昨年は写真展「理想の猫じゃない」で第43回(2018年度) 伊奈信男賞、そして2019年になり日本写真協会の新人賞も受賞したインベカヲリ★さん。赤々舎から写真集の「理想の猫じゃない」と「ふわふわの時間」」①②③(生プリント付きの三部作)も発売になり、注目を集めています。私は昨年12月、ニコンプラザ新宿THE GALLERYで催された〈伊奈信男賞受賞式展「理想の猫じゃない」個展〉にお邪魔して作品に接しましたが、その個性的な世界観とともに印象的だったのが、客として訪れていた被写体女性のにこやかな表情。「あっ、この人、ここに写っている!?」...と気づいてしまった私は、ついつい写真とご本人を交互に(ちらちらと)見たり、インベさんとの談笑する様子を遠くから眺めたり。でっ、そのとき強く思ったのは、インベさんって、モデルさんとの関係性を大事にして作品をつくっているのだなぁ、ということでした。いまの時代、双方がきちんと交信できてなければ、このような写真は生み出せないよなぁ、と。...正直、昨年の荒木経惟さんとkaoRiさんとの一件が脳裏を過ぎったりしつつ、でもそれとは違う方法論を具体的に示されているようで、圧倒されたのでした。
今号への寄稿作〈日々のささやかな狂気〉にも、インベさん独自の...いや、敢えて作中の言葉を拾って表せば、インベさんの「エグイ」世界観の片鱗が漂っています。ご本人はSNSで「平和なことを書いてる」みたいに仰っていましたが、いやいや、その「平和」って、けっこう危うい日常を前提としているんだな、ってことが、書き手の脳内に浮き沈みする「ささやかな狂気」を介して伝わってくるんですよね。凡人の私は、さすがにインベさんが書いている「深夜に道を歩くときは、動物園から脱走したトラが現れたら、どこに逃げようかと考えることがよくある」までの想像力には脅かされていませんが、それでも踏切でカンカン音が長く続くと「オレを引き込もうとしてる? あるいは、誰か背中を押そうとしてる?」みたいなことは、ときたま頭に浮かんだりもする。
じつは私、つい先日、ウィッチンケア第10号が無事刊行できたことと桜が満開なのが嬉しくて写真を撮っていて、手を滑らせてアイフォーンを歩道に落としてしまいました(二度目だよ!)。醜い液晶画面を見ながら、「アイフォーンがダメにならないことを前提としていた日常」が、こんなささいなうっかりミスで粉々に砕けてしまうのか、と...危うくて薄っぺらいものですよ、日常。というわけでみなさま、ぜひインベさんの「ささやかな狂気」を、小誌でご堪能ください。「人に道を聞かれること」についてのエピソードも、淡々とした筆致に流されてついつい納得してしまいそうだけど、でもなんか、どこかヘン(というか、エグイw)。
駅の階段を降りているとき、前の人がピッタリ前を歩いていると、「今私が足を滑らせたら、その弾みでこの人は階段から転がり落ちてしまうんだろうな」と考える。そうすると次に「私が手でおもいっきり押したら、この人は階段から真っ逆さまに落ちて簡単に死ぬんだろうな」と考えはじめる。今度は階段から突き落としている自分をリアルに想像して怖くなってくるのだ。もちろんそんなことするわけないのだが、急に自分がやるような気がしてヒヤヒヤしてくる。「やるなよ、やるなよ」と念じながら階段を降りるのだ。
ウィッチンケア第10号〈日々のささやかな狂気〉(P004〜P006)より引用
インベカヲリ★さん小誌バックナンバー掲載作品
〈目撃する他者〉(第7号&《note版ウィッチンケア文庫》)
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Vol.14 Coming! 20240401
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