2018/05/24

vol.9寄稿者&作品紹介27 藤森陽子さん

SNSを拝見すると、あいかわらず忙しそうに国内外のリゾート施設やカフェを取材で飛びまわっている藤森陽子さん。今号への寄稿作冒頭では<アンドリュー・ニコル監督のSF作品「IN TIME」>(邦題「TIME/タイム」/2011年)にまつわるご自身の<妄想>について書いています。<もし時間が通貨価値として流通するなら、自分が望む年齢を10年分、いや、財力があれば20年分でも、購入できるのはどうだろう>...映画内の設定では25歳で成長が止まった世界が描かれていましたが、藤森さんは、<肉体が25歳なのはいいとして、精神が25歳ではまだ幼すぎる。自分だったら35歳かな>と。たしかに、身体は25歳頃で止まっててほしかった。精神は...私の場合、35歳でもうだいぶくたびれてたんで、こちらもけっこうワイルド(←あはは)だった25歳でいいかな。

なぜそんな<妄想>を!? 理由は<寄る年波を日々感じているからである。とくに顕著なのが「視力」だ>。いやほんと、目は厳しいですよね! 私も最初に自分の目の衰えを自覚したときは「冗談でしょ?」と思ったけど、以後10数年、いまでは眼鏡をかけないと外出できませぬ。...じつは目のことを書いた小誌掲載作はいくつかあって、たとえば第7号(&《ウィッチンケア文庫》)での太田豊さん作品には<少し暗いところでてきめんに字が読めなくなるという事態にでくわしたときにはやはり驚いたし、笑ってしまった。知らないところで自分の認識できる世界はじわじわと狭まっているのだ>という一節があり、いまでも印象に残っています。

作品の中盤では東京都台東区鳥越にある素敵な喫茶店が紹介されています。若くてセンスのよい店主が、ネルドリップで丹念に抽出したコーヒーを出すお店。インテリアは<一輪挿し以外の装飾は何もないストイシズムに満ちた世界>とのこと。ただし、<調光を最小限に抑えた照明が灯り、昼だというのに仄暗い。スリリングに暗い>...この一文での「スリリング」という言葉の選びかた、ヘンな表現ですが、人間の年季が入ってます。

最後まで読み終えると、藤森さん自身、視力の変化について、必ずしも悲観的ではないことがわかり共感できました。若い人もそうでない人も、ぜひ小誌を手にしてこの一篇を読み、「目の見えかた」とのつきあいかたについて考えてみてくださいね!



 それにしても暗いですよね、ここ。と、少し打ち解けたところで聞いてみると、店主はふと視線を上げて「仄暗さは喫茶店に必要だから」と示唆めいたことを言う。
「薄暗いことで目の前の珈琲の味に集中できるし、少し非日常へも行ける。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』ではないですが、暗いところにいると気持ちが落ち着く感覚って、日本人のDNAに刻まれてるんじゃないかと思って」
 ふいに出てきた文芸作品の名に少々驚きながら、ますます茶室のようだと納得する。『陰翳礼賛』は電灯が普及する以前の日本古来の暮らしの美しさを謳い上げ、西洋文明によってもたらされた〝明るさ〟がいかに無粋かをとうとうと語った名編だが、なるほど、この暗さは日本家屋の陰翳だったのか。
 一秒一秒、時を刻むように一滴ずつ湯を注ぎ、ドリップする店主の仕事を眺めながら、つくづくネルドリップは時代のスピードと逆行する抽出法だと思う。そして店主の言う通り、仄暗さの中で味わうと、苦味の奥の甘い香りも、持ち手の華奢な手触りも、いつにも増して際立つように感じるのだ。

ウィッチンケア第9号「フランネルの滴り」(P174〜P177)より引用
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藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品
茶道楽の日々」(第Ⅰ号)/「接客芸が見たいんです。」(第2号)/「4つあったら。」(第3号)/「観察者は何を思う」(第4号)/「欲望という名のあれやこれや」(第5号)/「バクが夢みた。」(第6号)/「小僧さんに会いに」(第7号)

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2018/05/23

vol.9寄稿者&作品紹介26 若杉実さん

2014年の秋に刊行された「渋谷系」以降も、「東京レコ屋ヒストリー」「裏ブルーノート」と気になる著者を重ねている若杉実さん。私は昨年10月のピーター・バラカンさんとの対談イベントにも伺いましたが、若杉さんの、音楽の《定説》に頼らない独自の話(とDJ)はとてもおもしろかったです。ボビー・ハッチャーソンはこう聞け、みたいな例で、それまで私的にはスルーだった「Prints Tie」をかけたりして。

そんな若杉さんの小誌今号への寄稿作では、前作「マイ・ブラザー・アンド・シンガー」の語り部・シゲルが戻ってきました。<中坊から永ちゃん一筋のオレが渋谷系だなんて笑わせてくれるじゃねえかとおもっていたが、背に腹はかえられない。業界内には「渋谷系ならシゲ」というのができあがっていて>...という、ミシンに夢中だったあの男。あいかわらず服飾関係には鋭い目を持っていて、物語は<コタツでミカンをほおばりながらカミさんと紅白を観>ているところから始まります。ジャニーズのタレントが登場すると、ボタンが気になって...。

シゲルにとって、いまは洋服の《お直し》ではミシンよりも<手縫い+ボタンというセット>が基本、とのこと。でっ、ボタンですが、凝り始めて揃えると<ものによっては高級シャツ一枚買えるくらい>の値段なんだそうで、〝部品どり〟のために古着屋をまわってストックしたりしている、と。<〝あくまでも脇役〟──シゲルなりのボタン哲学だ>という一節にぐっときました。

そんなシゲルは年が明け、テレビでたまたま〝黒電話〟を見かけます。その意味、私は若杉さんの一篇を読むまで知りませんでしたが、金正恩さんの髪型を揶揄した隠語だったのですね...しかし金さんにしてもトランプさんにしてもなんで世界のトップにヘンな髪型の人が君臨してるんだか、って、まあ、日本もかつての橋本龍太郎さんとか小泉純一郎さんとか他国のこと言えないんですけど(小渕恵三さんも、「平成」の色紙掲げたときはヘンな髪型だと感じたっけ)...って、髪型の話は置いといて、シゲルが気になるのは、やはりボタンだったよう...。金さんが身につけていたのは背広。<襟元までボタンがびっしりの人民服とはちがい、背広をこのまま着つづけられたらいちどに目にできる数が減ってしまうではないか>と、なかなか他の人が思いつかないことにシゲルは思いを馳せ、いつしか想像力が制御不能になって...その後の展開はぜひ、小誌を手にしてお確かめください!




 ジャニーズの衣裳が学芸会並みにチープであることはよく知られている。そしてその安っぽさが、女性ファンの心理、母性をくすぐる計算されたものであることも。
「あんな手づくり感満載なのがアイドルの衣裳だなんて、疑いたくなるようなセンスだけど、あそこまで盛られるとなぁ……」
 いつごろからだろうか。ボタンというボタンを目にすると、心臓のあたりで大きな波しぶきが立つように興奮をおさえきれなくなってしまっていた。
 いまでも〝お直し〟は継続している。〝どうぞご自由に〟との張り紙といっしょに民家の前に置いてあったミシンを拾ったのをきっかけに、シゲルの趣味に〝縫製〟の二文字が加わった。さらに高じて新調までしたものの、いまではミシンの音が部屋からいっさいしなくなった。どういうことか。

ウィッチンケア第9号「机のうえのボタン」(P168〜P172)より引用
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若杉実さん小誌バックナンバー掲載作品
マイ・ブラザー・アンド・シンガー」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》

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vol.9寄稿者&作品紹介25 須川善行さん

小誌第6号に<死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>という長〜いタイトルの一篇をご寄稿くださった須川善行さん。前号はご自身のCDデビューにまつわるものでしたが、今号では再び即興音楽についての持論を展開しています。<この分野での古典的な著作、デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(工作舎)は、一般にフリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーションの自立宣言だと考えられている>...ええと、私はまず、デレク・ベイリーを、少し視野を広げて紹介してみましょうか。

『インプロヴィゼーション』(工作舎)については、ネット上だと「松岡正剛の千屋千冊」での紹介が網羅的でわかりやすいかも。そしてデレク・ベイリーの音楽...私の守備範囲で一番接近したのは、デヴィッド・シルヴィアンの「Blemish」での3曲とか、あとジャマラディーン・ タクマの名前に引っ張られて入手した「Mirakle」では、ファンキーな変則フュージョン(←イディオマティック...)みたいな感じで聞いたり...。YouTubeには田中泯とコラボした動画もいくつかあるので、ぜひチェックしてみてください!

話は戻りまして、<フリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーションの自立宣言>...須川さんは<音楽の「イディオム」とは、いったいどんなものだろう。今回は、そこから始めてあれこれ考えてみよう>、と論考のスタートラインを設定します。そしてイディオムではないと思われる要素を丁寧に消去していくことで、結果として<ある時間内における音の持続と変化に関する要素で、人が聴いてそのジャンルを判別できるようなもの>...それは<西洋音楽が考えるところの音楽の三要素にほぼ相当する>ものであると定義を導き出し、そのイディオムから“自由”な音楽を<フリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーション>と捉えてみますが、しかし! ...で合ってるのかな? ぜひ小誌を手にとってご確認のほどお願い申し上げます。

手前味噌で恐縮ですが、西牟田靖さんと谷亜ヒロコさんの小説〜久山めぐみさんと須川善行さんの評論〜そして、次回紹介予定であります「渋谷系」等の著者・若杉実さんの小説へ...という、このへんの振り幅の大きな流れが、小誌の小誌らしさなのかな、なんて紹介文を書き続けながら思っています。みなさま、もちろんランダムに作品をチョイスして読んでいただいてモーマンタイですが、ぜひ「ページ順に読んでく」楽しさにも、トライしてみてくださいね!



 ベン・ワトソン『デレク・ベイリー──インプロヴィゼーションの物語』(工作舎)は、ベイリーからこんなコメントを引き出している。「ギャヴィンがときど
き演奏中にレコードをかける。これが僕には耐えられなかった。そのレコードに合わせるならどう演奏すべきか、分かってしまうからなんだ」。それまでさまざまなジャンルの音楽を演奏してきたベイリーが、既成の音楽から離れて自由な演奏をしようとすると、既存の音楽語法をことごとく拒絶する必要があったとも読め、興味深い。
 フリー・インプロヴィゼーションは、イディオムを廃することで、ジャンルを超えたミュージシャンどうしの合奏を可能にした。これは革命的なことだった。その一方で(あるいはその代償として)、イディオムを拒絶することは非常に抑圧的にも働く。歴史的文脈をもたない楽器は存在しないし、あらゆる楽器はその文脈の中で自らを育ててきたからだ。イディオムもまた、音楽そのものと同様に、歴史的文脈と切り離すことはできない。
 したがって、イディオムを取り払うことは音楽の歴史的文脈を無視することに接近する。80 年代以降フリー・インプロヴィゼーションが世界に広がったことは、
グローバリゼーションの発展とうらはらの関係にある。フリー・インプロヴィゼーションは、奇しくもジョン・ゾーン以前からポストモダニズムとよく似た機能を果たしていたのだ。

ウィッチンケア第9号「自由研究家の日常──即興からノイズへ」(P162〜P166)より引用
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須川善行さん小誌バックナンバー掲載作品
死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>(第6号)/<『ことの次第』の次第>(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介24 久山めぐみさん

久山めぐみさんとは小誌寄稿者、そして校正を担ってくださっている大西寿男さんを介してお目にかかり、寄稿依頼しました。曽根中生や荒木一郎の書籍を手がけてきた編集者。小誌今号への寄稿作で論じられている「ロマンポルノ」にも造詣が深く...久山さんと話して痛感したのは、私がぼんやりとリアルタイム体験してきた事象の数々が、後年の世代によってきっちりと研究/議論され文化的蓄積が進行しているんだな、ということでした。なので次の段落は資料的に白子の鱗ほどにもなりませぬが、あー、でもこんな機会なので、ちょっと書きたくなった。

ロマンポルノを封切りすぐに観にいった、という記憶はなくて、というか、いつどこでなにを観たかも、ほぼ忘れちゃった。覚えているのは館内で煙草吸ってたこととか、周囲にビールやカップ酒飲んでる人がいたことかなので、二番館、三番館でいきあたりばったりに観てたのかなと。今回ちょっと真剣に記憶を辿ってみたら、たぶん18禁の頃に、地元(町田市)までまわってきた「サード」(ATG)を観て、森下愛子にときめいちゃったんだろう、と。それで「もっとしなやかに もっとしたたかに」と「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」をやってた高田馬場駅近くの映画館(←これはよく覚えている)まで遠征して、それがロマンポルノの初体験だったみたい。森下愛子と竹田かほり(三浦瑠麗って顔似てないか?)は、当時キャンディーズやピンク・レディーのつくりものっぽさに全然乗れなかったオレにとって身近に感じられたのですが、しかしたくろうとかいばんど...(号泣)。

