2019/10/15

ウィッチンケア書店について

「まとめ」以外では5月31日以来の更新。先週末〜3連休は巨大台風(19号)の来襲があり、本来ならもう少し早くと思っていましたが...少し日をおいての告知となりました(被害に遭われた方々の一日も早い復旧を祈念します)。

小誌は11月24日(日曜日)に開催される第二十九回文学フリマ東京に、「ウィッチンケア書店」として出店致します。

昨年は6月にLOFT9 Shibuyaにてイベントを開催、そのさいの共同主宰者・仲俣暁生さん、木村重樹さんと「今年もなにかやりたいね」と春に相談、では実店舗を! ということで文フリ(文学フリマ)に申し込んで、2ブース分のスペースを確保致しました。

「ウィッチンケア書店」では、最新の第10号と在庫のあるBNに加えて、当日限定販売(か配布)の小冊子「よくわかるウィッチンケア(仮称)」を制作中。さらに仲俣さん、木村さん、多田、そして詳細は追って発表しますが、小誌寄稿者のオリジナル作品を販売する予定。ご期待ください!

もうすぐ文フリ事務局よりブースNo.などの連絡があるので、今後は当ブログを始め、もう少しフットワークの軽いFacebookページTwitterなどでも順次情報をお伝えしていく所存です。

第⼆⼗九回⽂学フリマ東京「ウィッチンケア書店」について

出店名:ウィッチンケア書店(申込番号/005007498)
主宰者:多田洋一(文芸創作誌「Witchenkare」発行人)、仲俣暁生、木村重樹
⽇ 時:2019 年11 ⽉24 ⽇(⽇曜⽇)11:00〜17:00
会 場:東京流通センター 第⼀展⽰場
東京都⼤⽥区平和島6-1-1(東京モノレール「流通センター駅」徒歩1 分)



文フリについては下記URLをご参照ください。
https://bunfree.net/entry/

みなさまぜひぜひ、ご来場のほど、よろしくお願い申し上げます!

2019/06/01

ウィッチンケア第10号のまとめ

ウィッチンケア第10号(Witchenkare vol.10)
★2010年創刊。寄稿者35名の書き下ろし作品を掲載したインディーズ文芸創作誌



発行日:2019年4月1日
出版者(not社):yoichijerry(よいちじぇりー)
A5判:222ページ/定価 1,000円(+税)
ISBN: 978-4-86538-087-3 C0095 ¥1000E

CONTENTS
002……目次
212……参加者のプロフィール

編集/発行:多田洋一
アートディレクション:吉永昌生
写真:長田果純


【公式SNS】

【関連記事】
インディーズ文芸創作誌「ウィッチンケア」創刊10年 町田在住の編集者が発行(「相模原町田経済新聞」2019年3月29日/取材記事)
https://machida.keizai.biz/headline/2813/

私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由(「マガジン航」2019年5月13日/寄稿文)
https://magazine-k.jp/2019/05/13/witchenkare-first-ten-years/

《編集後記》
《ノベライズ形式のダイジェスト》


※小誌は全国の主要書店でお取り扱い可能/お買い求めいただけます。見つからない場合は上記ISBNナンバー(978-4-86538-087-3)でお問い合わせください。

★【書店関係の皆様へ】ウィッチンケアは(株)JRCを介して全国の書店で取り扱い可能。最新号だけでなくBNも下記URLで注文できます。

※BNも含めamazonでも発売中!

2019/05/31

次はウィッチンケア書店!(第10号編集後記)

毎年恒例となった《5月はすべての寄稿者/作品紹介》、今年も無事コンプリートすることができました。第3号からほぼいまのスタイルで続けていまして、各エントリーのその時点での反響も(正直)気になるんですが、数号まえから「それぞれが毎号積み重なって当ブログがアーカイヴになること」の意味が大事かな、と気づいて続けています。

「毛布の上に仔猫がいるの?」...これ、小誌第10号表紙についての、私の知人からの言葉。えっ!? 猫いないでしょ、と思わず見直しましたが、そう言われてみれば、そう見えなくもない? 写っているのは毛布と、靴下かな。あと、スウェットなのかTシャツなのか。人肌の気配、というか、抑えたトーンながら不思議な生々しさも感じられて、それで小動物と錯覚されたのかも。撮影者・長田果純さんには尋ねてみたんですよ。いわゆる「蛻けの殻」状態になったベッドをプライベートな作品として写した、とのこと(撮影用にスタイリングしたとかではなく、日常の一コマの写真のようです)。

