2018/05/31

ここまでの、これまでとこれから(第9号編集後記)

昨年の「目眩く未来はほんと?」を踏襲して、5月最後の日には今年も、編集後記的な雑感を。前号(第8号)は長谷川町蔵さんの「あたしたちの未来はきっと」、久保憲司さんの「スキゾマニア」という、小誌への掲載作をベースにした2冊の本が生まれた流れで正式発行日を迎えました。今号は、じつは昨年末、寄稿者の仲俣暁生さんと木村重樹さんからアドバイスをいただき、来月14日にイベントを開こうと決めまして、現在それに向けて準備を進めています。これまで誌面でしか知らなかった人たちがリアルな場に集って...どなたでも参加大歓迎の〝出会い系〟企画ですので、ぜひいらっしゃってください!

ウィッチンケアのM&Lな夕べ 〜第9号発行記念イベント〜

日程:2018年6月14日(木曜日)
会場:LOFT9 Shibuya
Open 18:00/Start 19:00
チケット:前売り2,500円/当日3,000円
      (税込・ドリンク別途)
          ※参加者にはウィッチンケア第9号、
            または在庫のあるBNをもれなく1冊進呈!

トークセッション……「ウィッチンケア第9号、私はこう読んだ!」
登壇者:仲俣暁生 かとうちあき 多田洋一(発行人)

DJタイム……寄稿者が選曲した音楽でenjoy!
DJとして登場するのは……
武田徹 長谷川町蔵 小川たまか 矢野利裕

鳴り物タイム……生アトラクション/誰が登場するかは当日のお楽しみ!

★総合音楽プロデュース:木村重樹

※LOFT9 Shibuya告知ページ
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/87121
※チケット購入はコチラ

※Facebookイベントページ
https://www.facebook.com/events/863964613811696/

※お問い合わせ
本ブログのメールフォームからでも、下記公式サイトからでもお気軽に!
twitter.com/Witchenkare
https://www.facebook.com/Witchenkare



さて、第9号でも新たな参加者が(掲載順に、菅野恒平さん《写真》/宮崎智之さん/柴那典さん/長田果純さん/西田亮介さん/久山めぐみさん)。これまでの小誌にはなかったタイプの作品、ぜひお楽しみください。そして、ロゴ、表紙、レイアウトもリニューアル。それでも、継続するべき点は変えていないので...みなさま、どんな印象を持たれているのでしょうか?

...そうだ。小誌ページ内では目立たない(←なにしろわざわざインクを薄くしてる)ながら重要な役割を担っている表2と表3について。じつは、ここには各寄稿作のエッセンスともいえる文章が、掲載順と逆に抜粋/羅列してあります。もし小誌に帯を巻けるなら、そこに載せたいようなフレーズ。画像を貼ろうか? いや、今回はテキストを貼り付けます。このなかでひとつでもピンときたものがあれば、ぜひ本篇を読んでみてくださいね!

【表2】words@works1/2
きみはベッドの上でその一部始終を想像している(P216)
意味を盗まれた?(P206)
俺は最新トレンドが生き甲斐(P202)
四十過ぎても非正規の負け犬バカに権利とかないから(P194)
芥川賞作家の町田康さんの文章を書きうつしてみる(P188)
とはいえ、ウィルソンと澁澤(P184)
「カフェテラス本郷」や老舗の「近江屋洋菓子店」など(P180)
近眼のままただ焦点が合わなくなった(P175)
かりあげ君(P171)
奇しくもジョン・ゾーン以前からポストモダニズムと(P163)
神代のインモラル、魔境は彼方にあるものではない(P158)
友達に本田翼に似てるって言われちゃった(P150)
自称ミュージシャンの男(P143)
西荻窪と吉祥寺の間は1駅だけで(P135)
この地上で、私は買い出しほど、好きな仕事はない(P132)
よければ最高のレバ刺し、お出ししますよ(P120)
ガイネンとかどうでもいいし(P119)

【表3】words@works2/2
烏丸御池のすぐ側に「新風館」という複合商業施設(P108)
なぜ「共同幻想」というのか(P102)
エアコンのリモコンが行方不明(P99)
「私なんかこれだけですよ、これだけ」とまくしたてる(P92)
漆原さんには「エモさ」が足りません(P86)
えびの数だけ幸せに(P73)
この「いつの時代も」という一語は、決定的に重要だ(P69)
ふつうは男友だちと遊ばないでしょう(P63)
何者でもないうちに知り合いを作るという投資的な考え方(P58)
西谷祥子の『飛んでゆく雲』(P54)
闇夜のサッカーも全然問題ない(P48)
キスによって生気が奪われ死ぬというパターン(P41)
ミサコがパリの映画好きだったわ(P37)
私は散歩に目覚めてしまった(P31)
ケンちゃん!(P25)
踊ったらどうだい? そう皮肉げに告げた(P15)
35歳のぼくは「子ども」ではなくなった(P7)

と、すっかり文字が多くなってしまいました。やっぱり、最後に1曲。いまの時期だとこれ...神風特攻隊みたいなハラスメントは、もうたくさん! 




2018/05/29

vol.9寄稿者&作品紹介34 我妻俊樹さん

コンスタントに新作を発表し続けている我妻俊樹さん。今年1月には「忌印恐怖譚 くちけむり 」(竹書房文庫)が刊行、またWeb光文社文庫のSSスタジアムでも順調に掌編を連載しています。小誌でも創刊号からずっと、書き下ろし作品を寄稿くださっていて...これらを本のかたちにまとめて世の中に出したい、と私は常々願っているのです。作者自身がメディアに登場することはあまりないが、作品は確実に積み重なっている。とくに小誌での掲載作品は実験的な要素も多くて、「ホラー作品」「怪奇小説」といったジャンルでは括りきれない、まさに我妻ワールド。これが小誌各号でばらばらにしか読めないのは、ちょっともったいない状況だと思います。

我妻さんの今号への寄稿作には、なぜか寿司が頻出します。いや、べつに寿司職人が主人公とか、あるいは江戸前寿司の歴史が語られているとか、そういうことではないのですが、作品を読んでいて引っかかってくるのは、なぜか寿司。たとえば、冒頭からして<夜は最初から頭の中で考えていたことだった。電車を降りたら寿司屋に寄ること。どんな寿司屋でもかまわない。きっと回転寿司の、それも一皿百八円だとわかっている店に入ることは、容易に想像できる。だからというわけではないが、あえてどんな寿司屋でもいいことにした>...。

他にも、<電車を降りたら、まっすぐどこかの通りを行けばあるだろう、寿司屋。日本はもうすぐ、寿司屋のコンベアがつながって一周する国になろうとしている><寿司屋は無数の点として、線でつながれるのを待っている><夢の中でわたしたちは寿司は川を渡るのだと知った。橋の欄干がベルトコンベアで、そこにうっかり手を置くと寿司をつかんでしまう。つかんだ寿司をレーンにもどしてはいけない。マナーを子供たちにしっかりと伝えたい。心から心へ>...。

そして極めつけの寿司シーンは、終盤に差し掛かるところでの...<わたしの子供時代は、回転寿司のない時代である。今ではコンビニへ行くのにコンベアをくぐっていく。地面に這いつくばって。コンビニで、握り寿司を買って帰ってくる。コンベアのうに軍艦をとびこえる。寿司が寿司をよぎる>。なんだか寿司に惑わされて、作品の本質を私は見誤っているかもしれませぬ。みなさま、ぜひ小誌を入手して、この一篇の本質を究明してみてください!



十一月の終わりだったと思う。夜にはおにぎりが余り、冷え切っていった。凍ったわけでもないのに、硬くて歯が立たなかった。つめたさをそう感じたのかもしれない。近所のスーパーは二十二時閉店だから二十時頃に出かけ、パック寿司を漁ろうとしている。太巻きや鉄火巻き、かっぱ巻きなどは、空腹や頭痛は見過ごされて、冷蔵ケースに余っており、いなり寿司は最後の一個で、迷っているうちに女が持ち去り、それらは全部二十パーセント引きだった。握り寿司は何のシールも貼られていない。そんな! あの夜中のおにぎりの石のような拒絶、みたいな人が時々そばに立っている。友達でも家族でもない、そういう人ににらまれて手を伸ばすと、また空腹は見過ごされ、ペットボトルのコーラは大きすぎるものを買った。残して気の抜けたそれを風呂場に流すのが好きだ。

ウィッチンケア第9号「光が歩くと思ったんだもの」(P212〜P216)より引用
goo.gl/QfxPxf

我妻俊樹さん小誌バックナンバー掲載作品
雨傘は雨の生徒」(第1号)/「腐葉土の底」(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「たたずんだり」(第3号)/「裸足の愛」(第4号)/「インテリ絶体絶命」(第5号)/「イルミネ」(第6号)/「宇宙人は存在する」(第7号)/「お尻の隠れる音楽」(第8号)

http://amzn.to/1BeVT7Y

2018/05/28

vol.9寄稿者&作品紹介33 ナカムラクニオさん

ナカムラクニオさんの断片小説...小誌第7号では日本語&フランス語での掲載、第8号では日本語のみ、そして最新となる第9号では、日本語&英語による作品の掲載となりました。じつは今号を制作しながら実感したのですが、たとえば表紙を始めすべての写真をご提供くださった菅野恒平さんも、「八春秋」をご寄稿くださった写真家・長田果純さんも、公式サイトではそれぞれ<Kohey Kanno><OSADA KASUMI>とアルファベット表記でして、世界への窓が開いている。...ヴィジュアル(や音楽etc.)の「言葉を越えていく力」は羨ましいな、なんて思っていたら、ナカムラさんから届いた作品もまた、ワールドワイド仕様。いやぁ、そんな時代なのかもしれない、と。

今回の掲載作品は3篇で、タイトルには「意味」「夢」「地図」という、かなにすると2文字の言葉が含まれています。そしてそれらは、各々の主題に関わるキーワードでもある。ミニマムな表現で紡がれた物語だからこそ、選ばれた言葉が際立っているように感じられます。

「意味を奪われた男/The Man Who Stole the Meaning」での、<カメラとは、世界から意味を排除するために開発された装置>という一節は心に残りました。私は↑のほうで写真(ヴィジュアル)について「言葉を越えていく力」なんてことを書きましたが、本作の主人公はもともと<『意味』を撮影できる人気の写真家>という設定。そもそも、意味ってなんなんだ、なんて哲学的なことを言葉で考え始めると禅問答の世界に突入してしまいそうですが...写真という表現の、ある意味で狭義な(言葉による?)「意味」から自由なところに憧れてしまいます。

「夢の修理承ります/To Repair a Dream」では、近年ナカムラさんが取り組んでいる「金継ぎ」についても触れられています。<僕が仕事にしている「金継ぎ」は、人と人、時間と時間をつなげる技術だ>。...さて、<僕>に夢の修理を問い合わせてきた依頼主とは? 小さな箱を持って現れた依頼主と<僕>のやりとりは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



その日、彼は何気なく自分の笑った顔を撮った。
スマホのカメラで。意味もなく。
その時、誰かが、(あるいは何かが)彼の『大切な意味』を盗んでいったのだという。
しかし、警官は、何度聞いても、まったく話の意味がわからなかった。

But one day, he casually took a photo of his own smiling face. A mobile camera. No meaning. That was when it happened; when someone (or something) stole his meaning.Having heard the story many times, the police could not exactly understand the meaning of it.

ウィッチンケア第9号「断片小説」(P206〜P211)より引用
goo.gl/QfxPxf

ナカムラクニオさん小誌バックナンバー掲載作品
断片小説 La litt?rature fragmentaire」(第7号/大六野礼子さんとの共作)/「断片小説」(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介32 松井祐輔さん

松井祐輔さんの小誌今号への寄稿作、タイトルの<平本>は「へいぼん」と読みます。松井さんは東京都台東区蔵前でH.A.Bookstoreという書店を営んでいますが、作品内ではここ40年ほどの出版業界の変遷が、本の擬人化インタビュー形式で語られています。電子書籍...小誌が創刊した2010年頃はたしか「黒船がきた」なんて言われていた記憶が。この一篇の主人公も電子書籍という現実と対峙しているのですが...その結末は、ぜひ本誌を手にしてお確かめください!

作中の<その頃有名になっていた大手の転職エージェントから声がかかりまして。ほら、あの黄色い看板の>...これはブックオフのことかな? ググってみると、1990年5月に直営1号店(神奈川県相模原市)が開店した、と。拙宅から数十メートルのところにも一時期あったんですけれど(なんと地元書店の斜め向かいという場所に!)、いまはペットショップになってしまいまして、月日の流れ、感じます。

<ところがインターネットの登場で全国どこでも、どういう人材がいるかがわかりヘッドハンティングされやすくなり、相対的に人材価値も下がっていきました。その分、再就職もしやすくなったという意味では良かったのかもしれませんが>という一節も、実感がこもっているように思えました。とくに<相対的に人材価値も下がっていきました>というのが...ブックオフ登場よりもさらに以前って、本やレコードってお店で「見かけたことが縁」みたいなところがあって、よほど高価でない限りは「とりあえず買っとけ」だったよなぁ。いまは...なにか「おっ!?」ってのを見かけたら、とりあえずiPhoneでアマゾンチェック...ってウソついてすいません、それを最後にしたのもセンター街にHMVがあった2010年頃、月日の流れ、感じます×2。

じつは私は、あいかわらずいまだに電子書籍には馴染めず...なんか、目につくところにゴロゴロしてないと、本の存在を忘れてしまうんで(...そういえばグラビア界の黒船・リア・ディゾンはいま何処?)...といっても、いまこれを書いている机のまわりは目につく限り本とCDの背表紙でして、しかも現在稼働中(積ん読含む)の本以外は、ほぼ居座ってるだけの存在でして、ときどき「ああ。これがなかったらどんなに部屋が広々するか」なんて考えてしまうんですが...。



──そんな中で、転職はうまくいったんですか?
 はい、なんとか。実はまた別のエージェントからヘッドハンティングされたのです。「せどり」というのでしょうか? 業界用語で。彼が私に合った就職先をすぐ紹介してくれる、と。なんだか怪しい取引のような気もしましたが、藁にもすがる思いでお願いしました。詳細はよくわかりませんでしたが、紹介してもらった就職先はとても良いところでしたね。そこにも10年ほどお勤めさせていただきました。
──すばらしいですね。その後の転職はうまくいったんですか。
 ええ。今回のオーナーとの関係はずっと円満だったのですが、どうも社員が増えすぎてしまったようで、私もリストラの対象になってしまったのです。ただせめてもの気持ち、だったのでしょうか。とても良い転職エージェントを紹介してくださいました。そこは小さいながらも何十年もやっている老舗で、私の技能を活かしながら、じっくり長く就職先をさがしてくれました。

ウィッチンケア第9号「とある平本な人生の話」(P200〜P205)より引用
goo.gl/QfxPxf

松井祐輔さん小誌バックナンバー掲載作品
出版流通史(編集中)」(第8号)

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2018/05/27

vol.9寄稿者&作品紹介31 東間嶺さん

小誌第6号に掲載された「ウィー・アー・ピーピング」以降、いつもリアルタイムな現実に沿った小説作品を寄稿してくださる東間嶺さん。小誌今号での作品には<よろず評論家>のシバタアキヒロという、ヒール役の人物が登場するのですが...なんか、メディアで見かけたことのある、実在する人の顔が浮かんできてしまって困りました。若い奥さんに噛みついたとかなんとかの人とか、2〜3年前に朝のワイドショーでコメンテーターしてた人とか。...いや、<若手>って書いてあるから、それらよりはもう少し年下? <三十代が終わらないうちに退官の道を選んでメディアの世界へと転身>とも記されているので、40代前半くらいかな?

私は東間さんの一篇を、柴那典さんの「不機嫌なアリと横たわるシカ」、西田亮介さんの「エリートと生活者の利益相反」と関連づけて読みました。作品に流れる鬱々とした空気感は、前者に出てくる<不機嫌の国に住んでい>る<サラリーマン風の男>に通じるし、シバタというキャラは後者で読み解かれた<エリートと生活者(ノンエリート)の利害関係の変容>でのある断面を、グロテスクにカリカチュアライズして生み出されたようだな、と。

アマノ(=ウエハラ)は、前号掲載作「生きてるだけのあなたは無理」にも登場した人物と推定できます。昼食のカップ麺をすすっていた男。今回はストロングゼロを煽っているようで...とりあえずスマートフォンを切って、野菜多めの食事にでもいってきたほうがよいのではないか、と。...そして彼にとってのツイッターは、発信するものなんだろうか? もしかしたら受信しすぎて溜まった澱みたいなものが自動放出されてるだけなのかも、とも。

ある種の類型みたいな登場人物が数多く設定されているように読めましたが、サイトウマナミだけは、ちょっと生身の人間っぽく感じました。<実際、誰かがあいつを金属バットで殴ったら、わたしはすっきりするんだろうな>という気分、ことの善悪はともかく、この感情の動きはけっこう自然に思えたりして。<一昨年に転職したイベント運営会社>で働いているとのですが、できるなら彼女には再転職をすすめたく...その理由は、ぜひ小誌を手にとってご確認ください!



 シバタの思考や主張自体に独自性は薄く、これまでも新興企業の経営者や元官僚のタレント評論家が繰り返してきた粗雑なネオリべ論法の変奏でしかなかった。際立っていたのは、その攻撃性だった。シバタが主に敵と見なしている経済的/身体的弱者への再分配要求論、そして政治的公正さを求めるさまざまな運動へと投げつけるエキセントリックな罵倒の加虐性を、主に管理職に近い中高年のサラリーマン層や、東大を始めとした高偏差値大学の学生たちが強く支持していた。
「四十過ぎても非正規の負け犬バカに権利とかないから。寂しく一人で死んどけ」、「要介護のジジババは、もうね、どんどん処分すべき。共倒れは御免だから」、「糞フェミもウヨ豚も、どっちもモテない埋め合わせで暴れてるみっともないくず。爆笑」
 さまざまなネットスラングや放送禁止用語を、地上波放送に出演するときでさえおかまいなしに使うシバタの態度は当然のごとくネットでの炎上や舌禍事件を頻繁に引き起こした。

ウィッチンケア第9号「セイギのセイギのセイギのあなたは。」(P192〜P198)より引用
goo.gl/QfxPxf

東間嶺さん小誌バックナンバー掲載作品
《辺境》の記憶(第5号)/「ウィー・アー・ピーピング」(第6号)/「死んでいないわたしは(が)今日も他人(第7号)/「生きてるだけのあなたは無理」(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介30 久保憲司さん

久保憲司さんの小誌今号への寄稿作「耳鳴り」は、以下のような一節から始まります。<同人誌にコツコツと小説を書いていたら、『スキゾマニア』という本になった。子供の頃の夢の一つが「小説家になる」だったから、食えてないとしても嬉しいことだ>。思い返せば、久保さんの最初の小説「僕と川崎さん」が小誌に掲載されたのは、2012年4月発行の第3号でした。震災の翌年、民主党・野田佳彦首相の時代(この年の11月から現在までずっと安倍政権...)。短くはない時間の積み重ねが書籍というかたちになって世に出たこと、私も発行人として嬉しい限りです。

今作には、その『スキゾマニア』にも収録された「80 Eighties」での逸話がより詳しく語られています。関学の野外ライブで、町田町蔵(現在の町田康さん)に怒られた話。<そりゃ布袋さんと喧嘩するわと思う>なんて、ちょっと揶揄するようなことも書いていますが、作品全体を読むと、いかに<俺>が町田さんをリスペクトしているか伝わってきます。...しかし<俺>、昨年の青山ブックセンターでの長谷川町蔵さんとの対談の翌朝、<NHKの方に歩いていくと、町田康さんが僕の横を通りすぎた>って、そんな奇遇なことが! 詳しくは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください。

嫁のつくった黒い焼きそばを食べている最中に、突然始まった耳鳴り。キーンという音のなかで、<俺>は革命を夢見ます。「日本の借金1000兆円とか騙されるな」「俺たちはついに金のなる木を手に入れたのだ」「インフレ率2%まではマネタリーベースを増やすことができるのだ」等々、いろんな人たちに説いて回りたくなる。町田さんの話から世界経済へと飛躍していって、いったいこの一篇はどこに着地するんだろう、というジェットコースター的展開ですが、最後には「なるほど」と、アクロバット的に耳鳴りとの関連性が明らかになり、そして安倍晋三首相まで登場...ああ、耳鳴りだけでなく目眩もしそうだ。

もうひとつ。作品の中盤に出てくる、<俺>がポラロイドを見せられた逸話も印象深いです。「でもあれ、全部やった男の写真やろ」と<ロッキング・オンの山崎さん>に言われて、<俺はそういうのに全部疎かったから、ああそういうことかとびっくりした>と。この<そういうの><そういうこと>について、もう少し詳しく教えてほしいなぁ、と思ったのでした。なんとなくわかるような気もするんだけれど、でも私も<疎>いもんで。久保さん、機会があればぜひぜひ!



 そんな俺だが、唯一の自慢は昔バンドをやっていた頃に、町田さんから怒られたことがあるということだ。俺が17歳、町田さんが19歳くらいの頃である。先日自分がやっていたバンドのベース(元カノ)と久々にツイッターで喋り交流を再開した。その人は今、京都精華大学で教えているので、俺にも職の口がないかと相談しにいったときに、「あんた昔、町田さんに怒られたことあるよな」と言われた。俺はまったく記憶になかったので、「エッ、どういうこと」て訊くと、関学の学園祭で町田さんがやっていたINUというバンドを見たとき、ライブ終わりに挨拶をしにいったら、「お前か俺のモノマネをしている奴は」と怒られてたよ、と言うのだ。たしかにその頃の俺はリザードというニュー・ウェィブ・パンク・バンドのモモヨさんの歌い方から、町蔵さんのようなセックス・ピストルズのジョニー・ロットンを新世界のチンピラ風にした歌い方に変えていた。「町蔵さんに怒られて、俺どうしてたん、俺キレたん?」と訊くと、「ヘラヘラしてたよ」と言う。たしかに俺の性格だと「あっ、そうなんです。真似さしてもらってます。どうもすいません。ハ、ハ、ハ、ハ、ハ」と笑ってそうだ。

ウィッチンケア第9号「耳鳴り」(P188〜P191)より引用
goo.gl/QfxPxf

久保憲司さん小誌バックナンバー掲載作品
僕と川崎さん」(第3号)/「川崎さんとカムジャタン」(第4号)/「デモごっこ」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「スキゾマニア」(第6号)/「80 Eighties」(第7号)/「いいね。」(第8号)

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2018/05/26

vol.9寄稿者&作品紹介29 木村重樹さん

昨年11月、下北沢の気流舎にて木村重樹さんとトークイベントを開催しました。タイトルは「屈折する〝ニッポンのサブカルチャー〟……対抗文化から地下アイドルまで」という壮大なような局所的なような、とにかく...私には学者肌と感じられる木村さんの、サブカルチャーに対する多識/愛情(愛憎!?)/知見、諸々もろもろおかを伺ってみたいと思ったのです。

サブカルチャーの本、最近けっこうたくさん出ているように感じられます。ってことは「顧みられるもの」になった? いやいや、研究分野としてのステイタスが確立された? あっ、そうだ、今号の締め切りの頃は「サブカルの想像力は資本主義を超えるか」というものすごいタイトルの本を読んでいましたが、内容は著者が大学で近年話題になった映画やアニメを題材に喋った講義録で、まあ、セカイ系のパロディのつもりなのかも? 私は木村さん渾身の、でも等身大の視点で語られたサブカルチャー論を、ぜひ読んでみたいと思っているのです。

木村さんの小誌今号への寄稿作は、自身がサブカルチャーに関わりを持つようになったきっかけ、とくに「精神世界の本」にまつわるノスタルジックな一篇。作中に登場する固有名詞の数々...1970年代なかごろにあった「オカルト・ブーム」を回顧したくだりには<魔女狩りや吸血鬼伝説からシュルレアリズムやファンタジー&SFに至る〝あやしいカルチャー〟のナヴィゲーター/水先案内人として、澁澤やウィルソンが果たした役割は小さくなかった。いや、少なくとも自分の場合は、まさにドンピシャだったのである>とあり、テレビでユリ・ゲラーがスプーン曲げたのを「ウソだぁ」くらいで見た記憶しかない私(「表層的」のひとことでバッサリ斬り捨てられてる...)は、えっ、そんな時期にすでに澁澤龍彦読んでたの!? と驚愕してしまうのでした。

後半では<特記すべきトピック>として<〝神秘学〟の興亡>、その<キーパーソン>として高橋巌と荒俣宏について語られます。<荒俣や高橋が志向した〝神秘学〟とは、「魔女と黒魔術とか社会・風俗レベルの異端、あるいは呪いや妖術といった分野」に偏りがちだった(いわゆる70年代以前の)オカルティズムから、さらに数歩前進したところをめざしていたことが伺えよう。と同時に、当時大学生だった自分もまた、それに限りなく期待を膨らませていた>...クイズ番組の回答者くらいにしか荒俣さんを知らない私はこの一文にも、木村さんの抱えている深遠なワールドに畏敬の念を覚えてしまうのでした。みなさま、ぜひ小誌を手にして、木村さんとともに精神世界の変遷をタイムトラベルしてみてください!



 時は1974年、ここ日本でもオカルト・ブームが大ブレイクした。ちょうどその1年前の73年、その名もズバリ『オカルト』なる著書をウィルソンは発表し、ベストセラーを記録した。また澁澤は澁澤で60年代初頭から(つまり、オカルト・ブームに10年以上も先駆けて)、魔術や占星術、錬金術といったヨーロッパ精神史のダークサイドをモチーフとしたエッセー集「手帖シリーズ」(『黒魔術の手帖』、『毒薬の手帖』、『秘密結社の手帖』)を発表。70年代にはすっかり、その筋の第一人者だった。
 とはいえ、ウィルソンと澁澤、それぞれの人となりをよく知っている愛読者ならば、双方の相違点も無視できなかろう。また、今の見地から70年代ニッポンのオカルト・ブームを冷静に振り返ってみると、その内実もまた(いわゆる澁澤/ウィルソン的な「影の精神史」もさることながら)表層的に持てはやされていたのはどちらかというと、『エクソシスト』や『ヘルハウス』といったホラー映画、つのだじろうの『うしろの百太郎』や古賀新一の『エコエコアザラク』に代表されるホラーコミック、テレビ局主導の超能力者やUFO/UMAにスプーン曲げ騒動、時の海外ロック・スターたちのサタニズム趣味……こうした一連のサブカルチャー的要素がごちゃまぜになって熟成されたものだったことを、再認識されるだろう。

ウィッチンケア第9号<古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー>(P182〜P187)より引用
goo.gl/QfxPxf

木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品
私が通り過ぎていった〝お店〟たち」(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「更新期の〝オルタナ〟」(第3号)/『マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」』(第4号)/『ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感』(第5号)/「40年後の〝家出娘たち〟」(第6号)/「映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]」(第7号)/<瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」>(第8号)

http://amzn.to/1BeVT7Y


2018/05/25

vol.9寄稿者&作品紹介28 開沼博さん

小誌第5号から前号まで「ゼロ年代に見てきた風景」というタイトルで、社会の変遷を考察してきた開沼博さん。今号での寄稿作は、ご自身の慣れ親しんだ「まち」にフォーカスした内容です(タイトルと通し番号は、連続性を保ちつつ微リニューアル)。今回取り上げられているのは東京都文京区・地下鉄丸ノ内線(と大江戸線)の「本郷三丁目」あたり。私は大学時代の友人があのあたりに住んでいてむかしからときたま遊びにいきましたが(「あのあたり」と書いたように、新宿や渋谷に慣れ親しんでいた人間にはちょっと「風景や空気が違うなぁ」感あり)...あっ、そうだ、今号寄稿者の久山めぐみさんとの打ち合わせは本郷三丁目そばの「FARO COFFEE & CATERING」だったので、ひさしぶりに周囲を散歩して「変わったなあ」と思っていたので、開沼さんの書かれていることが、かなりリアルに目に浮かびました。

まず「後楽園ゆうえんち」周辺について語られています。<この一帯は、格闘技の聖地・後楽園ホールのオープンや後楽園球場の東京ドームへのリニューアルはじめ時代の要所で様々な進化を遂げ、2003年にはショッピングセンターと入浴施設を併設した「ラクーア」が開業。全体を「東京ドームシティ」というブランドで運営している>...開沼さんは東京ドームが「BIG EGG」と呼ばれていたことを知らない、いや、知っているけれど通称ではない、と。BIG Entertainment & Golden Games。なんだか現在の巨人軍の監督のことを日テレだけが「ウルフ」と呼んでいた時代がありました(某巨大掲示板では「パンダ」と呼ばれてた)。

本郷三丁目交差点からは東京スカイツリーも見えます。古い東京の面影を残す浅草地域に<グローバルな都市として競争力をつけようとする東京のランドマーク、いわば「近代の先端」>ができるという<文脈の変化>、と開沼さん。東京はオリンピックを控えてあちこち工事中、というテン年代ですが...変化の予兆はゼロ年代から始まった、と捉えるべきかもしれません。

本作の後半では「まちの風景」の裏側ともいえる、社会構造の変化についても考察されています。<80年代と90年代の風景の差は大き>くて、それが90年代以降は小さく(見えにくく)なっている、というのが開沼さんの<直感的な>見立て。しかし、変化に気づきにくくなっていても、そこには<確実にどこかの方向からいくらかの力で風景を動かそうとする何らかの力学があるはず>と推察しています。未来を考えるとき、私たちはどんな視点で「まちの風景」に接すればいいのか、ぜひ小誌を手にとって、開沼さんの一篇を参考にしてみてください!



 例えば、何か食べるにしても、中華料理、韓国料理、インドカレー屋など、非和食系の店が、それぞれ複数存在する。最近は、スペインバルもできたが、そういった非和食系の店がゼロ年代からいまに至るまで少しずつ増えてきているのは確かだ。一方、その裏で、𠮷野家はじめ様々なチェーン系の店ができては潰れ、を繰り返してきたのも事実だった。東大関係者だけでも数万人規模が潜在顧客となるこの地の飲食店マーケットがいかなる特性を持っているのかはわからないが、激しい競争の中で結果として多国籍化しているのは事実だ。それが、他の駅ではありえない水準で外国人留学生が歩く姿が、より日常化していることとあいまって、ゼロ年代以降のグローバル化を体現しているようにも見える。最近はその勢いが強すぎるのか、学生に親しまれた飲食店「カフェテラス本郷」や老舗の「近江屋洋菓子店」など、このまちに出入りする一定の人が、ここの風景に欠かせないものと思ってきた店が相次いで潰れてもいる。老舗の旅館や下宿宿が相次いで潰れていったのもゼロ年代だった。一方、この地で疲れている人を癒やす、日本人系、外国人系双方のマッサージ・整体の店は明らかに他の地域に比べても多く、市場競争を繰り広げている。

ウィッチンケア第9号「ゼロ年代からのまちの風景(パート1)」(P178〜P181)より引用
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開沼博さん小誌バックナンバー掲載作品
ゼロ年代に見てきた風景 パート1」(第5号&《ウィッチンケア文庫》)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート2」(第6号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート3」(第7号)/「ゼロ年代に見てきた風景 パート4」(第8号)

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2018/05/24

vol.9寄稿者&作品紹介27 藤森陽子さん

SNSを拝見すると、あいかわらず忙しそうに国内外のリゾート施設やカフェを取材で飛びまわっている藤森陽子さん。今号への寄稿作冒頭では<アンドリュー・ニコル監督のSF作品「IN TIME」>(邦題「TIME/タイム」/2011年)にまつわるご自身の<妄想>について書いています。<もし時間が通貨価値として流通するなら、自分が望む年齢を10年分、いや、財力があれば20年分でも、購入できるのはどうだろう>...映画内の設定では25歳で成長が止まった世界が描かれていましたが、藤森さんは、<肉体が25歳なのはいいとして、精神が25歳ではまだ幼すぎる。自分だったら35歳かな>と。たしかに、身体は25歳頃で止まっててほしかった。精神は...私の場合、35歳でもうだいぶくたびれてたんで、こちらもけっこうワイルド(←あはは)だった25歳でいいかな。

なぜそんな<妄想>を!? 理由は<寄る年波を日々感じているからである。とくに顕著なのが「視力」だ>。いやほんと、目は厳しいですよね! 私も最初に自分の目の衰えを自覚したときは「冗談でしょ?」と思ったけど、以後10数年、いまでは眼鏡をかけないと外出できませぬ。...じつは目のことを書いた小誌掲載作はいくつかあって、たとえば第7号(&《ウィッチンケア文庫》)での太田豊さん作品には<少し暗いところでてきめんに字が読めなくなるという事態にでくわしたときにはやはり驚いたし、笑ってしまった。知らないところで自分の認識できる世界はじわじわと狭まっているのだ>という一節があり、いまでも印象に残っています。

作品の中盤では東京都台東区鳥越にある素敵な喫茶店が紹介されています。若くてセンスのよい店主が、ネルドリップで丹念に抽出したコーヒーを出すお店。インテリアは<一輪挿し以外の装飾は何もないストイシズムに満ちた世界>とのこと。ただし、<調光を最小限に抑えた照明が灯り、昼だというのに仄暗い。スリリングに暗い>...この一文での「スリリング」という言葉の選びかた、ヘンな表現ですが、人間の年季が入ってます。

最後まで読み終えると、藤森さん自身、視力の変化について、必ずしも悲観的ではないことがわかり共感できました。若い人もそうでない人も、ぜひ小誌を手にしてこの一篇を読み、「目の見えかた」とのつきあいかたについて考えてみてくださいね!



 それにしても暗いですよね、ここ。と、少し打ち解けたところで聞いてみると、店主はふと視線を上げて「仄暗さは喫茶店に必要だから」と示唆めいたことを言う。
「薄暗いことで目の前の珈琲の味に集中できるし、少し非日常へも行ける。谷崎潤一郎の『陰翳礼賛』ではないですが、暗いところにいると気持ちが落ち着く感覚って、日本人のDNAに刻まれてるんじゃないかと思って」
 ふいに出てきた文芸作品の名に少々驚きながら、ますます茶室のようだと納得する。『陰翳礼賛』は電灯が普及する以前の日本古来の暮らしの美しさを謳い上げ、西洋文明によってもたらされた〝明るさ〟がいかに無粋かをとうとうと語った名編だが、なるほど、この暗さは日本家屋の陰翳だったのか。
 一秒一秒、時を刻むように一滴ずつ湯を注ぎ、ドリップする店主の仕事を眺めながら、つくづくネルドリップは時代のスピードと逆行する抽出法だと思う。そして店主の言う通り、仄暗さの中で味わうと、苦味の奥の甘い香りも、持ち手の華奢な手触りも、いつにも増して際立つように感じるのだ。

ウィッチンケア第9号「フランネルの滴り」(P174〜P177)より引用
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藤森陽子さん小誌バックナンバー掲載作品
茶道楽の日々」(第Ⅰ号)/「接客芸が見たいんです。」(第2号)/「4つあったら。」(第3号)/「観察者は何を思う」(第4号)/「欲望という名のあれやこれや」(第5号)/「バクが夢みた。」(第6号)/「小僧さんに会いに」(第7号)

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2018/05/23

vol.9寄稿者&作品紹介26 若杉実さん

2014年の秋に刊行された「渋谷系」以降も、「東京レコ屋ヒストリー」「裏ブルーノート」と気になる著者を重ねている若杉実さん。私は昨年10月のピーター・バラカンさんとの対談イベントにも伺いましたが、若杉さんの、音楽の《定説》に頼らない独自の話(とDJ)はとてもおもしろかったです。ボビー・ハッチャーソンはこう聞け、みたいな例で、それまで私的にはスルーだった「Prints Tie」をかけたりして。

そんな若杉さんの小誌今号への寄稿作では、前作「マイ・ブラザー・アンド・シンガー」の語り部・シゲルが戻ってきました。<中坊から永ちゃん一筋のオレが渋谷系だなんて笑わせてくれるじゃねえかとおもっていたが、背に腹はかえられない。業界内には「渋谷系ならシゲ」というのができあがっていて>...という、ミシンに夢中だったあの男。あいかわらず服飾関係には鋭い目を持っていて、物語は<コタツでミカンをほおばりながらカミさんと紅白を観>ているところから始まります。ジャニーズのタレントが登場すると、ボタンが気になって...。

シゲルにとって、いまは洋服の《お直し》ではミシンよりも<手縫い+ボタンというセット>が基本、とのこと。でっ、ボタンですが、凝り始めて揃えると<ものによっては高級シャツ一枚買えるくらい>の値段なんだそうで、〝部品どり〟のために古着屋をまわってストックしたりしている、と。<〝あくまでも脇役〟──シゲルなりのボタン哲学だ>という一節にぐっときました。

そんなシゲルは年が明け、テレビでたまたま〝黒電話〟を見かけます。その意味、私は若杉さんの一篇を読むまで知りませんでしたが、金正恩さんの髪型を揶揄した隠語だったのですね...しかし金さんにしてもトランプさんにしてもなんで世界のトップにヘンな髪型の人が君臨してるんだか、って、まあ、日本もかつての橋本龍太郎さんとか小泉純一郎さんとか他国のこと言えないんですけど(小渕恵三さんも、「平成」の色紙掲げたときはヘンな髪型だと感じたっけ)...って、髪型の話は置いといて、シゲルが気になるのは、やはりボタンだったよう...。金さんが身につけていたのは背広。<襟元までボタンがびっしりの人民服とはちがい、背広をこのまま着つづけられたらいちどに目にできる数が減ってしまうではないか>と、なかなか他の人が思いつかないことにシゲルは思いを馳せ、いつしか想像力が制御不能になって...その後の展開はぜひ、小誌を手にしてお確かめください!




 ジャニーズの衣裳が学芸会並みにチープであることはよく知られている。そしてその安っぽさが、女性ファンの心理、母性をくすぐる計算されたものであることも。
「あんな手づくり感満載なのがアイドルの衣裳だなんて、疑いたくなるようなセンスだけど、あそこまで盛られるとなぁ……」
 いつごろからだろうか。ボタンというボタンを目にすると、心臓のあたりで大きな波しぶきが立つように興奮をおさえきれなくなってしまっていた。
 いまでも〝お直し〟は継続している。〝どうぞご自由に〟との張り紙といっしょに民家の前に置いてあったミシンを拾ったのをきっかけに、シゲルの趣味に〝縫製〟の二文字が加わった。さらに高じて新調までしたものの、いまではミシンの音が部屋からいっさいしなくなった。どういうことか。

ウィッチンケア第9号「机のうえのボタン」(P168〜P172)より引用
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若杉実さん小誌バックナンバー掲載作品
マイ・ブラザー・アンド・シンガー」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》

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vol.9寄稿者&作品紹介25 須川善行さん

小誌第6号に<死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>という長〜いタイトルの一篇をご寄稿くださった須川善行さん。前号はご自身のCDデビューにまつわるものでしたが、今号では再び即興音楽についての持論を展開しています。<この分野での古典的な著作、デレク・ベイリー『インプロヴィゼーション』(工作舎)は、一般にフリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーションの自立宣言だと考えられている>...ええと、私はまず、デレク・ベイリーを、少し視野を広げて紹介してみましょうか。

『インプロヴィゼーション』(工作舎)については、ネット上だと「松岡正剛の千屋千冊」での紹介が網羅的でわかりやすいかも。そしてデレク・ベイリーの音楽...私の守備範囲で一番接近したのは、デヴィッド・シルヴィアンの「Blemish」での3曲とか、あとジャマラディーン・ タクマの名前に引っ張られて入手した「Mirakle」では、ファンキーな変則フュージョン(←イディオマティック...)みたいな感じで聞いたり...。YouTubeには田中泯とコラボした動画もいくつかあるので、ぜひチェックしてみてください!

話は戻りまして、<フリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーションの自立宣言>...須川さんは<音楽の「イディオム」とは、いったいどんなものだろう。今回は、そこから始めてあれこれ考えてみよう>、と論考のスタートラインを設定します。そしてイディオムではないと思われる要素を丁寧に消去していくことで、結果として<ある時間内における音の持続と変化に関する要素で、人が聴いてそのジャンルを判別できるようなもの>...それは<西洋音楽が考えるところの音楽の三要素にほぼ相当する>ものであると定義を導き出し、そのイディオムから“自由”な音楽を<フリー・インプロヴィゼーション、ないし非イディオマティック・インプロヴィゼーション>と捉えてみますが、しかし! ...で合ってるのかな? ぜひ小誌を手にとってご確認のほどお願い申し上げます。

手前味噌で恐縮ですが、西牟田靖さんと谷亜ヒロコさんの小説〜久山めぐみさんと須川善行さんの評論〜そして、次回紹介予定であります「渋谷系」等の著者・若杉実さんの小説へ...という、このへんの振り幅の大きな流れが、小誌の小誌らしさなのかな、なんて紹介文を書き続けながら思っています。みなさま、もちろんランダムに作品をチョイスして読んでいただいてモーマンタイですが、ぜひ「ページ順に読んでく」楽しさにも、トライしてみてくださいね!



 ベン・ワトソン『デレク・ベイリー──インプロヴィゼーションの物語』(工作舎)は、ベイリーからこんなコメントを引き出している。「ギャヴィンがときど
き演奏中にレコードをかける。これが僕には耐えられなかった。そのレコードに合わせるならどう演奏すべきか、分かってしまうからなんだ」。それまでさまざまなジャンルの音楽を演奏してきたベイリーが、既成の音楽から離れて自由な演奏をしようとすると、既存の音楽語法をことごとく拒絶する必要があったとも読め、興味深い。
 フリー・インプロヴィゼーションは、イディオムを廃することで、ジャンルを超えたミュージシャンどうしの合奏を可能にした。これは革命的なことだった。その一方で(あるいはその代償として)、イディオムを拒絶することは非常に抑圧的にも働く。歴史的文脈をもたない楽器は存在しないし、あらゆる楽器はその文脈の中で自らを育ててきたからだ。イディオムもまた、音楽そのものと同様に、歴史的文脈と切り離すことはできない。
 したがって、イディオムを取り払うことは音楽の歴史的文脈を無視することに接近する。80 年代以降フリー・インプロヴィゼーションが世界に広がったことは、
グローバリゼーションの発展とうらはらの関係にある。フリー・インプロヴィゼーションは、奇しくもジョン・ゾーン以前からポストモダニズムとよく似た機能を果たしていたのだ。

ウィッチンケア第9号「自由研究家の日常──即興からノイズへ」(P162〜P166)より引用
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須川善行さん小誌バックナンバー掲載作品
死者と語らう悪徳について 間章『時代の未明から来たるべきものへ』「編集ノート」へのあとがき>(第6号)/<『ことの次第』の次第>(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介24 久山めぐみさん

久山めぐみさんとは小誌寄稿者、そして校正を担ってくださっている大西寿男さんを介してお目にかかり、寄稿依頼しました。曽根中生や荒木一郎の書籍を手がけてきた編集者。小誌今号への寄稿作で論じられている「ロマンポルノ」にも造詣が深く...久山さんと話して痛感したのは、私がぼんやりとリアルタイム体験してきた事象の数々が、後年の世代によってきっちりと研究/議論され文化的蓄積が進行しているんだな、ということでした。なので次の段落は資料的に白子の鱗ほどにもなりませぬが、あー、でもこんな機会なので、ちょっと書きたくなった。

ロマンポルノを封切りすぐに観にいった、という記憶はなくて、というか、いつどこでなにを観たかも、ほぼ忘れちゃった。覚えているのは館内で煙草吸ってたこととか、周囲にビールやカップ酒飲んでる人がいたことかなので、二番館、三番館でいきあたりばったりに観てたのかなと。今回ちょっと真剣に記憶を辿ってみたら、たぶん18禁の頃に、地元(町田市)までまわってきた「サード」(ATG)を観て、森下愛子にときめいちゃったんだろう、と。それで「もっとしなやかに もっとしたたかに」と「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」をやってた高田馬場駅近くの映画館(←これはよく覚えている)まで遠征して、それがロマンポルノの初体験だったみたい。森下愛子と竹田かほり(三浦瑠麗って顔似てないか?)は、当時キャンディーズやピンク・レディーのつくりものっぽさに全然乗れなかったオレにとって身近に感じられたのですが、しかしたくろうとかいばんど...(号泣)。

仕切り直し。久山さんの寄稿作は<〈ロマンポルノが何を描いてきたのか?〉考えるため、神代辰巳小沼勝という二人の映画監督>を取り上げ、具体的な作品やインタビューを読み解きつつ<両者がどのような物語形式を生み出していったかを比較することでロマンポルノの実相を照らしてみる、試論とした>ものです。今号掲載作でもっとも分厚い、熱き一篇! 神代については、<映画全体に強い主観性を感じる><神代のインモラル、魔境は彼方にあるものではない。観客自身にとても近いところにあ>る、小沼については<性を映画の形式性のうちに囲い込むことで逆説的に解放した><小沼の映画を動かしていたのは、見る/見られるという視線のダイナミクス>という指摘がなされていまして、みなさま、ぜひ小誌を手にとって眼光紙背いただけますようお願い申し上げます。

全10ページの評論の冒頭、久山さんはかなりの字数を割いて、昨今の<女性がロマンポルノを見ていることそのものが称賛されてしまうきらいのある現状>についての私見を述べています。私はとても大事なことを書いてくださったと思っています。上記の「白子の鱗ほどにもな」らぬ個人的記憶...四半世紀を経てそれがヒップ(死語)に消費されたり、褒められ過ぎちゃうのは、それはちょっと違うんでないか!? という。



 確かにわたしたちにはいま、ロマンポルノを見るための席が用意されている。わたしたちは、家でひっそりソフトを再生するのではなく、堂々と、名画座やミニシアターで、休日の愉しみとして、ロマンポルノを味わう自由がある。しかし、女性がロマンポルノを見ていることそのものが称賛されてしまうきらいのある現状、わたしたちの鑑賞行為自体が、ロマンポルノの搾取的な側面から目をそむけるアリバイや免罪符になる危険がある。数年前、NHKの連続テレビ小説に出演していたとある若い女優がロマンポルノやピンク映画を映画館で見ていたことがSNSを中心に話題となった、奇妙な出来事を覚えている方もいらっしゃるだろう。なぜ、若い女性がロマンポルノを見ているというだけで、そのように騒がれ、もてはやされなくてはならないのか。
 わたしが、どうやら女性の名前であろうことを容易に伝えてしまうわたし自身の名前でロマンポルノを語るとき、何を語ったとしてもこのループのなかに回収されてしまうのではないかという懸念を頭から追い出すことができない。それでもやはり語りたいと思うのは、「性という人間にとって根源的なものを描いているのだ」とか、「作家と呼ばれる監督の作品には、性的搾取とは別次元に語られるべき芸術的な価値があるのだ」とか、「プログラム・ピクチャーの職人的な技術を堪能することができる貴重なフィルム群なのだ」とか、はたまた、「女性を主に描くから女性映画なのだ」とか、ロマンポルノの価値についてのさまざまな言説に、いまひとつ納得のいかないままに形の上での同意を示しつつ、自分たちのために設けられたふかふかの女性専用席に座ってしまう前にやらなければならないことがあるように思うからだ。

ウィッチンケア第9号「神代辰巳と小沼勝、日活ロマンポルノのふたつの物語形式」(P152〜P161)より引用
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2018/05/22

vol.9寄稿者&作品紹介23 谷亜ヒロコさん

谷亜ヒロコさんの小誌今号への寄稿作は、前作に引き続き、50代女性である<私>が主人公。限りなく「同一人物?」的な印象を持ってしまうのは、たとえば自分の生活まわりに「頭の薄くなった夫の髪の毛」を発見するとやたら気にする点とか...そんな<私>が<モヤモヤが煮詰まってとても整理が出来ない気持ちにな>ったときに飲むのは、スターバックスのフラペチーノ、だそう。<タリーズのカフェオレスワークルでもいい>みたいですが、氷の粒が小さすぎて不満が残るんですって! ファミマの似たもんは<飲んだ後お腹タッポンタッポン系>で甘過ぎてダルくなっちゃうんですって!! 私はごく稀にグリコのストロー付きの「カフェオーレ」を飲みたくなりますが、あっ、あれは氷の粒が入ってないから<私>のモヤモヤには効かないか...。

ある日、夫が突然帰ってこなくなってしまうんですが、<自分が帰って来たくないと思ったのだから、私が探したら嫌がるに決まっている>と考え、<私>は一人で独身時代のように過ごしています。そして、52歳の誕生日。20代のときに職場で一緒だった<ミノリ>さんからLINEがくるんですが、その内容が一人でいた<私>の逆鱗に触れたようで...いやまさに「神獣である龍の81枚の鱗のうちの顎の下に1枚だけ逆さに生えてるとされる、それ」を刺激されたように怒りまくるのですが、その壮絶さたるや。

私が一番震えたのは<そうだ、あいつが変な顔してる写真をフェイスブックにタグ付けしてやろうか。いやいや年齢以上の老け方をしている人と友達だと思われたくない>という一節でした。とくに、後段の<友達だと思われたくない>というの。はい、私もそれなりの年齢でフェイスブックやってますから、ときどき懐かしい「友達」たちの飲み会の写真など見かけますが、いや当人たちは盛り上がってイエーイ&パチリなんでしょうが、まー皆さんハゲシワデブシラガ...みたいな感慨を抱くことありますが、しかし<(そこに参加して他の「友達」に)友達だと思われたくない>という心理もあるのか、とびっくり。

<私>のちょっと壊れた感じの奇行は、翌日も続きます。ツイッターでは、いわゆる「盛る」っていうのかな、みたいなつぶやきも(テレビに出てるのを見ただけなのに<友達に本田翼に似てるって言われちゃった>www)。...そして、1週間後にある大事件が! 《衝撃の結末》は、ぜひ本誌を手にしてお楽しみください(マジ、恐いです)!



そうだ、あいつが28の時、好きだった男のことをみんなにばらしてやろう。当時からカッコばかり付けて、噓つきで、派手な服を着て、名前が覚えられない変な車に乗っていたその男は5年前に詐欺で逮捕されたのだ。昔の彼が20年後に犯罪者になるって、ものすごい格好悪い。ネットに書いちゃうとすぐに私だとわかるので、その事をバラす飲み会を開くのはどうだろう。いやいやミノリなんかに会ってやる時間はない。
 うん、近所のこぢんまりとしたレストランだけどね。スパークリング飲んで、イタリアンね
 とだけ書いた。
 プン! と
 へぇ〜〜、いいね。うらやましい
 羨ましがられたことに心底安心してスゥーっと寝ることが出来た。

ウィッチンケア第9号「冬でもフラペチーノ」(P146〜P151)より引用
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谷亜ヒロコさん小誌バックナンバー掲載作品
今どきのオトコノコ」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「よくテレビに出ていた私がAV女優になった理由」(第6号)/「夢は、OL〜カリスマドットコムに憧れて〜」(第7号)/「捨てられない女」(第8号)

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2018/05/21

vol.9寄稿者&作品紹介22 西牟田靖さん

西牟田靖さんの小誌今号寄稿作。主人公・高梁は、いわゆる「もの書き」です。数年間に渡る取材をもとに書き上げた小説を発表しようとしたが<出版社に圧力がかかり、出版停止>。その影響で私生活もほころんでしまい、失意の生活に。そんなとき<格闘技の写真を撮っている業界の後輩に誘われ>て、気分転換にもなるからとホテルの清掃員として働き始めた、と。作中では清掃作業のディテールがかなり描かれています。「におい」や「湿り気」に敏感に反応していて、そうそう、と思いました。

というのも、私も学生時代に2年ほど、東京都港区の、業界関係者からは陰で「駅前ホテル」と呼ばれていたところでアルバイトをした経験があるのです。最初は夜勤のハウスキーピングで、その後、夜勤のベルボーイに。深夜に「空室づくり」の清掃、やりましたよ。とにかく、スピーディに終わらせなくちゃいけなくて、職場の先輩からいくつかの裏技も教わったり。ベルボーイをやっていたときは、不思議な人間模様に出くわすことも少なくなくて(高梁ほどヘヴィな光景を目の当たりにすることはありませんでしたが)、いま振り返れば社会勉強になった、かも。なので<見たことのない世界をのぞけるのが、彼にとって刺激的だった>という一節には、リアリティを感じました。

タイトルに関わる連続放火犯は、物語の後半に登場。といっても、その人となりは高梁の作業相方である<インストラクターさん>からの伝聞でほとんど語られてしまい(高梁も会ってはいるが、自分の心は開かなかったよう)...清掃のディテールは生々しいのに人間の情念は希薄...というか、虚実ないまぜのような世界がそこにあり、各々が自身の勤めを淡々とこなしていて事を荒立てない、というムードが作品に通底していまして、だから連続放火、というショッキングな事件が起きても、それは日常の一つのできごとのよう。

この「鈍感が支配した物語」のなかで、高梁だけが、言葉少なくも抗っているように、私には感じられました。他の方はどんな感想を持つのだろうか? みなさま、ぜひ小誌を手にとって本作を読んでみてください!



「あ、足の不自由なおじいちゃんだね。タオル濡らしてくるよ」
 インストラクターさんはそう言って、洗面台でバスタオルを少し濡らし、立ったまま足を動かして素早くバスタオルで床を拭き始めた。するとあっという間にくさくなくなった。
「もうこんなの慣れっこだからね。高梁くんも早く慣れてね」
 途中、掃除をする部屋がなく、2階の待機室で電話を待っていた。なので、午後8時までの2時間で、5部屋しかやっていなかった。休憩時間は15分。午後10時頃にも
15分。2回の休憩を挟んで、高梁は0時まで働くのだ。
 高梁は家から持ってきたパック詰めしたご飯と、マルハのグリーンカレー缶を温めてすぐに食べきると、ふたたびインストラクターさんと組んだ。

ウィッチンケア第9号「連続放火犯はいた」(P138〜P144)より引用
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西牟田靖さん小誌バックナンバー掲載作品
「報い」>(第6号)/「30年後の謝罪」(第7号)/「北風男」(第8号)

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vol.9寄稿者&作品紹介21 朝井麻由美さん

最近はテレビでお見かけすることも多い、朝井麻由美さん。たとえば「おしゃべりオジサンと怒れる女 」では古舘伊知郎さん、坂上忍さん、千原ジュニアさんといったトークの達人たちと「ぼっち」について論議。また「二軒目どうする?」にも出演して松岡昌宏さん、博多大吉さん等と飲み歩き...あっ、TOKIOは今年のGW前後、たいへんなことでしたが、松岡さんの立ち振る舞いは印象的でした。オールドな人間としては、彼が19歳で大河ドラマ「秀吉」の森蘭丸を演じたときの、あのキリッとした感じを思い出していました。

さて、朝井さんの今号への寄稿作。お話の舞台は東京・中央線沿線。語り部は、かつて毎週のように会っていた亜美ちゃんとのできごとを回想しています。<吉祥寺と西荻窪と中野の位置関係に、亜美ちゃんが気づかないことを願った>という一文からも察せられますが、亜美ちゃんにかなり気遣いしながら関係性を保っていたようで、その理由は終盤でぽつりと明かされているのですが...多感な思春期に時間を共有した<身長差が30センチもある上に、細身とぽっちゃりという真逆の体型>の2人の、外側からは窺い知れない心模様が不思議な余韻を残します。ふと思ったのは、もし亜美ちゃんがいま、語り部についての物語を書いたら、全然違うものになるんじゃないかな。語り部からは携帯メールに返信をくれない<筆不精な子だった>と描かれてますが、相手によってはまめに返信してたり...。いや、わからない。わからないままでいいんだと思います。

読んいてでいくつか心に浮かんでくる謎は、最後まで謎のまま。でも、語り部と亜美ちゃんの最新の関係(意外なような、順当のような)はしっかり記されています。でっ、最後まで読むとタイトルの秀逸さが際立ってくるのです。みなさま、ぜひ小誌を手にして、全篇くまなく目を通してみてくださいね。

前々作「無駄。」でも前作「消えない儀式の向こう側」でも感じましたが、朝井さんの作品には独自の「寸止めの美学」のようなものに貫かれていて魅力的です。今回は締め切りと出張が重なったうえに、インフルエンザも患われて(寒い冬でした...)。それでもきちっとこの一篇を仕上げてくださったこと、あらためて感謝致します!



それを亜美ちゃんに黙っていたのは、亜美ちゃんに遠慮させたくないという、自分なりの精一杯のカッコつけのようなものだろうと思う。それに、「帰り道だから」と軽快に始まったのだから、軽快なままでいなければならなかった。たまたま名簿の順番が隣で、たまたま一緒にいるだけ。たまたま帰り道が一緒だったから、じゃないと知られてしまったら、この集まりが終わってしまうかもしれない。「吉祥寺のマクドナルド」がなくならないように、吉祥寺と西荻窪と中野の位置関係に、亜美ちゃんが気づかないことを願った。

ウィッチンケア第9号「恋人、というわけでもない」(P134〜P136)より引用
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朝井麻由美さん小誌バックナンバー掲載作品
無駄。」(第7号)/「消えない儀式の向こう側」(第8号)

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2018/05/20

vol.9寄稿者&作品紹介20 大西寿男さん

先日ツイッターを見ていたら、校正者の牟田都子さん大西寿男さんの小誌今号寄稿作について<知る限りこれは「現役校正者による校正者が主人公の校正小説」として非常に貴重な作品だと思われます(本屋Titleで見かけたけれどまだあるかな)>とつぶやいていまして、なるほど、自分はその視点で大西さんの作品に接してはなかった、と目から鱗でした(でっ、なぜ鱗? と私にも校正者的疑問が生じてググったら、聖書由来→ Immediately, something like scales fell from Saul’s eyes, and he could see again. なのですと)。あっ、Titleさんはきっと在庫してくださってることと!

さて、そんな大西さんの一篇は、全体が主人公である<校閲先生>の御三どん(←私は台所仕事=1日3回の台所作業、の意で認識してた/最近使われなくなったのは語源のせいか?)を軸に構成されています。この日は終日、自宅での仕事。食事タイムは気分転換の生活アクセントにもなっているようで...教養人の豊かな暮らしぶりだな、と感じました。私なんか一人で忙しいと《お櫃ご飯》(←炊飯器の内釜に残ってるごはんにふりかけや冷蔵庫の佃煮や瓶詰めのなにかを載せて流しの前に立ったままかきこんで空になった内釜に箸を入れて水道の蛇口を捻って水を満たして終了、約1分)で済ませちゃいますので。

おもしろかったのは、校閲先生の行動が逐一「なにか(理屈、とか)に裏打ちされている」感じに描かれていて、これはもう、職業と切っても切り離せない業なのでしょうか。たとえば朝起きて水を飲むことも、ただ「喉が渇いた」ではなくて<起きぬけのこの一杯の水が血液をさらさらにする>と信じているから? 続いての、ゴミ出し。不意に出たくしゃみも「...寒いな」では済まされません。ついつい<「くさめくさめと言ひもて行きければ〜」と『徒然草』の一節を詠うように唱えて>しまうのです。作者である大西さんが「校正者の無意識」を意識的に描写して楽しんでいるようで、文体も弾んでるなぁ。

個人的に一番じーんとしたのは、夜ごはんのパートにある<だけど、もしかしたらその提案は、「初めて」の繰り返し(ルフラン/原文ではルビ)にこめられた驚きと発見を薄め、小ぎれいに言葉を飾ることになってしまったのではなかったか──。>という文章。プロである校閲先生の意識のなかに、このような思いがあること、とても嬉しかったです。どんな状況での一節なのかは、ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 二合炊きの土鍋にご飯がお茶碗半分くらい残っている。ご飯の上から水をたっぷり注ぎ、中華スープの素を控えめに加え、火にかける。わかった、お粥だ。先生お得意のありもの料理。トッピングには、玉子を一個溶いて炒り卵。あとは冷蔵庫に作り置きしていた大根葉のごま炒めとキムチだ。キムチは刻んでごま油と醬油を垂らすとマイルドな辛みになって、先生の口に合う。
 居間の食卓兼座卓のこたつに土鍋と食器を並べる。土鍋から湯気を立てる白いお粥と小皿に盛り付けられた黄・緑・赤の三色のとりあわせが美しい。iPhone で写真を撮り、インスタに上げ、いただきますと手を合わせて茶碗と木杓子を取る。先生は正座が好きである。
 泥のように眠ったけれど、芯がまだぼんやり重い体に、あったかいお粥がしみる。昨日は雑誌の出張校正の最終日だった。新人のころお世話になった文芸誌で、ここ数年、レギュラーメンバーにカムバックした。いつのまにか先生もベテランと呼ばれるお年頃になり、多忙で以前のようにがっつり関われないことを申し訳なく思っている。

ウィッチンケア第9号「校閲先生はメシの校正はしない。」(P128〜P133)より引用
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大西寿男さん小誌バックナンバー掲載作品
「冬の兵士」の肉声を読む>(第2号)/「棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「わたしの考古学 season 1:イノセント・サークル」(第4号)/「before ──冷麺屋の夜」(第6号)/「長柄橋の奇跡」(第7号)/「朝(あした)には紅顔ありて──太一のマダン」(第8号)

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2018/05/19

vol.9寄稿者&作品紹介19 古川美穂さん

今春から「世界」(岩波書店)での新連載もスタートした古川美穂さん。小誌今号への寄稿作は「なつかしい店」という、タイトルだけで連想すると気持ちがほっこりしそうな、なんか、井之頭五郎が腹を減らして暖簾をくぐりそうなイメージですが、さてさて。思い返せば前々作「夢見る菊蔵の昼と夜」も前作「とつくにの母」も日本語の柔らかいニュアンスを活かしたタイトルでした。ええと、ネタバレは書きませんが、本作は平成30年のこの国のある断面を、小説という形式でくっきりと映し出しています。それも、かなりエッジの立った設定で。

ビールで喉を潤したくて、ふと立ち寄った<中央にコの字型のカウンターをしつらえただけの、小ぢんまりとした店>。柔和そうな店主に勧められた<最高のレバ刺し>を味わっていると隣席の男に肘がぶつかってしまい、会話をすることに。レバ刺し...10年前はどこでも食べられたなぁ。安い店ではそれなりに危険そうな、口コミで評判の伝わってきた店では「こんなにうまかったっけ!?」って感じのが出てきたものでしたが、それはともかく、<私>は男に焼酎を一杯奢り、身上話をじっくり聞くことになるのです。そして、自身も混乱に陥り始める。

いくつもの辛い話が出てきますが、作者の目線は細やかに<弱い側>に寄り添っているように感じられます。身上話の内容そのものは決して特異ではなく、深読みすれば「ある種の類型」を代弁する人物として<私>に話して聞かせる存在なのかも、ともとれる。ですが、語られているディテールはやけに生々しくて、しかもねちっこいくらい微に入り細に入りで、なんか、若い頃に少し真剣に読んだことがある、ブルース・スプリングスティーンの歌詞の登場人物みたいな印象も受けました。なんか、テレビや週刊誌がバッサリ世間を切っている風に使っている言葉から漏れちゃうものを拾って、注意深く繋げているような。

店主に「もっと召し上がりものはいかがですか」と食べものを勧められ、<私>は墨で書かれた「おしながき」を手にします。そこには<へたくそなキャッチコピー>のような不思議な言葉、そして...この先のジェットコースター的展開は、ぜひ小誌を手にとってお確かめください! きっと、古川さんが敢えてほっこりしたタイトルを冠した真意も伝わって、あなたの肝も...あっ、これ以上はネタバレ。



「人間、住む場所を失ったら、落ちるのはあっという間ですよ。本当にストーンと社会から切り離される。誰も助けちゃくれません。井戸の底みたいなもんだ。よじ登ろうにも壁はつるつる、梯子も見あたらない。池袋の路上では二年暮らしました。それから色々あってコトブキの方に流れて……」
「ほう」と上の空で相槌をうちながら考える。私はこれまでどうやって暮らしていたのだろうか。家族はいたのか。どんな仕事をしていたのか。いや、何よりも、なぜ私は今ここにいるのだろう。どこから来てどこへ行く途中だったのか。
 男は淡々と語り続けている。
「路上には怒りや悲しみなんていう高級な感情はありません。暑さ、寒さ、ひもじさ、あとは恐怖」
「恐怖?」一瞬、何かイメージの断片のようなものが頭をかすめた。

ウィッチンケア第9号「なつかしい店」(P120〜P126)より引用
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古川美穂さん小誌バックナンバー掲載作品
夢見る菊蔵の昼と夜」(第7号)/「とつくにの母」(第8号)

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2018/05/18

vol.9寄稿者&作品紹介18 美馬亜貴子さん

自分は元ドルオタ、とブログで表明する美馬亜貴子さんの「パッション・マニアックス」は、昨今の「ドルとオタの関係性」についての作品。美馬さんのブログから引用しますと、いまはむかしと違って<ファンがアイドルを「選び育てる」、アイドルがファンに「選んでもらう」という意識が顕著になってる>のだそうで、mmm、それは選挙とか握手会とかやるあのグループあたりからの風潮でしょうか。あっ、そういや昨年寄稿者の某男性と話をしていて、私が「○○とかよく聞いてられますね、私にはそもそも音楽だと思えない」と言ったら「いやいや、ベランダの観葉植物と同じなんですよ。愛でて育てる」みたいなことを仰ってたので...美馬さんの考察と符合する。

主人公の美佐枝の<稼業は地下アイドル>。本名をもじり、「ミサンガ」という呼称で活動しています。あるきっかけで、ファンの一人である秋山さんと直接連絡をとる関係になったミサンガさん。自分的には「私のストーカー」だと認識していた秋山さんの、連絡を取り合って以降の言動がよく理解できなくて悩んでいるのです。物語内では、この2人の意識のズレの綾が細やかに描かれていまして、さらに<美佐枝の母>や<友人のユミ>が第三者的な見解を示すことで、ミサンガさんの動揺は激しくなり、ついに...。《衝撃の結末》はぜひ、小誌を手にとってお確かめください!

お原稿を最初にいただいて、けっこう秋山さんの言い分に納得できた自分に困りました(苦笑)。いや、私のアイドル観は守旧も守旧(「笑顔ひとつで瞬殺してくれ」「トイレにいかないと信じさせてくれ」)なので、今世紀に入ってからはずっと《該当者なし》なんですが、いや、いや、そんなだから、秋山さんがミサンガさんではなく美佐枝にある一線を引こうとするアティチュードに「ちょっとわかる」って気分だったのかも? いや、だが、作者は秋山さんのミサンガさんへのつれない対応すら、<ファンがアイドルを「選び育てる」>ための一方法として描いているのかもしれず...とにかく、ミサンガさんには狼狽えず精進してほしいと思いました!

冒頭で美馬さんが<自分は元ドルオタ>と書きましたが、掲載までのやりとりで「初代の東京パフォーマンスドールにハマってエラいことになりました」と伺い、女性が女性グループにハマる...エラいことって...もしかして美馬さん、TPDに自分も入ろうとしてオーディション受けたとか!? と早とちりしてしまいました(恥!)。よく聞けば、メンバーの川村知砂さんに深く思い入れてファンレターを書いたとか。「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号)のブラジリアンワックス以来、美馬さんには毎年認識をあらためさせていただいているようで、申し訳ないっす。あっ、そういえば、今号では小川たまかさんの作品にもローラに共感する一節があって印象的でした。私の場合だと、芸能人にそういう感情は湧いたことなかったな。むしろもっとデフォルメされた、アニメキャラ(矢吹丈とか流川楓とか)には、似たような思い入れをしたかも。



「ハッキリ言いますね。私、今回のことで〝ご縁〟っていうか、そういうのを感じているというか……」
「自分もそれは感じてます。とても」
「だから、本当のお友達になって欲しいんですね」
「……ミサンガと? 友達に?」
「はい。だからまずはミサンガじゃなくて〝みさえ〟って呼んでくれると嬉しいんですけど」
 そこで再び途絶えた会話から、秋山が困惑していることが伝わってくる。
「……自分にとってミサンガはやっぱりミサンガでしかなく……〝みさえ〟だと、あ、呼び捨てにしてすみません……また別の話になっちゃうんですよね」
「別の話?」
「そういう繋がりを持ちたいわけじゃないんで。この間のことも、結果論ですけど、自分的にはちょっと近くなり過ぎちゃったかなと思ってて……アイドルがアイドルでなくなっちゃうのはむしろ嫌というか……自分はプロのドルオタでいたいので」

ウィッチンケア第9号「パッション・マニアックス」(P114〜P119)より引用
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美馬亜貴子さん小誌バックナンバー掲載作品
ワカコさんの窓」(第5号)/「二十一世紀鋼鉄の女」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「MとNの間」(第7号)/ダーティー・ハリー・シンドローム」(第8号)

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2018/05/17

vol.9寄稿者&作品紹介17 吉田亮人さん

昨年8月、吉田亮人さんの個展「 The Absence of Two」(東京都墨田区にて)に伺いました。会場に展示されていたのは、吉田さんが小誌今号への寄稿作内で<宮崎県に住む88歳の僕の祖母と23歳の看護大学生だった従兄弟の生活を綴った「Falling Leaves」>と語っている作品。ネット上のメディアでも、ずいぶん紹介記事を拝見しました。ここで軽々に内容をまとめたりはしませんが、2人を撮影し続け、予期せぬ展開があり、その後吉田さんが写真集をつくるまでの経緯や心の葛藤が、飾らない筆致で記されています。ぜひぜひ、小誌を手にとって読んでいただきたいです。

タイトルにある「荒木さん」とは、吉田さんが大きな影響を受けた写真家・荒木経惟氏のこと。大学生の頃、京都の新風館にあった書店で『センチメンタルな旅 冬の旅』と出会った吉田さんは<書棚の前でむせび泣いた>、と。その後には<僕は荒木さんから間接的に写真を学び、勝手にその方法論を参考にしながら自分なりの写真を構築していった>との一文もあります。...じつはこの一篇を掲載した小誌第9号が発行された4/1、今世紀になって長く荒木氏のモデルを務めたKaoRi.さんがネットに文章をアップしました。私が詳細を知ったのは、ニュースなどを経由しての数日後。正直、多少複雑な気分になりまして、吉田さんの作品を紹介する際にはなに書こうか、などと1ヶ月ちょっとムズムズ(この一件をスルーするのはよくない、とは思いました)...でっ、自分自身のことを書きます!

私は1996年に荒木氏と大塚寧々さんの対談を雑誌で構成(文も)したことがあります。OKはもらったが当日どうなるのか...たしか出版社の誰かがタクシーで迎えにいって、氏は無事に対談場所へ到着したはず。1時間ほどでしたが、奔放で楽しくてエッチで、まさに当時巷間言われていた「天才アラーキー」という印象でした。いま思い返せばふなっしーとかくまモンとか「こりん星のゆうこりん」とかみたいなみごとに「天才アラーキー」な人物だったな、と(そして私はそのイメージを拡散する記事を書きました)。もうひとつ個人的な体験。Björkの「telegram」というアルバム(のジャケット)を最初に店頭で見かけたとき、これってもしやと思って買ったらやっぱり写真家・荒木経惟氏の手がけたものだった、という。「天才アラーキー」としての振る舞いも、写真家としての作品も、どちらも揺るぎないんだなぁ、と。

吉田さんの寄稿作は(人物や作品への毀誉褒貶等も含めて)荒木経惟さんと長く対峙して、自分が導き出した《答え》を文字にしたものと受け止めています。世の中は変化するし、世の中の物差しはいくつも存在する。...それでもある時期の荒木氏は、カメラを持つと個人として代えのきかない《強さ》を作品に埋め込める人物で、吉田さんが氏に惹かれたのは、その《強さ》の秘密を知りたいからではないかと思っています。



 どちらにしろ、当時の僕は迷いの中にいたと言っていい。迷いながらもやはりどこか一条の光を求めて、写真集だけでなく、荒木さんがあの作品を作り上げた当時の映像や、著書なども読み漁った。
 その中で荒木さんはこう言っている。

「これは俺自身のためのものなの。なんといっても第一の読者は自分なんだから」

 当時、作品を発表したばかりの荒木さんはきつい批判を受けたようだった。「不謹慎」「あなたの妻の死なんて他人には関係ない」「不遜な写真」。しかし、荒木さんは「自分自身のため」とそれらの言葉を一蹴し、妻・陽子さんへの愛を写真作品へと昇華したのだった。とは言うものの、

「俺の写真家としての第一ラウンドはこれで終了したよね」

 との言葉が物語っているように、きっと相当な痛みと悲しみを伴ったに違いない。だからこそ観るものに強く訴えかける何かが内包されたのだろう。最愛の人を写真によって見つめ続けた写真家の、最上の愛の形がこれしかなかったのだろうと思う。

ウィッチンケア第9号「荒木さんのこと」(P108〜P113)より引用
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吉田亮人さん小誌バックナンバー掲載作品
始まりの旅」(第5号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「写真で食っていくということ」(第6号)/「写真家の存在」(第7号)/「写真集を作ること」(第8号)

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2018/05/16

vol.9寄稿者&作品紹介16 武田徹さん

私が吉本隆明を初めて読んだのは、1984年に福武書店から出た『マス・イメージ論』だった記憶が。勤め人1年目でしたが、これは地元の駅前書店に平積みされていて、パラパラめくるとおもしろそうだったので、むずかしいんだろうがこれくらい読んでやるぜ、と気合いを入れて購入したのでした。そして、同書で絶賛されていた高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を知り、今度はそれを手に入れて、同作での奔放な言葉の使い方に「これは高校生のときに太宰治の『晩年』を読んで以来のびっくり!」となって、その数年後には「ばなな」なんてヘンな名前の新人作家の『キッチン』を読んで(←電車で読んでやめられなくなり駅で降りベンチで読み切った)、これがあの人の娘の作品なんだ、と感動したり。...と、私の貧しい読書体験を告ったのは、武田徹さんの小誌今号寄稿作にも、ご自身の吉本体験について書かれていたからでした。

<吉本隆明の作品と出会ったのは、案外と遅くて、大学院の初年次><大学院の比較文化論の授業で『共同幻想論』を読んだ>と武田さんは記しています。おそらく私が『マス・イメージ論』を読んだのと、数年しか違わないかな。<案外と遅くて>という感覚、わかるのです(学生運動は終息、でも新人類より少し年長の「三無主義」「シラケ世代」〜次の天皇陛下と同世代の人間には、ちょっと前の思想家に感じられて距離があった、かも)。ともあれ、武田さんは『共同幻想論』を読み、前世代の影響を強く受けて<滞留>(!!)していた院生とは異なること...吉本が<「幻想」の語を選ぶ姿勢>が気になっていた、と。

その後、武田さんが<次に本気で吉本と向かいあったのは>自著『偽満州国論』(1995年)の執筆中に<共同性の在り方>を考えるために...月日が流れ、今年はたしか「月刊Journalism」3月号に、原子力政策がらみで吉本関連の評論を執筆していたはず。そして小誌には、極めて個人的な吉本考察の一篇をご寄稿くださいました。詩人から出発した吉本が「共同幻想」という言葉に込めた意味を、いまの武田さんの目線で読み解き直そう、という。詳しくはぜひ小誌を手にとってお確かめください。

短くもなく武田さんが書くものの読者ですが、小誌にこれまでご寄稿いただいているような「ジャーナリスト」「社会学者」の枠からやや踏み出した風合いの作品も大好きです。1冊にまとまったら、文芸書のエッセイコーナーにでも置かれそうな...。teacup時代の「オンライン日記」には、本や音楽、当時の町の風景を記した作品がたくさんあって、自分の思い出にも重なっています(いまでも読めるので、ぜひアクセスしてみてください!)。



『共同幻想論』も、吉本の評論の「グラウンド・ゼロ」である「固有時との対話」に遡って読み解かれるべきだったのだろう。吉本が幻想の語を使うのは国家である共同幻想だけではない。人間関係には「対幻想」、個人に対しても「個なる幻想」という概念が当てられる。それは相対性理論の数式で表現される、ゆらぐ世界の成り立ちそのものを、それぞれに固定的で共同的な言語や観念によって表現したものだからであり、それらは所詮紛い物であり、幻想でしかない。
 幻想という言葉の負の語感ゆえに『共同幻想論』が、国家をdis りたがる心性と響き合ったという解釈は間違っていないと思うが、吉本自身にとっては、それぞれの固有時によって分断された孤独の淵に沈んで口にする全ての言葉、脳裏に思い浮かべる全ての観念が幻想なのだし、その孤独の深さに比べれば、日常的な語感など取るに足らない些細なものだったのではないか。

ウィッチンケア第9号<『共同幻想論』がdisったもの>(P102〜P107)より引用
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武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品
終わりから始まりまで。」(第2号)/「お茶ノ水と前衛」(第3号)/「木蓮の花」(第4号)/「カメラ人類の誕生」(第5号)/<『末期の眼』から生まれる言葉>(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/<「寄る辺なさ」の確認>(第7号)「宇多田ヒカルと日本語リズム」(第8号)

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2018/05/15

vol.9寄稿者&作品紹介15 荻原魚雷さん

荻原魚雷さんの小誌今号寄稿作には、クレジットカードの審査で落ちた逸話が出てきます。私も20代半ばからフリーランスでして、落とされたことあり。学生時代から口座のあった三井銀行で、ある日おっさんに呼び止められ「キャンペーン中なのでぜひ」と頼まれて書類に記入して、数週間後「審査の結果基準に適さないので」みたいな通知がきて、銀行にいっておっさんを見つけて「落ちたんですけど」と言ったらつれない口調で「規定ですから」みたいなこと言われ、「いや私はあなたに頼まれたんで」と言い返したら露骨にめんどくさそうな顔でまた「規定なので」みたいな。...こおゆぅ体験はその後の処世法に影響を与えますよ。選挙シーズンに道端で越智通雄さんからも隆雄さんからも笑顔で握手を求められことがあったけれど、「どうせオレのことなど知らないし、誰でもいいんでしょ」と心が冷えて避けたなぁ。

住処のこと...<夜中に仕事をしていて行き詰まると、たまに不動産屋のホームページを見る>という一文に実感がこもっているように思えました。荻原さんの今作での主題は、賃貸住宅での生活をマイホーム(終の住処)での生活に替えるとして、自分にはどんな選択肢があるのか? についての考察。それを考えるトリガーとなったらしい、ある不動産広告のキャッチコピー(「何ひとつ諦めたくない」〜冒頭と末尾に2度登場)をググりました。出た! 地下鉄で大手町へ9分の新築物件。3LDKの賃貸が25万、買うと8000万くらいの。...あっ、荻原さんは「ここに住みたい」と思ったのではなく、このコピー(と、たぶん付随したスペックも)が喚起するなにかに平常心を侵食され、<何ともいえない気分になった>、と。

故郷で一人暮らしをするお母様が病に倒れたこと(現在は回復なさったそう)。お母様名義のマンションのこと。ネット検索で浮かび上がる、伊豆や熱海や桐生や足利や甲府の、100万円台で売り出されているワンルームマンション...。中央線沿線での生活が長くなった荻原さんにとっての、納得のいく<終の住処>とは、どこのどんな家なのか? 巡る思いのプロセスを、ぜひ小誌を手にとって追体験してみてください。

本作について、荻原さんがご自身のブログで紹介してくださっています。そのなかで<エッセイと私小説はどうちがうのかということを考えていたのだが、わからずじまい。自己申告で決めるものなのかもしれない><いつもとちがう文体に挑戦してうまくいかず、いつもどおりの書き方に戻した>と記していますが、私が最初にお原稿を読んだ印象、じつは「小説なのかな?」だったのでした。たとえば、お母様にまつわることと、「エアコンのリモコン」「ファミコンのソフト」の配置バランス(重さの比重?)が、<わたし>の主観を優先した、創作作品のように感じられた...というか。



 買うかどうかはさておき、マイホームはまったく手の届かない夢ではない。
 生まれ育ちは長屋だったが、わたしが上京した年に、突然、母が分譲マンションの一室を買った。わたしも父も寝耳に水だった。というのも、当時、父は単身赴任中で埼玉の工場に勤めていた。
 一九八九年──バブルの最盛期だったから、首都圏に家を買うことはできなかっただろうが「なんで家族三人のうち、二人がいないときに家、買っちゃうかなあ」とおもった。母がマンションを買ってしばらくして、父は鈴鹿の工場に戻り、新しい家で両親が暮らすようになった。二十代のころのわたしは、その家にほとんど帰らなかった(大学を中退し、フリーライターになったことで、親との関係がこじれていた)。
 二年前、父が七十四歳で亡くなり、マンションの名義を母に変更した。今のところ、資産価値はゼロではないらしいが、「負動産」まっしぐらの物件である。
 母は「面倒やから、あんたの名義にしとくか」といったが、断った。正直、酒と煙草が大好きだった父とちがって、母は長生きしそうだとおもった。ヘタしたら自分よりも。

ウィッチンケア第9号「終の住処の話」(P096〜P100)より引用
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荻原魚雷さん小誌バックナンバー掲載作品
わたしがアナキストだったころ」(第8号)

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2018/05/14

vol.9寄稿者&作品紹介14 柳瀬博一さん

小誌今号が発行された4月1日、柳瀬博一さんは長年勤務した日経BP社から東京工業大学教授へと、キャリアチェンジ。私は事前に伺っていませんでしたので、2月〜3月上旬にかけて「お原稿よろしくお願いします!」「校正が出たので確認お願いします!」などと事務的なメールを何度も何度も(恐縮至極!)。人生の一大転機でさぞかしお忙しかったはずなのに、きちんと対応してくださって...ほんとうにありがとうございました。そして、大学の公式サイトを拝見すると、今後はおもに「メディア論」での教鞭をとられるようで、いやぁ、学生さんが羨ましい(私も聴講しにいきたいです)。

柳瀬さんは今年の1月14日よりnoteにて、「メディアの話」というタイトルでコラムを開始していました。現時点でそろそろ80回に到達しようという連載(作中では<2月末時点で、40本以上>との記載あり)。...いま思えば、新しいキャリアに向けてのウォーミングアップも兼ねていたのかな。小誌今号への寄稿作は、その記念すべき第1回目のヴァージョン・アップ版、コラム連載に至る背景も率直に語ってくださった貴重な一篇です。きっと、いずれさらに拡大ver.として本にまとまるはず、と確信しますが、区切りの日である2018年4月1日付けで、そのプロトタイプを誌面化できたこと、発行人として嬉しく存じます。

まず、30年ぶりにマーシャル・マクルーハンの『メディア論』を読んだことがきっかけで<今日から、「メディア」について、いろいろなことをメモ代わりに書いてい>くことにした、と語られています。そして、同書を知ったのは高校姓の頃で、竹村健一さんがテレビか雑誌で話していたので興味を持った、と。竹村さん! 私もテレビで毎日のように見かけた時代のこと、よく覚えています。日本テレビの朝の番組で時事解説みたいなことを月〜金でやってて、女性アシスタントがけっこうやり込められて、何人か替わったような記憶が。一番あしらいが上手だったのが、いまの都知事・小池百合子さんだったんじゃないかな。

そしてもう一人、柳瀬さんをマクルーハンの本に導いた重要な人物として、南伸坊さんの名前が挙がっています。南さんとの逸話には竹村健一さんも登場するというメタ構造なのが、柳瀬さんらしい一筋縄ではない語り口で...みなさま、小誌を手にしてぜひその後の展開をお楽しみください(もちろんnoteでも読めるんですけれど、第1回目は、ぜひぜひ小誌で)! そして、note連載は第2回以降もじつに示唆に富んだ内容でして、私は<その2>でのユーミンの「やさしさに包まれたなら」の歌詞解釈(とくに<あなたの目の前のすべてはあなたの味方なのだ>という箇所)で、脳がぶっとびそうなくらい納得してしまいました。



 もちろん、マクルーハンの本を直接読んだわけではない。たしか、評論家の竹村健一さんが、テレビか雑誌でマクルーハンの話をしていたのを、ちらっと見た。マクルーハンというヘンテコな名前だけが、脳みそにひっかかった。
 当時、竹村健一さんは、91分けの実に実に個性的な髪型で、テレビをはじめとするマスメディアに朝から晩まで登場していた。たいがいの対談相手の話は「だいたいやねえ」と持論に引き込んで、まったく聞いていない。そしてパイプを片手にやおら手帳を1冊取り出し、「私なんかこれだけですよ、これだけ」とまくしたてるのだ。
 あれだけテレビに出ていろんな偉い人と渡り合って、でも、手帳1つで情報管理をしている。なんたるかっこよさだ!
 ……とは、ちっとも思わず、高校生だった私たちは、生徒手帳を学ランの内ポケットから出して「私なんかこれだけですよ、これだけ!」と真似をするのであった。男子高校生はいつの時代もバカである。
 竹村さんの「これだけですよ、これだけ」は、たしかコマーシャルになっていた。YouTube で検索したら、出てきた。MSシュレッダーである。

ウィッチンケア第9号「南伸坊さんと、竹村健一さんと、マクルーハンと。」(P090〜P095)より引用
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柳瀬博一さん小誌バックナンバー掲載作品
16号線は日本人である。序論 」(第5号)/<ぼくの「がっこう」小網代の谷>(第6号)/「国道16号線は漫画である。『SEX』と『ヨコハマ買い出し紀行』と米軍と縄文と」(第7号)/「国道16号線をつくったのは、太田道灌である。」(第8号)

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2018/05/13

vol.9寄稿者&作品紹介13 武田砂鉄さん

先月(2018年4月24日)、新刊の「日本の気配」を上梓した武田砂鉄さん。初の単著「紋切型社会──言葉で固まる現代を解きほぐす」が2015年の4月25日で、その後2016年8月15日に「芸能人寛容論:テレビの中のわだかまり」、「コンプレックス文化論」が2017年7月14日と、ほぼ年1冊ペース(しかもサイクルが短くなりつつ)で本を出しています。「日本の気配」...上島竜兵的スタンスにしなやかさ、坂上忍的スタンスに硬直性を見出した書き下ろし作<「笑われる」気配>での言説が、全編を貫いているように感じられました。<あとがき>にある「個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる」という警句をときおり自身にも向けつつ、武田さんは世の中と対峙し続けています。

そんな武田さんの今号寄稿作は、前々号、前号に続き「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」。漆原さんって誰? なんて訝しがらず、ぜひフラットな心持ちで読み始めてほしい一篇なのですが...しかし生真面目な人だと、途中で迷宮に陥って脳味噌が複雑骨折したように、立ち止まったりしちゃうのかも!? いやいや、頑張ってコンプリートしてみてください。最後の数行まで辿り着けば、それまでの濃霧が清涼な空気のように心地好く感じられ、妙なおかしさが込み上げてくるはずですので。

今作は武田さんが日頃他媒体で書いていらっしゃるものに比べると、かなり変化球的(魔球的)な展開ではあります。しかし球道をじっくり見てみると、前述の「日本の気配」にもあった、自問自答のスタンスが共通しているように思われなくもなく。たとえば漆原さんは<自分の考えよりも、相手に何を言えば反応してくれるのかを探る姿勢は大切>としながら、でも<私はそこで、個人も企業も、こちらから何かを届けるという基本的な態度を忘れてはいないだろうかと、当たり前のことを思った>と自省していたりしていて。なにを言ってるのかちっともわからない漆原さんなんだけれど、なにかを言うときの脳内経路に、創作者の片鱗が宿っている(スイマセン、ちょっとこじつけっぽいです...)!?

自らの決断で創刊した「クリーク・ジャーナル」というオウンド・メディアが伸び悩み、やや弱気な一面を垣間見せる漆原さん。インタビューの後半で飛び出した<シンパシーをシンパシーしていてはシンパシーできない>という一節に、私はやられました。これはいったいどういう意味なのか? ぜひとも小誌を入手して、この含蓄のある言葉を噛みしめていただきたいと願っています!



──「シンパシーレス」なんてフレーズもしょっちゅう聞くようになった。
 まったく勝手な連中だなとは思うけれど、説得力がないわけではない。シンパシーの連鎖が何を生んだかと言えば、シンパシーを得られなかった人や状態に対する苦手意識の増幅だからね。人は皆、なぜ自分のことをわかってくれないのか、という悩みを抱えている。これは人間の根源的な病だと言ってもいい。解消などできないものですよ。私はビジネスをする上で、その根をいじくりまわしてはいけない、と考えてきた。先代からの教えでもある。先代は口数の少ない人だったけれど、時折、「良彦、人間を舐めるなよ」と言っていた。人間を理解した気になるな、理解したと安堵したところから崩れていく、と口を酸っぱくして言われたものです。「共にあること」とは、決して「理解すること」ではない。私は、そのさじ加減を誤っていたのかもしれない。

ウィッチンケア第9号「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(P084〜P089)より引用
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武田砂鉄さん小誌バックナンバー掲載作品
キレなかったけど、キレたかもしれなかった」(第6号)/「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(第7号)/「クリーク・ホールディングス 漆原良彦CEOインタビュー」(第8号)

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2018/05/12

vol.9寄稿者&作品紹介12 多田洋一(発行人)

今年もまた多田洋一さんの寄稿作を多田洋一が紹介するという展開になりまして、さすがに最近は「えっ!? 多田さんも書いてるんですか!」みたいなことは言われなくなってきましたが(小誌創刊の動機の半分以上は「自分が書きたい」だったんですよ、いまさらですが)、あっ、この件に関しては第7号の紹介文の最後のほうにねっちり書いたんですが、今回も繰り返します。ある寄稿者が自撮り写真の連載コラムについて何度「自撮りです」と言っても「おもしろいですねー、誰があの写真撮ってるんですか?」と訊かれると仰ってまして、その気持ち、痛いほどよくわかります。

今作「銀の鍵、エンジンの音」を書き終えてから校了までのあいだに、マクドナルドにいってみました。たぶん6年ぶりくらい。私はわりと朝にしっかり白米を食べる生活をしていて、そうするとお昼が一人のときは、麺類かなんかでささっと。そうなると、夜マックっていうのもどうなの!? 若い頃は2時間に1度くらいなんか食べてましたが、いまは「1日2食でも大丈夫かも」な感じでして、そのわりには体重が微増していく(なんとかならんか)。そんなわけで気がついたらずいぶん疎遠になってしまった、と。ただ、中学生の頃に初めてマックシェイクを飲んで「世の中にこんなおいしいものがあったのか!」と感動した記憶は強固なので、それで今回も注文したんですが、早々とフィレオフィッシュとチーズバーガーがなくなり、残った冷えて柔らかいポテト&薄ぬるいシェイクをコンプリートってのは、キツかった。

作中に<最近8ビートのロックは全部プレイリストから外しちゃってもいいかな、と思っている>という一文があります。実生活での私は、いまでも80GBのiPod classicを持ち歩いていまして、まあいまのご時世だといろいろ難はあるんだけれども、でもなにからなにまでアイフォーン頼りというのもどうかな、とい気持ちが抜けきれず、音楽再生専用として使い続けています。あっ、でも遠くない将来、貯め込んできた音源をクラウドに、あるいはサブスクリプションへの移行とかも考えなければいけないだろうな、と。レコード→CD→MP3に続く、大きな引っ越し?

SNSのDMで<「やっぱりこっちではエネオスって、ネにアクセント置くんですかね」とドライバーに話しかけたらあっさり無視されて>という箇所に反応してくれた方がいて、作者としては嬉しかったです。<僕>の頭のなかにある枚方近辺に住む人は「えネぉす」みたいなアクセントで喋っている、ということなんですが、もし小誌を手にとって「それは違う」と思ったら、ぜひ正解を教えてください〜。あと、ジャミラ・ウッズはとても素晴らしいので、ぜひ聴いてみてくださいね!



 マクドナルドは、自分の意思で最後に入ったのは……心ならずも「オレに惚れてますか?」みたいな女の笑顔と指ハートに惹かれて、ふらふら。えびフィレオってやつをいろいろ、何度か。えびの数だけ幸せにって惹句に惑わされ、ごまもきのこも食べてみたが、とくに生活が華やいだような実感は得られなかった。あっ、でも、あのころ住んでいた町の駅前店で、あの笑顔のポスターを見ると、浮き世の憂さを少しのあいだ忘れられたかもしれない。
 横浜を過ぎると船のホテルが突発したりして、それはなんだか葛西〜浦安あたりの風景にも似ているようで、あの遊園地にはジョージ・ルーカスがきたときに仕事の立ち会いでいかされた記憶が残っている。連れ込みが周囲から消えると視界も開いて、丹沢が富士の稜線にせり上がっていく。

ウィッチンケア第9号「銀の鍵、エンジンの音」(P072〜P078)より引用
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多田洋一(発行人)小誌バックナンバー掲載作品
チャイムは誰が」(第1号)/「まぶちさん」(第2号)/「きれいごとで語るのは」(第3号)/「危険な水面」(第4号)/「萌とピリオド」(第5号)/「幻アルバム」(第6号&《note版ウィッチンケア文庫)/「午後四時の過ごしかた」(第7号)/「いくつかの嫌なこと」(第8号)

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2018/05/11

vol.9寄稿者&作品紹介11 矢野利裕さん

小誌第9号が正式発売となった4月1日、矢野利裕さんがスーパーモリノさん、ハシノイチロウさんと開催した「LL教室の試験に出ない90年代J-POP[1991年編]」にいってきました。場所は荻窪ベルベットサンで、当日のゲストは星野概念さん。矢野さんの今号寄稿作の冒頭に<ポピュラー音楽の歴史みたいなものに関心がある>との一文がありますが、このイベントは、その実践編と言えるのかな。個々の嗜好はともかく、各年代に流行ったポピュラー音楽をきちんと検証しようという試みは、とても有意義だと思いました。個人的には、この日初めてASKAの歌をちゃんと聞いた(もう一生分/おなかいっぱい)。前世紀、知人の結婚式の二次会で歌詞カードが回ってきて「SAY YES」歌わされて以来のASKA体験...。あっ、次回「「LL教室の〜」は7/1開催予定とのことです。

ご自身が教員でもある矢野さんは今回、<学校空間に流れる音楽について>の一篇をご寄稿くださいました。ぱっと思いつくのは、たとえば合唱コンクールの歌やスポーツでの応援曲。私が高校性のとき(1970年代半ば)はたしか赤い鳥の「翼をください」とチューリップの「青春の影」だったような記憶が...どんな経緯で決まったのかも覚えていませんが、その2曲は当時の自分(たち)にとって「比較的新しめ」で「それほど押しつけられた感はない」選曲だったと思います。あの頃の夏の甲子園、バンビ坂本が活躍したときのブラバン、どんな曲を演奏してたんだっけかな? まったく記憶から抜け落ちてる。。。

読んでいると、現在の学校内でどんな曲が生態系をつくっているのかがわかりおもしろいです。<現在はJポップの曲はすぐに合唱用のスコアになって、生徒たちは自分たちが歌いたい曲をネットなどから探してくるらしい>...そんな時代なんだ(『平凡』『明星』付録の歌本の進化形?)! そして、矢野さんが挙げている曲のバラエティ豊かなこと。坂本九から星野源までが、独自のセレクト基準で継がれている(く)空間なのだ、と。

作品の後半は、タイトルにもなっているアンジェラ・アキの「手紙〜拝啓十五の君へ〜」がいかに素晴らしいかの、渾身の分析(矢野さんの本気度が熱いです!)。ぜひ小誌を手にして、じっくり読んでみてください。<音楽というのはなにも単体で存在しているわけではなく、どこで‒ 誰と‒ どのように‒ 歌われるか、という場や状況と結びついている>という一節の意味が、筆者の実感とともに伝わってきます。



いわゆる音楽史にのぼらずとも、例えば応援歌として、口から口へ伝わっていくような音楽のありかたがある。これこそ、柳田國男が言っていたような意味で「民謡」的ではないか。このような、「民衆」の生活のなかで独特のかたちで音楽が残っていくような光景が好きだ。世の中には、ステレオやヘッドフォン以外から流れてくる音楽というものがあって、学校空間に流れる音楽もそういうものとしてある。もちろん、ニュースタンダードも生まれつつある。放課後、吹奏楽部が、星野源の「恋」や「SUN」などを練習していたりすると、星野源ファンとしてはとても嬉しくなる。遠い未来、「星野源って誰?」ってなった以後も、「恋」は演奏されているだろうか。

ウィッチンケア第9号「学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち」(P060〜P065)より引用
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矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品
詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)」(第7号)/「先生するからだ論」(第8号)

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2018/05/10

vol.9寄稿者&作品紹介10 かとうちあきさん

なんと、かとうちあきさんの恋愛修羅場小説、号を重ねるごとに状況がエスカレートしまして、ついに生き死にのやりとりまで! 前号掲載作「間男ですから」は<わたし>を巡っての田中さんと中田さんの揉めごとでしたが、今作では<わたし>が交際相手から詰められている。でも、<わたし>はどこか他人事のように、自分の災難を見つめているようで...刃傷沙汰になりかけてるっていうのに、この冷静(徹)さはなんなのでしょう? この揺るぎなさ。完全に「城立て篭もり型」の強さ、と感じました。

作中では男女の「付き合う」が問題にされています。<田口さんとは1年ばかり付き合った。というか半年くらい付き合って、あとは別れ話をしつづけ、ずるずると過ごした>のだそう。それで、田口さんは<わたし>の「浮気」について死にたくなるほど傷ついたらしいのですが、そんなことを言われても<わたし>はもう田口さんとこれ以上付き合う気はなくなっていて、<目の前で死んでゆくなら、見ていることしかできない、と思う>んだそうで...ああ、もう破綻してるなぁ。

あらためて私も考えてみましたが、恋愛での「付き合う」って曖昧な口約束だよなぁ、と。互いの心は常に変動していて、でも双方が相手のことも忖度しながらある閾値をはみ出さないようにしていて、みたいなのが「付き合ってる」? 同様に、「別れる」も曖昧な口約束っぽいのかも。双方が閾値をはみ出してしまえば「別れた」なんだろうけど、片方だけだと破綻はしてるけれど「終わってない」、みたいな。<わたし>は<恋愛はひとりとするのが基本とされているようだし、ほかの人とセックスすることは「浮気」と言われているし>という意識も持っているようですが、なにしろ明文化されてないところが恋愛の醍醐味だったりするのかもしれず...って、書いてて自分がなにを言いたいのかわからなくなってきた。

作中では「人として好きって思う」と「惹かれる」の違いについても<わたし>は思いを巡らせています。そんな差異も考えている相手に、「付き合ってるなら、ふつうは男友だちと遊ばないでしょう」とか言っちゃう田口さんは、まあ、端から拝読していても分が悪いなぁ。...さて、この修羅場恋愛の落としどころは? ぜひ小誌を手にとってお確かめください!



 とりあえず、付き合いたてのころの一件が、問題だったんだろうと思う。それまで付き合っていた人と、会ってまたセックスしちゃったのだ。それもこれも佐野洋子さんいうところの「のりしろ」ってことではすまないのかなあ。そもそも田口さんとも、しばらく前の人と付き合っていたけどセックスしていた期間があったわけで、田口さんが、田口さんとのときはよくって、前の人とはだめって言うだなんて、おかしいじゃないか。なんて思うんだけど、それには「付き合った」ってことが大きく作用するらしい。田口さんは「付き合った」からじぶんは怒ってしかるべし、と思っているようなのだった。大いなる契約違反で、裏切られたじぶんは、もはやなにを信じていいかわからなくなった、そうひどく嘆くのである。

ウィッチンケア第9号「ばかなんじゃないか」(P060〜P065)より引用
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かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品
台所まわりのこと」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「コンロ」(第4号)/「カエル爆弾」(第5号)/<のようなものの実践所「お店のようなもの」>(第6号)/「似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは」(第7号)/「間男ですから」(第8号)

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2018/05/09

vol.9寄稿者&作品紹介09 西田亮介さん

社会学者・西田亮介さんのお話を最初に伺ったのは、一昨年1月のB&Bでのイベント。ご著書「メディアと自民党」を読んでいろいろ感じ入るところがあり、参加してみたのでした。その後、世間では同年11月に公開された安倍昭恵さんのインタビューが話題になっていたようですが、私は見落としてました(恥!)。年改まり、2017年6月のビデオニュース・ドットコムに西田さん出演。このときの宮台真司さんとの対話が心に残り、ぜひ小誌に寄稿していただけないかな、と思い立ったのでした。

寄稿作「エリートと生活者の利益相反」ではこの国の厳しい現実、とくに「人生100年時代」=少子高齢化社会に対する若い世代の率直な思いが提示されているようで、私は正直、お尻がムズムズしました。<支払った税金の使途が年長世代の社会保障費や医療費に投入されているわけで、現役世代への還元は体感しにくい状況>...たしかに、専業主婦だった私の母親はいま年金暮らし。私は来年いっぱいで年金を納め終わる予定で、その後「人生の先輩を敬え」とも「年寄りに優しくしろ」とも思いませんが(できるだけ自分の身の回りのことは自分でなんとかしたい...)、しかし老人が「生き存えちゃっててゴメンナサイ」みたいな心持ちで余生を送る社会というのは、それはそれでけっこう辛そうだし。

<ジレンマ><ポスト平成の困難>という言葉で西田さんは現状を表現しています。<われわれは「合理的」に振る舞えば振る舞うほど、トップエリートと生活者の利益相反が生じる局面に立っている>とも。この利益相反の具体的な事例については、ぜひ小誌を手にして、あるいは、西田さんが今年1月に上梓した「なぜ政治はわかりにくいのか: 社会と民主主義をとらえなおす」の第1章あたりをご参照いただけますように。

小誌寄稿作でも、いくつかの著書でも、西田さんは「だから日本(政治)はこうすれば大丈夫」みたいなもの言いを控えているように思えます。それは私には真摯なスタンス、だと感じられます。むかし近所にいつもニコニコしている町医者がいて、いくと山ほど薬を出し、さらなる検査を薦めてくれましたが、なんかその笑顔がだんだん恐く見えてきて、疎遠になっちゃったんですよね〜。



 平成の時代も終わりに差し掛かっているが、我々の社会の諸制度は昭和に構築されたものを、ある種の惰性のままだましだまし使い続けているものが大半だ。
 たとえば日本の人口はおよそ1億2000万人程度だが、昭和生まれが9000万人を上回る。当時の平均寿命は現代よりも短かったわけだから、年金にせよ、社会保障にせよ、そもそも想定の前提条件が違うため、「人生100年時代」を想定していないのはある意味では致し方ないことも否定はできない(どこかで舵を切るタイミングはあったと思われるにせよ)。
 とはいえ、ここにジレンマがある。
 よく知られるとおり、我々の国はすでに多額の債務を抱えている。その額は国、地方あわせておよそ1100兆円で、対GDP比198%というから想像することも難しい金額である。

ウィッチンケア第9号「エリートと生活者の利益相反」(P056〜P059)より引用
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Vol.9 Coming! 20180401

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