ウィッチンケアの巻末近くには毎号《参加者のVOICE》という、寄稿者のプロフィール/近況などを掲載する欄があるのですが、長谷川町蔵さんは今号(第16号)のその欄に〝今回は初めて私小説めいたものに挑戦してみました〟と記しています。ということは、〈四谷の地下コインロッカーにて〉と題された長谷川さんの今号への掲載作は、まるまる実話ではないものの、ご自身の体験したできごとがベースになっている...私(←発行人)も一昨年、実母が永眠しましたが、そのとき経験したことは、まさに作品冒頭に書かれた〝誰かが死ぬと、人が最初にやらなければいけないのは悲しむことではなく、事務作業である〟という一節に重なるものでした。誰か(←私)がやらなければいけない作業が多すぎで、ほんと、悲しんでいるヒマもないくらいバタバタバタバタ...近年、近親者だけで故人を送りのちにお別れの会を、といったスタイルが一般的になってきていますが、でも「近親者だけで〜」のところも、もう少し改善の余地があるような気はするなぁ。

作品の主人公である「ぼく」は運命の巡り合わせで叔父の死に立ち会い、その後の〝事務作業〟も引き受けることになってしまいます。〝もはや回復の見込みゼロの患者を、少しでも生かそうと尽力してくれるナースたちには、感謝しかない〟という文章の少しあとに〝病院は患者が生きている間は全力で対応してくれるが、亡くなった瞬間から、できるだけ早く運び出されるべき物体として扱う。やんわりと、しかしはっきりと、葬儀社をすぐ手配してほしいと言われる〟と続いているのが、とてもリアル。そして、叔父が亡くなったことによって、それまで蓋をされていた親族間の問題などが顕在化し、それを仕切るのも「ぼく」という...。本作には叔父一家内の宗教(キリスト教)も絡んでいまして、そうしたデリケートな事柄にも配慮しつつ、粛々と対処しなければならなかった「ぼく」の大変さが、丁寧に描写されています。二つの教会とのやりとり、葬儀社との打ち合わせ...ほんと、やらなければいけない作業をつつがなくこなしていく「ぼく」の仕切りは、ある意味ではお見事。しかし、この物語の背景にあるのが東京一極集中、核家族化、少子化、晩婚化(未婚化)、高齢化といった社会課題のツケ、と考えると、なんとも複雑な気分になるのでした。みなさま、ぜひ小誌を手にとって、「ぼく」にねぎらいの言葉をかけてあげてください。

ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
次男である叔父には墓がない。かつて彼には、妻(ぼくにとっては叔母)と子(従兄弟)と孫(従兄弟の息子)がいた。しかし従兄弟は40歳を迎える前に呆気なく過労死してしまった。彼の死後、叔母と従兄弟の妻は、その死の原因をめぐって酷い口論になったらしく、従兄弟の妻は息子を連れて実家へと戻り、叔父夫妻との関係を絶ってしまった。この出来事がきっかけで叔母は精神を病み、それが夫婦で都内から逗子のケアマンションに移るきっかけとなったのだった。その数年後、叔母は息子のあとを追うようにこの世を去った。熱心なカトリック信者の家に生まれた叔母は、息子にも洗礼を受けさせていたため、ふたりは教会の敷地内に葬られている。一方、叔父は信仰心とは無縁の人だった。
~ウィッチンケア第16号掲載〈四谷の地下コインロッカーにて〉より引用~
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