かとうちあきさんの今号への寄稿作を、私(←発行人)は「苦い恋愛小説だなぁ」と思いながら読みました。天性のストーリー・テラーであるかとうさんの描く物語は、これまでつねに主人公の「わたし」が引っ張っていく感じだった記憶が。いろいろ問題を抱えている「わたし」なんですが、でも結局は「わたし」が主役として強くて他の登場人物は翻弄される、みたいな。ところが今回の「鼻セレブ」では主人公のアッコさん、非常に不安定な立場に置かれていて、それが苦みを醸し出していると感じました。好意を持って接しているユリカさんが「自分にはわからないもの」を抱えていて、その「わからないもの」を問うてみることもできないまま受け止めることで関係が成り立ってきたから、ユリカさんが自分抜きである決断をしたとしても、その決断をそのまま受け止めることしかできない。読み手としても、作者の提示したその状況設定をそのまま受け止めることしかできず、さらにこの作品には「LGBTQ」「ポリアモリー」という要素も明確に含まれていまして、さらにさらにもうひとつ言えば、いわゆる「アベノマスク」絡みの一連の政治に対する強いNOも示されていて、語り口はマイルドですが、かなり「辛い」に近い苦さ。
というわけで、なかなか一筋縄ではいかない2人の交際模様が描かれているのですが、印象的なシーン、数多し。2人とも酒が好きで、酔っ払うと楽しそうに世の中に毒づく感じとか、恋愛と友情と同志感がごちゃ混ぜになっているようでおもしろいのです。“「そもそも『ファミリーマート』って名前からして家族主義が過ぎるから、滅びるべき」”と言ったユリカさんに同意して、その後ファミマ滅亡計画を話していたら酒が足りなくなって、買いにいった先はファミマ。...おいおい、って感じですが、それはそれでリアルっぽい情景。
終盤近くに書かれた“「もっと」への飛躍は、どの時点でもたらされたのだろう”という一文が重いです。このお話、たとえばユリカさん目線で書かれていたら、かとうさんのこれまでの作品テイストに、もしかしたらすごく近かったりして。...とすると、かとうさんはなぜに今回、こんなにもやもやの残る一篇を書こうとしたのか気になるわけですけれども、まあそれを問うてもかとうさん、「あはは」という感じで教えてはくれないと思いま〜す。それでも、今作はちょっと「かとうさんの中のどこかが着火してる」感が漂ってきて刺激的でした。
年末、「やっぱり一度、話しましょう」と連絡があって久しぶりに会ったユリカさんは、わたしの派手な色のコートを見て、
「真面目に話をする格好とは思えない」って怒った。
公園のベンチに座ると、
「傷ついた」と言う。
〜ウィッチンケア第12号〈鼻セレブ〉(P186〜P191)より引用〜
かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:〈台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)/〈チキンレース問題〉((第11号)
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