今号への寄稿依頼では、かとうちあきさんともリアルな打ち合わせをしないまま。いつもは私が横浜にいったり、かとうさんが町田を通りかかるさいに時間を都合してもらったり、だったのに。ご無沙汰しておりますが、このコロナ禍でもあいかわらず横浜橋通商店街は賑やかなのでしょうか? ...さて、そんなかとうさんから届いた一篇は、なんだかものすごくステイホームっぽい内容でした。タイトルの〈チキンレース問題〉とは、もう少し詳しく言うと「チキンレースどこまで耐えられるか問題」。つまり、共同生活におけるさまざまな雑事、の役割分担についての話。現在Aさん、Bさんと3人で暮らしている「わたし」は、たとえば「なんで共有スペースに誰も掃除機かけないんだ問題」「洗った食器が水切り籠に何日もあって使えないぞ問題」などに頭を悩ませています。ということは、この「わたし」は、そうとうなきれい好き? と思いきや、冒頭近くにはこんな一節が...「己の部屋がかなりの汚部屋だって自負のあるじぶん」。ちょっと、事情はややこしいのです。
どうも、AさんとBさんは各々の占有スペースだけきれいにするが、共有スペースには無関心なよう。対する「わたし」は、占有スペースがまず「汚部屋」。でっ、共有スペースも自分の部屋と同じくらい汚くなっていくことに心穏やかではないようなのです。「ちなみに数年前までこの家はここまで汚くはなかった。きれい好きな人が引っ越してゆき、次にやってきた汚しもするけどたまの掃除をいとわない人が引っ越してゆき、最終的に我々三人が残った」との記述から推察するに、「わたし」は長らく共有スペースのメンテナンスを他人に任せ、自身の汚部屋でまったりと暮らしたのであろう、と。もう、ちゃんと相談して当番制とかに決めればいいじゃん! とか客観的には思いますが、そういうことが苦手だから残ったんだよな、3人。
さて、「わたし」はこの難局をどのように乗り切ろうとしているのか? 「最近ではネズミまで暴れている」そうで、繰り返しになりますが、家の汚れ→家の構造にダメージ、になるまえに、ぜひ3人でよく話し合ってみてください〜。
かつて一週間ほど出かけて帰ってきてもしばしば同じふきん類が使われているので、なんで替えないのか不思議になったことがあった。汚いとは思わないのか。Aさんに聞くと使用日数の認識もなかったそうだが、ふきん類を置いてある場所まではわかっているが、なにが台ふきでなにが食器ふきかの判別がつかないらしかった。その時すでに数年住んでおり日々使っているわけで、覚えていてもよさそうなものなのに、なぜ。
〜ウィッチンケア第11号〈チキンレース問題〉(P170〜P173)より引用〜
かとうちあきさん小誌バックナンバー掲載作品:〈台所まわりのこと〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈コンロ〉(第4号)/〈カエル爆弾〉(第5号)/〈のようなものの実践所「お店のようなもの」〉(第6号)/〈似合うとか似合わないとかじゃないんです、わたしが帽子をかぶるのは〉(第7号)/〈間男ですから〉(第8号)/〈ばかなんじゃないか〉(第9号)/〈わたしのほうが好きだった〉(第10号)
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