昨年11月に「平成のヒット曲」を上梓した柴那典さん。私は11月19日に開催された柴さんとスージー鈴木さんの対談イベント(at 下北沢の本屋B&B)に参加してこの本を入手しました。同書は平成元年から30年までの、その年を代表するヒット曲を解説したもの。読み方によっては「懐かしい!」と感じる人もいるんじゃないかと想像しますが、でもイベントで生の話を聞けて良かったなと思うのは、筆者の視点が常に「今」にあることが、確認できたこと。柴さんのブログ「日々の音色とことば」の2021年12月31日には、“ただ、こういう本を書いておいてなんだけど、自分のテーマとしては「ノスタルジーに絡め取られるな」ということに強く意識的であろうと思う。40代を半ば過ぎて、懐かしいものが増えてきて、それに触れたときの心地よさもわかっていて。でも、それにひたるのは怠惰だなあとも思う。やっぱり、今が一番おもしろい。”という一文があって、ああイベント時の発言と同じだなと、あらためて思ったりしました。...私なんて柴さんに+20年分「懐かしいもの」を抱えていて、「それに触れたときの心地よさ」だけで余生を送ってもオツリがくるくらいなんですが、でもそこに浸っているのって、それこそ昨今問題視されている「老害」の元凶じゃないか、とも。まっ、無理して若ぶるつもりはありませんが、でも多少無理してでも「自分のものさし」をアップデートすることぐらいはしないと、怠惰なのだろうなと。
というわけで柴さんの今号寄稿作。やはり懐古的なものではなく、世の中の様々な事象を現在〜未来へと見通すように考察しています。作中に「わくわくディストピア」という言葉が出てきまして、この発想は個人的な未来への心構えとして、ちょっと見習いたいなとも思うのです。紹介されている、NTTドコモが報道発表した6Gの技術的なロードマップの内容とか...私は柴さんとは逆の意味で「鳥肌の立つような話」に思えなくもないんですが、でもこの手の進化が止まることはないんだろうし。
お原稿をいただいた後、なんと戦争が始まってしまいました。それも最新テクノロジーによる情報戦が進行しつつ、同時に市街地で生身の人間が対戦車ミサイルをぶっ放つとか、時計の針が20世紀半ばに戻ったような。本作の後半は飛蝗(群生相)とセロトニンの関係、さらにアメリカ海軍のLOCUST(軍事ドローンシステム)、自律型致死兵器システム(LAWS: Lethal Autonomous Weapons Systems)の話へと進むのですが、この戦争がさらにエスカレートし、人間が技術の端末として駆動させられるようになったら...まさに「人類にバチが当たった」みたいなことにならぬことを願うばかり。柴さんが今作で言及しているトピックの数々、こんな状況だからこそ必読だと思います。
人を言葉によってコントロールしようという意志はすべからく「呪い」として機能する。『呪術廻戦』が画期的なのは、日本古来より連綿と続く呪術というモチーフを題材としつつ、オンライン化による社会の再魔術化が進行しつつある現代に則してそのイメージをアップデートしていることにある。
神仏の力を借りずとも、藁人形や五寸釘といった古典的な呪法に頼らずとも、人は人を呪うことができるようになった。誰もが小さな災厄をもたらすことができるようになった。そのことはすでに常識となり、多くの人は注意深く、慎重に暮らすようになった。
その一方で、相互に影響を与え合う興味や関心の波は、それ自体が電流のような力を持つようになった。意図的に不安を掻き立て、恐怖と憎悪を巻き起こすことによって利得を獲得する勢力が蠢くようになった。
神仏の力を借りずとも、藁人形や五寸釘といった古典的な呪法に頼らずとも、人は人を呪うことができるようになった。誰もが小さな災厄をもたらすことができるようになった。そのことはすでに常識となり、多くの人は注意深く、慎重に暮らすようになった。
その一方で、相互に影響を与え合う興味や関心の波は、それ自体が電流のような力を持つようになった。意図的に不安を掻き立て、恐怖と憎悪を巻き起こすことによって利得を獲得する勢力が蠢くようになった。
〜ウィッチンケア第12号〈6G呪術飛蝗〉(P148〜P152)より引用〜