2018/05/06

vol.9寄稿者&作品紹介06 円堂都司昭さん

小誌第7号から続いている、円堂都司昭さんの<異形の男が登場する作品>考察。『オペラ座の怪人』『ノートルダムの鐘』ときて、今号では『フランケンシュタイン』が取り上げられています。この名前を聞くと、私は反射的にエドガー・ウィンター・グループの曲を思い浮かべてしまうのですが...それは特殊だろう(と思いつつググると、けっこう上位のヒットだったりしてびっくり)。一般的には「大男総身に知恵が回りかね」とか「独活の大木」的な怪物、というイメージが強いのかな。「フンガー」としか言わなかったのは、藤子不二雄のアニメですよね(ちゃんと見てません...スイマセン)。

今回、円堂さんの一篇を読み、フランケンシュタインに対する認識が改まりました。原典は200年前にイギリスの女性作家メアリー・シェリーが発表した『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(Frankenstein: or The Modern Prometheus)というゴシック小説。そして多くの人がイメージする、あのボルトが首に刺さった傷だらけビジュアルの男=フランケンシュタイン、というのは間違いで、じつは原典では怪物には名前がなく、それをつくった科学者の名前が<ヴィクター・フランケンシュタイン>である、と。しかも、円堂さんの今作から引用しますと<ヴォルネー『諸帝国の滅亡』などに触れた怪物は、人類の歴史、支配や差別について学ぶ。また、失恋と自殺を主題にしたゲーテ『若きウェルテルの悩み』も読み、幸か不幸か自意識を獲得する。孤独な自分にはなぜ伴侶がいないのかと悩み苦しむのだ>...教養人(いや、怪物)ではないですか。フンガー!

誤ったパブリックイメージをさらりと訂正し、円堂さんは冷静に筆を進めます。そして、『オペラ座の怪人』『ノートルダムの鐘』、あるいは『美女と野獣』などと比較しても<『フランケンシュタイン』の醜さには、救いがない>と。その判断の根拠となるキーワードが、本作のタイトルに使われている<キス>という行為。字面だけ見ると<恋愛的に甘美ななにか>が想起されますが、本作ではキスについて、<唇という呼吸の部位をめぐる行為が、生命に関して象徴的な意味を持つ>とされたうえで、物語の悲劇性が読み解かれています。...いやほんと、<救いがない>なぁ。みなさま、ぜひ小誌を入手して、円堂さんの怪物とキスにまつわる論考を共有してください!

あっ、そうだ。じつは私は「ブライド」という映画をロードショーで観たことがあるのでした。当時、「フラッシュダンス」のジェニファー・ビールスとスティング(←ヴィクター・フランケンシュタイン役)の共演、ということで観にいったのですが、えらく肩すかしを食った複雑な気分で帰路についた記憶が...。円堂さんの一篇を読んだいまの私なら、全然違う感覚で観られるだろうな。コッポラ&デ・ニーロの映画も未見なので、こちらもぜひ観てみようと思います!



 思い出そう。つぎはぎの死体に生命の息吹を与えたヴィクターは、自分がキスしたとたん、将来の妻である女性が母の死体に変じる悪夢を見た。昔から、死んだはずの人間が真実の愛のキスで蘇るというお話のパターンがある。その裏返しで、キスによって生気が奪われ死ぬというパターンもある。唇という呼吸の部位をめぐる行為が、生命に関して象徴的な意味を持つ。『フランケンシュタイン』は、ヴィクターが予感として見た生々しいキスの悪夢が、現実化する物語なのだ。
 怪物は、親としての愛情を与えてくれないヴィクターに対し、自分と同種の伴侶を与えるようおどす。そうすればもう人間の前に現れないという。ヴィクターは苦悩しつつ、つがいとなるもう一体を生み出そうとする。だが、怪物が繁殖し人類を脅かす未来を想像し、造りかけたそれをめちゃめちゃに砕く。

ウィッチンケア第9号<『フランケンシュタイン』のキス>(P038〜P042)より引用
goo.gl/QfxPxf

円堂都司昭さん小誌バックナンバー掲載作品
『漂流教室』の未来と過去>(第6号)/<『オペラ座の怪人』の仮面舞踏会>(第7号)/『ノートルダムの鐘』の壁第8号)

http://amzn.to/1BeVT7Y

Vol.9 Coming! 20180401

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