私が吉本隆明を初めて読んだのは、1984年に福武書店から出た『マス・イメージ論』だった記憶が。勤め人1年目でしたが、これは地元の駅前書店に平積みされていて、パラパラめくるとおもしろそうだったので、むずかしいんだろうがこれくらい読んでやるぜ、と気合いを入れて購入したのでした。そして、同書で絶賛されていた高橋源一郎の『さようなら、ギャングたち』を知り、今度はそれを手に入れて、同作での奔放な言葉の使い方に「これは高校生のときに太宰治の『晩年』を読んで以来のびっくり!」となって、その数年後には「ばなな」なんてヘンな名前の新人作家の『キッチン』を読んで(←電車で読んでやめられなくなり駅で降りベンチで読み切った)、これがあの人の娘の作品なんだ、と感動したり。...と、私の貧しい読書体験を告ったのは、武田徹さんの小誌今号寄稿作にも、ご自身の吉本体験について書かれていたからでした。
<吉本隆明の作品と出会ったのは、案外と遅くて、大学院の初年次><大学院の比較文化論の授業で『共同幻想論』を読んだ>と武田さんは記しています。おそらく私が『マス・イメージ論』を読んだのと、数年しか違わないかな。<案外と遅くて>という感覚、わかるのです(学生運動は終息、でも新人類より少し年長の「三無主義」「シラケ世代」〜次の天皇陛下と同世代の人間には、ちょっと前の思想家に感じられて距離があった、かも)。ともあれ、武田さんは『共同幻想論』を読み、前世代の影響を強く受けて<滞留>(!!)していた院生とは異なること...吉本が<「幻想」の語を選ぶ姿勢>が気になっていた、と。
その後、武田さんが<次に本気で吉本と向かいあったのは>自著『偽満州国論』(1995年)の執筆中に<共同性の在り方>を考えるために...月日が流れ、今年はたしか「月刊Journalism」3月号に、原子力政策がらみで吉本関連の評論を執筆していたはず。そして小誌には、極めて個人的な吉本考察の一篇をご寄稿くださいました。詩人から出発した吉本が「共同幻想」という言葉に込めた意味を、いまの武田さんの目線で読み解き直そう、という。詳しくはぜひ小誌を手にとってお確かめください。
短くもなく武田さんが書くものの読者ですが、小誌にこれまでご寄稿いただいているような「ジャーナリスト」「社会学者」の枠からやや踏み出した風合いの作品も大好きです。1冊にまとまったら、文芸書のエッセイコーナーにでも置かれそうな...。teacup時代の「オンライン日記」には、本や音楽、当時の町の風景を記した作品がたくさんあって、自分の思い出にも重なっています(いまでも読めるので、ぜひアクセスしてみてください!)。
『共同幻想論』も、吉本の評論の「グラウンド・ゼロ」である「固有時との対話」に遡って読み解かれるべきだったのだろう。吉本が幻想の語を使うのは国家である共同幻想だけではない。人間関係には「対幻想」、個人に対しても「個なる幻想」という概念が当てられる。それは相対性理論の数式で表現される、ゆらぐ世界の成り立ちそのものを、それぞれに固定的で共同的な言語や観念によって表現したものだからであり、それらは所詮紛い物であり、幻想でしかない。
幻想という言葉の負の語感ゆえに『共同幻想論』が、国家をdis りたがる心性と響き合ったという解釈は間違っていないと思うが、吉本自身にとっては、それぞれの固有時によって分断された孤独の淵に沈んで口にする全ての言葉、脳裏に思い浮かべる全ての観念が幻想なのだし、その孤独の深さに比べれば、日常的な語感など取るに足らない些細なものだったのではないか。
ウィッチンケア第9号<『共同幻想論』がdisったもの>(P102〜P107)より引用
goo.gl/QfxPxf
武田徹さん小誌バックナンバー掲載作品
「終わりから始まりまで。」(第2号)/「お茶ノ水と前衛」(第3号)/「木蓮の花」(第4号)/「カメラ人類の誕生」(第5号)/<『末期の眼』から生まれる言葉>(第6号&《note版ウィッチンケア文庫》)/<「寄る辺なさ」の確認>(第7号)「宇多田ヒカルと日本語リズム」(第8号)
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Vol.14 Coming! 20240401
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