2018/05/02

vol.9寄稿者&作品紹介02 柴那典さん

音楽ジャーナリストの柴那典さんとは、昨年9月に下北沢の本屋B&Bでおこなわれた<「戦後日本の都市型ポップスとファッション、その向こう側にあったアメリカ」 『渋谷音楽図鑑』刊行記念>というイベントでお目にかかりました。当日登壇したのは、柴さんの他に牧村憲一さん、藤井丈司さん、柳瀬博一さん、高野寛さん(...このメンバーの話だけで長々と語りたくなりますが、そこは自粛)。とにかく同書は渋谷のレコード屋さん「シスコ」の袋が猫だった頃からあの一帯をうろついていた私にとって、宝物のような1冊。編集/執筆を手がけた柴さんの話をぜひ生で伺いたいと思い、出かけたのでした。

イベント以前にも、柴さんの著書は読んでいました。「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」と「ヒットの崩壊」。中学時代から音楽雑誌ばかり読んでいた私は、たとえば勝手に<アニキ>のような存在として中村とうようさん、渋谷陽一さん〜高橋健太郎さんや萩原健太さん等に至る文章に親しんできまして、その後も同世代の書き手、もう少し若い書き手のお世話になりながら音楽を追っかけてきたわけなんですが...2010年あたりからかな、なんとなく音楽情報は雑誌よりネット経由が増えてしまっていた。「CDは売れない」「いまはライブ体験が主体」みたいな論調が、主流になっていたような気がしますが、私は根っからの「再生できる音源が自分ちにあればいい」派なので、ちょっと世の流れが見えずブルーになっていまして、そんななかで、柴さんの書くものは次の時代を指し示していると感じられたのです。

寄稿作の「不機嫌なアリと横たわるシカ」は、不思議な味わいの一篇です。「音楽ジャーナリスト・柴那典さんがなにか書いてる」という関心だけで読むと、ちょっと時空の何処かに連れていかれたまんまになってしまう、かも? 小説のようでもあり、エッセイのようでもあって、音楽、とくにポップス的な要素は周到に省かれていて...。しかし私は最初にお原稿を受け取って、柴さんの執筆活動の背景を覗えたようで嬉しかったです。というのも、昨年2月に読んだ田中宗一郎さんとの長い長い対談(とくに半ば以降)がとてもおもしろかったし、個人ブログ(日々の音色とことば)でも、音楽に限らない事象に対して言及しているし。かつて音楽雑誌ばかり読んでいた私は、<アニキ>たちから音楽情報だけを受け取っていたのではなく、世の中の捉え方も教わっていたよな、と。そんな感覚が甦ったのです。

作品内に頻出する「ご機嫌の国」と「不機嫌の国」とは? 小誌今号は平成最後の年、というこの時代の空気感を反映した作品が多いのですが、柴さんの作品における立ち位置(観点)は、近年よく使われる<分断>という言葉の先を見通すヒントが含まれているようにも感じられました。<「生き残る」って何だろう>という語り部である<私>のひとことは、個人的にはとくに印象的。ぜひ多くの方が、この一篇の過去と未来を彷徨っているような魅力を共有してくだされば、と願います。



「好きなことで生きていく」
 そんなキャッチコピーもあった。あれから十数年が経ち、かつて人工知能がどうだとか言いながら自信満々のコンサルタントが予言していたように、多くの雇用と仕事がなくなっていった。その一方で、雑談や実況のように、かつては暇つぶしと思われていたようなことで稼いでいる人も珍しくはなくなった。
 そういう人は、たいていが「ご機嫌の国」に住んでいた。笑顔で、楽しそうに日々を過ごしていた。ゲームで遊んだり、企業から届いた新商品のガジェットを紹介したり、話題の美味しいお店にスイーツを食べに行ったり。しかし、あの人や周囲にいる人たちを見ているうちに気付いた。ご機嫌の国に住んでいる人たちは、好きなことをして、遊ぶように暮らしているからご機嫌なのではない。そうでないと「生き残れない」のだ。
 ご機嫌の国の住人たちは、とても注意深い。スマートに、笑顔を絶やさずに、暮らしている。自分自身の欲望は慎重にコントロールして抑制している。そうしないと悪意に絡め取られる。写真一枚、数秒の動画、たった一言の言葉がそのきっかけになる。

ウィッチンケア第9号「不機嫌なアリと横たわるシカ」(P010〜P016)より引用
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Vol.9 Coming! 20180401

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