2016/05/29

vol.7寄稿者&作品紹介36 仲俣暁生さん

仲俣さんの寄稿作は、ぜひ前号掲載作「1985年のセンチメンタルジャーニー」とセットで読んでほしいのですが、今号で初めて小誌を手にした(知った)という方のためにも、少しおさらい。前号では仲俣さんが30年前に訪れた金沢の思い出とともに、<去年(2015年)の3月に東京〜金沢間が開通した北陸新幹線に対する複雑な思い>、さらに、祖父の出身地・長野県の旧牟礼村(現在は上水内郡飯綱町)にまつわる事柄が語られていました。

今作では仲俣さんが牟礼に足を踏み入れます。じつは30年前の金沢旅行のさい、信越本線のエル特急「白山」で通過したことはあったが、下車するのは初めて。かつての信越本線は北陸新幹線の開通に伴い<妙高高原から北が「えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン」、南が「しなの鉄道・北しなの線」という第三セクターに格下げされ>ていまして...作内の仲俣さんもこのネーミングには引っ掛かっていますが、しかしなんで「トキめき」なんて言葉? はいネットで調べました。「トキ」はときめきと36年ぶりに自然界でひなが誕生したトキをかけてあるんですね。発足時、社長は「全国発信力があり、ロマン、明るさ、元気をアピールする地域の個性や思いを感じさせる名称」(上越タイムス/2012年6月22日)とコメント...目眩がしてきた。

長野駅で北しなの線に乗り換えようとしたが妙高高原駅行きの列車は倒木の影響で遅延、それでもなんとか牟礼駅に到着して、ええもう、せっかく信州なんだから蕎麦でも食べて、コーヒーの一杯でも飲みながら地図を拡げて(タブレットやスマホでもいいけど)、という気持ちになりますよね。しかし仲俣さんの故郷は手強かった! このあたりから「いいづな歴史ふれあい館」に到着するまでのくだりは、ぜひ本篇でお確かめください〜。

旅で見たもの、感じたことを、仲俣さんは新たに入手した資料、以前から所蔵していた文献などと照らし合わせ、まるでミステリーの謎を解くように頭の中で整理していきます。親戚筋にあたる(と推察する)仲俣理亮という人物が土地の発展に尽力し、1888年に牟礼駅は設置された。鉄道という交通手段の歴史と絡めて故郷の現在を考察する終盤は、個人の体験が普遍性へと繋がるようで...もしかするとこのような経緯が「トキめき鉄道」なんてキラキラネームが発想される遠因なのかも、とも私は思ってしまいました!



 それでもこの黒川という集落一帯が、どうやら我が郷里らしいことはわかった。祖父はこの村で生まれ、鳥居川のせせらぎで遊び、飯縄山や戸隠山を毎日見上げながら育ったのか。「来るのが遅くなりました」と、心のなかで詫びる。まったくの思いつきではあったが、思い切って来てみてよかった。
 そうこうするうちに目的地の「いいづな歴史ふれあい館」に到着。ここでも客は私一人、貸し切り状態である。30分後にまた来てくれとタクシーの運転手に頼み、中に入る。
 郷土資料の展示は予想していたより面白く、なかでも江戸時代の北国街道・牟礼宿の一日の様子を人形劇風にした「ジオラマシアター」が楽しい。加賀百万石のお膝元・金沢と江戸の中間地点、どちらからも60里の距離にある牟礼村が栄えていた、旧きよき時代の情景を、ユーモラスな劇仕立てで教えてくれる。ここならいつか子どもを、いや孫を連れて来てもいい。
 じつは一つだけ、牟礼への来訪には目的があった。旧牟礼村の「村史」を手にとって見たかったのだ。父親が若い頃、中学教師として赴任していた伊豆七島・御蔵島の「村史」をあるとき古本屋で手に入れた。教員時代の父親の名を「村史」のなかに見つけて以来、次は牟礼の村史を手に入れたいと願っていた。しかしネットで調べると値段が8000円もする(なんと上下巻なのだ!)。不見転で買うのはさすがにためらわれた。

ウィッチンケア第7号<夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記>(P200〜P205)より引用(※原文のルビは略しました!)
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作
父という謎」(第3号)/「国破れて」(第4号)/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」(第5号)/「1985年のセンチメンタルジャーニー」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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