iTunesを短くもなく使っているといろいろな変化に気づくものでたとえばいつのまにかデヴィッド・ボウイがオルタナティヴみたいなジャンルのタグづけになっていた時期があって私は「ボウイはグラムだろう」とか1人ツッコミながらめんどくさいのでほとんど「Rock」「Jazz」みたいにざっくり振り分けています(Bill Brufordはどっち?)。しかし、そもそもロックそのものがオルタナだったんじゃ...いつのまにかロックのなかにオルタナが派生しそのオルタナって冠もあまり意味をなさなくなり...なんか似た響きの連想ゲーム。カウンターカルチャー、サブカル、反体制、インディーズ...あっ、過日とある大手出版社の文芸誌編集者から「そもそもこの世の中では文芸誌自体が全部インディーズです」と言われたことを思い出した。ごもっともですがちょっと寅さん気分。それを言っちゃあおしまいよw。
西荻ブックマークのイベントでは進行役としてお世話になった木村重樹さん。編集者/ライターとしてだけでなく現在は大学の先生としても活躍中です。つい先日もパスタとピザで世相放談会を開いたのですが、腰痛の具合はいかがですか? そういえば寄稿作品には私は最初「オルタナの賞味期限」なんて勝手な煽り仮タイトルをつけていましたっけ。ほんとうは「私が通り過ぎていった“お店”たち ○○編」みたいな構想があったのかもしれず、鶴見済さんと木村さんの対談を拝見して私が思いついたことにぎっちりした考察ありがとうございました。私は最近はある事象に対して所謂オルタナ的なスタンスを探るよりも、いかに丸呑みするかに興味が沸いています。
「更新期の〝オルタナ〟」は自身もレイヴカルチャーに新しい可能性を見出していた(と推察...)木村さんが、あのできごとも含めて振り返った作品。そういえば上記の連想ゲームで列記した言葉はどれも、あまりよい風合いを出せずにくたびれてきたジーンズみたいで(それらに「インディーズ」が入っていることは自覚していてw)、すでに「オルタナ」も仲間入りでしょうか? 木村重樹さん!
それに近い心境として、こんなことを思います。「311以降のこの国で、わたしたちが再び(何の不安も心配もなく)自然の中で集い・踊れる日は果たして来るのだろうか?」と(〝この国〟と言っても、広いようで狭く、狭いようで広いことは、十分承知の上で……)。
もうひとつには、その正面突破ではない「オルタナ」独特の柔軟なアプローチ……たとえばそれは、DiYカルチャーにせよ、新しい社会運動や市民運動にせよ、地域通貨から贈与経済まで、それらの今日的な意義や将来的な可能性に最大限のエールを送ってあげたいのと同時に、「果たしてそれら〝だけ〟で必要十分なのかしら?」という心配も(こういうモヤモヤしたご時世だと)なかなか払拭できません。
とりわけ、先の大震災や原発事故のようなスケールの大きすぎる……ほとんど地球史規模のトラブルに遭遇して以降、「オルタナ」の〝しなやかさ〟は時として〝生ぬるさ〟や〝心許なさ〟に通じないのか、といった懸念をつい抱いてしまいがちなのです。
Witchenkare vol.3「更新期の〝オルタナ〟」(P154〜P163)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508
Vol.14 Coming! 20240401
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