2013/05/16

vol.4寄稿者&作品紹介12 武田徹さん

「寿命が近く尽きることを知ると世界が変わって見える。それは知識がその人を変えてしまったからだ、と。」

小誌第2号では「詩という表現」についての実践と考察、第3号では楽器演奏者でもある自身と前衛音楽の関係、とつねに身を切るようなテーマの書き下ろし作品を寄稿してくれる武田徹さん。昨年初冬に「次号でも、ぜひ」ということになり、私は「今度はどんなテーマだろう」と、年内にでも具体的な作品の方向性を教えていただけることを楽しみにしながら、長く愛読してきた武田さん主宰の「オンライン日記」、昨年最後の書き込み(2012年12月25日)をほぼリアルタイムで読んでいました。「何もしないのももったいないのでクリスマスイブは少しだけ夜のドライブをした」「原稿養成ギブスつけて原稿千本執筆ノックみたいなことをしておくべきなのだろう」と、いつもと変わらない武田さんらしい文章...しかし、更新した翌日にお父様が永逝なさったのですね。喪中の知らせが大晦日に届きました。...今年になってもしばらくは寄稿に関する連絡を控えていました。締め切りから逆算していよいよ、という段になり、短いメールでのやりとり。「いま書いておきたいことを」といった主旨の返信をいただき、今号に「木蓮の花」を掲載することとなりました。

私の父親は2000年9月の朝、家の玄関で突然倒れてそのまま。午後、実家のある町田市の病院に駆けつけたときには生きていましたが、mmm、それは私が到着するのを待って「スイッチを切っていいかどうか確認する」みたいな「生きている」でして...。でっ、そのときものすごくリアルに感じたことは「病院は生きている人」のための場所だってこと。スイッチ切っちゃうと、相談されるんですよ。「でっ、この先どうなさいますか」って。死を以て「次のシステム」に移行しないといけないんです(一般的には葬儀社とかに)。私の父親は生前に献体の契約をしていたので、自宅に戻ることもなく、某大学病院へと...。まともな葬式を執り行えなかった長男(私)は、後日親戚との折衝に苦労...そんな体験のある私は武田さんの作品内に出てきた「死は生者を突き放す」という一節に特別な感慨を持ちました。

 実は一度目の入院から家に帰った後、延命治療拒否の意思はまだ継続しているのか、体調が良くなったら父に直接確認しておこうと思いつつ、ついに果たせなかったことを後悔する。生きていれば幾らでもやり直しが利くが、いかに後悔しようと死にやり直しはない。予行演習もできず、やり直しもない正真正銘の一度きりの経験として、死は生者を突き放す。仕事柄、尊厳死や、死に関する自己決定について何度も書いてきたが、そのことを改めて思い知らされた経験だった。

 メモリーの中は殆どの写真が母と一緒に行った場所での記念写真で、とことんまでフィルムの「無駄撃ち」をしない昔気質の人だったのだなと思ったが、その中にほんの僅かに花の写真がある。


ウィッチンケア第4号「木蓮の花」(P066〜P069)より引用
http://yoichijerry.tumblr.com/post/46806261294/4-witchenkare-vol-4-4

Vol.14 Coming! 20240401

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