今号はここに辿り着くまで、なかなか「高い山」でした。寄稿者が決定して誌面づくりを始めてから、いくつか想定外のことが起こって。いや、それが今号の内容に悪く影響した、ってことはないのです。そこは、逆に意地になって「オレの魂」(←w!)に火が付いたから、ベストな第10号になった。

...でも、ひとつふたつ愚痴をこぼすと、昨年ぐらいから「もう後継機種にしても」と感じつつ、古いMacBook Proで編集作業を始めてしまった。レインボーカーソルと付き合いながらなんとか乗り越えられたので、ようやく引退させてあげられそうです。あと、昨年末に停車中のクルマをこすられちゃって、すぐに解決するかと思ったら「自分には100%非がない」ということを証明するのが意外とむずかしく、人生初の弁護士案件に。なんと半年かかって、先週末ようやく修理に出して、いまは慣れぬ代車を使っています。その他にもいろいろ(これらのほうが重要)あるけれど、立て付けからしっかり方策を練って、先に進もうと思います。

第10号発行のタイミングでふたつのエントリーがネット上にあがりました。第10号巻末の便覧と併せて、ぜひご一読くだされば嬉しく存じます。

インディーズ文芸創作誌「ウィッチンケア」創刊10年 町田在住の編集者が発行(「相模原町田経済新聞」2019年3月29日/取材記事)
https://machida.keizai.biz/headline/2813/

私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由(「マガジン航」2019年5月13日/寄稿文)
https://magazine-k.jp/2019/05/13/witchenkare-first-ten-years/

そして、これは未来の話(前々号の「編集後記」でも書きましたが、私は未来に関してはdystopiaではなくutopia志向)。昨年〈ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉を共同主宰してくださった仲俣暁生さん、木村重樹さんとともに、2019年11月24日 に開催される「第二十九回文学フリマ東京」で、「ウィッチンケア書店」を出店しようと計画中です。ただ現行の本(BN含む)を売るのではなく、いろいろ楽しいアイデアを盛り込んだお店になれば、と。どうぞ御期待ください!

って、またテキストばかりになってしまったので、今年もいまの気分の1曲を。前作「Emily's D+Evolution」で気に入ったEsperanza Spaldingの 新譜から、ダンサブルなこれ。



それではみなさま、ウィッチンケア第10号をよろしくお願いいたします! 近くの書店で見つけられなかったかた、アマゾンでも好評発売中ですよ。

2019/05/30

vol.10寄稿者&作品紹介35 中野純さん

昨年12月、東京都あきる野市にある「少女まんが館」の共同主宰者・大井夏代さんとともに『少女まんがは吸血鬼でできている:古典バンパイア・コミックガイド』を上梓した中野純さん。同書が発行される少しまえには、私が運営協議委員を務めている「町田市民文学館ことばらんど」での「みつはしちかこ展」関連イベント「〈かわいい〉のその先に-70年代・80年代少女漫画序説」に大井さん、トミヤマユキコさんとともに登壇、そのプレイベントともいえる下北沢の本屋B&Bでの「サリーだって語りたい! …男⼦が見た少⼥まんがの歴史と変遷」 にも登壇(こちらは仲俣暁生さん、南陀楼綾繁さんとのトークショー)...と、すっかりお世話になってしまいましたが、忘れられないのは、トミヤマさん等とのイベント当日の打ち合わせで、中野さんがぽつりと呟いた「いま人生最大に忙しい」のひとこと。そんなときに「ぜひ次号にもお願いします」と寄稿依頼した私ってやつは...いや、ほんとうに申し訳ありませんでした。

じつは、上記のような状態なのに「では次号寄稿作の内容についての打ち合わせを」とあらためて日時設定するのも、「人生最大」値をさらにアップさせるようで申し訳ないなぁと逡巡、でっ、テーマ設定など曖昧なまま年改まり、お原稿の締め切りも近づいて(ちょっと過ぎて)、そして届いたのが掲載作〈夢で落ちましょう〉でありました。ご本人も「参加者のプロフィール」欄にて「今号では禁じ手を使ってしまった」と記していますが、受け取った私は、なんだかとてつもなく懐かしい気持ちにもなったのでした。これ、これ、自分も同じようなことやった記憶がある! たとえは小学校の夏休みの宿題で原稿用紙5枚の作文。8月末になって書き始めて「なんでもっと早く手をつけなかったんだろうと思いながら鉛筆を握っている今日は8月○日。もう朝晩には虫の声が聞こえる。この作文を書くためにいろいろなテーマを考えたのに決められないまま夏休みも終わりだ」みたいな書き出し。あるいは、大学での論文試験で山かけに失敗し出題テーマを見て窮地に。腹を決めて「設問は●●について、とあるが、しかし私はそのことについてよりもまず▲▲について述べたいと思う」で正面突破、などにも似ているというか。

野球のたとえ話、というのがどのくらい有効なのか測りかねる昨今ではありますが、中野さんの今作に「エースで20勝投手」「クリーンナップで3割打者」の風格、いや品格を感じました。そして今年創刊10年目を迎えた小誌の来し方行く末、ともシンクロするようで、ぜひ第10号の大トリはこの作品で、と。作中には「書くことがなくなるなんてことはない。でも、歳のせいなのか、歳のせいなのだろう、執筆に思い切りがなくなってしまった」などと、弱音めいた箇所もありますが、これはトラップ。全体からは「これからも書きたいテーマが山ほどがあるので、そこんとこよろしく!」という、もの書きとしての漲る決意が伝わってきます。あっ、それで作中に「大リーグボール三号」なんて言葉があったのでつい思い出してしまったんだけれども、あの「巨人の星」でたびたび登場した坂本龍馬のエピソード(たとえドブのなかでも前のめりに死にたい、ってやつ)。あれは梶原一騎の創作だったのでしょうか? ...とまれかくまれ、みなさま。最終行に「という夢を見た」という一節から遡る中野さんの夢物語の、そこまでの長い前段を、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 芸能界では八重歯アイドルの時代でもあった。一九七八年に「狼なんか怖くない」でデビューした石野真子のチャームポイントは、両の八重歯だった。今、当時の映像を見ても、牙と呼ぶに価する実に立派な八重歯だ。狼の歌がよく似合っている。ほかにも小柳ルミ子、河合奈保子、国広富之等々、八重歯のタレントは少なくなかった。このころ、八重歯は魅力的だという風潮がたしかにあった。
 だが一方で、七〇年代吸血鬼少女まんがの最高傑作、萩尾望都『ポーの一族』のバンパネラたちには、牙が一切ない(『ポーの一族』に先立つ里中満智子『ピアの肖像』や、さらに先立つ石ノ森章太郎『きりと ばらと ほしと』にも、牙が描かれていない)。そこが一筋縄ではいかない日本牙史の奥深さだ。全体として、人ならぬ者から牙を抜き(あるいは牙を退化させ)、人間に牙を生やす傾向があり、そうやって、人ならぬ者と人との境界を曖昧にする目論見が無意識にあったと思う。そしてその流れは、今の少女まんがにしっかりと受け継がれている。でも、これについてももっとちゃんと考えてから書きたい。中途半端に書いてしまうのは嫌だ。だから今回は書かない。

ウィッチンケア第10号〈夢で落ちましょう〉(P206〜P211)より引用

中野純さん小誌バックナンバー掲載作品十五年前のつぶやき(第2号)/美しく暗い未来のために(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/天の蛇腹(部分)(第4号)/自宅ミュージアムのすゝめ(第5号)/つぶやかなかったこと(第6号)/金の骨とナイトスキップ(第7号)/すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門(第8号)/全力闇─闇スポーツの世界(第9号)

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【BNも含めアマゾンにて発売中!】
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vol.10寄稿者&作品紹介34 仲俣暁生さん

今年の1月末、ニュースで橋本治さんの訃報を知ったとき、「ああ、仲俣さんはどんなに悲しいことか」と頭を過ぎりました。というのも、昨年12月に仲俣暁生さんが上梓した『失われた娯楽を求めて 極西マンガ論』では「夢見る頃を過ぎても 少し長いまえがき、あるいは私的マンガ遍歴」(以下「まえがき」)でも「あとがき」でも橋本治に触れられていて...少し引用すると「十代の終わりの頃、私はマンガ評論家になりたい少年だった。〈中略〉きっかけは、橋本治の『熱血シュークリーム』という本だと思う(名高い『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』ではなく)。」【「まえがき」より】、「本書は橋本治が未完のままにしている『熱血シュークリーム』という少年マンガ論への、彼から多大な影響を受けた後継世代からのオマージュでもある。」【「あとがき」より】と。そして、なによりも同書のタイトル。「あとがき」には収録されている安野モヨコ論の題名からとった(「橋本治の『花咲く乙女のキンピラゴボウ』所収の倉多江美論が「失われた水分を求めて」だったことにもあとから気がついた」とも)、と記されていますが、橋本治の文学論「失われた近代を求めて」シリーズとの関連も、自然に想像できてしまう...。

仲俣さんは「週刊読書人ウェブ」に《橋本治がいなかった「平成」》という一文を寄稿、またツイッターでは〝【橋本治さんに捧ぐ】2010年の「ユリイカ」の特集号のために書いた橋本治論を、追悼の意を込めて〟と告知し、《1983年の廃墟とワンダーランド――橋本治という未完の「小説家」について》をnoteで無償公開しました。...なにしろ、膨大な著書のある橋本治。私的には、うちの限りある本棚の一画はもう四半世紀以上分厚い『'89』に占められている/『窯変 源氏物語 』第一巻は海外旅行に携帯してむさぼるように読んだ/映画『桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール』で派手な柄のセーター着てた喫茶店のマスター役インパクト強すぎ、等々...最近の本は、SNSで仲俣さんが紹介してくれて、触発されて読んでいた。

小誌今号にご寄稿くださったのは、橋本治さんに対する、仲俣さんの個人的な思い出を綴った追悼文。このような一篇を掲載できる場所、として小誌があったこと、発行人として嬉しく思います。作中の、雑誌というものに対する橋本さんの考えかた、とくにインタビューに関する「決定的な一言」のくだりなんて、あまりの臨場感で涙腺がシビれてしまいましたよ! 橋本治を好きな人だけでなく、雑誌に関わる多くのかたに、ぜひ読んでもらいたいと強く願っています。そして、そして、仲俣さん。昨年6月の〈ウィッチンケアM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜〉では共同主宰、また第10号刊行後には「マガジン航」への私の寄稿のさい、適切なアドバイスをいただきまして(小誌でとは真逆の関係/編集者・仲俣さんと接してその敏腕さに脱帽...)、あらためて感謝致します!



 橋本さんの言葉が刺激になったのだろう。私はその後、この雑誌で自分の責任で書く小さなコラムをはじめた。わずか数百字の小さなスペースを自分ひとりの解放区にした。さらに書評のコーナーを作り、他の編集部員と本を選んで自由に紹介した。
 それでも私は、自分がいつか「物書き」になるなどということは、少しも考えていなかった。ただ、雑誌をつくることの面白さが、自分でもそこに文章を書くことによってやっと実感できるようになった。自分のつくる雑誌の「声」になりたい。当時の私は、ひたすらそう思ったのだった。
 この雑誌をふりだしに、以後、いくつかの雑誌編集部を経験した。企画を立て、外部の書き手に依頼して原稿を集めるだけでなく、どの雑誌でもかならず自分で書くようにした。「書くこと」と「編集すること」は、自分のなかで次第に同じことになっていった。
 インタビュー記事の作成も、仕事として外から求められる場合を除き、あまりしないようになった。人に話を聞くのは、それを通じて書き手が「自分の言葉」をつくるためであって、他人の言葉をそのまま伝えるのは別の仕事だ。そのことがよくわかったからだ。

ウィッチンケア第10号〈最も孤独な長距離走者──橋本治さんへの私的追悼文〉(P202〜P205)より引用

仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品
父という謎(第3号)/国破れて(第4号)/ダイアリーとライブラリーのあいだに(第5号)/1985年のセンチメンタルジャーニー(第6号)/夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記(第7号)/忘れてしまっていたこと(第8号)/大切な本はいつも、家の外にあった(第9号)

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2019/05/29

vol.10寄稿者&作品紹介33 藤森陽子さん

今年2月に発売された『STARBUCKS OFFICIAL BOOK』ではライターとして前半部の旅ページや上海店取材、インタビューページなどを担当した藤森陽子さん。同月には『ブルータス』編集部監修による、東京の名作菓子を集めた「スウィーツ」というグリーティング切手(日本郵便)も発売されまして、こちらでは藤森さん、同編集部スタッフ側としてお菓子のセレクトとイラストの元になる写真撮影を担当した、と(日本郵便専属の切手デザイナーと同行で、東京中を駆け回ったらしい)。ええと、藤森さんは長らくマガジンハウスの諸雑誌での仕事を手がけていますが、その藤森さんをして「切手の仕事は(部数が)ケタ違い」と...刷り部数が300万シート/3000万枚って、新聞の主要全国紙全部合わせても勝てない? テレビなら視聴率20%後半(「世界の果てまでイッテQ!」とか/オレが現在唯一毎週観ている「いだてん」の3倍...)クラスのお仕事。わはは、そんな藤森さんのエッセイが読めるのも、刷り部数1000のウィッチンケアならでは。あっ、3000万枚の切手は売り切れ寸前だそうですが、小誌はまだ楽々入手できますよ(...頑張れ!)。

思い返せば藤森さんとは創刊号以来のおつきあいでして、記念すべき第1回の寄稿作タイトルは「茶道楽の日々」。その時点でもうすでに台湾茶やそれにまつわる諸々のことを書いていて...なんと、この10年で「道楽」どころか、もうしっかりその道のエキスパートではないですか! そんな藤森さんが今号で紹介しているのは台湾の伝統的なデザート・豆花(ドゥファ/トウファ)。作中では「いわば豆乳プリンのようなもの。豆花自体に甘みはなく、それを黒糖で作った湯(スープ)や豆漿(豆乳)、冬であれば生姜味の甘いスープに浸して食べる。夏はアイスもいいけど、冬はだんぜん熱々のホットに限る」と説明されています。ネット上でもお洒落な人々が注目し始めていますが、これは、くるな(藤森さんの推しは、これまでもみんな「きた」しw)。

仕事での原稿だったら、きっと「流行の兆しを見せている豆花とは、云々」といった内容になったでしょう。しかし、小誌ではそんなふうに読者を想定する必要がありませんので、どうぞ自由にのびのびと。私はいま台湾にいておいしい豆花を食べているのだ、ということ。そして、そのさいに抱いた雑感などをシンプルにしたためてもらいました。その結果...なんだ、これを読んだら、誰だって1度食べてみなきゃ、と思わずにはいられない、インフルエンシヴ(!?)な名随筆になりました。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、豆花ワールドの門を叩いてみてください!



 思うに、台湾の甜品=甘味はスープもトッピングも甘さが軽いのがいい。自分は日本の「餡」文化を愛しているし、職人の技術と情熱を尊敬してやまないけれど、日本のお汁粉やぜんざいはちょっと甘過ぎる時がある。よそ行きというか、〝リッチ過ぎる〟のだ。台湾の甘味はうっすらとした甘さで最後まで飽きずにザクザク食べられて、このラフさと日常感が、何というか、ちょうどいい。大豆をしぼり、何十種類ものトッピングを仕込むあの仕事量で、どんぶり一杯三十元〜五十元(約百二十円〜二百円)という価格帯も、感動せずにはいられないのだ。

ウィッチンケア第10号〈らせんの彼方へ〉(P198〜P200)より引用

藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品
茶道楽の日々(第Ⅰ号)/接客芸が見たいんです。(第2号)/4つあったら。(第3号)/観察者は何を思う(第4号)/欲望という名のあれやこれや(第5号)/バクが夢みた。(第6号)/小僧さんに会いに(第7号)/〈フランネルの滴り〉(第9号)

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2019/05/27

vol.10寄稿者&作品紹介32 久保憲司さん

久保憲司さんの小誌今号への寄稿作は、スピード感溢れる万華鏡のような読み心地。冒頭ではローリング・ストーンズの「ワイルド・ホース」という曲について語られていて、これは1971年に発表された「スティッキー・フィンガーズ」というアルバムのA面3曲目(ジャケットデザインはアンディ・ウォーホル/アナログ盤にはYKKのジッパーが付いてて、私はチッシュをたたんでビニール袋のうえにセロテープで貼り棚に入れてた、だって他のレコードを傷つけるからw)。切ない曲調のバラードですが、作中の「俺」はこの曲の意味合い(ミック・ジャガーとマリアンヌ・フェイスフルのうまくいかない恋etc.)に思いを馳せているうちに、ちょっとホワイトアウトみたいな状態になっちゃって(ブラックアウトではないと思う...)、そこからの展開は、「俺」の意識の断片が矢継ぎ早に繰り出されていくという、なんというか、時かけの深町くんから「時の亡者になっちゃいけないよ」と言われそうな...でも、現れては消える逸話それぞれがどれも具体的というか、根拠のないものではなく、明らかに「俺」の実体験が甦ってきているのが、なんか、すごい(←未読のかたにネタバレしたくないので、とりあえず「すごい」にしときます)。

いろいろな有名人、そして実在するのかどうか私には不明な人も登場します。「何で前澤くんにお金を借りに行かなかっただろう」という一文...これはその直前で「ゾゾスーツ」という言葉が使われているので、あのアイドルと宇宙旅行にいくとかいう社長さんのことですね。「クラブ・ヴィーナスで気が狂ったように踊っていた田端くんがかっこ悪かったからだ」...これは、いつもツイッターで炎上してる坊主頭の人(久保さん知り合いなのか)? けっこう重要人物なのか多くの字数がさかれていて、そのくせ最後には「クソ占い」「ドンブリ女」と罵られてる「みーしゃさん」は、実在する? 「ボーイズ・ボーイズの八重歯が可愛いチホさん」...これは私がPASSレコードで1枚持ってたので、久保さんとのお原稿やりとりのさいにいろいろ教えてもらえて楽しかったなぁ(むかし「乙女のロックだんご」を読んだことを言いそびれた、いま同書を検索したらアマゾンで1万2400円!)。あっ、石野卓球も登場してます。 

最後には神様も降臨して、その神様と「俺」のやりとり(「俺はいつも一人が嫌じゃったんじゃ」...)はかなり切ないです。まさに、BGMが「ワイルド・ホース」だというのは、ぴったりだと思いました。そして、本作(とくに、なぜこのタイトルなのか)について久保さんはご自身のWEBマガジン「久保憲司のロック・エンサイクロペディア」で言及していまして...あっ、でもそこには、オチというか、上のほうで隠していることのネタバレも!? 小誌を未読のみなさま、ぜひぜひ、まずはウィッチンケア掲載の小説を読んで、そのあとに久保さんのネット記事を...って、無理か(苦笑)。



 あの時金借りとかなかったのが、失敗か、そうや、そう思って、僕がコラム連載しているスマッシュ・ウエストさんで、占い連載してるみーしゃさんに占いをしてもらったのが間違いだったんだよな。

〝Kさんの場合、2018年の運気で、これからの運勢が変わります。もし、2018年中に金運、体調面が悪かったら、良くなるのが2020年からです。そして、2018年に運気が悪ければ、2021年も悪いと思われます。おそらく2021年から2022年あたりに、それまで続けてきたことを辞めるか、方向転換する可能性があります。それによって状況が改善されて、2022年に金運が良くなってきます〟

 よくもまっ、正確な年まで出して占えたよな、信じてもうたやないか、何の根拠があってこんなこと言うんやろ、責任取れるんやろうか。あのクソ占いを信じて、俺はすべてを捨て、ユーチューバーとして生まれ変わったのに。2021年にユーチューバーになるのは遅すぎたのかな。ドンブリ女に「あんたの言葉を信じてすべて投げ出して、方向転換して、小学生のなりたい職業NO. 1になったのに、俺のチャンネル1000人も行かないんですよ。どうしてくれるや」って言うたら「当たるも八卦、当たらぬも八卦」と昭和のギャグみたいなこと言いよった。

ウィッチンケア第10号〈平成は戦争がなかった〉(P194〜P197)より引用

久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品僕と川崎さん(第3号)/川崎さんとカムジャタン(第4号)/デモごっこ(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/スキゾマニア」(第6号)/80 Eighties(第7号)いいね。(第8号)/〈耳鳴り〉(第9号)

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vol.10寄稿者&作品紹介31 開沼博さん

小誌前号から、それまでの〈ゼロ年代に見てきた風景〉を若干リニューアル。ご自身と関わり深い「まち」の変貌を通して時代考察を続けている開沼博さん。開沼さんといえば、震災直後に注目された著書『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』の印象が強いかもしれませんが、しかし2013年にはダイヤモンド・オンラインでの連載「闇の中の社会学 『あってはならぬものが漂白される時代に』」を書籍化した『漂白される社会』(第12回新潮ドキュメント賞候補)を上梓。その後2017年には同書の続編ともいえる『社会が漂白され尽くす前に: 開沼博対談集』も出されていて、小誌への寄稿作は後者のフィールドから派生したもの...私は開沼さんがゼロ年代を通して見てきた“ちょっとヤバい”風景に、お原稿が届くたびにゾクゾクさせられてきています。顧みれば、タイトルが〈ゼロ年代に見てきた〜〉のころの開沼さんは、のちに社会問題化する事象の現場近辺に、けっこう立ち会っていた。その行動力にはずいぶん驚かされてきましたが、今作は新宿という「まち」での実体験にもとづいた一篇で、えっ、開沼さんって、20代をこんなふうに過ごしていたんですか! とさらに驚くことばかり。

寄稿作の冒頭には「2011年3月11日から数週の間、幾度か新宿・歌舞伎町を訪れた時に見た風景を忘れない」と記されています。歌舞伎町を訪れた理由は出版関係者との打ち合わせのためだったり...と、これは平常心で納得できたのですが、続けて“「家賃払えず家を失ったから一時的に頼む」と懇願され自宅に泊めてあげていた歌舞伎町で働く客引きのマナブさん(自分より10歳ぐらい年上で元々原宿の服屋の店員)とだったりした”となると、俄然、開沼さんとマナブさんなる人物との関係に興味が沸いてしまいました。その後、そもそも歌舞伎町には2003年ごろから、“誰でも1000円払えば10 分間殴らせてくれるという「殴られ屋」の本を読んで感動して”会いたくなっていった、と。このあたりの「好奇心旺盛な開沼さん」の様子は、ぜひ小誌を手にとってお楽しみください!

...もちろん、社会学者・開沼博氏の寄稿作は、「オレも若いころはけっこう無鉄砲だった」みたいな回顧譚だけでは終わりません。2011年3月10日(震災前日)が新宿コマ劇場・新宿東宝会館の解体工事の開始日だったことに、開沼さんはあらためて注目。当時の石原知事が進めた「歌舞伎町浄化作戦」「歌舞伎町ルネサンス」により、自分がゼロ年代に見ていた新宿の風景が、どのように変容したか。その変化は、たとえば同時期の六本木、渋谷、表参道の再開発と同種のものであったのかなどを、時代背景を踏まえて検証。作品の最後には、歌舞伎町のある意味での先端性(“それを先取りしていた”)を指摘する、独自の推論も示されています。



 先輩ライターや編集者とよく行ったのはそこから近い上海小吃(シャンハイシャオツー)だった。路地の奥、出版関係の愛用者も多い店だが、当時から歌舞伎町慣れしている人と、歌舞伎町っぽさを味わいたい人とで混み合っていた。1998年の映画「不夜城」の中でこの店の前の通りが撮影に使われたという話もまだそう古くは感じない時期だったように記憶している。この店だったり、歌舞伎町の他の店だったりでよく見た李小牧さんは2002年に出版した『歌舞伎町案内人』が話題になり継続的に続編を刊行している時期だった。李さんはラブホテルの清掃員、オカマパブのボーイ、お見合いパブのティッシュ配りなどを経て「歌舞伎町案内人」を名乗りだした。要は、歌舞伎町にやってきた外国人客相手の客引きだが、そもそもは中曽根内閣がはじめた「留学生10万人計画」のもとで、日本にファッションを学びにきた留学生の一人だった。この留学生10万人計画とは、他の先進国に遅れをとっている留学生の受け入れによる国際化を達成するために、2000年までに留学生を10万人受け入れることを目指してはじめられた「規制緩和」だった。留学生に限らず、外国人全体に対して固く閉ざされていた日本の規制が緩められる中で、90年代に入ると中国系マフィアが日本国内での犯罪に関わることが社会問題になったり、94年には風林会館近くの北京料理屋で「青龍刀事件」と呼ばれる死傷者がでる中国人内部の抗争が起こったりもしていた。ただ、清濁併せ呑む歌舞伎町の間口の広さは、李さんはじめ野心と開拓者精神にあふれる若者だった少なからぬ外国人にとっての日本でみる夢の受け皿となっていた。

ウィッチンケア第10号〈ゼロ年代からのまちの風景(パート2)〉(P188〜P192)より引用

開沼博さん小誌バックナンバー掲載作品
ゼロ年代に見てきた風景 パート1」(第5号&《ウィッチンケア文庫》)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(第6号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート3」(第7号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート4」(第8号)/〈ゼロ年代からのまちの風景(パート1)〉(第9号)


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Vol.10 Coming! 20190401

自分の写真
yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare