ウィッチンケアには第13号以来の登場となった矢野利裕さん。矢野さんは、小誌では第7号から教育/学校に関するご寄稿を続けてくださり、それらの寄稿作は矢野さんが2022年に上梓した『学校するからだ』(晶文社)の一部として収録されまして、ちょっと一段落という感じではあったのですが...昨年の秋、私(←発行人)は矢野さんの最新刊『「国語」と出会いなおす』(フィルムアート社)や文学フリマ東京で入手した「矢野利裕のLOST TAPES」(1&2)を読んでいまして、ああ、やはり小誌には矢野さんの寄稿作が掲載されているべき(「べき」って、何様!?...「掲載できたら嬉しいなあ」に訂正。スイマセン)と強く思いまして、それであらためて寄稿依頼をしまして、今回のご寄稿に繋がったのでした。


ウィッチンケア第16号(Witchenkare VOL.16) 発行日:2026年4月1日
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税)
出版者(not「社」):yoichijerry(よいちじぇりーは発行人の屋号)
A5 判:272ページ/定価(本体2,000円+税)
ISBN:978-4-8-6538-180-1 C0095 ¥2000E
1990年代後半、モータウンのキダー・マッセンバーグによって仕掛けられたネオソウルというムーヴメントは〝ヒップホップ世代によるソウルミュージック〞と喧伝されていたが、それとはまた別に、同時期、R&Bをフォーク風に表現する潮流があった。それらの音楽は、ルーツであるブルースに敬意を払いながらも、デルタ・ブルースの粘っこさからは距離を取り、むしろ白人的とも言われそうなフォークソングのフィーリングを大事にしていた。さらに言うと、同時期、そのような感覚からテリー・キャリアーやリンダ・ルイス、あるいは、ブッカー・T「Jamaica Song」など70年代の音楽が再評価されていた。
1990年代後半に音楽に興味をもち始めた自分の音楽の好みは、少なからずこの潮流によって形成されているような気がする。僕の見ていた1990年代後半の風景は、インディア・アリー、デズリー、エンダンビなどのアコースティックで爽やかなR&Bアーティストがいて、そのわきにエリカ・バドゥやローリン・ヒルがいて、さらにそのわきにディアンジェロやミシェル・ンデゲオチェロがいた、という感じである。
1990年代後半に音楽に興味をもち始めた自分の音楽の好みは、少なからずこの潮流によって形成されているような気がする。僕の見ていた1990年代後半の風景は、インディア・アリー、デズリー、エンダンビなどのアコースティックで爽やかなR&Bアーティストがいて、そのわきにエリカ・バドゥやローリン・ヒルがいて、さらにそのわきにディアンジェロやミシェル・ンデゲオチェロがいた、という感じである。
~ウィッチンケア第16号掲載〈ブルーな音楽の地平──ダニエル・シーザー、カサンドラ・ウィルソン、ジョニ・ミッチェル、ときどきネオソウル〉より引用~
矢野利裕さん小誌バックナンバー掲載作品:〈詩的教育論(いとうせいこうに対する疑念から)〉(第7号)/〈先生するからだ論〉(第8号)/〈学校ポップスの誕生──アンジェラ・アキ以後を生きるわたしたち〉(第9号)/〈本当に分からなかったです。──発達障害と国語教育をめぐって〉(第10号))/〈資本主義リアリズムとコロナ禍の教育〉(第11号)/〈時代遅れの自意識〉第12号〈3年ぶりの合唱──『学校するからだ』のアナザーストーリーとして〉(第13号)
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