仕切り直し。久山さんの寄稿作は<〈ロマンポルノが何を描いてきたのか?〉考えるため、神代辰巳小沼勝という二人の映画監督>を取り上げ、具体的な作品やインタビューを読み解きつつ<両者がどのような物語形式を生み出していったかを比較することでロマンポルノの実相を照らしてみる、試論とした>ものです。今号掲載作でもっとも分厚い、熱き一篇! 神代については、<映画全体に強い主観性を感じる><神代のインモラル、魔境は彼方にあるものではない。観客自身にとても近いところにあ>る、小沼については<性を映画の形式性のうちに囲い込むことで逆説的に解放した><小沼の映画を動かしていたのは、見る/見られるという視線のダイナミクス>という指摘がなされていまして、みなさま、ぜひ小誌を手にとって眼光紙背いただけますようお願い申し上げます。

全10ページの評論の冒頭、久山さんはかなりの字数を割いて、昨今の<女性がロマンポルノを見ていることそのものが称賛されてしまうきらいのある現状>についての私見を述べています。私はとても大事なことを書いてくださったと思っています。上記の「白子の鱗ほどにもな」らぬ個人的記憶...四半世紀を経てそれがヒップ(死語)に消費されたり、褒められ過ぎちゃうのは、それはちょっと違うんでないか!? という。



 確かにわたしたちにはいま、ロマンポルノを見るための席が用意されている。わたしたちは、家でひっそりソフトを再生するのではなく、堂々と、名画座やミニシアターで、休日の愉しみとして、ロマンポルノを味わう自由がある。しかし、女性がロマンポルノを見ていることそのものが称賛されてしまうきらいのある現状、わたしたちの鑑賞行為自体が、ロマンポルノの搾取的な側面から目をそむけるアリバイや免罪符になる危険がある。数年前、NHKの連続テレビ小説に出演していたとある若い女優がロマンポルノやピンク映画を映画館で見ていたことがSNSを中心に話題となった、奇妙な出来事を覚えている方もいらっしゃるだろう。なぜ、若い女性がロマンポルノを見ているというだけで、そのように騒がれ、もてはやされなくてはならないのか。
 わたしが、どうやら女性の名前であろうことを容易に伝えてしまうわたし自身の名前でロマンポルノを語るとき、何を語ったとしてもこのループのなかに回収されてしまうのではないかという懸念を頭から追い出すことができない。それでもやはり語りたいと思うのは、「性という人間にとって根源的なものを描いているのだ」とか、「作家と呼ばれる監督の作品には、性的搾取とは別次元に語られるべき芸術的な価値があるのだ」とか、「プログラム・ピクチャーの職人的な技術を堪能することができる貴重なフィルム群なのだ」とか、はたまた、「女性を主に描くから女性映画なのだ」とか、ロマンポルノの価値についてのさまざまな言説に、いまひとつ納得のいかないままに形の上での同意を示しつつ、自分たちのために設けられたふかふかの女性専用席に座ってしまう前にやらなければならないことがあるように思うからだ。

ウィッチンケア第9号「神代辰巳と小沼勝、日活ロマンポルノのふたつの物語形式」(P152〜P161)より引用
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2018/05/22

vol.9寄稿者&作品紹介23 谷亜ヒロコさん

谷亜ヒロコさんの小誌今号への寄稿作は、前作に引き続き、50代女性である<私>が主人公。限りなく「同一人物?」的な印象を持ってしまうのは、たとえば自分の生活まわりに「頭の薄くなった夫の髪の毛」を発見するとやたら気にする点とか...そんな<私>が<モヤモヤが煮詰まってとても整理が出来ない気持ちにな>ったときに飲むのは、スターバックスのフラペチーノ、だそう。<タリーズのカフェオレスワークルでもいい>みたいですが、氷の粒が小さすぎて不満が残るんですって! ファミマの似たもんは<飲んだ後お腹タッポンタッポン系>で甘過ぎてダルくなっちゃうんですって!! 私はごく稀にグリコのストロー付きの「カフェオーレ」を飲みたくなりますが、あっ、あれは氷の粒が入ってないから<私>のモヤモヤには効かないか...。

ある日、夫が突然帰ってこなくなってしまうんですが、<自分が帰って来たくないと思ったのだから、私が探したら嫌がるに決まっている>と考え、<私>は一人で独身時代のように過ごしています。そして、52歳の誕生日。20代のときに職場で一緒だった<ミノリ>さんからLINEがくるんですが、その内容が一人でいた<私>の逆鱗に触れたようで...いやまさに「神獣である龍の81枚の鱗のうちの顎の下に1枚だけ逆さに生えてるとされる、それ」を刺激されたように怒りまくるのですが、その壮絶さたるや。

私が一番震えたのは<そうだ、あいつが変な顔してる写真をフェイスブックにタグ付けしてやろうか。いやいや年齢以上の老け方をしている人と友達だと思われたくない>という一節でした。とくに、後段の<友達だと思われたくない>というの。はい、私もそれなりの年齢でフェイスブックやってますから、ときどき懐かしい「友達」たちの飲み会の写真など見かけますが、いや当人たちは盛り上がってイエーイ&パチリなんでしょうが、まー皆さんハゲシワデブシラガ...みたいな感慨を抱くことありますが、しかし<(そこに参加して他の「友達」に)友達だと思われたくない>という心理もあるのか、とびっくり。

<私>のちょっと壊れた感じの奇行は、翌日も続きます。ツイッターでは、いわゆる「盛る」っていうのかな、みたいなつぶやきも(テレビに出てるのを見ただけなのに<友達に本田翼に似てるって言われちゃった>www)。...そして、1週間後にある大事件が! 《衝撃の結末》は、ぜひ本誌を手にしてお楽しみください(マジ、恐いです)!



そうだ、あいつが28の時、好きだった男のことをみんなにばらしてやろう。当時からカッコばかり付けて、噓つきで、派手な服を着て、名前が覚えられない変な車に乗っていたその男は5年前に詐欺で逮捕されたのだ。昔の彼が20年後に犯罪者になるって、ものすごい格好悪い。ネットに書いちゃうとすぐに私だとわかるので、その事をバラす飲み会を開くのはどうだろう。いやいやミノリなんかに会ってやる時間はない。
 うん、近所のこぢんまりとしたレストランだけどね。スパークリング飲んで、イタリアンね
 とだけ書いた。
 プン! と
 へぇ〜〜、いいね。うらやましい
 羨ましがられたことに心底安心してスゥーっと寝ることが出来た。

ウィッチンケア第9号「冬でもフラペチーノ」(P146〜P151)より引用
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谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品
今どきのオトコノコ」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由」(第6号)/「夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜」(第7号)/「捨てられない女」(第8号)

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2018/05/21

vol.9寄稿者&作品紹介22 西牟田靖さん

西牟田靖さんの小誌今号寄稿作。主人公・高梁は、いわゆる「もの書き」です。数年間に渡る取材をもとに書き上げた小説を発表しようとしたが<出版社に圧力がかかり、出版停止>。その影響で私生活もほころんでしまい、失意の生活に。そんなとき<格闘技の写真を撮っている業界の後輩に誘われ>て、気分転換にもなるからとホテルの清掃員として働き始めた、と。作中では清掃作業のディテールがかなり描かれています。「におい」や「湿り気」に敏感に反応していて、そうそう、と思いました。

というのも、私も学生時代に2年ほど、東京都港区の、業界関係者からは陰で「駅前ホテル」と呼ばれていたところでアルバイトをした経験があるのです。最初は夜勤のハウスキーピングで、その後、夜勤のベルボーイに。深夜に「空室づくり」の清掃、やりましたよ。とにかく、スピーディに終わらせなくちゃいけなくて、職場の先輩からいくつかの裏技も教わったり。ベルボーイをやっていたときは、不思議な人間模様に出くわすことも少なくなくて(高梁ほどヘヴィな光景を目の当たりにすることはありませんでしたが)、いま振り返れば社会勉強になった、かも。なので<見たことのない世界をのぞけるのが、彼にとって刺激的だった>という一節には、リアリティを感じました。

タイトルに関わる連続放火犯は、物語の後半に登場。といっても、その人となりは高梁の作業相方である<インストラクターさん>からの伝聞でほとんど語られてしまい(高梁も会ってはいるが、自分の心は開かなかったよう)...清掃のディテールは生々しいのに人間の情念は希薄...というか、虚実ないまぜのような世界がそこにあり、各々が自身の勤めを淡々とこなしていて事を荒立てない、というムードが作品に通底していまして、だから連続放火、というショッキングな事件が起きても、それは日常の一つのできごとのよう。

この「鈍感が支配した物語」のなかで、高梁だけが、言葉少なくも抗っているように、私には感じられました。他の方はどんな感想を持つのだろうか? みなさま、ぜひ小誌を手にとって本作を読んでみてください!



「あ、足の不自由なおじいちゃんだね。タオル濡らしてくるよ」
 インストラクターさんはそう言って、洗面台でバスタオルを少し濡らし、立ったまま足を動かして素早くバスタオルで床を拭き始めた。するとあっという間にくさくなくなった。
「もうこんなの慣れっこだからね。高梁くんも早く慣れてね」
 途中、掃除をする部屋がなく、2階の待機室で電話を待っていた。なので、午後8時までの2時間で、5部屋しかやっていなかった。休憩時間は15分。午後10時頃にも
15分。2回の休憩を挟んで、高梁は0時まで働くのだ。
 高梁は家から持ってきたパック詰めしたご飯と、マルハのグリーンカレー缶を温めてすぐに食べきると、ふたたびインストラクターさんと組んだ。

ウィッチンケア第9号「連続放火犯はいた」(P138〜P144)より引用
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西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作品
「報い」>(第6号)/「30年後の謝罪」(第7号)/「北風男」(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介21 朝井麻由美さん

最近はテレビでお見かけすることも多い、朝井麻由美さん。たとえば「おしゃべりオジサンと怒れる女 」では古舘伊知郎さん、坂上忍さん、千原ジュニアさんといったトークの達人たちと「ぼっち」について論議。また「二軒目どうする?」にも出演して松岡昌宏さん、博多大吉さん等と飲み歩き...あっ、TOKIOは今年のGW前後、たいへんなことでしたが、松岡さんの立ち振る舞いは印象的でした。オールドな人間としては、彼が19歳で大河ドラマ「秀吉」の森蘭丸を演じたときの、あのキリッとした感じを思い出していました。

さて、朝井さんの今号への寄稿作。お話の舞台は東京・中央線沿線。語り部は、かつて毎週のように会っていた亜美ちゃんとのできごとを回想しています。<吉祥寺と西荻窪と中野の位置関係に、亜美ちゃんが気づかないことを願った>という一文からも察せられますが、亜美ちゃんにかなり気遣いしながら関係性を保っていたようで、その理由は終盤でぽつりと明かされているのですが...多感な思春期に時間を共有した<身長差が30センチもある上に、細身とぽっちゃりという真逆の体型>の2人の、外側からは窺い知れない心模様が不思議な余韻を残します。ふと思ったのは、もし亜美ちゃんがいま、語り部についての物語を書いたら、全然違うものになるんじゃないかな。語り部からは携帯メールに返信をくれない<筆不精な子だった>と描かれてますが、相手によってはまめに返信してたり...。いや、わからない。わからないままでいいんだと思います。

読んいてでいくつか心に浮かんでくる謎は、最後まで謎のまま。でも、語り部と亜美ちゃんの最新の関係(意外なような、順当のような)はしっかり記されています。でっ、最後まで読むとタイトルの秀逸さが際立ってくるのです。みなさま、ぜひ小誌を手にして、全篇くまなく目を通してみてくださいね。

前々作「無駄。」でも前作「消えない儀式の向こう側」でも感じましたが、朝井さんの作品には独自の「寸止めの美学」のようなものに貫かれていて魅力的です。今回は締め切りと出張が重なったうえに、インフルエンザも患われて(寒い冬でした...)。それでもきちっとこの一篇を仕上げてくださったこと、あらためて感謝致します!



それを亜美ちゃんに黙っていたのは、亜美ちゃんに遠慮させたくないという、自分なりの精一杯のカッコつけのようなものだろうと思う。それに、「帰り道だから」と軽快に始まったのだから、軽快なままでいなければならなかった。たまたま名簿の順番が隣で、たまたま一緒にいるだけ。たまたま帰り道が一緒だったから、じゃないと知られてしまったら、この集まりが終わってしまうかもしれない。「吉祥寺のマクドナルド」がなくならないように、吉祥寺と西荻窪と中野の位置関係に、亜美ちゃんが気づかないことを願った。

ウィッチンケア第9号「恋人、というわけでもない」(P134〜P136)より引用
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朝井麻由美さん小誌バックナンバー掲載作品
無駄。」(第7号)/「消えない儀式の向こう側」(第8号)

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2018/05/20

vol.9寄稿者&作品紹介20 大西寿男さん

先日ツイッターを見ていたら、校正者の牟田都子さん大西寿男さんの小誌今号寄稿作について<知る限りこれは「現役校正者による校正者が主人公の校正小説」として非常に貴重な作品だと思われます(本屋Titleで見かけたけれどまだあるかな)>とつぶやいていまして、なるほど、自分はその視点で大西さんの作品に接してはなかった、と目から鱗でした(でっ、なぜ鱗? と私にも校正者的疑問が生じてググったら、聖書由来→ Immediately, something like scales fell from Saul’s eyes, and he could see again. なのですと)。あっ、Titleさんはきっと在庫してくださってることと!

さて、そんな大西さんの一篇は、全体が主人公である<校閲先生>の御三どん(←私は台所仕事=1日3回の台所作業、の意で認識してた/最近使われなくなったのは語源のせいか?)を軸に構成されています。この日は終日、自宅での仕事。食事タイムは気分転換の生活アクセントにもなっているようで...教養人の豊かな暮らしぶりだな、と感じました。私なんか一人で忙しいと《お櫃ご飯》(←炊飯器の内釜に残ってるごはんにふりかけや冷蔵庫の佃煮や瓶詰めのなにかを載せて流しの前に立ったままかきこんで空になった内釜に箸を入れて水道の蛇口を捻って水を満たして終了、約1分)で済ませちゃいますので。

おもしろかったのは、校閲先生の行動が逐一「なにか(理屈、とか)に裏打ちされている」感じに描かれていて、これはもう、職業と切っても切り離せない業なのでしょうか。たとえば朝起きて水を飲むことも、ただ「喉が渇いた」ではなくて<起きぬけのこの一杯の水が血液をさらさらにする>と信じているから? 続いての、ゴミ出し。不意に出たくしゃみも「...寒いな」では済まされません。ついつい<「くさめくさめと言ひもて行きければ〜」と『徒然草』の一節を詠うように唱えて>しまうのです。作者である大西さんが「校正者の無意識」を意識的に描写して楽しんでいるようで、文体も弾んでるなぁ。

個人的に一番じーんとしたのは、夜ごはんのパートにある<だけど、もしかしたらその提案は、「初めて」の繰り返し(ルフラン/原文ではルビ)にこめられた驚きと発見を薄め、小ぎれいに言葉を飾ることになってしまったのではなかったか──。>という文章。プロである校閲先生の意識のなかに、このような思いがあること、とても嬉しかったです。どんな状況での一節なのかは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 二合炊きの土鍋にご飯がお茶碗半分くらい残っている。ご飯の上から水をたっぷり注ぎ、中華スープの素を控えめに加え、火にかける。わかった、お粥だ。先生お得意のありもの料理。トッピングには、玉子を一個溶いて炒り卵。あとは冷蔵庫に作り置きしていた大根葉のごま炒めとキムチだ。キムチは刻んでごま油と醬油を垂らすとマイルドな辛みになって、先生の口に合う。
 居間の食卓兼座卓のこたつに土鍋と食器を並べる。土鍋から湯気を立てる白いお粥と小皿に盛り付けられた黄・緑・赤の三色のとりあわせが美しい。iPhone で写真を撮り、インスタに上げ、いただきますと手を合わせて茶碗と木杓子を取る。先生は正座が好きである。
 泥のように眠ったけれど、芯がまだぼんやり重い体に、あったかいお粥がしみる。昨日は雑誌の出張校正の最終日だった。新人のころお世話になった文芸誌で、ここ数年、レギュラーメンバーにカムバックした。いつのまにか先生もベテランと呼ばれるお年頃になり、多忙で以前のようにがっつり関われないことを申し訳なく思っている。

ウィッチンケア第9号「校閲先生はメシの校正はしない。」(P128〜P133)より引用
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大西寿男さん小誌バックナンバー掲載作品
「冬の兵士」の肉声を読む>(第2号)/「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル」(第4号)/「before ──冷麺屋の夜」(第6号)/「長柄橋の奇跡」(第7号)/「朝(あした)には紅顔ありて──太一のマダン」(第8号)

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2018/05/19

vol.9寄稿者&作品紹介19 古川美穂さん

今春から「世界」(岩波書店)での新連載もスタートした古川美穂さん。小誌今号への寄稿作は「なつかしい店」という、タイトルだけで連想すると気持ちがほっこりしそうな、なんか、井之頭五郎が腹を減らして暖簾をくぐりそうなイメージですが、さてさて。思い返せば前々作「夢見る菊蔵の昼と夜」も前作「とつくにの母」も日本語の柔らかいニュアンスを活かしたタイトルでした。ええと、ネタバレは書きませんが、本作は平成30年のこの国のある断面を、小説という形式でくっきりと映し出しています。それも、かなりエッジの立った設定で。

ビールで喉を潤したくて、ふと立ち寄った<中央にコの字型のカウンターをしつらえただけの、小ぢんまりとした店>。柔和そうな店主に勧められた<最高のレバ刺し>を味わっていると隣席の男に肘がぶつかってしまい、会話をすることに。レバ刺し...10年前はどこでも食べられたなぁ。安い店ではそれなりに危険そうな、口コミで評判の伝わってきた店では「こんなにうまかったっけ!?」って感じのが出てきたものでしたが、それはともかく、<私>は男に焼酎を一杯奢り、身上話をじっくり聞くことになるのです。そして、自身も混乱に陥り始める。

いくつもの辛い話が出てきますが、作者の目線は細やかに<弱い側>に寄り添っているように感じられます。身上話の内容そのものは決して特異ではなく、深読みすれば「ある種の類型」を代弁する人物として<私>に話して聞かせる存在なのかも、ともとれる。ですが、語られているディテールはやけに生々しくて、しかもねちっこいくらい微に入り細に入りで、なんか、若い頃に少し真剣に読んだことがある、ブルース・スプリングスティーンの歌詞の登場人物みたいな印象も受けました。なんか、テレビや週刊誌がバッサリ世間を切っている風に使っている言葉から漏れちゃうものを拾って、注意深く繋げているような。

店主に「もっと召し上がりものはいかがですか」と食べものを勧められ、<私>は墨で書かれた「おしながき」を手にします。そこには<へたくそなキャッチコピー>のような不思議な言葉、そして...この先のジェットコースター的展開は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください! きっと、古川さんが敢えてほっこりしたタイトルを冠した真意も伝わって、あなたの肝も...あっ、これ以上はネタバレ。



「人間、住む場所を失ったら、落ちるのはあっという間ですよ。本当にストーンと社会から切り離される。誰も助けちゃくれません。井戸の底みたいなもんだ。よじ登ろうにも壁はつるつる、梯子も見あたらない。池袋の路上では二年暮らしました。それから色々あってコトブキの方に流れて……」
「ほう」と上の空で相槌をうちながら考える。私はこれまでどうやって暮らしていたのだろうか。家族はいたのか。どんな仕事をしていたのか。いや、何よりも、なぜ私は今ここにいるのだろう。どこから来てどこへ行く途中だったのか。
 男は淡々と語り続けている。
「路上には怒りや悲しみなんていう高級な感情はありません。暑さ、寒さ、ひもじさ、あとは恐怖」
「恐怖?」一瞬、何かイメージの断片のようなものが頭をかすめた。

ウィッチンケア第9号「なつかしい店」(P120〜P126)より引用
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古川美穂さん小誌バックナンバー掲載作品
夢見る菊蔵の昼と夜」(第7号)/「とつくにの母」(第8号)

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2018/05/18

vol.9寄稿者&作品紹介18 美馬亜貴子さん

自分は元ドルオタ、とブログで表明する美馬亜貴子さんの「パッション・マニアックス」は、昨今の「ドルとオタの関係性」についての作品。美馬さんのブログから引用しますと、いまはむかしと違って<ファンがアイドルを「選び育てる」、アイドルがファンに「選んでもらう」という意識が顕著になってる>のだそうで、mmm、それは選挙とか握手会とかやるあのグループあたりからの風潮でしょうか。あっ、そういや昨年寄稿者の某男性と話をしていて、私が「○○とかよく聞いてられますね、私にはそもそも音楽だと思えない」と言ったら「いやいや、ベランダの観葉植物と同じなんですよ。愛でて育てる」みたいなことを仰ってたので...美馬さんの考察と符合する。

主人公の美佐枝の<稼業は地下アイドル>。本名をもじり、「ミサンガ」という呼称で活動しています。あるきっかけで、ファンの一人である秋山さんと直接連絡をとる関係になったミサンガさん。自分的には「私のストーカー」だと認識していた秋山さんの、連絡を取り合って以降の言動がよく理解できなくて悩んでいるのです。物語内では、この2人の意識のズレの綾が細やかに描かれていまして、さらに<美佐枝の母>や<友人のユミ>が第三者的な見解を示すことで、ミサンガさんの動揺は激しくなり、ついに...。《衝撃の結末》はぜひ、小誌を手にとってお確かめください!

お原稿を最初にいただいて、けっこう秋山さんの言い分に納得できた自分に困りました(苦笑)。いや、私のアイドル観は守旧も守旧(「笑顔ひとつで瞬殺してくれ」「トイレにいかないと信じさせてくれ」)なので、今世紀に入ってからはずっと《該当者なし》なんですが、いや、いや、そんなだから、秋山さんがミサンガさんではなく美佐枝にある一線を引こうとするアティチュードに「ちょっとわかる」って気分だったのかも? いや、だが、作者は秋山さんのミサンガさんへのつれない対応すら、<ファンがアイドルを「選び育てる」>ための一方法として描いているのかもしれず...とにかく、ミサンガさんには狼狽えず精進してほしいと思いました!

冒頭で美馬さんが<自分は元ドルオタ>と書きましたが、掲載までのやりとりで「初代の東京パフォーマンスドールにハマってエラいことになりました」と伺い、女性が女性グループにハマる...エラいことって...もしかして美馬さん、TPDに自分も入ろうとしてオーディション受けたとか!? と早とちりしてしまいました(恥!)。よく聞けば、メンバーの川村知砂さんに深く思い入れてファンレターを書いたとか。「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号)のブラジリアンワックス以来、美馬さんには毎年認識をあらためさせていただいているようで、申し訳ないっす。あっ、そういえば、今号では小川たまかさんの作品にもローラに共感する一節があって印象的でした。私の場合だと、芸能人にそういう感情は湧いたことなかったな。むしろもっとデフォルメされた、アニメキャラ(矢吹丈とか流川楓とか)には、似たような思い入れをしたかも。



「ハッキリ言いますね。私、今回のことで〝ご縁〟っていうか、そういうのを感じているというか……」
「自分もそれは感じてます。とても」
「だから、本当のお友達になって欲しいんですね」
「……ミサンガと? 友達に?」
「はい。だからまずはミサンガじゃなくて〝みさえ〟って呼んでくれると嬉しいんですけど」
 そこで再び途絶えた会話から、秋山が困惑していることが伝わってくる。
「……自分にとってミサンガはやっぱりミサンガでしかなく……〝みさえ〟だと、あ、呼び捨てにしてすみません……また別の話になっちゃうんですよね」
「別の話?」
「そういう繋がりを持ちたいわけじゃないんで。この間のことも、結果論ですけど、自分的にはちょっと近くなり過ぎちゃったかなと思ってて……アイドルがアイドルでなくなっちゃうのはむしろ嫌というか……自分はプロのドルオタでいたいので」

ウィッチンケア第9号「パッション・マニアックス」(P114〜P119)より引用
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美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作品
ワカコさんの窓」(第5号)/「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「MとNの間」(第7号)/ダーティー・ハリー・シンドローム」(第8号)

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2018/05/17

vol.9寄稿者&作品紹介17 吉田亮人さん

昨年8月、吉田亮人さんの個展「 The Absence of Two」(東京都墨田区にて)に伺いました。会場に展示されていたのは、吉田さんが小誌今号への寄稿作内で<宮崎県に住む88歳の僕の祖母と23歳の看護大学生だった従兄弟の生活を綴った「Falling Leaves」>と語っている作品。ネット上のメディアでも、ずいぶん紹介記事を拝見しました。ここで軽々に内容をまとめたりはしませんが、2人を撮影し続け、予期せぬ展開があり、その後吉田さんが写真集をつくるまでの経緯や心の葛藤が、飾らない筆致で記されています。ぜひぜひ、小誌を手にとって読んでいただきたいです。

タイトルにある「荒木さん」とは、吉田さんが大きな影響を受けた写真家・荒木経惟氏のこと。大学生の頃、京都の新風館にあった書店で『センチメンタルな旅 冬の旅』と出会った吉田さんは<書棚の前でむせび泣いた>、と。その後には<僕は荒木さんから間接的に写真を学び、勝手にその方法論を参考にしながら自分なりの写真を構築していった>との一文もあります。...じつはこの一篇を掲載した小誌第9号が発行された4/1、今世紀になって長く荒木氏のモデルを務めたKaoRi.さんがネットに文章をアップしました。私が詳細を知ったのは、ニュースなどを経由しての数日後。正直、多少複雑な気分になりまして、吉田さんの作品を紹介する際にはなに書こうか、などと1ヶ月ちょっとムズムズ(この一件をスルーするのはよくない、とは思いました)...でっ、自分自身のことを書きます!

私は1996年に荒木氏と大塚寧々さんの対談を雑誌で構成(文も)したことがあります。OKはもらったが当日どうなるのか...たしか出版社の誰かがタクシーで迎えにいって、氏は無事に対談場所へ到着したはず。1時間ほどでしたが、奔放で楽しくてエッチで、まさに当時巷間言われていた「天才アラーキー」という印象でした。いま思い返せばふなっしーとかくまモンとか「こりん星のゆうこりん」とかみたいなみごとに「天才アラーキー」な人物だったな、と(そして私はそのイメージを拡散する記事を書きました)。もうひとつ個人的な体験。Björkの「telegram」というアルバム(のジャケット)を最初に店頭で見かけたとき、これってもしやと思って買ったらやっぱり写真家・荒木経惟氏の手がけたものだった、という。「天才アラーキー」としての振る舞いも、写真家としての作品も、どちらも揺るぎないんだなぁ、と。

吉田さんの寄稿作は(人物や作品への毀誉褒貶等も含めて)荒木経惟さんと長く対峙して、自分が導き出した《答え》を文字にしたものと受け止めています。世の中は変化するし、世の中の物差しはいくつも存在する。...それでもある時期の荒木氏は、カメラを持つと個人として代えのきかない《強さ》を作品に埋め込める人物で、吉田さんが氏に惹かれたのは、その《強さ》の秘密を知りたいからではないかと思っています。



 どちらにしろ、当時の僕は迷いの中にいたと言っていい。迷いながらもやはりどこか一条の光を求めて、写真集だけでなく、荒木さんがあの作品を作り上げた当時の映像や、著書なども読み漁った。
 その中で荒木さんはこう言っている。

「これは俺自身のためのものなの。なんといっても第一の読者は自分なんだから」

 当時、作品を発表したばかりの荒木さんはきつい批判を受けたようだった。「不謹慎」「あなたの妻の死なんて他人には関係ない」「不遜な写真」。しかし、荒木さんは「自分自身のため」とそれらの言葉を一蹴し、妻・陽子さんへの愛を写真作品へと昇華したのだった。とは言うものの、

「俺の写真家としての第一ラウンドはこれで終了したよね」

 との言葉が物語っているように、きっと相当な痛みと悲しみを伴ったに違いない。だからこそ観るものに強く訴えかける何かが内包されたのだろう。最愛の人を写真によって見つめ続けた写真家の、最上の愛の形がこれしかなかったのだろうと思う。

ウィッチンケア第9号「荒木さんのこと」(P108〜P113)より引用
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吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品
始まりの旅」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「写真で食っていくということ」(第6号)/「写真家の存在」(第7号)/「写真集を作ること」(第8号)

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2018/05/16

vol.9寄稿者&作品紹介16 武田徹さん

私が吉本隆明を初めて読んだのは、1984年に福武書店から出た『マス・イメージ論』だった記憶が。勤め人1年目でしたが、これは地元の駅前書店に平積みされていて、パラパラめくるとおもしろそうだったので、むずかしいんだろうがこれくらい読んでやるぜ、と気合いを入れて購入したのでした。そして、同書で絶賛されていた高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を知り、今度はそれを手に入れて、同作での奔放な言葉の使い方に「これは高校生のときに太宰治の『晩年』を読んで以来のびっくり!」となって、その数年後には「ばなな」なんてヘンな名前の新人作家の『キッチン』を読んで(←電車で読んでやめられなくなり駅で降りベンチで読み切った)、これがあの人の娘の作品なんだ、と感動したり。...と、私の貧しい読書体験を告ったのは、武田徹さんの小誌今号寄稿作にも、ご自身の吉本体験について書かれていたからでした。

<吉本隆明の作品と出会ったのは、案外と遅くて、大学院の初年次><大学院の比較文化論の授業で『共同幻想論』を読んだ>と武田さんは記しています。おそらく私が『マス・イメージ論』を読んだのと、数年しか違わないかな。<案外と遅くて>という感覚、わかるのです(学生運動は終息、でも新人類より少し年長の「三無主義」「シラケ世代」〜次の天皇陛下と同世代の人間には、ちょっと前の思想家に感じられて距離があった、かも)。ともあれ、武田さんは『共同幻想論』を読み、前世代の影響を強く受けて<滞留>(!!)していた院生とは異なること...吉本が<「幻想」の語を選ぶ姿勢>が気になっていた、と。

その後、武田さんが<次に本気で吉本と向かいあったのは>自著『偽満州国論』(1995年)の執筆中に<共同性の在り方>を考えるために...月日が流れ、今年はたしか「月刊Journalism」3月号に、原子力政策がらみで吉本関連の評論を執筆していたはず。そして小誌には、極めて個人的な吉本考察の一篇をご寄稿くださいました。詩人から出発した吉本が「共同幻想」という言葉に込めた意味を、いまの武田さんの目線で読み解き直そう、という。詳しくはぜひ小誌を手にとってお確かめください。

短くもなく武田さんが書くものの読者ですが、小誌にこれまでご寄稿いただいているような「ジャーナリスト」「社会学者」の枠からやや踏み出した風合いの作品も大好きです。1冊にまとまったら、文芸書のエッセイコーナーにでも置かれそうな...。teacup時代の「オンライン日記」には、本や音楽、当時の町の風景を記した作品がたくさんあって、自分の思い出にも重なっています(いまでも読めるので、ぜひアクセスしてみてください!)。



『共同幻想論』も、吉本の評論の「グラウンド・ゼロ」である「固有時との対話」に遡って読み解かれるべきだったのだろう。吉本が幻想の語を使うのは国家である共同幻想だけではない。人間関係には「対幻想」、個人に対しても「個なる幻想」という概念が当てられる。それは相対性理論の数式で表現される、ゆらぐ世界の成り立ちそのものを、それぞれに固定的で共同的な言語や観念によって表現したものだからであり、それらは所詮紛い物であり、幻想でしかない。
 幻想という言葉の負の語感ゆえに『共同幻想論』が、国家をdis りたがる心性と響き合ったという解釈は間違っていないと思うが、吉本自身にとっては、それぞれの固有時によって分断された孤独の淵に沈んで口にする全ての言葉、脳裏に思い浮かべる全ての観念が幻想なのだし、その孤独の深さに比べれば、日常的な語感など取るに足らない些細なものだったのではないか。

ウィッチンケア第9号<『共同幻想論』がdisったもの>(P102〜P107)より引用
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武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品
終わりから始まりまで。」(第2号)/「お茶ノ水と前衛」(第3号)/「木蓮の花」(第4号)/「カメラ人類の誕生」(第5号)/<『末期の眼』から生まれる言葉>(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/<「寄る辺なさ」の確認>(第7号)「宇多田ヒカルと日本語リズム」(第8号)

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2018/05/15

vol.9寄稿者&作品紹介15 荻原魚雷さん

荻原魚雷さんの小誌今号寄稿作には、クレジットカードの審査で落ちた逸話が出てきます。私も20代半ばからフリーランスでして、落とされたことあり。学生時代から口座のあった三井銀行で、ある日おっさんに呼び止められ「キャンペーン中なのでぜひ」と頼まれて書類に記入して、数週間後「審査の結果基準に適さないので」みたいな通知がきて、銀行にいっておっさんを見つけて「落ちたんですけど」と言ったらつれない口調で「規定ですから」みたいなこと言われ、「いや私はあなたに頼まれたんで」と言い返したら露骨にめんどくさそうな顔でまた「規定なので」みたいな。...こおゆぅ体験はその後の処世法に影響を与えますよ。選挙シーズンに道端で越智通雄さんからも隆雄さんからも笑顔で握手を求められことがあったけれど、「どうせオレのことなど知らないし、誰でもいいんでしょ」と心が冷えて避けたなぁ。

住処のこと...<夜中に仕事をしていて行き詰まると、たまに不動産屋のホームページを見る>という一文に実感がこもっているように思えました。荻原さんの今作での主題は、賃貸住宅での生活をマイホーム(終の住処)での生活に替えるとして、自分にはどんな選択肢があるのか? についての考察。それを考えるトリガーとなったらしい、ある不動産広告のキャッチコピー(「何ひとつ諦めたくない」〜冒頭と末尾に2度登場)をググりました。出た! 地下鉄で大手町へ9分の新築物件。3LDKの賃貸が25万、買うと8000万くらいの。...あっ、荻原さんは「ここに住みたい」と思ったのではなく、このコピー(と、たぶん付随したスペックも)が喚起するなにかに平常心を侵食され、<何ともいえない気分になった>、と。

故郷で一人暮らしをするお母様が病に倒れたこと(現在は回復なさったそう)。お母様名義のマンションのこと。ネット検索で浮かび上がる、伊豆や熱海や桐生や足利や甲府の、100万円台で売り出されているワンルームマンション...。中央線沿線での生活が長くなった荻原さんにとっての、納得のいく<終の住処>とは、どこのどんな家なのか? 巡る思いのプロセスを、ぜひ小誌を手にとって追体験してみてください。

本作について、荻原さんがご自身のブログで紹介してくださっています。そのなかで<エッセイと私小説はどうちがうのかということを考えていたのだが、わからずじまい。自己申告で決めるものなのかもしれない><いつもとちがう文体に挑戦してうまくいかず、いつもどおりの書き方に戻した>と記していますが、私が最初にお原稿を読んだ印象、じつは「小説なのかな?」だったのでした。たとえば、お母様にまつわることと、「エアコンのリモコン」「ファミコンのソフト」の配置バランス(重さの比重?)が、<わたし>の主観を優先した、創作作品のように感じられた...というか。



 買うかどうかはさておき、マイホームはまったく手の届かない夢ではない。
 生まれ育ちは長屋だったが、わたしが上京した年に、突然、母が分譲マンションの一室を買った。わたしも父も寝耳に水だった。というのも、当時、父は単身赴任中で埼玉の工場に勤めていた。
 一九八九年──バブルの最盛期だったから、首都圏に家を買うことはできなかっただろうが「なんで家族三人のうち、二人がいないときに家、買っちゃうかなあ」とおもった。母がマンションを買ってしばらくして、父は鈴鹿の工場に戻り、新しい家で両親が暮らすようになった。二十代のころのわたしは、その家にほとんど帰らなかった(大学を中退し、フリーライターになったことで、親との関係がこじれていた)。
 二年前、父が七十四歳で亡くなり、マンションの名義を母に変更した。今のところ、資産価値はゼロではないらしいが、「負動産」まっしぐらの物件である。
 母は「面倒やから、あんたの名義にしとくか」といったが、断った。正直、酒と煙草が大好きだった父とちがって、母は長生きしそうだとおもった。ヘタしたら自分よりも。

ウィッチンケア第9号「終の住処の話」(P096〜P100)より引用
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荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品
わたしがアナキストだったころ」(第8号)

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2018/05/14

vol.9寄稿者&作品紹介14 柳瀬博一さん

小誌今号が発行された4月1日、柳瀬博一さんは長年勤務した日経BP社から東京工業大学教授へと、キャリアチェンジ。私は事前に伺っていませんでしたので、2月〜3月上旬にかけて「お原稿よろしくお願いします!」「校正が出たので確認お願いします!」などと事務的なメールを何度も何度も(恐縮至極!)。人生の一大転機でさぞかしお忙しかったはずなのに、きちんと対応してくださって...ほんとうにありがとうございました。そして、大学の公式サイトを拝見すると、今後はおもに「メディア論」での教鞭をとられるようで、いやぁ、学生さんが羨ましい(私も聴講しにいきたいです)。

柳瀬さんは今年の1月14日よりnoteにて、「メディアの話」というタイトルでコラムを開始していました。現時点でそろそろ80回に到達しようという連載(作中では<2月末時点で、40本以上>との記載あり)。...いま思えば、新しいキャリアに向けてのウォーミングアップも兼ねていたのかな。小誌今号への寄稿作は、その記念すべき第1回目のヴァージョン・アップ版、コラム連載に至る背景も率直に語ってくださった貴重な一篇です。きっと、いずれさらに拡大ver.として本にまとまるはず、と確信しますが、区切りの日である2018年4月1日付けで、そのプロトタイプを誌面化できたこと、発行人として嬉しく存じます。

まず、30年ぶりにマーシャル・マクルーハンの『メディア論』を読んだことがきっかけで<今日から、「メディア」について、いろいろなことをメモ代わりに書いてい>くことにした、と語られています。そして、同書を知ったのは高校姓の頃で、竹村健一さんがテレビか雑誌で話していたので興味を持った、と。竹村さん! 私もテレビで毎日のように見かけた時代のこと、よく覚えています。日本テレビの朝の番組で時事解説みたいなことを月〜金でやってて、女性アシスタントがけっこうやり込められて、何人か替わったような記憶が。一番あしらいが上手だったのが、いまの都知事・小池百合子さんだったんじゃないかな。

そしてもう一人、柳瀬さんをマクルーハンの本に導いた重要な人物として、南伸坊さんの名前が挙がっています。南さんとの逸話には竹村健一さんも登場するというメタ構造なのが、柳瀬さんらしい一筋縄ではない語り口で...みなさま、小誌を手にしてぜひその後の展開をお楽しみください(もちろんnoteでも読めるんですけれど、第1回目は、ぜひぜひ小誌で)! そして、note連載は第2回以降もじつに示唆に富んだ内容でして、私は<その2>でのユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞解釈(とくに<あなたの目の前のすべてはあなたの味方なのだ>という箇所)で、脳がぶっとびそうなくらい納得してしまいました。



 もちろん、マクルーハンの本を直接読んだわけではない。たしか、評論家の竹村健一さんが、テレビか雑誌でマクルーハンの話をしていたのを、ちらっと見た。マクルーハンというヘンテコな名前だけが、脳みそにひっかかった。
 当時、竹村健一さんは、91分けの実に実に個性的な髪型で、テレビをはじめとするマスメディアに朝から晩まで登場していた。たいがいの対談相手の話は「だいたいやねえ」と持論に引き込んで、まったく聞いていない。そしてパイプを片手にやおら手帳を1冊取り出し、「私なんかこれだけですよ、これだけ」とまくしたてるのだ。
 あれだけテレビに出ていろんな偉い人と渡り合って、でも、手帳1つで情報管理をしている。なんたるかっこよさだ!
 ……とは、ちっとも思わず、高校生だった私たちは、生徒手帳を学ランの内ポケットから出して「私なんかこれだけですよ、これだけ!」と真似をするのであった。男子高校生はいつの時代もバカである。
 竹村さんの「これだけですよ、これだけ」は、たしかコマーシャルになっていた。YouTube で検索したら、出てきた。MSシュレッダーである。

ウィッチンケア第9号「南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。」(P090〜P095)より引用
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柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品
16号線は日本人である。序論 」(第5号)/<ぼくの「がっこう」小網代の谷>(第6号)/「国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と」(第7号)/「国道16号線をつくったのは、太田道灌である。」(第8号)

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2018/05/13

vol.9寄稿者&作品紹介13 武田砂鉄さん

先月(2018年4月24日)、新刊の「日本の気配」を上梓した武田砂鉄さん。初の単著「紋切型社会──言葉で固まる現代を解きほぐす」が2015年の4月25日で、その後2016年8月15日に「芸能人寛容論:テレビの中のわだかまり」、「コンプレックス文化論」が2017年7月14日と、ほぼ年1冊ペース(しかもサイクルが短くなりつつ)で本を出しています。「日本の気配」...上島竜兵的スタンスにしなやかさ、坂上忍的スタンスに硬直性を見出した書き下ろし作<「笑われる」気配>での言説が、全編を貫いているように感じられました。<あとがき>にある「個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる」という警句をときおり自身にも向けつつ、武田さんは世の中と対峙し続けています。

そんな武田さんの今号寄稿作は、前々号、前号に続き「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」。漆原さんって誰? なんて訝しがらず、ぜひフラットな心持ちで読み始めてほしい一篇なのですが...しかし生真面目な人だと、途中で迷宮に陥って脳味噌が複雑骨折したように、立ち止まったりしちゃうのかも!? いやいや、頑張ってコンプリートしてみてください。最後の数行まで辿り着けば、それまでの濃霧が清涼な空気のように心地好く感じられ、妙なおかしさが込み上げてくるはずですので。

今作は武田さんが日頃他媒体で書いていらっしゃるものに比べると、かなり変化球的(魔球的)な展開ではあります。しかし球道をじっくり見てみると、前述の「日本の気配」にもあった、自問自答のスタンスが共通しているように思われなくもなく。たとえば漆原さんは<自分の考えよりも、相手に何を言えば反応してくれるのかを探る姿勢は大切>としながら、でも<私はそこで、個人も企業も、こちらから何かを届けるという基本的な態度を忘れてはいないだろうかと、当たり前のことを思った>と自省していたりしていて。なにを言ってるのかちっともわからない漆原さんなんだけれど、なにかを言うときの脳内経路に、創作者の片鱗が宿っている(スイマセン、ちょっとこじつけっぽいです...)!?

自らの決断で創刊した「クリーク・ジャーナル」というオウンド・メディアが伸び悩み、やや弱気な一面を垣間見せる漆原さん。インタビューの後半で飛び出した<シンパシーをシンパシーしていてはシンパシーできない>という一節に、私はやられました。これはいったいどういう意味なのか? ぜひとも小誌を入手して、この含蓄のある言葉を噛みしめていただきたいと願っています!



──「シンパシーレス」なんてフレーズもしょっちゅう聞くようになった。
 まったく勝手な連中だなとは思うけれど、説得力がないわけではない。シンパシーの連鎖が何を生んだかと言えば、シンパシーを得られなかった人や状態に対する苦手意識の増幅だからね。人は皆、なぜ自分のことをわかってくれないのか、という悩みを抱えている。これは人間の根源的な病だと言ってもいい。解消などできないものですよ。私はビジネスをする上で、その根をいじくりまわしてはいけない、と考えてきた。先代からの教えでもある。先代は口数の少ない人だったけれど、時折、「良彦、人間を舐めるなよ」と言っていた。人間を理解した気になるな、理解したと安堵したところから崩れていく、と口を酸っぱくして言われたものです。「共にあること」とは、決して「理解すること」ではない。私は、そのさじ加減を誤っていたのかもしれない。

ウィッチンケア第9号「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(P084〜P089)より引用
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武田砂鉄さん小誌バックナンバー掲載作品
キレなかったけど、キレたかもしれなかった」(第6号)/「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(第7号)/「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(第8号)

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2018/05/12

vol.9寄稿者&作品紹介12 多田洋一(発行人)

今年もまた多田洋一さんの寄稿作を多田洋一が紹介するという展開になりまして、さすがに最近は「えっ!? 多田さんも書いてるんですか!」みたいなことは言われなくなってきましたが(小誌創刊の動機の半分以上は「自分が書きたい」だったんですよ、いまさらですが)、あっ、この件に関しては第7号の紹介文の最後のほうにねっちり書いたんですが、今回も繰り返します。ある寄稿者が自撮り写真の連載コラムについて何度「自撮りです」と言っても「おもしろいですねー、誰があの写真撮ってるんですか?」と訊かれると仰ってまして、その気持ち、痛いほどよくわかります。

今作「銀の鍵、エンジンの音」を書き終えてから校了までのあいだに、マクドナルドにいってみました。たぶん6年ぶりくらい。私はわりと朝にしっかり白米を食べる生活をしていて、そうするとお昼が一人のときは、麺類かなんかでささっと。そうなると、夜マックっていうのもどうなの!? 若い頃は2時間に1度くらいなんか食べてましたが、いまは「1日2食でも大丈夫かも」な感じでして、そのわりには体重が微増していく(なんとかならんか)。そんなわけで気がついたらずいぶん疎遠になってしまった、と。ただ、中学生の頃に初めてマックシェイクを飲んで「世の中にこんなおいしいものがあったのか!」と感動した記憶は強固なので、それで今回も注文したんですが、早々とフィレオフィッシュとチーズバーガーがなくなり、残った冷えて柔らかいポテト&薄ぬるいシェイクをコンプリートってのは、キツかった。

作中に<最近8ビートのロックは全部プレイリストから外しちゃってもいいかな、と思っている>という一文があります。実生活での私は、いまでも80GBのiPod classicを持ち歩いていまして、まあいまのご時世だといろいろ難はあるんだけれども、でもなにからなにまでアイフォーン頼りというのもどうかな、とい気持ちが抜けきれず、音楽再生専用として使い続けています。あっ、でも遠くない将来、貯め込んできた音源をクラウドに、あるいはサブスクリプションへの移行とかも考えなければいけないだろうな、と。レコード→CD→MP3に続く、大きな引っ越し?

SNSのDMで<「やっぱりこっちではエネオスって、ネにアクセント置くんですかね」とドライバーに話しかけたらあっさり無視されて>という箇所に反応してくれた方がいて、作者としては嬉しかったです。<僕>の頭のなかにある枚方近辺に住む人は「えネぉす」みたいなアクセントで喋っている、ということなんですが、もし小誌を手にとって「それは違う」と思ったら、ぜひ正解を教えてください〜。あと、ジャミラ・ウッズはとても素晴らしいので、ぜひ聴いてみてくださいね!



 マクドナルドは、自分の意思で最後に入ったのは……心ならずも「オレに惚れてますか?」みたいな女の笑顔と指ハートに惹かれて、ふらふら。えびフィレオってやつをいろいろ、何度か。えびの数だけ幸せにって惹句に惑わされ、ごまもきのこも食べてみたが、とくに生活が華やいだような実感は得られなかった。あっ、でも、あのころ住んでいた町の駅前店で、あの笑顔のポスターを見ると、浮き世の憂さを少しのあいだ忘れられたかもしれない。
 横浜を過ぎると船のホテルが突発したりして、それはなんだか葛西〜浦安あたりの風景にも似ているようで、あの遊園地にはジョージ・ルーカスがきたときに仕事の立ち会いでいかされた記憶が残っている。連れ込みが周囲から消えると視界も開いて、丹沢が富士の稜線にせり上がっていく。

ウィッチンケア第9号「銀の鍵、エンジンの音」(P072〜P078)より引用
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多田洋一(発行人)小誌バックナンバー掲載作品チャイムは誰が」(第1号)/「まぶちさん」(第2号)/「きれいごとで語るのは」(第3号)/「危険な水面」(第4号)/「萌とピリオド」(第5号)/「幻アルバム」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫)/「午後四時の過ごしかた」(第7号)/「いくつかの嫌なこと」(第8号)

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2018/05/11

vol.9寄稿者&作品紹介11 矢野利裕さん

小誌第9号が正式発売となった4月1日、矢野利裕さんがスーパーモリノさん、ハシノイチロウさんと開催した「LL教室の試験に出ない90年代J-POP[1991年編]」にいってきました。場所は荻窪ベルベットサンで、当日のゲストは星野概念さん。矢野さんの今号寄稿作の冒頭に<ポピュラー音楽の歴史みたいなものに関心がある>との一文がありますが、このイベントは、その実践編と言えるのかな。個々の嗜好はともかく、各年代に流行ったポピュラー音楽をきちんと検証しようという試みは、とても有意義だと思いました。個人的には、この日初めてASKAの歌をちゃんと聞いた(もう一生分/おなかいっぱい)。前世紀、知人の結婚式の二次会で歌詞カードが回ってきて「SAY YES」歌わされて以来のASKA体験...。あっ、次回「「LL教室の〜」は7/1開催予定とのことです。

ご自身が教員でもある矢野さんは今回、<学校空間に流れる音楽について>の一篇をご寄稿くださいました。ぱっと思いつくのは、たとえば合唱コンクールの歌やスポーツでの応援曲。私が高校性のとき(1970年代半ば)はたしか赤い鳥の「翼をください」とチューリップの「青春の影」だったような記憶が...どんな経緯で決まったのかも覚えていませんが、その2曲は当時の自分(たち)にとって「比較的新しめ」で「それほど押しつけられた感はない」選曲だったと思います。あの頃の夏の甲子園、バンビ坂本が活躍したときのブラバン、どんな曲を演奏してたんだっけかな? まったく記憶から抜け落ちてる。。。

読んでいると、現在の学校内でどんな曲が生態系をつくっているのかがわかりおもしろいです。<現在はJポップの曲はすぐに合唱用のスコアになって、生徒たちは自分たちが歌いたい曲をネットなどから探してくるらしい>...そんな時代なんだ(『平凡』『明星』付録の歌本の進化形?)! そして、矢野さんが挙げている曲のバラエティ豊かなこと。坂本九から星野源までが、独自のセレクト基準で継がれている(く)空間なのだ、と。

作品の後半は、タイトルにもなっているアンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」がいかに素晴らしいかの、渾身の分析(矢野さんの本気度が熱いです!)。ぜひ小誌を手にして、じっくり読んでみてください。<音楽というのはなにも単体で存在しているわけではなく、どこで‒ 誰と‒ どのように‒ 歌われるか、という場や状況と結びついている>という一節の意味が、筆者の実感とともに伝わってきます。



いわゆる音楽史にのぼらずとも、例えば応援歌として、口から口へ伝わっていくような音楽のありかたがある。これこそ、柳田國男が言っていたような意味で「民謡」的ではないか。このような、「民衆」の生活のなかで独特のかたちで音楽が残っていくような光景が好きだ。世の中には、ステレオやヘッドフォン以外から流れてくる音楽というものがあって、学校空間に流れる音楽もそういうものとしてある。もちろん、ニュースタンダードも生まれつつある。放課後、吹奏楽部が、星野源の「恋」や「SUN」などを練習していたりすると、星野源ファンとしてはとても嬉しくなる。遠い未来、「星野源って誰?」ってなった以後も、「恋」は演奏されているだろうか。

ウィッチンケア第9号「学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち」(P060〜P065)より引用
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矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品
詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)」(第7号)/「先生するからだ論」(第8号)

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2018/05/10

vol.9寄稿者&作品紹介10 かとうちあきさん

なんと、かとうちあきさんの恋愛修羅場小説、号を重ねるごとに状況がエスカレートしまして、ついに生き死にのやりとりまで! 前号掲載作「間男ですから」は<わたし>を巡っての田中さんと中田さんの揉めごとでしたが、今作では<わたし>が交際相手から詰められている。でも、<わたし>はどこか他人事のように、自分の災難を見つめているようで...刃傷沙汰になりかけてるっていうのに、この冷静(徹)さはなんなのでしょう? この揺るぎなさ。完全に「城立て篭もり型」の強さ、と感じました。

作中では男女の「付き合う」が問題にされています。<田口さんとは1年ばかり付き合った。というか半年くらい付き合って、あとは別れ話をしつづけ、ずるずると過ごした>のだそう。それで、田口さんは<わたし>の「浮気」について死にたくなるほど傷ついたらしいのですが、そんなことを言われても<わたし>はもう田口さんとこれ以上付き合う気はなくなっていて、<目の前で死んでゆくなら、見ていることしかできない、と思う>んだそうで...ああ、もう破綻してるなぁ。

あらためて私も考えてみましたが、恋愛での「付き合う」って曖昧な口約束だよなぁ、と。互いの心は常に変動していて、でも双方が相手のことも忖度しながらある閾値をはみ出さないようにしていて、みたいなのが「付き合ってる」? 同様に、「別れる」も曖昧な口約束っぽいのかも。双方が閾値をはみ出してしまえば「別れた」なんだろうけど、片方だけだと破綻はしてるけれど「終わってない」、みたいな。<わたし>は<恋愛はひとりとするのが基本とされているようだし、ほかの人とセックスすることは「浮気」と言われているし>という意識も持っているようですが、なにしろ明文化されてないところが恋愛の醍醐味だったりするのかもしれず...って、書いてて自分がなにを言いたいのかわからなくなってきた。

作中では「人として好きって思う」と「惹かれる」の違いについても<わたし>は思いを巡らせています。そんな差異も考えている相手に、「付き合ってるなら、ふつうは男友だちと遊ばないでしょう」とか言っちゃう田口さんは、まあ、端から拝読していても分が悪いなぁ。...さて、この修羅場恋愛の落としどころは? ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 とりあえず、付き合いたてのころの一件が、問題だったんだろうと思う。それまで付き合っていた人と、会ってまたセックスしちゃったのだ。それもこれも佐野洋子さんいうところの「のりしろ」ってことではすまないのかなあ。そもそも田口さんとも、しばらく前の人と付き合っていたけどセックスしていた期間があったわけで、田口さんが、田口さんとのときはよくって、前の人とはだめって言うだなんて、おかしいじゃないか。なんて思うんだけど、それには「付き合った」ってことが大きく作用するらしい。田口さんは「付き合った」からじぶんは怒ってしかるべし、と思っているようなのだった。大いなる契約違反で、裏切られたじぶんは、もはやなにを信じていいかわからなくなった、そうひどく嘆くのである。

ウィッチンケア第9号「ばかなんじゃないか」(P060〜P065)より引用
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かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品
台所まわりのこと」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「コンロ」(第4号)/「カエル爆弾」(第5号)/<のようなものの実践所「お店のようなもの」>(第6号)/「似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは」(第7号)/「間男ですから」(第8号)

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2018/05/09

vol.9寄稿者&作品紹介09 西田亮介さん

社会学者・西田亮介さんのお話を最初に伺ったのは、一昨年1月のB&Bでのイベント。ご著書「メディアと自民党」を読んでいろいろ感じ入るところがあり、参加してみたのでした。その後、世間では同年11月に公開された安倍昭恵さんのインタビューが話題になっていたようですが、私は見落としてました(恥!)。年改まり、2017年6月のビデオニュース・ドットコムに西田さん出演。このときの宮台真司さんとの対話が心に残り、ぜひ小誌に寄稿していただけないかな、と思い立ったのでした。

寄稿作「エリートと生活者の利益相反」ではこの国の厳しい現実、とくに「人生100年時代」=少子高齢化社会に対する若い世代の率直な思いが提示されているようで、私は正直、お尻がムズムズしました。<支払った税金の使途が年長世代の社会保障費や医療費に投入されているわけで、現役世代への還元は体感しにくい状況>...たしかに、専業主婦だった私の母親はいま年金暮らし。私は来年いっぱいで年金を納め終わる予定で、その後「人生の先輩を敬え」とも「年寄りに優しくしろ」とも思いませんが(できるだけ自分の身の回りのことは自分でなんとかしたい...)、しかし老人が「生き存えちゃっててゴメンナサイ」みたいな心持ちで余生を送る社会というのは、それはそれでけっこう辛そうだし。

<ジレンマ><ポスト平成の困難>という言葉で西田さんは現状を表現しています。<われわれは「合理的」に振る舞えば振る舞うほど、トップエリートと生活者の利益相反が生じる局面に立っている>とも。この利益相反の具体的な事例については、ぜひ小誌を手にして、あるいは、西田さんが今年1月に上梓した「なぜ政治はわかりにくいのか: 社会と民主主義をとらえなおす」の第1章あたりをご参照いただけますように。

小誌寄稿作でも、いくつかの著書でも、西田さんは「だから日本(政治)はこうすれば大丈夫」みたいなもの言いを控えているように思えます。それは私には真摯なスタンス、だと感じられます。むかし近所にいつもニコニコしている町医者がいて、いくと山ほど薬を出し、さらなる検査を薦めてくれましたが、なんかその笑顔がだんだん恐く見えてきて、疎遠になっちゃったんですよね〜。



 平成の時代も終わりに差し掛かっているが、我々の社会の諸制度は昭和に構築されたものを、ある種の惰性のままだましだまし使い続けているものが大半だ。
 たとえば日本の人口はおよそ1億2000万人程度だが、昭和生まれが9000万人を上回る。当時の平均寿命は現代よりも短かったわけだから、年金にせよ、社会保障にせよ、そもそも想定の前提条件が違うため、「人生100年時代」を想定していないのはある意味では致し方ないことも否定はできない(どこかで舵を切るタイミングはあったと思われるにせよ)。
 とはいえ、ここにジレンマがある。
 よく知られるとおり、我々の国はすでに多額の債務を抱えている。その額は国、地方あわせておよそ1100兆円で、対GDP比198%というから想像することも難しい金額である。

ウィッチンケア第9号「エリートと生活者の利益相反」(P056〜P059)より引用
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2018/05/08

vol.9寄稿者&作品紹介08 仲俣暁生さん

仲俣暁生さんの小誌今号への寄稿作は、幼少期に出会った本にまつわる思い出について。とてもパーソナルな一篇ですが、しかし、作中に描かれている1970年代の生活まわりのあれこれが自分の記憶とも交錯して、心地好い余韻に浸りました。昭和、という括りではちょっと納まりが悪いセブンティーズの風景...たとえば葛飾区での暮らしのエピソードとして<地主の子の家はカネ持ちだったようで、その家だけカラーテレビが入った時期が早く、どうしても色付きで見たい番組は言えば見せてくれた>との一節があり、いまググってみると、カラーテレビの普及率が白黒テレビを上回ったのは1973年(その4年後には番組が完全カラー化)。そんな時代だったなぁ。近年はバブルに繋がるエイティーズの話が“歴史”としてよく語られていますが、そのちょっと前の、少しのんびりした時代の空気をたっぷり思い出したのです。

仲俣さんは1974年の春に葛飾区を離れ、船橋市へ。中学生になり、<リエコという背の高い勝ち気な女の子と仲良くなった>と。これは、恋バナです。SNSも携帯も親子電話もない時代の、恋の話。そして仲俣さんとリエコさんが交流手段として使ったのは、カセットテープとマンガ本。仲俣さんが音楽のカセットを貸し、リエコさんからはマンガ本を借りる。<ラジオから録音した初期オフコースの曲>と記されていますが...そうそう、70年代中期までのオフコースはラジオでたまにしかかからない存在だったなぁ。ディランやCSN&Yの音楽が国産フォークソングになった時代、小田和正はそういうのに背を向けて、たぶんカーペンターズやブレッドのような音を指向していて、売れてなかった(←私見です! でも5人編成になる前は知る人ぞ知るデュオで、オダヤンが中野サンプラザが満杯になったと感激して泣いてるライブ盤あり)。

リエコさんから借りたマンガ本として、西谷祥子の『飛んでゆく雲』が挙げられています。主人公は源義平、とのこと。2012年の大河ドラマ「平清盛」の頃、仲俣さんはSNSにもドラマの感想などを書き込んでいて、私は「こんな源源平平義義盛盛だらけのややこしい物語をなんで整然と理解できるのか?」と密かに驚いていたら、たしか「『新・平家物語』を読んだ」というような説明が...しかし今回の寄稿作で、そのさらに源流にリエコさんという存在があったのか! と、胸を打たれました。

終盤に登場する、<お煎餅>にまつわるエピソードにもやられました。紅茶に浸したマドレーヌ、もびっくり! 個人的な思い出って、些細なものごとの積み重ねでできていたりするものなのかも、とあらためて感じ入りました。<背の高い勝ち気な女の子>とお煎餅にどんな関係性があるのかは、ぜひぜひ、小誌を読んでお確かめください!



 なにがきっかけだったか忘れたが、こちらが好きな音楽をカセットテープにとったものを渡すのと引き換えに、リエコが面白いと思うマンガ本を貸してくれる、という交換条約が成立した。手紙やノートを交換した記憶はなく、とにかくモノとモノとを交換した。こちらはラジオから録音した初期オフコースの曲入りカセットなどを貸したように思う。そのときに借りたマンガのことはほとんど忘れてしまったのだが、一つだけ、歴史マンガがあったことを覚えていた。
 少女マンガなのにとても精密に描かれており、しかも主人公は源義平。そう、平治の乱で敗れて関東に下る途中で殺された源義朝の長男で、「悪源太」と呼ばれた少年の物語だった。

ウィッチンケア第9号「大切な本はいつも、家の外にあった」(P050〜P055)より引用
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仲俣暁生さん小誌バックナンバー掲載作品
父という謎」(第3号)/「国破れて」(第4号)/「ダイアリーとライブラリーのあいだに」(第5号)/「1985年のセンチメンタルジャーニー」(第6号)/<夏は「北しなの線」に乗って 〜旧牟礼村・初訪問記>(第7号)/「忘れてしまっていたこと」(第8号)

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2018/05/07

vol.9寄稿者&作品紹介07 中野純さん

中野純さんの著書には<闇>付きのタイトルがいくつかあります。『闇を歩く』『東京「夜」散歩ー奇所、名所、懐所の「暗闇伝説」』『闇と暮らす。:夜を知り、闇と親しむ』。他にも<夜>や<月>といった、闇を連想させる言葉入りのタイトルもあって...そんな中野さんが小誌今号のテーマとして取り上げたのは、闇スポーツ。あっ、プロ野球のナイターとか、ああいう照明をガンガンにしたのではありませんよ。闇を照らすのは月と星、あと街の灯りは許容されているようですが、そんな状況でのスポーツを楽しんでみよう、という提案。じつに生粋のホモルーデンスである中野さんっぽい、遊び心に満ちた一篇です。

作品の前半はナイトラン、つまり夜に走ることについて、実体験も交えて語られています。そんな、忍者とか泥棒とかしかやらなそうなことを...などと思ってはいけません。中野さん自身も体験してみて、<夜、暗い中で走ると昼にはない疾走感を味わえる>と仰っています。私は夜どころか昼間だって、たとえば乗ろうとしている電車やバスが出発しそうでもない限り走りませんが(だって呼吸が乱れたり汗をかいたり、いろいろめんどくさそう)、読んでいるうちにだんだん試してみようかな、という気に。但し、中野さんからの<よい大人は入念に準備して慎重に真似しよう。いきなり全力疾走すると、私のようにもう若くない人は確実に足を痛める>との注意書きもありますので、トライする際にはくれぐれも怪我などせぬようにお願いします!

中盤では走ったり跳ねたりだけではなく、球技についても熱く語られています。百均の定番商品である<光るブレスレット>を使っての、キャッチボールならぬキャッチライト。これは体験ずみで<ほんとうに人間とやっているのかわからない中でやるのがおもしろい>とのこと。...しかし、そこから先のしばらくは、これは中野さんが本気で推奨しているのか、あるいは可能性を想像して楽しんでいるだけなのか、ちょっと真偽不明な展開に。「やってみたい」なのか「それはない」なのか、ぜひ本篇を読んで判断してくださいね! わたしはこのあたりを読んでいて一番どきどきしましたです。

<昔の祭りは宵宮こそがメイン><祭りは、スポーツ大会に近いものだった>と中野さんは書いています。なるほど、たしかに。...聞けば2020年の東京オリンピック、マラソンは8月上旬の朝7時台からのスタートだとか。暑さ対策だって言うんなら、いっそ夜。それもコースに面した街灯などは消して、人類史上初の闇マラソンにしてみれば、と思ってしまいました。選手が闇の疾走感に高揚して、2時間を切る記録が続々と生まれたりして。



 以前は、街のランニングといえば早朝のイメージだったが、考えてみれば朝でなければいけない理由はない。夜も治安のいい日本なら、暗い夜道をひとりで走ってもまず問題ない(歩くより走るほうが防犯的にはるかに安全だし)。夜のほうが人に見られる恥ずかしさも感じにくいし、さらにナイトランの目くるめく疾走感を体験すれば、今までなんで辛い思いをして朝に走っていたんだろう、という気持ちになる人は少なくないだろう。
 その後私は、ナイトランだけでなくナイトスキップ、夜の全力疾走だけでなく全力疾跳も推奨するようになった。詳細は『ウィッチンケア』第七号収載の拙文「金の骨とナイトスキップ」を読んでほしいが、夜の全力疾跳は疾走感に加えて浮遊感が強く、飛ぶ夢の気分を楽しめる。「男子100mナイトスキップ」などの徒競跳をぜひ普及させたい。

ウィッチンケア第9号「全力闇─闇スポーツの世界」(P044〜P049)より引用
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中野純さん小誌バックナンバー掲載作品
十五年前のつぶやき」(第2号)/「美しく暗い未来のために」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「天の蛇腹(部分)」(第4号)/「自宅ミュージアムのすゝめ」(第5号)/「つぶやかなかったこと」(第6号)/「金の骨とナイトスキップ」(第7号)/すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門」(第8号)


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2018/05/06

vol.9寄稿者&作品紹介06 円堂都司昭さん

小誌第7号から続いている、円堂都司昭さんの<異形の男が登場する作品>考察。『オペラ座の怪人』『ノートルダムの鐘』ときて、今号では『フランケンシュタイン』が取り上げられています。この名前を聞くと、私は反射的にエドガー・ウィンター・グループの曲を思い浮かべてしまうのですが...それは特殊だろう(と思いつつググると、けっこう上位のヒットだったりしてびっくり)。一般的には「大男総身に知恵が回りかね」とか「独活の大木」的な怪物、というイメージが強いのかな。「フンガー」としか言わなかったのは、藤子不二雄のアニメですよね(ちゃんと見てません...スイマセン)。

今回、円堂さんの一篇を読み、フランケンシュタインに対する認識が改まりました。原典は200年前にイギリスの女性作家メアリー・シェリーが発表した『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)というゴシック小説。そして多くの人がイメージする、あのボルトが首に刺さった傷だらけビジュアルの男=フランケンシュタイン、というのは間違いで、じつは原典では怪物には名前がなく、それをつくった科学者の名前が<ヴィクター・フランケンシュタイン>である、と。しかも、円堂さんの今作から引用しますと<ヴォルネー『諸帝国の滅亡』などに触れた怪物は、人類の歴史、支配や差別について学ぶ。また、失恋と自殺を主題にしたゲーテ『若きウェルテルの悩み』も読み、幸か不幸か自意識を獲得する。孤独な自分にはなぜ伴侶がいないのかと悩み苦しむのだ>...教養人(いや、怪物)ではないですか。フンガー!

誤ったパブリックイメージをさらりと訂正し、円堂さんは冷静に筆を進めます。そして、『オペラ座の怪人』『ノートルダムの鐘』、あるいは『美女と野獣』などと比較しても<『フランケンシュタイン』の醜さには、救いがない>と。その判断の根拠となるキーワードが、本作のタイトルに使われている<キス>という行為。字面だけ見ると<恋愛的に甘美ななにか>が想起されますが、本作ではキスについて、<唇という呼吸の部位をめぐる行為が、生命に関して象徴的な意味を持つ>とされたうえで、物語の悲劇性が読み解かれています。...いやほんと、<救いがない>なぁ。みなさま、ぜひ小誌を入手して、円堂さんの怪物とキスにまつわる論考を共有してください!

あっ、そうだ。じつは私は「ブライド」という映画をロードショーで観たことがあるのでした。当時、「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールスとスティング(←ヴィクター・フランケンシュタイン役)の共演、ということで観にいったのですが、えらく肩すかしを食った複雑な気分で帰路についた記憶が...。円堂さんの一篇を読んだいまの私なら、全然違う感覚で観られるだろうな。コッポラ&デ・ニーロの映画も未見なので、こちらもぜひ観てみようと思います!



 思い出そう。つぎはぎの死体に生命の息吹を与えたヴィクターは、自分がキスしたとたん、将来の妻である女性が母の死体に変じる悪夢を見た。昔から、死んだはずの人間が真実の愛のキスで蘇るというお話のパターンがある。その裏返しで、キスによって生気が奪われ死ぬというパターンもある。唇という呼吸の部位をめぐる行為が、生命に関して象徴的な意味を持つ。『フランケンシュタイン』は、ヴィクターが予感として見た生々しいキスの悪夢が、現実化する物語なのだ。
 怪物は、親としての愛情を与えてくれないヴィクターに対し、自分と同種の伴侶を与えるようおどす。そうすればもう人間の前に現れないという。ヴィクターは苦悩しつつ、つがいとなるもう一体を生み出そうとする。だが、怪物が繁殖し人類を脅かす未来を想像し、造りかけたそれをめちゃめちゃに砕く。

ウィッチンケア第9号<『フランケンシュタイン』のキス>(P038〜P042)より引用
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円堂都司昭さん小誌バックナンバー掲載作品
『漂流教室』の未来と過去>(第6号)/<『オペラ座の怪人』の仮面舞踏会>(第7号)/『ノートルダムの鐘』の壁第8号)

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2018/05/05

vol.9寄稿者&作品紹介05 小川たまかさん

小川たまかさんの小誌今号への寄稿作は、いろいろな読み方ができる一篇。タイトルの「寡黙な二人」は、おもな登場人物である<田中さん>と<山田さん>の鉤括弧でくくられた部分を意識して冠したものと思われますが、しかし()でくくられた2人の饒舌な<心の声>を読み解いてみると、かなりの情報量(登場人物も問題も多彩)。男と女の話、上司と部下の話、年齢差の話、公私の話、広告業界の話...あとはなんだろう? 敏感と鈍感の話とも読めるかな(これは、どちらがどちらと決めかねる...)。ユーモラスな筆致で軽妙に綴られていますが、個々のエピソードはけっこう根深く、拡張性があったりして。

全体のトーンとしては、後輩である山田さんのほうがやや押され気味な印象が残ります。しかし、私としてはけっこう山田さんの肩を持ちたくなる箇所も多くて...というのも、勤め人だった頃の自分(22〜25歳)ってこんな感じだったかな〜、なんて、恥ずかしさとともに懐かしくなって。まあ、いまとは世の中の風潮もずいぶん違っていましたが、それでも学生の時までは<子どもの一番年長>みたいな気分で過ごしていて、その後社会人になり<大人の一番若輩>に組み入れられて、当初は戸惑うことばかりだったなぁ、と。

作中には山田さんが<田中さん、髪の生え際だけ黒いんだけど、こういうのなんていうんだっけ、プリンだっけ。まあこんだけ忙しけりゃ美容院もなかなか行けないよな>と、素朴に年上の上司である田中さんを観察しちゃって自問自答するくだりがあります。作者である小川さんは、まだガキんちょ目線の抜けてない男が年長の女性の身だしなみや立ち振る舞いに関するあれこれを不思議がる感覚もちゃんと見抜いているのか、と、ぞくっとしました。私は入社4ヶ月くらいの頃(22歳)、営業で当時上司だったIさん(女性/30代前半の主任さん)と2人で渋谷から船橋市まで行って帰ってきたことがあって、仕事ではもうほんとうに感謝、としか言いようのないくらいフォローしてもらえたのですが、同時に、Iさんの口紅が濃い感じとか、笑うと目尻に浮かぶ皺とか、あと会話が微妙にずれてくるニュアンスとか、なんか生物的(!?)に不思議で、見聞きしなかったことにしてた、かも(失礼しました!)。

物語の終盤、2人はパリの話をします。鉤括弧でくくられた部分と()でくくられた部分のギャップが激しくて読み直せば読み直すほど、笑いが込み上げてくる。このおもしろさをぜひ多くの方に、小誌を入手して味わっていただきたいです。そして、ここまでは山田さんを擁護気味に話を進めてきましたが、映画「ビフォア・サンセット」について<つまんなかった><女優の顔がタイプじゃなかった>と腹の中で思っていたことについては...彼にダメ出ししたい。ちょっと山田さん、その女優さんを「汚れた血」で観てノックアウトされたオレですがなにか、と小一時間問い詰めてみたいw。




「あ、田中さん目の下になんかついてますよ」
(まつげついてる)
「え、どっち?」
(うわ、恥ずかし)
「そっちじゃなくて右です」
(右だよ)
「あー、これホクロだから」
(つーか今まで気付かなかったのかよ。全然人のこと見てないな。ていうか私、そんなに男から興味持たれない顔だっけ。年下から好かれたことはほとんどないけど、ちょっとショックだわ。これがアラサーになるということなのか。こういうこと考えちゃうから年下の男苦手だわ)
「いやホクロじゃなくて、たぶんまつげ。この、右目の下のあたり」
(最初からまつげって言えば良かった。ホクロは知ってるし。姉ちゃんも同じところにホクロあるんだよな)

ウィッチンケア第9号「寡黙な二人」(P032〜P037)より引用
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小川たまかさん小誌バックナンバー掲載作品
シモキタウサギ」(第4号)/「三軒茶屋 10 years after」(第5号)/「南の島のカップル」(第6号)/「夜明けに見る星、その行方」(第7号)/
強姦用クローンの話第8号)

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2018/05/04

vol.9寄稿者&作品紹介04 長田果純さん

今回が小誌初寄稿となった写真家の長田果純さん。ファッション関係の仕事を多く手がけていますが、公式サイトには作家性の強い作品も数多くアップされており、また、サイト内のblogには写真とともに、印象的な文章が添えられています。そのサイトやインスタグラムを何度か拝見しているうちに、長田さんの世界引き込まれまして...まずフェイスブックに長田さんがいらっしゃるか調べてみたら、いらっしゃった。しかも幸いなことに、1人だけですが共通の「友達」も。その「友達」にご縁を繋いでもらい(感謝!)、その後に長田さんともメールのやりとりをして、ご寄稿いただけることになったのでした。

寄稿作の「八春秋」は8年前の6月のできごとと、現在の「散歩好きな自分」の生活雑感について綴ったエッセイ。どこか小説的な風合いも感じられて、なにより映像が目に浮かぶような筆致なのは、やはり写真家としてのビジュアル感覚なのかな、と。とにかく、散歩の光景が目に浮かんできます。<肉屋でコロッケなどをつまみ食いしながら>だったり、<鍵と小銭だけをポッケに入れ>てだったり。...おもしろいのは、長田さんにとっての散歩が気分転換や暇つぶしではなく、完全にミッションであること。<映画を観に映画館へ行くように、服を買いにお店へ出向くように>に散歩するのです。そして、そんな散歩の魅力に取り憑かれるきっかけとなったできごととは?

新宿の高層ビル群が見える場所にある歩道橋での、真夜中の思い出。読んでいて、自分の若かりし日のあれこれを、不覚にも思い出してしまった。いや私にも同じような素敵な体験があるってわけではないんですが、なんか、ひさしぶりに「オレも昔は若かったんだ...」みたいな感覚が甦ってきた。ええと、ぜひ小誌を入手して、長田さんの記憶(二度と開けないようにと閉まった記憶)を追体験してみてください。

そうだ、長田さんとは、昨年末に下北沢のモアカフェで打ち合わせをしたのでした(まさか閉店してしまうとは知らずに/残念...)。そのときの雑談で出身地・静岡の話も少し伺えたのですが、本作では東京で暮らし始める前のことにも触れていて、とくに<どこへ行くにも徒歩で20分以上><歩くことは移動手段の中では真っ先に排除され、車もしくは自転車での移動を余儀なくされていた><散歩という概念がそもそもなかったのだ>というくだりが、個人的にズシンときました。というのも、下北沢からアップダウンが厳しくてクルマ社会の町田郊外に引っ越して、そろそろ5年...最近、散歩しなくなったなぁ、やっぱり街が途切れない感じでなだらかなところを歩くのが楽しいよなぁ、と。



 猫と暮らし始めてからインドアな生活に拍車がかかった気もしているが、この穏やかな生活を「心の隠居生活」と呼び、ひっそりと楽しんでいる。
 この「心の隠居生活」は、周りから見るとただの引きこもりではないか、と思われてしまうことも少なくないが、時間と暇さえあれば積極的に外に出てやっていることが一つだけある。それは散歩だ。言葉だけを聞くと、また穏やかな印象を受けるが、この散歩をなめてはいけない。私は狂おしいほど散歩が好きで、時間と暇さえあれば歩き、ひどい時は一日に15キロ以上歩き続けることもあるほどの、散歩好き、いわば散歩狂だ。
 この散歩には暗黙のルールが存在する。気分で目的地を定め、不安になるまで極力地図は見ず、なるべく知らない道を選んで歩くことだ。もちろん本気で道に迷うこともあるが、その一瞬で自分がどこにいるのか分からなくなることが猛烈に楽しい。住宅街や細い路地へと入り込むとそこは天然の迷路だった。

ウィッチンケア第9号「八春秋」(P026〜P030)より引用
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2018/05/03

vol.9寄稿者&作品紹介03 長谷川町蔵さん

昨年1月に小誌掲載作+書き下ろしの小説デビュー作「あたしたちの未来はきっと」を上梓した長谷川町蔵さん。現在はEYESCREAM WEBで「インナー・シティ・ブルース」という連作小説も執筆中で、ますますご活躍の幅が拡がっています。そんな長谷川さん、今回はどんな作品を寄稿してくださるのか? 私はどきどきしながらお原稿が届くのを待っていました。「あたしたち〜」と関連づけられた、東京都町田市が舞台の続編かな? あるいはまったく別の物語が始まるのかな? と。

ものすごい作品が届きました。「30年」というタイトルが象徴するように、まさに2018年(平成30年)の東京を舞台にした、仮想現実の小説。みなさま、この作品はとにかく、まず一度できるだけ早めに読んだほうがいいですよ。GW中にでも、ぜひぜひ。...種明かしするわけにはいきませんが、いまの世情で本作のリアルタイム感(平成30年感)を味わい、そして世の中に変化が訪れた後にまた読むと、絶対に「一粒で二度おいしかった!」と感じていただけると思うのです。

主人公の「わたし」はパレスホテル(東京都千代田区丸の内)の一室に呼び出され、あるCMへの再出演をオファーされます。「あなたがCMに出演するかどうかに、日本の存亡がかかっている」と、依頼主の男は言う。「ここ数年、政府はこの国の将来のために、再びバブル景気を創出すべく様々な方策を打ってきました」とも...って、ここで私が唐突に要約するとなにやら荒唐無稽なサスペンスみたいに思われてしまうかもしれませんが、いやいや、長谷川さんのストーリーテリングの絶妙さで、きっと誰もが持っていかれちゃうはず。ちなみに依頼主の男の肩書きは<京南大学 工学部カオス理論研究所 主任教授>なのですが、この大学名にピンときた方は、「あたしたち〜」の読者のはず。

30年前に「わたし」が出演していたCMとは? ある程度の年齢の読者でしたら、本作の仮想現実を、散りばめられたキーワードをヒントに現実と紐付けてみるのも楽しいはず。ピシッと重なり合う瞬間が、きっとありますよ。また、物語の中盤に出てくる「テレビや新聞でよく見かける男」...いやぁ、発行人である私は小誌の発行(4/1)以降、いつこの2人組が現実のほうで「見かけた男(過去形)」になっちゃうのかハラハラしていましたが、これがなかなかしぶとくて、そのしぶとさがまた、本作のリアルタイム感を引き立てることになっていたりして。でっ、これ以上書くとほんとにネタバレになりそうなので私はそろそろ退場しますが、本作にはこの2人組が霞んでしまうほどさらに重要な役割を果たす方も登場しますよ! まさにザ・平成...では、口を噤みます〜。



「ワレワレニホンセイフハケッシノドリョクニヨルカイカクヲケツゼントススメ、ケイキカイフクガマサニセイコウシツツアルワケデスガ、ソノショウチョウトナルベクサイゴノシアゲトシテ、ゼヒトモアナタニゴキョウリョクネガイタイ」
 彼はわたしの方を向いてそう話しかけてきたけど、自分でも何を言っているのか分かっていなかったんじゃないだろうか。その証拠に、彼の目はわたしではなく虚空に向けられていた。この人は自分の頭で真剣に物事を考えることなんかなく、他人が書いた文章を言わされて生きてきたのだとわたしは思った。
「ワハハ、それじゃあ何言ってるか分からねえよ!」
 大声を上げながら、今度は彼の盟友が部屋の中に入ってくると、わたしの方を向いて言った。
「ようするにだ。アンタがあのコマーシャルに出てくれないと日本が潰れちまうんだ。そうしたら元も子もない。それは分かってるよなあ?」
 この男は、上流階級の生い立ちとベランメエ口調の落差によって、ある種の人々を惹きつけてきたのだろう。でもわたしにはマンガだけで世界を知った気になっている知性の浅さばかりが鼻についた。

ウィッチンケア第9号「30年」(P018〜P025)より引用
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長谷川町蔵さん小誌バックナンバー掲載作品
ビッグマックの形をした、とびきり素敵なマクドナルド」(第4号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「プリンス・アンド・ノイズ」(第5号)/「サードウェイブ」(第6号)/「New You」(第7号)/「三月の水」(第8号)
※第5〜7号掲載作は「あたしたちの未来はきっと」(タバブックス刊)として書籍化!


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2018/05/02

vol.9寄稿者&作品紹介02 柴那典さん

音楽ジャーナリストの柴那典さんとは、昨年9月に下北沢の本屋B&Bでおこなわれた<「戦後日本の都市型ポップスとファッション、その向こう側にあったアメリカ」 『渋谷音楽図鑑』刊行記念>というイベントでお目にかかりました。当日登壇したのは、柴さんの他に牧村憲一さん、藤井丈司さん、柳瀬博一さん、高野寛さん(...このメンバーの話だけで長々と語りたくなりますが、そこは自粛)。とにかく同書は渋谷のレコード屋さん「シスコ」の袋が猫だった頃からあの一帯をうろついていた私にとって、宝物のような1冊。編集/執筆を手がけた柴さんの話をぜひ生で伺いたいと思い、出かけたのでした。

イベント以前にも、柴さんの著書は読んでいました。「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」と「ヒットの崩壊」。中学時代から音楽雑誌ばかり読んでいた私は、たとえば勝手に<アニキ>のような存在として中村とうようさん、渋谷陽一さん〜高橋健太郎さんや萩原健太さん等に至る文章に親しんできまして、その後も同世代の書き手、もう少し若い書き手のお世話になりながら音楽を追っかけてきたわけなんですが...2010年あたりからかな、なんとなく音楽情報は雑誌よりネット経由が増えてしまっていた。「CDは売れない」「いまはライブ体験が主体」みたいな論調が、主流になっていたような気がしますが、私は根っからの「再生できる音源が自分ちにあればいい」派なので、ちょっと世の流れが見えずブルーになっていまして、そんななかで、柴さんの書くものは次の時代を指し示していると感じられたのです。

寄稿作の「不機嫌なアリと横たわるシカ」は、不思議な味わいの一篇です。「音楽ジャーナリスト・柴那典さんがなにか書いてる」という関心だけで読むと、ちょっと時空の何処かに連れていかれたまんまになってしまう、かも? 小説のようでもあり、エッセイのようでもあって、音楽、とくにポップス的な要素は周到に省かれていて...。しかし私は最初にお原稿を受け取って、柴さんの執筆活動の背景を覗えたようで嬉しかったです。というのも、昨年2月に読んだ田中宗一郎さんとの長い長い対談(とくに半ば以降)がとてもおもしろかったし、個人ブログ(日々の音色とことば)でも、音楽に限らない事象に対して言及しているし。かつて音楽雑誌ばかり読んでいた私は、<アニキ>たちから音楽情報だけを受け取っていたのではなく、世の中の捉え方も教わっていたよな、と。そんな感覚が甦ったのです。

作品内に頻出する「ご機嫌の国」と「不機嫌の国」とは? 小誌今号は平成最後の年、というこの時代の空気感を反映した作品が多いのですが、柴さんの作品における立ち位置(観点)は、近年よく使われる<分断>という言葉の先を見通すヒントが含まれているようにも感じられました。<「生き残る」って何だろう>という語り部である<私>のひとことは、個人的にはとくに印象的。ぜひ多くの方が、この一篇の過去と未来を彷徨っているような魅力を共有してくだされば、と願います。



「好きなことで生きていく」
 そんなキャッチコピーもあった。あれから十数年が経ち、かつて人工知能がどうだとか言いながら自信満々のコンサルタントが予言していたように、多くの雇用と仕事がなくなっていった。その一方で、雑談や実況のように、かつては暇つぶしと思われていたようなことで稼いでいる人も珍しくはなくなった。
 そういう人は、たいていが「ご機嫌の国」に住んでいた。笑顔で、楽しそうに日々を過ごしていた。ゲームで遊んだり、企業から届いた新商品のガジェットを紹介したり、話題の美味しいお店にスイーツを食べに行ったり。しかし、あの人や周囲にいる人たちを見ているうちに気付いた。ご機嫌の国に住んでいる人たちは、好きなことをして、遊ぶように暮らしているからご機嫌なのではない。そうでないと「生き残れない」のだ。
 ご機嫌の国の住人たちは、とても注意深い。スマートに、笑顔を絶やさずに、暮らしている。自分自身の欲望は慎重にコントロールして抑制している。そうしないと悪意に絡め取られる。写真一枚、数秒の動画、たった一言の言葉がそのきっかけになる。

ウィッチンケア第9号「不機嫌なアリと横たわるシカ」(P010〜P016)より引用
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2018/05/01

vol.9寄稿者&作品紹介01 宮崎智之さん

フリーライターの宮崎智之さんは昨年秋に「あの人は、なぜあなたをモヤモヤさせるのか 完全版 」(幻冬舎plus+)を上梓。またダイヤモンドオンラインや日経トレンディネットなどのWeb媒体、TBSラジオの「文化系トークラジオ Life」などで幅広く活躍しています。私は数年前に名刺交換&短く立ち話をしたことがありまして、その後は、ご活躍の様子をメディア経由で拝読(聴)していたのですが、昨年10月にはなぜか3回、イベント等でお目にかかる機会が続き、これは、なにかのご縁ではと(勝手に)思い、寄稿依頼したのでした。

寄稿作の<極私的「35歳問題」>は、日頃さまざまな社会事象をクールな視点で分析してきた宮崎さんが、その目を自分自身に向け、率直に思うところを綴った自伝的とも言えるエッセイ。タイトルにもあるように極私的な内容なのですが、しかし私はその飾らない語り口にある種のポップさ(代入可能な普遍性)を感じ、ぜひこの一篇を今号のトップバッターにと思ったのでした(これは「みんな」の、いや「あなた」のことではありませんか!? みたいな)。

作品内では村上春樹の「プールサイド」、東浩紀の「クォンタム・ファミリーズ」という小説で描かれた<35歳>が参照されています。ここで要約してしまうのはもったいない、ある程度の字数が必要となる丁寧な考察がなされていますので、ぜひとも多くの方に、本篇をじっくり読んでもらいたく存じます。...そうだ、私の極私的な<35歳>作品として思い出すのは、20代の終わりに観た金子正次脚本の「チ・ン・ピ・ラ」という映画。記憶だけで書いてますが、たしかジョニー大蔵扮する半チクなヤクザが東急百貨店東横店の屋上で「オレもう35歳だし」とぼやいていた、その切ない光景が啓示的で忘れられません。

35歳。いまの私はそこからさらに四半世紀も生き存えてしまいましたが(昨今話題の福田淳一さんと同い年!)、あの頃抱えていた焦燥感のようなものは、不惑になっても消えなかったし、いまも内在しているような気も。多少それを飼い慣らす術は覚えたかも。でも、いつそれに手を噛まれるかもわからんし...と、だんだん意味不明な自問自答に陥ってしまいまして、失礼。とにかく、まだ少年の面影を備え、どんな服でもかっこよく着こなせそうなルックスの宮崎さんが、こんなに真摯にご自身の人生と向き合っていることに、ぐっときてしまったのでした(いつか、宮崎さんの一人称の小説など、読んでみたくなった)。



 学生運動に没頭し、何度か留年した後に苦労して就職した父は、昔の人にしてはやや遅れて母と結婚した。ぼくは、父が36歳の時に生まれた子どもだ。つまり、父がぼくを授かった年齢と、父が亡くなった時のぼくの年齢とは、ほぼ一緒なのである。
 思えば奇妙な偶然だ。ぼくの視点からしてみると、父はまるでぼくにバトンタッチをするかのように、亡くなっていったような感覚がある。父が36歳の時にぼくが生まれ、ぼくがその時の父と同じ年齢になる直前で父は旅立っていった。しかも、それと同じタイミングで、ぼくは二度目の結婚をした。否が応でも重ね合わせて考えてしまう。
 仮に、ぼくが父の年齢まで生きるとしたら、ちょうど人生の半分を終えたことになる。父がぼくの「父」となった同じ年月を、これから歩んでいくのだ。もちろん、もっと長く生きるかもしれないし、もしかしたらもっと短い人生かもしれない。それは誰にもわからない。しかし、35歳という年齢と、父が亡くなった年齢を対照させて、そこに意味を見出してしまうのは、人間の性なのであろう。

ウィッチンケア第9号<極私的「35歳問題」>(P004〜P009)より引用
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Vol.9 Coming! 20180401

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yoichijerryは当ブログ主宰者(個人)がなにかおもしろそうなことをやってみるときの屋号みたいなものです。 http://www.facebook.com/Witchenkare