヴァン」という言葉が使われていますが、A君はサヴァン症候群(Savant Syndrome)に見られる特殊な才能を、まずは筆者、その後は他のクラスメイトなどにも開陳し始めるのです。


本作を拝読して、私も中学1年生だったときの、ある同級生のことを思い出しました。私はクラス委員ではなかったし、担任から何かを頼まれたわけでもなかったので、同級生としてごく普通に接していた...いや、正直に言うと、どう接していいのかよくわからず、ちょっと敬遠気味に1年間をやり過ごしたかもしれないな。佐々木さんは終盤で〝だが、どうしてか私はA君のことを何度も思い出す。それは彼の声だ。「ササキの誕生日、昭和39年7月8日水曜日!」〟と記していますが、こういう「繰り返される記憶の断片」って、とてもリアルに感じられました。...A君がどんな人だったのかは、ぜひ小誌を手にしてお確かめください。


ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E



 ある日のこと、A君が私に「ササキの誕生日、何年何月何日?」と訊ねた。「昭和39年7月8日」と答えると彼は間髪入れず「水曜日!」と言った。何それ? おそらくその時は確かめようがなく、ただ変な空気になっただけだったのではないか。だが、よく覚えていないが何かしらの方法で私は自分の誕生日が何曜日だったのかを調べて(親に聞いたのかもしれない)、水曜日で合っていることが判明した。何だこれは?
 翌日の学校はこのことで持ちきりだった。クラスメイトは次々とA君に自分が生まれた日の曜日を問い、彼は即座に正答した。考えているらしき時間は全くなかった。答える時のA君はどこか誇らしげで、なんだか大人っぽくさえ見えた。誰かがカレンダー(?)を持ってきて、何年何月何日は何曜日? をデタラメに質問していったが、A君は難なく答えを口にした。彼は一躍クラスの、いや学校の話題を独占することとなった。


~ウィッチンケア第16号掲載〈A君のこと〉より引用~


佐々木敦さん小誌バックナンバー掲載作品:おそらく実現されることはないであろうわたくしの夢のひとり出版社の、もしも実現したとしてもおそらく実現できることはないであろう、夢の刊行予定リスト〉(第15号)



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2026/04/22

vol.16寄稿者&作品紹介02 山本アマネさん

 前号からの寄稿者・山本アマネさんはイラストレーター/グラフィックデザイナーとして活躍中。昨年秋、そして先月はエミリ・ディキンスンの詩集「Envelope Poems」から着想を得た作品展「Unknown Letters」を、東京・高円寺のAmleteronと神戸の書店1003で開催。この展示会での作品は1003のオンラインストアで、今月いっぱい販売されています。


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山本さんのウィッチンケア第16号への寄稿作は「時間と自由」。前半ではご自身が最近観た映画に重ねて、年齢とともに時間に対する感覚が変わってきたことなどが語られています。「私が故郷で過ごしてきた十五年間と、上京し大学を卒業したあと、働きながら過ごしてきた十五年間とでは、日々の濃度が全く異なるように感じる」という一文など、多くの方が共感するのではないかな。ジャネーの法則ではないですけれども、私の最近の1年なんて、子供の頃の、あの長かった夏休みの10分の1くらいに感じられちゃって、もうあっという間に死んじゃうんじゃないかな、とか、思いながら生活しています。


作品後半では、やはり映画(『ワン・バトル・アフター・アナザー』『ニーナ・シモン〜魂の歌』)を引き合いに、自由についての考察がなされていますが、そこには2026年初頭〜2月あたりの世情が色濃く反映されてもいて...4月になって読み返してみると、筆者の執筆時の焦燥感が、より現実味を帯びて伝わってきます。作中に引用されている、ニーナ・シモンの言葉とされる「自由」の意味を、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。常軌を逸しているとしか思えないどこぞの国のトップたちが、どれだけの人の時間と自由を脅かしているのか。その「どこぞの国」にも、まともな人がたくさんいることを信じたい昨今です。

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ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
 それとは対照的に、現実生活での私の動作はどんどん減速し、スローモーションになっていく。インターネットを5分見ようと思えば、気がつくと30分経過している。この文章を書いている現在、急な衆議院解散総選挙の真只中であり、加えて旧統一教会のTM特別報告文書の公開、政治家の裏金問題、海外ではアメリカの移民を取り締まるICEによる暴力の激化、エプスタイン文書の公開、終わることのない侵略……。一日中インターネットの前に齧り付いていても足りないくらいの情報が発信され、消費されていく。この受動的な依存状態こそソーシャルメディアの陰謀かもしれないと感じつつ、またSNSを開いてしまう。そして、その日にしなければならない業務をこなすうち、あっという間に一日が終わり、毎日のように今日は何も出来なかったと感じる。それは単に齢を重ねた故であり、自分の怠惰のせいかもしれないけれど。

~ウィッチンケア第16号掲載〈時間と自由〉より引用~

山本アマネさん小誌バックナンバー掲載作品:〈いつも読書の途中〉(第15号)

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2026/04/21

vol.16寄稿者&作品紹介01 柳瀬博一さん

 ウィッチンケア第5号からの寄稿者・柳瀬博一さんは今号の巻末にある《参加者のVOICE》欄で「これからは土木っす!」と記していますが、これは勤務先の大学(柳瀬さんは東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授〈メディア論〉なのです)で2024年から推進している、横浜キャンパスに「ホタルが暮らせる谷」を再生・創造するプロジェクトについてのコメント。柳瀬さんのnoteには進行具合が克明に記録されていて、小誌への原稿執筆頃の写真には、土木作業に勤しむ柳瀬教授の勇姿も。今年の夏には、すずかけ池の棚田にホタルが戻ってくることを祈ります。みなさま、ぜひアクセスしてみてください!




そんな柳瀬さんの今号への寄稿作が扱っているテーマは、ほんと、誰にとっても他人事ではない問題です。ダブルケア、とは二つの世代(親と子)をケアする、の意、平たく言い換えれば、子育てと親の介護が同時進行の人。柳瀬さんは、該当するのは「現在40台半ばから60代前半」の過半数、という見立てで持論を展開しています。政府が2016年に見積もったダブルケア当事者人口は25万人。しかし、この調査におけるダブルケアの定義は①要介護の親を持ち ②未就学児の子供を持っている当事者、だと。「ダブルケアの当事者として言わせてもらうが、この政府の試算ではダブルケアの実態から大きく乖離する」との柳瀬さんの意見に、私も肌感で同意です。だって、小誌寄稿者のなかにも、この問題と向き合いつつ生活を成り立たせている方が、少なくもなくいらっしゃるし。


「①まだ社会に出ていない高校もしくは大学までの子供 ②65歳以上の老人、の親であり子である世代」という条件で、柳瀬さんがAIに算出させたダブルケアの当事者および予備軍の数! ぜひ小誌を手にしてお確かめください、びっくりですよ。ただでさえ少子高齢化が進む我が国の、「なぜか政府もメディアもはっきり可視化させない問題。あまりに巨大であるがゆえに。日本の未来の行く末を左右する問題」。さらに寄稿作後半では「ダブルケア・クライシス」とともに「介護帰省クライシス」にも触れられていて...自分の場合(東京と千葉の夫婦/子供なし)、いかに軽負担なのかと思い知らされました。それでも、実父母義父母をおくるまでは諸々たいへんだったのですけれども。


ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) 
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E



 というのも、「子育て」と「親の介護」はもっともっと幅の広い「仕事」だからである。
 政府の算出したダブルケアの当事者は、要介護の親と、乳幼児(赤ちゃんから未就学児)を両方持った世代、という見立てである。この条件でダブルケアの当事者をカウントすると確かに25万人程度かもしれない。
 しかし、この定義は、子育てというケアと、親の介護というケアを、非常に小さく見積もっている。実際に子育てをしている人は全員頷くはずだが、子育ては生まれた瞬間から、子供が学校を卒業して就業するまで続く。
 ケアというのは、赤ちゃんを抱っこするような行為だけではない。学校の選定、PTA活動、サッカークラブ、塾の送り迎え、受験対策、そして何より学校費用の負担。いじめ問題もあるかもしれない、不登校だってあるかもしれない。
 物理的、金銭的、時間的、心理的コストがかかり続ける限り、子育ては終わらない。万が一子供が引きこもりになった場合は、学校を出てからも「ケア」が継続する。一般的に考えても、子供が高校もしくは大学を卒業する18歳から22歳まで、金銭的、肉体的、心理的ケアは、ずーっと続く。
 一方、親のケア。かたときも目を離せない「要介護」の段階で初めて生じるわけではない。むしろ一見軽くみえるけど、実は「命に関わる問題」が見逃されている。それは、子供が親と離れて暮らす場合の、年老いた親の買い物難民、とりわけ「食品が買えない問題」である。
 農水省がシビアな数字を出している。
 全国の食品アクセスが困難な老人がどれくらいいるのか。2020年に算出したのだ。結果は、──2020年における食料品アクセス困難人口は、全国で904万人と推計され、全65歳以上人口の25.6%であった。このうち75歳以上では566万人、全75歳以上人口の31.0%であり、食料品アクセス困難人口のうち75歳以上の占める割合は63%であった。

~ウィッチンケア第16号掲載〈ダブルケア・クライシス問題〉より引用~


柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品:〈16号線は日本人である。序論〉(第5号)/〈ぼくの「がっこう」小網代の谷〉(第6号)/〈国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と〉(第7号)/〈国道16号線をつくったのは、太田道灌である。〉(第8号)/〈南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)/〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(第10号)/〈富士山と古墳と国道16号線〉(第11号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈2つの本屋さんがある2つの街の小さなお話〉(第12号)/〈カワセミ都市トーキョー 序論〉(第13号)/〈湧水と緑地と生物多様性 ~「カワセミ都市トーキョー」の基盤~〉(第14号)/〈日本は東京以外でできている〉(第15号)

 

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2026/04/17

正式発行から2週間ちょいほど経ちまして(ウィッチンケア第16号)

 今号が拙宅と取次会社(JRC)に納品されたのは3月26日。毎年「桜が先か、完成品が先か」なのですが、2026年は桜の完勝でしたね。おかげさまで初直販だった28日の玉川学園「さくらめぐり・はなびら市」も好天に恵まれ、幸先の良いスタートとなりました。





さて、正式発行から2週間と少しが過ぎました。今年もまた、某大手ネット書店での販売が躓き気味にスタート。昨年のようなことではありませんでしたが、この2週間で《在庫なし》状態が数日あり...あっ、現在は通常の「プライム会員なら翌日配送」になっていますので、みなさま安心してお買い求めください!


amazon.co.jp/dp/4865381805


3月30日、本サイトなどにアップした「【暫定】ウィッチンケア第16号が手に取れる書店」は、週明けにでも【暫定】をはずそうと思っています。新たなお取引先が増えたり、諸般の事情でお話がまとまらなかったり...以前、本の流通に詳しい方に言われたのが、「年一回の定期刊行物って難しいよ。せいぜい季刊ぐらいのスパンで、書店とコミュニケーションをとってないと」。たしかに、と実感しますが、しかし小誌は年一体制。それでもお付き合いくださっている書店さまには、感謝しかありません!


https://note.com/yoichijerry/n/n7e7d32b036a0


【お知らせ】

小誌を第2号からお取り扱いくださっている双子のライオン堂さんにて、来週の木曜日に小さなイベントを開催予定です。


⽂芸創作誌「ウィッチンケア」第 16 号 発⾏記念イベント
<謎に⻑続きしてるウィッチンケアはなぜこんなに⾃由なのか?>


謎って...そんな、ミステリアスな秘訣みたいなものがあるわけではないんですが、「書き手にとっての自由」をテーマに、第2号からの寄稿者・木村重樹さん、第3号からの寄稿者・仲俣暁生さんとともに語り合ってみようと思います。ご都合のつく方、ぜひご参加ください(配信もあります)。


https://peatix.com/event/4953050


そして小誌は表紙に内容を示唆する文言などがないため、ネットに掲載した【もくじ】以外は「読んでみてのお楽しみ」なのでありますが、もう少ししたら恒例の《寄稿者&作品紹介》を公式ブログ(とnote)で始めます。今号は寄稿者が46名。5月中にはコンプリート、の予定です。


そしてそして、来月5月4日に開催される「第42回文学フリマ東京」に、今年も「ウィッチンケア書店」(L-75)として出店しますので、ぜひご来店ください。


https://bunfree.net/event/tokyo42/


この機会に、リアルでご挨拶できていない方とも、ぜひお目にかかりたいです。みなさま、2026年4月1日に正式発行となりました文芸創作誌「ウィッチンケア」第16号を、引き続きどうぞよろしくお願い致します!


【書店さまへのお知らせ】


「ウィッチンケア」は㈱JRCを介してすべての取次への出荷が可能です。

https://jrc-book.com/list/yoichijerry.html


また版元との直取引用に、今号から《Google注文フォーム》も開設致しました。

forms.gle/N3zzLopPgBCJQ9GP6


それに伴い、BOOKCELLARでのご注文は5月21日をもって停止となります。

https://www.bookcellar.jp/publishertop/list/740


以降は㈱JRCまたは《Google注文フォーム》をご利用いただけますと幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます!





ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税) ISBN::978-4865381801 C0095 ¥2000E


【寄稿者/掲載作品】〜もくじ〜より
  008  柳瀬博一/ダブルケア・クライシス問題
  016  山本アマネ/時間と自由
  020  佐々木 敦/A君のこと
  026  絶対に終電を逃さない女/今「売れている」私の現状
  030  稲葉将樹/斜視と平面世界
  036  姫乃たま/負けないで 〜閉鎖病棟入院日記〜
  046  武田 徹/蛙たちの戦争 〜草野心平と詩的無責任をめぐって〜
  050  美馬亜貴子/2047年のフジロック
  058  宮崎智之/文学は社会の役に立つのか
  062  蜂本みさ/パッチワークの傭兵
  068  九龍ジョー/ホットケーキ
  072  モノ・ホーミー/ペトラルカと二人の弟
  076  武田砂鉄/クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー
  082  うのつのぶこ/見てる人は見てる
  090  鶴見 済/アメリカのフィメールラップにはまる
  094  早乙女ぐりこ/祖父の陣
  100  矢野利裕/ブルーな音楽の地平──ダニエル・シーザー、カサンドラ・ウィルソン、ジョニ・ミッチェル、ときどきネオソウル
  106  綿野恵太/会津、天空橋、丸の内
  110  星野文月/裂け目
  116  竹永知弘/幽霊と踊る男
  120  オルタナ旧市街/ファッションとくらしのフロア
  126  渡辺祐真/まさか空海にハマるとは思わなかった
  130  野村佑香/からだは覚えている
  134  多田洋一/楽しい未来への思い出
  148  トミヤマユキコ/めまい──ふつうの中に苦しみがある
  152  我妻俊樹/インゲッピシ・ドトオフロップシェ
  158  小川たまか/性格が悪い
  164  長谷川町蔵/四谷の地下コインロッカーにて
  170  藤森陽子/動かない文字たちへ
  174  中野 純/植物虐待より光れ自分!
  180  木俣 冬/猫が消えた。
  186  荻原魚雷/ブログの話
  190  3月クララ/はりこ
  194  仲俣暁生/スローラーナー
  200  かとうちあき/中年になってわかった
  204  コメカ/ゲームセンター
  210  加藤一陽/俺の生活の柄
  214  吉田亮人/「癒えない光」を訪ねて
  218  ふくだりょうこ/朝の温度
  224  武藤 充/スペースSachiのその後と「ハラヨンの再開発」
  228  久保憲司/レント・パーティー
  234  谷亜ヒロコ/大人の友達の作り方
  238  木村重樹/あくまでもデビル──〝悪魔〞表象/いま、むかし
  242  すずめ 園/旅するわたしの広場恐怖症
  250  久禮亮太/ブックカルテはじめました
  256  東間 嶺/生成された憎悪と悪意と敵意について、自分自身とサイゼリヤから配信するためのダイアローグ・メモ
  264  参加者のVOICE
  270  バックナンバー紹介


編集/発行:多田洋一
写真:草野庸子
Art Direction/Design:太田明日香
取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)
印刷/製本:株式会社シナノパブリッシングプレス


《2010年4月創刊の文芸創作誌「ウィッチンケア(Witchenkare)は今号で第16号となります。発行人・多田洋一が「ぜひこの人に」と寄稿依頼した、46名の書き下ろし作品が掲載されています。書き手にとって、小誌はつねに新しい創作のきっかけとなる「試し」の場。多彩な分野で活躍する人の「いま書いてみたいこと」を1冊の本に纏めました。》

★下記を読むと第16号の全体がまるまる、ざっくり見渡せます!


Vol.16 Coming! 20260401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare