なんと、かとうちあきさんの恋愛修羅場小説、号を重ねるごとに状況がエスカレートしまして、ついに生き死にのやりとりまで! 前号掲載作「間男ですから」は<わたし>を巡っての田中さんと中田さんの揉めごとでしたが、今作では<わたし>が交際相手から詰められている。でも、<わたし>はどこか他人事のように、自分の災難を見つめているようで...刃傷沙汰になりかけてるっていうのに、この冷静(徹)さはなんなのでしょう? この揺るぎなさ。完全に「城立て篭もり型」の強さ、と感じました。
作中では男女の「付き合う」が問題にされています。<田口さんとは1年ばかり付き合った。というか半年くらい付き合って、あとは別れ話をしつづけ、ずるずると過ごした>のだそう。それで、田口さんは<わたし>の「浮気」について死にたくなるほど傷ついたらしいのですが、そんなことを言われても<わたし>はもう田口さんとこれ以上付き合う気はなくなっていて、<目の前で死んでゆくなら、見ていることしかできない、と思う>んだそうで...ああ、もう破綻してるなぁ。
あらためて私も考えてみましたが、恋愛での「付き合う」って曖昧な口約束だよなぁ、と。互いの心は常に変動していて、でも双方が相手のことも忖度しながらある閾値をはみ出さないようにしていて、みたいなのが「付き合ってる」? 同様に、「別れる」も曖昧な口約束っぽいのかも。双方が閾値をはみ出してしまえば「別れた」なんだろうけど、片方だけだと破綻はしてるけれど「終わってない」、みたいな。<わたし>は<恋愛はひとりとするのが基本とされているようだし、ほかの人とセックスすることは「浮気」と言われているし>という意識も持っているようですが、なにしろ明文化されてないところが恋愛の醍醐味だったりするのかもしれず...って、書いてて自分がなにを言いたいのかわからなくなってきた。
作中では「人として好きって思う」と「惹かれる」の違いについても<わたし>は思いを巡らせています。そんな差異も考えている相手に、「付き合ってるなら、ふつうは男友だちと遊ばないでしょう」とか言っちゃう田口さんは、まあ、端から拝読していても分が悪いなぁ。...さて、この修羅場恋愛の落としどころは? ぜひ小誌を手にとってお確かめください!
とりあえず、付き合いたてのころの一件が、問題だったんだろうと思う。それまで付き合っていた人と、会ってまたセックスしちゃったのだ。それもこれも佐野洋子さんいうところの「のりしろ」ってことではすまないのかなあ。そもそも田口さんとも、しばらく前の人と付き合っていたけどセックスしていた期間があったわけで、田口さんが、田口さんとのときはよくって、前の人とはだめって言うだなんて、おかしいじゃないか。なんて思うんだけど、それには「付き合った」ってことが大きく作用するらしい。田口さんは「付き合った」からじぶんは怒ってしかるべし、と思っているようなのだった。大いなる契約違反で、裏切られたじぶんは、もはやなにを信じていいかわからなくなった、そうひどく嘆くのである。
ウィッチンケア第9号「ばかなんじゃないか」(P060〜P065)より引用
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かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品
「台所まわりのこと」(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/「コンロ」(第4号)/「カエル爆弾」(第5号)/<のようなものの実践所「お店のようなもの」>(第6号)/「似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは」(第7号)/「間男ですから」(第8号)
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Vol.14 Coming! 20240401
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