2016/12/31

第8号、そして書籍版<ウィッチンケア文庫>も

東京は好天の年末ですが、私はまさかの風邪っ引き。昨日の午後は熱にうなされすっかり寝込んでました。いやあ、一昨日の夕方、上町〜経堂を薄着のまま徒歩ショートカットしたのが発熱のトリガー? ちゃんと世田谷線二駅、小田急線一駅を温かく移動すればこんなことにならなかったかも。

宮坂のたこ焼き屋さんから肉のおざわに向かって吹き晒しの道を歩きながらそういえばむかしこのへんで三谷幸喜とすれ違ったっけ、なんてことを思い出しました。私が「あっ、三谷幸喜だ」みたいな目を向けたら「『あっ、三谷幸喜だ』みたいな目でオレを見るんじゃねぇよ」みたいな目で見返されましたが...もし今年だったら「真田丸おもしろかったです!」と声かけたかったです。

さて、ウィッチンケア第8号。来年も4月1日に発行します。新たな寄稿者も数名加わり、さらにヴァージョン・アップした内容になるはずですので、みなさまどうぞ御期待ください!

そしてVUといえば、来年(明日からじゃん...)は現在noteを媒体としている<ウィッチンケア文庫>も、より多彩になります。ネットver.に加えて単行本(と電子書籍)ver.も。1人出版者(not社)の私には無理かと思われた展開ですが、近年『かなわない』(植本一子著)『はたらかないで、たらふく食べたい  「生の負債」からの解放宣言』(栗原康著)といった話題の本を出版しているタバブックスさんからお声がかかり実現することとなりました。

2017年1月27日、長谷川町蔵さんの『あたしたちの未来はきっと』と久保憲司さんの『スキゾマニア』が2冊同時刊行。


どちらも小誌BNへの掲載作が礎ですが、さらなる書き下ろし/大幅加筆修正が施され、掲載時とはまったく違った印象の本になるはずです!

...というわけで、取り急ぎ年末のご報告。まずは風邪をしっかり治し、録り溜めた「真田丸」の総集編や読みかけの本とともに穏やかな正月を過ごします。みなさまも、どうぞよい新年を。そして来年のウィッチンケアに注目してください!

2016/06/01

ウィッチンケア第7号のまとめ

Witchenkare vol.7(ウィッチンケア第7号)
★寄稿者38名(37篇)の書き下ろし作品を掲載した文芸創作誌

発行日:2016年4月1日
出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー)
A5判:218ページ/定価 1,000円(+税)
ISBN: 978-4-86538-047-7 C0095 ¥1000E

http://www.facebook.com/Witchenkare
https://twitter.com/Witchenkare


CONTENTS
004……武田 徹「寄る辺なさ」の確認
010……長谷川町蔵New You
018……インベカヲリ★目撃する他者
022……矢野利裕詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)
028……ナカムラクニオ大六野礼子断片小説 La littérature fragmentaire
036……姫乃たまそば屋の平吉
042……柳瀬博一国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と
048……朝井麻由美無駄。
052……武田砂鉄クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー
058……太田 豊日々から日々へ
068……野村佑香物語のヒツヨウ
074……木村重樹映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]
078……オオクボキイチまばゆい光の向こうにあるもの
088……中野 純金の骨とナイトスキップ
094……三浦恵美子草木の身体感覚について
098……多田洋一午後四時の過ごしかた
104……古川美穂夢見る菊蔵の昼と夜
110……かとうちあき似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは
116……我妻俊樹宇宙人は存在する
122……久禮亮太鈴木さんのこと
128……美馬亜貴子MとNの間
134……木原 正ビートルソングスは発明か?
138……出門みずよ白金台天神坂奇譚
144……東間 嶺死んでいないわたしは(が)今日も他人
150……吉田亮人写真家の存在
154……小川たまか夜明けに見る星、その行方
158……辻本 力健康と耳栓と音楽
162……友田 聡独楽の軸からの眺め
166……西牟田 靖30年後の謝罪
172……藤森陽子小僧さんに会いに
176……大西寿男長柄橋の奇跡
180……荒木優太宮本百合子「雲母片」小論
184……谷亜ヒロコ夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜
188……円堂都司昭『オペラ座の怪人』の仮面舞踏会
194……久保憲司80 Eighties
200……仲俣暁生夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記
208……開沼 博ゼロ年代に見てきた風景 パート3
214……参加者のプロフィール

※下記URLをクリックすると、小誌の内容がダイジェストで読めます。
http://witchenkare.blogspot.jp/2016/03/blog-post_20.html
※発売前後関係者etc.のTwitterまとめ
http://togetter.com/li/960345

写真:徳吉久
アートディレクション:吉永昌生
校正:大西寿男
編集/発行:多田洋一
取次:株式会社JRC(人文・社会科学書流通センター)
http://www.jrc-book.com/list/yoichijerry.html

※小誌は全国の主要書店でお取り扱い可能/お買い求めいただけます(見つからない場合は上記ISBNナンバーでお問い合わせください)。
★【書店関係の皆様へ】ウィッチンケアは(株)JRCを介して全国の書店での取り扱い可能。最新号だけでなくBNも下記URLのPDF書類で注文できます。
http://www.jrc-book.com/order%20seet/yoichi/yoichijerry.pdf
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※BNも含めamazonでも発売中!
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2016/05/31

アルバムって覚えてる?(第7号編集後記)

まる1ヶ月かけて「カモメの7号」37篇の掲載作品を紹介し終えました。第6号のときは<おまけ>のノベライズを書きましたが、今号では<つかみ>で先手打っちゃったし...まあ、ふつうに。

今晩は港区赤坂にある双子のライオン堂さんにてイベントがあります。店主の竹田信弥さんは小誌に理解を示してくださり、ありがたい限り。対談するのは人と本屋のインタビュー誌『HAB』編集人/H.A.Bookstoreの松井祐輔さんで、最新号を読んでいたら、小誌2〜3号の頃一緒に書店まわりをしてくださったツバメ出版流通・川人さんが登場してびっくり! 世の中は広いようだがどこかでどこかがどこかと繋がってできている。そして私は久禮亮太さんの寄稿作紹介でも書いたように長らく「ダム近辺」に棲息していたので、お話が伺えることとっても楽しみです!

5/31(火)19:30〜『Witchenkare』×『HAB』<リアル編集後記2>
http://liondo.jp/?p=857

多くの新しい書店さんとの取り扱いが始まったり、これまでお取り扱いいただいてきたお店の方ともあらためていろいろなお話ができた、第7号であります(現在進行形!)。おかげさまで拙宅の在庫も残り少なく...いまのペースでより多くの方の手に届くこと、発行人として強く願います。

年初にデヴィッド・ボウイが★になり、そろそろ今年も寄稿作紹介を、という頃に今度はプリンスが。悲しいですが、しかしオレんちの壁面の少なくないスペースを占めている作品はstill matterです。

昨年のグラミー賞「最優秀アルバム賞」でプレゼンターだったプリンスは、壇上で「Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter/アルバムって皆覚えてるかい? アルバムはまだ大事だ。本とか黒人の命と同じようにアルバムって重要なんだよ」とスピーチしたとか(http://goo.gl/ADwWicより)。

発行人は小誌をプリンスが言っているような意味での<アルバム>だと思っています。2016年の春に、寄稿者38名と写真家の徳吉久さん、デザイナーの吉永昌生さん、校正/組版の大西寿男さんと一緒に、紙のメディアとしてつくったアルバム(誌)。掲載作ひとつひとつは独立性/拡張性が高いのでコンピレーション・アルバムに近いですが、それでもたんなる「寄せ集め」ではなく、各々が新たな方向性を探ってみるような、チャレンジングな一篇を書き下ろし、それらを編集してこのかたちにまとめたもの。

明日、<第7号のまとめ>をアップ予定です。紹介文内の私の戯言はともかく、ぜひ各寄稿作の引用部分を、多くの方に読んでいただきたいです。そして「カモメの7号」をぜひ書店で手にとって...買って読んでくださいね!


2016/05/30

vol.7寄稿者&作品紹介37 開沼博さん

小誌今号のしんがりは開沼博さんに勤めていただきました。寄稿作は「ゼロ年代に〜」のパート3。初めて寄稿していただいたさいはまだ「アラテン(around 2010)」でちょっと前の話のような気がしていましたが、次回東京オリンピックが射程に入った感もある今年からすると、遠くはないが近いとも言えない。タマちゃん、ベッカム様、ちょいモテオヤジ、鈍感力...<失われた20年>なんて言い方からもずいぶんはみ出してきちゃったし。

今作には、ある意味でゼロ年代をもっとも象徴するような企業の逸話も登場します。<失われ>ているはずなのに<いざなみ景気>と名付けられた、小渕総理が急死してから自民党が野党に転落するあたりまでの時代。開沼さんはパート1(第5号)で予言的なことを書いていまして、ちょっと長いけど引用しますと...<いわゆる論壇の中で「ゼロ年代」と言えば、少なからぬ人が東浩紀さんや宇野常寛さん、濱野智史さんらが中心となって作品を生み出してきた情報社会論・コンテンツ論系の議論を思い浮かべるだろう。あるいは、歴史認識論争の末期や9・11からイラク戦争に向かう流れ、小泉政治や北朝鮮問題といった断続的に起こってきた個別の議論を上げる人もいるかもしれない>。そして、それを受けて<しかし、おそらく、そうではない「ゼロ年代」があるのではないかと私は思っている>と。

今作にも開沼さんが実際に見てきた、この時代の煌めいた(しかし歪んでいる!?)風景が描写されていますが、それだけではなく、パート1で漠然と感じていた<そうではない「ゼロ年代」>の気配が、具体的な言葉で考察され始めています。これも1からの引用ですが、<その後に既にやってきている現代を詳細に読み解く鍵が眠っているのではないかと感じている>と直感で捉えていたものの正体を、露わにし始めているような。

じつは今作での、最初の原稿やりとりで、私の能力では開沼さんの意図を読み切れない箇所がありました。P212の下段の<理念やイメージを表面的に語る既得権益者の欺瞞を告発し、リアリズムと対峙する中に、社会の閉塞感の解消が模索される>。もう少し詳しく、とお願いしてその前段に<「反戦」でも「弱者を守れ」でもいい。>との一文を追加していただけたので、読み解く鍵はさらに1行前の<「現代らしさ」が淡々と進んでいった>だと判断して理解した(したはず?)のですが...<淡々と進んでいった>ものごとに自身を最適化した人々が、いまの社会で働き盛りの世代にいるんだな。開沼さんのこの考察を、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと願っています!



(前略〜)合理性と成果主義、個人の利害の最大化を皆が目指すことの何が悪いのか。それこそが社会の進展にもつながる。そんな上気した感覚があった。それは、リーマン・ショック以降も通奏低音のように続き様々な形で社会を規定していった。いまにも続く何かなのかもしれない。
 小泉純一郎が大衆的な支持を保ちながら5年5か月の総理大臣を務め上げたのが2006年。赤木智弘さんが2007年1月の月刊「論座」に寄稿した〝「丸山眞男」をひっぱたきたい──31歳、フリーター。希望は、戦争。〟が話題になり、ロスジェネ論壇と呼ばれるムーブメントが起こる一方、2008年には橋下徹が38歳で大阪府知事になり活動をはじめる。それら、あるいはその影にあった様々な新しい社会現象を「ネオリベ」「ポピュリズム」というありものの言葉で語ることは、確かに正しいのだが、その先に待っていた「現代らしさ」が淡々と進んでいったのも確かだった。「反戦」でも「弱者を守れ」でもいい。理念やイメージを表面的に語る既得権益者の欺瞞を告発し、リアリズムと対峙する中に、社会の閉塞感の解消が模索される。

ウィッチンケア第7号「ゼロ年代に見てきた風景 パート3」(P208〜P212)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
開沼博さん小誌バックナンバー掲載作
ゼロ年代に見てきた風景 パート1」(第5号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2016/05/29

vol.7寄稿者&作品紹介36 仲俣暁生さん

仲俣さんの寄稿作は、ぜひ前号掲載作「1985年のセンチメンタルジャーニー」とセットで読んでほしいのですが、今号で初めて小誌を手にした(知った)という方のためにも、少しおさらい。前号では仲俣さんが30年前に訪れた金沢の思い出とともに、<去年(2015年)の3月に東京〜金沢間が開通した北陸新幹線に対する複雑な思い>、さらに、祖父の出身地・長野県の旧牟礼村(現在は上水内郡飯綱町)にまつわる事柄が語られていました。

今作では仲俣さんが牟礼に足を踏み入れます。じつは30年前の金沢旅行のさい、信越本線のエル特急「白山」で通過したことはあったが、下車するのは初めて。かつての信越本線は北陸新幹線の開通に伴い<妙高高原から北が「えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン」、南が「しなの鉄道・北しなの線」という第三セクターに格下げされ>ていまして...作内の仲俣さんもこのネーミングには引っ掛かっていますが、しかしなんで「トキめき」なんて言葉? はいネットで調べました。「トキ」はときめきと36年ぶりに自然界でひなが誕生したトキをかけてあるんですね。発足時、社長は「全国発信力があり、ロマン、明るさ、元気をアピールする地域の個性や思いを感じさせる名称」(上越タイムス/2012年6月22日)とコメント...目眩がしてきた。

長野駅で北しなの線に乗り換えようとしたが妙高高原駅行きの列車は倒木の影響で遅延、それでもなんとか牟礼駅に到着して、ええもう、せっかく信州なんだから蕎麦でも食べて、コーヒーの一杯でも飲みながら地図を拡げて(タブレットやスマホでもいいけど)、という気持ちになりますよね。しかし仲俣さんの故郷は手強かった! このあたりから「いいづな歴史ふれあい館」に到着するまでのくだりは、ぜひ本篇でお確かめください〜。

旅で見たもの、感じたことを、仲俣さんは新たに入手した資料、以前から所蔵していた文献などと照らし合わせ、まるでミステリーの謎を解くように頭の中で整理していきます。親戚筋にあたる(と推察する)仲俣理亮という人物が土地の発展に尽力し、1888年に牟礼駅は設置された。鉄道という交通手段の歴史と絡めて故郷の現在を考察する終盤は、個人の体験が普遍性へと繋がるようで...もしかするとこのような経緯が「トキめき鉄道」なんてキラキラネームが発想される遠因なのかも、とも私は思ってしまいました!



