2017/05/30

vol.8寄稿者&作品紹介32 仲俣暁生さん

つい先日SNSの「友達」とポップ文学の話題になり、1990年代前半〜中頃、一部書店でその範疇に括られていたのが村上龍、村上春樹、高橋源一郎、山田詠美、吉本ばなな等だったことを思い出しました。いまの視点だと〝一部書店でその範疇に括られていた〟どころじゃなく、本屋さんの文芸書のど真ん中だ、と感じながら最近あまり聞かない<ポップ文学>という言葉、それに関連して、1990年代中頃以降に聞いた<J文学>という言葉について調べていたら...突き当たったのは仲俣暁生さんの「文学:ポスト・ムラカミの日本文学 カルチャー・スタディーズ」という本でした。さっそく入手しましたが、発行は奇しくもちょうど15年前(2002年5月31日)!! 私がぼんやり把握していた系譜や流れが、ほぼリアルタイムで丁寧に解析されており、目から鱗が束になって飛散...同時に、「極西文学論―West way to the world」(2004年)に続く仲俣さんの文芸評論を、ぜひ読んでみたくなりました。

仲俣さんの今号への寄稿作は、ご自身が少年時代に出会った本について、いまの視点で回想したエッセイ...というより「随筆」と表現したほうが似合いそうな風合い(美しい佇まい)の一篇です。図書館や学童保育で読んだ『義経記』、<みなもと太郎の『レ・ミゼラブル』>(潮出版社の「希望の友」に掲載)の思い出は、当時のときめきが伝わってくるよう。マンガ雑誌は<近所の子ども>や床屋を介して読んでいた、とのことで...私は、少年マガジンだけは親に買ってもらってたかな。「巨人の星」が読みたかったはずなんだけど、すぐに「あしたのジョー」が始まってそっちに夢中になったかも(後年、自分内の梶原一騎濃度の高さに愕然)。

作中に登場する<K子おば>さまを羨ましく感じました。小誌第5号への寄稿作「ダイアリーとライブラリーのあいだに」にも登場した、社会科の教諭をなさっていたかた。<K子おば>さまのように素敵な本を奨めてくれる存在、私にはいなくて、むしろ、親がある日、家にセールスにきた「子ども世界文学全集」(TBSブリタニカ?)みたいな何十冊かの本をど〜んと買っちゃって部屋に並べられて、それが負担(読みたくない)で、ぽつぽつと「自らが読む本」を独力で探していた記憶なんかも甦ってしまいました。

作品の後半は、40年ぶりに読み返した『とぶ船』について。<ヒルダ・ルイスが書いた数少ない子ども向け作品><彼女がすすめてくれた本で、とりわけ好きだった>(※彼女、とは<K子おば>さま)と紹介されています。すっかり内容を忘れてしまっていた仲俣さんが、再読して気がついたこととは? 物語の懐深い解釈とともに、同書には<K子おば>さまとの思い出が色濃く重なっている様子が伝わってきました。詳しくはぜひ小誌を手にとって、ご一読ください!



 両親とも教員だったせいで、マンガ雑誌を買うことは禁じられていた(そもそも近所に本屋がないのだから、買いたいとも思わなかった)。マガジンとサンデーは、近所の子どもに回覧してもらって読んだ。ジャンプは床屋で読んだ。あとは暗くなるまで外で遊び(野球、石蹴り、ザリガニ釣り)、家に戻ったらご飯を食べて寝る。そんな毎日だった。家で「読書」をした記憶はまったくない。いちばんの「愛読書」はH・A・レイの『星座を見つけよう』。これを片手に夜になると外に出かけ、たっぷりとあった空き地の草むらに寝転んで、夜空の星座をみるのが好きだった。物語は本の中ではなく、天上にあった。

ウィッチンケア第8号「忘れてしまっていたこと」(P196〜P199)より引用
https://goo.gl/kzPJpT

仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品
父という謎」(第3号)/「国破れて」(第4号)/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」(第5号)/「1985年のセンチメンタルジャーニー」(第6号)/<夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記>(第7号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.14 Coming! 20240401

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