小誌第2号で自身の詩へのスタンスを考察し、「終わりから始まりまで。」という作品を寄稿してくださった武田徹さん。その後、昨年の仲俣暁生さんとの対談では、ジャーナリストの立場から「言葉をメディアとして飼い慣らし、事実を伝えるために伝えられるか、ということを長く考えていた経緯がある」と語っていたのが印象的でした。
「カメラ人類の誕生」と題された今号への寄稿作でも、武田さんは詩(「詩的」なもの)についての考察を続けています。論じられているのは写真家・中平卓馬と作家・片岡義男の、表現者(というより記録者、かな)としての姿勢の共通点で、両者の作品や作風を子細に分析しながら、写真と「詩的」なものとの関係性を解き明かして...ってわかったような大雑把な文章で紹介していますが、武田さんの考察は、たとえば「写真家・中平卓馬」については彼の言葉にも注目し、「作家・片岡義男」については彼の写真家としての側面にも注目する、という重層的な構成であります。
武田さんの寄稿作を読んで、あらためて自分が「写真という表現」に対して脇が甘いまま生きてきたなぁ、と実感しています。あたりまえのように使っていた「写真」という言葉。その語源をネット検索するとカメラ・オブスキュラ(Camera Obscura)やphotographyの訳語らしい「光画」にいきあたり...こどもの頃から器機の扱いが苦手でカメラを日常的に使うようになったのはスマホからなんです〜、なんて言い訳するわけにもいかないので、たとえば自分がもうちょっと意識的な(との自覚はある)音楽や味覚に対するスタンスを応用して、今後は写真に接していこうと思います。
そして最後に、下記引用は「カメラ人類の誕生」前半の中平に関する部分ですが、後半の片岡に関する<かつて筆者は彼のエッセーの文体が「〜た」で結ばれる語尾を多用していることに注目、それはフランス語の単純過去に近いものなのではないかと指摘したことがある。>という展開も、読み応えがあり...やはり本作を通して読んでいただくことを、発行人としては切に願うのであります!
投書の主は「かつて、あなたの捉えた海辺の光景には、詩が感じられた。ぼくの心の奥をかすめてゆく波頭の感触があった」と書く。しかし今の中平はそうした写真を撮らない。そのことを残念に感じているという投書に対して中平は、まさに「詩」が問題なのだと答える。「たしかに私の写真から投稿者が〈詩〉と呼ぶべきなにものかが喪われていったことを私は認める」。しかし、それを中平は憂うべきことと考えない。写真の本質を突き詰めた時、それは当然到達すべき場所だった。神が死に、王が去った近代社会で、人々は誰に邪魔されることなく世界と向き合えるようになり、世界それ自体を私的所有欲の対象とするようになった。写真芸術もその例外ではない。写真家は世界の一部分を切り出し、それに意味づけをして私有し、作品とする。それが成し遂げられてこそ写真は芸術の域に達すると考えられるようになった。中平のいう「詩」とは、写真家や写真を見る者の側から世界に与えられた意味づけのことに他ならない。
しかし本当の世界は私的に所有できるものではない。写真に「詩」を写し込む、あるいは写真から「詩」を読み取ることは、世界を自らの「詩」の間尺に縮減させ、手っ取り早くそれを所有しようと目論むことだが、実は所有が可能だと考えた時点で世界の真相は失われている。「詩」を感じさせる写真は、実は世界を隠蔽しているのだ。
こうして写真のあり方それ自体に疑問を感じていた中平は、世界をそのまま直示する記録としての写真、図鑑に使われているような対象を明快かつ直接的に示す写真が撮れないかと考えた。しかし成果が出せずに悶々とする。自分の作品にもまた「詩」の余韻があると思いつめた中平は、自ら過去のネガやプリントを焼却してすらいる。
ウィッチンケア第5号「カメラ人類の誕生」(P074〜P080)より引用
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Vol.14 Coming! 20240401
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