 それでもこの黒川という集落一帯が、どうやら我が郷里らしいことはわかった。祖父はこの村で生まれ、鳥居川のせせらぎで遊び、飯縄山や戸隠山を毎日見上げながら育ったのか。「来るのが遅くなりました」と、心のなかで詫びる。まったくの思いつきではあったが、思い切って来てみてよかった。
 そうこうするうちに目的地の「いいづな歴史ふれあい館」に到着。ここでも客は私一人、貸し切り状態である。30分後にまた来てくれとタクシーの運転手に頼み、中に入る。
 郷土資料の展示は予想していたより面白く、なかでも江戸時代の北国街道・牟礼宿の一日の様子を人形劇風にした「ジオラマシアター」が楽しい。加賀百万石のお膝元・金沢と江戸の中間地点、どちらからも60里の距離にある牟礼村が栄えていた、旧きよき時代の情景を、ユーモラスな劇仕立てで教えてくれる。ここならいつか子どもを、いや孫を連れて来てもいい。
 じつは一つだけ、牟礼への来訪には目的があった。旧牟礼村の「村史」を手にとって見たかったのだ。父親が若い頃、中学教師として赴任していた伊豆七島・御蔵島の「村史」をあるとき古本屋で手に入れた。教員時代の父親の名を「村史」のなかに見つけて以来、次は牟礼の村史を手に入れたいと願っていた。しかしネットで調べると値段が8000円もする(なんと上下巻なのだ!)。不見転で買うのはさすがにためらわれた。

ウィッチンケア第7号<夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記>(P200〜P205)より引用(※原文のルビは略しました!)
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作
父という謎」(第3号)/「国破れて」(第4号)/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」(第5号)/「1985年のセンチメンタルジャーニー」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2016/05/28

vol.7寄稿者&作品紹介35 久保憲司さん

久保さんの今号寄稿作タイトル「80」は、1980年のこと。この年の1月にポール・マッカートニーが来日して逮捕され、12月にはジョン・レノンが射殺されました。<オタクはまだ「お宅」とも呼ばれず、その頃一番もてていたのはサーファーだった>と久保さんは書いていますが、たしかに、いわゆる「80年代的」なものごとが始まりはじめてはいたけれど、世の中の表側はまだまだ70年代の延長線上...Y.M.O.の『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が年間LP順位1位(オリコンチャート)なんだけど、レコード大賞は八代亜紀の「雨の慕情」。

今作の前半は、おそらく自伝的な内容なのだろうと思います。私は久保さんの「ロックの神様」という本が大好きなのですが、同書の<はじめに>を小説版で展開したようなストーリーで。京都・クラブ・モダーンのEP-4のデビュー・ライブに高校生バンドで出演って、まさにリビングレジェンド!! その後、久保さんはリザードやゼルダの前座もやって、関学の野外ライブで町田町蔵を見て感化されて、81年には単身渡英。その頃の私は...79年にはクリスタルなキャンパスでサーファーな先輩のバックで「オリビアを聴きながら」弾いてたけど、P-MODELやピーター・ガブリエルの「Ⅲ」を聞いて、さすがに志向が変わっていったかなぁ...80年。

作中にはデヴィッド・ボウイがたびたび登場します。<さっきEP‒4の佐藤薫さんとバンさんに会ってな、ボウイな俺のDJで朝まで踊っていったぞ>...なんて一節、鳥肌モノ。当時のボウイは京都に滞在して焼酎のCMに出たり...平沢進さんの追悼コメントで「どうも」と楽屋に現れた逸話など知った後だったので、久保さんの作品がとってもリアルに感じられました。そして作品の後半では、80年と現在を比較した、2016年の世の中についての鋭い意見も...<デフレはお前らをぬるま湯でゆっくりと殺して行くぞ〜〜〜>。

最近は「久保憲司のロック・エンサイクロペディア」が頻繁に更新されていて、久保さんもボウイへの追悼コラムを書いています。この連載、いずれ1冊の本になるのでしょうが、久保さんが小誌第3号以降発表続けてきた小説も、そろそろまとめて読みたい文量になってきました!



「なんか、東寺に住んでいるらしいやん」とキーボードの吉崎ことヨッちゃんが付け足す。「ちゃう、ちゃう、嵐山のほうに、ボウイが出たコマーシャルの社長が別荘持っていて、そこにボウイ住んでいるらしいで、表札に木戸って書いてあったから間違いないと、万歳倶楽部のバンさんが言ったはったわ」
 京都のやつらはいつのまにかすごい情報を仕入れていて、このままでは僕のバンドでの立場が悪くなると思ったので、「アホ、ボウイは少年やからキッド、木戸やって、そんなことあるかい、ボウイのボウイはボウイ・ナイフから来てるんやで。ミック・ジャガーのジャガーが古い英語ではナイフという意味で、それに対抗して、ボウイという名前に変えたんや、刃牙さんやないとおかしいですよね」と医大生の藤村さんに助けを求めようとした。ウンチクをさえぎるようにおっとりしたベースのヤマジが「ボウイを見つけて、プロデュース頼んだら、いいんちゃう」と言った。僕らの目は点になった。でも、全員が笑っている。僕はこんなお子ちゃまバンド、ボウイがプロデュースしてくれるわけないと思ったが、でもつい最近出た『スケアリー・モンスターズ』の一曲目「イッツ・ノー・ゲーム(パート1)」みたいに日本語の朗読で僕を使ってくれるかも知れないぞと思った。「よっしゃ、今度の東寺の朝市の時、ボウイ探しに行こう、外人が来る京都のイベント言うたら東寺の朝市やろ、東寺に朝六時集合な」

ウィッチンケア第7号「80 Eighties」(P194〜P199)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作
僕と川崎さん」(第3号)/「川崎さんとカムジャタン」(第4号)/「デモごっこ」(第5号)/「スキゾマニア」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2016/05/27

vol.7寄稿者&作品紹介34 円堂都司昭さん

円堂さんが昨年8月に上梓した<戦後サブカル年代記 -日本人が愛した「終末」と「再生」>はとても内容充実の1冊。前回の東京オリンピックから2020年までという長い時間を独自のトピックで繋ぎながら論じた、厚さ2.5センチが納得できる労作です。そして、第一章(二)には<『はだしのゲン』と『漂流教室』 子どもが「治者」になる>という考察も。円堂さんの小誌第6号掲載作が、同稿の叩き台として少しでも機能したとしたら、発行人として本望でございます。

今号への寄稿作。冒頭で<とにかく、私は『オペラ座の怪人』の物語が好きなのだった>と飾りなく宣言されているとおり、みんながよく知っている「ロイド゠ウェバー版」(2004年の映画もこれが原作)の魅力について多角的に語られています。とくに、<すでに危機に見舞われているオペラ座で仮面舞踏会が催される>という設定がなぜすんなり受け入れられるのか(作内で/結果、観客も)について。そしてそれを踏まえて、「ロイド゠ウェバー版」での舞踏会の表現がいかに巧みなのかについても。全世界のファンのみなさま、知りたくて疼くでしょ!?

今作を拝読して、円堂さんは総合芸術として『オペラ座の怪人』を楽しんでいるんだな、ということがひしひしと伝わりました。自分を顧みれば、私にとっての『オペラ座の怪人』は、20世紀(それも後半)のポピュラー音楽の流れの延長線上、もう少し具体的にはロックを追いかけてたらフーやクイーン、プログレがあって、その先にブライアン・デ・パルマの映画『ファントム・オブ・パラダイス』があって...みたいな辿り着きかた。円堂さんは(もしかすると根は同じかもしれないけれど)、でも「ロックの延長で」という括りではない、もっと分厚い文化的教養で同作を楽しんでいるように思えました。

名曲「マスカレード」の魅力についても、誌面の多くが割かれています。階段で歌い興じられ、猿のオルゴールを相手にも歌われた同曲...またオルゴールのオークションでの出品番号の意味とは、等々。ぜひ小誌を手にとって、円堂さんの論考をご一読ください!



 そして、『オペラ座の怪人』の数多くのヴァージョンのなかで、私にとってもロイド゠ウェバー版が最良と思えるのは、仮面舞踏会の扱いかたが理由なのではないかと最近になって気づいた。
 二部からなるロイド゠ウェバー版の舞台は、仮面の扱いかたによって、怪人のキャラクターを印象づける構成になっている。舞台の第一部はまず、事件終結から何年も経った後に開かれたオークションの場面がプロローグとなる。六六三番から番号順に、オペラ座に関連した品物が競りで落札されていく。六六六番には怪人が客席に落としたシャンデリアが登場する。それが光り、天井へと吊り上げられていくとあのよく知られた「オーヴァチュア」が鳴り響く、そこから過去に戻って、物語本編が始まる。

ウィッチンケア第7号<『オペラ座の怪人』の仮面舞踏会>(P188〜P192)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
円堂都司昭さん小誌バックナンバー掲載作
『漂流教室』の未来と過去>(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

2016/05/26

vol.7寄稿者&作品紹介33 谷亜ヒロコさん

いつだったっけ、谷亜さんとの打ち合わせの雑談で私が「最近母親と同居したんだが、階下に降りると昼間いっつもメグミやミヤネが付いてて、そういうのばっか観てると〜」と愚痴ったら、「そういう...(真顔)、誰がどんなテレビを観ていても〝やめろ〟みたいなことは、言っちゃいけません」とぴしゃりアドバイスしてくれまして、以後肝に銘じています。うぬぬっ、でもテレビってな〜でもネットだってな〜ってそういう〝自分が見たもの〟に反応してるオレってのだってな〜...堂々巡り。

谷亜さんの今号寄稿作には、野々村議員とかふつうにちらっと登場します。私はあの人のニュース(っていうかメグミやミヤネ的報道)をあんまりおもしろがれなくってなんで号泣してたのかもよくわかっていませんが、しかし谷亜さんの作品に登場する「私」...もうちょっと勝手に拡げると、いま<いつか結婚して子供を産んで安定していたいという願い>を抱いて生活している年齢であの人のニュースに触れるとどんな思いを持つのかはわかっていない(自分がわかっていないということがうっすらわかっているだけ)。

「私」は<会社の中で素敵なオフィスのパソコンの前で働く>自分を思い描き、劇団生活ときれいさっぱり決別できると信じているようですが、しかし作者の筆致からするとどうも前途洋々には感じられず。谷亜さんの作品の主人公は前々作でも前作でも、ハムスターホイール状態だったような記憶も。劇団内恋愛を「私」が語るくだりも悟っているようで至らぬ気配がするし...作者はじつは別の「答え」を持ってそうです。

ここ数日はテレビでもネットでも地下アイドルやギター女子といった言葉が飛び交っていて...私は母親に「ジョン・レノンのときと同じなんだよ」と詳しい説明なしに言ってみたが...まあいいや。でっ、昨晩検索して、むかし映画館で観たワイト島フェスティバルの映像を再見。ジョニ・ミッチェルが騒動の後にギター抱えて歌う姿に、ちょっとほっとした気分でした。



 私はカリスマドットコムの腹落ちから、すぐに仕事を見つけてきた。その変わり身の早さは、人生で初めてぐらいのスピードで、今まで使ってなかった力をここで一気に出し切ったような不思議な爽快感だった。イケル、私はOLさんなれる、それもかなり仕事ができるキャリアOLに、という無意味な自信に繋がった。それは正社員ではなく、派遣社員という種類のものだったが、たいして気にしていない。私は週に5回も会社に行けるということが嬉しくてしょうがない。毎月二十万円以上のお金がもらえると思ったら、にやけてしょうがない。会社の中で素敵なオフィスのパソコンの前で働く私を思い浮かべると、うっとりする。そう思うと、劇団の汚すぎる全てが嫌になる。

ウィッチンケア第7号「夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜」(P184〜P187)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作
今どきのオトコノコ」(第5号)/「よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由」(第6号)
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.7寄稿者&作品紹介32 荒木優太さん

荒木さんの最近の活躍ぶりを寄稿者の1人がSNSでシンデレラボーイ、と評していましたが...いやホント、昨年秋には論文「反偶然の共生空間――愛と正義のジョン・ロールズ」が第59回群像新人評論賞優秀作に。そして私も昨年の紹介文で触れていたEn-Sophでの連載「在野研究のススメ」は、受賞前から書籍化の話があったとのことで、これもめでたく「これからのエリック・ホッファーのために: 在野研究者の生と心得」(東京書籍)というタイトルで今年2月に出版され、大きな反響が! なお同書が本になるまでの経緯は「マガジン航」にて読めます。

そんな荒木さんの小誌今号への寄稿作は、宮本百合子の「雲母片」を題材に、文字(〜によって「書くこと」や「表現すること」かな!?)と涙を対比しながら論じたもの。「雲母片」は<大正一三年三月、『女性改造』に発表され>とありまして、それは百合子さんの最初の結婚生活が破綻した頃か...しかし最近伊藤野枝とか、この時代の〝凄い女の人〟の話に触れること多いな、自分。たまたま、か!?

「これエリ」(「これからのエリック〜」の略称だそう)に比べると、荒木さんの本流であるところの文学研究者然とした作品ですが、しかし作中には<書記の機械によって書記の機会を奪われた私たちの健忘症を想起せよ>なんて、駄洒落めいたおもしろいことも書いてあったり(荒木さんらしい)。そして全体からほんのり伝わってくるのは「これエリ」と同じく、「しっかり勉強しようぜ!」という、これも荒木さんらしい檄。<無‒力であること、独立するのに必要な生得的アプリケーションを欠いているということ、それは後天的に獲得可能な能力のインストール可能性を示している>...。

作品の終盤に<成長するということは、涙を拭いてときに涙を我慢するということだ>という一節があり、最初に原稿を拝読したとき、私はここに「そうだよな〜」と心打たれたのでした。でっ、唐突に思ったのは、文学に限らず、よく映画や音楽でも「泣きたいときに観る/聞く」みたいな言われ方がされますが、心ならず持っていかれたならともかく、最初からそんな動機で〝自分のもの〟じゃないものに頼るのってどうよ、と。とにかく、荒木さんの論じる文字と涙の関係、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 けれども、文字を操れるからといって、書道に通じているとは限らない。文字の書き方は一つではない。〈筆‒半紙‒墨〉という書記の物的環境と〈万年筆‒ノート‒インク〉という物的環境は異なる。〈筆‒半紙‒墨〉は、〈指‒窓ガラス‒霜〉と違うし、〈枝‒地面‒凹み〉とも違う。当然、〈キーボード‒モニター‒フォント〉とは似ても似つかない。書記の物的環境が異なれば、そこで発揮される身体性は姿勢だけにとどまらずに変化する(文字を毒として退けたプラトンと共に、書記の機械によって書記の機会を奪われた私たちの健忘症を想起せよ)。もしかしたら、「私」は文字を操る術は覚えても、未だに〈筆‒半紙‒墨〉の物的環境に適応した身体を手に入れていないのかもしれない。このテクストはタイプライターで、或いは代筆で書かれたのかもしれない!

ウィッチンケア第7号<宮本百合子「雲母片」小論>(P180〜P183)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/143628554368/witchenkare-vol7
荒木優太さん小誌バックナンバー掲載作
人間の屑、テクストの屑」(第6号)
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2016/05/24

vol.7寄稿者&作品紹介31 大西寿男さん

淡々とした語り口で、じつはもの凄いことが書いてある、大西さんの小誌今号への寄稿作。大西さんは小誌第3号で実父・大西與五郎さんにインタビューした「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(同作はウィッチンケア文庫にて無料で全文読めます!)を発表しましたが、今作はそのご母堂様Ver.と言えるもの。昭和6年生まれの大西系子さんの戦前〜終戦あたりの記憶を、聴き手である御子息・寿男さんが書き記しました。

今作を読み、寿男さん(便宜上お名前でw)のことが少しよくわかったような気がしました。いや、会うとハッと鮮やかな色合いのシャツをさり気に着こなしていたりで、まあシモキタの街を歩けば普通の人、でもたとえば平日真っ昼間にオレんち(東京都町田市/駅からバス15分)の近くの団地の公園に1人でいたら、アートか芸能関係の人? と言われかねない雰囲気を醸し出していて...そうか、祖父母の代から艶っぽい世界と無縁ではない街暮らしで、おかあさんは元祖文化系女子(!?)とも言える方であられたのか、と。私にもう少し大阪の土地勘があれば、もっと発見ができたかもしれません。

私も母親からいろいろ話を聞いてみようかな。十数年前に亡くなった祖母は三味線を弾いたり猿を飼っていたことがあったり、とけっこう謎な人でしたが、先日原節子が亡くなったとき、母親がいきなり古い写真を出してきて、そこには原節子、祖母、母親の笑顔! なんすかこれ? と尋ねたら「おばあちゃんは口減らしで私を鎌倉の原さんの家のお手伝いに出そうとしてその時の面接で...」とかなんとか(一部曖昧)。なんか、それ以上聞くのが怖くてそのまんまですが、やっぱり聞いてみようかな。

大西さんは今号でも校正/組版を御担当くださり、印刷会社が代わって初めての入稿では、ほんとうにご苦労をおかけしました。どうもありがとうございました! そしてそして、最新著書『セルフパブリッシングのための校正術』〈群雛文庫〉は鷹野凌さん主宰の日本独立作家同盟より刊行され、AmazonのKindleストアで初登場1位と好調のよう。今月29日にはイベントも開催されるようなので、みなさま要チェキで!



──おじいちゃんは何の仕事してたん?
「そのころは今里新地で働いてた。小学校の作文に『私のお父さんは新地で芸者さんの帯を結ぶ仕事をしています』って書いたら、先生から花丸もろたよ」
──飛田の新地で働いてたのは?
「それはおばあちゃん。今里に越してきたころ。呼び込みとかお姉さんたちのお世話とかしてたんやと思うけど、『どんなところに身を置いても心はきれいやから、恥ずかしいことあらへん』と毅然としてたよ。
 あのころにはめずらしく、わたしはひとりっ子で核家族やったから、共稼ぎで家にだれもいなくてね。それで、ばあやに来てもらってたんやけど、赤本の継子いじめのお話の読み聞かせ、こわかったわぁ(笑)。
 おばあちゃんは、『この子が学校に行くようになったら、家にいて〝おかえり〟と迎えてやらなあかんから、これはいまだけのこと。その代わり、着るものだけは小ぎれいに』って」

ウィッチンケア第7号「長柄橋の奇跡」(P176〜P179)より引用※原文のルビは略しました!)
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大西寿男さん小誌バックナンバー掲載作
「冬の兵士」の肉声を読む>(第2号)/「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(第3号&ウィッチンケア文庫)/「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル」(第4号)/「before ──冷麺屋の夜」(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介30 藤森陽子さん

藤森さんの小誌今号寄稿作は、12年前、ご自身がまだ「新米フードライター」だった頃に訪れた六本木の割烹料理店を、ふと思い立って再訪してみたさいの雑感をまとめたもの。「自分が今、あの店に行ったらどう感じるだろう。そんな純粋な興味もあっ」て、と綴られていますが、味わい深くてシブいなぁ。知己を得て短くもないのですが、藤森さんの「こんな時に、年をとって良かったとしみじみ思う」なんて一節にグッとくる日がくるとは...。

食についてのさくっとしたエッセイ(...というより随筆という呼び方が似合いそう)なのですが、↑の言葉に習えば、これはフードライターによる作品ではなく、「フードライターである私」による作品。たぶん藤森さんが「新米」から12年の経験を積んだフードライターとして同じ店を記事にしていたら、全然違う文章になっていただろうな。

世の中にはなんでも「私は」で乗り切っていける文章力(ここでの「力」はスキルというより腕力とか体力の意/運動神経ならぬ文章神経みたいなパワーのこと)の持ち主もいらっしゃって、それは素晴らしいと思います。オレは、うん、小説/評論/エッセイなどだと「この人の『私は』に耽溺したい」と思って手にすること多いし。しかし藤森さんは(これは勝手な推察ですが)、たぶんライターとしてテキストをものすときにはまず「私は」を抑制して、ものさねばならぬことをものすことに尽力するタイプかと。そんな藤森さんの「私」が慎ましく顔を覗かせた今作...他誌では読めませんYO!

毎年、原稿締め切り時は「Hanako」の吉祥寺特集と重なってしまって...今回も超多忙のなかほんとうにありがとうございました。ときたまSNSで藤森さん撮影の<仕事明けの街の風景>写真を拝見しますが...老爺心ながら、「年をとっ」たんですからどうか御自愛を、と祈念するのでありました。



 久方ぶりに訪れた店は、驚くほど変わっていなかった。もちろんいい意味で。メニューは週替わりの「おまかせコース」1本のみ。拭き込まれた天然木のカウンターが手のひらに温かい。ご主人の仕事は相変わらず実直で端正だ。
 琥珀のように深く透き通ったフグの煮こごり、鰤と寒セリの粕汁の、絹のように白くなめらかな舌触り。飛竜頭をとじた銀あんは、あの時と変わらず、ふくふくツヤツヤと光輝いている。
 もしかしたらその実直な盛り付けも、青磁の平皿や唐津の小鉢の使い方も、今や「古式ゆかしい」などと評されてしまうかもしれない。でも、それが何だというのだろう。格式と気さくさの間をいく良い塩梅の客との距離感、不用意にこちらの会話を断ち切ることなく器を上げ下げする、女将さんの抜群の間合い。それは長い時間をかけて磨かれてきたものだ。

ウィッチンケア第7号「小僧さんに会いに」(P172〜P175)より引用
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藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作
茶道楽の日々」(第Ⅰ号)/「接客芸が見たいんです。」(第2号)/「4つあったら。」(第3号)/「観察者は何を思う」(第4号)/「欲望という名のあれやこれや」(第5号)/「バクが夢みた。」(第6号)
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2016/05/23

vol.7寄稿者&作品紹介29 西牟田靖さん

西牟田さんの小誌今号寄稿作でも、主人公の名前は冬岩五郎。前号に掲載した「報い」と同一人物か...作中に冬岩が<今は物書きや>と語る場面があるので、私はそう認識して読みました。冬岩が高校受験のさいに体験した、忌まわしい記憶についての物語だと。問題にされているのは「地元集中」という教育運動。ウィキペディアを鵜呑みは致しませんが、西牟田さんはこのことについて、中学2〜3年生の頃の冬岩、そして友人・的田や教師・夜田といった人物を絡ませながら描いています。

私自身は西牟田さんの作品を読むまで「地元集中」という言葉を知らずに生きてきましたが、しかし自身の高校受験を振り返ると屋や似た体験をしていて、というのも私は中学3年の二学期半ば、親の転勤の都合で転校したのですが、当時の担任から不自然なほど都立新設校の受験を勧められまして(って言うか「あなたはここしか受けられないから」みたいな強制)...ええと、いまなら当時の自分の状況、わかりますよ。こんな時期に転校してきた子、いくとこないまま卒業させると学校もマズイ、そして新設校には一定数送り込まなきゃいけない。ふむ。

昨年の西牟田さん紹介はご著書「本で床は抜けるのか」がすでに四刷、という時点でしたが、しかしその後も快進撃は続き、いったいいくつのメディアにインタビュー記事が掲載されたのでしょうか? ほんと、気がつくと西牟田さんの笑顔を拝見している、ということが多かったです。

中学時代のできごとを描いた後、物語は終盤一気に時空を越えて<卒業して30年後の10月10日、冬岩はK市立第一中学校の同窓会に参加した>という展開に。タイトルにある「謝罪」とはいったい? ぜひ小誌を手にして、結末をお確かめください!



「なんで、あんな奴らのためにオレらが犠牲にならなあかんねん」
「ほんまやでまったく」
「今年中学入ったら入ったでガラス割れてるわ、上から水は落ちてくるわ、なんかムチャクチャやな」
「オレもグレたろかな」
「ホンマやな」
 二人はK市立第一中学校の2年生。
 冬岩は好きなことにだけは夢中で取り組む、むらっ気のある生徒であった。小学校の卒業文集では「総理になって領土問題やエネルギー問題を解決する」と書いたりするなど、政治や世界の地理に興味を持っていた。中学に入学する前は勉強する気満々だったが、入学してみると、屋上から水が降ってきたり、体育祭では「おしっこ」と連呼させられたり。しかも授業はいつまでも進まない。そうしたことから彼は、授業に興味を失い、成績は伸び悩み、中の上といったところ。口数も少なくなり、内向的な少年として、育ちつつあった。
 一方、的田はというとクラスで1、2を争う成績優秀な生徒。柔道をやっていて、年齢の割にはずいぶん立派な体格をしている。文武両道を地で行く、模範的な少年であった。

ウィッチンケア第7号「30年後の謝罪」(P166〜P171)より引用
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西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作
「報い」>(第6号)
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2016/05/22

vol.7寄稿者&作品紹介28 友田聡さん

友田さんの今号寄稿作を私はけっこう感慨深く、っぅか涙腺ジワッ気味で拝読致しました。小誌では毎号不思議なシンクロ現象が起こったりするのですが(たぶん、メディアとしてのLive性起因?)、本作、木村重樹さんの寄稿作太田豊さんの寄稿作、そして拙作に期せずして共通したなにかが、胸に響いたのだと。その「なにか」については、敢えて語りませぬが〜。

おもしろかったのは、友田さんと私の、自身の年齢の捉え方がずいぶん違っていたことです。同世代ですが、友田さんは<齢五十の半ばとは、人間の寿命としては後半戦に突入しているが、世代としてはちょうど真ん中あたり。自分を中心に据えて年長者と年少者を両翼に乗せ、心地良いバランス感覚を楽しんでいる時期と言っていい>と書いています。一方私は「午後四時」なんて言葉を使いましたが、それでも多分に負け惜しみ感入りでして...。

もうまともな飲食店なんてオーダーストップで飲み屋しか開いてないんじゃね? ぐずぐずしてると深夜バスいっちゃうし(郊外型生活w!)、家に帰って寝んべぇよ。次の朝が来るかどうかわからないけれど...。はい、気の持ち用的にはもう21時30分あたりに都心をふらついてるだな、私は(再来年には赤いちゃんちゃん)。人間五十年...。

そんな鬱な私ですが、友田さんが近年の街並みの変遷を<代替わりの理想的な在り方>と捉えているのには共感しました。いや海ッぺりの見上げるようなマンションとかはどうなの、と思うけれど少なくとも地上げ屋とかB勘屋とかが跋扈していた時代よりは、若くてしなやかな感性の開発が進んでいるように思えることも多いし。いずれにしても、まだまだ先があると存じますので、お互い頑張りましょう〜。



 そうかと言って、嘆いているばかりではない。街を歩けば、震災・戦災をかいくぐってきた古い建物を巧うまくリノヴェーションし、今の時代に活かしている場に出会うことは多い。担い手である建築家は、得てして驚くほど若い。親子ほど歳が離れた棟梁と木造家屋の再生に取り組んでいたり、伝統工芸品の職人とコラボレーションしたり、世代を飛び越えて新しい価値を創造している。若い感性のお陰で、古くなってしまった街には、行灯が一つまた一つと灯り、やがてそこには人が集まり始める。街の色気、艶っぽさというものは、こうした感性が自然発生的に増幅して生まれるのではないだろうか。街の代替わりの理想的な在り方だ。幾度となく大火に見舞われ、ダメージを受けていた江戸の町。その都度、新たな建築の技術が導入され逞しく再生する過程も、きっとそうだったに違いない。

ウィッチンケア第7号「独楽の軸からの眺め」(P162〜P165)より引用
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友田聡さん小誌バックナンバー掲載作
暮らしのリズム」(第Ⅰ号)/「ときどき旧暦な暮らし」(第2号)/「手前味噌にてございます」(第3号)/「東京リトルマンハッタン」(第4号)/「走れ、天の邪鬼」(第5号)/<中国「端午節」の思い出>(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介27 辻本力さん

辻本さんの今号寄稿作の冒頭、昨年末に入院したさいのエピソードが語られています。SNSを拝見していると食事のバランスに気を遣いジムにも通う、と私なんかよりよっぽど節制した生活を送っているように感じていたので驚きましたが、今はすっかり回復されたようでなによりです。

隣り合わせたベッドの老人の咆哮&独り言&鼻歌で耳栓使用...心中お察しします。私は学生時代に比較的長い入院生活を送りましたが、通路向かいの老人の破壊的な鼾に耐えられず、一度だけ夜中に10円玉を投げて起こしちゃったことあり(詫)。しかしあの頃の入院生活は緩かった。私、ベッド下に灰皿置いててベッドごと移動のさいに年長の看護婦(←師にしませんよ、時代的に)さん怒られた。消灯過ぎると部屋の主的な人がサントリーオールド出して紙コップで寝酒まわしてくれたり。刑事ドラマでも、撃たれたボスを見舞ったらベッドで麻雀やるほど回復してた、みたいなハッピーエンドを見た記憶あるし...世の中変わってる。

そして、音楽用耳栓! 辻本さんの寄稿作を読むまで、私はそんなものが存在するとは思ってもみませんでした。普段やわな音楽しか聞いてないから...いや、それでも聴力低下(というかひどい鼻づまりのようにぼーっと音が聞こえる)ライブは何度か体験してるんですが、翌日までその状態が続いたことはなかった。でっ、作中で紹介されているMARDUKTAAKEのCD、買いました。なるほどこれを小さな箱で長尺ライブ体験したら厳しそうだ〜。

ご自身でも<耳栓を付けてわざわざ音を小さく・マイルドにすることは大いなる矛盾であり、軟弱な姿勢>と以前は思っていた辻本さんが、人生初入院を機になぜ耳栓を否定しなくなったのか? ぜひぜひ、その独自の「耳栓生活の考察」を本篇でお確かめください!



 しかし、翌朝起きて驚いた。耳が聞こえづらい状態が続いているのだ。ライブ直後に耳が遠くなることは、これまでも度々あったが、翌日まで引きずるのは初めてである。
 私は普段、インタビュー仕事などをしてお金をもらっているライターなので、耳が聞こえないのはひじょうにマズイ。翌日には取材の予定も入っている。耳は一度悪くすると元の状態に戻すことは難しく、悪くすれば、一生その症状と付き合っていかねばならないなどとも聞く。このまま耳が元に戻らなかったら……不安がどんどん膨らんでいく。
 幸いなことに、その翌日には耳は通常の状態に戻り、ことなきを得た。しかし、こうしたことを繰り返していると、いつか本当に耳が聞こえなくなる日がくるのではないか……。

ウィッチンケア第7号「健康と耳栓と音楽」(P158〜P161)より引用
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辻本力さん小誌バックナンバー掲載作
酒のツマミとしての音楽考」(第4号)/「退廃的な、おそらく退廃的な」(第5号)/「雑聴生活」(第6号)
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2016/05/21

vol.7寄稿者&作品紹介26 小川たまかさん

最近はヤフー個人(「Yahoo!ニュース 個人コーナー」が正式名称なのかな)で小川さんの記事を読むことが多く、そこでのご自身のプロフィール欄には<ライター>と記されていますが、読み手側の素朴な印象としては「ジャーナリスト、でもいいのでは?」と感じることもしばしば...いや、文筆業の呼称については書き出すととっても長くなりますので〜、ええと、小誌での小川たまかさんは第4号以来一貫して小説の作者です。

今号への寄稿作、私は↑の仕事とのバランスの中で、フィクションの可能性を探るようにして生まれたのかなと感じました。綿密な取材を踏まえて明確な論旨でレポート/意見表明、というのとは違うやりかたで、でも「書きたいこと」を表現してみる。ご本人がどのくらい意識的だったかは不明ですが、これまでの3作に登場した女性の属性...大雑把に言うと<きちんと働いている女性>という前提、みたいなものは、今作ではすべて取っ払われたまま物語はスタート〜完結します。

主人公は「女」。寝間着を着たり、パジャマに着たり、全裸だったり。<これまで何人かの男や女と寝>る経験をしていたり。生活の端々は見え隠れするのですが、名前すら明かされないのですから年齢(これは見えそうだが隠される)/容姿/職業なんてとてもとても...。あっ、<仰向けで眠ること>ができない、という女の悩みは最初に提示されます、って私の野暮なストラクチャー解説より、ぜひ素で作品を読んでくださいね。

寓話性が高い、しかし決してある種のメルヘン、みたいな流れには向かず、ちょっと苦いがとてもハッピーな気持ちになれる...私が一番印象に残った一節は<ぷちりと。女は慌てるでもなく、人差し指で男の腹をつついた>。比喩的な表現ではありますが、これを許す/許される人間関係のきっかけが、なんとも美しい逸話なのでした!



 驚いたのは、寝ているときの表情だ。みんな健やかな顔をしている。微笑を浮かべている者さえある。そしてすっきりとした顔で起き、爽やかに「おはよう」と言い、家に招いた方がコーヒーを淹れて、飲み終わったら別れた。誰からも二度と連絡が来ることはなかった。
 朝が来て昼が過ぎ、夜になる。いつしか春が夏に変わり、夏に秋が近づき、秋を冬が覆う。一年、もう一年が過ぎるうちに、女はやがて自分の年齢を忘れた。無理に人を誘って寝ることも、人の誘いに乗ることも、いつの間にかやめていた。親兄弟も遠くで満足に暮らしていると聞くだけで、心を揺らすことはない。一日一日をただそのまま見送ることに慣れ始めていた。上を向いて寝ることへの願望も今は薄れ、遠くで輝く星のようにただ眺めるだけになった。

ウィッチンケア第7号「夜明けに見る星、その行方」(P154〜P157)より引用
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小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作
シモキタウサギ」(第4号)/「三軒茶屋 10 years after」(第5号)/「南の島のカップル」(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介25 吉田亮人さん

知人から聞いた(又聞きだったかも)、高名な建築家(故人)と食事をしたさいの逸話。「ほんと、会ってる間ずーっと建築の話しかしなかった」と。世の中には逆の人もいそうですけど。都民のこと考えているかと思ったら自分の財布のことしか考えていなかった知事とか...ってスイマセン、2016年5月半ばに書いてるテキストだな、と思ってつい時流に身を任せましたが、しかしリンク先の写真、問題ありだけどたしかにある一瞬を切り取っていてインパクトがあり、これは吉田さんの今号寄稿作とも関連がなくもなく。

さて、吉田さんは件の建築家のように、書くとなると「写真のこと」「写真を撮ること」を。小誌前々号寄稿作を読むと、良い意味での回り道をしたようですが、現在はふっきれたように写真道を極めるベクトルへ...今作には、その「ふっきれる」までの心の変遷、そして<コマーシャル、ジャーナリズムなどさまざまな分野で活躍し、社会や政治にも大きな影響を及ぼし>た、写真の歴史への考察が綴られています。

冒頭で触れられている「あと10年で『消える職業』『なくなる仕事』」の記事、じつは私もかなり身につまされまして、あんまりにも怖いので考えずに日々流されて人生を全うしようと。...いまあらためて記事を読み直しましたが、自分は<「来たるべきロボット社会で生き残る」のは機械が出来ない「より高次元でクリエイティブな」仕事をする人間>なのか? 私はともかく、吉田さんは友人・シプさんのひとことを自分なりに受け止めて答えを見つけます。それが何なのかは、ぜひ小誌第7号でお確かめください!

吉田さんは現在、来月1日発売の写真集「Tannery」制作の最終工程で多忙。京都で写真展開催中(オープン・ワークショップは無事終了)で、月末には矢萩多聞さんとのトークショーがあるそう。ぜひみなさま、吉田さんのHPでご確認ください!



「アキヒトさん、誰にでも撮れない写真を創るためにはアキヒトさん自身のフィロソフィーが大切になってくるんです」

 以来、この言葉をことあるごとに思い出し、僕の写真を撮る行為においての指針のようなものになっているのだが、しかし当時は本質を完全に理解していたわけではなかった。彼の言葉を受けて僕はただポカンとしているだけだったのだ。
 そもそも写真を撮る行為では、撮影者と被写体の間に必ずカメラが介在する。撮影者はシャッターを押すだけで、写すのはカメラという機械である。だから「所詮機械が撮ったそれ」に己のフィロソフィーを持ち込んでも、果たしてそんなものが写り込むのかという疑問を持った。
 その疑問は、やがてじわじわと氷解していくのだが、きっかけは写真を撮り続ける行為の中にあった。

ウィッチンケア第7号「写真家の存在」(P150〜P153)より引用
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吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作
始まりの旅」(第5号)/「写真で食っていくということ」(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介24 東間嶺さん

東間さんの前号掲載作(ウィー・アー・ピーピング)について、私は<五感が優れているというか...舌鋒も鋭いが、とにかく「この人が五感で受け取っている情報量と私のそれとではずいぶん差があるだろうな」と思わされます>と書きましたが、うむ、やはり今号への寄稿作でも、そんな東間さんのメーターは大きく振れています(アラート鳴ってそう)。

前作の主人公(わたし)は、目に映る光景をまるで自身がカメラであるかのように描写し、静かな不気味さを醸し出していました。しかし、今作の「わたし」はもうちょっと熱いです。というか、前作同様やはり黙ってスマホいじったりしているだけなんですが、鬱屈したものが滲み出しちゃってる感じが描かれています。女の子の死に感傷的になっているのではなくて、弾きがねを引かれた状態。そしてそれは私憤ではあるのですが、作品内に配された自殺者のデータ(数字)、あるいは「わたし」がチャレンジするコンペの募集要項の嫌味さとも呼応して、読者にも鈍く効いてくるのか、と。

もし過日の蓮實重彦さん記者会見に東間さんが出席していたらどう切り返してたんだろう、などと想像してしまいますが、そんな(どんな?)東間さんが書く小説は、知性と感情が熟成されているようで、私は好きです。もう少し長尺にできたら、時間軸の溝も埋められて...いや、鋭利な断片で構成されてるからこその風合いなのかな、本作は。

そして、東間さんが編集管理人を務める独立系WEB批評空間『 エン-ソフ』には、荒木優太さんの小誌今号掲載作の評論(東間さん作品含む)と、ご自身による自作考察も掲載されていますので、こちらもぜひご一読のほどを!



 もちろん、死んでいた彼女は天使でも橋本環奈でもなかった。単に、五月のわたしの目にはそう見えた、というだけの話だった。
 彼女の死は、メディアが流す通り一遍の速報やまとめサイトなどへの画像流出とは別に、年がら年中この国で起きる鉄道への飛び込み自殺を、ほとんど偏執的な熱意でまとめ続けているとあるデータベースサイト(※)に、すぐ登録された。
 【事故概要(確報)】には、2015年05月02日11時26分、死傷/十代女(死)、原因/自殺(輸送障害)、JR山手線/高田馬場駅、ホーム中ほどから飛込む、とあった。
     *
 東西線で茅場町に向かいながら、わたしは、明け方まで書いていた作品用ステイトメントをiPhone上で読みなおしている。ギャラリーへ、プレゼン用資料として提出する締め切りは、数日後に迫っていた。

※参照《回答する記者団 鉄道人身事故マップ》
http://kishadan.com/map/railway-human-accidents/
(原文では文末付記)

ウィッチンケア第7号「死んでいないわたしは(が)今日も他人」(P144〜P148)より引用
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東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作
《辺境》の記憶」(第5号)/「ウィー・アー・ピーピング」(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介23 出門みずよさん

出門さんの今号寄稿作に登場する妙齢の貴婦人・望都子さん。今風に言うと「アラフィフ美魔女」なんでしょうけれども、なんか、いにしえの「有閑マダム」なんて言葉を想起させる雰囲気がムンムンします。もちろん描かれる生活は2016年仕様にアップデートされているのですが...ちょうど「東京β 更新され続ける都市の物語」(速水健朗 著)を読み終えたところなので、よけいにそんなことを思ったのかも。

物語の舞台は白金台。燐家の大河原さんはフランスのネットラジオを聞いていて、望都子さんは大河原夫人が夕刻になると室内に入れる観葉植物の、鉢の数まで把握しています。でっ、彼女がなにをしているかというと、夫・欣之介の浮気癖について思いを巡らせ<気がふさいでいた>。傍目には優雅なもんですな、ですが、しかし人の幸不幸は傍目で計るものではなく個人の物差しデフォルトですから...贈り物の薩摩揚げが捌けなかったのも自身のPTSDの一要因、と記者会見で訴えてた元祖カリスマ主婦を思い出しました。

「寂しさ」ってなんだろう、と考えさせられる作品でした。今年はディヴィッド・ボウイやプリンスが★になってしまって寂しい思いに浸りましたが、しかし何気に鏡に映った自身の生え際の白いものとかも、その日のコンディションによっては勝るとも劣らず寂しく...たしか「」が学問的に4〜6ぐらいに分類できたはずで、なら「寂しさ」も種類があるかなとヤフー知恵袋(w!)見てみたけどよくわかりませんでした。

そして出門さんの今作は、ホントはもう少しヴォリュームのあるものでしたが、小誌スペースの勝手な都合でややエディットしていただくことになってしまい...申し訳ありません。ぜひ本作の完全版、いやこの掌編が核となった望都子さんのもっと大きな物語が、いつの日か発表されること祈念します!



 ベランダに目をやると、若かりしころの、とはいえ若く見えない樹木希林演じる老婆が、迷惑そうな疲れた顔で座っていた。窓に映った望都子自身だった。
 はっとして、望都子は両手で顔を覆った。そっと開いた指のあいだから見えたのは、若いのに若くない樹木希林の老婆に変わりない。指先を切った手袋まで幻視しそうだった。最後にネイルを塗ったのがいつだったかも、憶えていない。
 夫が浮気をやめるまで、望都子は本当に幸せとはいえなかったが、少なくともはつらつとしていた。こんなふうにソファに座りっぱなしで日が暮れてゆくことはなかった。出かけるときはおしゃれが楽しかったし、職場結婚して退職した法律事務所の元同僚や女子大のクラスメートとしばしばランチに出かけ、街の息吹にふれもした。
 家事にも精を出した。キッチンは、シンクの水道のタップの先に顔が映るほど磨いたし、冷蔵庫は毎週、製氷室のトレイまで引き出して洗った。洗濯にも、欣之介のワイシャツやボクサーショーツが多くの情報を帯びているように思えて、身が入った。

ウィッチンケア第7号「白金台天神坂奇譚」(P138〜P143)より引用
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出門みずよさん小誌バックナンバー掲載作
天の蛇腹(部分)」(第4号)/「よき日にせよとひとは言う」(第5号)/「苦界前」(第6号)
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vol.7寄稿者&作品紹介22 木原正さん

私も多少はギターをいぢりますが(若い頃は「ロックンローラーになって20代で情死したい」と思ってた)、木原さんの場合は「楽器を弾く」というより、すでにギターが体の一部。そしてギターを抱えた木原さんと話をしていると、歌や音色が言葉や身体表現の一部です。「だからポールって♪に♪を乗せて♪みたいな、まっ、いいけど、♪」みたいな...これをぜひテキスト版で小誌に掲載できないかな、と思い寄稿依頼したのでした。

届いた原稿は四百字詰原稿用紙に濃い鉛筆で、というスタイリッシュさ。そして内容的には横書きで英語表記も多用したいところだが、敢えて縦書きで誌面化すると...じつは組版もなかなかたいへんなのでした(音楽誌の方々は特別なノウハウを持っているんだろうな、と実感)。


<「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「イエスタディ」「ブラックバード」「ヘルター・スケルター」の四曲には共通するモチーフがある>という寄稿作内での指摘は、言われてみればなるほど! ですが、これまで一度もそんなこと思わずに聞いていました。ポールやジョンの弾き癖、みたいなことはたくさん聞いているとなんとなく「〜らしい曲だな」ってくらいには伝わってくるんですが。ジョンのマイナー(短調)カントリー&ウエスタン路線の曲「アイム・オンリー・スリーピング」「ガール」に、ポールも哀愁対抗して「シングス・ウイ・セッド・トゥデイ(今日の誓い)」「ミッシェル」をつくった、という指摘も、なるほど×2。

数年前、木原さんと期間限定ユニットでジェフ・ベックの「You Know What I Mean」やウェザー・リポートの「Birdland」を共演しましたが...いやホント、私は口ばっかで自己鍛錬が足りないと来し方を反省する結果でした。でも無謀なチャレンジは楽しかったな。またいつか、そんな機会が持てたら!



 おもしろいのは「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」「イエスタディ」「ブラックバード」「ヘルター・スケルター」の四曲には共通するモチーフがあることだ。「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」のサビに入る前「アイルネヴァー……」のトニックEからサブドミナントAへの進行と同じメロディが、「イエスタディ」の冒頭「オールマイトラブルズ……」で使われているが、これはハーモニックマイナースケールを有機的に使った見本といえるだろう。
「イエスタディ」「ブラックバード」「ヘルター・スケルター」の核を成すのはVI→II→IV→Iで示されるマッカートニー進行。キーがCにおけるAm7→D7→F→Cの黄金パターンの使い回しである。「ユー・ウォント・シー・ミー」や「エイト・デイズ・ア・ウィーク」、ストーンズの「アズ・ティアーズ・ゴー・バイ(涙あふれて)」も類型であるが、ポールがこのパターンを確立したことは特筆に値する。

ウィッチンケア第7号「ビートルソングスは発明か?」(P134〜P137)より引用
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vol.7寄稿者&作品紹介21 美馬亜貴子さん

美馬さんの寄稿作はいつも「白衣をまとった理科の先生が試験官を振り、しばし中身を目視」のようなクールさが漂い...主人公の女性は作者から距離を置かれ、観察結果レポートのように、物語の中で辛い目に遭います。今作でのサワコさんは〝小悪魔〟っぽい自分を体現したくて社内のハンサム君(トオル)と付き合い〝どS〟振る舞いをしてみたものの...。

最初にタイトルを見たとき、私はN=普通だと思って読み始めました(無知!)。作中には<飲み会でしばしば繰り広げられる「SかMか」談義>とありまして、えっ、そんな話しながら盛り上がって酔ったら、サワコとトオルみたいに実証したくなったり〜、って、あっ、いいのか、合コンとかなら。じつは私「合コン」って一度も参加したことがないので、ちょっと検索。世代的に「コンパ」は普通にあった(「新歓コンパ」「追いコン」とか)けどポパイやHDP買ったことない学生だったし、<1970年代、「合コン」は相手を見つけるという目的は露骨ではなかったが、1980年代は、相手を見つけることがより切迫した課題になっていく。「ねるとん」はその象徴である>...なるほど、流行り初めてはいたけど、お呼びが掛からなかったんだな。

仕事でお笑いさんの解説、みたいなときに<○○というコンビの芸風はツッコミ●●のS性が...>といった分析をその筋の識者に伺い、すごく納得したことがありました。この場合は<見せる芸>として演じていても、その根幹にあるのは個々の人間性としてのSやMだと(作者も<人間関係の、特に“ねじれ”の部分にとても興味があ>るようです)。そして本作を読んで、さて自分は? まあ、オレもNだろうなと。あはは、美馬さんが試験官を振ると、読者も観察されちゃうんですね。ぜひみなさんも観察されてください(って、Mかw)。

相変わらず多忙そうな美馬さんですが、今作執筆と同時期に編集担当された『「ビートルズと日本」熱狂の記録 ~新聞、テレビ、週刊誌、ラジオが伝えた「ビートルズ現象」のすべて』(大村亨 著)がアマゾンでも☆☆☆☆☆ずらり、と話題です。こちらもぜひ、ご一読のほどを!



 サワコにとって、これまで恋愛とは「相手に尽くしてなんぼ」のものだった。真心を示せば、それに見合った愛情という名の対価がかえってくる〝ギヴ&テイク〟の関係。だが、そう信じて尽くしたところで、大抵の男はこちらが与えた分さえまともに返してくれない。なのにトオルは尽くされるよりも尽くすことが好きな性分らしく、あまつさえ、サワコがワガママを言えば言うほど「そこがカワイイ」と喜ぶのだ。〝どM〟の彼氏、最高である。 
 かくして増長、という言葉が正しいかはわからないが、「特別な存在」として扱われることに慣れたサワコの〝小悪魔プレイ〟が段々にエスカレートしていくのは当たり前のことだった。
 この間は「ホワイトデーだからお返し、ちょうだい♡」と、トオルをジュエリー・ショップに引き込んで3万2000円もするピアスを買わせた。

ウィッチンケア第7号「MとNの間」(P129〜P133)より引用
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美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作
ワカコさんの窓」(第5号)/「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号)

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2016/05/20

vol.7寄稿者&作品紹介20 久禮亮太さん

久禮さんは2015年1月まで「あゆみBOOKS小石川店」店長を務め、独立。現在は「久禮書店」と名乗りフリーランス書店員の活動をしています。私は小誌今号完成後の3月末〜4月上旬、いろいろな本屋さんに「取り扱いご検討ください」と〝営業〟しましたが「久禮さんが書いているのですね」と言われること、少なくなかったです。「久禮さんが颯爽堂の鈴木さん(鈴木孝信氏)について書いてるんですか!」とさらに突っ込んで驚かれたことも。

私は四半世紀以上本にまつわる仕事をしていますが、小誌を発行してみて、自分の居た(る)場所は川のダム近辺なんだな、と再認識しました。上流で生まれた企画を入稿締切までにまとまったデータにまとめて印刷工程へとバトンタッチするまでの、場所。そこから先は...通常業務(ライター/エディター)では、だいたいもう次の企画が上流から流れてきてるんで、そっちに掛かり切りになってるうちに「あ、もう発売ですね」と届いた掲載誌見たり(最近はアマゾンの告知見る、がリアルかな)。データは本になって海へと流れ込み...久禮さんはその大海をご自身のフィールドとしてキャリアを重ねている方。そして私は小誌を介して海での泳ぎ方を少しずつ身につけていますが(まだまだ!)...大海では、久禮さんの活動に多くの注目が集まっていることを実感しました。

作品内には<このごろの出版書店業界の話題といえば、出版不況だなんだと抽象的な大状況ばかり語られるか、町の本屋が閉店すればそれを惜しんでノスタルジックな思い出話ばかりされる>との一節。ニュースでも大型書店閉店などと。5〜6年前のレコード屋の状況に似ているように思えるな。20世紀末頃それまで「あそこに行かなければ!」という店が多店化、タワーレコードやHMVやWAVEやヴァージン・メガストアーズがいっぱいできたけど...個人的にはHMV渋谷の最期の頃、ONE-OH-NINE時代っぽいものは全部上の階にいっちゃって、井の頭通り側の路面から入ると「なんでここまできてハマサキとマライアキャリ〜ばっかなんすか?」って思い出があって、そこから何年で閉店だったんだっけ。いや、エジソンとグーテンベルクとしても歴史の重みが5倍くらい違う(!?)から、同じではないと思うけど。

<書籍を扱う新業態へのチャレンジ>と<一般的な新刊書店の現場実務を指導>が現在の久禮さんの仕事、その活動の原点が熱く綴られた小誌今号寄稿作を、ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思っています。



 2014年の秋、鈴木さんはあゆみBOOKSを去り、颯爽堂の経営に専念することになった。そしてあゆみBOOKSは2015年11月に書籍問屋の最大手、日販に買収されて経営陣は一新され、颯爽堂も休業してしまった。ほんの1年半の間に、すっかり状況が変わってしまったのだ。このまま忘れてしまう前に、本屋の仕事として鈴木さんが実践してきたことをまとめておきたいと思っている。

 鈴木さんは30代前半を南阿佐ケ谷の書店「書原」で店長として過ごしたあと、あゆみBOOKSに転職してきた。1980年代の終わり、あゆみにはまだ4つの小さな店舗しかなかった頃だ。まだ会社としてこれといった手法を確立していなかったあゆみに、本屋の職人技の数々を持ち込んだ。書原の創業者、故上村卓夫さん譲りのテクニック、スリップとデータと観察に基づいた「書棚編集術」だ。

 スリップとは、書籍に挟み込まれている短冊のかたちをした紙切れのことだ。そこには題名や著者、出版社などが印刷してあり、本が売れるたびにレジで抜き取って、束にして集めておく。それを見ていくことで、お客さんの興味や欲望を読み取っていく。

ウィッチンケア第7号「鈴木さんのこと」(P122〜P127)より引用
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2016/05/19

vol.7寄稿者&作品紹介19 我妻俊樹さん

テン年代(というのか...2011年以降)の我妻さんは、竹書房関連で継続的に作品を発表しています。アマゾンで我妻俊樹さんを検索すると、呪奇祟冥霊幽獄怪毒忌恐といった文字の入った、黒っぽい表紙の本がずらりで壮観。来月も「猫怪談 」(竹書房文庫)という新刊が出るようで...でっ、たまにちゃらけた色合いの本があるなと思うと、なんだ小誌ではないですか。

小誌発表の我妻さん作品もそろそろ書籍1冊分に満ちそうなテキスト量。第39回新潮新人賞(2007年) 【小説部門】で最終候補作「雨傘は雨の生徒」をはじめとする、竹書房さんでの諸作とは風合いの異なる作品群の単行本化を、私は広く世の中に訴えかけたく存じます。そして我妻さんの小誌第2号掲載作「腐葉土の底」は、いますぐウィッチンケア文庫(無料)で全文読めますので、みなさまぜひアクセスを...いやいや、そのまえに小誌第7号を買って、最新作「宇宙人は存在する」をご堪能ください!

今号掲載作の中に、私がこれまでの我妻さん作品に共通して抱いていたのに近い感覚を表した一文がありました。<今まで見ていた夢が積み木のようにくずれ落ちる感覚を味わった>...という部分。我妻さん作品の読中感(not 読後感)は、私にはこれでして、つまりドアを開けて部屋に入ったが、決して振り返ったらそこにドアがあると思ってはいけない。進むしかない。そして必ずどこかへは出られるんだけど、そのときに「私はたしかにドアを開けてここに入った」と思わないほうがいい、みたいな。これ、居心地の悪い人にはすごく悪くて「ストーリー的にデタラメ」と感じるかも。しかし、その「デタラメ」という言葉を引き受けて言うならば、なんと綿密に構築された「デタラメ」であることか。再読すると、作品内のディテールはより見えますが、でもやっぱり「同じドアから入り、同じどこかへ出る」になるはず。

ネット上の我妻さんの活動は、私にはつかみどころがありません。あっちこっちに専用サイトやアカウントがあるがどこがアクティブなのか? なかには鍵付やBOTもあり追い切れません。Facebookでも「友達」ですが、ここ数年影を見かけたこともないし。いまときどき気配があるのは、Twitter(マイ非公開リスト)にあるここ、かな。でもこれもいつどうなることやら〜。



 父の遺した本棚から、ばさばさと音をたてて本が落ちた。床から拾い上げると、どれも読まれた形跡のないきれいな新品の本ばかりで、父の見栄っ張りな性格が偲ばれた。他人に実力者や知識人だと思われるよう努力を怠らない人だった。じっさいには二十五文字以上の言葉を口にしたことがなかった。広くなった額の中央に×印の傷があり、そこから時々血が流れて「宇宙人は存在する」と父は小声でうめいていた。たしかに宇宙人は存在する。東京で一番高い建物は今はどこにあるのかと、深夜のコンビニで居合わせた人々に質問したが誰も知らなかった。今では知識とはそのような浅く干上がりかけた水たまりに成り下がっていた。若者の顔色の悪さは深刻だ。東京で一番高い建物はもちろん東京ビルだ。その屋上に立って目を光らせている警備員の目は小さい。父の形見のボールペンから勝手に液が漏れて机にオナガドリの絵を書いた。わたしにはあまり父親と会話した記憶がないが、大事な点は手帳に書きとめてあるので印象としては深まっている。死んでからずっと父と話し続けている気さえする。警備員の目がますます小さくなって闇の奥に針のように刺さった。手を前に出して、もし誰かにぶつかればそのまま抱きしめることができる格好で歩いていた。難しい本を読んでいると夢が景色ではなく言葉になってしまうことがある。父の眠る墓石には「宇宙人は存在する」と中国語で彫ってあった。

ウィッチンケア第7号「宇宙人は存在する」(P116〜P120)より引用
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我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作
雨傘は雨の生徒」(第1号)/「腐葉土の底」(第2号&《ウィッチンケア文庫》)/「たたずんだり」(第3号)/「裸足の愛」(第4号)/「インテリ絶体絶命」(第5号)/「イルミネ」(第6号)
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2016/05/18

vol.7寄稿者&作品紹介18 かとうちあきさん

かとうさんは今号、かなり爆発してます。こんなに饒舌でブラックな「わたし」が登場した寄稿作は、初めて!! ...それで、私はフィクションとして今作に感銘を受けたのですが、小誌制作関係の一人が「かとうさんの作品、エッセイですよね」と言いまして、えっ? と思ってそのつもりで読んだらそんな感じもしなくもなくなくってきてしまって...でもどちらにしてもこの怒りの洒落っ気というかかわいらしさ、かとうさんにしか書けない世界です!

「わたし」のデート相手の「その人」のセリフ(「帽子、似合うと思うよ」「かぶればいいのに」)が印象的なのですが、これってエヴァンゲリオンの「笑えばいいと思うよ」の本歌どりじゃないか? と私は思ったのですが、まさに「わたし」の対応は「ごめんなさい。こういう時どんな顔すればいいかわからないの。」...でも「私が守るもの」とは正反対の感情を持たれてしまってご愁傷様です、「その人」。

作中に「なにが楽しいのかわからないうぃんどーしょっぴんぐとかいうやつをするはめになっている」という一節が出てきます。平仮名で書かれていることでわかるように、「わたし」はウィンドウショッピングが全然楽しめない。でっ、かとうさんから最初に送られてきたテキストではこれが「うんどーしょっぴんぐ」だったんです。最初、誤植かと思った。しかし天才かとうさんなら<ウィンドウショッピング=(苦行のような)運動をさせられる買い物>として「うんどーしょっぴんぐ」という造語を主人公に言わせるかも!? そう思い至ったら、本作で一番含蓄のある箇所に思えたのですが...本人に確認したら「誤植です」と...ホッとしましたが少し残念。

そんなかとうさんが主宰する「お店のようなもの」は、横浜市南区中村町にあります。先日、小誌納品で近くの日ノ出町まで伺い、台湾料理「第一亭」でパタンとチートを食してきましたが、人気でびっくり! 他にも野毛や横浜橋商店街など、散策しがいのあるエリアがたくさんあるので、皆様、ヨコハマにお出かけのさいにはぜひ、訪ねてみてください〜。そして、かとうさんの小誌第3号掲載作「台所まわりのこと」は、ウィッチンケア文庫で全文読むことが可能、こちらもぜひ、ぜひ!



「見たい店ある?」「とくにないですね」「普段どういう店で服を買うの?」「もっぱらヤフオクですかね」とかいうまったく打てども響かない会話を交わしながら、その人にもとくに目的の店などなく目的なく歩くのが目的のようなので二人で歩いておりますと、ということはつまりぐるっと歩ききったら終わりなんじゃないかとここはぴゅーっと進みたいところ、一店一店もれなく覗いて回る展開でありまして、そしたら帽子しかないお店があって、「帽子、似合うと思うよ」「かぶればいいのに」だってさ。わたしは(とくに似合うと思わないし、そもそも……)と思ったので、
 似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは防寒のため、あるいは寝ぐせを隠したいときなんです。
 そう答えたのですが、あとから考えるとすでにその人のその物言いに、いやなものを感じていたのかもしれない。しかしそれ以前から反感もあったのだと思います。だって(あ……)ってままわたしにとっては苦行のような煌びやかな空間にいて、10年ぶりくらいになにが楽しいのかわからないうぃんどーしょっぴんぐとかいうやつをするはめになっているんだからな。って、まあ、だからその人よりわたしのこういう物言いがやばそうだっていうのはわかってるんですけどね。

ウィッチンケア第7号「似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは」(P110〜P114)より引用
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かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作
台所まわりのこと」(第3号&《ウィッチンケア文庫》)/「コンロ」(第4号)/「カエル爆弾」(第5号)/<のようなものの実践所「お店のようなもの」>(第6号)
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2016/05/17

vol.7寄稿者&作品紹介17 古川美穂さん

古川さんは昨年「東北ショック・ドクトリン」(岩波書店刊)を上梓。同書は東日本大震災後、急激に進められた新自由主義的改革(=ショック・ドクトリン)について、現地を訪ね歩いて実態を報告したルポルタージュです。水産業特区、空港民営化、遺伝子検査、大型小売業の進出などについて、地元に寄り添う視点で丁寧に生の声を拾った、後年貴重な資料となるに違いない1冊。指摘は鋭くても、その語り口には著者の優しい人柄が感じられました。古川さんには他に「ギャンブル大国ニッポン」 (岩波ブックレット)という著書もあり、こちらも丹念な取材に基づいたものです。

その古川さんの小誌今号寄稿作は、初めて発表した書き下ろし掌編小説。主人公の菊蔵さんはキンツバが好きなおじいさんでして、読み始めは、なんとなく日向ぼっこしてるようなというか、古典落語のような情景が頭に浮かびそうな雰囲気かな...あれれ? だが、しだいにこれはたいへんな世界(グレーゴル・ザムザか!?)に迷い込んでしまったと抜け出せなくなる話でありました。きっとレビー小体型認知症について、ご著書と同じように背景調査をなさったうえで、小説世界を構築したのかと。

古川さんとは町田駅前(丸井の上)のSolid&liquidというカフェで打ち合わせをしました。お住まいが小田急沿線で、ついつい話は脱線して「町田も変わりましたよね」みたいな(この町もショック・ドクトリン的発展!?)...。かつては週刊誌の記事も手がけていた、とのこと。雑誌がいまより元気だった時代の話もできたりして、貴重なお時間をありがとうございました!

プロフィール欄では3月に出た「禅の教室 坐禅でつかむ仏教の真髄」 (伊藤比呂美 藤田一照著/中公新書)の構成も手がけられた、と。書籍にまつわるオールラウンド凄腕の古川さんが、小誌寄稿をきっかけに創作文芸の分野でもご活躍なさることを、願ってやみません!



 居間の入り口に血塗れで倒れている兵隊を苦労してまたぎ越し、テレビの前のソファに腰掛けた。杖でテレビのスイッチを突いて電源を入れる。ちょうど相撲だ。だが今場所はひいきの日馬富士の調子がいまひとつで面白くない。テーブルの菓子入れから黒糖まんじゅうを取って齧る。よかった。今日のまんじゅうにはフナムシが入っていないようだ。まったくこの家は、フナムシだらけでやりきれない。
「甘味に相撲観戦とは、よい御身分だね。菊蔵」
 テレビと床のわずかな隙間から、ぬーっと男が出てきて言った。男というよりまだ少年の面影を残す、ほっそりとした美青年だ。だがどんなむごたらしい姿の幽霊よりも、しばしば現れるこの女のような顔立ちをした優男のほうが、わたしはずっと苦手だった。

ウィッチンケア第7号「夢見る菊蔵の昼と夜」(P104〜P108)より引用
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2016/05/16

vol.7寄稿者&作品紹介16 多田洋一(発行人)

多田洋一(発行人)の今号掲載作に登場した「けいちゃん」。主人公にとって好きでも嫌いでもない女性との関わりで話を展開させたいと思ったら、結果として「ちゃん」付け人名でした。あっ、「好きでも嫌いでもない」は「どうでもいい」とは違うかな...いまもう少し詳しく説明しようと考えてみると「恋愛感情に至ることはないが通常なら〝嫌い〟で斬り捨てる諸々も勝手に推し量ってしまう」という、そんな人、あなたの周囲にも「ともだち括り」にしていません? って、なんで呼びかけ調なんでしょう、今年の私。

私の書くものについては、昨年の紹介文で三浦恵美子さんが分析してくれました。今作も書き手が「意識を改めた」みたいなことはなく、ほんと、ぜひ三浦さんのものを読んでくださればと思います。そして実生活では、私は女性を呼ぶときはほぼ「苗字+さん」。同じ場に複数同性の人がいたら「名前+さん」だけど、別の場では「苗字+さん」に戻すし。まれに渾名が「○○ちゃん」な人に会うと、しばらくは「○○ちゃんさん」でテストラン、頃合いを見計らって「○○ちゃん」に移行できたら、そうなる。

苗字呼び捨ては...女性にそれしたら嫌いの意思表示? 名前呼び捨て...ほぼ憧れですな(妹と「苗字/名前の呼び捨て=渾名化している」は例外)。ついでに「パートナー関係にある人」と同席して誰かががそのどちらかを「自分との関係」で呼ぶと、妙に居心地が悪いなー。誰かの妻を夫の前で旧姓で呼ぶとか(スルーしてますが)。似てるのが錦織選手のニュースで松岡が出てきて「圭は」を連発すると「圭と呼べる立場のオレ」ってことかよ、と。

今回当紹介文タイトルに「(発行人)」と添えたのは、なんかいろんな方とのやりとりで、さすがに寄稿者ではないが、それ以外では最近でも少なくなく「えっ? 多田さんも書いているんですか」と。とくに「豪華執筆陣!」的な褒め方してくれる人から「も書いているんですか」と(見本誌事前に送ってても!)。もちろん私はにこやかに「はい、発行人ですが私も書いているんですよ」とスルーして答えています(心中は「〝も〟じぇねぇよ」)。ですので...読んでからお会いしましょうね、「午後四時の過ごしかた」。



 身も蓋もなく言えばそこには老けたけいちゃんがいて烏龍茶を飲んでいた。目の前にいる御婦人を見て、僕が数年前に会ったのはいまより若い女であるところのけいちゃんであったと実感したのだった。まあ同じ年数が経過したのだからけいちゃんもこちらと同質の印象を持ったことだろう、しかしなぜ晦日の夜に木田と二人でいる? 僕は不意に笑いが込み上げ止まらなくなった。けいちゃんのボブ。けいちゃんの恰幅。けいちゃんの携帯ストラップの四つ葉のクローバー。それらはもちろんなんか歪でなんともおかしかったが、なにより木田も僕もけいちゃんももうすぐそこにある新しい世紀をしぶとく生き存えていくことになるんだということ、それがおかしくてたまらなかった。
 最初はなにかのはずみで木田と付き合い始めたんじゃないかと勘ぐっていたが、酔いが回る前にはそうではないと確信した。まだ嫁に行けてないけいちゃんは相も変わらず堅牢な「私」について語り続けた。世界や他者と自分との関係性は微塵も揺らいでいなかった。

ウィッチンケア第7号「午後四時の過ごしかた」(P098〜P103)より引用
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多田洋一(発行人)小誌バックナンバー掲載作
チャイムは誰が」(第1号)/「まぶちさん」(第2号)/「きれいごとで語るのは」(第3号)/「危険な水面」(第4号)/「萌とピリオド」(第5号)/「幻アルバム」(第6号)
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2016/05/15

vol.7寄稿者&作品紹介15 三浦恵美子さん

2016年、私の知るかぎり、まだネット上で三浦恵美子さんの今号寄稿作についての詳細(作品タイトル以外)は告知されていないと思いますので(私が参加していないLINEやInstagramではもしかするとあったのかも?)、少しばかり緊張するのですが、ええと、三浦さんの小誌今号掲載作は、詩です。

最近のネット...私は諸般の事情で1日数回はYAHOO! JAPANの<リアルタイム検索で話題のキーワード>というのを眺めますが、まあ社会勉強になることも少なくないが、しかし「ここは既存メディアの出先案内機関か?」って思うこと、どんどん多くなっています。<話題なう(00:00時点)>で順位付けされている<キーワード>って上手にコントロールされてるよな。火事と喧嘩は江戸の華の頃の市井の噂話が可視化されるようになっただけというような気がしなくもないですが...世の中うるせー。三浦恵美子さんの小誌今号掲載作は、詩です(小誌的には「詩」こそリアルタイムキーワード)。

なぜいま三浦さんが詩を書こうと思ったのか? 原稿やりとりの過程で少し知り得たこともあるのですが、そのような背景的なことよりも、まず掲載作を虚心で読んでいただきたい、と発行人は願っていますが、あっ、でも少しだけ。三浦さんが詩を書いたのは<十代が終わる頃>以来とのこと。そして今作は諸般の偶然が重なって<意図せず「詩」がこぼれ落ちた>とも。じつは私は現在17日締め切りのとても長い文章の仕事と併行して寄稿者紹介を続けていますが、その<とても長い文章>作業をいくら進めても、その先に「詩」はないなぁ。詩がこぼれ落ちるような瞬間、羨ましい。

かつてケイト・ブッシュは肉を食卓に出されてそれが「動物の死体」に見えた、とどこかで読んだ記憶があるのですが、私はときどき野菜を見ると、肉や魚や卵より怖いものに思えることがあります(とくに、好きだけど)。「草木の身体感覚について」と題された三浦さんひさびさの詩が、多くの方の魂と共振しますように!



花は〈顔〉に似ている。目も鼻も耳も口もないその〈顔〉は、どんな動物の顔とも次元の異なる派手さ美しさ時には清楚さをもちそれを誇らしげに外気に晒す。蜂や蝶を呼び寄せる。目も鼻も耳も口もなくその背後には脳もなく、神経回路も備えず、見ることも嗅ぐことも聴くことも食べることも考えることもしないのだけれど、〈顔〉に似た〈花〉は生殖する。

ウィッチンケア第7号「草木の身体感覚について」(P094〜P096)より引用
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三浦恵美子さん小誌バックナンバー掲載作
〈TVガーデン的シネマカフェ〉試案」(第5号)/「子供部屋の異生物たち」(第6号)
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2016/05/14

vol.7寄稿者&作品紹介14 中野純さん

第2号以来、毎作異なるスタイル/新しいテーマでご寄稿くださる中野純さん。ホント、小誌の存在理由を楽しく理解してくれている、と心強いです。なにしろ小誌は小さくて新しいのでたとえば蜷川幸雄さんが灰皿を投げつけるような定番話ならなるべく大きくて歴史のある〝場〟...多くの人が「その話が聞けるから」と集う場がいいんじゃないかと思うのでして、これは私がものごころついた頃から「《歌うこと》についての歌」「《映画(を撮ること)》についての映画」などが退屈なのとも関係しているのかもしれず〜。

前作「つぶやかなかったこと」では果てしなくつぶやき続ける文体で独自のワールドを構築した中野さん。今号掲載作は一転、弾むように切れ味のいい作品ですが、しかしタイトルにもなっている「ナイトスキップ」が新しい...っていうか、このことについて書かれた文献を私は知りませんでした。なので、中野さんが以前から語り実践しているナイトハイクとの違いも、今回再認識。なんと、闇夜に歩くとの闇夜にスキップするのでは、少なくとも親子丼とフライドチキンくらいには異なっておりました!

作品冒頭しばらくは、これは小説!? といった趣き。そして<その昔、パソコン通信で友人たちと飛ぶ夢談義を少しした>といった逸話も挟みながら、話題はナイトスキップとはなにか、その魅力とはについてぐ———んと跳ね上がっていきます。そうか、昼間のスキップとは解放感と浮遊感が別物なのか、と誘われ始めるわけでして。

作中には舞踏家の菊地びよさん、音楽家のシューヘイさんも登場します。どんなスキップの仕方をしているのか、ぜひ本作でお確かめください。そして闇のスペシャリストである中野さんの世界に触れたければ、まずは既刊の『「闇学」入門 』(集英社新書) など、ぜひ。併せて、今年3月にスタートしたウィッチンケア文庫の中野さん作品「美しく暗い未来のために」にもアクセスぜひ、ぜひ!



 私は夜間のスキップを「ナイトスキップ」と名づけ、菊地さんとナイトスキップの普及・発展に努めることに合意し、立て続けに集団ナイトスキップをやった。これが思ったとおり、とんでもなく楽しい。大島弓子の名作『秋日子かく語りき』のラストは、深夜の校庭に勝手に集まってフォークダンスをするのだが、ナイトスキップイベントはまさにその世界で、ちょっとわけがわからなくて、とてもワクワクする。
 二〇一三年六月の埼玉県杉戸町では、四〇人近い参加者に光るブレスレットを着けてもらってスキップした。暗い田んぼ道を、狐火のような光が躍りながら進んでいった。
 ナイトスキップイベントでは、みんなでさまざまなスタイルのスキップを楽しみ、新種のスキップを続々と開発して、スキップの世界がどんどん広がっていった。
 私が好んでやる幅跳び系のスキップは「水切りスキップ」、菊地さんが好む高跳び系は「ハイスキップ」と名づけた。ほかに、後ろ向きの「バックスキップ」、横に進む「カニスキップ」、ねぶたの跳人のような「なんばスキップ(和式スキップ)」、二回ずつでなく三回ずつ地を蹴る「スススキップ」、インディアンふうの「地団駄スキップ」、足を交差しながらの「クロススキップ」、手足をピンと伸ばした「伸身スキップ」、フォークダンス的な「2人スキップ」、「回転スキップ」、「酔いどれスキップ」などなど。

ウィッチンケア第7号「金の骨とナイトスキップ」(P088〜P092)より引用
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中野純さん小誌バックナンバー掲載作
十五年前のつぶやき」(第2号)/「美しく暗い未来のために」(第3号&《ウィッチンケア文庫》)/「天の蛇腹(部分)」(第4号)/「自宅ミュージアムのすゝめ」(第5号)/「つぶやかなかったこと」(第6号)
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2016/05/13

vol.7寄稿者&作品紹介13 オオクボキイチさん

ほんとうは...オオクボさんの今号寄稿作は、もとになった書き下ろし作品のエディットver.なのです。もし小誌にもっと《体力》があれば、原型のまま一挙掲載できたのですが、そのためにはあと30ページは必要でして。今作を読んだ各方面関係の皆々様、ぜひフル・レングスver.に興味津々になっていただければ、発行人として嬉しく存じます。

オオクボさんの著書「ストレンジ・ブルー」は、2002年河出書房新社刊。クールスのメンバーだった時代を描いた自伝的小説で、アマゾンの<商品の説明>には〝ある日、舘ひろし率いるバイク・チーム“クールス”のバンドのメンバーに誘われ、いつのまにかキャロルのジョニー大倉と矢沢永吉をスタッフにレコーディングがはじまっていた…〟と記されています。まさか「ぎんざNOW!」等で観ていた方と後年原稿やりとりするなんて、想像もしませんでした。そして同作は現在、中古価格が軽く1万円を超えていまして...もっと入手しやすくなること、切に願います。

主人公・研一の目を通して描かれる夏穂は魅力的。作品内では〝夏穂はブスの方だったけど明るくて、ムチッとした健康的な色気があった。本当は四人の中で一番美しい日香里(ひかり/原文ではルビ)に惹かれたのだが、その近寄りがたい冷めた美に怖じ気づいてやりやすそうな夏穂を選んだのだ〟なんて書かれていますが、いやいや、いや(研一くらいの年齢の男子って、いまはみんなもっと草食系なのかな?)。夏穂は研一に決定的な影響を与える存在です。

物語終盤、年を経た研一は「あの夏に流れていた凝縮されたエネルギー」を確かめたくて、今井浜海岸を再訪します。作品内に何度も登場した、セミの鳴き声の意味するものとは...ぜひ本作を手にとってお確かめください!



 気がつくと太陽は山の彼方に消えていた。自然の中で育まれた発芽を見守るような好意的な空気の中で研一は自分を肯定した。純真な性欲に罪はなく、むしろ崇高な衝動と考えていいはずだ。日常の背後にある扉が静かにひらいた気がした。世界はあきらかにさっきと違っている。だが、その違いを自分のものにするには少し時間を必要とした。じわじわと胸に湧き上がる誇らしい達成感に浸って研一は夏穂を抱き締めた。
 夕食の時間が近づいて二人は山を下りた。歩きながら夏穂が、「アソコがヒリヒリする」と言ったのには驚いた。女の子がアソコの話をするなんて想像を絶していた。「ほんと?」としか言いようがなかったけど、こんな会話ができる親しみを研一は嬉しく感じた。それに、指先についた夏穂の匂いがさっきからまとわりついて離れないのだ。
 そして夜は訪れた。

ウィッチンケア第7号「まばゆい光の向こうにあるもの」(P078〜P086)より引用
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2016/05/12

vol.7寄稿者&作品紹介12 木村重樹さん

木村さんの今号寄稿作...じつはかなり私は琴線に触れられまして、クラッと目眩を催しました。過去ご寄稿いただいた中で、今作は比較的短めの一篇。しかし、しかしですよ、とくに前半部分、これほど〝素の木村重樹さん〟(←キャラづくりでしたら失礼!)が顔を覗かせたことは、なかったんではないかなぁ、と。元来学究肌の木村さん。カルチャー事象の論考では資料を駆使し、さまざまな文献から独自の見解を組み立ててくださることが多かったのですが...。

もし「本作をひとことで要約せよ」という国語の問題があったら...私だったら「旅に出よう」って書いて提出するかな(〝テントとシュラフの入ったザック〟は無用)。木村さんは映画『トゥルーマン・ショー』を例に引いて自身の旅における〝あれっ!?〟感(←私が勝手に命名)を述懐していますが、少なからず年齢を重ねるとこの感覚は強くなるのでしょうか? 「ついこのあいだ自分が訪れていた〝あの場所〟は、そして、そこで出会った〝人たち〟は、はたして本当に実在するのだろうか?」(本文より引用)。

作品内ではこの後「存在論的懐疑」という言葉で〝あれっ!?〟感が分析され、さらにそれは「幼児期〜思春期特有の不安定さの発露」ではなかったかと方向付けられるのですが、やばいなオレ、と拝読して曲解したのでした。自分、なんだか最近、過去(=人生とも言ってみようw)を思い返すにつけ「オレなんて20世紀後半〜21世紀前半のどこかを旅したことあるだけ」みたいな...これは老いか、中二病後遺症か?

ドラマーでもある木村さんが今後、スティックをジーンズの尻ポッケに差してふらっと旅に出る、なんてことがあるのでしょうか? あれは現実だったのだろうか、という思いとともに、でもこの先なにが起こるかもまだわからない...人生(!!)の醍醐味かもしれませんね。個人的には、今後も木村さんの自分語りをもっともっと聞きたいです!



 自分の話に戻ると、齢50を過ぎた頃合で、残りの人生における優先順位に気をとめるようになった。「それまで行ったことのない場所に行ってみたい」けれど、全部行っている時間も資金も意欲もなかったとしたら、そこでどう折り合いをつけるか? 自分の場合、それは「(外国映画やテレビの海外取材番組のような)映像越しに体験する」という妥協案に落ちついた。こと優れた外国映画の場合……もちろん撮影セットやCGのような〝架空の光景〟が描かれるケースは巧妙に間引くとして……その土地の風土や民族性やエッセンスが、スクリーンから滲み出てくる。肝心のストーリーに多少の不備や瑕疵があったとしても、珍しい景色が見られ、周囲にはあまりいなさそうな人間たちのドラマが展開すれば、鑑賞代の元は十分に取れるのだ。

ウィッチンケア第7号「映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]」(P074〜P077)より引用
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木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作
私が通り過ぎていった〝お店〟たち」(第2号)/「更新期の〝オルタナ〟」(第3号)/『マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」』(第4号)/『ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感』(第5号)/「40年後の〝家出娘たち〟」(第6号)
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2016/05/11

vol.7寄稿者&作品紹介11 野村佑香さん

野村佑香さんの小誌前号寄稿作「今日もどこかの空の下」。発売からしばらくして、NHK出版さんから問い合わせがあり、同社の出版する「実践ビジネス英語セミナー」の<The Writers’ Workshop>に英訳され掲載となりました(2015年7月号、10月号)。...小誌は刷部数1000でありますが、掲載作の英語ver.は、いったいどれだけの方に拡散され届いたのか? ほんとうに嬉しいできごとでした。

野村さんの今号寄稿作は、実体験を背景とする「物語」、そして「俳優」についての論考的なエッセイ。<三歳からモデルを始め、小学校五年生で初めてドラマに出演>するなど活躍していた野村さんが、<大学生の二年間を休業して復帰>した後、「俳優」という仕事をどう捉え、どのように取り組んでいるのか、率直に語られています。とくに「子供」と「大人」にまつわるエピソードは、長く野村さんを応援しているファンには、感慨深いのでは...(拝読しながら、私の脳裏に不意に「トンネル、ネル...ねるねるじぇらじぇら、ねるねるじぇらじぇら」というフレーズが蘇ってしまったこと、慎んでここに正直に告白します)。

原稿やりとりの頃に放映された「科捜研の女 第15シリーズ」の13話での<友坂梨香>役。心に闇を持つ難しい役どころの人物、と感じられましたが、作中には<たとえば特別な心理状態にあるような役だとしたら、心理分析関係のサイトや本で医学的観点、客観的意見も調べる>といった記述もあり、そうか、あの目力は! と惹き込まれてしまいました。

そして今号発売直前の3月20日、西荻ラバーズフェスでのトークショーに登壇した野村さんは、自著の朗読も(with漫画家の玉川重機さん、詩人の田中庸介さん)。女優業とともに、「物語」の作り手側としてのキャリアも、さらに拡がっていくのでしょう。



 そんな風に思うのは私が本好きで、小さな頃から物語に親しんできたことと関係しているのだろう。小さな頃から小説ばかり読んできた。仕事では「移動時間」「待ち時間」という名の読書時間に事欠かず、眉間にしわを寄せながら物語に集中していた(強い三半規管のおかげで、車内でも全く酔わなかったことも大きかった)。エッセイというのは野暮だとも思っていて、それはある小説家が好きであれば好きであるほど、その方のエッセイはマジックの種明かしみたいでがっかりするような気がしていたから(今ではそんなことは思わずに、楽しく読むけれども)。
 新しく小説を買ってもらって、その本を開く楽しみ。新しい、知らない世界、本当にある場所、信じれば見えてくるような場所、いろんな感情。自分の内側が豊かになるような、友達が増えていくような感覚。ページを開いている間はすべてを忘れさせてくれる物語との出会いは、自分が思ってもいないところに連れ出され、見たこともない視点から世界を見せてくれた。そんな風に育ってきた私だが、大学を卒業したくらいからだろうか? 本を読む機会が急激に少なくなった。

ウィッチンケア第7号「物語のヒツヨウ」(P068〜P072)より引用
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野村佑香さん小誌バックナンバー掲載作
今日もどこかの空の下」(第6号)
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2016/05/10

vol.7寄稿者&作品紹介10 太田豊さん

「初回デート費用=男性が全て払う」...って、これは小誌第7号の<参加者のプロフィール>欄の、太田豊さん枠より引用。たぶん、作品内に登場する<某婚活系アプリ>と関連した自己紹介なのかと推察しますが、残念ながら私はその方面に疎いので確かめようもなく。でっ、いま、テレビなんか見ると「デートで割り勘は当たり前」なんて言ってますが、ほんとですか? あと「音楽はタダで聞くのが当たり前」とか「インターホンが鳴っても無視するのが当たり前」とか。当たり前も世に連れ...ほどなく飲酒して公共交通機関使ったら逮捕されそうだな。

「日々から日々へ」(←デヴィッド・ボウイの「Station to Station」由来?)は五三歳のオオタさん(もちろん偽名、とのこと)の婚活物語なんですが、けっこうたいへんそうです。というのもこのオオタさん、神保町の東京堂で詩の同人誌を買ったり、音楽ではヘンリー・カウ周辺に造詣が深かったり、と、まあ愛を込めつつ敢えて言えば「こじらせ系おじ(い)さん」。しかも、このオオタさんが婚活をする理由は「子供が欲しい」。ちなみに前掲のプロフィール欄には「子どもの有無=別居中」との記述も見当たります。

このオオタさん、日々アプリで女性会員のプロフィールを見て、シングルマザーの大変さに胸を痛めたり、海外旅行とディズニーランドの人気に意気消沈したり。ついには別の出会い系サイトに一五歳ほどサバを読んで登録したものの、「87Fカップ150cm歯科助手です☆」なんて文言に辟易して「こりゃ業者とシロウト売春の巣窟かな?」と思ったり。

そんなこんなの果てにこのオオタさん、28歳のほのかさんと縁があって実際に会うわけです。この後の展開は、ぜひ本編でお楽しみいただきたいのですが、しかし作品終盤の「セックスを覚えたてのころ、外へ出たときに、みんなこんなことやってるのかという驚きで、街や人が違って見えたことを思い出す」という一節は、序盤にある「見ることそのものへの驚き」という一節とも響き合って、ぐっときました。センシティヴな感性で年を重ねるこのオオタさんに、幸あらんことを!



 あからさまに美女だという人は美容関係の仕事が多く、口々に出会いのなさを嘆いている。投資信託会社の回し者や、男性に夢を与えるだけの役回りを演じる「業者」もまぎれこんでいるようだ。
 胸を打つのは、シングルマザーの大変さだ。幼い子供ふたりと仲よさげに写っている女性の年収が二〇〇万円以内だったりする。本人も、そうした条件がある自分が男性から選ばれにくいことを承知で登録してきている。「本気で相手を探しているので、遊びの方はお断りです」というコメントが胸に刺さる。子供が好きなんだったら、この人とつきあってみればいいではないか、という問いが自分にも突きつけられているようだ。つきあってみて子供がふたりいることがわかるのと、最初から子供がふたりいることを知ってコンタクトをとることとはどこが違うのか。

ウィッチンケア第7号「日々から日々へ」(P058〜P066)より引用
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2016/05/09

vol.7寄稿者&作品紹介09 武田砂鉄さん

武田砂鉄さんの今号掲載作を受け取った直後、世間では突如ショーンKさん問題が浮上。私は、彼については「とくダネ!」で何度か見かけたことがある程度にしか知りませんでしたが(最初見たときに「あれ、羽賀研二っていまコメンテーターなの?」と思った/古っ!)、印象としては「なんか言ってるけど、なに言ってんだかわかんない」...でっ、その印象はけっこう強くて、開局時のJ-WAVEのBGM風ナレーション(ex.地球環境、ひとりひとりが大切にしたいですね/ジェイウェイヴ〜♪)みたいな人だなぁと感じていました。ホラッチョ川上さんだとは思わなかった。

一昨々日、下北沢の本屋B&Bさんで、武田さんと栗原康さんの対談を見てきました。私は父の転勤で子どもの頃今宿のある福岡市西区に住んだことがあって、母親は伊藤ルイと少し交流があったとか(野枝の自然石の墓も触ったらしい)で、「村に火をつけ、白痴になれ」も買っていたので。そのときの武田さんは、栗原さんの思想や信条、さらにお人柄の魅力をも存分に引き出す、名インタビュアーでした。そんな武田さんの手による今号寄稿作、漆原CEOとはいったいどんな人物なのか?

...さて、小誌目次だけ見ると「武田砂鉄さんがクリーク・ホールディングスの漆原良彦CEOにインタビューした記事」のように思えるかもしれませんが、wait a minute。果たして、本作のインタビュアー=武田砂鉄氏、なのでしょうか? そして、このような体の作品に仕上げた作者の、真のねらいとは? 「漆原良彦」さんは、ハピネムによると「面倒見がよいため人望が厚くリーダー的な存在」「創造力に長け明るく頼りにされる」「自信過剰のため、人間関係に難があり」とのことです。

今作は真剣に読めば読むほど謎が深まる箇所、多々あり。漆原さんが〝最近しきりに提唱している〟らしい〝ソーシャル・アクチュアリティ〟という概念、ググっても出てこないし。。。我こそはと思うみなさま、ぜひ本作を手にして、読み解いてみてください!




──社員の雇用を守ることだけが包容ではないということですか。
漆「ええ。誤解を招くかもしれませんが、会社を離れていってもらうことも包容力であり、私たちが目指す幸せの形のひとつなのですね。同じ釜のメシを食うという、旧来の日本企業的な表現があるでしょう。私はあの言い方がとても嫌いでね。誰がどこで何をしていようが、人は皆、同じ釜のメシを食っているんです。会社を辞める、あるいは辞めてもらう。時には涙することもあります。幸せの意味を理解しない社員もいる。でもね、解雇すら邂逅である、つまり、それも出会いの始まりなんですよね。たとえ理解されなくてもね、それでも私は、幸せというスローガンを失いたくないし、これが『共にあること』の真意なのだと、最後には彼らも共鳴してくれていると確信しています」

ウィッチンケア第7号「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(P052〜P057)より引用
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武田砂鉄さん小誌バックナンバー掲載作
キレなかったけど、キレたかもしれなかった(第6号)
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2016/05/08

vol.7寄稿者&作品紹介08 朝井麻由美さん

今年3月に<「ぼっち」の歩き方>を上梓した朝井麻由美さん。この本のベースになったウェブ連載を、私は以前から読んでいました。それで、朝井さんのコラムは「哲学者みたいだ」と感じていました。「ひとり○○」を実体験することで、いつも「なぜ?」を考え、真理を解き明かそうとしている、と。たんに「ぼっち」志向で生活することと朝井さんの活動とは、似て非なるもののようにも思えていたのです。

<「ぼっち」の歩き方>の中に、とても感動的な一節がありました。ひとり潮干狩りの章の「貝を掘るという同じ目標に向かうことでの、薄っすら感じる連帯感」...この「繋がり」が体感できれば、「ぼっち」は決して孤独ではないのかな。思い浮かんだのは野茂英雄、イチローという野球選手です。2人とも「ぼっち」を貫くことで、却って野球の真髄や歴史と繋がることができた人かな、と。そしてひとりボウリングの章に出てくる「ストライクを分かち合うハイタッチをしたい」というのは、この「繋がり」を、成し遂げた者同士でつかの間でも確認したい...みたいな心情なのかな、とも。

小誌にご寄稿くださるのなら、ぜひ普段は書かないようなものをとお願いして、ショートショート形式の書き下ろし作品を掲載させていただきました。タイトル、そしてテーマである「無駄」...これは「ぼっち」として歩くことに密接な関係があるようにも思えますが、しかし、本作の主人公の男が人生から無駄を削ぎ落としていった結果どうなったのか? ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います!

また作品の最後には「これを書いている」という設定の人物が顔を出すのですが、そこで列記されている「無駄」も、かなりハードボイルド風味...だけど、全編を通して読むと「俺にもひとこと言わせて!」と感じつつ、妙なおかしみが込み上げてくるのは、やっぱり作者の術中に、私がみごとに陥っている証だと思いました。



 男は洗面所の前に立っていた。今まで毎日髭を剃ることに疑問を持たなかったが、よくよく考えてみたら、なぜ剃っているのだろう。髭が伸びていて困ることは特にない。幸い、男の仕事は〝清潔感〟とやらが求められるものではなかった。男は、髭を剃るのをやめた。
 男は、生きる上で無駄なものがないか、今日も探していた。本を読まなくなった。読まなくても生きていけるからである。携帯電話はとっくに解約した。電話がなくても、メールだけで一通りの連絡は取れる。だが、徐々にメールもしなくなっていった。メールを打っている時間、メールを読んでいる時間は無駄だ、と。

ウィッチンケア第7号「無駄。」(P048〜P051)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare