2019/05/05

vol.10寄稿者&作品紹介05 柴那典さん

一昨年の年末にSpotifyの無料会員になったけれど、いまだに「気になった音楽はCDかダウンロードで買って聞く」という習慣から抜けられない私にとって、柴那典さんのネット記事はいつも刺激的です。たとえば昨年8月にReal Soundに掲載された〈Spotifyの“ディスカバープレイリスト”から見えてくるものは? 柴那典が「My Summer Rewind」含め検証してみた〉の最初のほうには「そもそも、レコードやCD、ダウンロードで音楽を入手するときには、「聴く」というのは「買う」ことの後にあるというのが前提だ」という一文があり、それまさに私なんですけれどなにか? と思いつつ読み進めると、ストリーミングサービスのユーザーは「いつも聴いている音楽が、必ずしも「自分でいいと思って、価値があると思って、選んだ曲」ではないというのが日常になっていく」と続き、なるほど! 音楽体験のスタイルが変わるのか、と納得。やっと「オレが散財して集めた音楽が月1000円で聞き放題なんてずるい」みたいな旧式のこだわりから解放されたりするのでした(でもまだ、その世界に踏み込めずにいるのだけれど...)。

そんな柴さんが小説スタイルで描いた近未来が、今号への寄稿作〈ブギー・バックの呪い〉。2020年11月1日の渋谷を舞台に物語は始まります。「夜が明けてもハロウィンは終わらなかった。誰もがおかしいことに気付いていたが、止められる人はどこにもいなかった」...難解な文章ではありませんが、虚実と時空が交錯し、最新のトピックや固有名詞が散りばめられて展開する5部構成のストーリーは、不思議な夢を見ているように感じられる人もいるかなぁ。じっさい私は夢見心地でして、原稿やりとりのさい、柴さんに「こういう感じに理解したんですけれど、間違っていませんか?(野暮で恥ずかしい...)」と確認した箇所も少なくなく、それに対して柴さんが丁寧に「こういう立て付けになっています」と説明してくださいまして、そのときに思ったのは、上記の音楽の話と似た感覚...つまりストリーミングサービスを体感していれば自然に(しかもリアルに)伝わる、みたいな世界観を持った物語なのに、オレって旧式だなあ、ということ(あっ、それで、ちょっと謎解き的なことを書くと、たとえば小沢健二の「流動体について」「きっと魔法のトンネルの先」といった歌が好きだと、作品の展開にすっと溶け込めそうですよ)。

本作には「リアリティーはリアルを侵食する」「フィクションが代替現実に侵食される」「リアルとフェイクがマーブル模様に入り混じった麻薬のように甘いお菓子の虜になっている」といった表現が頻出します。そして2020年の東京オリンピック後には「ブギー・バックの呪いがハロウィンの夜の渋谷に発動して」「ハレとケの境界が溶け、死と生が裏返り、百鬼夜行がそこに現出」...みなさま、あと1年とちょっと先、柴さんがどんな“現実”を描いたのか、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 誰よりも先にそのことを知っていたのは秋元康だった。
 80年代のフジテレビでも、00年代の秋葉原でも、2020年の東京に起こった惨劇も、彼の仕掛けの根っこにあるものは変わらなかった。
「そのほうがきっと面白いから」
 それが彼の行動原理だった。
 アイドルの本質は背中合わせに重なり合う虚と実を等価にしてその差異を無効化することにある。ほとんどのファンは、騙されたふりをしてその嘘に乗ることを楽しんでいる。そのほうが面白いから。
「私たちだって、そんなことはわかっていたの」
 フンボルトペンギンのフルルは言う。「クリエイティブとは上手な嘘をつくことだからね」と、先生が優しくフォローする。

ウィッチンケア第10号〈ブギー・バックの呪い〉(P026〜P033)より引用

柴那典さん小誌バックナンバー掲載作品
不機嫌なアリと横たわるシカ〉(第9号)

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Vol.14 Coming! 20240401

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