たとえば昨年4月某日の、忘れもしない日曜日の午前中。安倍晋三前首相が自宅でステイホームする動画を見てかなり混乱した私は、音楽ジャーナリスト・柴那典さんによる《星野源「うちで踊ろう」安倍首相 “コラボ事件” に抱いた強烈な違和感》という記事を読んで、ずいぶん心が楽になりました。この一件に限らず昨年から今年にかけて、世の中でのできごと(おもに音楽関係)について、柴さん経由で知ったこと/納得できたことがかなり多かったです。今号への寄稿作〈ターミナル/ストリーム〉内でも言及されている、瑛人の「香水」がなぜあんな大ヒットになったのかとか、あるいは竹内まりやの「Plastic Love」や松原みきの「真夜中のドア/stay with me」がいまどういう経緯/感覚で聞かれているのか、とか。
じつは私、いわゆるフェス体験はほとんどなく、長く〝宅聴き音楽愛好家〟なもので、ライヴ関係の方々はたいへんだろうなと思いつつも、音楽との付き合いかたにほぼ変化はありませんでした。むしろ柴さんが今作で分析を試みている、(元号でいえば令和以降に目立ち始めた)従来型の説明ではわけのわからない「流行現象」のほうが健全なのでは? と思えたりもして。思い返せば、2010年代の半ばの(マスメディアを介した)国内音楽産業って、おもに秋元康/EXILE/ジャニーズのどれかに紐付いたものが「流行っていることになってる」タームだったような気がするんですが、そんな状況を是認しないとどこか居心地が悪い、って時代のほうが異常だったと私は思います。「たぶん、ターニングポイントは2017年だと思っている」「どうやら世界は再魔術化しているんだ」という柴さんの考察、いまのうちにしっかり読み込んでおかないと、気づいたらミーム(呪術)とアルゴリズム(魔術)に翻弄されるばかりになっちゃいますよ!
「危ないから基本的にはあんまり大きな声で言わないつもりでいるけれど、ピザ」(〜以下略!)、という捉えかたにも共感できました。...最近、長く交流のある何人かがSNSで米国大統領を「売電」などと書くようになってて心が痛いです。いっぽう、若いころに「百億の昼と千億の夜」で免疫がついた、みたいなことを書いている知人もいて、私は後者推しですね〜。
僕はそのたびに首を捻っていたのだけれど、2020年になって痛感したのは、ひとたび何かが流行ってしまえば、世の中の人たちのほとんどはそれを「そういうもの」としてすんなり受け入れてしまう、ということだった。自慢するわけじゃないけど、YOASOBIの「夜に駆ける」についての記事をメディアに書いたのは2020年1月のことで、たぶん僕はあの曲に最初に着目したうちの一人だと思う。瑛人の「香水」がチャートを駆け上がっていったときも、かなり初期から記事を作っていた自負がある。
〜ウィッチンケア第11号〈ターミナル/ストリーム〉(P052〜P057)より引用〜
柴那典さん小誌バックナンバー掲載作品:〈不機嫌なアリと横たわるシカ〉(第9号)/〈ブギー・バックの呪い〉(第10号)
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