「そう。衣を脱がす。舟でここへ渡ってくる人々のうち、所定の金額を持ち合わせない相手には、ソトオリはひとり残らずそうしてきた。」
んっ、なんだなんだ!? この一文だけ読むと、ソトオリっていったいどんな生業の人? と淫らな想像をする方も...って、それは私ですが。いまなら怪しい芸能プロダクション社長、江戸時代なら判人とか...そもそもソトオリさんって苗字? 性別年齢は?? ...いやいや、物語に「現実のものさし」を持ち込むのは野暮ですね。出門みずよさんと中野純さんの共作「天の蛇腹(部分)」は、読み手が空想力を自由に広げて楽しむ作品なのだと思います。私がここでするべきは、まずは作者紹介だな。出門みずよさんにはイタクラヨシコさん名義での小説「ダメじゃん、蟹江クン! 」や板倉克子さんとしての訳書『もし大作曲家と友だちになれたら…』等があります。そして中野純さんは最新刊「闇と暮らす。: 夜を知り、闇と親しむ」の他著書多数。小誌第2号、3号でも単独名義での寄稿者です。
...もう少しだけ内容に踏み込みましょうか。この物語が中野純さんの「庶民に愛された地獄信仰の謎 小野小町は奪衣婆になったのか」と関連性があることは、同書を読んだ方ならすぐにピンときたはず...芸プロ関係者じゃないんです、奪衣婆なんです、ソトオリさん。また中野さんのこれまでのTwitterには「羽衣天女と衣通姫と脱衣婆(奪衣婆)、三衣一体の物語」「出門みずよさんと共作していたシュトゥルム・ウント・ドラング(イメージ)な巨人小説の断片が、一昨日完成。地獄の三巨人の大き過ぎる三角関係。奪衣婆対三途の川、最後の死闘。奪衣婆のクルクル前髪の謎が今! って感じかな。違うかな」といったつぶやきも。
※でっ、じつはこの文章を書いている最中に、私自身も疾風怒濤なリアルライフに巻き込まれまして数日間PCを起動できず...いまは八王子の景色のよい部屋からこの紹介文をアップしています。まっ、このことは作品紹介コンプリートした後にでも...。
ヤマには内緒で、タカムラとの褥にも使ったその衣類。ここへやってくる人々からソトオリが奪ったものだ。
ソトオリは蛙のように四つん這いになって川辺に近寄り、川面に顔をつけて、水を飲みはじめた。
思ったより冷たくない。渇きに渇いたのどには甘く感じられた。地上にいたころに飲んだどんな水よりもうまいかもしれない。
だがしだいに体が重くなってきた。
不思議なもので、目を開けたまま水を飲みつづけるのは不可能だった。息継ぎをするときだけ、目を開く。まぶたを閉じていると、いろいろなことを思い出した。
天から降りて、地上で琵琶法師のウメマルと暮らしていたころ、酒を覚え、生まれて初めて飲み過ぎた翌日に、大量の水を無理やり飲まされたことを思い出す。あれは苦しかった。ウメマルは、「わたしも酒なら半升飲めるがな。水は重い」と瓶から柄杓で水を汲み、飲ませてくれた。
そう。水は重い。
わたしには地上の思い出のほうがずっと多い。ソトオリはしみじみとそう思った。水も、人の体もずっしりと重い地上。鼠径部ぎりぎりまで水でふくれた腹をときおり自分でなでさすりながら、ソトオリは地上をなつかしんだ。
ウィッチンケア第4号「天の蛇腹(部分)」(P056〜P061)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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