2014/09/02

「半開き編集会議」のさらに半開きレポート

8月29日、荻窪6次元にて開催した「ウィッチンケア」半開き編集会議。おかげさまで多くの方がご参加くださり、充実した集いとなりました。

当初はオープニング鼎談を小一時間。その後は少しリラックスした雰囲気でもう1時間ほどのイベントに、との予定でしたが、けっきょく私が「本日はありがとうございました」と挨拶を終えたのが開始3時間後の22:30。その後も多くの方が残ってくださり、在町田の私は後ろ髪を引かれつつ終電に遅れないよう会場をあとに。

いやあ、小誌についてこんなに喋ったのは初めてです。「これは語ろう」と自身で事前に考えていたことだけでなく、中野さん仲俣さんがこじ開けてくれたおかげで「私の閉じていた諸々」も漏れ出してしまいまして(それは頑固さだったり尊大さだったり脆さだったり下衆さだったり/もっといろいろありますが)...はい、本懐を遂げられました。

週末、記録された3時間の音源を聞き直しました。リアルタイムではきちんと答えられなかった、あるいは発言者の本意を受け止め損ねた部分も少なからずあって失礼致しました。そしてなにより申し訳ないのは、発行人主宰の編集会議と銘打ってながら、鼎談開始7〜8分にして発行人・多田洋一の半公開人生相談のような様相を帯び...総体としては風通しよく前向きなイベントでした(そう信じたい!)が、私が辣腕仕切り人として会議をバリバリ、ではなく、皆様からのアドバイスによって道が拓かれていく、という展開でございました。あの場に居合わせた全員に感謝致します!

以下、会議のトピックをいくつか記します。「半開き」でしたので、さらにその半分(1/4)くらいの〝濃度〟...チラ見せかな?


撮影:東間嶺

日 時:2014年8月29日(金曜日)午後7時30分開始(午後7時開場)
会 場:6次元(ロクジゲン) http://www.6jigen.com
登壇者:中野純(体験作家)
    仲俣暁生(フリー編集者、文筆家)
    多田洋一(「ウィッチンケア」発行人)

《オープニングの鼎談》

・発行人は「ウィッチンケア」という本自体が「場」と考えているし(小誌最大のパーティは誌面)、掲載作も「○○特集」といった連帯性を求めるものではないので、個々の作品が粒立てばよいのだ、と思ってきた。しかし、たとえば第5号には約40名の人が関わっているのに、誌面以外での人的交流がないのはもったいなく、より開かれた媒体を目指したくて中野さん、仲俣さん、6次元・ナカムラクニオさんのお知恵を借り、「半開き」での本会議開催となりました(多田)。

・「半開き」というのは私が第5号に寄稿した「自宅ミュージアムのすゝめ」にも関連した言葉。無理してフルオープンにはせず、躙口(にじりぐち)から茶室に入るような、覗いてもいいのかな、というもやもやさがおもしろい関係性をつくる。ウィッチンケアについては「閉じっぱなし」という印象を持っていた(中野さん)。

・中野さんの主宰する「少女まんが館」にはマガジン航の取材西牟田靖さんとともに行った。今回「半開きで」と相談を受け、6次元で開催すればその雰囲気にぴったりだと思った。多田さんがナカムラさんと会って話がとんとんと進んだことで、役割は果たせたかも(笑)。ウィッチンケアについては、私は最初から誌名がKitchenwareのアナグラムだとわかったけれど、でも「暗号みたいな名前だし、どうやって売っていくつもりだ? 閉じたいのか!?」と思った(仲俣さん)。

指摘された「閉じている」に対し、多田が「開かれたものをつくっているつもり」と弁明。「いままでにない雑誌にしたかったので造語の誌名にした」「グーグルの時代に創刊したので検索で正確にヒットする名前にしたかった。でも最初はレーズンウィッチばかり引っ掛かった」等々。その後、なぜ創刊号のロゴを表紙右下に配したか、意味不明の誌名を付けてどんな不都合があったか、も。さらに話は多田がフリーランスになるまでの経緯にまでおよびご両人から「80年代にいた女性のような生き方」とも(褒め言葉!?)。

・輸入盤のレーベル・コンピレーションのような雑誌を、と思って創刊しました。小誌で出会った作品がきっかけとなり、寄稿者の作品がより幅広い方に読まれるようになれば、と。...しかし、私はかつて輸入盤専門店に行ってクレジットや人名を頼りに未知の音楽と出会うことが楽しかったですが、いまの時代にそれはどうなのか、という不安がつねに(多田)。

・その発想はわかるし、私もかつてテレヴィジョンのレコードを買いにいって、間違えてテレヴィジョン・パーソナリティーズを買ったこともあって、それはそれで間違いでも新しい発見で楽しかった。でも正直、いまどきそれをやるか? とも(仲俣さん)。

・創刊号は「自分のつくりたいようにつくって売ることは後から考えた」、つまり〝できちゃった創刊〟。最初は小誌を「乗り物」、もう少し具体的にはレンタカーのミニバンのように思っていたけれど、それが第2号ではマイクロバスへ、さらに第3号あたりからは乗り物ではなく「駅」のように思えてきました。そして第5号制作時には、駅から「鉄道会社」のように(「あまちゃん」の北三陸鉄道を見ていて!?)。なんか、いまの小誌の「メディアとしての機能」(except コンテンツ)は高尾山のケーブルカー……京王線・高尾山口とは繋がっている……くらいのように思っていて、これを東急世田谷線……京王線・下高井戸、小田急線・豪徳寺、田園都市線・三軒茶屋と繋がっていて新宿へでも渋谷へでも、さらにその気なら外国までも行ける……を目指したいな、と。これ、たまたま私の土地勘のある場所でのたとえですけど、わかりにくいですよね(多田)。

