人と話したりある人の文章を読んだりしてふと心が晴れる瞬間があるものでそれは語られた(綴られた)文脈の「意味(意図/主張/仕掛/目的?)」のようなものではなく、そこで何気なく使われた言葉のニュアンスが自分に近しい、共感できるというか...ってまたよくわからない書き出しですが。ちょっとまえに武田徹さんがFacebookに「まとも」という言葉を使った文章をアップして、それは自身のヘアスタイルについての“つぶやき”のような内容でしたが、私はそこでの「まとも」の使われかたに、不意打でぐっときたのでした。
昨年の武田さんは忙しそうで、前半には「私たちはこうして『原発大国』を選んだ - 増補版『核』論」「原発報道とメディア」と、世の中とまともに対峙する著書を上梓。その後もメデイア上でお見かけすることが多く...しかしあるテレビ番組でカレーを食べてコメントしていたのはちょっとびっくり。「いまの世の中でテレビ出演するのは、そういうことも込みなのか」みたいな、妙な感慨を持ったりして(失礼!)。
あっ、そして(少し長くなっても)書き記しておきたいことがひとつ。武田さんは小誌vol.2にも寄稿、しかし発行時期のタイミングで私は忸怩たる思いを抱えていました(昨年の紹介文参照)。ですが「原発報道とメディア」には、その掲載作品が草稿的役割を果たした「あと書きにかえて」という章があり、文中には小誌への謝辞も! 溜飲が下がるとともに、武田さんがWitchenkareを「試作の場」にしてくれたことに感謝したのでした。ありがとうございました。
ウィッチンケアvol.3への武田さんの寄稿作品は「お茶ノ水と前衛」。なんと自身の若かりし日の前衛音楽遍歴が語られていて。同一文章内で3度目の使用ですが、私にはとっても「まとも」に思えました。まとも(4度目)な10代の探求心は、とっつきにくいものが有する「なにか」を解明したくなるし、結果としてはみ出した実戦をすることだって...とにかくそのテープを私はいまでも買いたいです、武田徹さん!
こうした音楽三昧だった浪人生活の結果、もちろん第一志望大学は不合格、第二志望の私大に入る。浪人時代が明ければ、演奏活動も再開である。しかしAO1年目にして自分の音楽の志向はすっかり頭でっかちになっており、もはや高校時代のように牧歌的にギターなど弾く気にもなれず、散々ウィンドーショッピングしたお茶ノ水の楽器店まで出かけて買ったのはチェロだった。それをまともに演奏するわけではなく、弓で同じ音程を弾き続け、エコーマシン経由で宅録する。エコーマシンは、デジタル信号処理でディレイが掛けられなかった時代に最もディレイタイムが長く取れたエンドレステープを使う巨大なものを、貯めた小遣いを投入してチェロと一緒に買った。同じ音程で弾いているのだが、下手クソなので予期せぬ音程のぶれがあり、ディレイをかけて時間差で多重録音すると共振して発生する倍音が刻々と変化する。それを聴いてもらう趣向の46分の作品を作って、テープをダビングして大学で売った。買わされた方は間違いなくいい迷惑だった。
Witchenkare vol.3「お茶ノ水と前衛」(P050〜P053)より引用/写真:徳吉久
http://yoichijerry.tumblr.com/post/22651920579/witchenkare-vol-3-20120508
Vol.14 Coming! 20240401
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