前号(第15号)では〈男性の乳首には隠す価値がある〉という、かなり目からウロコ的な持論をご開陳くださった中野純さん。さて、ウィッチンケア第16号ではどんな課題に対して目鱗させてくれるのか、とワクワクしていたら、今回はご自身の専門分野である、光と闇に関わる案件でのご寄稿であります。中野さんの近著といえば、たとえば『「闇学」入門』(集英社新書)『ヤマケイ新書 ナイトハイクのススメ 夜山に遊び、闇を楽しむ』(山と渓谷社)『闇で味わう日本文学: 失われた闇と月を求めて』(笠間書院)と、かなりダークサイド視点。そんな中野さんが今作で指摘しているのは、光による植物虐待...えっ!? あの、クリスマスとか桜の頃とかに樹木がライトアップされてロマンチックなムードを醸し出している風景、あれは植物虐待なんですか?

昨今の巷によくある電気系ライトアップ(「キレイ!」)を筆者、冒頭では全否定です。〝植物は、降り注ぐ日光を浴びて光合成して、太陽に向かって生長していく。植物は上から照らされるための姿をしている〟...なるほど。〝つねに上からの光に気を取られて生きている植物を出し抜けに下から強く照らし上げ、当の植物だって注目されたくないと思っている彼らの裏側を、ことさらに明るくして目立たせまくるライトアップ〟...たしかに。〝植物は下から光を浴びるようにできていないから、不意打ちにもほどがある。植物虐待にもほどがある〟...仰るとおり、のような気がしてきた。このグイグイ持論の方へと読者を引き寄せていく中野さんの筆力、なかなか抗えません。
もはやライトアップ全般をメッタ斬りなのかと読み進めると、中盤以降は、さすが闇のスペシャリスト。〝反射光による下からの天然ライトアップ〟(水明かり/雪明り/砂明かりetc.)という、日本古来の美についての考察なども含めて、多角的に光と闇の関係を語っています。でも〝強い光による梅や桜や紅葉や歴史的建造物やなんやのライトアップが、異様だと思わずに美しがっているのが断じて気持ち悪いのだ〟...この一点だけは譲らず。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、ご自身のライトアップ(「キレイ!」)感覚がどのようなものなのか、お確かめください。

出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税)
下からの強い直接光は、自然界ではほとんどありえない。つまり下から照らすライトアップは、太陽や月に対する下剋上ともいえる。下から照らすのはとても人間らしい。人工らしい。懐中電灯で顔を下からライトアップしてビビらすのも、上に影ができるという、ふつうありえない陰影になるからだ。それは一種のスポットライトだから夜全体の景色を埋没させてしまい、ライトアップされたものしか見えない、局所的で異様な昼間を作り出す。その異常さをあえて楽しむならそれはそれでいい。
~ウィッチンケア第16号掲載〈植物虐待より光れ自分!〉より引用~
中野純さん小誌バックナンバー掲載作品:〈十五年前のつぶやき〉(第2号)/〈美しく暗い未来のために〉(第3号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈天の蛇腹(部分)〉(第4号)/〈自宅ミュージアムのすゝめ〉(第5号)/〈つぶやかなかったこと〉(第6号)/〈金の骨とナイトスキップ〉(第7号)/〈すぐそこにある遠い世界、ハテ句入門〉(第8号)/〈全力闇─闇スポーツの世界〉(第9号)/〈夢で落ちましょう〉(第10号)〈東男は斜めに生きる〉(第11号)/〈完全に事切れる前にアリに群がられるのはイヤ〉(第12号)/〈臥学と歩学で天の川流域に暮らす〉(第13号)〈うるさいがうるさい〉(第14号)/〈男性の乳首には隠す価値がある〉(第15号)
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