中野さん、仲俣さんとも最大限の部分的理解を示してくださいましたが、でも「そのたとえでは全部はわからない」と。さらに「ヴィークルにたとえても駅にたとえても発行人として解決できない問題があるので、いまは2両編成だけどどこかチャーミングな東急世田谷線のような電車を運営したく」と多田は頑張ってみたが、どうも「たとえかたそのもの」に弱さが。その後、話題は現在最新号の第5号、そして次号へと。

・コンピレーションという点で、第5号の「1作品4000字前後」というのは4分の曲を聴いているようで完成度が高い。しかし創刊号の(本としての)薄さ、6作品だが神田ぱんさんの「ネットワークの思い出」で始まりネットを題材とした「チャイムは誰が」で終わる構成は、2010年に紙の媒体でなにをやるのか納得のいくものだった。この2つのあり方を、第6号ではどう反映させるのか(中野さん)。

《参加者とともに》

※ここでは発行人にとって耳の痛かった意見も含めてランダムにいくつか。 「誌面になんのコンセプトも書いていないので、発行人の色や観点は出ているようだが意味がわからない」「仕事ではポジティヴさを求められるのでマイナスのことも書きたい」「ブログでは生活感が出てしまう」「文学的韜晦(!?)」「なぜ私に寄稿依頼したのですか?」「二重労働とは!」「寄稿依頼方法は人によって違うのですか?」「ウィッチンケアを嫌いで、口にしたくもないという人がいる」等々...そのすべてにありがとうございます。

※そして、この際だから聞いてみたかった、発行人としてではなく寄稿者としての多田洋一についても。 「書き手としてそんなに強い意志があるとは初めて知った(音楽好きかと思っていた!?)」「発行人が書いているのはいい」「もっと書いて有名になれば?」「文章はうまい」「作品になにかたりない」「木を森の中に隠す役割をさせられている?」「(悪い意味で)悪じゃないし、調子はずれじゃない」等々...そのすべてにありがとうございます(噛みしめています!!)。

《ふたたび、中野さん仲俣さんと》

会議終盤となり、私は「短くもなく生きてきてこんなに語ってもらったり励まされたりしたことはないんじゃないか」と思っていました(今日は霽れ、明日からまた褻)。すぐ近くにビールとおつまみがあったものの「ここは頑張らねば」とけっきょく烏龍茶コップ2杯だけ。上記諸々以外に私が語ったのは。

・毎号「これが最後」と思ってつくり、さらにつくる理由を見つけて次号に取り組んでいます。〝暖簾〟の継続性/継続力には意味があると思うが、しかしルーティン/踏襲すること、は「それでいいのか?」とも。

・小誌は○○、とわかりにくいたとえ話もしたが、でも小誌のキモは「強いコンテンツ」だと思っています。小誌に作品を掲載することが不発弾になるのか、時限爆弾になるのか、あるいはもっとほかのもの(当日言わなかったが「種」がいちばんしっくり、かも)になるのか。いずれにしても、ウィッチンケアはコンテンツです。しかし、ここまで毎号右肩上がり(ver.up)を、との思いで厚くなってきましたが、このままいくとクロネコメールの送料が倍に...。

・私は掲載作品がもっと広く語られるようになれば、と思っています。個々の作品はすでに文字で「語り切った」もので、それを作者が「つまりこういうことを言いたい作品です」とは言いにくいかな〜、とも思うのですが。これはもっと私が「より語りやすい環境づくり」を頑張らねばいかん問題。

・今回素晴らしい時間と空間を提供してくださった6次元さん、ナカムラさんに改めて感謝致します。そして素敵な写真を撮ってくれた東間嶺さんにも、感謝!

最後に、拙い主宰者を強力にサポートしてくださった中野さん、仲俣さんの印象深い言葉を!

・雑誌の読者は信じてもいいと思う。私も「あの記事読んでました」とずいぶん経ってから言われたことが何度かあるが、基本的に読者はまず自分の知ってる人のものを読み、知らない人のものは読んでも「おもしろかった」などと公言しない。ウィッチンケアが「作品と未知の読者との出会いの場」を目指すなら、どこでどう会わせるのか、仕組みをさらに考えるべき。それと、文芸を名乗っているのなら、文芸に対する生真面目な信頼感を持って、もっともっと小説や文学に切り込んでほしい。戦ってほしい。特集もインタビューもなく「自分の責任で書いたもの」だけを掲載した紙媒体は、いまはないのだから(仲俣さん)。

・最近はメディアがどんどん報道化していて(くだらない報道も溢れていて)、私にも「報道性のある文章」を求められることがある。そんな世の中でウィッチンケアは不思議な本だ。こびがなく、報道性もなく、年1冊という緩い時間で流れていて、内容も提案もキャッチーじゃない。そして、ちょっとかわいい。そんなメディアでないと出会えない文章を大事にしてほしい。私は第5号に掲載された三浦恵美子さんの作品が好きだが、あのような文章を成立させていることが愛おしい。そして、多田さんはもっと俺、俺、でいいんじゃないの(中野さん)。

<文責・多田洋一>

Vol.14 Coming! 20240401

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