2019/05/27

vol.10寄稿者&作品紹介28 久山めぐみさん

小誌第9号での掲載作では神代辰巳と小沼勝という二人の映画監督を介して、ロマンポルノの物語形式を読み解き、そこではなにが描かれているのかを論じた久山めぐみさん。今号への一篇でも、題材はポルノグラフィ。しかしながら、たとえば寄稿作前半で言及されている作品『わたしのSEX白書 絶頂度』について、主演女優・三井マリアがどんな人だったとか、あるいは音楽を担当したコスモスファクトリーがどんなバンドだったとか、そういうことには一切触れられていません。筆者はただひたすら映像に映り込んだ町の風景(とそこでの人間の気配)を観察し、“映画内で繰り広げられる物語”との整合性を探しています。じつは、『わたしの〜』のロケ地は東京都品川区東大井(作品内では「住居表示や駅名などを一切写さず、ある意味で匿名的な場所として映画世界を構築しようとしている」)。西東京在住の私からすると、ええと、オレは競馬もしないし、勤め人時代に運転免許更新で鮫洲の運転免許試験場にいったことあったかなぁ、という(敢えて言いますが)辺鄙なところ。しかししかし、久山さんはそこがかつての宿場町のはずれであり、人工的にできた埋め立て地であるからこそ、隠微で「荒涼とした性の世界」を描くのにふさわしい場所だったのではないか、と推論します。

寄稿作後半では『色情姉妹』『密猟妻』『団地妻を縛る』といった作品を題材に、千葉県浦安市が語られています。浦安といえばいまや、朝井麻由美さんの寄稿作に出てきたファンタジックな鼠のホームグラウンドとして有名ですが、ええと、ちょっとは言及されてますよ。「(第一期埋め立てには、1983年に東京ディズニーランドが開園される舞浜エリアも含まれる。)」と、この地もまた人工的な場所であることを説明するくだりで資料的に。でっ、久山さん的な主題にもどりますと、筆者は1972年制作の『色情姉妹』と、『密猟妻』『団地妻を縛る』(1980年と1981年)では、浦安の描かれ方が異なっていることに注目しています。前者での浦安は「質素な暮らしを営む人々の住む下町であり、リアリズム映画の展開する低地」、それが後者では...このあたりの綿密な考察は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。映画論としてだけでなく、都市論としても読み応えのある内容です!

編集者として忙しい生活を送っている久山さん。本稿執筆のため、休日返上で極寒の浦安取材を敢行してくださったと伺いました(大感謝!)。その成果は寄稿作終盤の、浦安住民が境川沿いを歩くことの意味合い、に触れた箇所あたりに反映されているようにも。また、本作では東西線への語り口が「彼女は東西線に乗り、自分に対して痴漢してきた男を探し回る(もちろん痴漢行為に欲情したため痴漢を次なるターゲットにしたのだ)。東西線は彼女の欲望を乗せて、川を越え、浦安と外部の世界とを往来する」と、印象的(熱い!)ですが、きっと久山さん、取材の往復には東西線を使ったのだろうな〜。



 ところで、立会川が勝島運河に流れ込む東大井二丁目は旧荏原郡大井村の区域にあり、品川宿の南はずれである。立会川が現在の勝島運河に流れ込んでいるすぐ北西には旧東海道がはしる。旧東海道が立会川にさしかかる橋は、かつて涙橋と呼ばれた。大井村は1932年、東京市に遅れて編入された。この一帯は江戸‒東京のちょうど外縁部であり、江戸時代には人・馬・物が行き交っていた場所だった。
 江戸‒東京の外縁部を流れる川を性、死が混淆する異界として表象しうる、という指摘がある。前田愛は鶴屋南北『東海道四谷怪談』で死骸が流れつく深川の隠亡堀に江戸空間の「昏い水のイメージ」を見、為永春水『春色梅児誉美』の隅田川のほとりに「放埒な性の風景」を見ている(「墨東の隠れ家」)。「ノーマルな都市空間」をはずれたところに、そこでしか展開しえない性的放縦がある。立会川の小さな流れと運河の揺蕩いの淫靡びさ。『わたしのSEX白書 絶頂度』は、江戸‒東京の川=異界をめぐる表象の系譜に連なるものではないか。

ウィッチンケア第10号〈川の町のポルノグラフィ〉(P168〜P174)より引用

久山めぐみさんさん小誌バックナンバー掲載作品
神代辰巳と小沼勝、日活ロマンポルノのふたつの物語形式〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/25

vol.10寄稿者&作品紹介27 東間嶺さん

東間嶺さんの小誌今号への寄稿作は、どこか軽やかで風通しがいい...そんな好印象を私は一読目から持っています。いや、べつに心温まる人情秘話とかでは全然ないので、そうだなぁ、そういう感動を期待されると東間さんも当惑してしまいそうですが、しかしこの一篇の主人公・カナは、作者のなにがしかの肯定的な動機に基づいて創作され、世の中に解き放たれたような感じが伝わってくるのです(物語上のカナは酒飲んで、クソみたいな世の中にイミフな持論を撒き散らしてるだけなんだけれども)。たとえば東間さんの前号寄稿作〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉全体に漂っていた鬱々とした空気感や、あの作品に登場した、それこそ『TOKYO COMPRESSION』の被写体のような書き割り的なキャラの重たさは、今作でも描かれてはいるんだけれども、「それが問題」というふうではなく、むしろ「それはたいした問題ではない」というものになっている!? でっ、あの作品で唯一書き割り的ではない、人肌感のある存在だったサイトウマナミ...あの人が転生/アップデートしたのが今作のカナかな、なんてヒグラシの羽音みたいなこと書いたりして(駄洒落が通じなかったら、まさにイミフ...)。

東間さんは5月10日、ご自身が主宰する“言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペース”【エン-ソフ】に、今作〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉についての自己解説、併せて小誌バックナンバーへの寄稿作についてもまとめていらっしゃいます。私は小誌第9号で東間さんを紹介したさいに「いつもリアルタイムな現実に沿った小説作品を寄稿」する人、みたいなことを書きましたが、エン-ソフのエントリーを読んで、あらためて「ホントにそういう人だなぁ」と思いました。初寄稿のエッセイ以外は、昔話なし。少年時代の懐かしい思い出を情感たっぷりに記す、みたいなことを、小説という表現には全然求めていないんだ、と(いや、いつかそれをやるかもしれないが)。最近なにか書くとほとんどが「昔はよかった」的なボヤキになりがちな私としては、東間さんのストイックな姿勢を見習いたいと思います。あっ、それから上記エントリーには「※ 『パーフェクト~』は対として構想されていて、〈乗客〉の側から画面のむこうの〈乞食〉に投げかけられる視線を扱った『ビューティフル・ビューティフル・ビューティフル・マンデイ』を近々書く予定です。」との記述がありまして、これ、とても楽しみ!

カナのような糊口の凌ぎかたを「乞食」と言うこと、今作を読むまで知りませんでした。この言葉は、いまは既存のマスメディアでは不穏当、とされていそうですが、でも作品に倣えば、カナの「乞食」っぷりは、なかなか刺激的。「コアラやパンダは、努力をしない、息をして、食っちゃ寝しているだけで、億円単位の価値を生む。わたしも、同じなのだ」って、啖呵の切れ味鋭いぞ! 人類は資本主義社会以降いちおう経済という「しばり」をルールにしてやってきたけれどもうそろそろそれでは立ち行かなくなって...みたいな、柄でもないでかい世界観にも、思いを馳せられたりして。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、この生意気で刹那な主人公の魅力に触れてください。



 会社をばっくれたとき、わたしは、わたしの「かわいさ」を「使って」生きていこうと決めていた。仕事で色々な『乞食』たちと接していて、こんなやつらより、わたしの方を観たがる人は、もっと、ずっと多いだろうと、確信していた。
 結果として、それは正しかった。はじめてから半月も経たないうちに、わたしは生計というレベルを遥かにしのぐ金額を『支援』されるようになった。
 わたしは、そうした評価や立場を得るための努力を、特になにもしていない。わたしは、他の『乞食』たちが、動画の再生回数や支援を増やすために必死でしているさまざまな奇行や反社会的ふるまい、あるいは露骨な十八禁行為(脱ぎとか、パンツ見せとか、そういうアダルト枠のやつ)をしていない。毎日毎日、部屋で酒を飲みながら独り言をつぶやいたり、朝昼晩の食事をとるありさまや、ベッドで眠りこけているわたしを、延々とさらけ出しているだけだ。

ウィッチンケア第10号〈パーフェクト・パーフェクト・パーフェクト・エブリデイ〉(P162〜P166)より引用

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品
《辺境》の記憶〉(第5号)/ウィー・アー・ピーピング〉(第6号
)/死んでいないわたしは(が)今日も他人〉(第7号&note版ウィッチンケア文庫生きてるだけのあなたは無理〉(第8号)/〈セイギのセイギのセイギのあなたは。〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.10寄稿者&作品紹介26 吉田亮人さん

今年1月に写真集『The Absence of Two』を出した吉田亮人さん。同作については小誌第9号で吉田さんを紹介したさいにも触れましたが、個展、てづくり写真集、という変遷を経て、最終形態として出版社からの発売となりました。吉田さんの公式ブログを拝見すると、発売に合わせて全国の独立系書店を中心にブックサイニング&トークイベントツアーも組まれ、大盛況。すごいな〜。この時点で吉田さんが小誌に初めて寄稿くださった〈始まりの旅〉(←この作品はいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)を再読すると、ホント、写真家・吉田亮人さんは10年前の“インドの首都デリーからムンバイまでを自転車旅行”から始まって、そしてものすごくところまでやってきたんだなぁ(さらに遠いところへといっちゃいそう)と、感慨深いです。

そんな吉田さん。小誌ではずっと写真にまつわるエッセイを寄稿してくださっていますが、今号への一篇はハードウェア、つまりカメラという機械について考察したものです。...じつは私、つい最近ウィッチンケア名義でインスタグラムにエントリーしたのですが(しただけでまだ使い方がよくわかってない)、令和元年から振り返ると、平成最後の10年の写真の進化(というか私たちの日常生活への溶け込み具合の変化)は、すごいものでした。そうだ、私が最初にデジカメを買ったのは、1996年ごろだったかな。仕事のメモ代わりにも使えて便利、それが数年後には、カメラマン同行なしで撮影も任されるようにもなったり。そうなんです、それ以前はどんな小さな記事でもカメラマンと一緒。そして歴史的な石碑なんかは、ノートに文面を書き写してた...と私のことはさておき、吉田さんの寄稿作を読むと、ニコンのD90というデジカメでキャリアをスタートさせていて、「僕自身の気持ちとしては完全にデジタル世代だなと思う」との一文も! そうか、吉田さんは撮影前日までに出版社や新聞社にフィルムを申請して受け取るとか、撮影翌日にラボからあがったフィルムを切り出して、編集者やライターと一緒にああだこうだとダーマト(赤色鉛筆)でポジ袋にチェック入れたりする、みたいな体験、ないんだろうなぁ。なんだかオレも遠くまできてしまったなあ、と感慨深い...。

作品後半では、今年1月に装丁家・矢萩多聞さんとともにインドへ撮影にいったさいのエピソードが語られています。アラビア海にほど近い町・マンガロールでアクシデント発生! そのとき吉田さんは「どんな機材であろうと結局はそれを使って何をどう写し、対象をどう見つめたいのかという写真家自身の思考が最も大事なことであって、カメラはそのための道具でしかないのだ」と実感したと記しています。なにが起こって、吉田さんがその境地に思い至ったのか、ぜひ小誌を手にしてご一読ください。



 今ではD90はとっくに役目を終えて僕は新しいカメラを相棒にして写真を撮っているわけだが、この10年という歳月でD90が兼ね備えていたスペックはあっという間に刷新され、今やミラーレス機やスマホカメラなどの軽量小型簡易化されたカメラが市場を席巻し、一眼レフカメラの地位も危ういものになっている。
 たった10年で「素人カメラマンとプロカメラマン」の差はカメラ技術の猛烈な進歩によってグンと狭まったし、誰もがそれなりの写真を手軽に撮れる。多少のセンスがあればプロ顔負けの写真を撮れることなんて最早みんな知っている。そうやって撮影へのハードルがどんどん低くなっていったことで、カメラは完全に民主化され、そのおかげで恐らく人類史上最も写真が撮られる時代になったと言っていいだろう。
 街に出ればスマホ片手に写真を撮っている人間に出会わない方が難しいし、世界中どこに行ってもみんな本当によく写真を撮っている。僕自身も仕事で使うカメラ以外で最も多く使用しているのはスマホだ。

ウィッチンケア第10号〈カメラと眼〉(P158〜P161)より引用

吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品始まりの旅(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/写真で食っていくということ(第6号)/写真家の存在(第7号)/写真集を作ること(第8号)/荒木さんのこと〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y


vol.10寄稿者&作品紹介25 矢野利裕さん

つい先月、新刊『コミックソングがJ-POPを作った 軽薄の音楽史』を上梓した矢野利裕さん。版元の【著者略歴】には“批評家、ライター、DJ”と紹介されていまして、そうですそうです、昨年6月に小誌が主宰した〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉でも大トリDJとして圧倒的なパフォーマンスを披露してくださりました。矢野さんには昨年、トミヤマユキコさんとのご縁をつないでもらったり、とたいへんお世話になっておりまして...そうだ、明日(5/26)の夕方4時から紀伊國屋書店新宿本店で「文化系トークラジオLife トークイベント 武蔵野レアグルーヴ ~いま、〝武蔵野〟を再発見する~」というイベントがあり、民俗学者の赤坂憲雄さん、TBSラジオ番組プロデューサーの長谷川裕さん、小誌寄稿者でもあるライターの宮崎智之さんとともに矢野さんも登壇するので、参加して直接お礼を言ってこよう!

さて、多方面で活躍する矢野さんですが、じつは学校の先生(都内私立の中高一貫校に勤務)でもあります。小誌今号への寄稿作には「本稿は、勤務校紀要に書いた文章を一部改変したもの」との付記が添えられていて、発達障害の生徒に対する国語教育について、さらに新学習指導要領や大学入学共通テストについても、現場発の実感のこもった提言がなされています。読んでいて思うとこ多々あり。そうか、落ち着きがなくてダメな子、と言われ続けた昭和の小中学生だった私は、いまの物差しだと“「合理的配慮」がなされてもいい存在”だったのかも...みたいな自分に都合のいい発見もあれば、文部科学省の方針についての「多様性の擁護それ自体がグローバル資本主義の一要素になっているよう」という指摘にはっとして、この国の未来に思いを馳せたり。作品タイトルにも関連している「ASDの症状においては、デノテーション(外示)を読み取れてもコノテーション(共示)は読み取れない」という一文も、そうなのか! とetc.。とにかく多様な視点/論点を喚起する一篇で、教職関係の知人から「とても興味深く読んだ」とSNSでDMをもらったり...小誌は小さなメディアですが、矢野さんお勤めの学校(勤務校紀要)、という回路以外のかたにも、ヴァージョンアップした作品として届けられたこと、嬉しく思います!

...それで、個人的に今作を読んでいまも胸中に沸き上がっている素朴な(しょうもないっぽい)疑問を、最後に。新しい「論理国語」では公共文書や契約書の読解能力を高めることが求められているようですが、いやね、つい最近携帯キャリアの変更を家電店でしたけれど、社会的にスムーズに手続きを済ませるには、店員さんに求められるまま【同意します】の項にチェックを入れていく、が「正しい」んじゃないか、と。あの場面であのような契約書テキストをしっかり読み込んで長々と内容確認してたりしたら、そっちのほうが社会的に「コミ障」...っていうか、世の中にはこういうことが満ち溢れているような気がして。あの【同意します】の真意...「とりあえずあなたのこと信用しとくから...」と読解するべきなんじゃないかな、なんて。...失礼しました。みなさま私の戯言は放っておいて、ぜひ矢野さんの寄稿作をご一読ください!



 では、コミュニケーション偏重を拒否し、従来的な読解作業を硬派に突き詰めればいいのか。教室空間それ自体が抱える問題は見直しつつ、しかし、授業内容については、どんな条件の生徒であっても負担にならないように、堅実かつ広がりのある読解作業を進めればいいのか。個人的には、それもありうる選択のひとつだとは思う。しかし、だとしても、「合理的配慮」の問題は残る。
 というのも、教員免許更新の講習によれば、現代文における「作中人物の心情を読み取りなさい」式の問いは、自閉症スペクトラム症(ASD)の生徒に対する「合理的配慮」に欠ける可能性がある、というのだ! この発想はまったくなかったので、とても驚いた。自閉症の典型例として、言外の意味を読み取ることができない、行間を読むことができない、というものがある。言葉を言葉どおりに受け取るため、言葉を発した者の皮肉や照れ隠しなどに気づくことができない。そうして人間関係にトラブルが生じることが、ASDの人には多い。

ウィッチンケア第10号〈本当に分からなかったです。──発達障害と国語教育をめぐって〉(P148〜P156)より引用

矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)(第7号)/先生するからだ論(第8号)/〈学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/23

vol.10寄稿者&作品紹介24 かとうちあきさん

 昨年6月の〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉では座談会のゲストとしてご登壇くださったかとうちあきさん。昨年の冬に活動拠点だった「お店のようなもの」が閉店、と伺い、それは残念と最後のセールで掘り出し物チェック&打ち合わせをして、そのときはお宝LP(アンジェラ・ボフィルetc)をゲットできたのですが、それから4ヶ月。なんと、「お店のようなもの 2号店」を同じ横浜でオープンとは! 銭湯の向かい側の、元居酒屋さん。今度のお店はつまみも充実している、とのことで、これはまたぜひ伺わなければ。なお、同店へのかとうさんご自身の思いは、小誌第6号寄稿作〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉にてしたためています。

さて、小誌第2号からの寄稿者であるかとうさん。ここ数号ではかなり奔放な筆致で男女の綾を描いておられまして、今回のタイトル〈わたしのほうが好きだった〉からすると、なんか、男子の優柔不断さをびしばし叩いてきたしっぺ返しでも「わたし」がくらったのか、なんて、これまでの続編のようなことを想像して読み始めたのですが、これが、ちがった。重要な登場人物「中里さん」は、どうやら同性の友達のようです。ここで思い出されるのが谷亜ヒロコさんも友達にまつわるくだりのある寄稿作を書いていたことでして、ほんと、その方面には私には窺い知れない世界があるのだなぁ、と。あと、サベックスとプチトマトの取り合わせがなんとも色彩的にキュートだと思いました。

物語の最後に登場するクレジットカードのエピソードは、ものすごく他人事じゃなく共感しました。私も同じような経験があり、しかも善人(←気弱ともいうw)だった私は断り切れなかったせいで散々な目に遭い、しかもたぶん相手はそのことを覚えてなくて四半世紀後に某SNSで「友達」申請してきやがって...ここぞとばかりに“仕返し”しようかとも思ったんですが、けっきょく「友達」になって。って、なにをよくわからないことを、と感じたみなさま、ぜひ小誌を手にとってかとうさんの作品を読んでみてください!



「就活してないって、これからどうするつもりなの」
「ずっと遊んでいられるわけ、ないんだからね」
「まったく、あんたは」
 クラス単位の必修があるのは1年だけだったし、中里さんにもそのうちごはんを食べるともだちが数人できたから頻度は減ったのだけれど、それでも週一くらい、会えばいちおう一緒にごはんを食べていたとおもう。4年になってからは、文系のわたしたちはそこまで大学に行く必要もなかったし、わたしはここぞとバイトや旅行ばかりしていたから、中里さんと会うのは久しぶりだ。
 就活を機に雰囲気ががらりとかわるひとたちの多い中で、中里さんは最初に会ったときから、ほとんどそのまま。ショートボブの髪型も黒髪も、地味な服装も。いつリクルートスーツに着替えても違和感なさそうなんだけど、面接にはてこずっているようだった。

ウィッチンケア第10号〈わたしのほうが好きだった〉(P144〜P147)より引用

かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品台所まわりのこと(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/コンロ(第4号)/カエル爆弾」(第5号)/のようなものの実践所「お店のようなもの」(第6号)/似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは(第7号)/間男ですから(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.10寄稿者&作品紹介23 西牟田靖さん

小誌前号への寄稿作〈連続放火犯はいた〉はシリアスな社会背景を感じさせる内容でしたが、西牟田靖さんの第10号への一篇はプライベートな題材。これは、恋愛小説──いやいや、のっけから「孤独死したアル中男の部屋を掃除するという便利屋潜入記」「老け専ホテトル体験記」といった前作に通じる語句も登場しますが──なのです。「風呂もないボロアパートで孤独感に打ちひしがれながらなんとか生きてきた」ライターとバイト掛け持ちのオレ(タダスケさん)が、突然舞い込んだ女性ファンからのメールで心ときめいてしまう、という。それも、「仲間由紀恵をお姉さんにしたような感じ」だけどそれよりもべっぴんさんだという...『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』といった著作のある現実の西牟田さんとタダスケさん、読んでいるとキャラ設定的にけっこうかぶるような気もしますが、真偽のほどは不明。創作上の夢物語として楽しんだほうがいいのかな!?

タダスケさんはなかなか情熱的(いや、直情的)なお人柄でして、しかしながら女性との駆け引きは苦手気味。作中のヒロイン・こんぶちゃん...この女性のことはタダスケさんのモノローグから想像するしかないのですが、読者として一歩引いて言動をチェックすると、なんか、一枚上手というか、下心を見抜いている? 自らアプローチしたのに、一度会ってからはタダスケさんをのらりくらりと躱しているようで、これ“本を読んで興味持ったけどリアルではいまいち”とダメ出し済み!? あるいは“寂しかったからちょっとからかってみただけ”とか。

個人的にはけっこう刺激的な作品でして、というのも、メールのやりとりでだんだん「お互い心を開いていっ」て、さあ会うぞ、ということになったタダスケさんが「気が合って当日、意気投合してエッチできたらいいなあ」と考えているくだり。相手への期待にもう「エッチ」が組み込まれているのは、なんかすごい! これは、たんに性欲が昂ぶっているだけではないのか? いや、相手は誰でもいい、ってわけではなくて、自分の本を好きだといってくれたこんぶちゃんと特定されているのだから、やっぱりこれは恋愛感情なのだろう...でも、いきなりそれと直結してるのか。なんだか今世紀の初めごろ、所用で渋谷に出かけたら109のシリンダーに半裸の古谷仁美さんが立っていて昼間からよこしまな気分になったことがあったけれど(渡辺善太郎が音づくりをしてたころ...と記憶)、ああいう感情に近いのだろうか、と。そして物語の後半、情熱的なタダスケさんはこんぶちゃんを追いかけてドイツまで行くのですが、果たしてこの恋の行方は? ぜひ小誌を手にとってお楽しみください。



 年が変わってからオレはこんぶちゃんの住むドイツまでのこのこ会いに行った。彼女への思いが最高潮だった。会わずにはおられなかったのだ。会ってもすぐに帰国日が来るのはわかっていた。だがこうしてまで会うことで心の絆をより強いものにしておきたかった。
 彼女は毎日夕方まで工房で過ごす。なのでそれまでの間、オレはひとり街をあてどもなくだらだらと歩いた。お城を見たり、カテドラルに入ってみたり。マイセン焼の皿が売られている店に入り、良さを全然わからないのにも関わらず手にとってみて、さも訳知りの客のように振る舞ったりした。そうして彼女が仕事が終わるのを待ちわびた。

ウィッチンケア第10号〈こんぶちゃん、フラッシュバック〉(P140〜P143)より引用

西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作品「報い」(第6号)/30年後の謝罪(第7号)/北風男(第8号)/連続放火犯はいた〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/21

vol.10寄稿者&作品紹介22 若杉実さん

来月には新刊「ダンスの時代」が発行予定の若杉実さん。私は2014年に出た若杉さんの「渋谷系」に衝撃を受け(だってほんとうに渦中にいた人にしか書けないようなことがたくさん!)、その後小誌第6号に〈マイ・ブラザー・アンド・シンガー〉(←この作品はいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)をご寄稿いただきいまに至るわけですが...いや、最初、私は“渋谷系”という本のタイトルに引っ張られて、若杉さんのルーツってネオアコ系の音楽、そこから派生してフリーソウルみたいなダンサブルなものも、みたいな先入観を抱いたまま打ち合わせなどしたのですが、いや、いや、むしろ若杉さんの根っこは広い意味でのダンス・ミュージックのほう(ご自身も踊るのが好き/そしてファッションにも詳しい!)。ですので、もうすぐ出る「ダンスの時代」、とっても楽しみです! あっ、それでファッションのことで言えば、〈マイ・ブラザー・アンド・シンガー〉って字面を見ると、ふつうR&Bとかを想像するかと思いますが、それは「×(ブブーッ)」。正解は...リンク先でぜひお確かめください!

〈マイ・ブラザー〜〉、そして前号への寄稿作〈机のうえのボタン〉でも、物語の主人公はシゲル(業界内では「渋谷系ならシゲ」で通ってる)でした。しかし今号への寄稿作〈想像したくもない絵〉の語り手...あの、少し斜に構えているけど好きなことには寝食を忘れるシゲルさん、なのかなぁ。音楽もファッションも世相も出てこない、父親と息子の話を若杉さんは届けてくださいました。かなり厳しい現実が描かれていますが、しかし、語り手の父親や家族に対する思いが、まっすぐに伝わってくる一篇です。

親元を離れて生活拠点を東京に移した人なら、いつかは体験する状況なのだろうな。今号では長田果純さんもご家族にまつわる寄稿作を届けてくださいましたが、そうだよなぁ...私はたまたま親と同居していますが、首都圏のベッドタウンだって、実家には年のいった親だけが住み、こどもは都心のマンション暮らし、なんて家族形態がふつうになっているのだから。たとえ今作の主人公がシゲルであったとしても、まったく不思議ではない物語。みなさまぜひ、小誌を手にとってご一読のほど、よろしくお願い申し上げます!





 つまらない買い物ぐせがあることは知っていた。ティッシュやトイレットペーパー、洗剤、シャンプー、歯磨き粉、歯ブラシ……外出するたびに生活用品をまとめ買いしてくる。頑迷なくせしてヘンなところに細かく、そういうところがおなじ男としてあまり好きになれなかった。
 しかし同情の余地がないわけではない。孤独なのだ。父がそうやって気を紛らわしているのはわかっている。仕事をしていたときからそうだが、まわりに仲間といえるような人間がいなかった。家には養子で入り、中学に上がると同時に望んでもいない職人の世界に入れられた。以来、朝から晩まで仕事づくし。深夜の機械作業はさすがに控えていたが、日付が変わっても仕事場の照明がついていることもあったため、若いときは近所から「いつ寝ているのか?」と嫌味をいわれていたらしい。

ウィッチンケア第10号〈想像したくもない絵〉(P136〜P139)より引用



【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.10寄稿者&作品紹介21 荻原魚雷さん

今年3月に新刊「古書古書話」を上梓した荻原魚雷さん。この本は「小説すばる」での長期連載をベースに未収録エッセイ等もまとめた、464ページもある大著。ご自身のブログ(文壇高円寺 3/21日付)には“横井庄一、竹中労、辻潤、平野威馬雄、トキワ荘、野球、実用書……。そのときどきの雑誌の特集に合わせた回もあるので、けっこう幅広い内容の本になっているのではないかと……。/恋愛小説とミステリー特集に合わせた回が苦戦した記憶がある。”と記されています。ブログ(2/22日付)では小誌への寄稿、そして今号に掲載した〈上京三十年〉にも登場する下赤塚についても触れられていまして...少しまえに宮崎智之さんの今号掲載作〈CONTINUE〉紹介で“新御茶ノ水過ぎたら「お江戸」で、その先は●●(伏せ字/陳謝!)”なんて書いていた私からするとすご〜く遠い場所のような気もするのですが、でもエッセイの前半に出てくる「ピンクの共同電話」や居酒屋の「庄や」、そして肉屋の惣菜の話は目に浮かぶほどよくわかります。空間的には少し遠いけど、時間的には同じ軸を生きている人の逸話だ、と。最近は西東京(とも言えない辺境の町田)でも、町のお肉屋さんは絶滅危惧店。まず魚屋が消えて、次に豆腐屋、そして八百屋と肉屋のどちらがサバイヴするのか。コロッケや唐揚げはコンビニエンスストアかHotto Mottoかオリジンで買うもの...やな世の中だなぁ。

平成元年は荻原さんにとって「はじめて」づくしの年だったようです。荻原さんと「元号という区切り」についての話をしたことはありませんが、改元を境に生活も一新したことの感慨が、そこはかとなく漂っている筆致だと思いました。そうだったよな、昭和天皇崩御のころは世の中がイケイケで、だからあの“自粛”がことさら重苦しく感じられたのだった。それで、あの小渕官房長官のずっこけそうな新元号発表のせいかどうかわからないけれど、バブルがはじけて...(自分自身のことも顧みてしまいました。私は先の改元がほぼ独身/既婚の境)。

「このままではいかんとおもったのは二十世紀最後の年──三十歳のときだ」以降の暮らしぶりの語りは誠実で謙虚、でも、ある意味では強い意志に貫かれた、スタイリッシュな生きかたを感じさせるものでした。私も宮仕えせずに令和元年まで生きてきましたが、もうちょっと波が荒く(天狗になったりへこんだり)、ムラッ気を隠さない(無責任で他人のせいにする)やりかたできちゃったな。みなさま、ぜひ小誌を手にして、荻原さんにとっての平成という時代を追体験してみてください!



 お互い、プータローで貯金なし。ただし、いっしょに暮らしてわかったのは同居すると生活が楽になるということだ。
 家賃は半分。光熱費や食費はひとり暮らしのときとそんなに変わらない(水道代はちょっと高くなった)。
 人生の岐路──なんていうと大ゲサだけど、そのときどきは先のことが見えていない。わからないまま選び、後はなんとか帳尻を合わせるしかない。
 特別な才能はないが、食っていくしかない。だったら、どうすればいいのか。
 たぶんプロ野球の解説者がよくいう「わるいなりにまとめる」とか「最低限の仕事をする」とかそういう力が必要なのだとおもう。

ウィッチンケア第10号〈上京三十年〉(P132〜P135)より引用

荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品
わたしがアナキストだったころ(第8号)/〈
終の住処の話〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/20

vol.10寄稿者&作品紹介20 谷亜ヒロコさん

作詞家、ライターとして活躍する谷亜ヒロコさん。今年になってからは妖艶なコスプレイヤー・LeChatさんのニューアルバム「Nouvelle lune」の1曲目(朔)&ラスト曲(アイリス)、また拙宅からクルマで20分のところにもある日帰り温泉「万葉の湯」のCM曲にもに詞を提供していたりして、びっくり! 同施設のストーリー仕立てCMは映画館でも流れているようなので、みなさまぜひぜひ、ご注目ください! そんな谷亜さんの小誌今号への寄稿作は、前号寄稿作に引き続き私小説チックではあるものの、どこまでがほんとうかどうかわからない、ウソかマコトか的な魅力のある一篇です。

主人公の「私」は一人旅でウラジオストクへと。帰路、空港カウンターに並んでいると「25年ぐらい前の友達マキちゃん」に似た人を見かけて...このマキちゃんに対する「私」の関心の持ち方が、なんかちょっと意地悪な書きっぷりで笑ってしまいます。そういえば、谷亜さんの小説には恋愛話よりも友達話がよく出てくる、という印象があったので遡ってみたら、前作に登場したミノリとのやりとりも壮絶でした。そうだ、前作の紹介文で私は〈(そこに参加して他の「友達」に)友達だと思われたくない〉という心理に戦慄して書き残していたのであった。。このへんの、女子同士の友達関係って、なかなか摩訶不思議なものがあるなぁ。谷亜さんは巧みな表現でちょっと露悪的に茶化しているけど、単細胞男子には窺い知れない諸々があるのでしょうか? 私は縁がないが、いわゆるリア充とかパリピとかインスタ映えとかLINEグループとか、そういうところって楽しそうだけど強いメンタルも必要なのかもしれない...って、作品冒頭でのエピソードに考え込んでしまって、どうする!?

今作〈ウラジオストクと養命酒〉での「私」は、ちょっとアブナイのです。機内で出会った年下の男に「ナンパされてもいいかな〜」なんて思っている。マキちゃんには「良かったよ、特に会いたいわけでもなかった人と話さずに済んで」だったのに。あっ、でも、この作品が「浮ついた妙齢女子のバカンス話」ではないことは、「私」が旅に出ると決めた動機が明らかになることでわかります...物語の半ばで、母の死について、あるエピソードとともに簡潔に記される。なるほど、だからマキちゃんにいろいろ詮索されたくなくて...なるほど。さて、それでは年下男と「私」との恋の行方は!? ぜひ小誌を手にとってお楽しみください!



「成田から東京行きのバスが1000円という安さで楽チンですよ」と教えたのを彼はスマホで調べていた。私はそれだけでなく「ウラジオストクのこの博物館は元々日本の銀行だった建物だったんですよ」とも教えてあげた。彼は素直に「えーそうだったんだ、知らなかった」と言うので、なんだかとても嬉しかった。
 あぁ私は恋に落ちるだろう。かなり年下だが、それぐらいの子と付き合ったこともあるから大丈夫。私はきっと連絡先を聞かれる。そして色々なことが始まる。飛行機が飛んでいる空に鼻歌を撒き散らしたい気分になった。予定より早く2時間ちょうどで成田に到着。
 さぁくるぞくるぞ。飛行機が止まる。扉が空いてないが、誰より早く外へ飛び出そうとする人たちで通路は埋まる。まずロシア人美女が立った。

ウィッチンケア第10号〈ウラジオストクと養命酒〉(P126〜P130)より引用

谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品今どきのオトコノコ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由(第6号)/夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜(第7号)/捨てられない女(第8号)/〈冬でもフラペチーノ〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.10寄稿者&作品紹介19 宮崎智之さん

前号には、本の巻頭を飾る〈極私的「35歳問題」〉というエッセイをご寄稿くださった宮崎智之さん。今年は2月に「吉田健一ふたたび」(川本直 、樫原辰郎等との共著)を出したり、イベントやラジオ出演者としてお名前を見かけることが多かったり...あっ、AbemaPrimeでご自身の禁酒体験を語っていたのは、あれはもう昨年末でしたか。宮崎さんの書くものや語りって、いつも自身の体験や感情に根ざしていて、いわゆる「頭でっかち」の人が語り過ぎて策士策に溺れる、みたいなことにはならないのが、素晴らしいバランス感覚だなぁと思います。近年はもはやレギュラー・コメンテーターのような「文化系トークラジオLife」でも、ややこしい議論と現実の事象との関係性をうまくつないでいくキーマンだし。

そんな宮崎さんが小誌今号には(おおやけにするのは)初となる創作作品を寄稿してくださいました。これが、とっても西東京っぽいというか武蔵野っぽいというか、な一篇。まず、語り手の作中での「新宿と渋谷より東側に住むイメージがわかなかった」という感覚...これは町田在住の私にも伝わってきました(町田は武蔵野っていうより相模じゃねぇの、ということはとりあえず置いておいてw)。とにかく、作品の構図が、東京の西のほうデフォルトなのです。語り部が好きでよく通っているセレクトショップは代々木上原にありますが、そうだなぁ、西東京人感覚でいうと、千代田線に乗って赤坂を過ぎると、もうそこは東京というより江戸、その先に進んで新御茶ノ水を過ぎたら「お江戸」、北千住を過ぎたら(←めったにいかないし)、そこはもう埼玉なのか千葉なのかもわからない、みたいな。語り部の勤める会社は葛西、という設定ですが、そこに通うことが「生活圏外に出入りしている」みたいな描きかたなのもおもしろいです。

穏やかな日常生活、そして移りゆく日々がさらりとした筆致で語られています。しかしたとえば登場人物が全員実名も性別も不明だったり(「語り部」と書いているのは、主人公が「僕」とも「私」とも言わないので)、セレクトショップの「クローゼット」という店名も、じつは語り部が勝手にそう呼んでいるだけのものだったりと(ほんとうは“英語で「戻らない時間」という意味のショップ名”とのこと)、この「さらり感」は、かなり作者が綿密に設定したことで、人工的に醸し出されているように思えます。そんななかに「繰り広げられる不条理と茶番、嚙み合わないそれぞれの物語たち。ユウキさんの作る服みたいに、世の中はしっかりと縫製されていない」といった一文が放り込まれていたりして。宮崎さんとのやりとりでは、(作品タイトルも含めて)この作品は「すべて」ではなく「一部」、みたいな構想も伺いました。みなさま、ぜひ小誌を手にとって〈CONTINUE〉を読み、今後の展開に期待してください!




 職場は葛西にある。本当はもう少し近くに住みたかったんだけど、キュウリを飼うことができるペット可の物件じゃなければいけないし、できるだけ貯金はしたいし、最低でも2K以上の広さはほしいしとあれこれ探した結果、東小金井まで下ることになってしまった。といっても、西多摩の青梅出身者としては、もともと新宿と渋谷より東側に住むイメージがわかなかった、ということも大きな理由の一つ。大学までは青梅の実家に住んでいたし、新卒で入った職場は新宿で、その時は南阿佐ヶ谷に住んでいた。離婚が決まった1か月前に転職も決まるという、人生で一番バタバタしていた時期にもかかわらず、我ながらいい物件に巡り合ったと満足している。駅から徒歩8分の2Kで6万9千円。管理費の2千円は不動産屋さんに頼んでまけてもらった。

ウィッチンケア第10号〈CONTINUE〉(P120〜P125)より引用

宮崎智之さん小誌バックナンバー掲載作品
極私的「35歳問題」〉(第9号)


【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

vol.10寄稿者&作品紹介18 長田果純さん

ウィッチンケア第10号のすべての写真は、長田果純さんの作品。写真家・長田さんについては当ブログの3月21日に紹介致しましたが、後日談も少々...あっ、そうだ。長田さんのInstagramにて、ご本人の小誌掲載写真についてのコメントが読めますよ! それで、本が刷り上がった後、私は都内の書店いくつかに直接納品してまわりまして、実物を手渡すと、何人かの店主さんから「おおっ! 表紙いいですね」とのお言葉をいただきました。長田さんの写真が褒められたのですから、ほんとは「ですよね。私もそう思います」と言わなきゃいけないのに、つい嬉しくなって「ありがとうございます」なんて、自分の手柄のように振る舞ってしまったこと、ここに正直に告白するとともに(スイマセン...)、あらためて長田さんに御礼申し上げます!

そして、今回は寄稿者・長田さんの作品について。〈叶わない〉と題された一篇の冒頭には、写真家としての夢が「大切な人の遺影を撮ること」と書いてあり、以下、なぜそのような夢を抱いているのかが説明されています。カメラを手にする人らしい感受性だなぁ、と思ったのは、「別れを言うために葬儀場へ行」って「目の前にいる本人」と対面する(死という事実に向き合う)と、遺影(それは「急な死への間に合わせだと簡単に想像することが出来」るもの/「卒業アルバムの写真や、旅行などの合間に撮られた記念写真の一部」など)とのギャップで感情が乱される、という部分。通夜や告別式というのは、ある意味では「儀式」としてつつがなく取り計らうしか仕方がないこと(近年の「お別れの会」は少し違うニュアンスだと思いますが...)、という考え方も、いまの私はわからなくもなかったりもしまして、でも写真というものにセンシティヴな長田さんが、とってつけたような遺影の笑顔に「それ、私やみんなにお別れをする顔じゃないでしょ」と“嘘”を見抜いちゃう気持ちも、とってもわかります。そして本作では、「人生最後の日に、故人は写真を選ぶことが出来ない」という不条理(〈叶わない〉こと)を、自身でなんとかできないだろうか、と。...ちなみに私の父親は「オレは坊主も葬式も嫌」と書き残してスピード逝去しまして、長男としてはそれをなんとか叶えてやろうとてづくりお別れ会を開いたのですが、参列者や頭の固い親戚に文句言われたりして、疲れた...まあ、20年前だけど。

作品の中頃以降は、長田さんの家族への思いが綴られています。とくに、祖母に対する優しい気持ちと、家族に対するぎこちない様子は、印象的。何度か登場する「身体の中がゾワゾワとする」という表現...これに共感する人も、少なくないのでは? 寄稿作最終ページの対向面には、そんな長田さんに敬意を表して、作中で語られている写真を掲載させていただきました。



これは子供の頃からある感覚で、家族がたまたま数人集まり、それらしい会話をしたり、いわゆる家庭っぽいことをしていると感じる時に、身体の中がゾワゾワとする。肉体的にというよりは、血管や血、心臓の辺りに不快感があり、血が繋がっている人や家族がいるということに、何故だか気持ち悪さを感じてしまうのだ。だからというわけではないが、家族に対してカメラを向けたいと思ったことが一度もないのも事実で、そのため、私が撮った家族の写真は〝居間に差し込む光が綺麗だった〟という理由で撮った、洗濯物を畳む祖母の後ろ姿、その一枚しかない。もちろん、それでも大切な存在には変わりなく、上京してからは客観的に家族のことを考えるようになり、自然と興味が湧いてきた。それは完全に好奇心だったが、それでも、家族のことを写真に残したいという気持ちが芽生えたことに、自分自身で驚いていた。

ウィッチンケア第10号〈叶わない〉(P114〜P118)より引用

長田果純さんさん小誌バックナンバー掲載作品
八春秋〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y


vol.10寄稿者&作品紹介17 多田洋一(発行人)

ああ、今号でもまた、どなたかに拙作の紹介文をお願いしようかと迷っているうちに時が過ぎ、自分で書くことになってしまった。過去、第6号に掲載した〈幻アルバム〉(←これはいますぐ《note版ウィッチンケア文庫》でも読めますよ!)のときだけは、早め早めに三浦恵美子さんにお願いして、それはとてもよい体験だったのですが。そうだ! 今春は「マガジン航」への寄稿も経験しまして、そこではウィッチンケアの創刊理由のひとつが“いわゆる「持ち込み原稿」というのを某文芸誌にしてみたものの、散々な言われよう”ともコクりましたので、もはや褒められようとけちょんけちょんに言われようと、ハートの準備はできている、との心構えでして...とにかくみなさま、スルーだけはしないでね。そして、読んだらなにか言ってください。とにかく、「豪華な執筆陣ですね...あれっ!? 多田さんもなにか書いてたっけ?」だけは勘弁してください。

今作は「なにしているのかよくわからない年配男が新橋近辺をうろうろしてる」という内容。ここから先は自分の「書きかた」について少し語ってみます。とにかく「なにを具体的に書いてなにを具体的に書かないか」だけは、自分なりに細かく考えて書いています。たとえば「なにを具体的に書かないか」については、文中で“これは何年何月の話”と明記していませんが、日本テレビのビルのエスカレーターに貼ってあるテレビドラマのポスターには藤ヶ谷大輔さんが大きく写っているとは書いてあって、年配男はこの時点で“あいつか、「美男ですね」の瀧本美織ちゃんのギタリスト”と2011年7月からのTBSドラマのことは知っているけれど、でも、2015年に発覚した藤ヶ谷さんと瀧本さんの熱愛報道は知らないから、そうするとこのポスターのドラマは2013年7月7日から9月29日に放映された「仮面ティーチャー」が濃厚だろう...でっ、他の箇所に「暑いな、今日は」なんて記述もあるので、そうか、2013年の初夏の話なんだろうだな、とわかるように(ちなみに観月ありささんは「斉藤さん2」のポスター)。瀧本さんには(もちろん好きな女優さんですが)、本作ではこの時期特定のためだけに、必然性があって登場してもらいました。そんな細かくなんて誰も読まないから、たとえば冒頭に「2013年の初夏」とかもったいぶらずにはっきり書きゃいいじゃないか! という意見もあるかと存じますが、しかしそういう書きかたはしたくなかったし、それに細かく読まれた場合のことはいつも考えていたい、と思います。なので、いずれ誰かが「この販促物もらいにいった会社は○○○だね」と言ってくれること、信じて!

「なにを具体的に書いて」のほうは、これは私の小誌での立場的に「誰もおまえを諭すものはいない」なのがアキレス腱かもしれない、と危惧しつつも、けっこう気持ちよく暴走しています。冒頭近くの“銀座線を降りて直久を横目で見て、天井とワゴンショップの圧が強い通路を早足に進んだ”の時点で、すでに「直久」がなんだかわかってもらえなかったらもう読み飛ばされるかも、と怯えつつ、それでも先に進んじゃう。“天井とワゴンショップの圧が強い通路”...そうだよね、銀座線を降りて新橋駅前ビル側の地下通路を汐留のほうへ歩いてると天井は低いし怪しいものが並んだワゴン売りが邪魔で圧迫感あるよね〜、と共振してくれる読者がいる、と信じて!



 あの年は正月早々に友だちの附属高校時代の同級生がからんでいたディスコの照明が落ちたりして、こんな浮かれ気分はそういつまでも続くもんじゃないだろうとみんなが予感しつつも、でもその時点で手に入れていた生活を変えられなくなっていたのだと思う……って、「これから」にまぜてもらいたくないかのような過去の遺物による感慨ですが、はて、いったい自分はどこを境に口をつけば昔話ばかり、になってしまったのだろう、とも思うが……でも、まあいいか。なんだかそう遠くないうちに、昔話さえできないふわふわした生命体に自分がなってしまいそうな予感もしているので、まあいいか。思い切り、昔話に振ってみる。

ウィッチンケア第10号〈散々な日々とその後日〉(P100〜P108)より引用

多田洋一(発行人)小誌バックナンバー掲載作品
チャイムは誰が(第1号)/まぶちさん(第2号)/きれいごとで語るのは(第3号)/危険な水面(第4号)/萌とピリオド(第5号)/幻アルバム(第6号&《note版ウィッチンケア文庫)/午後四時の過ごしかた(第7号)/いくつかの嫌なこと(第8号)/〈銀の鍵、エンジンの音〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/19

vol.10寄稿者&作品紹介16 ふくだりょうこさん

今回が小誌への初寄稿となったふくだりょうこさん、noteでは“主に女性向け恋愛シミュレーションゲームのシナリオを書いているフリーライター”と自己紹介をしていますが、その“主”...以外でも広いフィールドでご活躍なさっていまして、ネットには対談構成書評コラムなどもたくさん。なかでも、NovelJam2018に参加して執筆した『REcycleKiDs』(リサイクル・キッズ)は同イベントでグランプリを受賞し、電子書籍&オーディオブック化。私はこの作品を拝読して、ふくださんに寄稿依頼しました。そうだ、NovelJamの主宰者でHON.jp鷹野凌さん、そして『REcycleKiDs』を発行したBCCKS山本祐子さんは昨年6月の小誌イベント〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ〉にもいらっしゃってくださって、あのときはまだふくださんと知り合っていませんでしたが、私のようなアナクロ紙媒体発行人が、ふくださんを介して出版の最先端ともいえる活動をなさっているお二人とも関われたこと、光栄です!

さて、寄稿作の〈舌を溶かす〉。恋愛にまつわるさまざまな物語を紡いできたふくださんが、紙媒体の制約(字数制限etc.)を楽しみながらストーリーを磨いて「センターを狙ってきた」感のある一篇です。27歳の彩香と、30歳の翔太。この二人がラーメン屋に入って生ビール、さらに熱々の餃子が運ばれてくるまでのお話なんだけれど、しかしこの短い時間に、お互いの人生が凝縮されていています。付き合って6年目。二人のいまの状態は「最後に好きだのなんだのと愛を囁かれたのはいつだったか。昔みたいに足を絡め合いながら昼まで眠ることも減った」などと、さり気なくエロく語られているくらいで、あとは(物語上の)男と女の心理戦。唐突に座敷童が登場したりして、思わぬ展開へと迂回したりもするのですが...さて結末は、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください!

彩香さん目線でしか語られていないので(つまり、彩香さんの語りに肩入れして読むことになるので)、翔太さんがちょっと不思議な存在というか、優柔不断というか...でも、そこがまた恋愛っぽくてぐっときました。まあいろいろあるでしょうけれど、相手にsomethingを感じなくなったら、色恋は終わり!? そして、熱い餃子を呑み込んだあと、彩香さんがどんな言葉を口にしたのか、個人的には、このさいだからちょっとこらしめのお仕置きをしてから、次の段階に進んでほしいなと思ったのでした。



 いつ指輪の入った小箱が出てくるのだろう、それとも花束かしら。私が好きなのはチューリップなんだけど、今日はバラのほうがいい。あれはやめてほしい、フラッシュモブというやつ。絶対にプロポーズを受けなきゃいけない雰囲気にされるのは本意じゃないし、目立ちたいわけでもないの。
 そんな妄想を膨らませていたら、いつの間にかレストランの外にいた。そして、ワインのボトルを空けてほろ酔いの彼は言葉少なにラーメン屋に入って行った。私はそんな彼の前に、一張羅のワンピースを着て座っている、今。
「私、おなかいっぱいなんだけど」
 どうにかそう告げたものの、彼は分かってると頷きながら、餃子を二皿と生ビールを二つ頼んだ。全然、分かっていない。

ウィッチンケア第10号〈舌を溶かす〉(P093〜P098)より引用

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/18

vol.10寄稿者&作品紹介15 ナカムラクニオさん

つい先日公開された資生堂の世界向けCM(ジャパニーズビューティーインスティチュート)では、古美術、金継ぎの器をご担当なさったナカムラクニオさん。茅島みずきさん(2004年生まれ!)の可愛ら美しさにうっとり、ですが、しかしナカムラさん、ご自身の活動拠点“メディア”である「6次元」をベースに、ほんとマルチな分野でお仕事をなさっていて(趣味でなく仕事になってるのがすごい)、いやぁ、6次元では2014年の夏には小誌の「半開き編集会議」、そして翌2015年の春には第6号の「試読会」も開かせていただいて...またなにか、おもしろそうなイベントをぜひ貴店でやらせてください! そうだ、ナカムラさんは元々はテレビマンでして、いつだったかの雑談にて、キャリアのかなり早い時期にフジテレビの深夜ドラマ「Tokyo 23区の女」(「東京二十三区女」とは別物)に関わっていらっしゃったと聞き、びっくりしたことも。じつは私もキャリアのかなり早い時期に同ドラマのノベライズを手がけたことがあって...まだいまのようにクレジットがアマゾンで検索できる時代ではなかったのですが(本のどこかには名前が載ってる)、そうか、あのころ「襖一枚隔てて」みたいな場所で仕事をしたかたから、いまはご寄稿いただいているのか、と感慨深し。

そんなナカムラさんの小誌今号寄稿作は〈断片小説 未来の本屋さん〉。これまでご寄稿いただいたものと比べると、「断片」とはいえ、かなり長尺な一篇です。近未来の話なんですが、古式ゆかしき読書家が読んだら腸捻転でも起こしかねない、ユーモアに満ちた作品。というか、紙の本の現状を冷静に捉えて、ひょっとしたらありえるかも、と感じられるセンを狙って多様な「未来の本のかたち」を登場させています。たとえば「食べられる本」とか「に....いや、いや、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。とくに、物語の最後には有名作家による「未来の本」が出てきますが、シニカル! 私が大学生くらいまでの有名作家って、複数の編集者を自宅の応接間に待たせて書いている、ってイメージで、末端の読者にできることは書店で買うか、買わないか、を判断するだけだったのになぁ。

上のほうに書いた「Tokyo 23区の女」の原稿は、たしか東芝RUPOで書いてフロッピーを編集者に渡したはず。その数年前...平成が始まったころは、雑誌だと出版社の名前が入った原稿用紙に手書きして、深夜にファックスで送ってたし。いま手書きの原稿を取りにこさせるもの書きって、どのくらいいるのだろう(と書きつつ、小誌は「手書き原稿」の作品をこれまで数作掲載してます!)。なんにせよ、時代の流れなんてあっという間ですよ。



 開発した博士は「青色発光ダイオードに次ぐ世紀の発明」と賞賛され、ノーベル物理学賞を受賞し話題になった。食べられる本は、出版社にとってもうれしい存在だった。一ページでも口に入れられた食用本は、古本市場に出回らないため、いつも本が定価で売れた。発売当初は図書館で貸出し中、読者が間違えて食べてしまうという事故もたびたび起きたが、最近では、そんな話も少なくなった。さらに話題になったのは、今年のベストセラー『華氏451度』。ご存知の通りレイ・ブラッドベリによる焚書をテーマに描いたSF小説だ。それが、今年発売された新装版の『華氏451度』では、焼いて食べることができるというシニカルな本となっていた。そして、やはり世界的ベストセラーとなった。全米だけでなく、アジアでも歴史を塗り替えるような大ヒット。世界50カ国語で翻訳版が出版され、多くの人々の心とおなかの両方を満たすことに成功した。まさか、このSF小説が再び焼かれることによって注目されるとは誰も想像しなかっただろう。

ウィッチンケア第10号〈断片小説 未来の本屋さん〉(P088〜P092)より引用

ナカムラクニオさん小誌バックナンバー掲載作品
断片小説 La litt?rature fragmentaire(第7号/大六野礼子さんとの共作)/〈断片小説(第8号&《note版ウィッチンケア文庫)/〈断片小説〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/16

vol.10寄稿者&作品紹介14 西田亮介さん

最近は映像メディアでお見かけすることが増えた社会学者・西田亮介さん。あれは桜の咲き始め、たしか小誌が校了のころ(きちんと調べたら2019年3月20日でした)、拙宅では朝、母親が羽鳥モーニングショーをつけていることが多いのですが、あの、なにかと発言がネット上で話題になる玉川徹さんの代わりに西田さんが出演していたことがあって、おおっ、と。そして、平成カウントダウンのAbemaTV「平成から令和へ 25時間テレビ けやヒルSP」での討論も、とても見応えがあるものでした。同番組ではなぜか、ひろゆきさんが西田さんに議論を吹っかけるシーンが何度かありまして、しかし西田さんは挑発には乗らずにどっしり構えて、対話の方向(持論を理解させる)へと展開させていたのが印象に残りました。個人的には「ああ、時代はいまやホリエモンやひろゆきが、かつての朝生での西部邁みたいな役回りなのか」と世代交代を感じさせる内容でしたが、しかし西田さん、アクセル踏み込めばもっと相手を論破できそうなのに個人プレーには走らず、全体を見渡して余裕の法定速度遵守(排気量が大きそう)。あと、色の濃いシャツを身につけても知的で華やかなのは、カッコイイです。

西田さんの小誌今号への寄稿作〈「育てられる人」がえらい。〉には「少子高齢化を解消できなかったツケは現役世代に重くのしかかっている」との一文があり、これは前号への寄稿作〈エリートと生活者の利益相反〉でも指摘されていたこと。というか、「平成から令和へ 25時間〜」に出演していた落合陽一さんや西田さんなど、1980年代以降に生まれた人にとっては、「ちょっと、これから老人になる人たち、なにしてたんだよ!?」と言いたくもなる現実が、すぐそこに。私はいわゆる「団塊の世代」ではないものの、でも年内に年金を納め終わる(...長かったよ)年齢なので、耳が痛い。

寄稿作中に出てくる「育てられる人」というのは、未来への提言として含蓄のある表現だと感じました。自身が大学で教鞭をとる西田さんは、肩書きとしての“先生”に対しては、むしろ謙虚なスタンス。しかし、ある時期から日本に染み付いた「自己責任論に基づく、選択と集中モデル」をよしとする風潮を変えていくには、「トレードオフのゲームを全体のパイを大きくするゲームにゲーム・チェンジできる人」が必要だと説いています。なんだろう、最初は「野球エリート校がスター選手を集めて使い捨てるようなやりかたではなく全員野球を目指せ」みたいなことに似ているような気もしたけれど、でも、違うな。真逆。それは旧来の「勝ち負け野球」の枠内での理屈だから。むしろ西田さんが言っているのは「ゲーム・チェンジ」...つまり未来の日本のために野球そのものをアップデートしてしまおう、ということと受け取りました。みなさま、ぜひ小誌を手にして、西田さんの使った「育てられる人」という言葉の真意を確かめてください!



 教育無償化というが、基本的には授業料(学費)相当が中心で、進学に際しての諸経費の手当は十分とはいえない。かつて家族負担をあてにできた、高等教育の経費も英米圏のように自己負担自己責任型へと転換しようとしている。世界中で格差と分断が問題視されるなか、我々の社会は20年遅れの自己責任論に基づく選択と集中を容認しがちだ。
 選択と集中はトレードオフのゲームだ。誰かが勝てば、誰かが負ける。ひとつのポストを手に入れるために、誰かを負かすようなゲームだ。その勝者に次のステージが用意される。
 こうした変化やあり方をグローバル・スタンダードというのはたやすいが、自国や自国民に利点の乏しい国際標準礼賛は端的に無意味だ。そのこともまたすっかり忘れ去られている。

ウィッチンケア第10号〈「育てられる人」がえらい。〉(P084〜P087)より引用

西田亮介さん小誌バックナンバー掲載作品
エリートと生活者の利益相反〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/14

vol.10寄稿者&作品紹介13 武田徹さん

大学での教鞭に加えて朝日新聞「論座」での〈ずばり東京2020〉、毎日新聞での〈メディアの風景〉、 web中公新書での〈日本ノンフィクション史 作品篇〉等の連載と、いつもお忙しそうな武田徹さん。つい先日、SNSに“6時間だけ自由時間ができたので、クルマを飛ばして茅ヶ崎の某記念館(ともう1箇所)までいってきた”というようなことが書かれていて、最近は私もちょっと「毎日細切れの用事が続いて忙しいんだよね」みたいな愚痴を言いたい状況なのですが、反省しました! 武田さんを見習って、より上手な時間配分を心がけねば、と。もちろん小誌今号への寄稿作は締め切りにピタリ。その後の諸々連絡事項でも、早め早めにご対応いただいて...思い返せば昨年6月の〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉でのDJ依頼でも、主旨をご理解のうえで独創的な展開をしてくださったし。ほんとうにありがとうございます!

そんな武田さんの寄稿作は昨年出た辺見庸の小説『月』を題材に、小誌寄稿作におけるご自身の一貫したテーマ、ともいえる「詩の言葉」を考察した一篇。『月』は2016年の「津久井やまゆり園」でのできごとを小説として描いているようで、...と奥歯になにか挟まったような書きかたをしているのは、ええと、以前、東間嶺さんの第8号掲載作〈生きてるだけのあなたは無理〉紹介でもちょっと触れましたが、私、どうもこの一件をいまだに相対化、というか、冷静に受け止められない(たくない)でいるのです。くどくど述べませんが、実家のある町田市に隣接した相模原市での事象で、容疑者の背景にも複雑な思いがあり(決して肯定してるわけではない)。どうなんだろう、いずれ、たとえばマイケル・ムーアや森達也(乱暴な並べかたでスイマセン)が作品化したら接せられるかな、でも2018~9年時点での辺見庸バージョンはキツそうだな〜、などと逡巡/未読のまま武田さんの原稿に接し、さらにこの文章も書いている。それを正直に述べたうえで、寄稿作〈詩の言葉──「在ること」〉から私が読み取れたことを紹介したいと思います。

ジャーナリスト/小説家/詩人として言葉でのオールマイティな表現活動をする辺見の作品群にあたり、『月』における必然としての詩の文体(主人公「きーちゃん」の存在/その心象を描く)、作者が意識したのか不明のまま使用されているかもしれない詩の文体、さらに「詩の言葉」によって作者が「在る」としてしまったもの(もうひとりの重要な登場人物「さとくん」)とジャーナリスト・辺見庸との整合性について、丁寧に腑分けして読み解かれています。ここでは言語学者ヤコブソンの「言語の6つの機能」のうちの「詩的poetic 機能」と「関説的referential 」機能が前提となっていますが、その2機能についても具体的な事例が示されていて、言葉に対する気づきが多かったです。...そうだ、武田さんの当初の原稿には「人口に膾炙し」という表現がありました。私は小誌編集過程で寄稿者に「読者にとってわかりやすいもの」なんぞ要求しません。ですが、「多田がこの表現を知らなかったので一読目はつらく、グーグルの力を借りて意味を理解した」みたいなことは、正直に伝える場合も。掲載作品では「そこ」がより平易な表現になっていて...小川たまかさんの今号掲載作〈心をふさぐ〉紹介でも書きましたが、編集者がなにを言う/言わない、って、ほんとうにムズカシいなぁ。読者のみなさまには、私のせいで幻となった該当箇所を発見してください! ともお願いしたいです。そしてなにより、『月』読者はぜひぜひ、武田さんの論評に注目してください!

 結果的に詩的で美文調となる辺見の文体に惹かれるファンは多い。筆者も一時は好んで読んだ。だが、美文も繰り返し酔ううちに飽きてくる。そんな食傷気味の感覚に『月』は鞭打つ刺激を与えてくれた。そこでは詩的言語を持ち込む辺見ジャーナリズムの手法が最大限に活用され、ひとつの臨界に達しているように感じられた。
「きーちゃん」の心象風景が詩の文体で書かれた理由はよくわかる。「きーちゃん」は声を出すことができない。その言葉は声になる前の「思い」としてあり、それを描くためには「思い」に近い詩の言葉が必要だったのだ。だが、それを詩的に描いた時点で辺見はジャーナリズムを超えてしまう。「きーちゃん」の内面は辺見の想像の産物に過ぎず、その描写は必然的に文芸的創作となる。
 だが詩的な文体は「きーちゃん」の内面描写に限らず、『月』全体を覆う。

ウィッチンケア第10号〈詩の言葉──「在ること」〉(P078〜P082)より引用

武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品
終わりから始まりまで。(第2号)/お茶ノ水と前衛(第3号)/木蓮の花(第4号)/カメラ人類の誕生(第5号)/『末期の眼』から生まれる言葉(第6号&《note版ウィッチンケア文庫「寄る辺なさ」の確認(第7号)/宇多田ヒカルと日本語リズム(第8号)/〈『共同幻想論』がdisったもの〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y



2019/05/13

vol.10寄稿者&作品紹介12 野村佑香さん

女優の野村佑香さんから最初にご寄稿いただいのは、2015年4月発行の小誌第6号。どんな年だったかというと、ザハ・ハディッド設計のヱヴァンゲリヲンみたいな新国立競技場のデザインが白紙撤回、それだけでなく、来年の東京五輪エンブレムにも盗作疑惑が持ち上がってこちらもリセット、という年でした。元号が改まり、オリンピックのチケットも発売された現在からすると、ずいぶんむかしのように感じられますが、この間に野村さんは二人のお嬢さまのおかあさまに。今号への寄稿作は、まさに二人目のお嬢さまが誕生する寸前という、とてもたいへんな時期に執筆してくださった一篇です。

編集者としては、いま思い返しても頭が下がる思い。「寄稿します」とのお返事は昨年中にいただいていたものの、メールで届いたお原稿(早め早めに進めてくださっていた)には「もう産まれそうです」との書き添えが! 原稿チェックをして、ゲラ(著者のための校正紙)をどのタイミングで送れば、ご負担が最小限に抑えられるのか...いや、そもそも、そんな人生の大事なときにこちらの都合でお願いごとなどする私は、人としてどうなの? 幸いなことに経過は順調で、数週間後のゲラ校正作業は、おそらく“新たな家族の一員”と寄り添ってなさってくれたのか、と。そして、テキストとして記録された寄稿作は、まさに出産直前の母親の、揺れる心情が描かれたものとなりました。月日は流れ、桜が咲き、小誌も予定どおり発行され...大型連休や母の日(昨日)には、野村さんが仲睦まじいご家族のスナップをSNSにアップされています。上のお嬢さま誕生の逸話も〈32歳のラプソディ イン マタニティ〉という作品でご寄稿いただきましたが、写真を見ると、その子がもうすっかり愛らしいおすましさんに育って、心なしか妹への気遣いをしているような立ち姿。いつの日か、ぜひ二人のお嬢さまに「母のエッセイ」を読んでもらいたいと、編集者として切に願います。

表題の〈二人の娘〉は、野村さんとご相談しながら決定しました。こどものいない私にとって、二人目が産まれるということは夫婦の問題だけでなく、ご長女の問題でもある、という視点が、お原稿を拝読するまで決定的に欠けていました(恥)。「私達夫婦は願えども、彼女が願ったわけではない第二子」...はっ! 二人の娘さんの母になるということは、出産のたいへんさだけでなく、将来の家族像を描きながら、いたわりあって日々の生活を送ることでもあるのか!! 野村さんの作品を通じて、私も学ぶことができました。みなさま、ぜひ小誌を手にして、「母親の思い」の繊細さや奥深さを感じてください!



 でも、何よりも長女の精神的ケアを優先しなければ、と心に決めている。私達夫婦は願えども、彼女が願ったわけではない第二子。なんせ彼女は、第一子にして初孫なのだ。周りから一身に愛情を受けて来た彼女が、第二子誕生後の日々にどんな気持ちを抱くのか、想像すると切なくなる。今では「ママのお腹のベイビーは〇〇ちゃん」「わたしの妹の〇〇ちゃん」「〇〇ちゃんが産まれて来たら、四人家族」と、自らお腹の子を話題にしてくれる彼女だが、こうして受け入れてくれるまでには、長い道のりがあった。
 実は、第二子が欲しいと願いながらも、三、四年上の子と歳の差があった方がいいよね……と思っていた時に、まさかのタイミングで来てくれた二人目の子。授かりものだとは頭で分かっていながらも、自分自身が戸惑ってしまい、受け入れるまでに少しかかった。

ウィッチンケア第10号〈二人の娘〉(P072〜P077)より引用

野村佑香さん小誌バックナンバー掲載作品今日もどこかの空の下(第6号)/物語のヒツヨウ(第7号)/32歳のラプソディ イン マタニティ〉(第8号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/12

vol.10寄稿者&作品紹介11 長谷川町蔵さん

アマゾンの表記は3月28日、しかし書籍の奥付は2019年4月1日(ウィッチンケア第10号の発行日と同じ!)に、『あたしたちの未来はきっと』に続く小説集『インナー・シティ・ブルース』を上梓した長谷川町蔵さん。物語の舞台は渋谷、新宿、六本木、豊洲、葛西など東京の23区内。第一話の「ウッパ・ネギーニョ」はしょっぱなから“渋谷系”まっただなかの「ぼく」(「ジョージ・ガーシュインからジョージ・マイケルまで歴史順にジャンル分けした棚が評判」なノア渋谷にあるレコード店の店主!)が登場して、いやぁ、小誌今号にはやはり“渋谷系”をルーツに近未来の渋谷を描いた柴那典さんの〈ブギー・バックの呪い〉、『渋谷系』の著者・若杉実さんの寄稿作〈想像したくもない絵〉も掲載されていて、こりゃもうPR的には渋谷系文芸創作誌とかあざとく名乗ったほうがいいのか...なんて、嘘です(ごめんなさい)。あっ、それで「ウッパ・ネギーニョ」には渋谷系(オザケン)がらみの記述...「若いミュージック・ラヴァーで満員のパーティは、いつも小沢健二「天気読み」からスティーヴィー・ワンダー「くよくよするなよ」という流れでヒートアップして」なんて箇所もありまして、いやぁ、世の中では「ぼくらが旅に出る理由」とポール・サイモンの関係性のほうが知られていそうですが、私は「天気読み」を初めて聞いたとき、これが「くよくよするなよ」ではない、ということを認識するのに労力がかかった、それはPuff Daddy & The Familyの「I'll Be Missing You」が「見つめていたい」ではないと認識(以下略)。

さて、長谷川さんの今回の寄稿作〈昏睡状態のガールフレンド〉。物語の舞台は東京都町田市です。それも、旭町にある町田市民病院──町田市民以外は知り合いが入院でもしないかぎり訪れないであろうと思われる場所──だったことに驚きつつ、でもラップ/ヒップホップ系アーティストがホームタウン・リスペクトを作品づくりの根幹にしている感覚に近いなぁ、などとも思いながら拝読しました(その町田市民病院、私は大学2年の夏〜冬を過ごした場所だったりもして/大腿骨をしくじって入院してた/旧棟時代)。作品のタイトルは...ザ・スミスが解散前に出したアルバム「Strangeways, Here We Come」に入っていた曲「ガールフレンド・イン・ア・コーマ」の邦題。そして想像力が働く『あたしたち〜』読者ならピンとくるかもしれませんが、そうです! あの物語のなかで眠り続けていた三輪菜穂、そして菜穂と同じ大谷中のバレーボール部友だち・佐々木萌も登場します。

作品内に登場する町田のジャズ喫茶「ノイズ」(『あたしたち〜』収録の一篇〈プリンス&ノイズ〉のタイトルにもなった店)は5月6日に閉店。そして奇しくもその2日後(5月8日)には、町田の老舗古書店・高原書店が閉店というニュースも流れました。私がこどものころに「(降る雪や)明治は遠くなりにけり」という言葉が流行っていたような記憶がありますが、平成も昭和も、後戻りなしでどんどん遠くなっていくんだろうなぁ。でっ、〈昏睡状態のガールフレンド〉の最後は、とても印象的な文章で締めくくられていて、私は深く共感しました(それは長谷川さんのこのツイートとリンクする思い)。みなさまもぜひ、小誌を手にとってその一節に触れてみてください!



 ペデストリアンデッキへの階段を登りながら、ケータイメールをチェックしたら、町田109のデニーズで、部活仲間が騒いでいることを知った。町田109は目の前に立っている東急ツインズのすぐ裏側だ。
 でもその日は彼らに会う気が起こらなかったので、東急ツインズのむかって右側に立つファッションビル、町田ジョルナに入った。エスカレーターで4階にのぼって、父さんに何度か連れていってもらったことがある〈ノイズ〉という喫茶店でアイスコーヒーを注文した。ぼくはアイスコーヒーを啜りながら、さっき買ったばかりの大学ノートにこの日起きたこと、感じたことすべてをシャープペンで書き留めたのだった。

ウィッチンケア第10号〈昏睡状態のガールフレンド〉(P064〜P070)より引用

長谷川町蔵さん小誌バックナンバー掲載作品
ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド(第4号&《note版ウィッチンケア文庫》)/プリンス・アンド・ノイズ(第5号)/サードウェイブ(第6号)/New You(第7号)/三月の水(第8号)/〈30年〉(第9号)
※第5〜7号掲載作は「あたしたちの未来はきっと」(タバブックス刊)として書籍化!

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/10

vol.10寄稿者&作品紹介10 柳瀬博一さん

新潮社のWEB文芸誌『yom yom』で「日本を創った道、国道16号線」を連載中の柳瀬博一さん。おそらくいまも、お忙しいなか次回の原稿を執筆中のはず...思い返せば、小誌第5号にご寄稿いただいた〈16号線は日本人である。序論〉は、まさにサンプルというかショーケースというか、柳瀬さんが長く温めていた「16号線論」の試作でした。『yom yom』で進行中の連載では素敵な写真、地図も使われていて、1回あたり2万字近い力作(ちなみに現時点で最新の第3回は「音楽篇」で、永ちゃん、ユーミンのレコードジャケットや書影も豪華絢爛に掲載されています)。この連載が遠くない未来に完結し、その後、書籍化されること、ほんとうに楽しみ!

小誌今号への寄稿作〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉は、「日本を創った道〜」の第2回でも少し触れられていたミヤマクワガタについての話を、きっちりと「16号論」のスピンオフとして論じた作品です。ご存知のかたも多いでしょうが、柳瀬さんのツイッターのアイコンも綺麗な色の甲虫(てんとう虫の一種、と推察)。SNSにも小網代等で撮った虫の写真をたくさんアップしていまして、とても詳しいのです。作品内には虫好きにしか書けないような表現がたくさんあって、たとえばノコギリクワガタについては“「ヤンキー気質」で、手をかざすと「おら! やるのか、おら!」と大顎を広げ、前足を突っ張って威嚇する。威嚇しすぎてそのまま後ろにひっくり返っちゃう奴もいる”...いやぁ、まさにそんなヤツでしたよ。派手な風体だから、(こどものころに)採れるとめちゃくちゃ嬉しい。でも、決して珍しくはないヤツ。あっ、そういえばノコギリクワガタにはツノ(大顎)がまっすぐで小ぶりな(小歯型の)オスもいて、迫力はないけどそのシャープな姿はかっこよかったな。たしか、(親の転勤で住んでいたことがある)福岡市でも、16号線に連なる町田市でも「できそこない」と俗称で呼んでいた記憶があるけれど、いま考えると、ひどいネーミングだ。

もちろん柳瀬さんの語るクワガタ論が、たんなる「虫好きの話」で終わるわけはありません。“チンピラくさいノコギリクワガタ(ま、そこがいいのだが)と比べると、どこぞの名のある武将のような風情がある”ミヤマクワガタ、こどもにとって垂涎の的であったミヤマクワガタ──私はけっきょく1回も見つけたことがない(哀)──が、なぜ丹沢や箱根にある温泉宿の明かりに飛んできたりするのかを、関東の地形の歴史から掘り起こしています。みなさま、ぜひ小誌に掲載された柳瀬さんの一篇を、『yom yom』の連載と併せてご一読ください!



 三浦半島からほど近い湘南の海岸沿いの山にミヤマクワガタはいない。東京近郊でいうと、三浦半島よりはるかに山がちな町田市あたりの雑木林なども、ノコギリクワガタやコクワガタは多産するが、ミヤマクワガタはいない。高尾山周辺の奥多摩地方でようやく見ることができる。丹沢から箱根の標高500メートルから1000メートルのエリアになると、ミヤマクワガタは俄然個体数を増す。一方で、三浦半島から緑に覆われた丘陵地が繋がっている鎌倉から横浜の低山地には、細々とであるがミヤマクワガタが暮らしている。
 興味深いことだが、房総半島でも、ミヤマクワガタは、特徴的な分布を見せている。房総半島北部ではほぼ見つかっていないのに対し、館山から南の先端部では、海沿いでも捕まえることができるのだ。

ウィッチンケア第10号〈海の見える岬に、深山のクワガタがいるわけ〉(P058〜P063)より引用

柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品
16号線は日本人である。序論 (第5号)/ぼくの「がっこう」小網代の谷(第6号)/国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と(第7号)/国道16号線をつくったのは、太田道灌である。(第8号)/南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。〉(第9号)

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

2019/05/09

vol.10寄稿者&作品紹介09 宇野津暢子さん

今号で初めてご寄稿いただいた宇野津暢子さんは、フリーランスのライター/編集者。私は昨年秋の終わりに、知人を介してお目にかかりました。事前には〈玉川学園のフリーペーパー「玉川つばめ通信」の発行人〉との情報を得ていまして、さらにネット検索すると、三浦展さんの〈【玉川学園】理想の学園都市に、アラフォーのママたちが夜の娯楽を提供する〉なんて記事も見つかりまして、おお、これは会うのが楽しみだぞ、と。でっ、数人での食事会〜二次会、と時間を過ごし、さてお開きとなって、えっ、同じ路線バスなんですか、では一緒に帰りましょう、さらに、えっ、バス停もひとつちがいですか! なんと、ご近所さんとは!! さらにさらに、車中でいろいろ伺ったところ、宇野津さんが以前勤めていた出版社...あの、そちらにはあれ、とか、これ、とかで私、たいへんお世話になってきたのですけれど、と。世の中は広いんだか狭いんだかよくわかりませんが、とにかくこれはなにかのご縁にちがいないので、ぜひ小誌次号にご寄稿を、とお願いしたのでありました。そして届いた一篇は、自身が3歳のときから暮らしている玉川学園が舞台となった、私小説テイストのぐっとくる回想譚。

作品の冒頭には、国道16号線鵜野森交差点(渋滞の名所)近くにあった「すかいらーく」が登場します。「1976年。父55歳、私3歳のときのことだ」...そのころの私は、場所はちがうが同じ店で、生まれて初めてカニクリームコロッケを食べた記憶が(その少しあとに、「ロイヤルホスト」で生まれて初めてピロシキを食べた)。ファミリーレストランって、マクドナルドやケンタッキーフライドチキンなんかと同系列の、食の新しい文化って雰囲気があったんですよね、あのころは。おとうさま、55歳か。いまだと、孫みたいな年齢の一人娘が喜びそうだから、ちょっと頑張ってパンケーキやタピオカの店に連れていった、という感じかもしれないな。「私」がいかに愛されて育ったか(そしておとうさまを好きだったか)が、文章の端々から伝わってきます。それにしても、作中で描かれている中学生の宇野津さん...小田急線沿線には学校が多く、朝〜夕方には、おすまし系からワイルド系までさまざまな中高生が乗り合わせていますが、きっと真面目系だったんだろうな、と想像。辛いことがあっても表に出さずに頑張る姿が、とても印象的です。

私自身も「父親が多摩川の向こう側に家を持って住み始めた」というベッドタウン育ちです。ウィッチンケアの発行元は創刊号〜第4号までが世田谷区代沢(シモキタザワ)で、第5号〜今号(第10号)はマチダ。だんだん町田っぽく、というか、「前の東京オリンピック後に人口流入したところ」っぽい雰囲気を身にまとう媒体になってきているのかもしれません。そして宇野津さんの作品、「ターミナル駅から急行で数十分」な人には、共通する感覚がきっとあるはず。ぜひみなさま、小誌を手にとってみてください。



 私はその頃、小田急線の柿生という、私が降りる側には雑草とマルエツしかないような駅からバスで20分かかる、不便でやたら人数の多い進学校に通っていた。そして今じゃ考えられないような上下関係の厳しい剣道部に入っていた。毎日部活が終わるのは夕方6時15分。柿生駅のバス停に着くのは7時。駅前にある中村屋で友だちと肉まんを食べ、そこにいない友だちと部活顧問の悪口を言い、小田急線の下り電車に乗るのが7時15分。ふたつ先の、自宅の最寄り駅である玉川学園前駅で電車を降りるのが7時25分。私は駅の改札口を出て、玉川学園の南口方面に住んでいる友だちに「じゃあね」と言って、ひとりで北口の階段を一番下まで降りる。そして一度降りた階段を何事もなかったようにもう一度登り、定期券を改札口の駅員さんに見せて、また小田急線に乗るのだ。私にはこのあと、父が入院している病院にお見舞いに行くというミッションがある。でもそのことは絶対に友だちに悟られてはいけない。〝かわいそうな宇野津さん〟と思われるわけにはいかないのだ。

ウィッチンケア第10号〈昭和の終わりに死んだ父と平成の終わりに取り壊された父の会社〉(P052〜P056)より引用

【最新の媒体概要が下記URLにて確認できます】
https://bit.ly/2GSiNtF
【BNも含めアマゾンにて発売中!】
http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.10 Coming! 20190401

自分の写真
yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare