2023/05/31

帯とか付けたほうがわかりやすいし売れるよ(第13号編集後記)

 5月最終日に《編集後記》を書くようになったのは、振り返ってみれば2016年発行の第7号からです。以来ずっと「ほんとうは《編集後記》、本体の最終ページにでも入れておいたほうがPR効果あるのに」と思ってはいるものの、しかし、今号でもまた5月最終日にネット上にて。


誌面のミニマル化も前々号以降極まりまして、もう誌上には必要最小限の情報以外、寄稿作品(写真含む)と唯一の自由解放区=《参加者のVOICE》のみしか掲載していない風体となりまして、それは望んでのことなのですが、しかし今回お取り扱い書店様を廻っていまして、ふと、他の御本とともに陳列していただいている様子を虚心に眺めて、「ほんとうに何の本なんだかよくわからないルックスだな」とも。鼓膜の奥のほうから「帯とか付けたほうがわかりやすいし売れるよ」という、何人もの賢者様からかつてたびたび受けたアドバイスが耳鳴りのように...だが、しかし(以下略)。



正式発行時の東京堂書店さんにて撮影


第13号なので、「13」という数字から連想される雰囲気を醸した1冊になるかと思いきや、そんなことには(ほぼ)微動だにしない寄稿者様の作品が集まった充実号となりました。写真家・千賀健史さんのヴィジュアル、とくに表紙は...私(発行人)は「桃が燃えてたりして、これは不穏だ」と思っていたら、各所で「きれいな写真ですね」と褒められたり。太田明日香さんのデザインも、テキストの読みやすさを第一になされたミニマルさで、ほんと、お二人には感謝しております。


寄稿者&寄稿作品については当サイト(とnote)に1作ごと紹介致しましたので、ぜひお目通しください。明日(6月1日)にはすべてにワンクリックで繋がる《ウィッチンケア第13号のまとめ》をアップします。毎年、これが仕上がると次号への潜伏期間に入っちゃうことが多くて...もちろん新たにお伝えしたいことがあれば更新致します。あっ、この時期、わりと動いているのはTwitterなので、ぜひチェックのほどよろしくお願い致します。


第13号の在庫状況については5月27日の当サイトで報告しましたが、嬉しいことにその後も追加注文などいただき、手元には心許ない数しか(来月中に一度、取次会社と打ち合わせをしてきます)。それで、現状ではおそらく一番在庫豊富なのがアマゾン様だと思います。お近くの書店で見つけられなかったかたは、ぜひアクセスしてみてください!


それでは、今日明日をひと区切りとして、今後は第13号の販売促進活動と併行しつつ、よりヴァージョン・アップした次号に向けて動き始めようと思います。紙代もクロネコヤマト様も値上がりして、ほんと、フィジカルな本には難題山積ですが...頑張ります。でっ、こういうときの1曲は……今号編集作業中の訃報で個人的に一番厳しかった人の、一番好きな曲で。


2023/05/30

『幻アルバム+α』(Witchenkare発行人の小説集)について

文芸創作誌「ウィッチンケア」発行人・多田洋一の、これまで同誌に掲載された小説を6篇、未発表のものを1篇、をまとめて『幻アルバム+α』という1冊の本にしました。WebサービスのBCCKS(ブックス)を利用して、5月23日に開催された〈文学フリマ東京36〉に間に合うように制作。まあ、世の中に「見知らぬ一般男性の自主制作小説集」を購入したいneedsがどれだけあるんだろうか? 無謀で孤独な挑戦...それでも「この人が買ってくれた!」という微かな手応えは数回あって、結局〈文フリ〉では一桁の販売数でしたが、引き続きネット上で売っていくことにしました。興味を持ってくださるかた、どうぞよろしくお願い申し上げます。


現在下記のWitchenkare STOREのみで販売中です



『幻アルバム+α』
文庫サイズ/128ページ
定価(本体900円+税)/送料無料

【目次】

005……午後四時の過ごしかた
015……幻アルバム
033……冬の兎 1986
073……きれいごとで語るのは
083……いくつかの嫌なこと
099……銀の鍵、エンジンの音
111……散々な日々とその後日
128……(奥付)





以下、各篇について。

午後四時の過ごしかた

20世紀末、〈僕〉にとって仕事仲間である〈けいちゃん〉は、“そんな調子じゃ一生嫁に行けない”と感じられる存在だった。それから十数年、時とともに人間関係も、おたがいの心のありようも変化して...世田谷、渋谷あたりが話の舞台。【音楽】ルースターズ、レヴェル42、パンチ・ザ・モンキー etc.【恋愛度】☆

幻アルバム

いまはレストランを経営している〈由比野さん〉は、かつてガイドヴォーカルを仕事にしていた。自身のオリジナル・アルバム制作を試みた由比野さんと〈僕〉は、かつて僕の仕事仲間だった名郷根との縁で知り合って...吉祥寺、新宿あたりが話の舞台。【音楽】ガスター・デル・ソル、イアン・カーティス、渡辺香津美 etc.【恋愛度】☆☆☆

★本作は《note版ウィッチンケア文庫》で全文無料公開中!

冬の兎 1986

明日の朝には飛行機で旅立つ〈あゆみさん〉が〈僕〉の部屋で夕食をつくってくれた。食後の雑談で、知り合いや仕事のこと。気持ちが昂ぶって身体を重ねても、互いの距離は埋めがたく、空虚な言葉だけが...ニュー・ジャージー州が話の舞台。【音楽】ブルース・スプリングスティーン、ホイットニー・ヒューストン、ティムバック3 etc.【恋愛度】☆☆
Witchenkare未掲載

きれいごとで語るのは

東日本大震災直前の東京。〈A氏〉に仕返しをしようと思い詰めている〈佐伯〉と〈僕〉は、かつて一緒に暮らしていた。再会して、いつの間にか復讐の計画に組み込まれていると感じた僕の頭の中には、かつてのアイドルが...南新宿、上野あたりが話の舞台。【音楽】レイ ハラカミ、ユニコーン、キャンディーズ etc.【恋愛度】☆☆☆☆

いくつかの嫌なこと

郊外の町に引っ越した〈僕〉に仕事を持ってきたのは、不本意なワケありの女。用件が済んだ後の僕は、数年前に死んだ飯島愛や〈加藤さん〉のことを思い出しながらクリスマスの繁華街を歩く。「ねぇよ」...三軒茶屋や羽田が話の舞台。【音楽】フランク・オーシャン、椎名林檎、たま etc.【恋愛度】☆☆☆

★一部が第13号掲載「パイドパイパーハウスとトニーバンクス」内の引用元

銀の鍵、エンジンの音

海老名SAで再会した〈近松〉はいつの間にか再婚していた。いまは御殿場に住んでいて、夫は国防に関する工業製品の社団法人に勤めているらしい。あいかわらず食欲旺盛な近松とフードコートで向かい合った〈僕〉は、他愛ない世間話を続けて...用賀〜東名高速道路あたりが話の舞台。【音楽】U2、ジャミーラ・ウッズ etc.【恋愛度】☆☆☆☆☆

散々な日々とその後日

シオサイトの風景に戸惑いながらビジネスの辻褄合わせに奔走する〈僕〉は、自身の過去のキャリアを思い返している。いくつもの奇妙な仕事。僕は常に受け身で、流されるままになんとか生き存えてきただけ。でもいまは...新橋や銀座が話の舞台。【音楽】ミック・ジャガー、観月ありさ、TENSAW etc.【恋愛度】☆☆


※ウィッチンケア各種情報のお知らせサイトなのに今回は発行人・多田洋一の話ばかりで失礼致しました。でも、「こんなヤツが編集/発行している誌なのです」ということで...。




表紙写真は、かつてJR代々木駅のすぐそばにあったビルの階段です


2023/05/27

イベント報告と一人出版者(not 社)内在庫について

 ウィッチンケア第13号を正式発行して、そろそろ2か月。今年の桜は早足だった、なんて記憶も彼方となり、気がつけば2023年も半分近く過ぎ去りました。

今号では5月にふたつのブックイベント予定があり、恒例だと5月いっぱいかけて進めていた「寄稿者&寄稿作品紹介」も早めにスタートしました。第1回の荻原魚雷さんから第37回の我妻俊樹さんまで、すでに当サイト(とnote)にアップ済み。週明けにはもうひとつのお知らせと編集後記を、そして6月1日には「ウィッチンケア第13号のまとめ」をアップ予定です。

【イベントのご報告】

5月13日(土曜日)には、下北沢のBONUS TRACKで開催された「BOOK LOVER'S HOLIDAY」に参加しました。小誌を創刊時からお取り扱いくださっている本屋B&Bさんからのお声掛け(感謝!)。




でっ、せっかくの機会だからなにか趣向を凝らして、と考えて寄稿者・すずめ園さんと木村重樹さんに相談。すずめさんが出雲にっきさんと共同主宰している自由律俳句ユニット「ひだりききクラブ」とのコラボで、《1日限りのウィッチンケア+ひだりききクラブ書店》として出店しました。あいにくの雨天でしたが、「ひだりききクラブ」の熱心なファンのおかげもあって、無事終了。



私はこの日、お隣出店のBIBLIOPHILICさんで〈Nine Stories BOOK POUCH LIBERTY PRINT CHECK〉を買ったのですが、これが、便利! 以後愛用しています。


5月21日(日曜日)には、文学フリマ東京36に、仲俣暁生さん、木村重樹さんとの共同主宰で《ウィッチンケア書店》として出店。



入場者数が過去最高(1万1千人越え)の大盛況で、仲俣さんはこの日のための小冊子『その後の仁義なき失われた「文学」を求めて』を、木村さんは新作『mini-Shigeki-ZINE 2023』(とBNの『Shigeki-ZINE [2019]──印刷メディア/と/精神世界/と/サブカル(チャー)をめぐって』『Shigeki-ZINE 2022──70sロック=ギミック/ギャルバン/コスプレ』)を、そして私もBCCKSで新たにつくった小説集『幻アルバム+α』をひっさげて臨みました。





当初より増部させた仲俣さんの作品は好評で、今後は神田神保町の共同書店「PASSAGE by ALL REVIEWS」でも販売、とのこと。木村さんの『Shigeki-ZINE』シリーズも、私はSNS上で木村さんが内容紹介をしつつ「ゔ……そろそろ(あたため続けていた)〝新刊〟企画の卵を孵化させないと!(遅い)」とつぶやいたのを見逃しませんでしたので、遠くない将来に「孵化したもの」として世に現れるものかと存じます。そして拙作『幻アルバム+α』...これについてはもう少し語りたいことがありますので、近日中に!





【第13号の在庫について】

第2号から毎号1000部刷っているWitchenkare(じつは前号、諸般の事情で1110部が完成品)。今号、やや迷いながらも...1000部で印刷会社にオーダーしました。



それで、今号からお取り扱いいただける独立系書店様が増えたこと、取次会社からの追加注文が二度あったこと、等で、現在私の手元にある未出荷の冊数がとても少なくなっています(梱包を解いていないのは20冊のみ)。



一人出版者(not 社)なので体(財)力的に増刷は無理。今後は、現在各書店に出回っている店頭在庫を、いかにして“未来の読者”さまとうまくマッチングさせていくか...いままで経験のない事態に向き合っております。秋口になると取次会社、そして委託販売でお願いしている書店様との精算があり、そこでそれなりの冊数が戻ってくるだろうと予想されますが、いや、できれば戻ってこないでもいい、ぜひ良い読者の元に届いてほしい。旅立ったままでいいんですよ〜。…とにかく、現状では私のところから送り出せる第13号、あと僅かです。

ということで、ウィッチンケア第13号と書店(ネット書店を含む)で遭遇したみなさま、ぜひぜひ、一期一会かもしれないと思って、機を逃さず、温かく、お迎え入れいただければ嬉しく存じます!

ウィッチンケア第13号を手に取れる書店





2023/05/18

VOL.13寄稿者&作品紹介37 我妻俊樹さん

今年の3月29日に初の短歌集『カメラは光ることをやめて触った』(書肆侃々房)を上梓した我妻俊樹さん。版元のサイトには〈わたしがポストニューウェーブ世代でもっとも影響を受けた歌人は我妻俊樹だ。/この歌集を前にして、可能な限り無力な読者として存在してみたかった、と思った。(瀬戸夏子)〉〈心がないものにこそ心があると思うから、こういう歌だけを信じられる。/我妻さんの歌は、無数の蛍が放たれた小さな暗がりのようで、一首の歌がいくつもの呼吸をしている。(平岡直子)〉という、我妻さんより二世代若い歌人からの栞文が掲載されています。書籍の惹句には【我妻俊樹の短歌を初めて集成する待望の第一歌集。/誌上歌集「足の踏み場、象の墓場」から現在までの歌を含んだ唯一無二の686首。】と。たしかに唯一無二だなぁ、と私(発行人)も納得しました。 


...ええと、なんでこんなに長々と歌集にまつわることを書いたかというと、じつは私、歌人・我妻さんのファンにこそ、小誌創刊号から我妻さんがご寄稿くださってきた作品(13篇)を読んでもらいたいな、と個人的に強く感じているから。いずれも小説ではあるのですが、その風合いは、たとえば「竹書房怪談文庫」から発表されているものより、感覚的に短歌に近い。もう、3000~5000字の短歌...群流短歌とか無間地獄短歌とか、そういうものだと捉えてもらえると、却って楽しみやすいと思うからなのです。でっ、そんな我妻さんのウィッチンケア第13号への寄稿作は「北極星」。前号(第12号)に掲載した「雲の動物園」はだいぶ地上に近づいたというか、とっつきやすい作品でしたが、今作は...また天空高く舞いあがってしまった感じ。それも、かなり彼方まで。なにしろ我妻さん自身がTwitterで《いかれた小説》と書いてますから。ええ、思いっ切りいかれてると思います。

歌集に続いて、ぜひ我妻さんのWitchenkare方面の小説群も1冊の本にまとまればいいのに、と思っています。おそらく、すでに7万字近くのテキスト量がストックされているので、『カメラは光ることをやめて触った』に触発された編集関係のかたなど、ぜひぜひ! そして小誌今号読者のみなさまにおかれましては、ぜひ「北極星」の感想など、SNS等でアウトプットしてくだされば嬉しく存じます!


 十三日の金曜日って十四日? ほら貝がぶらさがってる衣装部屋で、すごろくの最初のコマのまねをして燃えている友達がみつかったので、フォルクスワーゲンの助手席にしてみた。いっこうに虫がわく気配がない。虫にもいろいろあるけれど……、銭湯の裏をパーキングエリアだよって騙されたとき、右側から放送されていくミッシング・ガールの表現が、そのままマクドナルドの間取りになって定着しちゃう。チューリップの球根の、片手でわかる軽い意志が埋め込まれた笑顔も、眉を書いて、駅までの地図をていねいに赤く塗っていったら、途中に何度もお葬式がありおおきい花輪が倒れてきて、きみが下敷きになるらしい。痛そうだよ? パンダの顔みたい。働くのは明日からにしよう。働くのは自分を○と×で飾りつけてからにしよう。敵の名前でピザを注文して部屋を留守にすると「じゃんけんのルールが変わった」そうコマドリがおしえてくれる。ドアポストという唇があったな、水玉模様ばかりに見とれていたから、友人代表で枕の上に立ち朗読するにはいいと、煮えた卵を託す。よくゲーセンで膝が出てるカプセルをお守りにしたよね、会いたかった! という嘘は見抜かれて、節足動物の書いたシナリオで撮影は再開されたが、背後から銃口を向けられている気分はどうだ? 灰皿ビキニ。


〜ウィッチンケア第13号掲載〈北極星〉より引用〜


我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品雨傘は雨の生徒〉(第1号)/〈腐葉土の底〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈たたずんだり〉(第3号)/〈裸足の愛〉(第4号)/〈インテリ絶体絶命〉(第5号)/〈イルミネ〉(第6号)/〈宇宙人は存在する〉(第7号)/〈お尻の隠れる音楽〉(第8号)/〈光が歩くと思ったんだもの〉(第9号)/〈みんなの話に出てくる姉妹〉(第10号)/〈猿に見込まれて〉(第11号)/〈雲の動物園〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA


2023/05/17

VOL.13寄稿者&作品紹介36 山本莉会さん

 不穏な表紙ヴィジュアルを装ったウィッチンケア第13号、総ページの終盤になって、なぜか動物の話が続くのです。かとうちあきさんの「おネズミ様や」のバトンを受けた山本莉会さん作品の冒頭は、ネズミの「ちがいます、ぼくじゃありません!」という叫び声で始まって...あっ、私(発行人)、「なぜか」なんてとぼけてますが、もちろん編集者として、ここは繋げてみたかった(種明かしw)。でっ、登場する《かわいいみんな》=動物は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥+ネコで13種(にんげんは除く)。《おだやかでない話》...これが、じつは、なにが起こったのかよくわからない。よーく目を凝らすと、犯人だけは瞭然なのですが、とにかく具体的には語られていない。作者はおそらく十二支にまつわる我が国での言い伝え(民話?)を下敷きにしていると想像できて、だからこの物語における《【はんにん】》として最初に疑われたのは、“ウシの背中から抜け駆けした”とされるネズミだったんだろうし...まあ、その先は読者の想像力にお任せするのが楽しそうです(わたしもあまり深く考えず、目で楽しみました!)。


それでも、作中で気になるのは、なんと言ってもウシの記憶です。《天蒼蒼野茫茫風吹草低見》...平原には放牧された牛や羊...《あの日とまるで正反対》の天気? 《まっしろいかげ》?? ちょっとググってみると、《【はんにん】》らしき動物の代わりに《おだやかでない話》には加わっていない動物が十二支とされている国もあるようだし。2023年の主役は、可愛いなりして、じつはけっこう凶暴なのかも...そういえば前回主役だった年って、あんなことが(そこまで作者が考えていたとは思わない...)。

その他にも、まだまだ謎めいた箇所がいくつもある一篇です。たとえばトリがサルを説くシーン。《ほんとうにあなたはむこうみずなサルですよ。調子に乗ってるといたい目にあうと、モモタロウさんやサンゾーホーシさまに言われていたでしょう。トリの世界では水を知る者は水に溺る、鵜の真似をするトリということわざもあってですね……》...烏じゃないの? とか考えると、ますます山本莉会さんの術中に嵌まりそうで...どうぞみなさま、ぜひ小誌を手に取って、この《おだやかでない話》の真相を突き止めてください!


「おい、まだずいぶんかかりそうだぜ」
 話しかけられたヒツジは、やれやれといった風にメェといった。とはいえ、ウシのハナシがながいのはいつものことだ。ひづめで土を蹴っては被せ、落ち着かない様子のイノシシを尻目に、ヒツジは胃に蓄えていた草をげええっぷと出して、再咀嚼する。げええっぷ、の前に「しつれい」と言うのを欠かさなかったが、それでも露骨に嫌な顔をするどうぶつもいた。なにごとも、気にしてはいけないとヒツジは思っている。群衆は眼中に置かない方が身体の薬、である。
「ちなみにその日、はらっぱにいたのは?」「私と、ヒツジさんと、ウサギちゃんだったと思います。おしゃべりもせず、みんな草に夢中で」「ふうむ、その3人だと、そうでしょうなぁ」。ヒツジは恥ずかしそうに小さくメェといった。

         *

「そういえば、ことしはウサギ年だね」「こんな場でなんだけど、あいさつをききたいなぁ」「わーい、さんせい」。ウサギはびっくりして、ぴょこんとはねてウマのうしろにかくれてしまった。「わ、あいかわらずかわいいや」「ほーんと、見てるだけでいやされるなぁ」。ウサギのしっぽがウマの足もとからのぞいている。

〜ウィッチンケア第13号掲載〈かわいいみんなのおだやかでない話〉より引用〜


山本莉会さん小誌バックナンバー掲載作品:〈ゴーバックアゲイン龍之介〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!


【最新の媒体概要が下記で確認できます】


VOL.13寄稿者&作品紹介35 かとうちあきさん

ウィッチンケア第13号に、語り手「わたし」と同居鼠(!?)との共棲についての一篇を寄稿してくださったかとうちあきさん。前号(第12号)への寄稿作「鼻セレブ」は恋愛、そして政治の気配すら漂っていたのに、今作はすっかり《おネズミ様》イシューでして...まあ、私(発行人)も悩まされた経験があるので他人事とも思えずに拝読致しました。10年前まで住んでいた下北沢の家では、殺鼠剤を置いたら台所でお亡くなりになったお姿を発見して、そのあまりにも切ない死相がトラウマになって「今後はあやめず出ていってもらう方法を考えよう」と決心したものの、いまの家に出没したやつには生やさしい対応過ぎて、ついにエアコンの電気回路を破壊され、なにかのはずみで姿を発見して箒で窓辺に追い詰めたら、ばーんと外に飛び出してそれっきりなんですが...お願いだから、もう戻ってこないで。ネズミは、いにしえの「Tom and Jerry」だけで充分です。浦安のほうに棲んでいるネズミも、あれが可愛く思えたことないし。


 ...それにしても、「わたし」。作品冒頭の《こうした生活の些事の中、わたしの慄きを聞いてくださる、それがおネズミ様だ》という感じで、昨今ニュースで見かける言葉を使うなら、グルーミングされてませんか? いや、もうちょっと症状は深刻で、洗脳されている? いやいや、憑かれているのかも。なんだか一瞬、イザベル・アジャーニの「Possession」なんて映画を思い浮かべちゃったりして心配になりましたが、でもまだ自分とおネズミ様の関係性を冷静に語れているので、大丈夫なのかな。

Twitterや公式サイトを拝見すると、かとうさんの主宰(!?)する「お店のようなもの」でのイベントなども、少しずつ活性化しているようです。「鼻セレブ」のころはアベノマスクに怒っていたりと、コロナ禍のやるせなさが寄稿作から滲んでいましたが、世の中の空気も少しずつ変わってきているし...あっ、でも、今作でも物価高騰にはもの申しているんですよね、語り手の「わたし」が。極私的な事柄を題材にしてもふんわりと社会性を帯びている、そんなかとうさんの作品を、ぜひ小誌を手にして読んでみてください。


「業務スーパーの納豆と豆腐も値上がったんです。重要なたんぱく源だからか、納豆が売り切れのことが多くって、きょうも買えなかったんです」
 塩を使うことは諦め、若干薄味の野菜炒めを肴に缶ビールを呑みながら、お話しする。
「第三のビールの値上がりが激しいから、わたしは本物のビールを一缶だけちびちび呑むって決めたんです」
 おネズミ様は、もうどこにだっていらっしゃる。
「トイレットペーパーの値上がりもヤバいです。これからは大企業のトイレから、一個ずつかっぱらってきたいって思いました」
 トイレに行っても、お話しする。
(やっぱりあと一缶だけ呑んじゃおう)って一階へ降りてゆくと、冷蔵庫の脇のコンセントに刺さった「ネズミ駆除機」が青白い光を放っている。やたら安かったし、これは超音波なんて出さずにただ光ってるだけなんだって、薄々わたしは気づいている。それでも外さない、付けたままにしておく。眠れない夜なんかに、ぼおっと瞬く青白い光を見るのは、無駄に物悲しくて悪くないから。

〜ウィッチンケア第13号掲載〈おネズミ様や〉より引用〜

かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/チキンレース問題〉((第11号)/〈鼻セレブ〉(第12号)

※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!



【最新の媒体概要が下記で確認できます】


VOL.13寄稿者&作品紹介34 東間嶺さん

 前号(第12号)に続き、ウィッチンケア第13号でも戯曲スタイルの一篇を寄稿してくださった東間嶺さん。まず、なによりも長〜いタイトル(口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない)のインパクトが大ですが、この文言、作品の主要“登場”人物である成田悠輔さんへのメッセージというか、成田さんの公式Twitterのプロフィール欄にある「口にしちゃいけないって言われてることは、だいたい正しい」をRemixしたもの。...反論ではないんですよね。成田さんは「〜だいたい正しい」で、本作のタイトルは「だいたい間違っている」ではないから、つまり「アナタ、口を慎みなさい」とは言っているけれども、成田さんの言う「正しい」には不問という、つまりモラリストとしてのアティチュードなのかな。むかし、プロレス好きな私(発行人)の友人が、「プロレスなんて八百長でしょ」と言った後輩に「オマエ、言っていいこととおもしろいことがあるぞ!」と諭していたのを思い出したりしました。


登場人物のなかで自分は誰に近いんだろう、といろいろ考えながら読みました。mmm、《サイゼリヤの店員》以外はどの人も微妙に「ヘンなやつ」に思える。《しかも四十代でABEMAかwwwwやべえwwww》と嘲笑する「乗客D(誤植で《乗客C》になっていました、陳謝1)」もその《wwww》が尋常じゃないし、「乗客B」の《このオッサンABEMAなんて見てんのか》(誤植で《ABEMAんて》...陳謝2)っていうモノローグも、これに対しては寄稿者・谷亜ヒロコさんの名言・「人のテレビの嗜好に意見しちゃダメ」を伝えたいし、さらに《マ、マジすか。モロ箕輪厚介じゃないですか》とテキストを打つ「ライターA」(ここの《ライターA》は太文字表記...陳謝3)の決めつけも、なあ。作者が物語のメリハリを付けるためにエキセントリックな人物をセレクトしているのだとは思いますが……あっ、自分に近しい作内ワードが見つかった。《B層》...。

原稿のやりとりのさい、作者とはDMでいくつか意見交換しました。それで気づいたのですが、私は作中の「ライターA」ほどには成田祐輔さんに悪い感情を持ってはいません。「編集者A」ほどにはオルグもされませんが、コロナ禍の2021年〜2022年のある時期、『Re:Hack(リハック)』はなかなかスリリングなプログラムだったと思っていますし、その後の成田さんの地上波テレビ進出も、見世物として面白かった。この感情は三浦瑠麗さんに対してもだいたい同じでして...時の流れは速くて、最近はもう成田さんも三浦さんもキャンセルされてしまったみたいですけれども、この二人すら登場しない地上波テレビを見ていて、ではいったいどこを見世物的に面白がればいいのか、と。


編集者A(の打つテキスト)
 おいB、あいつ最近大丈夫なのかよ? 工作がとか言って、なんか反ワクチンとかのYouTube動画ばっか観てんじゃないのか? 山本太郎とか支持してないだろうな。
編集者B(の打つテキスト)
 え? いやー? どうなんでしょう、私直(ちょく/原文はルビ)で担当でもないし、把握してないです。 
編集者A (の打つテキスト)
 だいたい、なんだよその成田の安楽死がどうこうって。成田って、あの変な眼鏡のABEMA出てるやつだろ? ○□の。
編集者B(の打つテキスト)
 えーっ? Aさん知らないんですか? ある意味それもやばい気が……。Twitterでめっちゃ叩かれてたじゃないですか。高齢者は集団自決しろ、安楽死の強制がこれからの重要なイシューだって、ヘラヘラ……。
編集者A(の打つテキスト)
 知らねーよ、そんなの。暇かよ、俺は。産休明けテレワークなお前とは違うわけで。Twitterとか見ないし。リンク送ってよ。
編集者B(の打つテキスト)
 えー、どれだっけ、いくつかあるんですけど、NewsPicksでホリエモンと話してるのとか……あ、これこれ、これですね。凄いタイトルだ……。『【成田悠輔×堀江貴文】高齢者は老害化する前に集団切腹すればいい? 成田氏の衝撃発言の真意とは』、『【成田悠輔】永久に語り継がれるであろう成田先生の魅了が詰まった神回【成田悠輔切り抜き/成田祐輔/ GLOBIS知見録/格差/テロ/分断/貧困/若者の貧困問題/エヴァンゲリオン/綾波レイ】』なんかこの種の切り抜きと、テキスト起こししてまとめてる人が沢山いますね。
編集者A(の打つテキスト)
 確かにタイトルやべえな。今観てみるわ。

〜ウィッチンケア第13号掲載〈口にしちゃいけないって言われてることはだいたい口にしちゃいけない〉より引用〜

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品《辺境》の記憶〉(第5号)/〈ウィー・アー・ピーピング〉(第6号)/〈死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)/〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(第10号)/パーフェクト・インファクション──咳をしたら一人〉(第11号)/〈わたしのわたしのわたしの、あなた〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b

【最新の媒体概要が下記で確認できます】


2023/05/16

VOL.13寄稿者&作品紹介33 宮崎智之さん

 前号(第12号)での〈寄稿者&作品紹介〉で触れた、宮崎智之さんのWeb連載『モヤモヤの日々』(晶文社)。昨年8月に書籍化されて、幅広い層の読者に届いています。noteやTwitterでも話題になり、吉本ばななさんが〈すばらしい日々の記録をありがとうございました😍読んでる間幸せでした!〉と宮崎さんに直接コメントしていたり。ページ数約500、厚さ(いま測ってみたら...)3センチ越えの大著なのに、滑らかに流れるような読み心地なのは、やはり宮崎さん特有の文章スキルに裏打ちされているから? ウィッチンケア第13号への寄稿作は、そんな宮崎さんの「書くこと」への思いが凝縮されている作品。じつは、今号では藤森陽子さんも「ライターであること」についての自己検証を綴った作品でして、ご活躍の分野に多少の違いはあれど、お二人の物書きとしてのありようを比べてみるのも、小誌の楽しい読みかたなのだと思います。あっ、宮崎さんは作中で、やはりWitchenkare VOL.13への寄稿者・矢野利裕さんとご自身の「書くこと」へのスタンスの違いについても言及していて、私(発行人)ものんべんだらりんと駄文を重ねていてはいかんのよなぁ、と精神がシャキッとした次第であります。


自分はなぜ「書くこと」を始め、それを続けているのか。作中の前半に印象的な箇所があります。少し長いですが引用すると、《外的動機だけで続けるには、書くという行為は過酷すぎる。これまで書き続けてきた事実とその過程を振り返ってみても、僕は外的動機とは無縁の何かしらの内的な理由があって書いていたと思うほうが自然である》。それに続けて《僕は誰かから求められなかったとしても、文章を書き続けていく可能性があるのだ》(原文ではすべて傍点あり)。世の中にはいろんな「書き手」が存在するので一概には言えませんが、この感覚がわかるかわからないかはかなり重要、と私には思えます。ある人は詩を口ずさみ、ある人は絵を描き...ある人は歌をうたい、楽器を奏で、踊り...ある人にとって、それは走ることだったり、石を削ることかもしれないし。私が好きなのは、そういう人たちが生み出したもの(この「もの」に傍点したい)が多いです。

↑のほうで宮崎さんのエッセイ(随筆)を“滑らかに流れるような読み心地”と書きましたが、その“滑らかさ”の裏側はこのように構築されていたのか、という、ある意味での“種明かし”も……一貫しているのは《僕にとって、書くことは一回性の行為にほかならず、その一点に賭けて書いてきた自覚がある》という「もの書きとしてのスタンス」で、それが矢野さんの書評(宮崎さんの著書『平熱のまま、この世界に熱狂したい』について)への返礼にもなっています。とにかく、これ以上一部分を抽出してなにか申し上げるより、宮崎さんのファンを始め、より多くのかたに全文を通読してもらいたい一篇。ぜひ小誌を手に取って、内容をお確かめください!


 小学生に対して哲学とは何かと説明するとき、「分からないことを増やすこと」と定義すると納得してもらえるという(梶谷真司『考えるとはどういうことか』幻冬舎新書)。実際に、人間は普通、自分が何について分からないのかを分かることができない。分からないことは、認知不可能であるからだ。分からないことの存在に気づいたとき、僕は文章を書く。文章を書くことで、少しでも分かろうとする。最終的に分からなかったとしても、歩行していく。
 この態度には異論が出るかもしれない。しかし、分かったことしか書いてはいけないのであれば、文章を書くという営みは、とても貧しいものになってしまう。何が分からないのかが分かったという理解こそが、空白の紙に文字を埋めていく動力になる。空白の未来を漸進し、積み重ねられた過去との総体に一回性の揺らぎを加えていく。何が分からないのかを分かることができないという人間的欠落に、僕は常に意識を向けている。

〜ウィッチンケア第13号掲載〈書くことについての断章〉より引用〜


宮崎智之さん小誌バックナンバー掲載作品極私的「35歳問題」〉(第9号 & 《note版ウィッチンケア文庫》)/〈CONTINUE〉(第10号)/五月の二週目の日曜日の午後〉(第11号)/オーバー・ビューティフル〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!



【最新の媒体概要が下記で確認できます】



2023/05/11

VOL.13寄稿者&作品紹介32 木村重樹さん

 趣味の良し悪し、みたいな話はなかなかむずかしくて、そもそも「良/悪」よりは「好/嫌」「合/否」くらいで軽く往なしたいところですが、しかし木村重樹さんのウィッチンケア第13号への寄稿作が「アグリーセーター」と「鬼畜系」を扱ったものなのですから、多少は踏み込まないと。たとえばYAHOO! 知恵袋に「半袖のポロシャツを買うならラルフローレンかラコステどっちがいいと思いますか?」という質問があって、回答(5件)は3対2でラルフローレンの勝利。私(発行人)ならラコステだな、できればフララコの、きれいめな色の。ラルフローレンは...とくにビッグポニーのやつはそのむかしテレビで金正男さんが白のそれを着ていた記憶が鮮烈すぎて、私的にはありえない。ちなみに私の友人で明らかに私よりお洒落なTさんは「夏でも半袖はありえない」と。Tさん、スニーカーと野球帽にもダメだししていたので、つまりふだんの私の見映えは、Tさん的にはアグリー。べつに、諧謔でそんな恰好をしているわけではないのですが...。


本作ではアグリーセーターとともに、1990年代半ばに社会現象化していた鬼畜系についても、木村さんなりの現在の視点での見解が述べられていますので、ぜひ小誌を手に取って内容をお確かめください。でっ、このへんの話題は、当時傍観者だった私が分け入るにはかなり深い闇が立ちはだかっていそうで、ちょっと周辺のことを、少し。やっぱり、あのブームとインターネットの普及って、どこか共振していたような気がするのです。「見たい/知りたい」っていう欲望が爆発的に加速して...って書いていて、そもそも「鬼畜系」のことも「1990年代半ばのインターネット状況」のことも、同時代体験のない人々にどう説明したらよいのかわからない問題が。

本作には《偽善や健全や建前、オシャレやモテに関する同調圧力……これら一連の「スカした」風潮に対する(文化系弱者側からの)悪意とあてこすりとしてのエクストリーム志向、そこから「鬼畜系」独特のナイーヴさとリベラリティを見い出し強調するのは、身贔屓が過ぎるのだろうか?》という一文があります。私はこの感じ、わかるんですけれども、でも〈令和のものさし〉で検証されると「迷惑系ユーチューバーとどこが違うんだ?」みたいな話にもなりそうだし。本作文末の《○○○○○》、なのかもしれないなぁ、と私も思います。



 さらにはエクストリーム系ではない方、いわゆる「審美的な趣味判定」に関しても、今日となっては(90年代当時のように)無邪気ではいられなさそうだ。先に悪趣味のショーケースとして「田舎くさいファッション」などと紹介したが、そこには地方生活者を一方的に見下す意図はさらさらない(と、わざわざ付言するのも逆にいやらしいが)。
 要は「趣味の良し悪し」的な議論をやみくもに仕掛けていった際、ともすれば「都市生活者が地方在住者を」「高学歴者が低学歴な者を」「センスエリートが一般大衆を」見下し小馬鹿にするような、シンプルな差別意識=ヘイトの発露につながる怖れは……ないか。
 いにしえの「90年代悪趣味・鬼畜系ブーム」が事後的に回顧された際、その露悪的で無分別で粗野で無配慮な側面がひたすらクローズアップされ、いまどきのコンプライアンス意識との対比込みで、関係者が指弾されるケースが散見された(その際たるものが、東京五輪の音楽担当をめぐる小山田圭吾騒動だった)。
 だが、かつての「悪趣味・鬼畜系ブーム」が炙り出そうとしていたのは、単に無教養だったり洗練されていない庶民や大衆や弱者を嘲笑することよりもむしろ、それらの無洗練に別の価値を見出す試みであり、さらには世間体や体面を気にするあまり、伝統や形式を取り繕ったり、かりそめの意識の高さを標榜してマウントをかますような「いけすかない奴ら」へのカウンター・アクションだったのではなかったか。

〜ウィッチンケア第13号掲載〈アグリーセーター と「本当は優しい鬼畜系」の話〉より引用〜


木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈更新期の〝オルタナ〟〉(第3号)/〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉(第4号)/〈ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感〉(第5号)/〈40年後の〝家出娘たち〟〉(第6号)/〈映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]〉(第7号)/〈瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」〉(第8号)/〈古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)/〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(第10号)/生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉(第11号)/〈2021年「まぼろし博覧会」への旅──鵜野義嗣、青山正明、村崎百郎〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA



VOL.13寄稿者&作品紹介31 藤森陽子さん

 前号掲載作(第12号)では、おはぎとあんこの名店を紹介しつつ、この四半世紀の「男女のありよう」の変化についてご自身の実体験をもとに記してくださった藤森陽子さん。ウィッチンケア第13号への寄稿作「梅は聞いたか」の前半では、なんとも優雅で風流な《お香の会》に参加したさいの、記憶にまつわる素敵なエピソードが披露されています。風流とは無縁の私(発行人)──たとえば稀に懐石料理の会などにお呼ばれすると「これおいしいですね」と口では言いつつ心中では「腹減ってんだから定食みたいに全部いっぺんに持ってこい〜」と思っている──ですが、本作での《白檀の香木》からたゆたう白い煙を聞いて過去の記憶が甦るくだりは、とってもリアルに共感できました(ちなみに「香」の世界ではにおいを「嗅ぐ」じゃなく「聞く」んだそうで、これは初めて知った!)。でっ、おおオレもやっと風流がわかるようになったか、と喜びながら本作後半を読み進めると...あることに気づきました。もちろん《お香の会》自体も風流なんだけれども、それに参加した藤森さんがものした文章が秀でているから、オレも風流な気分になれたのだ、と。


《定点観測と咀嚼の人生》という言葉に、藤森さんのライターとしての矜持を感じました。今号、偶然にも、この後に紹介文を書く宮崎智之さんの寄稿作も「書くこと」についての一篇。藤森さんと宮崎さんの2作を比べて読むと、それぞれのスタンスが浮かび上がってきて興味深いです。でっ、藤森さんの場合、もちろんこれはさまざまな経験を経たうえでの境地だと思うんですが、《雑誌ライターという仕事を長く続けていると、つくづく自分の立場は「永遠の素人」だと思う》。同意です。いまは雑誌が取材先と読者の媒介たり得ているのか(それはもうネットが主流ではないのか)という問題はあるにしても、専門誌以外のライターは素人イズムを持っていたほうがいいな、と。

本作、前半と後半にどんな繋がりがあるんだ? と思う人がいるかもしれませんが、たとえばこんな読みかたをしてみてはいかがでしょう。前半は藤森さんのライターとしてのスキルのお披露目。後半はそのメイキング、と。...私も短くもなく「なんでも系」ライター稼業を続けてきて、「素人だから気づく」みたいな体験を何度かしてきました。終盤で藤森さんが映画「新聞記者」からの《「Believe and doubt yourself morethan anyone else(誰よりも自分を信じ疑え)」》を引用しているのも...ほんと、これを心に刻んだうえでのトーシロであるべきだなぁ、と。



 何がしかの世界で活躍する人に会いに行き、話を聞くには当然ながら失礼のないよう予習が必要で、下調べをしてコツコツ基礎知識を詰め込む。かといって詳しくなり過ぎてもインタビューが成功する訳ではないのだが、どちらにしてもその程度の知識量など、日々その道で情報を更新し続ける現場の人から見ればちょっと事情に詳しい素人に過ぎないのだ。
 ならば、せめて聞き手としてのプロでありたいと思う。女優やモデルがプロの美人であり、アスリートがプロの筋肉であるならば、自分は「プロの素人」でありたいと思うのだ。いい大人がいつまでも傍観者でいいのだろうか、天気のいい日に一日中パソコンを眺めて座り続けていると、もっと外に出て人助けの一つもした方がいいんじゃないかなどと思うこともしばしばだが、結局この仕事を続けているのは、おそらくまだもう少し取材をしていたいからなのだと思う。

〜ウィッチンケア第13号掲載「梅は聞いたか」より引用〜

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品:〈茶道楽の日々〉(第Ⅰ号)/〈接客芸が見たいんです。〉(第2号)/〈4つあったら。〉(第3号)/〈観察者は何を思う〉(第4号)/〈欲望という名のあれやこれや〉(第5号)/〈バクが夢みた。〉(第6号)/〈小僧さんに会いに〉(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)/〈らせんの彼方へ〉(第10号)上書きセンチメンタル〉(第11号)/〈おはぎとあんことジェンダーフリー


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA


2023/05/10

VOL.13寄稿者&作品紹介30 矢野利裕さん

昨年12月に矢野利裕さんが上梓した『学校するからだ』(晶文社)。私も各所で評判を目にしていますが、ロングセラー化、そして、さらなる展開を予感させる1冊となっています。矢野さんは先月10日&17日には、SPOTIFYオリジナルのポッドキャスト番組・小泉今日子さんの「ホントのコイズミさん」に出演。教師になった動機にドラマ「GTO」があったこと、DJとして小泉さんとは誰か1人を介すと近しい人間関係だったこと、「走れメロス」の解釈の違いなど、話が弾んでいました。ネット上で見られる、小泉今日子さんとのツーショットでは、矢野さんの満面の笑顔が印象的。小泉さんからは『学校するからだ』をドラマ化してもおもしろいのでは、と言われたとのこと。Witchenkareの寄稿者では、たとえば朝井麻由美さんの『ソロ活女子のススメ』がドラマ化されて現在シリーズ3が好評放映中だし、矢野さんの同書での視点を活かした新しい学園ドラマなどできたら、きっと共感を呼ぶものになりそうです。


 そんな矢野さんのウィッチンケア第13号への寄稿作は、時間的に『学校するからだ』に収めきれなかった逸話を扱った、「3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして」。合唱コンクールの後日談、そして《お世話になっていた国語の先輩教員》について語られています。『学校するからだ』を読んだかたにはぜひこちらも読んでいただきたいし、また小誌で矢野さんのテキストに触れたかたには、ぜひ本家本元の同書に遡ってもらいたい、と強く思います。

VOL.13の巻末にある〈参加者のVOICE〉には、矢野さんからの《この場を借りて、本誌に御礼申し上げます》との言葉が。矢野さんは第7号からの寄稿者で、私はいつも「なんでも好きなことを書いてください」とお願いしていただけ。そんなちゃらんぽらんな依頼をきちんと引き受けてくださった矢野さんの中で、「学校」というテーマが芽生え、しっかりした編集者のもと大きく育ち1冊の本になったこと。こちらこそ「御礼申し上げます」でございます。きっかけ...「実験台」というか「着火点」というか、なにかそういうものに小誌がなれたこと、発行人として嬉しい限り!


 午後、そんな僕のもとへ同僚から一報が。
「1年〇組がグランプリを獲った!」
 グランプリというのは、高校/中学の全クラスのなかでもっともすぐれた合唱を披露したクラスに与えられる賞です。どうやら、この栄えある賞に3年クラスと1年クラスの2クラスがダブル受賞したとのことです。これまで3年生以外のクラスがグランプリを獲ったことはありません。それどころか、過去には「該当なし」という生徒にとって大ブーイングの結果が出たこともありました。それだけに3年クラスに加えて1年クラスがグランプリを獲ったことはたいへんな快挙なのです。
 この一報とともに送られてきた1年〇組の合唱の動画を見てみると、自分でも驚くくらい感動してしまい、ぽろぽろと涙が出てきました。というのも、この動画のなかで歌っているのは、昨年まで担任を請け負っていた生徒たちだったからです。
 彼らの学年は、1年生の合唱コンクールこそ経験したもののその直後の新型コロナウイルスの流行によって活動は大幅制限、以後、在学中に合唱コンクールをすることはありませんでした。


〜ウィッチンケア第13号掲載「3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして」より引用〜


矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)〉(第7号)/〈先生するからだ論〉(第8号)/〈学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち〉(第9号)/〈本当に分からなかったです。──発達障害と国語教育をめぐって〉(第10号)/〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉(第11号)/〈時代遅れの自意識〉第12号


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA


VOL.13寄稿者&作品紹介29 ふくだりょうこさん

 某SNSを拝見していると、とにかく最近のふくだりょうこさんはお忙しそう。仕事絡みのエントリーではとくにインタビューやライヴレポートのものが多くて、その顔ぶれがまた、煌びやかなこと。今年になってだけでも、最近はNHK大河ドラマくらいしかリアルタイムに見ていない私にも〈顔と名前と役〉が一致する人が続々と出てきて、びっくり。松山ケンイチ(「どうする家康」の本多正信!...っていうか「平清盛」の清盛!!)、山本耕史(「鎌倉殿の13人」のメフィラス三浦義村!...っていうか「新選組!」の鬼の副長!! )、山田裕貴(「どうする家康」の本多忠勝! )と間宮祥太朗(「麒麟がくる」の明智左馬助!)...ええと、基本的にインタビュアーは黒子ではありますが、これらの記事にはふくださんのスタッフ・クレジットが入っているので紹介させていただきました。他にもあの人とかあの人とか、すご〜い! 今度サインもらってきて(嘘、でも発行人はけっこうミーハーw)。


そんなふくださんは文芸誌「Sugomori」を主宰し、プライベートではまろんさん(兎)の世話も怠らず、そしてWitchenkareには第10号から掌編小説をご寄稿し続けてくれて...前作「死なない選択をした僕」は近未来が舞台でしたが、今作はお葬式という、ちょっとセンシティヴな物語設定。昨今のPCな風潮では取り扱いがむずかしいテーマではあるものの、でもだからこそ、人間の心の動きを率直に記した本作は意味のあるものだと私は思いました。祖母の死に立ち会っている主人公の「私」。冒頭からしばらくは祖母の介護〜葬儀にまつわる母親と父親のスタンスの違いが描かれており、こう言っちゃなんですが、祖母が長寿だったこと、家族にとってはあまり喜ばしいことではなかったとわかります。キツい状況。

後半の「私」と妹との会話も、どちらが優しくてどちらがドライ(冷たい、ではないような...)なのか微妙な展開。器量(←とりあえずルッキズムのことは置いておいて)のことで、祖母目線では二人の間に贔屓差があったようなことも語られていて、いやあ、年寄りに「考えかたを変えろ」と若い人が言ったって、年寄りにすると自分の来し方を否定しされているようでなかなか受け入れられない...このことは、私自身が年寄りになったので痛感しています。なかなか、ねぇ。「うるせえ、オレはいままでこうやって生きてきたんだ!」...反省します。あっ、なんか愚痴みたいになってきたので、とにかくみなさま、本作を読んでいろいろ、それぞれ、の立場で思いを馳せてみてください。


「お姉ちゃんは、どういう気持ち?」
 じっと私を見つめる妹。適当な返しが許されない気がして、椅子に背中を預けて考える。自分の気持ちを言語化するのは思いのほか、ためらわれた。
「腹が立つ、かな」
「怒るんじゃないんだ」
「さんざんひどいことをしてきたくせに。せめて、苦しみながら死ねばよかったのに。あんなに朗らかな顔して死ぬとか許せない」
 自然と声が小さくなる。ここで言うべき言葉ではないことぐらい、私にもわかっている。少しばかり、うしろめたさを感じながら隣を見る。妹の表情からは何も読み取れない。
「ごめん、引いた?」
「ううん。お姉ちゃんは優しいなあ、と思った。ちゃんと、おばあちゃんが死んだことに感情がある。私は何も感じない」
「何も?」
「強いて言うなら、せいせいした。うるさかったから。あたしがやることなすことにうるさかったから。女らしくいろ、なんて、くそくらえだよ。そう。くそくらえ」


〜ウィッチンケア第13号掲載「この後はお好きにどうぞ」より引用〜

ふくだりょうこさん小誌バックナンバー掲載作品舌を溶かす〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫》)/知りたがりの恋人〉(第11号)/〈死なない選択をした僕〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

VOL.13寄稿者&作品紹介28 清水伸宏さん

清水伸宏さんは〈擦れ違い小説〉の名手なのではないか、と今号への寄稿作「アンインストール」を拝読して私(発行人)は思いました。前号(第12号)に掲載した「つながりの先には」でも、インターネット時代ならではのすれ違いが物語の基盤にあったし、今作にもLINEとか、《こんなページを立ち上げてしま》ったり(どのSNSだろう?)とか、いろいろ2020年代ならではの舞台装置が登場しますが、しかしよく読むと描かれているのは人間同士の〈擦れ違い〉でして。もし清水さんが昭和の時代を描いたら、たとえば「僕が待ち合わせ時間を間違えて、○○と銀座ソニービルの前で会えなくて、公衆電話は行列で」みたいな設定での擦れ違いを描く!? それはともかく、〈僕と君はほんとうにわかり合えていたのかな?〉はいつの時代でも胸熱のテーマです。今作はとくに切なさ全開で、もしドラマ化したら主役の「僕」は誰が適役だろう、なんて想像してしまいました。ジャニーズ系だったら、草彅剛? いや、大森南朋とかもいいかも。あっ、でも《35歳会社員》という設定なので歳がいき過ぎてるし...松坂桃李なんてどうだろう。


 「僕」の妻が失踪。困った僕はネット上にページを立ち上げて万人からのアドバイスを求めます(でもアクセスはしばらくゼロ)。《やっぱ男ですかね。それともなにか事件に巻き込まれたとか……。マジ不安です》《なんか、一方的に離婚を通告されたみたいで不気味です》などと心境を告白したりもします。書き込みが増えるにつれ、「僕」が自分の知りうる限りの「妻の居場所」を、懸命に訪ね歩いていることもわかってきます。冗談めかした書きかただけれども、これは、かなり必死。やがて、《奥さんは家出して10日目に何事もなかったような顔をして帰ってきた》という経験を持つ《山Pさん》が、コメントをくれたりもするのですが...。

探し歩けば歩くほど、自分の知らなかった妻の姿が浮かび上がってくる。記憶を辿れば辿るほど、いままで気にもしていなかった妻の「何気ないひとこと」の真意がわかってくる。いまは令和5年。さすがに「メシ、風呂、寝る」「うちの愚妻が」「家庭に仕事とセックスは持ち込まない主義」といった類いの“昭和の遺物”男性は絶滅したと思いますが、それでも〈僕と君はほんとうにわかり合えていたのかな?〉は...だってあたりまえですが、配偶者はもっとも身近で生活している〈他者〉なんだし。


 さっき妻の実家に電話を入れましたけど、電話に出た義母はもろ孫待ちしている態度で、妻の家出のことなど何も知らないのがバレバレだったので、すぐに電話を切っちゃいました。
 妻の両親には、入籍の際に開いた両家の食事会以来会っていません。お盆と年末年始は、僕は大宮、妻は名古屋、とそれぞれの実家に別々に里帰りしました。二人して両方に行くとお金もかかるし、休みが全部潰れてしまいますからね。
 電話を切ると、LINEのショートカットに新着マークがついているのに気づいてすぐにタップしました。でも妻ではなく学生時代の友達からで、都内で行われる飲み会の誘いでした。学生時代や本社勤務時代の友人とは今でもつき合いがあり、二か月に一度くらいは都内で遊んでいます。そんな時は大宮の実家に泊まりますが、そういや僕の留守中に妻は何をしてたのかな。いけませんよね、どんどん物事を悪い方向に考えてしまう。
 妻が出て行って6日目です。今日もLINEに既読はつきませんでした。

〜ウィッチンケア第13号掲載「アンインストール」より引用〜

清水伸宏さん小誌バックナンバー掲載作品:〈定年退職のご挨拶(最終稿)(第11号)/〈つながりの先には(第12号)

※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!



【最新の媒体概要が下記で確認できます】


2023/05/09

VOL.13寄稿者&作品紹介27 柴那典さん

柴那典さんの前号(ウィッチンケア第12号)への寄稿作、タイトルの「6G呪術飛蝗」からは読み取り切れませんが、最新テクノロジーのもとでの戦争のありようにも言及した、かなり先鋭的な内容でした。でっ、ちょうどお原稿が私(発行人)のもとに届いたころ、ロシアがウクライナへの侵攻開始。作中にはドローン兵器、さらに人間を兵器の端末として使用するような話も出てきて、そういえばつい数日前、私たちはクレムリンへのドローン攻撃を見てしまったし、その後ロシア内のGPS(全地球測位システム)に異変が起きていたり。真相はまだ闇ですが、とにかく私にとって、柴さんはある種の予言者的存在なのです。ご自身はWitchenkareへの寄稿作を「怪文書っぽいかも」なんて仰っていましたが、根も葉もない出自のテキストとは、とても思えず〜。そして、今号への寄稿作。お預かりした時点(2月中旬)では、作中のかなりの尺を要して紹介されている映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、巷ではまだそこまで話題になってはいませんでしたが、WItchenkare VOL.13がそろそろ校了となる3月12日、同作が第95回アカデミー賞において、作品賞、監督賞、主演女優賞など7部門を受賞、というニュースが。また、当たってる!


 私はまだ『エブエブ』を観れてないんですが、柴さんには監督・ダニエルズが同作に込めた思いが、ストンと腑に落ちたのだと想像します。《これはクィアに関する物語。そして選択と受容にまつわる物語》、と柴さん。...思い出すのは、終了してしまったTBSラジオ「たまむすび」での、赤江珠緒さんと町山智浩さんの会話です。たしか、「町山さ〜ん、『エブエブ』観ました。とっても感動しました」「それはよかった」「でも、事前に町山さんからあれこれ聞いてなかったら、変な映画、で終わってたかもしれない」「(笑)」...みたいな。

もうひとつ、今号への寄稿作を初読のさい、私はごくナチュラルに拝読しておりました。7割がた読み進めて、「えっ!? そうなの!」...ここでは秘しておきますが、いかにも柴さんらしいことを。さて、そんな楽しいギミックも織り込んだ本作に一貫した共通性を持たせている一節は、おそらく《「人間て、ほんとに量子的な存在だね」》。この「量子的な存在」を、読者のみなさまがどんな意味合いで受容するのか、発行人として興味津々です。ぜひ小誌を手に取って、内容をお確かめください。


「『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』の脚本を執筆するということは、冷たく、無関心な宇宙に対しての、愚かな祈りでした。それは、すべての矛盾を調整し、最も大きな問いを理解し、人類の最も愚かで、最も冒涜的な部分に意味を吹き込むという夢でした」
 ダニエルズはこう語る。
 僕は試写会でこの作品を観た。荒唐無稽なマルチバースのカンフーアクション映画だから、ほとんどの人は「面白かった」とか「わけがわからない」という感想を持つんじゃないかと思う。でも僕は心の深いところに刺さってしまって、途中からずっと泣きながら観ていた。間違いなくここ数年で一番の映画体験だった。
 余韻はしばらく続いた。すすり上げながら交差点をわたって、とんかつ屋に入って、タオルハンカチで涙を拭いながらロースとんかつ定食を食べた。

〜ウィッチンケア第13号掲載「ベーグルとロースとんかつ」より引用〜

柴那典さん小誌バックナンバー掲載作品不機嫌なアリと横たわるシカ〉(第9号)/〈ブギー・バックの呪い〉(第10号&《note版ウィッチンケア文庫)/ターミナル/ストリーム〉(第11号)/〈6G呪術飛蝗〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA


VOL.13寄稿者&作品紹介26 仲俣暁生さん

 ウィッチンケア第13号が正式発行となった2023年4月1日の翌日、仲俣暁生さんは美学校での〈【オープン講座】『ビートルズ 創造の多面体』刊行記念トーク〉に登壇していまして、私はアマゾンでの売り上げ順位などを気にしつつ、けっきょく最初から最後までオンライン参加してしまいました。予定では〈13:00〜17:00 ※延長の可能性あり〉とされていて、きっと延長になるだろうなと思っていたら...NHK大河「どうする家康」が始まる直前まで。音楽話はいいなぁ、とあらためて思いました。同時に、ビートルズは恵まれている、とも。みんなで話せてその内容もある程度、それなりの多数にもわかるから。そのむかし取材した時代小説研究者が「ほんとうは○○○○が好きなんだけど司馬遼太郎のときしか呼ばれない」とボヤいていたのを思い出したりして。


そんな仲俣さんの今号への寄稿作は「ホワイト・アルバム」。後期ビートルズの、「これが一番」という人も少なからずいるものの、まあ、まとまりの悪いアナログ盤2枚組のアルバム名(通称)ですが...しかし本作の内容は、仲俣さんの個人的な音楽クロニクル。ご自身にとっての音楽体験、音楽感を象徴するものとして、あの真っ白なジャケットの1作をタイトルにしたのだと推察します。ちなみに私も持っていまして、通しNO.はA088827、どれか1曲と言われたら「Dear Prudence」。

作中、仲俣さんはかなり率直に音楽の好み、もっとはっきり言っちゃうと「好き嫌い」を明言していて、その中には私の好きなグループが「大嫌い」と書かれていたり、その逆もあったり。いや〜、久々にスッキリした音楽話(テキスト)が聞けて(読めて)気分爽快でした。近頃は「いいとこを褒め合う」みたいなのがお利口なコミュニケーション術みたいですが、べつに「好き」「嫌い」を表明した後にだって、相手と楽しく音楽話、できるもの。むしろ、同じ○○○を好きな人と話をしていて、その「好きになりかたの違い」に自分が先に気づいた場合のほうがたいへんだし、それこそ高度なコミュニケーション・スキルが必要になったりして...。


 ビートルズの話をいちばん長く、深くすることができた友だちは、二十歳の頃に同じ編プロでアルバイトをしていた、二歳年長の文学青年Nくんだ。彼は法政の学生で、人生についていろんなことを知っていた。きつい仕事の後(まさにハード・デイズ・ナイト!)に飲む酒もいろいろ教わったし、ガールフレンドと同棲していた成増のアパートにもよくお邪魔をした。
 ソロ活動以後のジョン・レノンの凄さをようやく理解しはじめたのがこの頃で、彼と付き合いがあった数年間は毎年、12月8日には『ジョンの魂』を聴く習慣ができた。私にとってのジョン・レノン至上主義時代のはじまりだった。
 同じ頃、高校時代にはそれほどつきあいのなかった同級生のキムラと卒業後に急速に親しくなり、一緒にバンドをすることになった。私は相変わらずギターが下手だったのですぐにクビになったが、「ヤー・ブルース」なんかをやったと思う。そうそう、たぶんそのために台湾製の安いエピフォン・カジノを買ったのだった。

〜ウィッチンケア第13号掲載「ホワイト・アルバム」より引用〜




※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!



【最新の媒体概要が下記で確認できます】



VOL.13寄稿者&作品紹介25 久保憲司さん

現在、東京・世田谷区奧沢にある「VIVA Strange Boutique」にて、ロック・フォトグラファーのクボケンさん、こと久保憲司さんの写真展が開催中です。同店の告知インスタに名前が挙がっているミュージシャンは、Jesus & Marychain、Primal Scream、My Bloody Valentain、Stone Roses、Psychic TV、Terry Hall、Suicide、SPK、Jazz Butcher。さて、いまここを読んでくださっているみなさまは、いくつご存じなのでしょうか。ジザメリとかプライマルとかマイブラとか、「鳥井賀句vs増井修」とか「テンプルの豫言」とか「元スペシャルズ」とか「バワリー315番地」とか「インダストリアル・ノイズ系」とか「コンスピラシー」とか(...あまり詳しくないかたには呪文みたいでスイマセン)。会期は5月20日までなので、まだのかたはぜひ奧沢へGo、です。そして、そんな久保さんのウィッチンケア第13号への寄稿作は「余命13年」。作品冒頭に《余命13年である。本当は10年なのだがこの雑誌が13号ということで、13とした》とありまして...お気遣いありがとうございます!


作品の前半では村上春樹と村上龍についても語られています。Witchenkare VOL.13は2023年4月1日、ひそかに正式発行しましたが、同月13日(「13」だったのか!)には春樹氏の「街とその不確かな壁」が発売になり、ちょうどその時期、私(発行人)は書店営業の真っ最中だったのですが、その売られ方がバブル末期の福袋のようでびっくり。でっ、じつは同時期に龍氏の「ユーチューバー」もそれなりに店頭のよい場所を占めていて、こちらは、なによりそのタイトルにびっくり(まだ読んでいません)。作中では、春樹氏については《「俺、村上春樹好きちゃうねん」》、龍氏については...久保さん、一時期はかなり読み込んでいたのだなぁ、という印象を受けました。とくに「愛と幻想のファシズム」での経済にまつわるあたりとか。

作品後半には平清盛や弥助(織田信長に仕えた黒人侍)も登場して、ある意味かなりシュールな展開。しかし私、この混乱具合は体感的にわかるなぁ。でっ、ここで「Confusion will be my epitaph/混乱こそ我が墓碑銘」を持ち出すのはロック的にとてもベタですが、しかしいつの間にか自分がもう還暦、みたいな事実に直面すると、「これからは○○したい」みたいな未来への願望より、本作のタイトルである「余命」...もう少し具体的に言うと「健康寿命」みたいなものが気になって、そりゃ混乱しますよ。でも、混乱するのはまだ「気が若いから」かも?


村上龍が『愛と幻想のファシズム』で予想したようなハイパー・インフレなんか起こらない。あのバカはフロートをやめて、ハイパー・インフレになって、日本が崩壊する未来を予想した。エッセイでは、「日本はプラザ合意で、近代化を果たした」と書いていた。経済のことが全然分かっていない。フロートって何やねんと思ったけど、ダーティ・フロート、為替介入のことだろう。プラザ合意で日本とドイツは、アメリカが「俺らのアメ車が売れなくなるから、ダーティ・フロート(為替介入して自国通過安)にするな」と言ってきた、ドイツは「知らんがな」と答え、日本だけ本当にダーティ・フロートをやめて、それで日本だけがデフレになった。そして、世界中にドイツの車が増えた。今は先進国ではダーティ・フロートをどこもやっていない。みんなで「インフレ率2%くらいになるまではお金を刷ってもいいですよと」と協調しているのだ。
 日本がハイパー・インフレになると騒ぐ財務省や同省のポチの経済学者やマスコミは、もう30年も予想を外している。村上龍も、酒飲み友達のアホの官僚に寝言を聞かされたのだろう。

〜ウィッチンケア第13号掲載「余命13年」より引用〜


久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品僕と川崎さん(第3号)/川崎さんとカムジャタン(第4号)/デモごっこ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/スキゾマニア〉(第6号)/80 Eighties(第7号)いいね。(第8号)/〈耳鳴り〉(第9号)/〈平成は戦争がなかった〉(第10号)/電報〉(第11号)/〈マスク〉(第12号)


※ウィッチンケア第13号は下記のリアル&ネット書店でお求めください!

https://note.com/yoichijerry/n/n51bd3f9f975b


【最新の媒体概要が下記で確認できます】

https://bit.ly/3oA27zA



Vol.14 Coming! 20240401

自分の写真
yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare